ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】   作:それいゆ

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東京旅行編


episode18『帝都東京』

6月初め。

 

道場の仕事を終えて炊事に使う火を起こすため、薪の準備をしていた。

 

「…?」

 

彼はある視線に気づくと、手を止めて自然と歩み寄る。

 

「章香さん、何か?」

 

「……少し話があるの。時間、いい?」

 

「はい。どうぞ」

 

章香は小さく息をついて、持っていた封筒を取り出した。

 

「私、来月の初めに東京へ行くの。海軍本部から正式な召喚。ちょっとした報告と会議」

 

「東京、ですか」

 

「そう。“海軍省”ってとこまで。まあ堅苦しい話よ。けど、それなりに格式のある場でもあるから、いろいろ気を使う」

 

尚樹は、静かに頷いた。

章香の言葉にどこか芝居がかった皮肉が混じっているのを聞いて、ふと口元に笑みが浮かぶ。

 

「でね――尚樹も来なさい」

 

「……俺が、ですか?」

 

「そうよ。今のうちに、帝都ってものを見ておいた方がいい。」

「…世界に馴染むためにもね」

 

尚樹は数秒だけ沈黙した後、小さく頭を下げた。

 

「……わかりました。ご一緒します。荷造りは、いつから?」

 

「明日からでいい。明々後日の6月5日、始発で出る。軍用の割当列車に便乗するから、早いのよ」

 

「承知しました」

 

 

 

 

 

その夜、尚樹はふと布団の中で目を開けた。

 

――彼の記憶の中にあるそれは、燃え尽きた後の瓦礫の山、あるいはそびえ立つ摩天楼と人の群れ。

 

そして、”ある世界”では憎悪渦巻く中で奪った者と奪われた者がお互いを食い合い、最後には光の渦と共に数多の命が消えた場所。

 

だが章香が言う東京はそれらとは違う。

 

 

彼は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。

 

 

6月5日・出発の朝

まだ陽も昇りきらぬ早朝。

舞鶴の空は、夏の気配を帯びた薄雲がゆっくり流れていた。

 

講道館の門前、見送りに集まった門下生たちの中で、駆け寄る三つの顔――

醇子、美緒、そして徹子が並んで立っている。

 

「……いってらっしゃい、尚樹くん。気をつけて」

 

醇子は、手に小さな布包みを持っていた。

中には自分で作った梅干し入りのおにぎりが二つ。味には自信がないが、それでも気持ちはこもっている。

 

「ありがとう。道中でいただきます」

 

尚樹は静かに微笑み、手を伸ばしてそれを受け取った。

 

「……先生、割と抜けてる所あるから、頼むぞ」

 

「徹ちゃん。流石にそれは…」

 

「でも尚樹も色々引き寄せるそうだし…」

 

「まあ、それも気をつけろ」

 

と、美緒の言葉に徹子が片肘をつきながら頷いた。

 

「尚樹って、時々“映画の役者”みたいな顔してんだもん。

 芝居がかった感じの、あれわざと?」

 

「いや別に」

 

「でも将来は銀幕を賑わせるかも」

 

「ハハハ…」

 

尚樹は苦笑しながら、彼女らの顔を見た。

 

美緒は腕を組んだまま、最後まで視線を外さなかった。

醇子は少し目を潤ませながら、小さく手を振っている。

徹子は――ニヤついていたが、その目だけは真剣だった。

 

他の生徒らも、"先生"とその"お付き"の出立を見送る準備を終えていた。

 

 

「……すぐ戻る。そんなに長くはかかないから」

 

「それじゃあ、行こう。」

 

生徒らに一言声を掛けると章香が尚樹を促し、二人は駅の構内へと向かった。

 

軍用指定の列車は、民間の始発より一足早く動き出す。

座席は木の長椅子。窓枠は鉄。油の匂いがわずかに鼻をくすぐる。

 

車窓の外に、山と田畑と港町の屋根が流れていく。

 

「……これが、“扶桑”の本当の姿なのかもしれないな」

 

思わず、尚樹は独りごちた。

 

章香は向かいの席で報告書をめくっていたが、その声にふと顔を上げた。

 

「何か言った?」

 

「いえ……ただ、懐かしいような、知らないような景色だなと思って」

 

「そうね。時が止まったような場所もあれば、進み続けてる場所もある。

 この国は、そうやって両方を抱えてるのよ」

 

列車は鉄橋を渡る。

朝霧の中、遠くに見える水面がきらりと光った。

 

尚樹は背を預け、車窓の流れる景色を見つめ続けた。

 

見送ってくれた人たちの顔。

彼らが“帰ってきてほしい”と願ってくれる場所。

 

 

列車はやがて速度を上げ、帝都・東京へと向かって走っていく。

尚樹にとって、知らぬようでどこか懐かしい“もう一つの首都”が、少しずつ近づいていた。

 

