ストライクウィッチーズ -Fly By The Rainbow-【七色の空へ】 作:それいゆ
北郷章香 私邸 台所にて
「さてと……じゃあ、夕飯にしましょうか」
日も落ちかけた頃、章香は手を叩いて尚樹を振り返った。
気取らない笑顔で、袖をまくるその姿は、なんというか――頼もしげには見えた。
「何か作れるものありますか?」
尚樹はやや遠慮がちに聞いた。
「あるある。買い置きしてある野菜とお米、それから干物……あと、これはどうだろう」
ごそごそと棚から出てきたのは……梅干し、味噌、缶詰、そしてなぜか柚子胡椒、チーズ、そしてジャム。
「ええと……何を作るつもりでした?」
「うーん、なんとなく……“柚子風味の味噌焼き”とか、甘いのもいいかなって思って高かったけどガリア産のジャムも……」
「……止めておきましょう」
尚樹は、実に穏やかな声で即答した。
「むう…駄目かな」
「“味噌とジャム”は……ちょっと危険です」
章香はむっとしたような顔を見せたが、すぐに苦笑して引っ込めた。
「まあ、実はね。料理は生徒たちからも評判が悪くてね、前は若…若本がすっ転んでた」
「なるほど、そういう空気は何となく……」
「ハッキリ言うね」
言い合うようで、どこか家族のようなやり取りに変わっていく。
尚樹は台所をぐるりと見回した後、木のまな板を取り出した。
「じゃあ、やるだけやってみます。包丁もよく研がれてますし、材料もいい感じです」
「お、おう……」
促されるまま、章香は横で見ているだけに徹する。
――20分後
「すごい……」
台所には、湯気を立てる味噌汁、きんぴらごぼう、干物の塩焼き、白米。
そして隠し味を一切入れていない、まともで美しい家庭の味が並んでいた。
「……すごくない?この手際。段取りも無駄がないし、味見も的確。正直、練習どころじゃないですよこれ」
「……ありがとうございます。まあ色々あって」
尚樹は、表情を変えずにそう言った。
「(色々と、ね)」
章香はその言葉に、ふと引っかかりを覚えた。
それは単なる例えではない“重み”だった。
「……ほんとに12歳?」
「え?」
尚樹は動きを止め、章香を見た。
「ううん、何でもない。ただ……」
その背中が、まるで年老いた者のように見えた瞬間だった。
「お疲れさま、尚樹くん」
「いえ、どういたしまして」
出されたご飯を食べながら、章香はふと、小さく笑った。
「……食べ物って、ちゃんと作るとこんなに美味しいんだね」
「……それ、作った人の前で言いますか?」
2人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
その夜のご飯は、どこか懐かしくて、温かかった。
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夕食を終え、片づけも尚樹が半ば強引にやってしまい、章香は湯呑みに茶を注いで一息ついていた。
玄関から続く廊下は静かで、風の音すら聞こえない。
火鉢の炭が、ぱちりと音を立てて弾けた。
「……参ったなあ」
章香はひとつ、ため息をついた。
普段のそれとは少し違う。心の奥に引っかかっていたものを、ようやく認めてしまったかのような、そんな吐息だった。
わざとらしい虚勢でもない。大人びた口調でもない。
けれど尚樹の言葉には、ひっかかりがあった。
「(私なんかより、よっぽど人の死を見てきた顔をしてた)」
思い出すのは、道場の問いかけの際。
ふと章香が「ご家族はいないの?」と聞いた瞬間のあの顔だ。
何も言わず、笑いもせず、ただ一瞬だけ目を伏せたあの表情が、焼きついて離れない。
「(信じられない話ではあった。異世界とか、ニホン?とか……)」
「(だけど、信じるしかないとも思ってる)」
理由はうまく言えない。
軍人としての勘か、それとも女としての本能か。
でもあの子を見てると、どうしようもなく――
「助けたい、って思ってしまうんだよ……」
章香は目を閉じた。
軍服の裏にある、自分の“人としての感情”が、否応なく動いているのを感じていた。
「だから……せめて、ここにいる間くらいは、ちゃんと生きてるってことを感じてほしい」
戦争じゃない日々。
命を削らなくても、食べて笑って眠れる日常。
それがどれほど尊くて、どれほど脆いものか、章香はよく知っていた。
翌朝・北郷章香 私邸 客間
鶏も鳴かない時間の早朝
薄明かりが障子の外からゆっくりと射し込む。
尚樹は、ゆっくりとまぶたを開けた。
「……あ……」
布団の感触が、指先から伝わる。
綿の詰まった、少しだけ湿気を帯びた重み。
畳の香り――新しくはないが、手入れされた清潔な匂い。
寝返りを打った背中に、“床の温もり”が残っていた。
「……夢じゃ、ないんだな」
吐き出すように呟いた声は、誰にも届かない。
だがその声には、疑問も動揺もなかった。
ただ、現実をゆっくりと受け止めていく者の声だった。
起き上がって、天井の梁をぼんやりと見つめる。
蛍光灯もエアコンもない、木のぬくもりだけがある天井。
「……昭和か」
“目覚めの感覚”で突きつけられると、より一層、現実味が増す。
起き上がって障子を少しだけ開けると、見えるのは砂利の引かれた庭と、朝露の残る植木。
すう、と冷たい空気が流れ込んでくる。
「――」
コンクリートに敷かれた道が全く見えない、
モノクロ写真に色がついたかのような風景
だがそれが、尚樹にはどこか怖いくらいに“綺麗すぎて”落ち着かない。
(でも、今は……これが、日常なんだ)
そう自分に言い聞かせ、静かに障子を閉めた。
布団をたたみ、畳に正座して深く息を吐く。
「……さて、今日は……何をすればいいんだろうな」
そう呟いた時、どこかの部屋のふすまが開く音が聞こえ、尚樹はふと口元を緩みを正した。