ln   作:kiarina

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[ NumberingTitle_グダグダナ少女 ]

 

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 夏真っ盛りの日、生徒会室から大音量の悲鳴が聞こえてくる。機嫌よく部屋に入った楯無が、顔を蒼くして天高くへと飛び上がった。全長で一五センチほどの生物に恐怖し、高い棚へとしがみつく。

 ガタガタと鳴る音は、本人の揺れる体に棚のガラス戸が反応したものだ。

「アンッ♪」

 可愛い鳴き声に反して鳥肌が浮きだし、涙目ながらに訴えだす。

「なにっ!? な、なんで、い、い、犬がここにいるの!?」

「子犬です、可愛いじゃないですか。噛んだりなんてしませんし、大丈夫ですよ?」

「会長、指をささないで下さい。この子に失礼です」

 雑種の子犬がハッハッと、尻尾を振って喜んでいる。一夏が苦笑いし、イェレナが持ち上げて頭を撫で回す。本音がにこにことして楽しそうにし、作業中で遠巻きに観ていたミアが唖然としていた。

「やめて、今すぐに部屋から追い出して!」

 もしくは自身が退出すればいいのだが、猫のようにじっとしているのが精一杯だ。裏返ってしまった声で叫ぶが、誰も取り合ってはくれない。

「せめて私のいないところに持って行って!」

 本気で訴えてみるが、ここに味方はいないらしい。心なしか一夏が少し嬉しそうに見えるのを見逃さなかった。よしと、楯無は犬をおっぱらったら一番最初に弄り倒してやろうと決める。イェレナが子犬を抱きかかえながら、よちよちと手を掴んで楯無の方を向く。

「今朝方《けさがた》、学園内をうろついていると生徒から報告がありまして。よって、私とミア先輩で保護しました。首輪もなく野良のようですし、一時的にではありますが生徒会室へという運びになった次第です」

「イエティちゃん、謀ったわね!」

「謀ってませんし、私の名前をわざと間違えないでください」

 イェレナが少しムッとなるが、直ぐにまた黒い微笑《ほほえみ》を称えだす。ここでの環境下で鍛えられたのだろうと、一夏は本人がミニ楯無になりだしているのを理解していく。目を丸くして驚いていたミアが、とりあえず喉を整えて話を繋ぐ。

「このまま行けば、間違いなく保健所いきとなります。それも可哀想なので、貰い手を捜そうと掲示物を作成中なのですが――

「嫌よ! 見つかるまで生徒会で預かるなんて、私は絶対に認めないわっ!! 大体、これには学園長の許可も必要よ!?」

 先の言動を読みきると、ミアに最後まで言わせない。生徒会長権限を行使してでも阻止してやると、楯無は猫が毛を逆立てたかのように怒っていた。本音がいつものように手先の出ていない袖を振って答える。

「あ~、それなら~大丈夫ですー。許可ならおりむーが~、もう取ってま~す」

 楯無が今日一番の睨みを利かせ、一夏が怯みだし二歩ほど後退する。あとで覚えてなさいよと無言の圧力を与えた。無力の男子生徒にいくら影響を与えたところで、状況が好転することもなくただの虚しい行為でしかない。本来であれば一夏を操縦してことを運ぶのだが、今の本人には全くその余裕がなかった。だからこそ半分以上に地が出ている部分もある。

 イェレナが持っていたメモを読み上げた。

「ペット用の柵と餌とお皿、簡単な玩具となるものを揃えるので決済をお願いします。既に他のメンバーからは許可を頂いてますので、後は会長だけとなりますね」

「私は決済のサインなんてしないわよ!」

「では布仏先輩、会長のサインを偽造してください」

「は~い、まっかーされた~」

 楯無が目にも留まらぬ速さで机の上にある書類を奪おうとした瞬間、イェレナが子犬を抱きかかえたまま道を塞ぐ。

「甘いわ!」

 もはや余裕も限界に達していたらしい。普段は口頭で注意すべき側が、ISである霧纏の淑女《ミステリアス・レイディ》の部分展開に当たるアクアクリスタルを出現させだす。そのままクリスタルを踏みつけて空中ダッシュしていくと、机にある申請書類を鷲掴みしきった。目を血走らせながら窓を開け放ち、忍者のように飛び降りていく。アクロバティックな退散劇は、部屋の中にいた全員を驚嘆させる。

