ln   作:kiarina

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[ NumberingTitle_一夏ノ過去_今後ノコト ]

 

 ― 14 ―

 

 九年前の夏の暑い日、病院の一室は静まり返っていた。

 事件の全容が全くわからない。一夏は倒れていて、家族は失踪していた。

 唯一それだけが、千冬の知りえていた情報だった。

 少年の姿をした六歳の一夏が薬を飲んで、病室のベッドに寝転び小さく寝息を立てている。当時が中学生の千冬は、家族が一人でも無事だったことだけで安堵していた。

『よく聞いてください、弟さんの記憶が欠落しているのはショック症状を防ぐために働いた一種の自己防衛機能です。本人の精神が耐えられないために最後の手段としてとった本能的なものといえば、解りやすいでしょうか。極端な事例をあげれば、小さいお子さんが虐待を受けた際に多重人格障害となるのですが、本人の症状も逃避の逃げ道として獲得した機能といえます』

『……一夏は、弟は記憶をう失った状態で、今後の生活を送ることになるのでしょうか?』

『誠に残念なことですが、致し方ないのが現状でしょう。無理に記憶を呼び起こした場合、パニック障害などの後遺症を伴う可能性もあります。事情聴取に来た警察の方にも本人の安静を第一に考えてもらい、一時的にお引取りして頂きました』

『お気を使わせてしまい、申し訳ありません。ありがとうございます』

 見当がつかなかった。誰が、何のために、どうして自身の家族をと、千冬の感情が爆発しそうになる。一番の原因として思い浮かぶのは、――――自身がISを操縦したということが、どこかで発覚していたという事だった。

 偽装は万全をきしていた、束が上手に千冬の『白騎士』という存在を隠し切っていたはずだ。どこまでも曲りなりには天才と呼べる人間が、千冬の背後霊として居座っている。だからこそ、『千冬 = 白騎士』という存在が世の中で浮上しないし、してはならない。

(――これが、家族を失うことが、私がISに乗ったことで得た代償なのか?)

 幾ら悩もうが、結論は出なかった。

 ベッドに横たわる記憶を失った一夏の寝顔を見る。

 聞きたい、父と母と妹がどうして失踪したのかを。

 知りたい、最悪でも彼らは、無事に今も生きているのかを。

 しかし、一夏に後遺症が発生する可能性があることから、知ることも聞くことも出来ない。最後の家族を壊すことは、なんとしても避けなければならない。

 千冬が唇を噛む様子を見かねて、医師が話を続ける。

『医者の本分は患者の回復を手助けすることです。今回はご家族の方が失踪されてしまい、お悔やみ申し上げます。中学生なのに凛としていらっしゃる、ご立派です。これからが苦しいですが、どうか体調を考えて行動されてください。カウンセリングは私の担当分野ではありませんが、宜しければ他の者を紹介させてもらいますよ』

『いいえ、今のところは大丈夫です。これから――

 

 千冬が自身の頭の中を探り、当時の記憶を掘り起こす。一夏の口から初めて新たな真相を知った上で拳を握りこんだ。爪が手の平の肉に食い込む。プツと、皮の千切れる音がした後で、血が滲み出て爪に染み込み始めていく。

(短く乾いた音か……、これは間違いなく銃声だ。ハッキリしたな、やはり私が白騎士だという素性は、あの時どこかで発覚していたということか。ようやく前進できた、明確に犯人が存在するということだけ解れば十分だ)

 学園の医療室に家族二人、高校生の一夏が寝息を立てて寝ている。視線を移して窓の外をあらん限りに睨みつけた。

 

     ◇

 

