数刻ぶりに訪れたキャンプは、当然この時間で劇的に変わる筈もなく陰鬱な空気を垂れ流していた。
ぬかるんだ道を歩き、彼女の待つ建物へと向かう。
「お待ちしておりました、皆様」
「お待たせしました、ロザリーさん」
「急かす意図はないのですが……お話は纏まりましたか?」
結論から言えば。
キャパシティ的には、ここにいる難民全てを受け入れる余地自体はある。
土地と建物は余っていて、食料自体は外へ売る余裕もある。
錬金術ギルドで儲けた金銭をある程度切れば、彼らを迎え入れること自体は出来るだろう。
彼らに村で仕事をしてもらう事を考えれば、長期的にはプラスになる……はずだ。
残る問題は人間関係と……移動手段。735人もの人間を……北風さんの引く馬車で5日間かかったソノヘンまで運ばなければいけない。一度に運ぶとなると4人乗りの馬車が200台近く必要になるし、それでも一週間以上はかかる旅路になるだろう。
そしてそんなに馬車がある訳もなく、街で借りれる貸し馬車屋で今すぐ借りれるのは13台。これだけで運ぶとなると、15往復程度。往復16日の道を運ぶとなると250日程度難民の移動だけでかかる事になる。
勿論これは、馬や御者の休みを考えない場合。
実際は一年はかかることになるだろう、そして何より莫大な金銭が必要だし……
そこに来て小麦を中心とする農作物の高騰だ。
キャンプの様子を見た限り、それまで持たない人間が間違いなくいるだろう。
そしてみんなを待たせている以上、1年もの間ここに留まる訳にはいかない。
そんな状況を突破できる一手が、一つだけ存在する。
『ホーム』を使えば良い。
別に拡張する必要も無いだろう、ホームの扉の中に彼らを仕舞って馬車に乗るだけで……もっと早くあちらに辿り着ける。
問題は、僕のスキルが露呈する事のみ。
「僕は……」
「ノマルさん」
「覚悟の上です、ツェツィーリア王女殿下」
あえてその名で呼んだ意味を、彼女は理解してくれたのだろう。
その危険性を理解してもなお、僕は手を伸ばす事に決めた。
「君はS級冒険者になるしかない。そうある事でしか、君は自由には生きられない」そんな賢者の言葉が頭の中でリフレインする、悔しいけど確かにその通りなのだろう。
「このキャンプの人間全員を、受け入れたいと考えています」
「気持ちはありがたいのですが……」
失望の色が、ロザリーさんの瞳に映った。当然だ、彼女からすれば僕は、理想論をかざす子供にしか見えないだろう。実際そうだ、これは理想論だ。でも何とか出来るだけの余地はあると、僕は思っている。
「僕は神や、物語の英雄のような存在では無いですけど」
年老いた僕の、先日の忠告を思い出す。
危険性は理解している、ただきっと……しているつもりになっている、だけかもしれない。
誰にでも、どんな時でも手を広げていれば……いつかは破綻する。
僕が全てを救おうとすれば、必ず何かを取り落とすだろう。
そして全てを救えると思う程、傲慢でも無い。
「それでも目の前にいる。手の届く距離にいる人くらいは、助けたいんです」
「危険性は承知と言う訳ですか……それなら私から言う事は特に」
「ぐっ、具体的にはどうするつもりなんですか。そんな事がどうやって……」
ツェツィは納得したかはともかく、それ以上は口を開かなかった。最悪国から身柄を狙われることになったら、プルプラに暫く避難しよう。
国の為にスキルを使わされ続けるよりかは、幾分か人間らしい生活が出来ると思う。
『スキル:ホーム』
「見て貰えばきっとわかると思います」
「───ッ!? 扉、一体何処から……」
「成程、これが閣下が急速に街を発展させた手腕の一環と……失礼、詮索も吹聴もいたしません」
『ホーム』へと向かうための扉を開けば、青い草原が広がっていた。
新鮮な風が閉じ切った空間に流れ、驚愕したまま固まった彼女を連れてホームへと向かう。
「これなら確かに……いや、でも。居住区に食事、その他にもいろいろな問題が……」
「そちらはこちらで何とか出来ます。問題は……住む場所はあっても、衣類の類が」
