ln   作:kiarina

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[ NumberingTitle_刺客 ]

 

 ― 10 ―

 

 寝覚めの真っ白な世界、ゆっくりと横を向けば靡くカーテンの裾に視線がいってしまう。風が緩やかに吹く。反対を向けば一夏の顔が確認できた。箒が意識をはっきりとさせて、必死の顔になりだす。勢いよく体を起こせば、全身の痛感覚が麻痺するほどに焦燥が募りきっていた。

「一夏っ!?」

「箒、落ち着け。ここは病院だ、俺も箒も怪我をしてたから運ばれたんだ」

「しかし、私は!? 止めなければ、姉さんを! 姉さんを!!」

 一夏が包帯で巻かれた痛む右腕を無視し、興奮している箒の両肩辺りを掴む。

「戦いは、もう終わったんだ。箒が気を失ってから二日経ってる」

 箒は二日も寝ていたという事実を受け入れられないでいた。いてもたってもいられず、逸る気持ちを抑えきれずに膝を曲げて立ち上がろうと足掻く。一夏の両腕に抑え付けられて、次の行動に移れない。

「箒、俺も含めてだけど体が疲弊してる。今は休まなきゃだめだ」

 優しく声を掛けられて、返すように一夏の目を見る。澄んだ黒い瞳に、心を安堵させてくれるような暖かさを感じた。ここには激しい光も、つんざく音もない。つい今しがたまで戦場にいたのが嘘のように感じられた。腰を落として座り込めば、一気に虚脱感が襲ってくる。

 次にあるのは震え、眼前の景色が歪むような錯覚に陥ってしまう。正気を保とうと、もがけばもがいただけ泥沼に嵌っていく。

「わ……わた……私は、こ……ん……な……なんて……」

 なんてことを犯してしまったのかなどと、途切れて言葉が続かない。自身の行いに恐怖し、ショックの余りに呼吸が乱れる。涙腺が緩み、苦しみが流れ出す。発狂するほどの想いが心を一片残さず埋め尽くしていく。

「一夏、私は、私は、わ、わたし、わたしはあ、ああ、あ、ああああああああああっ!!」

 上半身に圧迫を感じた。数瞬遅れで、覆うようにして抱きしめられていたことに気づいた。

「あ、ああ……」

「大丈夫だ、俺が箒の傍にいる。だから一人で塞ぎ込むな、なにがあっても一緒だ」

 言葉とは、こんなにも自身の本能に影響を与えるものなのか。

 続いていた全身の震えが収まっていく。一夏の匂いと温もりに、箒の体が弛緩しだす。頬を伝う水滴の量が増し、混濁した感情を抑えきれなくなった。姉に対しての憎悪で覆われていた心に幾つもの筋の光が差し込む。歓喜に安堵、不安に不快と様々な色彩を帯びては溶け込んでいく。

 このまま埋もれてしまいたい。なにもかもを忘れてしまえばと、箒は一夏の胸に顔をうずめる。暫くして一夏が口を開き、そんな想いを現実に引き戻す。

「箒」

「一夏?」

「束さんを止めよう」

「……私は」

 止められなかった。多勢に無勢のまま挑み、一対三で戦闘を開始した。技量が足りない、姉の手の平の上で遊ばれているだけの自分自身だ。今も、これからも、一生のあいだ続く蟻地獄でしかない。立っていられない、疲れてしまった。

 ましてや暴走したのだ、姉と同じように街を破壊してしまったから。次に紅椿を展開して怒りに呑まれようものなら、今度は仲間も殺しかねない。

「もう、無理なんだ」

「俺も妹のことで悩んでた。自分なりに出した答えが、未だに正しいかどうかなんて解らない。でも、箒はありのままに今を悩んで良いんだ。受け入れて苦しいし辛いし、逃げ出したくてしょうがないかもしれない。箒が一人で抱え込めなければ、俺が一緒に悩む。一歩でも半歩でもいい、二人で前に進もう」

 一夏から励まされるが、その言葉に肯定できなかった。笑顔を作ることもなく、箒は沈み続ける。

 

     ◇

 

