[ NumberingTitle_リンゴナ少女 ]
まるで人気がなく、空調が一定に管理された通路は薄暗い。数個ほどある小さな窓から外の天気を覗くことはできなかった。見えるのは閉ざされ使用されていない暗い室内が確認できるのみだ。
その中で壁がガラス張りの目立つ設備があり、今は色が反転するようにして明かりが点灯していた。IS学園には地下特別区画と呼ばれている、外部から秘匿された場所が存在する。部屋の中央にはISスーツを着た篠ノ乃 箒が立ち、脇では職員である山田 真耶が真剣な表情で彼女を見守っていた。
「良いですか、篠ノ乃さん。ISの挙動にほんの少しでも違和感をもったら、直ぐに展開を解除してください」
「……はい」
元気のない返事をする箒に心の余裕はない。先ほどインドであった忌わしい出来事が原因だ。帰国してからは引きずられるままに生きているような、ここ最近では時々に喉のむせ返る感覚が辛くてどうしようもない。前方を見れば誰も乗っていない、無人の訓練用ラファール・リヴァイヴが展開されている。
「篠ノ乃さん、紅椿を展開してください」
ビクリと、恐怖感から肩を震わせてしまう。決して拭えない記憶が脳裏に焼きついていて離れない。普段であれば根性が足りない、精進が足りないと鼻で笑い飛ばし一蹴することができる。だが、重く圧し掛かる現実が衰弱中の心根を侵食していた。
駄目だと、目を閉じ唇を強く結ぶ。己を鼓舞し、再び眠る意思を奮い立たせる。
「承知しました」
ここまで思考して意を決し、ISを展開する。
赤黒い、普段とは変色した装甲の機体が出現した。暴走した状態から全く変わっていない、鈍く反射する黒緋椿の姿だけがある。真耶が歩き出し、リヴァイヴの前で立ち止まる。ここまではいつも通りことが進んでいた。
問題はこの先で待ち構えている。
「準備は良いですか?」
ゆっくりと慎重に手を上げて、リヴァイヴの装甲に対して翳すように手を開く。箒は無言のまま頷きをもって肯定を返す。
「では、調査を開始します」
手をついてリヴァイヴを起動させた瞬間、強烈な機械の軋み出す音が発生しだす。黒緋椿が箒の意思と関係なく武装を展開した。リヴァイヴの機体から警告音が鳴り響く。
「駄目だ、紅椿っ!!」
箒が言葉を吐き捨てるように叫び、必死に暴走を抑え込もうとする。だが、それも長くは持たない。完全に制御の主導権が奪われてしまい、されるがままに体が動いてしまう。
片手から展開された雨月が振り上げられる。
ここまできて、真耶がすっとリヴァイヴの装甲から手を離した。起動しているISが一機だけになると、黒緋椿の暴走も嘘のように収まっていく。やがて完全に落ち着くと、何事もなかったかのように静かに稼動しているだけとなった。
「篠ノ乃さん、ISの展開を解除してください」
「はい」
真耶が静かに告げると、箒は小さく声を出してISを粒子化させた。そして、最後の稼動調査が終了を告げた。既に二回、箒は今の状態を繰り返している。今回で三度目となる報告は、無常にも悲惨な結果を迎えただけだった。
計測用に稼動していた装置の画面には『分析不能』の文字が躍っている。
真耶は読み取っていた目を背けて箒の肩に手を置くと、首を横に振って残念な表情を作る。
「私が不甲斐ないばかりに、ごめんなさい。暴走の原因が解決できないために、現時点をもってISの展開を完全凍結します。今後は委員会からの通達があるまで、学園側での管理扱としますね」
箒が自身の腕からIS待機状態アクセサリーを外す。遠い異国の地で心の半身をもがれていた。そして、今まで身に付けていたISという半身をも失った。
全てを失った私は私はどこへ行くのだろうと、虚ろな目で真耶を見る。上から落とすようにして、紅椿のアクセサリーが垂れ落ちていく。
視線を動かして壁に埋め込まれているデジタル時計を確認する。大好きな一夏との約束した時間までには、まだ幾分かの余裕があった。
◇
織斑一夏は、焦燥感を漂わせていた。指定した時間になっても、幼馴染である篠ノ之箒が待ち合わせ場所に来ないからだ。
左腕に装着している腕時計をチラチラと見ては、駅改札口を確認する。腕時計だけでは信じられないのか、駅前に設置してある大きな時計でも確認し、待ち合わせの時間から十分程経過していることがわかった。腕時計の時間も同じ時刻を表示していた。時間がずれていないことがわかった。
