花はその花弁のすべてを失って
果実を見いだす
タゴール
[ NumberingTitle_違イ姉妹_会食ト観賞 ]
― プロローグ ―
何年以上も前の出来事、一面に響く音が痛々しかった。振るった腕は、怒りに任せた一打だった。
強打を甘んじて受けた頬を押さえる■の、にこりと笑う顔。悪寒が走る。慈愛のような視線に体が震えだす。思わず、もう一度だけ殴打してしまう。それでも、――姉は笑うことを辞めなかった。
ケロリと張り付くような表情のせいで、なにを考えているのか解らない。ただ、無性に怖くも感じてしまうのだ。
「いいパンチだね、箒ちゃんっ♪」
耐えられない。顎に力が入り、歯を食い縛ってしまい。だから感情のままに、最後に蹴りを見舞った。
蹲る束が嬉しそうにしているが、健気さが全く感じられない。箒の感情が爆発し、そのまま掴みかかっていく。鬼のような形相で睨みつけ、犬歯を剥き出しにする。
「姉さんはっ! 貴方は、なにがしたいんだっ!?」
もはや目の前にいる存在は姉ではない。箒は呼び方を変えて大声で怒鳴りあげ、束は口元に人差し指を当てて嬉しそうに答える。
「こほ……、今のは効いたな~」
「真面目に答えろっ!!」
「うーん、しいて言えば、そうだね~。満足感をーっ得たかったみたいな?」
「 っ!? 」
力任せに突き放し、束が壁へと自身の頭を激突させた。額を切り、血が溢れ瞼を伝って地面へと零れ落ちだす。この人間は、家族を愛する人としての心を持っていない。
束がISを発表したせいで、家庭の営みが崩壊した。責任の所在は明らかなのに、目の前の人間は平気にして痛みを感じていないのだ。外道だ、決して許すことなど出来ない。
箒は荒れ狂った感情のままに部屋を後にして、出入り口のドアを壊れるほどの力で閉め切った。
そして期間も空かず、篠ノ乃家は国の処置によって一家離散の状態と化した。
― 1 ―
一流ホテルの中にある最高級料理店で食事をする人々がいる。洋式の高級調度品だけで構成された気品溢れるフロア、地上最上階から見下ろす宝石を散りばめたような夜景、まさに完璧な演出で気分も優雅に感じていく。
「こんなはずでは……」
悲壮感の篭った声が漏れ出す。テーブルに両肘をつけ、思わず頭を抱え込んでしまう。
「こんなはずでは……」
もう一度だけ同じ言葉を呟く。イギリス代表候補生であるセシリア=オルコットは、今の惨状といって良い状況に心の底から嘆いている。本当は自身の思い描いていた予想になる筈だった。
自身が着込むドレス、わざわざ著名デザイナーに頼み込んで作成した、完全オーダーメイドの一品物。上半身の肌を大胆に露出させ、背中と胸が強調されるようなデザインで自身を飾り立てる。髪も丹念にセットし、ブランドの靴も服装に合ったものを長時間かけて選んだ。
最高のシチュエーションのための最上の着こなし、どの社交界パーティに呼ばれても問題はない。
問題があるとすれば、今の時間がずれて昼食時だということ。ガラス張りの壁の向こうは曇りに曇り、すぐにでも雨が降りだしかねない。座っているテーブルの周りでは、同じIS学園の生徒達が楽しそうに食事している。これは先週まで行われていた、学年別チームタッグマッチ戦で喜久が所属しているチームの女子メンバーだった。
おまけに反対側に座って食事している彼にいたっては、他の生徒たちと同じ学園の制服さえ着ていない。本人はなんとも場にそぐわない、カジュアルな私服で待ち合わせにやってきた。
セシリアは気持ちを盛大に削がれるが、話し声と店の雰囲気に合ったクラシックジャズの演奏音が鳴り止むこともない。
「まあ明日は飛行機で空の上だし。しょうがないっちゃ、しょうがないんじゃない?」