「閣下。そちらは私が近隣の村や町から集めて参りましょう」
それから準備する事、数日後。
当然のことながら紆余曲折はあったものの、ロザリーさんの人望あってかホームへの人の搬入は終わった。
ホームの中には簡易的な建物を建てて、その中ではツェツィが傷病者の治療を行っている。
師匠はその魔法と新しく作った川を使って、彼らの身なりを清めたりしているらしい。
まあ汚れたままであれば治した先から病気にかかるから、重要な事だ。
商人さんは今も、周辺の村や町を回って衣服やそのほかの最低限の生活用品を集めてくれている。
必然的に馬車に乗るのは僕、そして護衛にシエナ。
そしてロザリーさんだけになる。
余裕が出来たから、と言うよりも僕達と同じ馬車に乗るとなっては今までの服装ではマズイと思ったのか、最低限町娘の着るような衣服を身に着けた彼女は、緊張した面持ちで馬車の隅に固まっている。
こうしてみると綺麗な人だ、そして何より芯の強い人だ。
あの陰鬱な空間で数年間の間ずっと耐えてきたなんて、僕なら耐えられるか分からない。
「うぅ……その、なんと言って良いか分かりませんが。今もこれは夢なのでは無いかと、恐々としていると言いますか。なんで、えっと……」
「人出が欲しかったからです、それ以上でも以下でも無いですから」
多分、あのキャンプに一人だけ残らなければいけないとしたら……それは彼女になるのだろう。
何が彼女をそこまで突き動かすのか、それは……きっと僕が踏み込むべきお話では、ない。
「本当に、私には差し出せるものがありません。ノマル男爵───」
「ノマルで良いですよ、その……あまり慣れていなくて、どうしても」
「ノマル───」
「ロザリーちゃん?」
「───さん! えぇ、ノマルさんと、ウルベルさんには!」
一瞬隣から冷気を感じたような気もするが、恐らくは強い風でも吹いたのだろう。
「ん? どうしたの、ノル君?」
「いや、なんでもないよ?」
隣にはシエナが居る、むしろその体温が温かいくらいだし。
ただ何故か北風さんが、ブルリとその背を震わせている。
「それにしても、ウルベルさんとはお知り合い何ですか?」
「えぇ、彼はお父様が存命中からずっと……いえ、お気になさらなくても大丈夫です」
辛い事を思いださせてしまっただろうか、思わぬ失言に固まっていると彼女が言葉を続ける。
「本当に大丈夫です、この数年で向き合って……自分なりに割り切りましたから」
「……そうですか」
強い人だ、僕がもし……あの襲撃で父さんや母さん、それにシエナを失っていたら立ち直れていただろうか? きっと、無理だ。仲間との別れを乗り越えて前に進むなんて、そんな主人公みたいなことはきっと僕には出来ない。
塞ぎこんで、進めなくなって……部屋の隅で震える事くらいしか出来ないだろう。
「でもそうですね、良い機会ですから一つだけお聞かせ願えますか?」
「勿論、僕に答えられる事なら」
彼女は、「その日」を思い出すかのように遠くの方を見つめた。
そして拳をゆっくりと握り、覚悟を決めたかのように、口を開く。
「奴は……『鋼鉄』はどんな顔で死にましたか」
「……分かりません」
「と言うと」
「上半身を吹き飛ばしてしまったので」
「……ふふっ、あはははっ! そっ、そうですか……すみません、少しはしたなかったですね?」
出会ってから始めて、笑っている顔を見たかもしれない。
ずっと張りつめていた緊張の糸が解けたかのように、そこには自然体の同い年の少女の姿があった。
「聞かせてくださいますか、如何にしてあの憎き魔族たちを打倒したのか。その英雄譚を」
「英雄譚っていう程でも……」
「ノル君凄かったんだよ! 山より大きい氷の星が───」
「それは村の人が酒の席で誇張した奴で……! 話す、話すからそれ以上は……」
馬車は進む、驚くほど速く……話を弾ませながら。
やがて日が沈み、そして昇る。
村に着いてからも、むしろ村に着いてからの方が随分と大変だろう。
それでも彼女には、こうして休む時間も必要だったのだろうと思う。