ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】   作:それいゆ

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episode23 『剥がれる』

――1936年7月19日 扶桑皇国・舞鶴鎮守府内

 

講道館の門が閉まる頃、北郷章香は舞鶴鎮守府の将校用伝令室に呼び出されていた。

 

出迎えたのは、鎮守府参謀の壮年の中佐。書類の山の向こうから顔を上げると、真顔で一言だけ放った。

 

「……先日未明より、欧州のヒスパニアが航空、陸上から所属不明の勢力に攻撃を受けている」

 

その一言で、章香の背筋は粟立った。

 

「――所属不明…ですか」

 

「ヒスパニア軍は辛うじて戦線を構築できたが被害状況はまだ判明しきっていない」

「国際義勇軍の話も持ち上がっている。我が国がどう動くのかは政治的判断に任せるが、今後はただ寝ているだけでは済まないだろうな」

 

中佐の言葉に章香は口を引き結び、短く頷いた。

受け取った極秘報告電は、海軍本省から各地鎮守府に送られたものだった。

 

「……この情報、どこまで通達が許されていますか?」

 

「今のところは海軍軍令部指定の将校止まりで、詳細が分かり次第に追って軍内に伝達される。」

「報道機関には検閲が入っており、"紛争勃発"までは報じるが詳細な戦況等は民間には一切口外無用だ」

「了解しました」

 

返答を終えると、章香は電報の内容を脳裏に叩き込み、礼をして退室する。

 

執務室の廊下に立った瞬間、冷えた空気が肌にまとわりつくように感じられた。

 

再び、“彼ら”が世界に牙をむいた。

 

まだ扶桑の空は静かだ。人々は明日の晴天を信じて、夕餉の支度をしている。

だが、自分だけはすでに知ってしまった。

“平和”という仮面が、音もなく剥がれ落ちようとしていることを。

 

自動車のエンジンが掛かる音が背後でした。明朝から始まる対空哨戒訓練に向けて、機材が移送され始めたのだろう。

 

 

 

 

数日後、蝉が鳴り始める頃

道場の中庭には水撒きのあとがまだ濡れており、少女たちはそこに腰を下ろして、昼下がりの陽を浴びていた。

 

「なあ、ヒスパニアって……どこにある国なんだっけ?」

 

徹子が新聞の切り抜きを掲げながら言った。

読めていない漢字にルビがふってあるところを見ると、章香からもらったものだろう。

 

「ヨーロッパの西の方だよ。地中海の入口で大西洋に面したところ」

醇子が答える。少し得意げに。

 

「ふーん。で、そこが今、どうなってるの?」

 

「未確認の奴らとの紛争だってさ、それ以上は書いてない」

 

「怪異じゃないの、それ」

 

その声に、3人とも一瞬だけ目を合わせた。

 

「……そんなの、もういなくなったって、大人たちは言ってたけど」

 

美緒がぽつりと口を開く。

 

「昔の戦争の話だろ」

 

膝に載せていた新聞の端を指差しながら、徹子が小さくつぶやいた。

 

まだ実感はない。

だけど、空の向こうで何かが壊れていく音が、風に乗ってここまで届いたような気がしていた。

 

「もし扶桑にも来たら」

 

その問いには、誰も答えられなかった。

 

ただ、少しだけ視線が空に向いた。

真っ青で、何もない空。

 

でも、美緒はその中に、“何か見えないもの”があるような気がして、そっと右目を撫でた。

 

 

一面。

中央見出しには、こうあった。

 

 

 

――ヒスパニア王国、国籍不明なる空中飛行体と交戦か

 

目を細め、記事を追う。

そこには、17日未明からの交戦、とだけ書かれており、それ以上の事は調査中という事であった。

だが、尚樹が目を止めたのは、日付だった。

 

「……」

 

胸の奥に、ざらりとした違和感が走った。

 

1936年7月17日イベリア半島

 

『■■■■内戦勃発。1936年7月17日、メリリャにて■■■■将軍が率いる部隊が蜂起。軍事クーデターが発端となり、全国土を巻き込む内戦へ――』

 