「……確かに、一九時間後には研修先へ向けてフライトしています。ですので夜景を見れないという、時間的な問題には目を瞑ることも出来ます。試合での勝敗も私が負けましたので、皆さんに奢って差し上げるのは当然ですが……、ですが、これはあんまりですっ!」
暢気な声にセシリアの苛立ちが募る。
「夜景が見たいとしてもさ、寮の門限で夜間外出なんて無理じゃん。料理はおいしいし、俺は別に文句ないけどね。冷めたら不味くなるし、暖かいうちにスープを飲んじゃったほうが良いんでない?」
彼女はテーブルをヒステリック気味に叩き、その場で立ち上がりだす。
「だからといって喜久さんは、なぜ彼女たちのお食事を今日に設定なさったのです!?」
「どうせなら一緒くたに済ませたほうが、セシリアにとっても楽だろ? わざわざ予約制の店を貸切にしたんだし、余計に経費が浮いて良いことづくめじゃん?」
セシリアは今日の日のために己の財力をフル活用し、店を丸ごと貸切にしていた。
「もう一つ! 私はドレスまで用意しましたのに、喜久さんが私服だなどとは、酷すぎではありませんか!?」
「タキシードなんて高価なもんは持ってません。ついでにスーツなんてのも持ってないし、学生の身分でこんな店に入ったこともないんで」
彼女が烈火の如く口撃をしても、喜久は肩を竦めて食事を再開してしまう。確かに彼の言い分もあるのだが、全く納得する気になれない。
「セシリアー、今日はありがとうーっ♪」
「生まれて初めてこんな店入ったわ、これが奢りだなんて最高ねっ!」
「本当に美味しいし、これからセシリアには頭があがらないわ~」
他のテーブルに座っている女子達から、口々に感謝の言葉が述べられる。感謝するのなら、せめて遠慮して日にちをずらせと叫びそうになる。本当の意味で精神的に凹むと、怒る気力も失せて項垂れながら着席した。
「――喜久さん、今回の状況は、わざとお仕組みになられたのですわよね?」
気持ちが憤怒を越えて、恨み辛みへと変化していく。
「もちろんです。二人だけで食事をしない、良い口実だったんで」
「それでなくとも、私服というのは?」
「あんま、学生服って好きになれないんだよね。襟のせいで喉元が苦しいし、堅苦しいのも駄目だな。だいたい、制服はデザインが派手すぎて悪目立ちだし」
ついに恨み辛みを越え、セシリアは残念な気持ちに打ちひしがれだす。
「はぁ……、ええ、そうですわよね。わかってはいました、解ってはいたんです。喜久さんに上品さを求めたことも、細やかな配慮と気配りを求めたことも、確かな常識を求めたことも。ええ、全て私の事前準備が足りなかったことが落ち度なのです」
シャルロットばりの刺さるような毒舌に、喜久が喉に詰まるような顔をする。
「言い過ぎだ……、そこまで――
【妥当な評価ね】
「黙ってろ、クソAI」
ティアーニの横槍に喜久が暴言を吐く。だが冷静に考えて、確かにやりすぎた感はあるなと改めて考え直した。セシリアは今日の日のために随分と用意をしてきている。努力した相手に対して誠意を返せないというのは、確かにモラルが欠けているだろう。
喜久は動かしていた手を休め、降参のポーズをとりだす。対面して不貞腐れているセシリアが、キョトンとした表情になった。
「ならさ。これでどうでしょうかお嬢様。セシリア自身の恋愛ごと以外でなら、三ついうことを聞く。期限はなし、好きなタイミングで使って良いから――
「シャルロットさん、更識会長と別れてください」
有無を言わせない一つ目の願いだった。しかも瞬間的もしくは本能的に思考したらしく、喜久の提示条件をピントのずらした言葉で回避しきっている。
「付き合ってすらないんだけど……、それじゃなくても二股してるみたいな発言じゃねぇか。沽券にかかわるような発言は、勘弁してくれ」