 

 

 

―――――

 

 

列車が舞鶴を発って二時間ほど。

車窓の景色は、木々の緑と水のきらめきを交互に映していた。

 

ごうん、ごうん――

鉄の車輪が枕木を叩く音が、等間隔で続いている。

 

向かいの長椅子で報告書を読み終えた章香は、ふと顔を上げた。

 

そして、そこで目にしたものに、わずかに表情を緩めた。

 

尚樹が、眠っていた。

 

背筋こそ崩れていないが、目はすっかり閉じられ、肩がわずかに下がっている。

顎が少しだけ胸元に落ち、片手は膝の上にだらりと置かれていた。

 

「……お前がこんな無防備になるとはな」

 

呟くように言って、章香は窓の外を一瞥する。

 

何もない。けれど、平和な風景だ。

それが彼の気を緩めさせたのか。あるいは、この場所、この空間なら“安心できる”と思ったのか。

 

「……ほんと、わからないな。お前は」

 

道場に来た頃の尚樹は、気配ひとつにも反応し、隙を見せなかった。

寝ていても絶対に気を抜かず、誰かが近づけばすぐに目を開けた。

 

けれど今、こうして――列車の座席で船を漕ぐように軽く揺れながら、

目を閉じ、呼吸を落とし、夢の中にいる。

 

章香は、膝の上で指を組み、軽く息を吐いた。

 

「……気を許してくれてる、って思っていいのか」

 

自分の言葉に、自分で苦笑する。

 

「何言ってんだか。私のくせに」

 

 

その寝顔が、少しだけ年相応に見えることに、どこか安心してしまったのは本当だった。

 

彼に手を伸ばし、触れる寸前で止まり、数刻した後にその手を触れさせることなく自分の膝に戻した。

 

彼の過去のすべてを知っているわけじゃない。

知ってしまえば、たぶんまた苦しくなる。

 

でも、いまこの一瞬は――守りたいと思った。

 

小さく頭を振り、章香は視線を窓に向ける

 

外の風景は、まもなく都市の匂いを帯びてくる。

列車は、帝都へと近づいている。

 

そして、尚樹の“知らない街”での数日が、静かに幕を開けようとしていた。

 

 

汽笛がひとつ、長く鳴った。

 

列車が速度を落とし、車輪が金属のレールを軋ませながら、ゆっくりと終着のプラットフォームに滑り込んでいく。

 

「……着いたわよ、尚樹」

 

章香の声に、尚樹はわずかに目を開けた。

 

まだ少し眠気の残る視界の中に、鉄骨とガラス屋根の混ざった駅舎のシルエットが現れる。

どこか見覚えがあり――けれど確かに違う光景

 

高層ビルもなければ、電子掲示板もない。

アスファルトの道はなく、プラットフォームの足元には石と砂利が敷かれている。

改札の上には手書きの行先板と、機械式の時刻表示盤。

 

(……東京)

 

だが、知っている東京ではなかった。

 

 

駅の外に出ると、さらに強くそれを実感した。

 

石造りの駅舎に隣接して、瀟洒な洋館と三階建ての木造ビルが軒を連ねていた。

路面電車がチンチンと鐘を鳴らしながら通りを抜け、人力車が観光客らしき和装の婦人を運んでいく。

 

帽子を被った新聞売りの少年が「夕刊!」と声を張り上げる隣で、女学生たちが喫茶の看板を覗き込んでいる。

 

空は広く、空気には煤煙よりも土の匂いが混じっていた。

 

「……こんなに」

 

「え?」

 

「いえ。……思っていたより、ずっと落ち着いていて」

 

章香は横に並ぶ尚樹を一瞥し、ふっと笑った。

 

 

尚樹は、自分自身の言葉に胸の奥で何かが軋むような感覚を覚えた。

今の自分と、どこか似ていると思ったのかもしれない。

 

「さて――私は本部に顔を出してくるわ。何もなければ夕方には戻る」

 

「はい。宿は?」

 

「駅前の軍指定宿舎に手配してある。鍵は受付に。

 お前は……半日、自由にしてていいわ。何かあったらすぐに連絡して」

 

尚樹は軽く頭を下げた。

 

「……それじゃ、行ってらっしゃい、先生」

 

「ええ。……行ってくるわ、“副官”さん」

 

章香はそう言い残して、軍帽のつばを軽く触れながら駅前の通りを歩き出す。

その背中を見送りながら、尚樹はひとつ深呼吸をした。

 

目の前には――

かつて知っていたようで、まるで知らない街が、音もなく広がっていた。

 

「さて、どうしようか」

 

尚樹はゆっくりと歩き出す。

 

帝都・東京。

この世界で、初めて向き合う、眠らぬ大都市だった。

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