 夜も回って一〇時半となる。生徒会室には新たな役員、もとい誰かにとっての生贄的玩具が投入されていた。

「――というわけで、解らないことがあったらイェレナちゃんに聞いてちょうだい。それじゃ、後は宜しくねっ♪」

「……」

 楯無が嬉しそうに生徒会室のドアを閉める。ミアが気の抜けたままに、そこら辺にある椅子へと腰掛けた。

 髪に艶がなく、目も精気が抜けきっている。書類の打ち込み作業をしていたイェレナが、視線をちらりと動かす。

「先輩も、捕獲された口ですか?」

「…………どうなのかしら、そうなるのかしらね? まあ、生徒会長の考えなんて、私にはどうでもいいわ」

「今度、会長の前で犬の泣き声を真似られてみては? きっと泣いて喜ばれると思いますよ」

「からかわないで、そんな程度でなんになるっていうの?」

 あれほどの腕を持った実力者が犬程度に恐れをなすとは、どんな笑劇だと思った。

 机の上で腕を組み、その上に顔を乗せる。ぼーっとした頭で笑いそうになってしまう。素手による殴り合いで楯無を殺すつもりだったが、見事に惨敗してしまった。

 喜久の脅しが嘘だと教えられ、今まで張っていた気も心の方から力が抜け切ってしまっている。なんなのだろう、今の自分は抜け殻のようだと思えてならない。

(また、普段通りの生活に戻る? ――無理ね、今度は私が違う人間の駒になっただけ)

 ここへ来る前に楯無と話した出来事が頭の隅をかすねる。

『今回のことは、おねーさんが内々に処理をしておいてあげるわ。ミアちゃんが持っていた、物騒なライフルも処分しておきましょう』『ああ、お礼はいらないわ。その代わり生徒会で働いてくれると嬉しいなー? 虚ちゃんが抜けた穴もあるし、とっても助かるわ~っ♪』『え、弱みを握って奴隷にしてるだけ? 違うわよ、おねーさんはミアちゃんの安全確保を第一に考えて動いてるだけなの』

 ようはこういうことだ、自身がていの良い小間使いと化した。

 人を呪わば穴二つ、アラルティアを駒にした分が返ってきただけ。ふっと、自傷的気分から口端を吊り上げて笑ってしまう。横を向けば、イタリア国家代表候補生が黙々と作業をこなしていた。

「こんな遅い時間まで、ご苦労様ね。一体なん作業ををしているのかしら?」

「会長の娯楽に、しょうがなく付き合ってるだけです。今はどこの部活動が織斑先輩を酷使できるのか、賞品整理してるところですね」

 ああ、そういえばと、ミアが自身の記憶を探って確かめる。彼も難儀しているなと思い、お人好しな性格が災いしてると心の中で頷いた。

 イェレナがミアにA4サイズの紙を何枚か差し出す。

「手伝っていただけませんか、一人でこなすにも限界がありまして。布仏先輩が逃げてしまって、人の手が足りないんです……」

「ああ、確かにあの子はお調子者の気があるわね。わかったわ、なにをすればいいのかしら?」

 スカートのポケットから眼鏡ケースを取り出す。イェレナの不思議そうな顔に苦笑しながら答えた。

「伊達よ、気分を切り換えるのに使ってるの。私は自分の顔が大嫌いだから」

「そうなんですか、綺麗な顔立ちをしてますけど?」

「……言い直すわね、私は私のことが心から大嫌いなの。だから、消えてなくなるか別人になりたいのよ。眼鏡はそのために必要なの」

 内心で一つ舌打ち。なにを感傷に浸っているのかと、ミアが本当に笑顔を作って小さく笑った。

 

     ◇

 

 箒は廊下から部屋に通じるドアの前で、一人寂しくしゃがみ込んでいた。

 試合の負けなどなんのその、恋愛感情に身を任せてヤキモキしながら手に持っている二枚の映画チケットを見て睨む。

(一夏ばかりか、喜久までいないだと!? いったい二人して、こんな遅くまでどこをほっつき歩いているのだっ!)

 二人とも外出中では、言伝さえもままならない。ぎゅっと力任せに拳を握り込めば、気づいたときには後の祭りだった。

「~~~~~~~~っ!!」

 大事にして携えていたチケットがクシャクシャになる。既に時間が遅すぎて、あげられない悲鳴を上げてしまう。半べそになってあたりを見回し、再び顔を下に向けた。

 参加している行事も一段落し、やっとデートに誘う時間が作れたのだ。だからこそ、他人の邪魔が入らない内に約束を扱ぎ付けてしまいたい。既に、寮内の規則である外出時間の門限を過ぎている。見つかれば、待っているのは千冬の説教部屋(茶室)だった。

