霧が深くなりゆく中、会議の為のこの空間では緊張感が高まっていた。
「僕達はいつの間にか、同じところを歩いていた……歩かされていたんだ」
僕達としては真っ直ぐに進んでいるつもりだった。
だが結果として、何処かからグルリと一周して戻ってきてしまっている。
恐らくは方向感覚も狂わされていると見ていいだろう。
「高い所から確認するって言うのはどう?」
「いや、この霧の深さじゃ……遠くまで見渡せないだろう」
考え込んでいた所、陣地で悲鳴があがる。
一体何が───そんな疑問は、やって来たホワイトランドの将トルグランさんによって明かされる。
「陣地内にいきなり魔物が現れまして! 急いで討伐を……!」
「それは、討伐を───ッ!? いや、違うッ! 今すぐ止めさせて!」
説明する時間も惜しく走り出す。
陣地は大混乱だった、何せ隣にいきなり魔物が現れたのだから。
先程まで味方が居たはずの、隣に。
突然のことにパニックを起こす冒険者は、歴戦の経験でそれを抑え込み目の前の豚頭の魔物に剣を振ろうとして───
「止まって……止まれッ!」
「おい、あんた何で魔物を庇ってんだよ!?」
───その剣が豚頭を切り裂く寸前に、剣を割り込ませることに成功する。
僕の予想を肯定するかのように、背中の豚頭が剣を向ける事はなかった。
奴の能力が迷わせる事だけならそれでいい、だが……奴は『幻想』のエラーレ。
もしそれが事実なら、そこにいる魔物は……
その豚頭*1へと、注釈を振り───やはりだ。
『特殊タグ:二段階拡大+傍点』
僕の声は大きく、そしてしっかりと強調されて届けられたのか戦闘の音はピタリと止まった。
だがそれは、最悪だった現状をマイナスまで持って行っただけだ。
「あっ、ありがとう……あんたは確か……」
「ノマルです。S級冒険者のノマル・フトゥー。怪我はありませんか?」
「「英雄」様か……ははっ、俺も運に見放されたわけじゃなかったらしい」
豚頭は、やけに流暢な言葉でこちらへと御礼を告げる。
注釈から見ても間違いなく、オークなんかではない。
だが視覚情報は、間違いなく目の前の醜悪な豚頭を捉えている。
人間に、魔物のテクスチャを張り付けただけの……簡単な幻術。
それだけで、簡単に集団は機能不全を起こした。
疑心、視覚は参考にならない。
冷静になって時間があれば、会話で判別は付くだろう。
だがいきなり目の前の相手が、襲い掛かってくるかもしれないという恐怖。
そんな状況で連携なんてとれるはずもない、数はむしろ重しにしかならない。
厄介なのは、既に視覚は役に立たないという事だ。
つまり……本当にこの中に、魔物が紛れ込んでいる可能性すら存在する。
そして全員に注釈をかける訳にもいかない。
大して強くない魔物でも、不意をつかれれば致命傷になりうる。
一先ず最優先はパーティメンバー、そして『聖浄』だ。
そう思って、キャンプに戻った───時の事だった。
ゴロリと転がってきた生首と、目が合う……合ってしまう。
「ひっ……!?」
黒色の髪と同じ色の生気を失った目、これといって特徴の無い顔つき。
何度も、何度も見たことのあるそれは……それは……
「うっ……!?」
それは、間違いなく……僕の顔、自分の生首そのものだった。
幻覚だ、そう分かっていても身を襲う寒気が止まらない。
「あっ、本物のノル君だ〜!」
「いきなり首を落とさないでください!? 心臓に悪いですから!」
目の前のそれは、注釈をかけたところオークだった。
どうやらシエナは偽物だとわかるや否や、ノータイムで首を切り落としたらしい。皆に怪我がなかったのは幸いだが、それはそれとして少し怖い。
「どうやって見分けてるの?」
「見ればわかるけど?」
何それ怖い……と言いたい気持ちはあるが、僕が本物であると言う証明は為されたしい。
「個も理解している。さきほどのノマルからは大いなる存在の残滓すら……残滓……? 彼の者の存在を、感じなかった」
常人には分からない嗅覚の2人組は置いておいて、確認の手法を共有しておく。幻覚では、声や各々のスキル、それに経験は模倣できないはずだから。
「1度この場を離れた人間は、本当に同じ人間かの確認が必要になると……厄介だね」
「そして、12魔将である以上……他にも何か戦闘用の能力があると見て良いでしょうね」
進むことはできない、そして戻ることも恐らくは出来ないだろう。
