あまり使われている様子の無さそうな、陽の光から断絶された学園の地下にある書庫にて。僕は只管に彼女が持ってきた本へとルビを振り続けていた。
『スキル:ルビ』
「
「そうか、そうかそうか……! 読みたいッ、読みたいがまずはッ……!」
持ってきた古代語で書かれた本へとルビを振る。挿絵の一つも無いその本は、誰かに伝えたいというよりかはまるで誰かのメモのようなものだった。
アメティスタと名乗った彼女は、初対面の柔らかい物腰は何処へやら。半ば発狂したように本を持ち上げては、次々と机に並べ……表紙にメモを張り付けて本棚へと戻していく。
「あの……特訓の事は忘れてませんか?」
「いやぁ、分かってる! 分かってるとも!! 忘れてない、クレイドールの人間が約束を忘れる訳が無いからね! でも、ちょっと…………この本だけ訳してもらえないかな?」
結果的に、僕達は彼女の提案を受け入れる事にした。理由としてはやはり、S級の冒険者の力が魅力的だった事。そして、断った際にどんな行動に出るかの想像がつかないからだ。
「そこにある『知らない』が『既知』へと変わっていくこの快感……手法そのものは全くの未知だというのも……良い、実に良い。震えるよ、最高にそそるじゃあないか。君、やっぱり正式に私の助手にならないかい?」
「いやぁ、その……冒険者として大成したいので」
「そっか、残念だが……『使うのに複雑な条件がいる』のなら無理強いは出来ないかな? いやぁ、残念だ、非常に残念だが…………本当に何とかならないのかい?」
ツェツィの入れ知恵には本当に助けられた。今は表面上は理知的ではあるものの、『賢者』が万能の翻訳機を見つけた時の行動が読み切れないという懸念があったからだ。感想でも同じような危惧をしていた人が居たし、この様子を見ると間違いなく軟禁……ないし監禁されていたであろうことが、容易に想像できる。
「こんなスキルが無条件、それもノーリスクで使える訳が無いでしょう?」
「そうだよなぁ、それも当然だ。あまりにも理外、テストの問題を見ずに回答を書くような暴挙だ」
こんなにテンションが高いとは思ってもいなかった、あの不気味な雰囲気は本当へ何処へ行ったのだろうか。
「いやぁ、愉快‥‥‥愉快痛快だ。この古代言語は素晴らしいね! 文法が滅茶苦茶なのは当然として、語彙が難解すぎる! こんなモノ、どうやって読めるようになったんだい? いやぁ、いつかこの言語を読み解いてみたいものだが‥‥‥まずは内容の確認が急務だねぇ」
そんな事を言われても困ってしまう。結果として読めるだけで、僕はこの古代言語を書くことは出来ない。法則も、傾向も分からない。ただ、ルビを振って読めるだけ。暗号も、文字も……どんな成り立ちで出来ているのか皆目見当もつかないのだから。
「これで、漸く‥‥‥本をジャンル分けすることが出来た。今までの雑多に並べられていた「それ」と大きいだけの木枠は、今日『本棚』としての役割を遂に果たすに至る訳だ」
「そうなんですね……」
「感慨深いねぇ、この学院の叡智達が……色んな国がこぞって解明しようとしている古の古代文明の謎へと、私達は手をかけているというんだよ?」
「そうですね……」
ずっと、ずっとテンションが高い。朝からずっとこの調子で、こうして深夜まで喋りっぱなしである。作業中もずっと、ずっとなのだ……流石に返事も空返事になる。
まあ、研究者としては正常な反応なのかもしれないけど。なにせ、読むことも出来なかった古代文明の本が急に一気に読めるようになったのだから。逆の立場なら、僕もずっと小躍りしているかもしれない。
「約束通り、稽古はつけよう。そして……このプルプラ魔法学園が誇る蔵書の全ての閲覧を許可しようじゃないか。でも、独断だからあまり吹聴はしないでくれたまえよ?」
「あっ、ありがとうございます」
蔵書整理を手伝っていた理由がこれだ、この世界でも有数の研究機関であるこの場所の蔵書は文字通り宝の山。外部の人間が決して見る事のできないそれを、自由に見ていいという破格の待遇。
そんな許可が独断で許されるというのが、彼女がこの都市でそれだけの権力を持っていることの裏付けになるだろう。
「知識は力なり」とは、何処かの誰かの言葉らしいが……このスキルを使う上で知識はあればあるだけ良い。ちょっとした知識や閃きが問題解決の糸口になるのは、今までの冒険で体感してきた。
ふと、疑問に思った事を聞いてみたくなって口に出す。彼女……『賢者』の力があれば、間違いなく周辺国は安全になるし、魔王の討伐もより現実的なものになるだろう。だから、聞いた。いや……聞いてしまったというべきなのかもしれない。
「それほどの力があるなら魔王を倒したり、12魔将の討伐に力を貸したりはしないんですか?」
「それ……やった所で私に何の得があるんだい? そんな事より、読みたい資料……研究したい題材が沢山あるんだけど」
驚くほどゾッとした、冷たい声。まるでそんな事には興味が無いと言わんばかりに、ポツリと零れた一言に……彼女と言う存在の在り方を改めて再認識させられた。
