ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】   作:それいゆ

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尚樹の設定の出しどころさんがまだかかりそう



episode13『仮面』

1936年4月24日

 

夕暮れ時の講道館。稽古も終わり、門下生たちは銭湯や夕餉の支度に散り、空には茜が差し始めていた。道場に残るのは章香と様子を見に訪れていた敏子、そして外の倉庫裏で竹刀を修理している尚樹の姿。

 

「……随分と馴染んだもんね、あの子。」

 

不意にかけられた敏子の声に、柱に寄りかかっていた章香は小さく頷いた。

 

「そうだな。雑用一つ文句言わないし、生徒への相手も手慣れてきた。美緒たちだけじゃなく、他の子たちとも普通に話してる」

 

「ふーん……で、あんたは?」

 

「え?」

 

敏子は溜息をついた。

「あんた、あの子のこと完全に“身内”扱いしてる。気づいてる?」

 

「……!」

 

図星だった。反論しようと口を開きかけたが、何も言えず目を伏せた。

 

敏子は言葉を継ぐ。

 

「あたしだって、あの子が悪人だなんて思ってない。でもね、出自も身元も不明な男の子を、たった1、2ヶ月でここまで信じてるあんたが心配なんだよ。」

 

「……信じてる、というか……気がつけば普通に頼ってたんだ」

 

章香は腕を組み直し、なおも続けた。

 

「来てから今日まで、一度も怠けたり反抗したりしなかった。どんな雑務でも最後までやるし、誰かを責めることもない。美緒たちが騒いでも咎めるんじゃなくて、黙ってフォローに回ってる。……気がつけば、私があの子を“道場の一員”として扱ってた」

 

「だからって――」

 

「……それが、怖いんだよ」

 

敏子の反論を制すように、章香が静かに言った。

 

「私自身が、こんなに早く気を許してるのが……変なんだ。あの子に“何か”があるっていうのは、ずっと感じてる。でも、いつの間にかそれを追及する気が薄れてきてるんだよ。……それが、いちばん怖いんだ」

 

沈黙が訪れた。敏子はしばし口を閉ざし、感情の起伏も薄く黙々と動いている尚樹の姿を眺めていた。

 

「……騙されるならそれまでって顔してるわね、あんた」

 

「……そうだな。でも、どうせ騙されるなら――」

 

「“本気で信じた上で”って?」

 

章香は苦笑し、敏子もまた肩をすくめた。

 

「まったくもう……最初から、あたしらの負けだったのかもね」

 

「……いや、まだ分からんさ」

 

そう言いながらも、章香の声には、どこか諦めにも似た、温かい響きがあった。

 

 

尚樹が手入れを終えて、ふうと息をつく。彼の視線は自然と道場の天井梁に向けられ、目を細めた。

 

章香と敏子の話し声には気づいていない様子だ。

 

「……不思議な子ね、あの子。」

 

敏子がぽつりと呟いた。

 

「ただ真面目なだけなら、他にもいる。器用な子なんて珍しくもない。でも、尚樹は違う。まるで人生をあと数年で終える老人のような”枯れた感じ”が滲み出てる、そんな感じがする」

 

「……ああ」

 

章香は小さく頷いた。

 

「まるで――“もう全部、分かった上でやってる”みたいに見えるときがある」

 

それは明らかに、少年が本来持つべきではない“達観”だった。

 

人に何かを求めすぎず、拒絶もしない。静かに、しかし確かな輪郭で場に溶け込み、必要なときだけ動く。

 

「あの子らも変わったよね」

 

敏子が言う。

 

「…そうだな。最初は恐る恐るといった感じだったのに、今はどうだい。困ったことがあると自然とあの子を探す」

 

「それは私もかな……」

 

章香の声は自嘲めいていた。

 

「この間、朝の稽古の前に掃除用具がなくなってて、自然と“尚樹がどこかで用意してるだろう”って思ってた。……で、実際にもう用意してあったんだ。時間ぴったりに、いつもの場所に」

 

「頼ることに、無自覚になってきてるんだ」

 

「そう。……それが一番怖い」

 

沈黙。

 

尚樹が道具を片付け終え、こちらへ戻ってくる。

 

章香と敏子はとっさに会話を切り上げ、それぞれ少し顔を向ける。

 

「章香さん、これ、納戸に戻しておきます」

 

「……うん、ありがと」

 

「敏子さん。お茶おかわり要りますか?」

 

「いんや、もう終わったわ、ありがとう」

 

そう言って敏子は湯呑みをあおり、残りを飲み干す。

 

何気ないやりとり。だが、その何気なさが、もはや“日常”に組み込まれていることが、二人の胸に静かに残った。

 

尚樹が飲み終わった湯呑みを片付け、軽く一礼して奥へ下がると、敏子はもう一度だけ、囁くように言った。

 

「章香。あんた、本当に気をつけなよ」

 

「……うん」

 

「“信じる”ってのはさ、心を“預ける”ってことでもある。無意識に自分の一部分を預けてね……で、そのことに気づいたときにはもう、戻れなくなってる」

 

章香は何も答えず、ただその言葉を胸に沈めた。

 

夕陽が道場の床板を茜色に染め、影が少しずつ長くなる。

 

 

 

その夜、章香は帳面に向かいながら、誰にも言えない“苛立ち”を抱えていた。

 

(何を考えてるのか分からない……いや、“分からせないようにしてる”)

 

尚樹は必要以上に礼儀正しく、落ち度もない。どこか“よそ者”のままなのだ。

 

(私は……この子を信じ始めてた。でも……)

 

いつか、自分でも気づかないうちにすべてを奪われているのではないか。

私だけならいい、生徒や、国や、世界そのものに牙を剥くのでは?

