ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】   作:それいゆ

26 / 26
お久しぶりです


episode25『夏の始まり』

午後の強い日差しが木枠の窓から差し込んでいたが、その熱に呼応する様に部屋の空気は張り詰めていた。

 

江藤敏子は、眉間にしわを寄せながら、山積みになった作戦関連の書類に目を通していた。

 

「……ヒスパニアの件でこっちも騒がしくなってきたねぇ」

 

淡々と言いながらも、その手は止まらない。

 

各国からの電報転写、航空戦力の再配置案、補給路検討資料――そのどれもが、国家が戦時への備えに滑り込む音を立てていた。

 

カリカリと鉛筆を走らせていたそのとき――

 

「失礼します! 通信班の大崎伍長です!」

 

戸口に現れた若い下士官が、直立不動で手紙を差し出してきた。

 

「江藤中佐宛の個人信書です、鎮守府経由の便で回ってきました!」

 

「……あたし宛?」

 

敏子が首をひねりつつ、インクで汚れた指先で封筒を受け取る。

 

差出人の欄に書かれていたのは、見慣れぬ筆跡。

 

敏子の動きが一瞬止まった。

 

「……ふうん」

 

自然と封筒に書かれた名前をなぞる。

 

心なしか、封筒は少しだけ温もりを帯びているように思えた。

 

「ありがとう。下がっていいわよ」

 

「了解です!失礼しました!」

 

通信員の足音が遠ざかっていく事で喧騒が消え、時計の針の音だけが部屋に響く。

 

敏子はそっと封を切り、中に収められた便箋を取り出した。

 

 

その読み始めの一文で、敏子の目がわずかに見開かれた。

 

「小説「アルトリア列伝」?」

「…は?」

 

敏子の素っ頓狂な声は誰にも聞かれる事はなく、口を開けっ放しの女はしばらくその場で固まっていた。

 

 

 

 

 

------

 

 

「尚樹くんおはよー」

 

「おお千草、お早う」

 

変わらぬ日常の中で、変わったことと言えば空が高くなってセミの声が鳴り響く程度。

 

いつも通りの朝、いつも通りの面々。

 

尚樹がやって来た当初はともかく、半年もすればその輪に中に彼がいることにも、もはや誰も気にしなくなっていた。

 

その日も道場の掃除を終えた尚樹は、汗を拭いつつ縁側に腰を下ろし、陽の光に目を細めていた。

 

すでに熱を帯びた夏の空気だったが、彼の表情は静かで、どこか落ち着いていた。

 

だが、ほんの少し前とは違っていた。

 

「おい尚樹、手ぇ空いてんならちょっとこっち手伝ってくれよ」

 

「持ち上げるのか? いいぞ。せーのっ」

 

徹子と肩を並べて傷んだ畳を運ぶ姿も自然なものだ。

そのやり取り一つとっても、馴染みきった関係がそこにあった。

 

章香への告白を経て、尚樹にも変化があった。

もともと彼の内には、兵士として幾年月闘争の中に身を置きつつも、“静けさへの渇望”があった。

 

 

今、彼の視線の先には――ただ仲間として接していた道場の生徒たちが、その平穏の象徴であり、“守るべきもの”として映りはじめていた。

 

千草が、泉が一緒になってはしゃぐ。

徹子が竹刀を振るい、汗を拭く。

醇子が傍らでいつもの純朴な顔で控えめに笑う。

 

それら一つひとつが、彼にとってかけがえのない光景となりつつあった。

 

「お前、なんか変わったか?」

「…そうかもね」

 

徹子がふとそう言ったとき、尚樹は小さく笑って返した。

 

「徹子ちゃん、それはね…」

「稽古の後にする水浴びが楽しみだからだよっ!」

 

「……はぁ、なんだそれ」

 

「はっはっは。そうだよ、流石だね醇ちゃん」

 

 

徹子も醇子も、彼の変化を好意的に受け止めていた。

過ごしてきた時間と信頼が、その変化を“成長”として解釈させていた。

 

だが、一人だけ――坂本美緒だけが、微かな違和感を覚えていた。

 

美緒は稽古の合間、尚樹の後ろ姿をじっと見ていた。

口では何も言わず、ただじっと。

 