 机の上に置かれていたアナログ時計が言葉を発した。

【随分と遅いお目覚めね】

「どうせ強制なんだし、好きなだけ休ませてもらうさ」

 ティアーニの言葉に喜久が寝ていた姿勢の向きを変えだす。寝起きの頭に透明性をもたせたく、ペットボトルの蓋を捻ってラッパ飲みしていく。戦闘行為で受けた傷は浅くないが、他の何人かに比べれば軽症といえた。今現在は念のための入院となっている。日本に帰国して待っているのは、本人にとってうんざりするほどの精密検査の山だった。

 割り当てられた病室のベッドで上半身を起こせば、次に確認できたのは女性の姿だ。カーンティが車椅子に座り、その後ろではルピンデルが目を伏せて控えている。

「いつからここに?」

「少し前からです。落ち着きましたか?」

「落ち着くにもなにも、戦場化した首都から無理やり離されりゃね。じたばたした所でどうしようもなし、こっちはされるがまましかないですよ」

 デリー市街が壊滅状態に陥った日、IS学園一行は緊急避難を余儀なくされた。厳重な警備の上で都市から離れ、空路の確保されているムンバイに移動。距離にして一四〇〇キロ、これは東京から鹿児島までの長さに相当する。

 上空にあがる黒煙が見えるわけでもなく、当時の人々が放つ喧騒も他人事のように思えてしまうほど離れていた。窓の外を見てみれば、平常通りの街並みが広がっている。つい数日前の出来事であるはずなのに、嘘だと思えるほどのんびりとした光景だった。

「で、ここで油売るほど暇じゃないはずですよね。どんな用件で?」

 喜久が冷ややかな視線で聞けば、ルピンデルは一歩前に出てカーンティが制す。上を敬わないもの言いに、少女は苛立ちながら声を上げた。

「師匠《せんせい》!」

「自制できないのであれば、病室の外で待っていなさい。ルピンデル、貴方は病人に鞭を打つのですか?」

「――いえ、申し訳ありません」

 なんとも面倒臭いやり取りだなと、喜久が頬を掻いて心情を漏らす。カーンティが一礼すると、にこやかにして話しかけてくる。

「この前のお話の続きをしたいのです。お時間は?」

「聞く必要もなく、今だけはありますよ。今だけですけど」

「ありがとうございます」

「お礼はよしてもらえないっすか? 前の時で一方的に話を切ったのは俺ですし」

 カーンティは、決して上から圧し掛かってくるような態度を取らない。これまでに出会ったどの人間よりもやりにくかった。苦手な相手だと、喜久が精神的に軽い疲れを感じてしまう。

 天敵のような女性は、前と同じように一直線上で結論を述べてきた。

「貴方は師を持つべきです」

「冗談には付き合いきれないですよ?」

 肩を竦ませ鼻を鳴らすように応える。カーンティは笑みを絶やさない。

「師を師とし、自身を師としないこと。私の中にある教訓です。人は知性ある生き物ゆえの弱さがあります。己心に陥れば、最後にあるのは誤った行動うえの慢心のみ。私には師がいました、貴方にも人生の師が必要です」

「は、いらねぇよ。言っとくけどな、俺の生きれる残りは少ないし足りない。もうカスカスなんだよ、教えを請うにも時間切れだ」

「そうやって、あなた自身を捨てるのですか? 未来を諦め、心を閉じてしまうのですか? 本当に欲している望みをさしおけと、あらずともいい犠牲をなげうてと?」

「そうだよ、ざまぁねぇ話だ。この前は頭に血が上っちまって、どうしようもなかったけどな。今はアンタの言った言葉を認められる。俺は諦めてる、自分の作った業は消えない。消し方を知らないんだ。だから楽にならないし、こんな人間に明るい未来を望むことは許されないってな。人を殺して平気な奴は狂ってる。俺は狂えない」

 金属の擦れる何かの開く音、隣で寝ていた住人がカーテンをスライドしたものだ。

「うご!?」

 シリアスな話をぶち壊すかのように、いきなりヘッドロックをかけられる。筋肉質のがっしりとした腕に喜久の首が絞まりだす。頭が動かない分、慌てるようにして視線だけを動かした。