 一拍おいてミアが何事もなかったかのように、机から一枚の決済用紙を取り出す。

「学園長に、もう一枚だけサインをお願いしておいて正解だったわね」

「普段であれば、会長でも予想できたでしょうけれど。今は気が動転していますから、目の前のことしか見えていないのでしょう」

 楯無が不在の中で、淡々と作業が進んでいく。子犬を本音が受け取ると、イェレナが買出しに行くといって部屋を出ようとする。

「荷物もちが必要だろ、俺がついていくよ」

「一夏くんでは駄目ね。待ち伏せされた会長に会ったら、直ぐに懐柔されてしまうでしょう。領収書を添付して決済書が保管されるまでは、この部屋以外が安全ではないわ」

 一夏が笑顔で気を利かせ、ミアが待ったをかけた。ISを展開しないでも強い楯無のことだ、きっとどこかで網を張って待ち構えているだろう。イェレナがどうしたものかと考え込む。単独で外出した場合、まず楯無に押さえ込まれることは明白だ。一人で行動するには厳しいと、軽くため息をついた。ざっと見回してみても、戦力になる人間は一人くらいだろうか。

「じゃあ、ミア先輩が同行するのですか?」

「いるじゃない、もう一人。生徒会ではないけれど、会長並みに心が捻くれているのが。奴だったら、嬉々として会長虐めに加わるはずよ」

 「どうせ引き篭もり体質なんだから、今日はベッドで包まって寝てるでしょ」と、ミアがあきれ口調で呟く。このIS学園内で普段からアクティブでない生徒は、極一部に限られていた。日差しが強いほど穴倉に籠もり、北風と太陽の話に反逆する人物がいる。ミアはそんな普段から目つきの悪い青年の額に、思い切り白羽の矢を突き立てた。

 

     ◇

 

 学園からモノレールに乗って、一番近い海辺のアウトレットモールに到着する。買出しメンバーの三人が電車内からホームへと足を踏み出す。一人は慎ましく、一人はごく普通に、最後の一人は最初からやる気がない。両手を制服のポケットに突っ込むと、嫌々そうな顔でイェレナに話しかける。