「珍しいな、箒が待ち合わせに遅刻するなんて……」と愚痴を零すように小声を吐く。
◇
篠ノ之箒は、この世の終わりの宣告を聞いてしまったような深刻な顔つきになっていた。要するに遅刻していることへの罪悪感に苛まれているのだ。
紅椿暴走の一件以来、自分でも元気がないことは百も承知で、浮ついた気持ちで日々の生活を送ってはいけないと、自分勝手に思い込んでいる。しかし、想い人である一夏のことを思うと胸が弾まない訳が無い。その上、自宅への招待だ。これを喜ばずしていつ喜ぶというのだろうか。
電車のトラブルで遅延している現状に、少々苛立ちを隠せない箒だが、その嬉々とした感情が高まれば高まる程、比例するように罪悪感が浸食してくる。自分の感情とかけ離れた行動、総てを破壊してしまう程の強大な力。そして、姉である篠ノ之束への復讐にも似た感情。それらが凝縮して箒を蝕んでいるのだ。
細い右腕を胸の辺りに持ってきて、目を瞑り、深く呼吸をする。こんな複雑な感情のまま一夏に会うのは失礼だ。一夏のことだ。私を慰めようとするために、自宅へ招待したに決まっている。一夏は昔から優しい男だ。と胸中で呟く。
そんな自問自答を繰り返していると、目的の駅に到着したことを告げるアナウンスが車中に響く。
「……あっ」
箒は車窓から一夏が待ち合わせ場所にいることを確認した。いつもよりも心臓が早く鼓動しているように思える。それは何を意味しているのか、箒自身でもわかっていなかった。
◇
「すまん! 電車が遅れてしまって……待たせてしまった……よな?」
最敬礼の角度を維持しながら、侍よろしく謝罪の言葉を大きな声で一夏にぶつけていた。
「そんなに気にするなよ、箒。こうして無事に来てくれたことが本当に嬉しいんだからさ」と屈託の無い笑顔を箒に向ける。嗚呼、なんて優しいんだろう。と箒は思った。
挨拶もそこそこに、早速二人は一夏の自宅へと歩みを進めた。
◇
「お、お邪魔しま……す」
「何そんなに緊張してるんだ? 早く上がれよ」
頬が紅潮している箒は、まともに一夏の顔を見る事ができずにいた。一方、一夏は学園で"朴念仁"と陰で渾名を付けられているだけあって、そんな箒の微妙な変化に気付かずにいた。
箒は「う、うむ」と咳払いのような返事をするのが精一杯であった。
リビングは相変わらず綺麗に整頓されていた。部屋を見渡しても塵一つも落ちていないのではないかと思ってしまう程、掃除が行き届いている。フローリングの床は、しっかりとワックスが塗られているのか、反射する太陽光が眩しい。
「えっと、麦茶でいいか?」
一夏は頭をぼりぼりと掻く。少し困ったような表情をしている。箒を慰めるために招待したはずなのだが、いざ本人を目の前にすると何と声を掛ければいいのか判然としていないのだ。
「あ、あぁ……麦茶がちょうど飲みたかったのだ。ありがとう」
今までのように接する事ができない二人。喧嘩をしたわけでもないのに、どうして……? と互いに思っているところが、実に嘆かわしい。外を見れば澄み渡った空が広がっていた。
「箒」
一夏は意を決したような面持ちで、箒の名前を呼んだ。
「なんだ?」といつもの調子で応えたが、一夏の表情を見て、胸の高鳴りを感じた。キラキラと澄んだ綺麗な瞳で、一直線に箒を見つめている。箒は居たたまれなくなり、すっと目を逸らした。一夏は一歩、箒の方へ距離を詰める。
「い、言いたい事があるのなら、はっきりとだな……」と序盤の言葉には強さがあったが、後半に差し掛かってくる当たりで言い淀んでいる。それだけ一夏の瞳には力があった。頬を紅潮させ、唇をモジモジとさせている。一体何を私に伝えようとしてるのだろうか? いつも周りにいる鈴や簪はいない。誰もいない、この二人きりの状況が、今更になって恐怖へと変化していた。
一夏の方へ視線を向けると、相も変わらず力強い視線を箒へ向けていた。箒の背中には大量の汗が吹き出ていた。緊張も最高潮を迎え、仕舞いには失神してしまうかもしれない程、心臓の鼓動が早く脈打っていた。
一夏の口が静かに開こうとしていた。箒は覚悟しきれていない心境で、目を閉じ、耳だけを集中させた。
「今夜」
今夜!? 今夜何があるというのだ? 私たちは未だ学生の身分。そ、そんな破廉恥な真似をしては、学内の風紀を乱すだけだ。ダメだ。ダメだぞ、一夏!!
