ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】 作:それいゆ
あるウィッチが出てきます。
【帝都東京】
翌朝、空はまだ柔らかな光を宿していた。
帝国ホテルの玄関口に立つと、霞が関の官庁街に向かう公用車が一台、エンジン音を低く響かせて待っていた。
章香は外套を軽く羽織り、髪を軍帽に収めながら後部座席に乗り込む。その隣には、尚樹――きちんとした身なりで立ち、無言でドアを開けて彼女の後に続いた。
「緊張してる?」
「……いえ、少し慣れました。こういう雰囲気」
そう答える彼の表情は変わらない。
だが、章香は内心で思う――“慣れ”の意味が、自分たちとは違うのだと。
霞が関に近づくにつれ、街の空気が変わっていく。
和装の通行人に代わって、洋装の役人や軍人たちの姿が目立ち始め、鋭い眼差しと無言の威圧が建物の壁にまで染み込んでいるようだった。
車が止まり、降りた先にそびえていたのは海軍省庁舎。
玄関前には海軍士官らの姿が絶えず行き交い、その中央を制服姿の若い女将校――章香が、堂々と進んでいく。
その後ろを、一歩下がって静かに従う尚樹。
――その存在は、ただの随行者ではなく、むしろ何か得体の知れない“別種の軍人”のような印象を与えていた。
受付で身分証を示すと、係官は少し驚いた表情を浮かべつつも、即座に礼をとる。
「少佐、お連れの彼は……?」
「私の付き人です。入館許可は申請済みですので」
「……かしこまりました」
受付官は一礼し、帳面を確認すると、通行証を手渡した。
尚樹は一歩前に出て、それを受け取る。
章香は視線を横に送る。
彼の顔に、緊張はなかった。むしろ、この建物すら“見知ったもの”のように臆さないでいた。
帝都の海軍省という、国家権力の一角。
それを前にしても尚樹の歩幅は乱れず、背筋はぶれない。
まるで――かつて、もっと強大な影の中に立っていた者のように。
「会議には同行させられないけど……資料閲覧の許可は出てる。」
「ありがとうございます」
「……何か感じたことがあったら、帰ったら聞かせてほしい」
「了解です」
【霞が関・海軍省 中庭】
会議棟の隣に設けられた控えの広間。
窓の外、中庭では春から初夏への風が芝生を撫で、白いベンチが並ぶ中に、腰を掛ける尚樹の姿があった。
資料閲覧の時間まで少し間があるということで、担当員に促され、ここで休憩をとっていた。
目を細め、風の音に耳を澄ましていたそのとき――
「ねえ、そこのおにいちゃん……ウィッチ?」
――その声に、尚樹は静かに目を開いた。
振り返ると、碧色のワンピース姿の小さな女の子が、ぽつんと芝生の上に立っていた。
黒髪を肩の上で揃え、まだ乳歯を揃えた口元で、尚樹を真剣に見上げている。
「……あはは。ウィッチになれるのは女の子だけだよ」
尚樹は少し驚いた様子を見せつつ、柔らかな声で応えた。
「あっ、そうだった……えへへ。あのね、あたしのパパもえらい人なんだよ。かいぎにきたの」
「そうか。それじゃ、お嬢さんも特別なお客さまだな」
尚樹はベンチに座ったまま、優しく微笑んだ。
その笑みに、女の子はぱぁっと表情を明るくさせる。
「でも、みんなおっきいおじさんばっかりだったの。こわくて、いらいらした顔ばっかで……でもおにいちゃんは、ゆっくりしてたから、はなしかけたの」
「……そうなんだ、光栄だよ」
尚樹は立ち上がって膝をつき、目線を同じ高さにしてにこやかに笑った。
「あたしね、しょうらいはウィッチになるの!」
少女は小さな手を腰に当てて、得意げに言う。
「……へえ。そうなのかい」
「ならその夢、叶えてくれよな。――もし俺も飛べたら、空で待ってるから」
「……うん!」
少女は元気よく頷き、その頭がぴょこぴょこ揺れた。
そこに、やや遅れてやってきた中年の軍人が顔を見せる。
「こら静夏、勝手に離れるなと……失礼。こちら、娘が……」
「ああ、いえ。楽しくお話しさせてもらいました。えーっと……」
「海軍の服部中佐と申します。横須賀に勤務しています」
尚樹は立ち上がり、穏やかに応じた。伺うような素振りに、中佐も自然と名前と階級を述べながら軽く返事を返す。
「ち、中佐さんですか……! 知らずに馴れ馴れしい言葉を使って申し訳ありません」
謝罪を述べて、ピッと背筋を正して言葉を返す尚樹。
