そのタイトルのない本は、何処かある種の恐ろしさと……懐かしさを内包しているように見えた。だがしかしその本にはタイトル塗りつぶされていれば、中身も存在しない。あるのは真っ黒な装丁と白紙のページだけ。
「この本は一体?」
【さぁ? 報酬で出てきた物に関しては、私の預かり知る所ではありませんから】
「此処に来てそんな急に梯子を外すことあります?」
【……これ以上は領分を完全に逸脱してしまいます。ですが、使うなら相応の覚悟が必要だと……思ってもいます】
「貴方の役に立つとは、思っています」とだけ続けた彼、あるいは彼女は……それ以上は何も語らなかった。この本の詳細についてはこれ以上の説明をする気はない、もしくは出来ないという事なのだろう。
『スキル:推薦一覧』
●推薦依頼一覧
★長期推薦─進行中─
・ソノヘンの村を開拓しよう! 報酬:???
★短期推薦─進行中─
・インフラの整備を行おう
見ないで
・商人を呼び込もう
本を閉じて
・人材不足を解決しよう
読まないで
・家畜を飼おう
★感想推薦─進行中─
・ランキングから読書をしよう! 報酬:成果によって変動
・挿絵機能を使ってみよう! 報酬:???
・幼なじみを口説いてみよう! 報酬:剣術の心得
▼受諾可能一覧
明かな異常、オシエルさんは本を読むことに肯定的で。この本自体? は読むのに否定的……というよりも、拒絶しているような雰囲気を感じる。やる事も沢山あるし、この本に時間をかけるべきではないのは間違いなく分かっている。
だけどどうしても、何故かこの本に惹かれてしまう。
この白紙の物語に対して、何をすればいいのか何をするべきなのかは直感的に分かっていた。
『スキル:よみあげ+水平線』
スキルを使った瞬間に、真っ白だった文章に薄っすらと文字が浮かんでくる。
そこに描かれていたのは───
■は焼け、■■な■は真っ赤な花になった。
まるで眠りから覚めたばかりのような倦怠感、目を開けるとそこは先ほどまで居た村とは似ても似つかない場所で。いつの間にか立っていたそこは、真っ暗で何もない場所だった。
「……ここは」
オシエルさんと話そうとして……何故か、スキルを使おうと思っても使えない事に気付く。
まるで初めからなかったかのように、自分の中の何かがぽっかりと抜け落ちてしまったかのように。
真っ暗なその空間にポツリポツリと光源の火が立つと、次第にそこが真っ白な空間であると理解できるようになる。そしてその空間に佇んでいるのは、先ほどのような真っ暗な闇のような輪郭をした人型。
身長は僕よりも高く、そして見ていると吸い込まれてしまいそうになる闇を纏った『それ』。
「貴方は……」
会話をするつもりは無いらしい。もしくは理解できないのか……そもそもできないのか。
無言のまま佇むそれは、僕の足元に向けて何かを転がすと、カランと音を立てて僕のつま先にぶつかる。
よくよく観察して、それが剣である事に気付いた僕は……恐る恐る剣を手に取った。
何故そうしたのかは分からないけど───そうしなければいけない気がしたから。
剣を取り、視線を挙げた瞬間。
その黒い影は、僕の眼前にまで迫っていた。
「───ッ!?」
敵意は無かった、そう思っていた。
だからその一撃を辛うじて受けることが出来たのは、偶然という他無い。
何故、どうしてなんていう思考が頭を埋め尽くす間もなく……その黒い剣は大上段に振り下ろされた。
「ぐっ、あがっ……!」
酷く重い、そして速い。
剣で受けたはずなのに、腕がまだジンジンと痺れていて力が入らない。
まともに受けてはいけない、受け流さなければいけない。
だがそんな事を出来る程、それの膂力は桁違いで……何より巧だ。
防戦一方を嫌って横薙ぎに払った僕の一閃は、身を捩ったそれの薄皮一枚を裂くに終わる。完全にスカした、今からでは当然のように防御も間に合わない。せめて守りを固めようとした僕の腹へと鋭い蹴りが突き刺さり弓なりに弾き飛ばされる。
「がっ、はぁ……」
追撃は───来ない。
むしろ何故か、僕が立ち上がるのを待っているように見える。
それにしても、今までに見た事のない剣筋だ。
薄皮一枚など幾らでも切らせておけと言わんばかりの、最低限の回避。
酷く攻撃的な……自身の被弾を一リソースとして割り切るような戦闘スタイル。
騎士団長の守りに長けた剣でも、シエナのパーティを守る前衛としての戦い方でも無く……効率的に敵を傷つける為の剣技、敵を殺すための剣技。
何故戦っているのかもわからない、だがしかし……これ以上好き勝手蹴られたり切られたりするのも面白くない。剣を杖代わりに立ち上がると、再び『それ』はこちらへと剣を構えなおす。
先程のように大きく振りかぶられた一撃を受け流すべく、しっかりと相手の剣筋を視る事に注力する。大きく踏み込んで───今ッ!
