ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】   作:それいゆ

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36年中は平時も平時なので基本日常回が続きます。


episode5『靴を脱いで上がりましょう』

――2月某日 講道館内 奥の執務室――

 

静寂に包まれた講堂館の奥、すでに夕方になり、茜色の日が部屋に入り込む。

 

「……で、どうするつもりなの、彼の件」

 

低い声で問いかけたのは江藤敏子。

表情には、あの夜の軽妙さはもうない。

 

「上に報告する気はない。少なくとも、今は」

 

そう答える北郷章香の目は、静かに光をたたえていた。

 

「……貴女がそんなこと言うなんてね。正直、驚いてる」

 

敏子は、軍人として生きる章香が「報告をしない」と即答したことに本気で驚いていた。

 

「報告すれば、きっとあの子は“ただのサンプル”として扱われる」

 

「……異世界から来た少年、ね。あのまま参謀本部に伝えれて、信じられでもすれば研究部門にでも送られるか」

 

「否定できないでしょう?」

 

章香は少しだけ苛立ちを混ぜるように言った。

 

「私は、まだ彼を『危険』とは思えない。でも軍は、そんな“印象”で判断してくれる場所じゃない」

 

「……あの子がそこそこやばい存在だって分かってるわよね?」

 

「もちろん」

 

「じゃあ、どうするつもりなのよ」

 

章香は少しだけ目を伏せた。

そして、静かに言葉を紡ぐ。

 

「…預かるわ。あの子のこと」

 

敏子は目を見開いた。

 

「つまり――?」

 

「表向きは“記憶喪失の孤児”として保護しつつ、この道場で一定期間過ごしてもらう」

 

「道場に、あの子を?」

 

「そう。ここには私の信頼できる教え子たちしかいない。閉鎖的な軍の中よりはずっとマシよ」

 

敏子は椅子の背にもたれかかり、沈黙したまま天井を仰いだ。

 

「本気でやる気ね、アンタ」

 

「………戦場帰りの目だった。しかも、一度や二度の戦じゃない」

 

章香の声に感情が乗る。

軍人の勘ではなく、かつての誰かを背負ってしまった人間としての、実感がそこにはあった。

 

「……いいわ。私もその案に乗る」

 

敏子が折れた。

 

「助かる」

 

「ただし条件がある」

 

「…何?」

 

敏子は指を一本立てて言う。

 

「彼が“敵”でない保証は、誰にもできない。だから私は……“万が一の時”の対処を考えておく」

 

「……!」

 

章香が思わず表情を強張らせる。

 

「これは“警戒”じゃない。“覚悟”よ。アンタも、彼のために身を張る覚悟があるってことなんでしょう?」

 

「……あるわ。私の判断で彼を隠すのなら、責任は私が取る」

 

「なら、私も“保険”をかけさせてもらうだけ」

 

敏子は、それ以上多くは語らなかった。

でも、章香には十分だった。

 

2人は無言で茶を啜る。

 

静かな夜の中、空の彼方で一筋の星が流れていった。

 

 

 

 

---------

 

 

 

日も暮れ、街灯を頼りに歩く必要になった時間。

 

章香は尚樹を連れて外に出ていた。

 

「じゃあ、行こうか」

 

章香の穏やかな声に、尚樹は小さく頷いた。

彼の手にはまだ包帯が巻かれていたが、もう痛みは引いていた。

 

「はい……あの、どこへ?」

 

「私の家だよ」

 

「家……?」

 

「うん。ここにずっと置いておくわけにもいかないし、かと言って軍施設には入れられない。だから、私の私邸で面倒を見ようと思ってる」

 

尚樹は思わず目を見開いた。

“軍人の私邸”という響きは、どこか縁遠く聞こえる。

 

「そ、そんな…お邪魔じゃないですか?」

 

「気にしないで。もともと私ひとり暮らしだし、客用の部屋くらいはあるよ」

 

章香はそう言って、既に用意していた外套を尚樹の肩にかけた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「よし、それじゃあ行こうか。あまり長く道場にいると、生徒たちがまた変なことを考えかねないし」

 

章香は苦笑を浮かべた。

 

 

 

――徒歩5分、北郷章香 私邸

講道館からそう遠くない位置に建つ平屋の日本家屋。

庭付きで、軍人としての給金と身分に見合う程度の落ち着いた住まいだった。

 

玄関先に立つと、尚樹はしばらく佇んだ。

 

「どうしたの?」

 

「……落ち着いた場所ですね。静かで、どこか懐かしいような……」

 

「ふふ、変な感想だね。ほどほどに古い家だけど、庭も広めだし好きにしていいよ」

 

章香はそう言いながら、木戸を開けて中へ誘う。

 

「おじゃま、します……」

 

畳の匂い、風が揺らす障子の音、柱の軋み。

 

「とりあえず上がりなよ」

 

「はい」

 

靴を脱ぎ、廊下に出ると、章香が一室を開けた。

 

「ここが君の部屋。そんなに広くはないけど、机と布団、それから押し入れも使っていいからね」

 

尚樹は無言で頷き、中を一歩だけ踏み込む。

木製の机に、押し入れを開けると来客用なのか入れられていた布団。

窓の外には小さな庭が見える。

 

「……いいんですか?本当に、ここにいても」

 

章香はその背中に答える。

 

「君がここにいる理由は、私が決めた。君はしばらく、記憶を失った“中川尚樹”として、扶桑で生活してもらう」

 

「……はい」

 

「軍人としてじゃない、“普通の人”としてね」

 

章香はそこで微笑む。

 

「まあ、普通じゃないかもしれないけど」

 

「……それでも、嬉しいです」

 

尚樹は小さな声でそう答えた。

その背中が、少しだけ安心したように見えた。

 

「さ、着替えとか準備しようか。夕飯は手伝ってくれると嬉しいな」

 

「……頑張ります」

 

初めての「家の匂い」。

初めての「家庭の空気」。

 

この瞬間から、尚樹にとって扶桑皇国での日々が、ほんの少しずつ始まろうとしていた。

 

 

 

 

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