 

その考えが拭えずに、章香はまた帳面を閉じて、静かにため息をついた。

 

(……私は、この子が怖いのかもしれない)

 

扉の向こう、廊下の先で尚樹が立ち止まり、静かに部屋へ戻っていく足音が聞こえた。

 

(けれど、それでも……私は…)

 

その矛盾に章香は苦しみながら、明日も変わらず挨拶をする自分を、既に知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

----------

 

 

 

 

 

翌日の昼下がり。稽古終わりの道場には、床に打ちつけられた竹刀の音だけが残響のように漂っていた。

 

尚樹は手早く掃除用具を持ち出して、黙々と床を拭いていた。その動作はいつも通りだが、彼はふと、後ろに刺さるような視線を感じ取る。

 

(……まただ)

 

壁際、帳面を開いたまま座っている章香が、ちらりと顔を上げた。その目は、ただの監督役の目ではない。明らかに“何かを測っている”視線だった。

 

「……?」

 

尚樹は一瞬だけ目を合わせる。章香は何でもないように目を伏せ、帳面の記録に視線を戻す。

 

けれど尚樹は気づいていた。彼女がここ数日、必要以上に自分の行動や言動を見ていることに。

 

 

(……俺が何者なのか、本気で探ろうとしてる)

 

心当たりがないわけではなかった。1か月――この平穏は、あまりに都合がよすぎた。

 

(……疑われて当然か。今までが異常だったんだ)

 

尚樹は、自分の中で芽生えかけていた“安心”を押し殺す。顔には出さず、変わらぬ笑みを浮かべて雑巾を絞る。

 

「章香さん、こっちはもう終わりました。」

 

「……ええ。ご苦労さま」

 

その返事もまた、よそよそしさを隠しきれていなかった。

 

 

「尚樹くんってさ、最近先生に何かした?」

 

夕食後、醇子がぽつりと問いかけてきた。

 

「え?」

 

「何かこう……怒らせたとか、心配させたとか?」

 

「いや……別に」

 

「でも……なんかずっと見られてるよね。先生」

 

尚樹は少し間を置いてから、わずかに笑った。

 

「うん、まあ……気にされるのは慣れてるから」

 

その“慣れてる”という言葉に、醇子は言いようのない違和感を覚えた。まるで、過去に似た経験が何度もあったかのような、そんな声音だった。

 

 

【夜。私邸にて】

 

夕食も終わり、もう後は布団に入ろうかという夜更け。月明かりが縁側を照らす中で章香は尚樹と並んで湯呑を片手に座っていた。

 

静かな時間だった。虫の声と遠くの犬の鳴き声が交じる中、章香は湯呑を一度揺らし、ふと尋ねる。

 

「尚樹は……昔、どんなところに住んでたの?」

 

その問いに、尚樹はすぐには答えなかった。

 

「……え?」

 

「言いたくなかったら無理にとは言わない。」

「でも、たまに……言葉遣いとか、物の扱い方が、なんていうか、やっぱりお前くらいの歳の子とは違うから」

 

「”向こうの世界”では若い子はみんなそうなのかい?」

 

ゆるい空気を作るため軽口のように気になった事を聞く。

 

尚樹は少し考えるように視線を遠くへやり、やがて静かに答えた。

 

「意外と変わりませんよ。生活の仕方や、使うものが違うだけで。なんならこっちより生活が便利な分甘ったれたヤツのほうが多いです。」

 

遠い目をしてゆっくりと語る尚樹。

 

「…なるほどね」

 

章香は尚樹の見せた目の表情に覚えがあった。最早靄がかかって全てを思い出せなくなった過去を話す老人の物だ。尚樹が話した内容は2月に尚樹が森に落ちてくる直前の記憶ではなく、もっと遥か遠い記憶なんだと章香は読み取った。

章香は尚樹の言葉を聞きながら、湯呑の中で冷めかけた茶に視線を落とした。

 

「……甘ったれ、ね。尚樹はそうじゃなかったんだ?」

 

尚樹は少しだけ笑って見せた。

「……いや、自分も最初は似たようなもんでしたよ。何も知らなかった頃は。」

 

「……」

 

「こんな身ですが、いろんな物を見てきました。」

 