目で追うのもギリギリな一閃、大上段から振り切られた剣を何とか受け流す。
手はジンジンと痺れるけど、まだ受けきれている。
次の攻撃に備えようとして───違和感。
脚に力が入らない、そして次に感じたのは───熱さ。
お腹が焼けるように熱く、熱く……痛い。
身体を動かそうとして、代わりにドロリとお腹から真っ赤な血が溢れた。
何時の間に斬られた?
なんで? 痛い。熱い、痛い……熱い熱い熱いっ!
ぐらりと身体が揺れて、視界が暗く染まっていく。
じわじわと身体の暖かさが失われていくような感覚がして。
それから、それが一瞬──────
「はっ、はぁっ……!? あがっ、痛……くない?」
目を覚ましたのは、何時も通りの僕のベッドで。
確かに先程斬られた腹部を触ってみると、くっついている……どころか傷跡一つない。
濃厚な死の気配も、あの身体から暖かさが失われていく感覚も無い。
だけど先ほどの経験からか、指先が酷く寒い。
酷く、怖い。
長らく感じていなかった濃密な死の気配に、身が竦みそうになる。
僕の悲鳴のような声が聞こえたのか、勢いよく扉が開くと……何時も通りの顔が見えて安心する。
「ノル君、目が覚めたんだ!? 良かったぁ、お外のベンチで寝てた時はお昼寝かなと思ったんだけど……凄くうなされてたから……」
「あっ、大丈夫……だよ?」
心配を掛けさせまいと取り繕ってみたものの、喉が震えるのを隠せない。
枕元に置かれていた真っ黒な本からは、今は何も感じない。
「熱は……無いね、でもちょっと冷たいのは寝起きだからかな」
「うっ、あぁ……うん」
おでこで熱を測った彼女の手の平からは、確かに生きている暖かさを感じた。
その体温が何故か、酷く安心する。
「夜ご飯食べるよね、ノル君のお母さんに伝えてくるね?」
「……うん」
外を見てみれば、すっかりと暗くなっていた。
それだけの間意識を失っていた、そういう事なのだろう。
それを見送ろうとして、気づけば引き止める為に手を握っていた。
「ノ……ノル君? 手、冷たいね……何かあったの?」
「あっ、違うんだ。その……」
「別に、隠し事しなくてもいいんだよ? 辛い時は頼ってくれた方が嬉しいな」
その一言は心強く、ありがたいなと心から思った。
とは言え、何と言えば良い?
さっき本を読んだら、何かが現れて腹を裂かれたとでも?
人の温もりに安心したいとは口が裂けても言えない、この体温が失われていくのが怖いとも。
結果的に口から出たのは、説明では無くて要望でしかなかった。
「もう少しシエナと話したいなって……ダメかな?」
「ううん、全然!? むしろその……嬉しい、よ?」
また少し体温を増したシエナの手が、先ほどより更に強く握られる。
そして、自分の言った事の意味を寝起きの僕が冷静になって理解するのは……皮肉にもその通知が頭の中に響いてからの事だった。
『幼なじみを口説いてみよう! をクリアしました』
報酬:剣術の心得
「違う、違うんだシエナ。あの、その。報酬目的とかそう言うのじゃなくて、その……」
「報酬? 何か推薦一覧に、私に関するものがあったの? 良いよ、何でも協力するよ?」
「本当に、本当に違うんだ……あぁ……!」
恥ずかしい、顔から火が出そうだった。
何が「もう少しシエナと話したいなって……ダメかな?」だ。
確かに傍から見れば口説いているようにしか見えない、恐怖からかあの時の僕は間違いなく正気じゃ無かった。
「それじゃあ今日は一杯お話しよっか? 暖かい飲み物、おばさんに用意してもらうね?」
「うっ、あぁ……お願い」
結局は誤魔化しきれずにその好意に甘える事になった、今後の事は忘れて……今だけは。
夜も更ける頃までいろんな話をして、その心地良さにいつの間にか目を閉じていた。
「おはよ、ノル君」
「あぁ、おはようシエナ」
目を覚ませば、昨日のじんわりと背中を刺すような焦燥は消え失せていた。
窓から差し込む朝日が眩しい、相当ぐっすりと眠れていたらしい。
「体調も……良さそうだね。起きれる?」
「お陰様で……なのかな、昨日はごめんね」
「……何が? 全然、何も迷惑なんかじゃないよ?」
ゆっくりと背伸びをすると、一日が始まったという実感がある。
そんな折、枕元に置いてあった真っ黒な装丁の本に目が留まる。
あの経験は確かに、僕を成長させたと思う。
『それ』と剣を合わせれば、確かに成長できるのだろう。
だがしかし、それだけに注力していればいい訳でも無いし……
急ぐと何か大切なものが壊れてしまう、そんな気がして。
「今日はどうするの?」
「今日は商人さんから家畜が届く予定なんだ、彼にうちの村の商品も売り込もうかなって」
「へぇ、それじゃあ頑張って……辛かったらいつでも呼んでね?」
「頼りにはしてるよ、でも……子供じゃないんだから大丈夫だよ」
ただゆっくりと、普通の日常を歩き出した。