方向感覚すら惑わせるというのに、戻ることは出来るなんて言うのは甘えた考え方だ。
クルクルと回り始めた方位計を横目に、作戦会議は混乱を極めていた。
このまま留まっても、事態は何ら解決しない。
だけど特に有効な策も見当たらないのだ、ここは……
「私達だけで、周囲の様子を見てみるしかないね」
「了承。事態の解決の為、情報が必要」
僕達だけで周囲の情報を探ってみることにした。
闇雲な探索だが……そこまで悪い手では無いのかもしれない。
と言うのも『幻想のエラーレ』の能力が、射程のないものであるのならば……この魔大陸に入った時点で何かしらの行動を起こしたはずだ。それをしなかったという事は、何かしらの種があるか……此処が奴の居場所に近いかの、どちらか。
この状況は見方によってはチャンスと言えるのかもしれない。
奴はそう遠くないところに居るという事なのだから。
探索を始めてから、3時間ほどが経った頃。
一向に進展の無い探索に、焦燥感が募り始めた頃。
効率は悪いが、全員で集まっての探索を行っているのは……この状況で二手に分かれる危険性を理解しているから。だが……
「ここ、さっきも通ったね」
「またか……厄介極まりないな」
面倒くさいことこの上ない、偶発的な魔物の戦闘にもノイズが残る。
目の前に居るのは、本当に只の魔物なのか……と。
考えろ、僕が相手だったとしたら何処へ居を構える?
どうやってこちらの情報を捉えている?
霧を介してだろうか、それなら全て吹き飛ばし……そんな事をできるだけの魔力はあるのか?
分からない、情報が足りなさすぎる。
どうすればいいか、分からないまま時間は過ぎていく。
一度拠点へと帰り、休憩を取ろうという事となった。
拠点の臨時キャンプの中には、何人かの兵士の姿がある。彼らは僕らの姿を見ると、皆敬礼を行った。そんな中、ホワイトランドの将トルグランが僕達を迎えてくれる。
「おかえりなさい、それで何か進捗は……」
「特には、ですね……そちらは?」
「こちらは、言われたとおりに対策しております。このキャンプを出る時は必ず二人以上で動き、決して目を離さないようにと」
この状況、相手の事を視認し続ければ魔物と入れ替わる事も出来ない。
それ故に複数人で固まっていれば、目の前に居る相手が魔物に代わっても対応が効く。
つまりこのキャンプ内にいる人間に、入れ替わる余地は無いという事だ。
それは同士討ちの危険が無くなっただけで、状況を進めるものでは無いのだけど。
「昼休憩の後、山を登ってみようと思います。どれだけ高くまで霧がかかっているかの確認もしたいところですし」
「承知しました、我々は警戒を続けます」
山に登る分には迷う事はないだろう、高い方向へと進んでいけば登ること自体は出来るはずだ。
昼食を終え、出発も間近に迫った頃。
用を足すために誰かを連れ添おうと思って……厄介な事態に気付く。
「うちのパーティ……」
「どうしたの、ノル君?」
「……そういう事でしたら、私が同行しましょうか?」
「あっ、あぁ……助かります」
流石に女性陣を連れ添ってお花を摘むのは、僕にはハードルが高い。
こういう時に同性が居ないのが仇になるなんて……いや、こんな状況を想定できる訳無いか。
トルグランさんと、用を足すために陣地から少し離れ……ズボンへと手を掛け。
一つの疑問が沸いた、会話が出来ていたから特に気に留めていなかったが。
一番最初に兵士の姿が魔物に変わった時、彼は一体どこから来た?
勘違いならそれでいい、だが猛烈に嫌な予感がして振りむ───
「───がッ!」
「あらぁ、外しちゃったわ? 勘が良いのね、坊や?」
急所を外したものの、腹部から突き出た鋭利な爪先。
余りの痛みに視界が明滅して、上手く息が吸えなくなる。
「あら? 喋ると傷口が開くわよ?」
「お前は……っ!」
短剣を振るうものの、まるで霧のように躱されて攻撃は空を切る。
目の前にいる姿は、何処からどう見ても成人の男性そのものなのに。
声もそうだ、間違いなく彼そのものだというのに……!
「視覚だけ、なんて言ってないモノねぇ。改めまして自己紹介させて頂戴? 何故か、バレちゃってるみたいだしねぇ」
その姿がドロリと溶解して、声が少しずつ高くなっていく。
絶望的な状況の中、彼女は楽しそうに口角を吊り上げてそう言った。
「12魔将が一人、『幻想』のエラーレよ? 短い付き合いになるだろうけど、よろしくね?」