(……何か、変わった)

 

理由も根拠もない。けれど、確かに感じていた。

 

もともと彼は年上びいており、道場でも年少の子をよく見ていた。

けれど、今の彼は――まるで“親心のような眼差し”をしている風に美緒は感じた。

 

『――尚樹、ちょっといい?』

 

そう思い切って声をかけようとして、美緒は寸前で言葉を飲み込む。

 

もし彼に、何か“隠している本心”があったとしたら。

それを聞き出してしまったら。

そのあと、自分がどう向き合えばいいのか、わからなかった。

 

知るのが怖いわけじゃない。

けれど、知ったことで“変わってしまうもの”があることも、美緒は本能的に感じていた。

 

だから――今日も彼女はその疑問を胸にしまったまま、竹刀を握る。

 

(……弱いな、私は)

 

そう自嘲するように呟いて、美緒は尚樹の背中を目線で追いかけていた。

 

 

夏の陽射しが強さを増す中、木々の隙間からこぼれる光が、彼女の額の汗を淡く照らしていた。

 

 

蝉の鳴き声が薄れ、空が茜に染まりきった頃でも美緒は一人、道場の裏手にある井戸のそばで、竹刀を構えていた。

 

既に稽古は終わっていたが、身体が止まらなかった。

 

いや――心が落ち着かなかった。

 

(……やっぱり、変わったよ。尚樹)

 

声の調子も、笑い方も大きく変わったわけじゃない。

むしろ、以前よりずっと自然で、良い表情で周りともよく馴染んでいる。

 

けれど、優しいのに、遠い。

 

近くにいるのに、まるで自分たちを“別の場所”から見ているみたいで。

 

(どうして……そんな目をするの?)

 

ずっと感じていた事だったが、最近はそれがより強く出ており、何が彼を変えたのかが今の美緒には掴むことが出来ずにいた。

 

その”何か”を問い詰めるべきか、黙って受け入れるべきか。

 

答えは出ない。

 

竹刀を握る手に、力が入った。

 

(あたしは……彼の事、尊敬してる、すごいと思ってる。でも……)

 

そこから先の思いが、どうしても出てこなかった。

 

言葉にならない何かが、喉に引っかかる。

 

(もし……ほんとは全然違うところに立ってる人だったら?)

 

あたしの“知ってる尚樹”じゃなかったら――

 

(……それでも、前みたいに話せるかな)

 

胸が締め付けられた。

 

気づかなければ、こんな気持ちにはならなかったのに。

 

そもそも、自分の思い込みで彼の優しさを変に解釈しただけかもしれない。

 

どうしてそんな矛盾や葛藤を、自分は抱えてるんだろう。

 

「……ふっ!」

 

使い魔の耳と尾を体に纏い、眼帯を外して落ちる太陽をじっと見つめる。

しかし、その景色は左目で見ている時と変わらない。

 

「………」

「やっぱり、駄目か……」

 

呟きながら、じわりと涙をのむ。

その紫の瞳は、誰よりも強さに憧れていて、

誰よりも強い迷いの中にいた。

 

右目を外に晒して10秒もしない内に視界に捉えていた茜空がぼやけ、歪み始める。

 

「ぐう…ッ」

 

強い立ち眩みに耐えかねて膝をつき、使い魔を体に仕舞う。

 

今、彼女の"魔眼"はその真価を発揮出来ず、その力を無理に行使しようとすれば彼女自身の体を蝕んでしまう物であった。

 

「ふぅー……」

 

(あたしには……まだ、向き合う覚悟が足りない…)

 

肩で息をしながら拳を強く握る。

 

根本的な力不足と、持ちながらも扱えぬ力がある事に前々からもどかしさを感じていたが

 

さらに現れた「同年代で既に雲の上にいるであろう少年」という新たな波紋により、強い焦りに変わっていた。

 

風が、竹林を揺らす。

 

その音が、背中を押すように聞こえた。

 

「――もっと、強くならなきゃ」

 

呟いたその声は、誰にも届かない小さな決意。

 

けれど、それは確かに、美緒の中に宿った“自分の戦い”の始まりだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。