世界が違えど、国名は違えど、場所と年月日は同じ。

 

 

「……ふう」

 

口から漏れたその声は、誰にも届かないほど小さかった。

 

世界は、同じ道をなぞっている。

 

背中に嫌な汗がにじんでいた。

 

扶桑も、やがて否応なしに国家を燃やす闘争に巻き込まれる。大陸での戦火、島々の消耗。

 

果ての大破局を思うと、目の前にある今の平穏――道場、縁側、朝の陽光――それすら“幻”のように思えてくる。

 

自分はいずれ必ず“向こう側”に連れていかれると初めから知っている。

それでも、もう少しここにいたい。

 

彼には、最初から逃げ場がないのだ。

 

膝の上の新聞が、風に揺れた。

 

「尚樹?」

 

後ろから近づいてきた声と共に、左肩に手を置かれる。

布越しに伝わるのは、わずかな強張り。

 

常に柔らかさを以って過ごしている彼とは思えない状態であった。

 

尚樹は反応しない。

ただ、目を落としたまま、何かを押しとどめるように唇を噛んでいた。

 

「……章香、さん」

 

力なく――まるで“何かに怯えている子ども”か”全てを諦めた者”の様な声。

それを聞いた瞬間、章香は息を呑んだ。

 

尚樹が、怯えていた。

 

いつも冷静で、時に自分よりも地に足がついていると思えるあの少年が、

今ここで、自分の名を頼るように呼んだのだ。

 

彼はまだ顔を上げなかった。

ただ、浅く呼吸を繰り返し、握りしめた拳が白くなっていた。

 

章香は、咄嗟に何も言えなかった。

 

-この子が、こんな顔をするなんて-

 

ほんの数秒の沈黙。

だがそれは、章香にとってあまりに長い時間だった。

 

「……どうか、されましたか?」

 

尚樹は、微かに震える声を押し殺しながらも、普段通りの口調で応じた。

肩に置かれた手を軽く見上げることもせず、ただ静かに、丁寧に。

 

それはまるで、怯えや不安などというものは最初から存在しなかったように――

先ほどまでのあの、子どものような声などなかったかのように。

 

章香の心が、わずかに軋んだ。

 

「……それは、こっちの台詞だ」

 

彼女は努めて柔らかく返した。

しかし、声の奥に滲む動揺を、自分でも隠し切れていないと気づく。

 

「今日はいつになく、顔色が悪い」

 

その問いに、尚樹はようやく顔を上げた。

いつもの落ち着いた目元――けれど、その奥に潜むものは、章香の目から逃れなかった。

 

「そ、そうですか?熱はありませんけど…」

 

言いかけて、尚樹は少しだけ言葉を探すように目を伏せ、

そして再び静かに、まっすぐに見上げた。

 

「……少し、胸が騒いだだけです」

 

その言葉に、章香の中で何かがはっきりと切り替わった。

 

(――やっぱり、この子は何かを知っている)

 

ただの新聞記事に、ここまで反応する理由があるとすれば。

彼の中に、“常識ではないもの”がある。

 

それでも。

 

「……そうか」

 

章香は、それ以上は何も問わなかった。

 

問い詰めてはならない。

今、この場でそれを聞くことが、彼にとってどれほどの負荷になるのか――自分には、まだ知る術も、受け入れる度量もない。

 

けれども

 

-1人で、抱えさせるな-

 

そう思った。

 

「なあ、尚樹」

 

「はい」

 

「今夜は、ゆっくり休め」

 

柔らかな風が、彼の髪を撫でていった。

 

章香はできる限り優しく、尚樹の手を取る

 

「お前は少し、抱え込みすぎる。それじゃあ大事な時にパンクするぞ」

 

その言葉に、尚樹は一瞬、目を見開いた。

「…すみません。」

 

ずっと言えなかった言葉を今度は、静かなに、そして確かな意志を込めて伝える。

 

「……何が起きても、私はお前の味方だ」

 

その言葉に、尚樹は――俯いて小さく頷いた。

それは、紛うことなく仮面のない素面の感情であった。

 

だから章香も、それに応じるように、口元だけでふっと微笑む。

 