 考えただけで身震いしてしまうが、そこは持ち前の乙女パワーが恐怖を凌駕している。臨戦体制、彼女は約束を勝ち取るまでは一歩たりとも退かない、一夏の部屋の出入り口前からは。

(駄目だ……眠い……、今日は試合をしたせいで体力に余裕がない……。ラウラめ、容赦のない攻撃ばかりして、こっちの身が持たないではないか……)

 ここにはいないラウラに恨み節を呟く。まだまだだ、自身は全く紅椿の力を活かしきれていない。これでは役不足も甚だしいと、己を戒める。

「箒……?」

 声がした方を向けば、自身より高い背丈の人影が一つ。

「どうしたのだ一夏、暗い顔をして?」

 千冬が席を外した隙に、医療室を抜け出した一夏がいた。

「……」

 いつもの陽気な返事が返ってこない。箒は思わず顔を顰めてしまう。一夏がゆっくりと、瀕死者のような歩きかたで近づいてくる。

「お前らしくないぞ、なにがあった? きちんと受け答えをしない――!?」

 一夏が首を傾げている箒に抱きつく。あまりの出来事に、彼女が驚いて目を見開いてしまう。

「な、な、ななななっ!? い、いい、一体、ど、どど、どうし、どうしたというのだっ!?」

 動揺して声が裏返りだす。やっと自身の気持ちに気づいてくれたのか、愛の告白なのかと気持ちが舞い上がる。顔が真っ赤になり言いたいことが纏まらない、頭の中で慌てふためく。

 ――――――震えていた。

 一夏の体が小刻みに動き、なにかを必死に耐えているのが理解できる。次に聞こえてきたのは苦しむように耐えている嗚咽。恐怖感とは違う、なにかに怯えているようにも感じられない。箒は火照っている感情が急激に冷め、冷静に彼の顔を見上げた。

 氷のように蒼ざめたまま、耳を澄ませば小さい言葉が聞こえてくる。

「……嘘だ、俺の目の前で……、こんなのは全部、違うに決まってる……んだ……………………」

 頬を伝い涙が雫となって箒の顔に当たりだす。一夏は心が折れかけている、このまま行けば悪い方向に物事が進んでしまいかねない。

 原因が解らず本質を理解し、彼の背中に自身の両腕を回して抱擁する。今は、落ち込む本人の好きにさせておくべきだと。

 一夏が子供のように、その場で声を押し殺しながら泣き崩れた。

 箒はそれをただ、慈母のようにじっとして支える。

 

  ― 15 ―

 

 学年別チームタッグマッチ・トーナメントが、無事に終了した。

 土曜の午後である昼間の時間帯は、天候も良く晴れ渡っている。離着陸を行っている大型航空機の鋭い風切音と、着地した車輪の擦れる音が空港内に響く。出国のためにせわしなく行き交う人波が、余計な慌しさを感じさせてしまう空間を演出していた。

 そんな出向ロビーに人影が三つ。二人ほどが学生服に身を包み、お互い睨み合っている。

「――なんで、てめぇがいんだよ?」

「アラルティアの親友だからよ。そっちこそ、仇の人間が堂々とお見送りするなんて、呆れてものも言えないわね。いったい、どういった神経をしてるのかしら?」

「は、親友? 笑わせんな、自分の駒に仕立て上げて復讐の道具に使った人間の吐く台詞じゃねぇな。自殺にはおあつらえ向きの場所だ、このまま管制塔に登って飛び降りちまえよ?」

「私は事実しか述べてないわ。おチビちゃんが過去やったことを棚に上げて、チャラになるわけないでしょう。一方的な、図々しい言い分だけ並べないで頂戴な?」

 ――おかしい……、『見送る』といって来てくれていた筈なのに、毒舌合戦が始まっている。薄手の私服を着たアラルティアが、心中で泣きそうになりながら目の前の対応に困ってしまった。

 誰かこの状況を止めてほしいと、深い溜息をつく。喜久が肩を竦めながらニヒルに笑う。

「お互い様だ、クソ女。そういうてめぇも、最後はなんだ? 結末は更識の良い玩具におさまってんじゃねぇか。練りも、段取りも、詰めも甘いから墓穴を掘んだよ、単細胞のスポンジ脳が」

