ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】 作:それいゆ
講道館・裏手の物干し場。
尚樹は静かに洗濯物を取り込みながら、乾いた木綿の手拭いを風の中で確かめていた。
(……よく乾いてる。今日は南風か)
風の匂い、太陽の角度、土の湿り気。
こうして何気ない作業をしていると、確かに“ここ”に生きている実感が湧く。
(けど……)
指先で手ぬぐいを折りたたみながら、ふと胸の奥がざわめいた。
(俺の年齢は――11。用意してもらった戸籍上は、そういうことになっている)
(しかし、無茶があるな)
竹井少将が講道館を訪れた日のことを思い出す。
軍帽を被った老人は自分の目をじっと見ていた。
その後一切口にされなかったが、彼は気づいていたのだろう。
自分の中に宿る、戦場の空気を。
「…何度も移り渡って、その度に0から初めて」
「馴染んではまた何処かに消えていく」
皮肉にも、今の彼を囲む者たちは、皆「同年代」だった。
ふと彼女たちを思い浮かべる。
空が何故青いのか知らず、まだ何者でもない“未来”の塊たち。
(……眩しい)
(純粋で、真っ直ぐで、痛いくらいに何も知らない)
(俺には――ああいう目は、もうできない)
それでも彼女たちは、尚樹の周囲に少しずつ集まり、言葉をかけ、笑いかけてくる。
異物でしか無い自分を”訳アリの孤児”として信じ、見捨てないように。
(けど、もしこの平和が崩れたら)
(彼女たちの笑顔を……生き様を……俺は本当に、護れるのか?)
その夜。
私邸の小さな台所。
釜の火を調整しながら、尚樹は鍋の中をゆっくりと掻き混ぜていた。
こぽ、こぽ――と、味噌汁の沸く音だけが、静けさを破る。
(このまま、誰にも知られず、歳を重ねていけたら――)
(そう願わないわけじゃない)
けれど。
ふと、懐に手を入れ、何かを取り出す。
そこには、白金のブレスレットがあった。
中心部には淡い光が眠っている。
「……ランスロット」
とある物語の騎士の名を呟く。
この世界では、無闇に振るえない物。
多くの者は、それを見てしまえばたちまち彼を放逐するか、または是が非にでも自分の物とするであろう。
その存在を知られれば、真っ先に“排除”対象となる可能性があることは、本人が一番理解していた。
(自分はどこまでも平和には向いていないな…)
(”これ”自体が争いの種になることは理解しながら、手放せずにいる)
怪しまれない事を第一にするなら、彼の考えることは最もであった。
しかし、それをできない理由も同時に存在していた。
彼が歩んできた世界の一つと、要点は違えど近すぎるこの場所。
世界に戦火が飲み込まれ、その火に焚べられる人がいるのなら
それを見過ごして自分だけ平穏を享受しようとは毛ほども思っていなかった。
ぼうっ、と火の手が強くなり、鍋の中で味噌が沸騰した。
尚樹は火を止め、蓋をそっとかぶせる。
(もし、その時が来たら)
(俺は――使う)
(嫌われても、恐れられても、それで守れるものがある)
(今度こそ…)
その思考の最中、廊下から聞こえる声があった。
「尚樹、そろそろ出来たかな」
章香が台所に顔を出す。
(……こうして呼ばれる今が、何よりも…)
(だからこそ、守りたいと思う)
「章香さん、育ち盛りの子じゃないんですから」
「はっはっはっ」
「いいじゃないか、お前の飯が楽しみの一つなんだから」
「そりゃどうも」
褒められたことを素直に受け取り、土鍋の蓋を開ける。
白い湯気の向こうで、彼の表情は少しだけ、柔らかくなっていた。
――そうして、また一日が過ぎていく。
戦う日ではない、何も起きない一日。
だが、それは確かに“生きている”という証だった。
「いただきます」
正座して箸を手に取った章香の一言に続いて、尚樹も静かに頭を下げた。
「……今日は随分と気合が入ってるな」
鯖の身を箸で割りながら、章香がぽつりと言った。
「いつも通りですよ。大葉がよく育ってたんで、それを使っただけです」
「ふぅん……」
あくまでさりげない口調のまま、味噌汁を一口すする。
「――美味い!」
「ありがとうございます」
談笑しながら、食事を進めていく2人。
蛍光灯の明かりが障子の端に影を揺らしていた。
「……昔のことを思い出すよ」
ふと、章香が箸を止めた。
「士官学校の寮でね、私も同期と交代で自炊してた頃がある」
「…………」
思わず「マジか」とでも言いたそうな表情を見せる尚樹
意図にすぐ気付いた章香が頭をかきながら話を続ける。
「そんな目をしないでくれ……んーしかし、台所は鬼門だね」
尚樹が言葉を返すよりも早く、章香は自分で苦笑を浮かべる。
「結局。料理は下手なまま。……自身はあるんだがなあ」
「それは……戦場で鍛えた胆力を試してるんじゃないですか?」
「冗談になってないから怖いんだよな、お前の言い方は」
そう言いながらも、どこか嬉しそうに鯖を口に運ぶ。
しばらくは箸の音だけが部屋に響いた。
外では海鳴りがかすかに響き、遠くでカエルの声が重なる。
章香が急須を持ち、湯飲みに茶を注いだ。
「今日は元気だったじゃないか」
「……いつもですよ。そりゃあ皆みたいにハツラツって言うのじゃないですけど」
「ふぅん……」
お茶をすすりながら、じっと尚樹の横顔を見つめる。
「お前…」
「…?」
「段々笑うようになってきたな」
「……え?」
尚樹が少し驚いたように目を丸くする。
「最近はちょっとしたことでも表情が緩む」
「……そう、ですか?」
「気づいてないのか?」
「このあいだも醇ちゃんが花壇のミミズを乗せて騒いでた時、すぐに助けてやったけど笑ってたじゃないか」
尚樹は、箸を止めて気恥ずかしそうに首に手を回す
「あ、あれは…醇ちゃんが可愛かっただけです。」
「そういうのを“笑う”って言うんだよ」
章香は悪戯っぽく笑いながら、急須に茶を注ぎ直す。
「でも……そうやって、こっちの空気に馴染んでくれるのは、嬉しいんだ。私は」
「……」
尚樹は言葉を探すように一瞬だけ黙り――それから、ほとんど自嘲のように笑った。
「そうですね……でも、内心では怖がってるのも事実です」
「何者かも言えないのに、自分から輪の中に入るなんて……」
章香はその言葉を聞いて、ふっと目を細めた。
「許すとか許さないとか、そういうものじゃないさ。ここでは、お前もとっくに輪の中なんだ」
「ありがとう…ございます」
尚樹は少しだけ目を伏せ、それでも顔の端にわずかに笑みを乗せたまま、器の中の湯気を見つめていた。
「……話すつもりは、ないんだろう?」
「ええ」
即答。
けれど、それは拒絶ではなく、どこか申し訳なさを含んだ声だった。
章香は少しだけ肩をすくめる。
「ま、別にいいさ。聞いてどうこうってのも無いしね」
蝋燭の灯が、尚樹の瞳を照らす。
静かに燃える蝋の芯のように、彼の視線は揺れなかった。
「俺から言えることは…」
「自分が動き回る世界には…なって欲しくないってだけです」
章香はしばらく黙ったまま、器の湯気を見つめていた。
やがて、口元に淡く笑みを浮かべる。
「……そうだな、私も願っておくよ」
尚樹も、わずかに目を伏せて、笑った。
――静かな、夜の時間だった。