「いえいえ、肩書で威張れるのは部下にだけですよ」
服部中佐は軽く苦笑を浮かべつつ、その礼を受けた。
(……礼儀正しいな、誰かの御子息なのだろうか)
「ありがとうございます」
「ではこれで……」
「はい、服部中佐。……静夏ちゃんも、お父さんから離れたら駄目だよ」
-服部静夏-は父に連れられながらも、名残惜しそうに尚樹のほうを何度も振り返る。
尚樹は片手を軽く挙げて、それに応えた。
風がまた一度、芝を渡っていく。
彼の心に、今はただ――小さなその笑顔だけが、静かに残っていた。
【霞が関・海軍省附属資料室/夕刻】
西の空に陽が傾き、長い影が建物の縁を伸ばしていた。
古い時計の針が五時を少し回った頃。
一般公開の資料室には数人の軍属や学生風の青年がいるだけで、空気は穏やかだった。
静かな頁をめくる音の中、奥の窓際に、尚樹の姿があった。
木製の閲覧机に身を寄せて、手元の資料をじっと読み込んでいる。
開かれていたのは、海軍航空戦の黎明期についてまとめられた戦史資料。
そこに記された旧型飛行艇の運用図と、太平洋島嶼部の航空基地地図を眺めていた。
――カッ、カッ、カッ。
その背後から、規則正しい革靴の音が近づいてくる。
尚樹は、気配でそれを察した。
「……お疲れさまです」
声をかける前に、尚樹が顔を上げてそう言った。
「……足音だけで分かるなんて、ずるいな」
そう返すのは、章香だった。
彼女は制服の袖を軽く捲り、少し疲れの見える目元で尚樹を見つめていた。
「長引いたんですか」
「まあ…意見も割れた。でも、方向性は決まりそう」
「そうですか……」
尚樹はページを閉じ、静かに息をついた。
章香は、横の椅子を引いて腰を下ろす。
夕陽が窓越しに差し込み、彼女の制服の肩章に朱色の光が滲んでいた。
しばらくの間、ふたりは何も言わず、沈黙を共有していた。
やがて、章香が小さく尋ねる。
「……退屈は、しなかった?」
「いえ。むしろ、落ち着けました」
「……そう」
また、風が窓の外の枝を揺らした。
都心の喧騒も、この部屋には届かない。
「そろそろホテルに戻ろうか」
「はい」
尚樹が資料を丁寧に閉じ、立ち上がる。
章香もまた、それに倣って立ち上がった。
部屋を出るとき、尚樹は振り返って、一度だけ窓の外を見やった。
遠くに見える皇居の森と、かすかに見下ろせる丸の内の街並み。
そこには、未来と過去が混ざったような、不思議な風景があった。
ホテルへと向かう道を、章香は途中で逸れた。
夕飯の時間も近いが、彼女は何も言わずに足を止め、尚樹もまた問い返すことなく従った。
日比谷公園の噴水は、夜の帳に包まれ、わずかな灯だけを湛えていた。
街灯が並ぶ遊歩道。人影は少なく、夜風に葉が擦れる音だけが静かに耳に届く。
二人は、広場の外れにある古びたベンチに腰を下ろした。
「……冷えますね」
尚樹がぼそりとつぶやく。
制服の袖をさすりながら、視線を噴水の先へと投げている。
章香はうなずきながら、手帳の端を撫でるようにして口を開いた。
「なあ。……また、戻るつもりはあるのか?」
「……」
ふたりの間に、しばし沈黙が落ちる。
尚樹はふと目を伏せ、ベンチの肘掛けに身を預けたまま、少し息を吐いた。
「正直……まだ、自分でも分かりません」
「でも、きっとそのつもりなんだろうと思った」
「……どうしてそう思うんですか」
「お前の中にある焔は、ずっと輝いている」
「生徒たちと関わる姿ひとつにしても、他人事じゃなく"自分ならどうするのか"という意識があるから」
尚樹は驚いたように一瞬目を開いたが、すぐに小さく笑って視線を落とした。
「……見てますね、先生は」
「見てたよ。ずっと。お前のことが、気になって仕方がなかった」
「……(小っ恥ずかしい事をスラッと…)」
章香の声が、夜風に揺れた。
「……私は、たぶん止めない。それが似合うんだと思ってはいるから」
尚樹は答えなかった。ただ、まっすぐその声を聴いていた。
「でも――」
章香は言葉を切って、ベンチから立ち上がり尚樹の方を向いて言う。
「……私は“その勇気”を奮ってほしくなんかない。命を賭けることを当たり前だなんて思いたくない」
その言葉は、思いのほか熱を帯びていた。
「……生きていてくれたら、それでいい。あの子たちと、ただ笑って成長していける日常を私は守りたい」
尚樹は、肩越しに章香を見つめた。
街灯に照らされるその横顔に、ただ静かな“願い”だけがあった。