 見れば、人を食ったような笑みを浮かべる女性が、嬉しそうに負傷した片腕を包帯でつるしている。腕一本で何でこれだけの力がと、怪力女の腕を叩いてギブアップを伝えてみた。

 だが、弱まるどころか力がどんどんと増していく。

「聞かせてもらってたわよー、今の話。じゃあ市隈くん、今日から君は私の弟子よ。これなら手加減抜きでいけるし、矯正も楽ができて良いわっ♪」

 嘘をつけ、今まで散々酷使してきたくせにと喜久が突っぱねる。

「はぁ、ふざけんじゃねぇ! こっちはアンタみたいな駄目人間、死んでもごめんだっ!?」

 裕香の腕が離れてやっとまともに呼吸が出来るが、喜久が本人の発言に困惑してしまう。次にはぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回されだす。ワックスで整えられていた髪形が全て逆立った。

「あら面白い、少し背も伸びたんじゃない?」

「いい加減にしろ!」

 苛立ちが限界に達し、すぐさま立ち上がって怒鳴りだす。やられたい放題やられ、薄い堪忍袋の緒がちぎれた。裕香は気にせずに、表情を変えて真剣に彼へと問いかけだす。

「喧嘩した相手、間違いなく実力が私より上よ。君と同じ顔をしていたわ、あれって妹さんかしら。だとしたら、君はあの子を止めたいんじゃないの?」

「理由は?」

「女の勘よ」

 どうにも複雑な家庭事情を持ってそうねと付け加えられる。対して喜久も誰もいないほうへと向く。止めたいのかときかれた。違う、殺したいのだ。

 そっぽを向きながら答える。

「兄妹? 違ぇよ、あれはもう一人の俺だ。そりゃ、確かに止めたいわな」

 "心臓を"とは言わない。

「今の君じゃあ、あの子には逆立ちしたって勝てないわよ?」

「うっせーな、だからなんだよ」

「私が直々に鍛えてあげる、心身ともにね。ああ、そうそう。夏期休暇中には自衛隊基地まで、一緒に来てもらうわよ?」

「やってられるか、馬鹿――

 喜久が話を投げようとして裕香が部分展開を行う。有無も言わさぬほどに速く、機械の手の平が彼の顔面をすっぽりと覆っていた。普段に喜久が行う展開よりも早く、これが基礎実力差の表れだった。

「あの子は私より早い動きをする。ここにいる誰よりも素早く動けるから、攻撃が一切当たらない」

 ここにはIS操縦者が四人いた。国家代表が二名、国家代表候補生が一名、国家代表に近い実力を持つものが一名。それを凌駕する力をクラーラは持っている。

「んなもん、あんたよりよく知ってるよ」

「向上心のある子は、こんな時にどう答えるかしら?」

 エメラルドの色をした機械の腕が粒子化した。喜久が考えに没頭し、数秒間の間が空く。消去法なのか、未来への考慮なのか、損得勘定の天秤による決断なのか。本人は少し不貞腐れながら裕香へと応える。

「これは師弟なんて関係じゃない。俺があんたを利用するだけだ」

「良いわよ、存分に期待してなさい。私の全てを叩き込んであげるわ」

 裕香が柔和な笑みをして喜久の背中を叩く。力が強かったのか、軽症を負っている病人は咳き込んだ。カーンティが微笑み、いい関係であれと二人の幸福を願う。ルピンデルが傍若無人なコンビだと苦笑した。 

 

     ◇

 

 松葉杖を床につくラウラが院内の屋上へと向かう。右足に負った怪我の状態を確かめるようにしながら階段を上り、負荷の掛け具合で回復の度合いを計る。当時、搭乗していた際のIS機能と自身の持っている人並み以上の回復力で、切り裂かれた細胞部分が結合している最中なのを認識できた。

 屋上へと続く扉を開ければ、肌のありとあらゆる箇所に風を感じる。太陽の光を浴びて戦闘からの生還を実感しつつ、手に持っていた軍事規格の端末を立ち上げていく。張られたフェンスに寄りかかると、首を捻りながら腰を落とす。数コールの後、黒兎部隊のオペレーターに繋がった。