「夕飯食って行けよ」
「…………は?」
箒は茫然自失といった具合で、一夏が何を言ったのかを反芻させた。しかし、いまいち理解に苦しんだといった顔付きである。
「いや、だから今夜、夕飯食って行けよって言ったんだよ。味に保証はできないけど、俺が作るからさ」
一夏の顔は、満足そうに、まるで玩具を買ってもらった幼児のような無邪気な笑顔だった。方や箒は、わなわなと身体を震わせていた。
夕食を食べて行けという台詞を言うのに、どうしてあんな表情をするのだっ!? 期待してしまったではないか。いやいや、期待って何を期待していたのだ? 剣の道を志す者として、そんな破廉恥な妄想などする訳が無いではないかっ! と箒の心は滅茶苦茶である。
「そ、そうだな。折角の言葉だ。その言葉に甘えさせてもらう事としよう。うむ!」と無駄に気合いの入った返事をした。しかし、その表情にはバレているのでは? という焦りからか、表情を強ばらせていた。
◇
「悪い。結局、箒に殆ど作らせちまったな」
食卓には、色とりどりの料理が並べられていた。
「私は作ってもらうよりも、作る方が好きなだけだ。気にする事ではないさ」
箒は一夏の好きな唐揚げをメインに、様々な料理を作って食卓に並べていた。一夏はその景色に感動すら覚えていた。
ぎゅるるるる~。と一夏の腹の虫が鳴く。その音を聞いた二人は、見つめ合い、軽く笑った。
「冷めないうち食べてしまおう」と箒が提案すると、遠くの方で玄関の開く音が聞こえた。足音がこちらへ近づいてくる。リビングの扉が開くと、そこには家主である千冬が威風堂々と立っていた。不精とした表情を箒へ向け「篠ノ之」と学園と同じ調子で声を掛けてきた。
「はいっ!」
「ちょっとこっちへ来い」
「……はい」
一夏の自宅に来てまで説教ではないと思うが、一体何を言われるのだろうか? と箒は思案した。千冬は耳打ちで静かに、そして小さな声で箒へ一言伝える。
「まだ早い」
そう伝えると、千冬は一夏の方へ歩みを進めた。箒はこの言葉の意味がまるで理解することができず、何の事なのか? と終始頭を悩ませる事になる。
「おかえり、千冬姉。今日は早かったね」
「予定していたことが無くなったからな。たまには早く帰って、ねずみ退治でもしようかと思ってな」
「ねずみ退治? うちでねずみなんて出たっけか?」
「阿呆」と一言だけ口にし、冷蔵庫を開け、ゴソゴソと何かを探している。冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、速い動作でプルタブを開けてゴクゴクと飲み始めた。
「あっ! 千冬姉! 先にうがいと手洗いをしろよ」
「アルコール消毒だ」
「また訳の分からない事を……」
一夏は呆れ返っていた。
「なんだ、晩酌の準備ができているではないか。篠ノ之が作ったのか?」
「え? あ、はい!」
「胃袋を捕まえろ。か……」とぼそっと囁く。
「いや……いやいやいや! 違います! 今日は一夏に招待されただけです!」
赤面しながら両手を顔の前でブンブンと激しく揺らしている。そのあからさまな姿は、千冬にとっては滑稽な様子であったようで、ふふんと嘲ら笑っていた。
「なんでもいいから、早く飯にしようぜ。御馳走を目の前にしてお預けくらっているのは、正直言って辛いぞ」
「あ、あぁ。そうだな。千冬さんもご一緒にどうぞ」
「ご一緒も何も、私は最初から食べる気でいたぞ」
三人は食卓を囲み、食事を始めた。
「んー! うまい! 箒の唐揚げはやっぱ最高だな!」
屈託の無い笑顔が、箒にとっては最高の褒め言葉であった。そんな一夏の表情が箒には眩しく映った。
「赤面しているところ悪いが、一夏。冷蔵庫からビールを持ってこい」
「はいはい」
すくっと立ち上がり、冷蔵庫に向かう一夏。ここぞとばかりに千冬が悪魔の権化と言わんばかりの冷笑を浮かべる。箒はそんな千冬の表情に恐怖を覚えた。
「篠ノ之」と千冬は耳打ちをするような小声で箒に声を掛けた