 呆れるほどに汚い言葉を連呼し続ける。人の反感を買うことに長けているような抗弁は、喜久のほうが優れていた。

「今すぐ呼吸を停止させてあげるわ」

 ミアの頭に血が上りきり、左腕を振り上げていく。背後から現れた人間が嬉しそうに、その腕へと抱きついてきた。

「あらぁ、どうしたのかしらミアちゃん? ご機嫌斜めね~っ♪」

 トイレに行っていた楯無が、ひょっこり姿を見せて三人の前に現れる。

「……なにもしませんから、私から離れてください」

 急に毒気を抜かれたようにして、ミアが嫌そうな顔をしだす。

「よっちゃんも、ミアちゃんとの言い合いを止めてくれるかしら?」

「俺はウドの大木が黙りゃ、それで文句はねぇよ」

 喜久側《そっち》から吹っかけておいてよく言うと、ミアの額から青筋が浮き上がる。楯無は一頻り二人の様子を眺め終えると、澄まし顔でアラルティアに向かって手を差し出す。アラルティアがどうしていいものか対応に困り、とりあえずおずおずと手を出した。

 楯無が彼女の手を取って握手する。

「本来であれば綿密な事情聴取の上に、実刑が言い渡されて然るべき問題です。独自の法体制を施行しているIS学園上との干渉による軋轢により、国際法での対処が望ましいとの見解に到るでしょう。ましてや、世界で二人の男性操縦者の一人を殺害しようとした行為が、極刑へと直結する可能性を見出しています」

 重苦しい言葉が連なる。自身が、これからどれだけの刑罰を負うのかを想像して病みそうになる。しかし、一つだけ良かったと思えることもあった。

 アラルティアは『殺人』を行わずに済んだことへと安堵する。狂行に走らなかった自分を素直に褒めてあげたいと思った。

 楯無が言葉を続ける。

「よって、今回の一連における出来事は学園長と私の一存により、貴国と委員会への報告を行っていません」

「え……?」

 言われてから、今更ながらに傍と気づく。そういえば、なぜ自身が拘束された上で、強制帰国をさせられていないのかということに。

「これは私個人からの御礼でもあるわ。アラルティアちゃん、踏み止まってくれてありがとう」

 アラルティアの手が、楯無の翳した両手で優しく覆われていた。

 彼女の笑顔とお礼に戸惑ってしまう。感謝されるいわれも無ければ、糾弾される行為しかしていない。楯無に喜ばれる理由が理解できないのだ。

「アラルティアちゃん自身の心が強かったから、最悪の状況を回避できたの」

「……私は、生徒会長が思ってるような強い人間じゃないです。もし、あの時ヨシヒサが抵抗してたら、きっと……」

 きっと『殺していた』と、言葉が続かない。運良くタイミングが重なっていただけなのだと、ただそれだけのなのだと思う。殺害行為をせずに済んだのは、喜久が自身の予想外の行動をしたため。この一点のみに尽きた。

 アラルティアはミアのほうを向くと、申し訳なさそうな顔をする。

「ミア、ごめんね。私には、やっぱり無理だった」

「恨んでくれて良いわよ。アラルティアには、それだけの権利があるわ」

「ううん、ミアは事実を教えてくれただけだから。またアメリカに戻ってきたら、どこか遊びに行こうね?」

「――やっぱり、貴方は優しすぎるわね」

 ミアが少し笑い、アラルティアがはにかむように笑顔を作る。次に喜久の方をへと顔を向けた。

「私はヨシヒサのことを許せない。だけど、どうしたら良いかのかも解らない。教えて、ヨシヒサはどうやって罪を償うつもりでいるの?」

「アメリカに戻れば即、死刑確定だ。実際問題、解決法としてそれで良いのかもしれない。だけど、まだやらなきゃならないこともあるんで。それを終わらせれたら、自分にとって半歩分位の贖罪になるとは思う。まあ、全部が俺の勝手な言い分だけどな」