言葉に棘はなかったが、その語調は妙に重かった。章香は息を飲み込んで言葉を探したが、すぐには口を開けなかった。

 

尚樹の横顔は、変わらず静かに夜を見ていた。虫の声すら少し遠のいたように感じる沈黙のあとで、章香はそっと言った。

 

「……なら、今の尚樹は“変わったあと”の姿ってことか。」

 

「ええ。……でも、今の自分がいいかどうかは、正直分かりません。」

 

「……」

 

章香はその言葉の真意を測りかねた。ただ、妙に胸の奥に残る響きだった。

 

彼が何を見てきたのか、何を抱えているのか。そこまでは分からない。けれど、少なくとも――

 

「……お前、やっぱり変だよ」

 

ふっと笑う章香に、尚樹も思わず吹き出した。

 

「それは……今さら、ですかね」

「というか、急に現れた正体不明で謎の塊の人間を預かってるあなたも大概ですよ」

 

「ハハハ!痛い所を突かれたな」

 

章香の笑いが部屋に響き、二人の間に柔らかな空気が戻った。

 

それでも、章香の中では確かな“引っかかり”が残っていた。言葉の奥にある過去――それを知りたいと思う一方で、踏み込むことへのためらいもある。

 

(……それを知ってしまったら、お前は霧のように消えてしまうかもしれない)

 

 

 

 

 

【独白】

 

湯呑に残った冷えた茶を口に含み、私はゆっくりとそれを飲み干した。夜風がふわりと吹き抜けて、畳の縁を少しだけ揺らす。

 

尚樹は部屋に戻った。あの子は何でもない顔をしていたけど――いや、本当に「何でもない」ように見せるのが上手い。

 

……分かってる。私はずっと、あの子のことを「普通」だとは思っていなかった。

 

あれだけの身体能力に、立ち居振る舞い。いくら訓練を積んだとしても、あの年齢で自然に出せるもんじゃない。使う言葉、目の奥の静けさ、時折見せる“間”――全部が、完成された者のそれだ。

 

私は軍人だ。表情の裏を読む癖がある。だが、それでも尚樹は見えない。まるで“つくられた仮面”のような静けさがある。

 

それなのに……それでも。

 

今日、彼があんな風に笑みをこぼすのを見て、私はまた――気を許してしまいそうになった。

 

駄目だ。そう自分に言い聞かせる。あの子はどこかから“突然”現れた。話す来歴にも不自然な点が多すぎる。

 

……けれど。

 

あのとき、醇子を抱きとめて落下を受け止めた尚樹の姿。迷いなく飛び出し、自分の身を盾にして少女を守った、その一瞬の行動。

 

あれを見てしまった時点で私は、きっともう完全には疑えなくなってる。

 

何者なのかは、まだ分からない。でも、あの時――あの判断と行動だけは、信じたいと思った。

 

……きっと私は、もうすでに線を引けていない。

 

「……脇が甘いな、私も」

 

苦く笑いながら、私は空を見上げた。雲の切れ間に、月が滲んでいた。

 

 

 

 

 

聞こえるのは虫の声と、時折廊下を通り過ぎる風の音。それが妙に耳についた。

 

(……なんなんだろう、あの感じ)

 

章香との会話。あれは――探りだった。あの人なりに気を遣って、さりげない言葉で切り込んできた。でも、明確に踏み込んでは来ない。その距離感が妙だった。

 

(疑ってる、のか? いや……気にしてるだけか?)

 

尚樹は両腕を枕代わりにして、考えを巡らせた。話の内容自体は無難にかわしたはずだ。向こうも無理に聞き出す気はなさそうだった。

 

 

ずっと気をつけてきたつもりだった。自分の正体を知られるわけにはいかない。下手に現代人としての知識を漏らすわけにもいかない。何より、子どもとして「ふつう」でいようと努めてきた。

 

(……けど、誤魔化しきれてないか)

 

悔しさよりも、焦りのようなものがこみあげてくる。彼女は軍人だ。観察力も洞察力も、まだ二十歳にもなっていないのに研ぎ澄まされている。

少しの隙も、彼女の判断材料足り得るだろう。

 

(それとも……もうとっくに気づいてるのか?)

 

だとしたら、なぜ黙っている?

 

問い詰めることも、突き放すこともなく、ただ――見ている。見極めようとしている。それが妙に、胸に刺さった。

 

(……信じてくれてる、のか?)

 

いや、分からない。だからこそ、こんなにも考えてしまう。

 

今まで、疑われることには慣れていた。警戒されるのも、ある時には放逐されるのも。だが、黙って“見守られる”ことには慣れていなかった。

 

だからこそ――戸惑う。

 

(くそ、こっちがこんなに揺さぶられてちゃ、いつボロが出るのやら)

 

思わず、苦笑が漏れた。

 

(……早く、寝よう)

 

目を閉じて、眠りにつこうとする。けれど、布団の中の温もりはやけに落ち着かなくて、尚樹はしばらくの間、寝返りを繰り返すことになった。

 

 

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