ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】 作:それいゆ
5月26日午後、
舞鶴の空は夏の兆しを含んだ陽射しに照らされていた。
道場の木戸をくぐり、敷地に入った江藤敏子は、懐かしげに軒先を見上げた。
制服はきちんと着ていても、どこか日常を漂わせる身のこなし。
彼女は静かに草履を脱ぎ、堂々とした足取りで玄関を通った。
「よう、章香」
「ああ、久しぶり」
二人で道場の奥へ向かうと、そこには竹刀を手に汗だくの門下生たち――
そして、その側に混じって、尚樹がいた。
彼は、自然と生徒たちの間に立っていた。
「尚樹くん、打ち込みの時、どんな感じだった?」
「千草、攻める意識が強すぎて腰が浮いてるぞ。それだと踏み込み効かないと思う」
「えーっ!? うそーっ!」
その指摘の最中に、息を潜めて口元をニヤつかせて徹子が背後からちょっかいをかける。
尚樹はするりとその手をかわし、すかさず盆でコツンと小突いた。
「うえっ!」「くそー…またバレた…」
「徹ちゃん。遊ぶなら向こうでどうぞ」
その一連の動作に、章香は腕を組みながら笑い、敏子は静かに目を細めた。
「……変わったな、あいつ」
「ええ。最初の頃と比べたら、ずいぶん“表情”が増えた」
「生きてる、って顔してるわ」
敏子の声には、確かな手応えと安堵があった。
「前のあいつは、もう既に死んだような顔してた。
心ここにあらずで、宙ぶらりんに存在を繋ぎ止めてたような……」
尚樹は今、子どもたちに囲まれながら笑っていた。
しかしその眼差しは、変わらず遠くを見ている。
「……まだ全部、救われたわけじゃないだろうが」
「こうして誰かと笑い合えるなら、きっと大丈夫」
敏子は呟くように言って、ふと立ち止まった。
「ねえ、章香」
「なに?」
「この場所、もし“あいつにとって最後の平穏”になるなら……守れる?」
章香は答えず、ただ一度、静かに頷いた。
「……あの子は、まだ途中。
でも、その歩みを邪魔するものがあるなら――私の全霊を以って相手するよ」
敏子はそれを聞いて、ふっと息を吐いた。
「……お前って、ほんとそういうとこブレないよな」
用具を納めて振り返った尚樹の目に、縁側の柱にもたれて立つ姿が映った。
一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「……敏子さん。お忍びですか?」
「スパイ中だから密告しないでね」
茶化すように返す敏子に、尚樹は苦笑しつつ道場を出て、自然な歩幅で彼女の前に立った。
「すみません。なかなかお礼も言えなくて」
「いいわよ固っ苦しい。章香も、そして私も。あんたがどこに立ってるか、見ておきたいのよ」
二人は、道場裏の木陰に並んで歩いた。
門下生たちの声は遠く、ここだけが時間の流れを外れているかのように静かだった。
「……少し、変わった?」
敏子がふいに聞いた。
尚樹は、迷わず頷いた。
「見える通りだと思います」
「たぶん、彼女たちが――俺を受け入れてくれたからだと思います」
「触れて、引っかかって、剥がして、突っついて。」
「回りくどい言い方しちゃって」
ふっと、ふたりの間に笑いがこぼれる。
けれど尚樹は、そこで少し目を伏せた。
「……それでも、時々怖くなるんです。
“こんな場所に、自分がいていいのか”って」
「……尚樹、それは…」
「でも、前ほどじゃないです。」
敏子は、静かにその言葉を受け止めた。
奥ゆかしく、敬意を込めて語る。けれど、今の尚樹の声には、柔らかさがあった。
「無理に居場所を決めなくていい。」
「でも、あの子たちが“お前の場所だ”って言ってくれてるなら――」
「その気持ち、踏みにじるような真似だけはしないで」
「……はい。絶対に」
尚樹は、まっすぐに頷いた。
その瞳は、“諦めを飲み込んだ目”ではなかった。
「また…来てくれますか?」
「そりゃあもう。“保護者”の一人だからね。一応」
「……じゃあ、次はおはぎでも用意しておきます」
「お、いいわね。茶は濃いほうが好みだからよろしく」
ふたりは同時に吹き出し、そして自然と視線を交わしたまま、黙った。
言葉にしなくても、互いの胸に“分かり合えている”という感覚だけが残る、
それは穏やかで、確かな時間だった。
翌日、5月27日。
明野飛行場の格納庫
海風とは違う、土と機油の混じったにおいが、軍服に染みつく。
「――あっ、隊長!」
整備中の機材の影から、ひときわ元気な声が響いた。
智子が満面の笑みで手を振りながら駆けてくる。
その後ろからは武子と綾香も顔をのぞかせ、無言でついてきた。
「おかえりなさい隊長! 舞鶴、どうでした?」
「どうでしたって、別にそんな特別言う事なんてないわよ」
「え~ホントですか~?」
「……どういう意味よ」
「お・み・や・げ♡」
ぐいっと両手を差し出して、にっこにこ。
その姿に、敏子は鼻で笑った。
「……あのな、私は顔出しに行っただけ。物見遊山じゃないんだよ」
「えーっ!? でも舞鶴なんて観光名所だし! おせんべいとか、なんか名物とか――」
「ない」
「くっ……!」
敏子は容赦なくピシャリと言い捨て、横をすり抜けていく。
武子と綾香は苦笑いをしながら智子の横に並んで肩をすくめた。
「はあ…欲しいなら素直にお願いしときなさいよ」
「まあよほどじゃないと聞いてくれなさそうだけど」
「はいはい、今度連れてったげるから。」
怒鳴っても良かったがその場はスルーし、遠ざかる敏子の背中は相変わらず凛としていて、でもどこか晴れやかだった。
講道館で交わした言葉。
尚樹の笑顔。
章香の覚悟。
そして、自分の中に湧いた小さな決意。
それら全部が、今の彼女の歩みに溶けていた。
(……まあ、あいつらの顔見たら、またすぐ地に足がつくんだけどね)
そう苦笑して、敏子は基地の建物へと歩を進めた。
鉄と油と汗の日常が、また始まっている。
そして、あの場所でも――日常が、続いていく。
一旦ここで2人は尚樹への警戒を解きます。
尚樹の描写がどうしても薄いので今後は増やしていきたいですね。