「あぁ、『権能』とやらには少しだけ興味が無い事も無いけど……あまり食指が動かないかなぁ。それよりも、ほら……この生物を媒介にした場合の土人形の命令基盤なんて面白そうじゃないかい?」
「なっ……」
その本を見て『面白そう』という発言が出てくるのはどうかしてる。そんな僕の反応を見て不味いと思ったのか、パタリと本を閉じて紫水晶のような瞳を僕に向ける。
「はっはっは、流石に冗談。クレイドールはジョークにも秀でてて……本当に冗談だよ?」
どちらが、冗談だというのだろうか。そのどちらもが冗談であることを祈るしか出来ない。
取り繕うように、笑みを浮かべた彼女は本当の事を言っているのか分からない。人間なら誰しも少しくらいは持っているであろう「隣人に手を差し伸べ、誰かの為に動く」そんな良心と呼ばれるような気持ちを、彼女はきっと欠片も持ち合わせていないのだろう。
今もきっと、僕が価値のある情報を持っているからこうして話してくれているだけなのだ。彼女にとって価値が無いものになった瞬間。僕に向ける視線と声色は、先ほどの有象無象に向けるものと同列に成り下がる。
「まあ、理由としてはね。本来私は研究畑の人間だ、そもそも戦闘は得意という訳では無い。そして……」
ここからずっと北にある地。そこが、魔族と人類の最前線……だとされている。断定なのは、その場所で誰も魔王の存在を見た事が無いからだ。広大な大地に広がる毒素のせいで、侵攻が出来ず防衛が精一杯……と言われている、らしい。
「『戦狂い』や『勇者』が前線で戦いつつも、未だ魔王の元へと辿り着けていないのが全てだ。結局の所、私が一人いても戦況はそう変わらない。だから仕方ない……本当だよ?」
まるで免罪符のように理由を並び立てる彼女はやはり、世界の平和だとかそう言うものに微塵も興味が無いのだろう。
S級冒険者は自由であるとは聞いていたが、ここまでのものだとは思っても居なかった。
「まあ、そう言う事で……それじゃあ、今日はもう帰ってくれていいよ。準備はしておくから」
半ば追い出されるように、部屋を後にした僕は宿屋へと向かって歩き出す。そんなに寒くない季節の筈なのに、夜の風がやけに冷たく感じたのは……きっと気のせいだろうと思う事にした。
その次の日、特訓を始めるという通達があった。
残念ながら『賢者』という魔法職が、『剣聖』であるシエナに教えられることはそう多くは無いとのことで……彼女は、見た事の無い剣の型や戦い方を捜しに別の図書室へと向かっていった。
ツェツィの『聖女』は後衛職ではあるものの、魔法とは系統が違うらしく専門的なアドバイスはできないとの事。
そんな訳で、別室で待機している彼女はほかのプログラムがあるらしいが、とりあえず純粋な魔法職であるグレイさんと僕が彼女の講義を受ける事になった。
この前、本へとタイトルを振っていった図書室。そこに集められた僕達の前に立つのは、この世界で間違いなく最高峰の実力を持つ魔法使い。そんな相手の最初の特訓は、当然と言うべきか意外というべきかは分からないが……座学だった。
「まずは、古代魔法についての授業と行こう。とりあえずはそのメリットとデメリットをおさらいしようじゃあないか」
「メリットは圧倒的な性能かな。火力や出来る事は同小節の魔法の追随を許さないし」
「デメリットは使い辛さですかね。魔力操作も大変で、やけに高威力広範囲なものが多いですし……」
僕達の回答に満足したのか、うんうんと首を縦に振る賢者。その様子がやけにうれしそうなのは、単純に古代魔法について語れる相手が居ないからだろうか。
「概ね正解だ。いや、正解とされているが正しいかな? 使える人が居ない……と言うのも忘れてはいけないけどね? と言うか一番のネックはそこなんだよね、使えるなら私だって使ってみたいくらいだ」
独りでに動き出した本が、机へと詰む重なって良き山を為す。何故本が動いているのかは分からないが、何より分からないのはその量だった。そんなに沢山出しても、本を読めるのは一冊ずつだというのに。
「そんな訳でここに用意したのは、先ほど振り分け終わった古代言語の魔法書だよ。今日はこれを読む、そして良さそうな魔法をこの私がピックアップしてその中から幾つかを実戦で扱えるようにする。驚くほど即効性があって、ビックリするくらい効果的な特訓だ。使える魔法が、手段が増えるんだからね」
「どれを読むんですか?」
「……どれ? 勿論、全部だよ?」
机の上に並べられているのは、間違いなく一日で読み切れるような量じゃない。それが意味するのは……なんだか、とても嫌な予感がする。
「軽く……100冊は越えてるくらいかな? 大丈夫、時間はまだまだある! 食事も持ってこさせるし、 泊まる場所も用意しよう!さぁ、知識欲の赴くままに……特訓を開始しようじゃあないか!」
グレイさんと思わず二人して顔を見合わせる。端的に言えば僕達は、この知識欲の怪物の懐を見誤っていたのだろう。この試練を越えれば、間違いなく魔法使いとしては強くなれる。それは間違いないんだけど……
「どうしようか、ノル君。私はもう既に……この提案を飲んだのを後悔してるよ」
「なるようにしかならないんじゃないですかね……逃げられそうにはないですし」
……やはり頼む相手を、見誤ったのかもしれない。