「私だ。副官を頼む」

『はい』

 間を置かずして、一部の知識が偏っている優秀な部下が応対し始めだす。

『クラリッサ・ハルフォーフであります』

「クラリッサ、衛星からのモニタリングはどうなっている?」

『状況確認及び、ここ二日間のデータ解析は順調に進んでいます』

「そうか」

 あの地獄絵図と化した光景を思い出しながら、ぐっと奥歯を噛む。ラウラの予想通り、既にドイツは篠ノ乃束が引き起こした人災を認識していた。各国トップの誰もが出来事を対岸の火とは思っていない。一歩違えば、これはどの国でも充分に起こりえる可能性を秘めていた。

 もはや世界最強の軍隊はどの国でもなく、国を持たない一個人にある。そんな火種を警戒しない者などいないのだ。

「どの程度の国が今回の騒ぎを嗅ぎ付けているか解るか? 私見で良い、述べてみろ」

『候補生をIS学園に送っている先進国、衛星からのもので相当数。今回の件でインドが情報統制を各国に呼びかけたところで、漏洩に対してもはや歯止めは効かないでしょう。国内の自衛とはいえ、ISが軍用として実践投入された事実は世界中に激震を走らせます』

 インドや国際IS委員会は今の事態を閉ざしてしまいたいだろうが、そんな蓋など何処にも存在しない。国内でも最大の関心事、国際でも最優先の懸念事項と化していた。世界中の国が新たな舵取りを迫られている。先行きの不安感が拭いきれず、憂いの表情が出てしまう。

 自国であるドイツ政府はどのような対応をするのか。ラウラが一個人として処理しきれんと、心中で愚痴をもらす。

「当事者としては、どうにも荷が重い事案だな。教官の話では、明日ごろ日本への帰国となるそうだ」

 インド政府からのお達しは、IS学園生徒の速やかな帰国だ。国難に追われている中、国賓待遇の学園生にこれ以上の問題が起こっては困ってしまう。そういった理由から、できるだけの迅速措置が取られていた。

 戦闘で怪我を負った面々も、最優先で治療施設へ運ばれている。第四世代機の暴走事故は責任を取らせない。これは首相命令で黙殺が決まった。なにかしらの責任をと抗議の声も上がったが、彼らは自国民を守ったとの総意のもと最終審判も既に下っている。

 一つ咳払いをして、話題を変えていく。

「前に頼んでおいた件だが、そちらの進捗状況は順調か?」

 聞いているのは、今年の初めに学園を襲撃した傭兵集団のことだ。彼らは学園に進入し、IS二機の強奪に成功している。ISを駆ったラウラが行動阻止を試みるも、丸々翻弄されてしまう。取り寄せようとしていた情報収集にようやく一定の目処がつき、やっと汚点を払拭できる段階まできていた。

 はっとして自身が苛立っていることに気づけば、通信機器を握る手に圧を加えそうになっていた。甘いなと、感情コントロールの未熟さに自虐する。

『はい。既に報告書を起こし始めています』

「簡潔で良い、口頭報告を要求する」

『今年の先ごろに襲撃した三名の素性が割れました。元フランス外人部隊出のフリーランスです。男二名はサンティアス・アノードとティーダ・タラクテゥーネ。女はジュサーヌ・オソドス。腕は確かなようです、業界でも評価のあるグループとして認知されていました』

「現在の居場所は特定できているか?」

『日本の空港にて、出発の便に変更を加えています。行き先はアメリカ、それ以上の足跡はぼかされていました。追って調査中となります』

「そうか。奪取された二機のISだが、出回っている形跡はあるか?」

『現在のところ、目下行方不明のままです。未だに連中が所持している可能性のほうが濃厚かと。もともと目立つものですので、表に出れば衛星でコア反応を捕捉できます。登録ナンバーも自動信号受信で確定できますので、今のところは動きがないようです』