「たく。なんでこんなカンカン照りの中で、買い物なんて付き合わなきゃいけないんだよ……」

「チビ先輩を指名したのは私ではありませんので、こちらにあたられても困ります」

「あのさぁイェティ、なんで俺の呼び名が悪口なの?」

「私より背が外低いのですから、悪口には該当しませんね。チビ先輩の仰られている方が、私へのパワーハラスメントとしか思えませんが?」

「お前って北国生活が主流なんだろ? だったら早く帰国して、南極にでも飛びたてよ。アザラシを仕留めたら記念写真でも送ってくれや」

 生徒会に召喚された喜久が、イェレナに文句を垂れまくる。喧嘩腰の状態を見かねて仲裁に入るのは、急遽として同じように呼び出された五反田 蘭だ。

「イェレナも市隈先輩も、落ち着いてください。そうやっていると余計に体温があがっちゃいますよ? 私も付き合いますから、手早く済ませて学園へ帰宅しましょう」

 なんとか宥めようと、気を配って目上を立ててみる。喜久は軽くため息をつくと、「しょうがねぇな」と言って渋々の承知をした。だが、腹の底では全く怒りが収まっていない。

 ここに来るまでの道中に、電車の中で一連の事情は説明されていた。だが、そこにも彼の納得がいかない理由が存在する。

「大体、なんで俺がお前らの思惑に加担しなきゃいけないんだよ。確かに一夏じゃ、あの更識相手だと骨抜きにされそうだけどな。だからって、なんで消去法で俺なわけ?」

「それはミア先輩に直接聞かれてみては?」

「あれと会ってみろよ、どうみても三秒後にはリアルファイトだ。それができないから、今聞いてんだよ」

 蘭は女性と男性が壮絶に喧嘩する様を思い浮かべ、容赦のない喜久に少し引く。背丈は三人の中で一番低いが、凶暴性と筋力は明らかに一番上だ。

 イェレナが指を顎の辺りに当てて思考しだす。直ぐに答えが出たらしく、適当な口調であしらうように言う。

「私が嫌がらせをしたように、ミア先輩も単なる嫌がらせをしたかったのでは?」

「生徒会って、ボスを筆頭に頭のおかしいのが多いんだな」

「会長に関していえば、特に否定する理由はありませんね」

 イェレナがさらっと会話を流し、蘭がこの刺々しい会話がいつまで続くのだろうとげんなりする。喜久が話の内容に区切りをつけて、二人の少女へと交互に指をさす。

「さっきから気になってんだけど。なんで二人は暑がらないし、汗かいてないん?」

「許可もなく女性を根目回すなんて変態ですね。近寄らないでください」

「こんな三五度以上ありそうな気温の中で、気にならない方がおかしいだろ。周りを見渡してみても、日焼け止め対策をしてないのって、あんたらだけよ?」

 行きかう通行人は、皆一様に水分補給や体に浮き出る玉のような汗をハンカチで拭う。女性は日傘にアームカバーをしている。そこに涼しい顔をして暑さを感じず平然と歩く二人組みの少女たち。

 これでおかしいと思わないほうが不思議だ。目ざとい、意外と侮れない観察眼をしているとイェレナが内心で爪を噛む。

「ああ、それはですね。イェレナが、むも!?」

「おほほ、なんでもありません」

 蘭の口が素早く塞がれる。イェレナがISを一部分だけ無断展開し、自身と蘭の周りのみ大気制御していることを喜久は知らない。イタリアの第三世代機であるテンペスタⅡは、大気を制御できる武装でその身を固めている。

 非戦闘用で贅沢に応用すれば、降り注ぐ日差しの紫外線角度を捻じ曲げることができる。さらにこれは空気の温度調節も、大気中の成分を弄ることもできる芸達者な機能だった。だが、この便利な傘に喜久を入れる気は毛頭ない。

 イェレナは小声で蘭に注意喚起する。

「蘭、是が非でも私はあの人に施しをする気がないの」

「でも、もろに疑われてるよ。少しくらい入れてあげても良いと思うんだけど?」

「それでもよ。せめてあの憎まれ口が消えない限りは、一秒たりともこちらの領域へ入れる気はないわ」

 二人して喜久のほうを向く。イェレナが取り込んですいませんと喋ろうとするが、

【自身の体表から数センチに見えない膜を張って、大気を制御しているのよ。イタリアのテンペスタⅡなら可能な技術ね】

「あぁはいはい、なるほどね。通りで涼しいほどに澄まし顔なわけだわ」

 件《くだん》の人間はティアーニから種明かしの知恵を授かっていた。

 なんだあれはと、声の出るアナログ時計と話し合いする姿にイェレナが驚愕する。説明を聞き終えた喜久が、二人のもとへと近づいてくる。すると、とても嬉しそうにして規則違反者の頭へと汗ばんだ手を置く。

「なあ、街中での無断展開って、謹慎一週間が妥当なのか? ああ、なんか不自然に手が冷えるな、風邪でもひいたか」

「さあ、なんのことでしょうか?」

「苦しい言い訳って辛いよな。どうせ部分展開も、人間の目で可視化できないように光を捻じ曲げてるだけなんだろ?」

「展開していません……」

「さっきから手に輪っか作って、一体なに握ってんの?」

「最近こういった御呪《おなじな》いが流行ってるらしく。私も真似てみようかと……」

「そんなん聞いたことねぇよ、いい加減に諦めろ」

 がっくりと肩を落とすイェレナに、蘭が気の毒そうな顔をして理解した。そうか、この先輩は利便性よりも弱みとして利用するのかと。

 

     ◇

 