「そう、わかったわ。ヨシヒサ、私の街の郊外墓地にお姉ちゃんのお墓があるの。予定が空いたらで良いから、一緒に行ってくれない?」

 アメリカにナイザの遺体が入っていない、彼女のために建てられた墓がある。その場所へ一緒に訪ねて欲しいというアラルティアの言葉に、喜久が一つ頷いてみせた。

「ああ、約束だ。やるべきことが終わったら、必ず行かせてもらうよ」

『アメリカン航空、デトロイト行き、AA176便にご搭乗のお客様は、六番ゲートにて搭乗手続きを行ないます。間もなく搭乗手続き開始のお時間となりますので、お間違えの無きよう、宜しくお願い致します』

 アナウンスが入り、楯無が握っていた両手を放し笑顔になる。

「またIS学園へ遊びに来てちょうだい。おねーさんは、いつでも歓迎するわっ♪」

「ありがとうございます。じゃあ、私はこれで」

 アラルティアは三人にお辞儀をして別れを告げると、ゆっくり歩いて出向ゲートの入り口へと向かう。が、そこで思い出したように喜久へと向き直る。

「ヨシヒサ」

「あん?」

「初対面の人間に一発やらせろだなんて、アメリカじゃ訴えられるから気をつけたほうが良いわ」

 親切心からの忠告だった。だが、喜久にとっては勘弁して欲しい余計なお世話だった。

 次の瞬間、楯無が笑顔のままに手刀を放つ。

「ぐか!?」

 喜久の喉仏へ直撃すると、そのまま襟首を掴まれる。痛みと呼吸困難がいっぺんにやってきた。目の前に彼女の顔が迫っている。

「よっちゃん。私は駄目なのに、なんでアラルティアちゃんに対しては欲求に忠実なのかしら?」

「ごほ、おま、違、ふざけっ!」

「ミアちゃん、アラルティアちゃん。私とよっちゃんは、先に失礼させてもらうわね?」

 そのまま首を締め切られた喜久が、ぐったりとして気絶しだす。楯無は一〇秒で勝ちを収めると、動ない彼を軽く担ぎ上げて去っていった。

 どこへ行くのかと聞くまもなく、嵐のように事態が過ぎ去っていく。

「いい気味ね」

 ぼそりとミアが嬉しそうに一言をもらし、失言をしたことに気づいたアラルティアが申し訳なさそうにした。このあと、学園で喜久に対して楯無の大胆さが増したのは言うまでもない。

 

     ◇

 

 空の上を大型旅客機が飛んでいる。太平洋の真ん中辺りに差し掛かった時、ファーストクラスの座席で休んでいたアラルティアの携帯電話が鳴りだした。

「はい」

『どうだアティ、お子様留学は楽しかったか?』

 自身の愛称を言われ、凛とした女性の声が聞こえてきだす。彼女は在学期間中に多量のストレスに苛まれたことを思い出していく。短期留学の目的理由からして暗い内容だ、楽しい思い出などは全くできなかった。

「ええ、まあ……なんとか……」

『なんだよ、随分と言い澱むじゃないか?』

 軽く溜息をついて、電話の話し相手に用件を聞く。

「どうしました、イーリスさん?」

『ああ、ちょっとな。いいお知らせだ、アティが今回だした負け勝負の結果だがな。候補生の挿げ替えは見送りだそうだ』

「そうですか」

 電話のかけ主であるアメリカ国家代表、イーリス=コーリングが陽気な声をだした。だがアラルティアにとっては、候補生剥奪が特に大きい問題とはならない。いい知らせなのだろうかと、気の抜けた答えしか出せないのだ。