「なにを言っておられるのです、私を含めて三股の状態ではありませんか? では、お二人に付き合えないといって下さい」
「なんでそんなに直球思考なんだよ、それこそ勘弁してくれ……。そんなことしたら、余計な引き金になりかねないでしょ?」
彼はげんなりとするが、セシリアはしれっとして返事をしていく。
「私はそれで構いません」
「俺が構うの……、却下で」
「この程度のことをこなせないなんて、なんとも貧相な魔人のランプですわね?」
「貧相で良いよ、なんとでも言って。ただし、俺は猛獣の檻に飛び込む気は、さらさら無いから」
セシリアが人差し指を顎の辺りに当てて、再度の願い事を頭の中から捻り出す。彼女は嬉しそうに笑う。
「喜久さん、これを」
「うい?」
喜久がよく解らないと言った表情でB5サイズ程度のものを渡される。中を開いた次の瞬間、驚愕の表情で声を上げた。
「はあ、なんだこれ!? 高っかっ!!」
大声につられて、周囲の席に座っていた女子達が答えの中身を覗く。そしてすぐに澄まし顔になると、各々が席へと戻っていった。
「今日の会計になります。ここは喜久さんに奢っていただきますので」
「…………泣きそうなんだけど、これは酷くない?」
店の貸切に最高級レストランのメニュー。その恐ろしい会計額が紙に書かれている。当然、ただの高校生に払えるものではない。
「男性なのです、なにごとも大胆でなければ」
「大胆とかの問題じゃない、無理です。学費未納で退学一直線だ、これも却下させて下さい……」
喜久の困った顔に、セシリアが口元に手を当てながら笑う。一頻り会話のやり取りを楽しむと、片目を瞑ってウィンクする。
「ふふ、冗談です。まあ、払えるだけの気概を見せていただけると、私としては嬉しかったのですが」
「ひでぇ……、人で遊んでやがる」
「普段、人で遊んでいるのは喜久さんでしょう? そうですわね。喜久さんを独占出来る権限は、今後の楽しみに取っておきたいと思います」
軽々しく願いを聞くなんて、言わなければ良かったかもしれない。喜久は失敗したなと心の中でごちた。
「出来るだけ、早く消費してくれると助かるんだけど?」
「嫌ですっ♪」
セシリアがるんるん気分で即答した。
◇
記憶に残っている断片的なもの。スーツ姿の男が四人と最後に見た家族の姿、茹だるような暑さ、その場に取り残された自身。頭の中で三つの要素がループし続けていた。
いや、もう一つだけある。四人が叫びあうように喋っていた違う国の言葉だ。アクセントがいやに特徴的だったことを覚えている。だが、それ自体が洞窟で共鳴しあうような音としてしか思い出せない。
役立たずな記憶だ。今の自身のようだと、何かを叩きたい衝動に駆られそうになる。
(そう、だから、俺は、本当に何のために生きているのだろうと、家族を守れなかった力のなさに嘆き続けてる。しかもついこの間まで、封印したようにして、何一つさえ思い出すこともできてなかった……)
――ちか、聞いているのか、一夏?」
「え?」
「だから、私の話をきちんと聞いているのかと聞いている?」
「ん、ああ、ごめんな箒。悪い、聞いてなかった」
「……そうか」
一夏の心ここにあらずといった表情を見て、箒は溜息を一つ吐く。学園が休日を迎えている日、一夏は箒と二人で喫茶店にいた。他にも客がチラホラと思い思いの場所に座って自由に過ごしている。時間は昼前で天気は曇り、今日の目的の時間には少し余裕があったために、この場所で小休止をしていた。
一夏は泣き崩れた次の日から、心を殺すようにして本音を隠して過ごしている。しかし、普段笑っている純粋な笑顔が消えた。なんとか繕ってはいるが、実際は食も細く息苦しくて眠れない日もでだしている。