遠く、蝉の声が強くなっていた。

 

その音は、これから始まる夏が、ただの季節の移ろいでは終わらないことを、どこかで予感させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

章香は道場での稽古を終わらせた後、がらんとした稽古場にどかっと座り込み、神棚を見つめていた。

 

窓の外では、風がそよいで木々と葉の揺れる音が聞こえる。

かすかに遠くで波の音。

海が、静かに満ちていく気配。

 

だがその静けさとは裏腹に、胸の内は騒がしかった。

 

(……私は、何を驚いていたんだ)

 

さっきの尚樹の顔が、頭から離れなかった。

何かに縋るように自分の名を呼んだあの声――

 

“あんな顔をする子じゃない”

それは、自分の勝手な思い込みだった。

 

彼は、常に落ち着いていた。

礼儀正しく、周囲と距離を取りながら、誰に対しても気配りを忘れない。

年齢とはかけ離れた振る舞いだ、それに不信感を覚えさせることもなく静かな信頼を築いていく。

 

極めつけは、一度だけ打ち合ったあの時の所作だ。

遣欧艦隊の一員として選出され、少佐としての地位を預かり、道場の指南役として数十の生徒らを持っている自分を前にしても、いくら男であるとはいえまったく物怖じせず相対したあの姿。

 

(完成された人間――私は、そう思ってた)

 

だから、大丈夫だと思っていた。

守る必要も、導く必要もないと

立場さえ担保していれば後は当人の素養でどうにかなると、どこかで思っていた。

 

(……違ったんだ)

 

彼は、大人でもなければ子どもでもなく、何者でも無かった。

どれほどの経験を積もうと、どんなに冷静に振る舞おうと――

その芯には、脆くて、細くて、触れたら崩れてしまいそうなものがあった。

 

それに、自分は気づかなかった。

 

いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。

結果だけ見て“完成された子ども”という像で固定して、理解した気になっていた。

 

「尚樹……」

 

小さく、その名を口にする。

 

(私は、お前に何を見ていたんだろう)

 

思えば、初めて会ったあの日から、ずっとそうだった。

 

手の届かない何かを抱えていながら、それを決して人には明かそうとしない。

それでも日々を穏やかに過ごし、他人に不安を見せないよう努める――

 

その“努力”に、気づこうとしなかったのは、誰でもない、自分だ。

 

だから、あの時――

彼が、自分の名を震える声で呼んだ時、胸の奥が張り裂けるほど痛んだのだ。

 

(……あれは、縋る声だった)

 

あの子は“強い”んじゃない。“強さ”だけが自分を支える唯一の柱なのだ。

その重みに気づけなかった自分は――きっと、まだまだ未熟なのだ。

 

(もうあの子を、いや彼を、一人にしない)

 

(何が起きても、必ず)

 

 

 

 

 

尚樹は言われたまま、私邸に1人戻っていた。

蝉の声が遠く、風はぴたりと止んでいた。

 

静かだった。

 

彼はゆっくりと背を廊下の壁に預け、足元に視線を落とした。

 

ここも、同じ流れを辿る――いや、もっと悪い形で堕ちていくかもしれない。

 

尚樹は、右手をゆっくりと懐へ差し入れる。

 

小さな硬質の輪。それを取り出し、指先で撫でる。

 

――“腕輪”。

 

魔力を導く装置でもなければ、装飾品でもない。

彼にとってこれは、“別の世界”を象徴する遺物だった。

 

金属の冷たさが皮膚を刺した。

その冷たさが、胸の奥で眠っていた感情を引き起こす。

 

もう、逃げない。

 

ここがいつか焼け野原になる未来を、

また目の前で失っていく未来を、

二度も三度も繰り返すくらいなら――

 

「……この世界では、止めてみせる」

 

言葉にした瞬間、胸の奥の震えが少しだけ消えていった。

 

どこまでできるかはわからない。

何をどこまで変えられるのかも、見えない。

 

けれど、何もしないまま、後悔するのは――嫌だった。

 

その目には、もはや迷いはなかった。

 

 

 

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