 物陰にこっそり隠れているというよりは、軽い食事を楽しんでいるように見えた。テラスのある二階から階下を見下ろしながら、三人の女性が各々注文していた飲み物を口に運ぶ。

 私服を着た楯無が手でサングラスをずらす。眉根とプラスティックフレームの間から覗く目は真剣そのものだ。

「来たわね。いいかしら、今回のターゲットはあの三人。なんとしてもペットショップへ入るのを阻止するのよ」

「確かに喜久さんが、他の女子と一緒に歩いているというのは見過ごせませんが……」

「邪魔をするにしても、理由がちょっと……」

 ねぇと、二人は気まずそうにしながら互いに顔を見合わせる。

「聞いてちょうだいセシリアちゃん、シャルロットちゃん。私としても、もちろん無償奉仕でなんて虫のいいことは言わないわ。今回の成功報酬には、素敵な特典を付けましょう」

 どれだけのだと疑問を浮かべる二人に対し、楯無が隠しておいた切り札のカードを置く。テーブルの真ん中に置かれたのは一枚の書類だった。何の変哲もない紙媒体の書類だが、中身は水戸黄門の印籠並に威力を発揮する。

 『居住部屋変更手続き届け』なるものには、提出者の空欄がある以外は全て埋まっていた。既に必要な印鑑は押されており、なによりも融通の利かない恐怖の代名詞たる千冬のものまである。

「去年、亡国企業の襲撃を察知した際に作っておいたものの予備よ。私もあと一枚しかもっていないから、いつでも使用できるようにとっておいたの。一夏くんと三人での共同生活にはなるけれど、よっちゃんと一つ屋根の下で一緒に過ごせるわよ?」

 「どう、欲しい?」と、楯無しが左右へゆっくりと持ち上げた紙を移動させてみる。セシリアとシャルロットが、気づかない内に目を同じようにして追従させていた。答えは聞くまでもないようだ。

「やります」

「やらさせていただきますわ」

 二人は互いに力強く握手を交わし、是が非でも今回の試練を成し遂げると誓い合う。扇子で口元を隠す楯無が静かに口端を吊り上げ、後ろにはにょっきりと悪魔の尻尾を生やして小振りにしている。よろしいと意気込むようにして、扇子を打ち鳴らしてから閉じた。

「そういうわけで、これから一人一人を個別に分離させていきましょう。モールから引き剥がして買い物を中断させれば、学園内に犬を置いておくことができなくなるわ」

「具体的に、僕とセシリアはなにをすれば良いんですか?」

 まあ見ていなさいと、楯無は薄い笑いを称える。何の変哲もない携帯電話を開くが、相手の画面に出る番号は偽装された別のものになる仕組みを備えている。標的を定め、誰かに電話をかけだす。

 呼び出し中にアクアクリスタルを展開し、空中に水の玉を形成していく。浮かんでいる一口大を口の中に飲み込むと、声の調子を整えだす。

 まるでボイスチェンジャーのように声質が変化し、最後は全く違う他人の声に成りすました。電話の向こうにいた相手は、何も気づかずに電話へと出る。

『はい。どうしました一夏さん?』

「ああ、忙しいときにごめんな。買い物に付き合ってもらってるんだって?」

『そうなんですよ~。イェレナの手伝いで、わんちゃんの必要なものを一緒に選んで欲しいっていわれてっ♪』

 わんちゃんという言葉に楯無の体が反応して、腕にぶわりと鳥肌が走る。どれだけ犬嫌いなんだと、シャルロットは苦笑いしかできない。電話の向こうから嬉しくはしゃぐ蘭の声が響いてくる。

「悪いけど学園で蘭の呼び出しがあってさ、千冬姉がっと。間違えた、織斑先生が探してるんだよ。電話が繋がるなら、俺にも探してくれって言われてさ。申し訳ないんだけど、戻ってこれないか?」