ある時、同室の喜久は一度だけ、彼に質問をしてきた。『一夏さ、お前なんか最近おかしいぞ。なにがあった?』と。対して答えられた言葉は『いや、なにもないぞ』が、精一杯だった。作り笑いの情けない回答だけが、やっとの状態だ。気を使ってか、喜久はそれ以上のことを聞いてくることもない。
(今まであれだけ、散々に俺達を頼れなんていってたのに……。いざ自分が苦しい事態に陥ったら言葉を吐き出すことに、これだけの拒否感を感じるなんて思わなかった……)
同じような実体験を経た人にしか、その人の本当の痛みには気付けない。一夏はこの時になって、初めて喜久が他人に弱みを見せない行為を理解できた気がした。
当時の記憶を思い出した日、千冬が医療室を抜け出した一夏の行動を咎めることはなかった。大切な姉がなにも聞いてこない。喜んでいいのか、悲しむべきなのか、どう接したらいいのか、心中で複雑な感情が渦巻き続けている。
このことは、対面席で一緒に座っている箒にも話せてはいない。
(あの晩は心臓が破裂寸前みたいになって、いきなり抱きついちまった……。完全に変態のレッテルを張られてるな、俺。箒は何も言ってこないし、今日は誘われるままに付いてきて。どっかのタイミングで謝らないと……)
――ちかっ!」
「うおっ!?」
箒の大声に気づき、一夏の意識が引き戻される。
「はぁ……、一夏?」
「すまん、本当にごめんな……」
「そうではない、でもないが……。そんなにボーっとしていては、研修先で迷子になってしまうぞ?」
「そっか、明日からだもんな。海外研修はインドだったっけ。俺は初めての海外旅行だ、箒は?」
「あ、ああ、私も初めてだ。それよりもだ一夏、あ、あのだな」
「どうした?」
「い、いや。なんでもない」
「そうか」
歯切れの悪い言葉に一夏が素直な返事をした。
四人ほどの女子が離れたテーブルに座り、うち二人が目付きを鋭くして必死に耳を一夏と箒の方へと傾けていた。鈴が舌打ちする。
「ち、微妙に遠くて話が聞こえないわね。ISはステルスモードにしてないと、位置がバレるし。場所どりに失敗したわ……」
簪が神妙な顔をして考え込む。
「なにを……話してるんだろう……?」
ラウラがココアの入ったカップを持ち上げながら一言。
「みっともないぞ。そんな姿勢をしていると、余計に目立つ。心に余裕がない証拠だ、然として構えていろ」
「ラウラ、ココアに砂糖をいれるのは違うと思うよ……?」
動揺している本人の行動に、シャルロットが間違いを指摘した。紅茶を飲むと、同じようにして一夏の方を向く。
「でも。最近、一夏の様子がおかしいのは確かだよね」
三人がシャルロットの方へと向き直った。三者が同じようにして眉間に皴を寄せだす。
「そうね、一夏が棄権した日からかしら。雰囲気が変わったわよね?」
「喜久に……負けたから……、落ち込んでる……?」
「いや、それはないだろう。嫁はチームでの勝利を満たしている。あるとすれば、他に原因があるだろう」
原因がわからないが、一夏の様子が普段と違うことだけは理解できる。一夏本人が隠そうとしても、学年の間では周知の事実となっていた。シャルロットが一夏の方を見て、ほかの人間の像と重なりだす。
(喜久と一夏の雰囲気が似てきてる……? これが一種の翳りだとしたら、余りいい傾向じゃないかな。一度、本人と話しておいた方がいいかもしれない)
遠巻きに見える一夏と箒が席を立って、会計を済まし店を後にしていく。四人も同じようにして席を立った。
◇
照りつける太陽の下で水着姿の女性が寛いでいた。ビーチパラソルで日差しを防ぎ、プールサイドの一角を陣取ってグラスに入ったカクテルを一口分だけ喉に通す。プライベートを優雅に満喫していると、ボーイが受話器を持って歩いてきた。