「ご苦労。すまないが、引き続き調査を頼む」

『了解であります』

 話を区切って思い浮かぶ黄金の双眸。ラウラは全力で挑み、完全なる敗北を喫した。

 久遠。篠ノ乃束の使いである少女は、いったい何者なのか。借りたものはきっちり返す、次に会うであろう時は必ず倒させてもらうと心に刻む。

「追加で悪いが、注文の余裕はあるか?」

『我ら黒兎部隊、常に隊長と共に』

 良い返事だと、優秀な副官に感謝した。

「二つ調べ上げろ。ヴォーダンオージェを扱っている施設を全て調べ上げ、情報を私のほうへ。サイボーグ化をメインに据えて実験したものがあれば、最優先でこちらに回せ」

『は、了解しました』

「もう一つ、サモド=ペローフという人物の素性だ。この人間は、亡国機業の中核メンバーである可能性が高い。社会的立場、家族構成、持っているコネクション、ありとあらゆるものを探れ」

 クラーラ=ペローフの縁者に当たる人物、その名前を口にした。

 

     ◇

 

 無音の世界。遥か空の彼方、衛星軌道上で久遠が漂っている。時々に七宝の翼がはためき、ゆっくりと向きをコントロールしていく。眼下を見下ろせば、地球の青さが生命の豊潤な営みを感じさせた。

 地球は青かったと述べた宇宙飛行士が、地球上で最も美しいものは働く人の姿だだといった。自身の働きは主に貢献できただろうかと思考を巡らせる。真耶がなぜラファール=リヴァイヴを駆って現れたのか、最初は理解不能だった。

 だが、改めて考えてみれば答えは割と直ぐに得れる。なにせISコアの利用法を研究している施設なのだ。ISコアがあれば、それを組み込む機械が保管されていてもおかしくはない。襲撃を仕掛けた今回のような場合、地球上において一番の戦力はISである。戦車を施設内で格納しておくよりも、抜け殻の機体を鎮座させておくほうが道理にかなう。

 疑問の正解に気づけたのは、戦闘が終了してからのことだった。

「なんて頭の回らない」

 欠陥品だなと真顔のまま反省していく。プッと、久遠の耳元で電子音が鳴る。

『ハロー、ハロー、くーちゃんー』

「はい」

『応答アリアリー、元気かな~? もうちょっとで回収できるからねー』

「身体に異常はなし、感覚器官ともに全て通常通りです」

 束の声にほっと、胸を撫で下ろしていく。今おかれている状況よりも、束が健全であるほうが気になっていた。元気な声に気づかず頬の端が緩む。あるのは音声通信のみ、画面同士のやり取りはない。見れれば、きっと束が久遠の表情にとても喜んでいたに違いない。

『瞬間転移は試作品だけに、まだ安定性に欠けてるね。誰も追ってこれない安全圏内の確保には便利かなー。まあ、この天才である私にかかれば、こんな問題はちょちょいのちょいと解決なのだよ★』

 瞬間転移は試作品。だからこそ久遠は衛星軌道まで移動してしまった。この現象の向きが逆だったら、距離がある程度のものであったなら地中深くマグマの断層に潜り込んでいたかもしれない。

 今ある曖昧な転移先情報の座標設定では、こういった事故が起こりえていたかもしれなかった。なにせインドの襲撃で初実装試験、なにが起こるかも予測しにくい代物。しかし、束は言った通りにやってのけるだろう。次では必ず一〇〇パーセントの状態に仕上げきってくる。天才とはそういう生き物だ。

「束さま」

『なんだいくーちゃん、おねだりなら大歓迎だよ!」

「いえ。そうではないのです。ただ……」

『ん?』

 久遠が顔の向きを変えてみれば、そこには可能性の世界が待っていた。

「見上げていても見下ろしていても、ここから見える全てが途方もなく広いのですね」

『そうだよんっ♪ これもぜーんぶ、私達が宇宙の一部である証拠なのさ。地球なんて小さいゴマよりもっと小さいミクロンサイズなみ。幾ら時間があっても足りない、未知が存在するの』

 ぼんやりとして無重力に漂えば、自身が生きているのか死んでいるのか解らなくなってくる。生身であればマイナス三〇度と無酸素の空間で、少女は眩むような太陽の光を浴びた。

 

