彼女は何時ものよりも、短いロングソードを構える。
速い分一撃の威力が控えめになりがちなそれも、彼女が振るえば強力な一撃になり得る。
闇の中に、何時ものように僕の手元に握られていた……真っ黒じゃないダガー?
僕が好んで使用している、フローズンブレードを施した短剣が何時の間にが手の中に握られていて。
【■なないでね】
「───ぐッ!?」
それが出現したのを確認してから一瞬で加速したらしい彼女は、いつの間にか眼前に迫っていた。
前に打ち合った時よりもずっと早い、手を抜いていたのだろう……当たり前だ。
もしもこれが正史であり、そして虫食いの内容を紐解けば……
目の前の彼女は、魔王を打倒せしめた本物の英雄なのだから。
踊るような剣の嵐が目で追えない、あの時の勇者と同速……いや、それ以上で。
【■て。■えないじゃなくて、■えるようになって】
あえてその斬撃は、僕の急所ではなく僕の構えている剣に振るわれる。
「いっ……!?」
一閃、大腿を掠めるような一撃に鮮血が舞う。
生傷が増えていく、体温が奪われていく。
「ぐっ、がっ……!?」
疲労が蓄積する、恐怖が身を縮こませる。
生傷が増える、僕を構成するものがとめどなく流れ出していく。
限界を迎えて、バタリと倒れ込んだ身体。
寒い、立ち上がれない。
剣がカランと音を立てて、その場に落ちたのを何処かぼーっとした視界で捉えていた。
近づいてくる足音が、まるで死神の
「あっ、あっ……」
【■■■■、もう■ないでね。って■っても、■るんだろうけど】
眼前に迫った長剣が、スローモーションに見えて───地面が落ちて来る。
いや、違う? 僕の頭が───
幸運だったのは、その剣の鋭さゆえに痛みなく消えられた事だろう。
意識が、覚醒する。
身体の何処にも傷は無く、手も足もまだ動く。
そして何より、首がまだ繋がっている。
だけど、濃密な死の気配だけが身体に染みついていた。
「はーっ、はっ、はぁ……」
ゆっくりと、肺の中にある悪い空気を掻きだすかのように息を吐いて。
それからようやく、手先が細かく震えているのに気づいた。
何度やっても慣れない、当たり前のことながら。
外の景色は変わらず昼のまま、時間は殆ど経っていない。
そして身体に、疲労も無い。
ここで止まる理由など、何処にもない。
努力を諦めるという事は、ツェツィを諦める事と同義なのだから。
『スキル:よみあげ+水平線』
もう一度、僕は黒い影の世界へと旅立った。
それからと言うもの、僕は只管に斬られ───よみあげ続けた。
【■て】
斬られた。
そう気づいたのは、身体が僕の言う事を聞かなくなってからだった。
鮮血が待って、それすらも呑み込むように。
世界が、真っ暗に染まって。
【■めて?】
斬られた。
反応できないまま、身体中をくまなく切られ続けて失血して意識が無くなった。
真っ赤な液体が、黒い地面にシミを作って。
またも世界が黒に染まっていく。
【もう、■めて】
斬られた。
来ると分かっていた筈の振り下ろしが、恐怖で足が竦んで避けられなかった。
熱くて、痛くて、真っ赤な花が一輪咲いて。
世界が黒く染まって、恐怖が身体を凍り付かせる。
何度目かの起床、窓の外は少しだけ暗くなり始めていて。
凍てつくような空気が、肺の中に留まっていた。
「あっ、あぁ…………」
身体の震えが止まらないのは、寒いからか。それとも───?
「よみ……」
もう一度スキルを使おうとして、思考が上手く動かない。
「あ……? いかなきゃ、もういちど……」
なんで、止まろうとしているんだ?
こんな事に本当に意味はあるのか?
あるに決まってるだろ、諦めたらそこで終わりで。
努力したから、必ず報われるとも限らないぞ?
だったら、何もしないのか?