彼女は一つ頷いて、それを受け取りながらブロンドの髪を掻きあげる。
『しばらくぶりだな?』
耳元に響く凛とした女性の声。久しく懐かしい声に内心で笑い、自身の掛けていたサングラスを取る。相手は通話越しの向こうにいるが、敬意を込めての対応だった。
「あ~ら、お珍しい。貴方からコールを頂けるなんて、何年振りのお誘いかしら?」
『多忙か?』
「い~え、暇で暇で老婆になりそう」
『国家代表が暇とは、なんとも酷い言い草だな。胡坐をかいていると、下から這い上がってきた候補生に蹴落とされるぞ?』
「大丈夫よ~、どうせやることはルーチンワーク。それじゃなくても、よっぽどのことがない限りは、海外旅行の一つさえままならない。嫌~よねぇ、これじゃ籠の中の鳥も良いとこよ? 機密保持か、国家代表を降りるかで天秤にかけてもいいわ」
だらだらと会話が続き、電話の向こうにいた相手が嫌そうな顔をする。
『愚痴を聞くために、こんな通話をしてるわけではない。切るぞ?』
わりと気も短い。
「付き合いが悪いわねぇ、裕香はもっと愛想がいいのに。そっちがお願いをしてきてるんだから、少しくらいお喋りに興じなさいよ?」
『其方のお国柄が、同一思考性で動いているわけではあるまい。用件を手短に話す。燻りだしたい人間がいる、そのために手を借りたい。情報部にツテがあるのだろ?』
「あ~、まあ、あそこなら。とは言っても、情報部は軍で黒ウサギ部隊も噛んでいるところだから、大っぴらには動きにくいかも。あそこは隊長格が抜けてる分、余計に気張ってセキュリティーをあげてるわ。千冬にとってラウラが可愛い教え子なのはわかるけど、出来れば早く返して欲しいわね?」
『それはマルタの側が決めていることだろう、私の管轄外だ』
マルタと呼ばれたドイツ国家代表が嘆息しだす。現在、ドイツ軍IS部隊の要は、日本に留学しトライアル試験情報収集の任にあたっていた。
よって、その皺寄せが、少なからずマルタに回ってきている。自身の仕事をこなそうとは思うが、余計なものが増えるのは面倒くさい。それが彼女にとって不満の種となっていた。
「これも、全部がラウラのせいよね~」
『それよりもだ、出来るのか出来ないのか。こちらとしては、それだけを教えてくれれば良い』
「ん~、出来ないこともないわよ~。利子は高くつくでしょうけど?」
薄く笑い、頭の中で銭勘定を始める。
『直接、ドイツ軍に依頼するよりは安くつく』
「千冬に貸しを作れるなんて、滅多にないチャンスだから。受けましょう、その相談」
『そうか、助かる』
「それで、どんな内容なのかしら?」
『九年前に失踪した、私の家族のことだ。特に亡国機業についての足取りを掴めるものが良い』
思わず、手に持っていたグラスを落としそうになってしまう。余りの突飛な注文に、聞き間違いかと慌ててしまった。
「う~ん、これはちょっと、安請け合いしたわね……」
『よろしく頼む、後でお前宛に詳細なデータを送る。ではな』
千冬が一方的に通話を切ると、マルタは両手を結んで伸ばす。そして自身の選択ミスに、首を鳴らしながら嘆いた。
◇
激しい音、視界に入ってくる非現実的な空間で、二人の男女が喜びを分かち合うようにして抱きしめ合う。やがてエンディングロールが流れ始め、壮大なオーケストラの演奏曲が場の感動を盛り上げた。二時間の恋愛映画が終了する。箒はチラリと流し目にして、さり気なく隣の座席にいる一夏を見だす。
(一夏の気分転換という名目で、デートに誘うことには成功した。だが、今の一夏の顔を見てしまうと、そういった雰囲気を作る気にもなれない……)
精気の抜けた表情に虚ろな目だ、まるで心が定まっていない。この欝な状況を打開できないものかと、箒は一人で考え込む。一夏を励ますには如何すればいいのか、スクリーンからの照り返しを体に浴びながら。しばしの間を置いた後で、結局はなにも思いつかなかった。