「は、はいっ!」
「お前はあの朴念仁のどこに惚れ込んだんだ?」
「えっ? えっ!?」
「年頃の女性だ。恋愛事にとやかく言う気はさらさら無い。しかしな、私の弟を強奪するというのならば話は別だ」
「ご、強奪って……」
狼狽える箒。口の両端が異様な程つり上がっているように見える千冬の表情は、夢に出てきてしまうのではないだろうかと考えてしまう表情だ。冷や汗が止まらない。
「千冬姉。ビール持ってきたよ」
「一夏。もう一つ持ってこい」
「一気に二本も飲む気か? いくらなんでも飲み過ぎだろ……」
「いや、今夜は晩酌に付き合ってもらう」
「……あのー、ここにいるのは未成年ですよ?」
「お前はいつから姉に口答えできるようになった?」
「…………はぁ、わかりました。とりあえずもう一本持ってきます」
もう一度、冷蔵庫にビールを取りに戻った一夏。今からこの場は、千冬の独壇場になったことを悟った箒は、小さく溜め息を吐き、今夜は千冬の良い玩具だなと理解し、諦めた。
◇
「いい飲みっぷりだな。篠ノ之、お前は本当に酒を常用していないのか?」
「千冬さん、している訳ないじゃないですか。私は未成年ですよぉ?」
「昨今の未成年というのは、そんな細かい事を気にしないだろう。こう、いろいろと乱れているではないか」
「ちょっと、千冬姉。飲み過ぎだって」
「一夏」
「な、何?」
「お前だけ飲んでいないというのはどうなんだ? IS学園で二人しか存在しない男子生徒の片割れ……あの阿呆の名前、なんだったか?」
「善久の名前を忘れるなよ……」
「市隈は酒を飲むし、煙草飲みだ。今まで沢山の生徒を持ってきたが、あんな傍若無人を謳歌している若人は初めて受け持った。潰し甲斐のあるやつだ」
「潰すって……」
呆れ返っている一夏の反し、箒は呵々と笑っていた。もうどうにもならない状況まで落ちているなと一夏は感じた。
「それで、同室の誼《よし》みだ。煙草はともかく、酒は呑んでいるだろう?」
「学園で呑む訳がないでしょう!」
「はっはっはっ! そう怒るな。軽い冗談だ」
「千冬姉の場合、冗談でも冗談に聞こえないのが凄いよな」
そんなやり取りをしていると、一夏は背中に気配を感じ取った。今までに感じた事の無い、何とも言えない気配を。それは次第に一夏の背中に近づく。恐怖映画さながら、音も無くするすると近づいてくるそれから逃避を計るべく、IS学園で鍛えた身体能力で跳躍を試みる。しかし、それは実行に移される事無く、身体を閉め固められた。
「ぐっ!」
この異様なまでな拘束力。腰に手錠を巻かれているのではないかと思える程の窮屈さ。何が腰に巻いているのか、急いで確認を試みた。しかし、その腰に巻かれているそれは、徐々に胸の方へと上がってくる。すると、腰に何やら柔らかい大きな二つの感触が。
「ほう」と千冬は嘲笑している。一夏は「えっ? な、なに?」と狼狽え、箒は一夏に纏わり付くように抱きしめていた。酒池肉林とまではいかないが、実に愉快な晩酌となっている。
「ほ、箒さん? 俺の背中に何か当たっているのですが」
「ふふふ……ふふふふふふふふふふふふふふふふふ」と不気味な笑いが部屋を谺している。
すると、次第にその拘束力は弱まってきた。背中からは安らぎに満ちた寝息が聞こえる。一夏は静かに振り返る。箒はとても幸福そうな顔をしながら眠っていた。
「……寝てる?」
一夏は箒に問いかける。しかし、返事は無い。どうやら熟睡しているようだ。
「そんなところで眠り耄けてもらっても邪魔だ。お前の部屋にでも寝かせておけ」
憮然と千冬は口にした。そんなことを言われても、そうすると俺は一体どこで寝ればいいというのだ? という考えに至ったが、ソファーにでも寝ればいいかと答えを導きだした。
「わかりました。俺の部屋にでも連れて行って、ベッドに寝かしつけます」
偉く丁寧な口調をした後、一夏はゆっくりと箒を持ち上げた。日頃、IS学園で鍛えているから、なんて事は無い。