何より、痛いのも怖いのももう沢山じゃないか。
僕が頑張らなくても、誰かに任せればきっとうまくいく。
投げ出してしまおう、身体の主導権をお爺ちゃんにでも明け渡して。
心地良い微睡の中に、意識を預けて───黙れよ。
「気持ち悪い……寒い……」
思考が上手くまとまらない、否定的な意見が頭の中で鎌首をもたげる。
そんなコンディションだったからこそ、気づかなかったのだろう。
「何か飲むかい? 酷い顔だよ」
「あっ、えっ……グレイさん?」
個室だったはずだ、ホワイトランドの宿屋は。
誰かが中に入ってくるなんて、想定もしてなくて。
そもそも、鍵だってかけてたはずで……
「一体、いつから……」
「お昼ごろからかな、君はこういう時に一人で抱え込んで無茶をするきらいがある」
余計な心配を掛けたくなかったのに……だけど。
「ずっと、見てたんですか?」
「寝てただけじゃない事は察しは付くよ。まるで戦場で死にかけてる、兵士のような顔だったから」
知られたくなかった事実。
誰かがこうして部屋に居るという事実に、安心を憶えている僕が居た。
「シエナちゃんは一週間ほど、行きたいところがあるんだって。ツェツィちゃんも今必死に各所に働きかけてる。二人とも、心配してたよ」
「寝てるだけの僕をですか?」
「それこそまさかだろう? 君が落ち込んで塞ぎ込んで、部屋にこもるような性分じゃないって皆分かってるんだよ」
信頼が、今の僕には重すぎる。
今まで何とかなったからって、今回どうにかなるなんて分からないのに。
「ノル君には、何か策があるんだよね。だけどそれはとても険しくて、辛い道なんだろう」
「それは……その、はい」
「ツェツィの事は、君が諦めても誰もノル君を責めたりはしないよ。誰が悪いなんて無い」
「違っ、僕は諦めてなんて……!」
否定の言葉に思わず熱が入ってしまった僕を、驚くでも無くなだめるでもなく。
グレイエル・スノウリリィは、ただじっと僕の目を見つめていた。
思わず、それ以上の言葉を紡げなくなった僕の代わりに、彼女が続ける。
「なに、例えの話だよ。その上で、年長者として……君の師として一つだけ良いかな」
「……はい」
「君は諦めたら、一生後悔するタイプの人種だ。だから壊れる寸前まで突き進んでしまえ」
その言葉に、思わず面食らってしまった。
てっきり彼女は、無理をする僕を見かねてストップをかけに来たのだとばかり……
「僕、てっきり止められるかと思って」
「止めたい気持ちは山々だよ、私がもっと強ければノル君にそんな顔をさせずに済んだのかと思うと、腸が煮えくり返りそうなくらい。そもそも、こんな時に私に出来る事なんてあまりにも少ない。師匠だって慕ってくれる君の、悩みの半分も解決してあげられないんだ」
そう言って自嘲気味に笑った白銀の髪の彼女は、それから姿勢を正して僕の目を正面から見つめる。その目は確かに、確かな熱を孕んでいた。
「でもさ。君は……結局さ、言って止まるような男じゃないだろ」
「……そうですかね」
「そうだろう。どんなに辛くても、絶望的でも、蛮勇でも突き進んでしまうそういうタイプだ」
暖かい……を通り越して、熱いほどの体温を持つ手のひらが、僕の手に重ねられていた。
「だから、手が震えて止まらないときは、こうやって手を握ってあげる」
その体温が、細い指先がまるで僕をこの世界に繋ぎ止めてくれているようだった。
「脚が震えて止まらないときは、立ち上がれるように肩を貸してあげる。立ち止まってしまったら、背中を押してあげる。諦めそうなときは、隣に居てあげるからさ……」
ギュっと、痛いくらいに手を握りしめられて。
「好きなだけ、自分の好きなように足掻いてみてごらん?」
それでも今はその、痛いくらいの感覚が僕を此処に繋ぎ止めていた。
その表情は、言葉は。
本人に言えば怒られるかもしれないけど、間違いなく僕にとっての師匠そのものだ。
「ダメそうだったら……ほら、ホームにでも逃げ込もうよ。クロッカスは滅ぶかもしれないけど……ノル君やシエナちゃんとツェツィちゃんの方が大事だ。諦めるのは、無理だって分かってからでも遅くはないだろう?」
そう言って頭を撫でてくれる指先から、僕の身体にも体温が移っていくような感覚がする。
何時の間にか、部屋の寒さは感じなくなっていた。
心地良い微睡のような時、だけどいつまでたってもこの暖かさの中に身を置いておく訳にはいかない。行かなければ、僕を信じてくれている皆の為に。ツェツィの為に、そして僕自身の為に。
「いってきます、師匠」
「また言ったな? まあいい、いっておいで……ノル君」
正直に言えば、まだ斬られるのは怖いし、痛いのは辛い。
そして死ぬのが───怖い。
体温が少しずつなくなって、音が聞こえていなくなっていくあの感覚を思い出すと……背筋がゾッと寒くなる。
だけども、諦めたくないから。
無理やりにでも身体を震わせて、スキルを発動させる。
怖くて、仕方ないけど……
『スキル:よみあげ+水平線』
何時の間にか、手先の震えは───止まっていた。