「一夏?」
「うん、どうした?」
「今日はもう、この後は学園に戻るだけだ。しかし、それだけでは味気ない。その、なんだ……、少し歩かないか?」
「ああ、わかった。箒がそうしたいって言うのなら、俺は構わないぜ」
無理やりに作られた笑顔が痛々しい。こちらまで病んでしまいそうな一夏の表情に、箒は席を立ちながら手を差し出す。
気恥かしさに思わず顔を背けてしまい、
「サンキュ」
という、彼の声だけが聞きとれた。自身の一部に重みが加わると、温かみのある感触が伝わってきだす。嬉しくも思い、ぐっと力任せに引いてみる。
「こ、これくらい当然だ。行くぞ!?」
「痛っで! おい、強引に引っ張るなよ!?」
「お、お前が軟弱なのだ! このくらい、鍛えていればどうということはない!」
「明らかに箒の基準がおかしいぞ!?」
いつものやり取りだ。一夏の慌てている普段の声に、箒が口元を緩めた。外はまだ日も沈まぬ状態で、既に夕方の六時半を回っている。未だ明るい景色の中で、常用の夜光灯が点きだしていく。
人々が練り歩く通りで、二人して背伸びをしながら足を踏み出し始めた。
雑談を交えながら歩調はゆっくりと、時間の流れも緩やかに。そして、箒は何気ない会話を自ら途中で切った。
「一夏、私は……私は、姉さんが怖い。私は、そんな自身も嫌いだ」
落ち着いた雰囲気の中で、躊躇いがちに言えた。たった一言分だけの本心。
「え……?」
先ほどから、なにも言える材料がない。だからこそ、最後に残った自身の悩みを打ち明けるという行為に及ぶ。返ってきた声は、少し戸惑ったような様子を窺わせた。
箒は気恥ずかしさと、最大の勇気を持って心を曝け出す。
「平然と自分を優先して、一家離散の状態に追い込んだ姉さんに怒りを覚えた。だから暴力を振るって、あの人を傷つけたのだ。そんな自分が大嫌いで、当時のことを思い出したくないから……、未だに姉さんを避け続けている」
独白に近い言い方は、途中でなにを言っているのか混乱してしまいそうな心境の現われだった。
「一夏、私は姉さんにした過去で悩んでいる。こう、だから、なんと言っていいのか解り辛いと思うが……、ようはこういうことなのだっ! 私も頑張って姉さんに謝ろうと思っている、だから一夏、お前も頑張れっ!」
精一杯言いながら、一夏の方へと顔を向けた。彼の表情は相変わらず曇っていたが、一筋の光明を見たような顔でもあった。箒の話を真剣に聞いていた一夏が口を開く。
「箒、ありがとな。俺も同じように家族のことで考えてる。これからどうやって解決していけばいいか、先の見えないことばかりだ。だけど、箒のおかげで幾分か気が楽になった。ほんと、サンキュな」
こんなに近くで支えてくれる仲間がいることに気づいた。一夏が記憶を取り戻した夜以来で、久しぶりに笑った。
「このくらい、当然だ」
得意げではあるが、それは単なる照れ隠し。優しく微笑む箒に、一夏の顔も少し赤くなる。
次の瞬間、彼の後頭部に衝撃が走りだす。
「ぐあっ!?」
「一夏!?」
そのまま、盛大に前のめりにへと転倒してしまう。近くでは、円硬貨が地面で音を立てていた。
遠巻きに隠れて監視していた女子達が唖然としている。
「うむ、なかなかの腕だ」
ラウラだけは感心したようにして、今の出来事を賞賛していた。
「あんた……、そんなことする子だったっけ……?」
「簪……?」
鈴とシャルロットが、ありえないものを見たような顔をしている。
「危なかった……、間一髪…………」
良い雰囲気に成りかけていたので止めました。二人は簪の言い分は理解できた。だが、それ以上に彼女の大胆な行動を見て驚愕した。