 今は疲れたと、ただそれだけを感じてしまう。

『なんだ、私はもっと喜ぶかと思ったけどね。しっかし、この分だとあいつからの電話は、掛かって来てないみたいだな?』

「なにかあったんですか?」

 気になる言葉だ、思わず聞き返す。

『ナタルが基地から出てったきり、半月以上戻ってない。一切不通で連絡も取れない状態だ。本人の破壊された携帯電話が、基地から一〇キロ離れた先で発見された』

「え?」

 イーリスが苛立ちを隠そうともせずに尖った声で喋っていく。相手の逼迫《ひっぱく》した声から、自身の周りにある空気が数度ほど冷えたように感じた。

『軍を無断で抜けやがった。上層部のお偉方は、蜂の巣突付いたみたいに大騒ぎだ。それでだ、ナタルが軍規違反を犯す理由が思い当たらない分だけ、尚たちが悪い』

 イーリスがいうナタルとは、同じ軍所属IS操縦者であるナターシャ=ファイルスを指す。あの真面目な人に限ってありえないと、アラルティアが内心で驚く。

『ナタルの部屋に、寒気のする不吉なメモが残ってた。二桁の数字で〈34〉だ。なんでもいい、アティはなにか思い当たることはないか?』

 ある。思い当たるもなにも、自身は先ほどまで三四のつく名前の人物と対話していた。

「……いえ、なにも」

『そうか』

 知っているといえば、なぜという話になる。イーリスが要求している出所の意味は別にしても、話せばミアにまで被害が及ぶ可能性があった。

 以上のことから、アラルティアは黙認を決め込む。

『帰ってきたら、アティも忙しくなる。休めるうちに休んでおけよ?』

「はい」

 帰国後に一波乱起きそうだと、通話の途切れた携帯電話を握り締めた。

 

     ◇

 

 暗室と化している場所では、幾つものモニター群がひしめき合う様にして場所を取り合っていた。

 各々が主張するようにして明かりを発し、それが部屋で唯一の光源となっている。床では様々な太さのケーブルが這い続け、場の中心から陽気な鼻歌が響く。空中投影型キーボードを両手の一〇指が軽快にかつ、高速に一字のタイプミスも許すことなく動き続けていた。

 小さい足音が聞こえてくると、部屋の主である彼女は口元を嬉しそうに綻ばせる。歩いて部屋に入ってきた相手へと、作業を中断して愛情たっぷりに呼びかけだす。

「くーちゃん、今日も私たちのいる場所には太陽は昇っとるかね~?」

「少々お待ちください。ただいま外部の情報を調べて参ります」

「えー、ノンノン、必要ないよん。だって束さんの頭には常に後光がさしているのさ、だから今日も晴々なのだっ♪」

 久遠がトレイを机の上に置いた。

「お食事をお持ちしたのでお食べ下さい」

「おー、あっりがとー」

 トーストと湯煙の立つカップにサラダというメニューから、朝食のような食事内容がうかがえる。しかし、年中真っ暗な空間の広がる束のラボには、一日の概念は存在しない。あるのは、確かな時間を読み取れるデジタル表示の機械があるだけだ。理解できるのは、今が何時かということだけ。

 ガツガツと音を立てながら、束が楽しそうにトーストへとかじりつく。

「くーちゃんの作る食べ物は、いっつも最高においしいね~っ!」

「ウソです、今日も失敗して焦がしてしまいました。おいしいわけが、ないです」

「知ってるかな、くーちゃん? 料理の最高のスパイスは愛情だよ。これだけで味も食べた子のお腹も満たされるのさ~」

 得意げに語る束の顔に、久遠は首を傾げそうになりながら頷いてみせる。不味いものは不味い、久遠は素直にそう考えていた。

 だが、束が言うのであればそうなのだろうと、自身の考えを改める。

「そうそう、くーちゃんっ! 聞いて聞いて、最近になって耳寄りな情報が束さんの下にキャッチングされたのっ!?」

「おめでとうございます。それは、どういった内容なのでしょうか?」

 小首を傾げるごとに長い三つ編みの髪が揺れだす。上機嫌の束が両手を広げて口を大きく開く。

「海だ、山だ、宇宙旅行だっ! てな感じで、なんでも箒ちゃんたちが旅行に出かけるみたい。というわけで、久々に束さんも運動しようと思いますっ★」

「お出かけですか?」

「そうだねー、良いよねー温泉卵ってー、丸いし美味しいし割れやすいし」

 温泉卵とはなんだろうと、久遠が知らない単語に頭の中を回転させる。手の叩く音が聞こえれば、束が両手の平を合わせていた。

「さて、くーちゃんも一緒に出かけようね?」

「私もですか?」

「そ、一緒に楽しく騒ごうよっ!」

 束は一頻り楽しそうに喋りきると、最後は嬉しそうに、とても嬉しそうに呟いた。

「――まあ、なにかが一つ壊れるくらいには、面白可笑しくはしゃごうか?」

 

 

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