『え、そうなんですか!?』

 慌てて対応してくる声が聞こえてくる。続いて楯無が舌をチロリと出し、小悪魔のような笑みを見せる。さて、ここからが本番だと顔を悪代官に変貌させた。

「ついでで悪いんだけど、俺宛に出前で鰻重《うなじゅう》を一八人前届けてもらえるように注文してもらえないか。蘭が知ってるところで、一番美味しいのを頼む」

 私を陥れる共犯者には制裁をと、最大級の笑顔で語りかける。なんて陰湿なと、セシリアが口元を引きつらせた。受話器の向こうからは驚きの声が上がる。

『一夏さん、どうしたんですか!?』

 暑さにやられたんですか、貴方正気ですかと言いたげな様子だ。勿論、一夏の声を真似た楯無は大真面目で悪事を働く。

「ああ、言葉足らずだった。ごめんな、別に俺だけで全部食べるわけじゃないんだ。いつも皆にはお世話になってるし、なんかお礼が出来ないかなって。だから精の出るものでも食べてもらおうかと思ったんだよ」

 確かに一夏なら言いそうな言葉だ。上手いが酷いという言葉が合う。

「お金は心配しなくていいよ、この前臨時収入がはいってさ。倉持から機体テストをした際に、そこの所長さんからポケットマネーで貰ったんだ。使い道がなかったし、こんな機会でないと奢ったりできないしな。蘭の分も入れておいたから、出来るだけ早く戻ってきてくれ」

 そんなお金はどこにもない。楯無しがでっち上げたそれっぽい理由に、蘭が納得のいったと嬉しそうな表情になる。彼女はそういったことの情報に疎く、IS関連の適正なお金の出方を知らない。

『解りました。じゃあ、私の知ってる美味しいお店に注文しておきますねっ♪』

「ああ、ありがとな。それじゃ、熱中症には気をつけるんだぞ」

『はい!』

 素直な返事を最後に通話ボタンを切る。死んだ魚の目が四つ、嬉しそうにしている楯無を批判しだす。当の本人は清々しく額の汗を拭う。

「詐欺だ……」

「立派な犯罪行為ですわね……」

 「んっん」と、楯無しが両手の指を合わせながら喉を鳴らす。この場にいる極悪人は引け目など一切感じさせない、清廉潔白のような澄んだ瞳をさせていた。きらきらとひかっていそうだが、その内は余りにも玉虫色をしている。

 扇子を開けば『方正』と達筆で書かれている。味方だと頼もしいことこの上ないが、敵に回すと恐ろしい。セシリアとシャルロットが二人して納得する。

「さあ、お姉さんを苦しめる第一の難関を突破したわ。残りもちゃっちゃと片してしまいましょう」

 仕切りなおし、次の計画に移ることにしていく。ISを部分展開させると、アクアクリスタルを空中で浮遊させだす。違反行為はどうしたと、もはや突っ込む者はいない。

「背丈の情報は割れていても、顔がわからなければ問題ないわ。というわけで、これからシャルロットちゃんとセシリアちゃんを変身させたいと思います」

 イェレナと同じく霧纏の淑女《ミステリアス・レイディ》の機能を最大限に無駄使いし、大気中の水分がセシリアとシャルロットの顔に覆い被さっていく。

「そーっれ、はい☆」

 威勢良く開きなおされる扇子の音と共に、掛け声が響く。水分と交じり合っていたナノマシンが動き出す。透明な液体に色素を生み出し、目の眼球色までも変化させる。顔の造りが完全に挿げ代わり、二人の顔が日本人のものに、地毛となる金髪も染めているようにしか見えなくなった。化粧用のコンパクトを取り出して鏡に映る自身を確認してみると、二人は目を白黒させて楯無のほうをみる。

「変装はスパイの専売特許でしょ? 胸元まで肌の色を変化させたから、よっぽどのことがない限りは大丈夫よ。シャルロットちゃん、私と二人でイェティ候補生を奈落の底まで突き落とすわよ。セシリアちゃん、よっちゃんを誘惑して学園へ帰宅させるようにしてちょうだい」

「え、私がですか!?」

「そうよ。シャルロットちゃんはこの状況を利用して、一人だけ抜け駆けをする可能性があるわ」

「先輩、酷いっ!?」

 楯無の暗に信用できないという扱いに一人が抗議の声を上げる。しかし、この考え方はあながち間違いでもない。セシリアの場合は、ことの対応だけでアップアップになるだろう。さらに世間体に疎く天然ボケをかますという、うっかり要素的な性格もある。