     ◇

 

 インド国内でISによる人災が起こる数日前、北アメリカ大陸のアメリカ軍基地内で次の出来事が起こっていた。

 静かな廊下にハイヒールの踵を鳴らして歩く女性がいる。一八〇センチ以上の体躯と鋭い眼光に黒人特有の褐色肌が、悠然と空気を切って前進していく。ある部屋の場所まで来ると、彼女は正していた姿勢を更に正す。一呼吸の後に目の前へと手を翳《かざ》し、ドアへ数度のノックをした。

「タニア=サスアザ中尉です」

「入ってきたまえ」

「失礼致します」

 聞こえてくる壮年の声。入室の許可がおり、ドアを開け、気を更に正し、ドアを閉めてから再度の敬礼をする。葉巻を咥えていた上官は、灰皿に残りをすり潰しだす。

「楽にしたまえ。ここにいるのは私と君だけだ」

「ハッ」

 タニアが姿勢を崩すが、傍からは全く気を休めているようには見えない。上官はやれやれと目を瞑りながら肩をすくめ、持っていたファイルを机の上に置く。

「君の華々しい経歴は見せてもらったよ。第二回と三回のモンドグロッソ連続優勝、ついた称号は『ソグン』か。IS適性がSクラスというのは、世界でもほんの一握りの才能だ。そんな有能な人材が、今は新人のIS指導教官を務めている。人事担当は、一体なにを考えているのだろうね? 本当は階級も左官クラスでおかしくないのに、辞退して今の階級にいると」

「役職に関しましては、私が望んで配属させて頂いたものです」

 世界中にIS操縦者がいる。その中でも最高ランクに位置する者達がいる。タニアはその一人であり、ソグンの名を関していた。ソグンは沈黙の戦女神を示し、彼女の性格に因んで名付けられているもの。もう一つ、彼女には揶揄的な別名が存在する。

 『不遇の一位』。この字名はタニアが優勝を目前にした決勝戦で、対戦相手が棄権したことに由来していた。当時のドイツで行われた第二回大会で棄権したのは、ブリュンヒルデの称号を冠した女性だ。これ以来、本来ある実力が測れずじまい。新たな世界最強に相応しい人物なのか、常に猜疑の目を向けられてしまう。前一位が幕を引き、その後連続の優勝をしても状況は変わらない。それ程にブリュンヒルデの実力は圧倒的だった。

 周りに、自身に興冷めしたのか、居た堪れなくなったのか、道化のように感じたのか。違う、多分だが好敵手がいないことに物足りなくなったのだろう。だから不戦勝の第二回の後で第三回に挑戦したが、結局何も充実感が得られなかった。そして現役引退を決意した。

 上官が咳払いを一つ、喉を整えだす。

「任務を言い渡す。君にしか出来ない過酷なものだ」

「ハッ」

 タニアが敬礼し、姿勢を正していく。

「任務は太平洋側から飛来する可能性がある、敵ISの殲滅となる」

「敵、ISですか……?」

 タニアが眉を顰め、目付きを鋭くした。余りに突飛な内容のため怪訝な見方となってしまう。ISが兵器としての役割は、各国間の抑止力としてが大前提であり常識。今の思考性は理由として、充分に成り立つものだった。それがなぜ、攻めとして使用されるのか。

 ――――『開戦』。不吉な二文字が脳裏を過ぎった。

「そうだね。任務は極秘のものとなる。ISは敵と敵搭乗ISのコアまで含め、完全に破壊してもらう。隠蔽、死体回収等は別部隊が行うことになっている。作戦の指揮はアスティンだ」

「アスティン参謀ですか?」

「ああ、そうだ。そして君にも手土産がある」

 ジャスパーが顎を摩り、胸の内ポケットからブローチを取り出す。十字にヘキサグラムの重なったようなデザインがされており、宗教上であれば問題視されかねない代物だった。

 このブローチが何かを知っていたタニアの下睫毛が反応し動く。

「本物だよ。わざわざ凍結されていたものを復帰させてね。これで敵を殲滅してほしい」

 銀の福音のIS待機状態アクセサリーが、歪に輝いた。

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