「……ありがとうございます」
しばらくして、彼はそう言った。
「僕には、まだ自分の居場所が分かりません。」
「でも、貴方がそうやって望んでくれるなら…一歩進んでみようと思います」
「そうか…ありがとう」
章香は微笑み、ほんの少しだけ頷いた。
噴水が風に揺れ、水音が広場の奥でさざめいた。
二人の間に沈黙が戻る。けれどそれは、気まずさではなく、あたたかなものだった。
「……そろそろ夕食の時間だ。行こう」
「はい。章香さん」
尚樹が少し笑って立ち上がる。
章香も続くように立ち、夜の街灯の下、ふたりは並んで歩き出した。
【帰路・軍用列車内】
帝都の喧騒は、汽笛の余韻とともに遠ざかっていった。
午後の柔らかな陽が窓から差し込み、列車は西へ向かって静かに揺れている。
車窓の外には麦畑と疎らな民家が流れ、早苗を植えたばかりの水田が鏡のように空を映していた。
尚樹はその風景を、どこか懐かしむような目で眺めている。
反対側の席では、章香が書類の束をめくっていたが、ふと視線を上げて彼に問う。
「……眠らなくていいのかい? 昨夜は遅かったろう」
「大丈夫です。たぶん――帰ったら、まとめて眠ると思います」
尚樹の声はどこか緩んでいて、章香は小さく笑った。
「……そっか、そうだな」
ほんの短いやり取りだったが、そこには出発前にはなかった“柔らかさ”が確かに宿っていた。
章香は、資料を胸に抱えて目を閉じる。
尚樹もまた、再び窓の外へ視線を戻した。
沿線のどこか遠く、校庭で遊ぶ子供たちの姿が一瞬だけ見えた。
白い帽子、跳ねる声。誰かが手を振っていた。
その一瞬に、尚樹はふと頬を緩めた。
(――帰ろう。みんなのいる場所へ)
1936年7月15日 ヒスパニア王国・マドリード
真夏の日差しが照りつける昼下がり。マドリードの街路にはパナマ帽を被った紳士たち、白いドレスを纏った令嬢たちが行き交い、カフェテラスでは冷えたサングリアを片手に昼食を楽しむ人々の談笑が絶えなかった。
通りに面した書店では、欧州各地の情勢を記した新聞が束ねられ、扇風機の風にかすかに揺れていた。市民の多くは政治の対立や地方の不穏な空気にどこか慣れきっており、仮に政治的動乱があったとしても、危機というより鬱陶しい日常のひとつとして受け流していた。
その日の夜、ヒスパニア中部の大地は、夏とは思えぬ重苦しい曇天に覆われていた。
気温は急激に低下し、前日との寒暖差はおよそ17度。
干上がりかけていた谷間の小川には、夜明けと共に濃い霧が立ちこめ、日中にもかかわらず視界が10メートル程度にまで落ち込んだ。
「……まるで、何かが地中から這い出してきたみたいだ」
そう呟いたのは、マドリード郊外の農村で羊を飼う老人だった。
同様の異常は、グラナダ・サラゴサ・バレンシアといった地方都市でも観測され、
王立気象研究所は「周期的な偏西風の停滞」という仮説を発表。
だが、過去の統計と照合しても類似の気象記録は確認できず、
「空がざわめいている」と不安を漏らす住民が出始める。
さらに、深夜には一部地域で原因不明の磁気異常と電波障害が観測され、鉄道通信や無線連絡に支障が発生。
【気象台/観測者の記録】
「……これは偏西風の蛇行どころではない」
マドリード北部、観測所に詰めていた気象技師アントニオ・ガルセスは、連日続く異常な気圧の変動と、東方から吹き込む高層風の異常加速に眉をひそめていた。
機器の故障かと疑い、同僚とともに計測を繰り返したが、セビーリャ・バレンシア・バルセロナ――全国の観測局から届くデータは一様に「似た異常」を示していた。
高高度での冷気の渦、雷雲の帯電量の異常、周期を無視して降る“灰じみた霧雨”。
「……まさかな」
思わず口に出しかけた瞬間、隣にいた若い助手に悟られぬよう、アントニオは慌てて言葉を飲み込んだ。
――20年前、欧州全土を襲った「大戦争」で観測されたのと酷似する気象パターン。
夜の帳が下り始め、街灯が点り、酒場には陽気な音楽と笑い声が響く。誰もが日常を過ごしていた。
だがその空の高みでは――星のひとつが、見えなくなっていた。
という訳でしずなつちゃん(5)でした。
真面目キャラは父を亡くしてからという記述があったので逆にロリ時代は無邪気だったんだろうという解釈で出しました。
次回から直接は関わりませんがようやくドンパチが始まります。