 逆にシャルロットは常識的で、機微に聡い。物事を計る器用さは、楯無の読みを少なからず外す可能性を秘めていた。意中の相手だ、あわよくばと思考してしまう欲望がゼロということはないだろう。「さあ、行動開始よ」と、楯無が腰を左右に振って片目を瞑る。

 

     ◇

 

「あの、すいません」

「あん?」

「なんでしょうか?」

 蘭がIS学園へ戻ったあとで、ペットッショップへ向かって歩いている最中だった。喜久とイェレナの背後から声がかかる。二人が後ろへと振り返ってみれば、同世代ほどの女子が地図を片手に困った顔をしていた。見た目は白いロングスカートを基調とした出で立ちで、どこか品のよさそうな雰囲気を纏っている。

「ここへ行きたいのですが、道を教えてもらえませんか?」

 指を示しながらリーフレットを見せられると、ファッション系のブランド店が入っている一角を探しているようだった。イェレナが一つ頷いてみせると、口頭と手振りで道順を説明してみる。

 一通り聞き終えた女子は、指を口元に付けながら考えていた。だが、相変わらず気まずそうな顔をするばかりだ。

「えっと……、どうやっていけば?」

「ああ、地図が駄目なタイプか……」

 喜久も同じように困って唸る。だが次にはハッと、なにかに気づいたかのような表情をしだす。

「イェレナさん、ちょっと行ってきます」

「はあぁ!?」

 イェレナがなにを言ってるんですかと、目を丸くして驚いた声を上げる。即座に抗議の声を上げようとしたが、喜久のにこにこと笑う顔を見て悟った。この男、案内を引き受けてこの場から離脱する気だと。

 そうはさせてなるものかと、愉快そうにしている人間の腕を鷲掴《わしづか》む。割と本気で力を込めて握りこむ。ここまでしてから青筋を立てて、頬をひくつかせた笑顔を作る。普段ある上品さをかなぐり捨てた、爆発寸前で感情丸出しの行為だ。

「先輩。私たちには、やるべきことがある筈では?」

「子供のお使いじゃないんだし、一人でも大丈夫でしょ。嵩張って量があるなら宅急便で頼めばいいやん」

「だ、か、ら、貴方に頼んだんでしょう! 会長が現れたら、私一人では対処しきれません!!」

「ここまできて、今更でてこねぇよ。店も近いんだからほぼゴールだろ、奴が現れたら犬の鳴きまねで追っ払えばいいじゃん」

 背中を丸めて溜め息を一つ。喜久は食い下がるイェレナの肩に、軽く手を置いてボソリと呟く。

「人助け」

「確かに放置は、いけないとは思いますが……」

 イェレナの良心に小ダメージ。顔はまだ怒りで赤いが、じりじりと効いている。

「部分展開」

「ここでそれを使いますか!」

 イェレナの保身に大ダメージ。不正行為が発覚する可能性に、顔が青ざめていく。効果は絶大だ。

「そもそも俺は生徒会じゃない」

「ぐっ!」

 イェレナは撃沈した。

 なによ、私だって半ば強引に入れられたのよ! と、彼女は半べそになりながら心のなかで叫ぶ。もはやぐぅの根も出なかったが、前髪を垂らして目を隠しながら喋りだす。

「先輩、では案内したあとで戻ってきてください」

「え、なんで?」

「戻ってきてください」

「いや、だから――

「戻ってきてください」

 虚ろな眼で、ひたすらに同じ文言を繰り返す。どうやら苛め過ぎてしまったらしい。喜久はしょうがないと妥協点を与えることにした。

「俺の番号を教えておくから、買い物が終わったら電話くれよ。これでいいだろ?」

「容赦の無い強請《ゆす》り魔ですが、少しだけ信じます」

 イェレナが毒を吐きつつ、なんとか堪えて了承の旨を伝える。さすがに可哀相に思ったらしく、原因となっている女子が声をかけてきた。

「ええと、その……、宜しいのですか?」

「良いんです。こういう人だとわかってますから。弱みを握られた私が悪いんです」

 電話には必ず出てくださいと念を押す。荷物は持ってもらいますからねっ!! と、最後に強い口調で注文も加えた。背を向けて歩き出す二人をしょうがなく送り出し、イェレナもとぼとぼと歩き出す。目指すべきペットショップは目と鼻の先だ。