「じゃあ、行ってくる」
「変な事するなよ」
「しない!!」
箒を起こさぬよう、一夏は慎重に歩く。
◇
ベッドに箒を静かに横に置く。とても気持ち良さそうに眠っている。一夏は起こさぬよう、部屋から出ようとする。
「こうして見ると、箒も大人になったよなあ」
朴念仁の発言とは思えない。本人が聞いていたら、きっとISを部分展開して部屋を滅茶苦茶にしていたに違いない。それほどの破壊力がある発言だ。
「しかし、こうしてじっくりと箒の顔を見た事が無かったなあ」
これまた大変な発言をした。起きていたならば、確実にISを全展開しているに違いないであろう。しかし、今現在の箒にISの携帯は許可されていない。ある意味では命拾いをしたのだろう。
しばらく無音の部屋にいた一夏は、部屋を出た。さて、今夜はソファーで一夜を明かす事にするか。などと思っていると、自室から何か呻《うめ》くような声がする。一夏は自室の部屋を開けると、先ほどまで寝ていたはずの箒がベッドに座っていた。箒は慟哭していた。
「あぁぁ……うあぁぁぁ……」
声にならない声をあげている。一夏は箒の元へ走るようにして近づく。
「どうした? 何がそんなに悲しいんだ?」
箒の顔を覗くようにして、一夏は優しく声を掛けた。
「わ、私は……私は……」
ぼろぼろと涙が止めどなく零れてくる。箒の視点はどこに定まっているのか判然としない。混乱に混乱が重なっており、まるで暗闇の空間に一人きりのようであった。一夏はそれを察し、箒の背中に手を軽く添えた。
「うん? どうした?」
「私は……罪深い」
一瞬、意味が理解できなかったが、インドでの出来事だとわかると、より一層優しく努めた。
「どうしてそんなことを言うんだ? 箒は何も悪い事をしていないじゃないか」
「悪い事をしていない!? あんな……あんなことをして、どこが悪くないというのだ!?」
「落ち着……」
「落ち着ける訳がないであろう! 私は、人を殺そうとしていたのだぞ? ISを破壊しようとしていた……無意識での行動とはいえ、私が行ったことに変わりはない。それなのに、どうして誰も責めない!? どうして優しくする! どうして……どうして……どうして、私は姉と姉妹なのだ……!!」
箒の叫びは、一夏に深く刺さった。鋭利な刃物で胸を突き抜かれたような程の鋭い痛みだ。何か言おうとするが、なんて声を掛ければいいのかわからなかった。一夏は箒の顔を直視できなくなった。こんなに苦しんでいる箒を、俺は軽視していた。一緒にいれば気が紛れると思っていた。こんな風に考えていた自分が恥ずかしくなった。
箒の慟哭は止まらない。家中に箒の叫び声が谺しており、千冬ももちろん気付いていた。一夏の部屋の前まで行くが、入室することはできなかった。いや、許されなかった。
「箒」
「……なんだ?」
「俺は正直、箒の悩みを軽視してた」
「……どういうことだ?」
「ここまで思い悩んでいたとは思わなかったんだ。皆と居れば気が紛れるだろう。皆と共に過ごしている時間が長ければ、少しは忘れられるだろうと思っていた。でも違った。ごめんな」
一夏の肩は震えていた。それは同情ではなく、自身の身勝手な考え方による悔しさである。一夏は決心した。涙で潤んだ瞳に構う事無く、箒を直視した。
「箒。一緒に悩もう。一緒に乗り越えよう。一緒に勝とう。一緒に束さんに挑もう。ずっと、ずっと一緒だ」
その言葉と一夏の顔を見た箒は、悲しみに溢れていた感情は徐々に歓喜へと変化していった。一夏が私を真剣に考えてくれている。こんなに涙する程、私の事で悩んでくれた。それがただただ嬉しかった。
「ありがとう……ありがとう……」
掠れた声で、一夏に礼を言うと、今度は嬉しさのあまりに涙がぼろぼろと零れた。そんな二人のやり取りを傍観していた千冬は、静かに立ち去った。
一夏は箒を強く抱きしめた。力一杯に抱きしめた。ここで手を離してしまっては一生後悔する。そんな想いで抱きしめていた。
時刻は、零時を指そうとしていた。