 ここまできて、少し自然に肩の力が抜けていく。無意識に気を張っていたらしく、想像していたよりも緊張していたことに気づいた。

 ほっとして歩くと、突然に前方から歩いてきた女性とぶつかってしまう。

「ごめんなさい」

「いえ、おかまいなく」

 相手が申し訳にくそうにして、一言の謝罪を述べてから歩きなおす。いけない、気を緩めすぎていると、イェレナは自身に心の中で喝を入れなおした。

 達成感から気分は上々だ。そう、自身の右側に下げていたMiuMiuの手提げバッグが忽然と姿を消すまでは。妙に右腕が軽くなったと感じて確認してみたら、案の定の有様だった。

「この国は治安が良いって聞いてたのにっ!?」

 後ろを振り向きながら叱咤の言葉を撒き散らす。件の窃盗犯女性は、もう米粒程度の大きさでしか見えない。

 たったの一〇秒程度でしかない筈なのに、ここまで距離をとられてしまったことに驚愕してしまう。相手の逃げ足がオリンピック選手並だ、これは余程速く走らなければ追いつけないと唇をきつく結ぶ。イェレナが前方を睨み付け、無言でクラウチングの全力疾走を開始した。

 人ごみを縫うようにして一気に駆け上がる。最初に開けていた窃盗犯との距離を徐々に縮めていく。襟首を引っ掴んで首を絞めてやると、頭の中がこれ一色に染まっていた。

 呼吸を調節しながら額からは玉の汗が跳んでいく。さらに踵へと力を込めれば、下半身からの連動で頭頂部までの筋肉繊維がバネのようにしなりだす。背中を完全に捉えきると、逃げる相手の舌を出す挑発行為に怒り顔が浮かぶ。

 いける、捕まえられる。手を伸ばせば届く。

 唐突に視界端へと黒い物体が写った。紛れも無く先ほど盗まれたイェレナのバックだ。気づいた時には頭上はるか高くへと舞っていた。同時に心からの悲鳴も上げていた。

「ちょっと、そのバックお気に入りなのよ!」

 大好きな父親からのプレゼントを投げ飛ばされるという、予想外の行動で呆気にとられてしまう。傷を付けられては堪らない。悔しがりながら即座に標的を変更し、バックの救出へと全精神を注ぎ込む。

 前方の噴水を二段階で踏み越えて、右側にある二階側面の壁へと足を突く。形振りかまわず公衆の面前で三角とびによる跳躍をしきった。そこから更に手を伸ばせば、落下中のバックが目の前まで来ている。

 とった。無事に取り返せたと、心の中で小天使たちがラッパを吹く。

 スカッ

「え……?」

 手が虚しく何も無い空間を掴み取る。あと数センチのところで、新たに二階部分から伸びてきた他人の手にバックを略奪されてしまった。第三者の登場に、仲間がいたとは思わず驚きで顔が固まってしまう。

 放心状態のまま地面に落下して、ゴミ箱を盛大にひっくり返す。派手な騒音がホール内に響き渡り、イェレナは頭に乗っていた紙屑を手でゆっくりと払いのけた。のっそりと起き上がると、頬がプルプルと痙攣したように揺れだす。

 イェレナの中にある理性の糸が引きちぎれる。

「これは正当防衛。そうよ、私は悪くない。手癖の悪い罪人を縄で首から吊るすだけよ……クク、アハハハハ」

 普段からストレスを蓄積していたこともあり、遂に感情が爆発した。人目もはばからず、躊躇せずISの部分展開を行う。イェレナの発奮へと呼応したようにして、機械製の杖が盛大に蒸気を吐く。

「覚悟なさい! 捕まえたら実家の倉庫で眠ってる、ファラリスの雄牛に突っ込んでやるわっ!!」

 闘牛のような怒りの咆哮をあげる。大気制御兵器の杖を逆さに向けて、突起した一部に足を引っ掛けた。暴風を発生させて、一気に高度一〇メートル以上へと舞い上がる。ホバリングして新たな窃盗犯を補足しきると、伸ばした指の先に意識を集中させた。

「そおっこかぁあああああああああ!」

「ひぃい!?」

 ISの力で問答無用の雷撃を放つ。新たな窃盗犯も女性だったらしい。避けながら甲高い本気の悲鳴を上げている。猫に睨まれた鼠のようにして、建物が密集している屋内にその身を投げ込んでいく。

 逃げ惑う相手の人体構造データをISに認識させて解析をはじめる。サーモグラフィのように視認しきり、逃げ惑う姿を嬉しそうに眺める。

「待ちなさいっ!!」

 再びの雷撃を飛ばすと、光の切っ先がのたうつ蛇のように伸びていく。湾曲しながら屋内へと、生き物の如くいとも簡単に進入しだす。肉眼で見えない位置からから、幾つも驚きの声が聞こえてくる。

「うわあ!」

 窃盗犯の直撃したような声が聞こえ、これで感電状態になって倒れただろうと思えた。電圧は抑えてある、死ぬことは無いが失禁程度はしているだろう。公衆の面前で痴態をさらすがいいと、イェレナが思わず黒い笑みを称えてしまう。

「――なんですって!?」

 軽い愉悦は直ぐに散無した。それは硬直して動かなくなっていた物体が、再びの行動を開始しだしたからだ。手応えはあった、確実に直撃させた筈なのに効いていない。

 ISからの攻撃を防いだという事実に、非常時対応へと意識を切り替える。

 ただの泥棒ではない。なんとしてでも防いだ方法を吐かせなければならない。捕縛対象の警戒度を最上位へと格付けしなおす。

 相手は店内の反対側へ通じる出口から逃亡したらしく、反応が遠ざかっていく。一人で追うのは危険だろうか、喜久に助力を請うべきかと思考を逡巡させてみる。

 あの赤毛チビに微妙な借りをつくるのは、後々で目前の敵よりも危険だと判断した。よって余計な思考とばかり、ばっさりと切り捨てる。

 イェレナはISの脚部を展開しきると、危険対象目標の追跡を再開した。

 

     ◇

 

(喜久さんを誘い出すところまでは上手くいきました。ですが、この後はどうしましょうか……)

 セシリアが日本人に変装したままの状態で、今後どのように行動すべきかを悩んでいた。

 とういうよりも、成功するなどと毛ほどにも思っていなかったため、予想外の事態におろおろしているというのが正しい。逆に嬉しい楽しいとはしゃぐ感情も胸中でごちゃ混ぜになっており、顔を覆うよりも両頬を抑えて悶えるような姿勢をとっている。

 一通りの行動を見ていた喜久は、ちょっと残念な子だなと感想を抱いて地図を見る。調べてみれば二つほど角を曲がって、残りを真っ直ぐ行けば肉眼で確認できるような場所だとわかった。丁寧に折りたたんで少女に返し、気の抜けた足取りで歩きながら案内をしていく。

「先ほどから気になっていたのですが。貴方は、随分と変わっている服をきられていますね」

「学園の制服って悪目立ちすんだよね、これ」

「もしかして、学園とはIS学園のことですか?」

「ああ、そうやね。男子用の制服なんて、世間じゃあんま知られてないんだけど。よくわかったね」

「女子の制服を見たことがあるんです。それに色調と形状が、よく似ていますから」

 セシリアが初めて知ったとばかりに驚いてみせる。

 ここまでの流れで目を横に動かし、ふと思った。普段の喜久がどのように学園を見ているのかと。これは本人から素直に本音を引き抜ける絶好の機会なのではないだろうか。

 決まってしまえば話は早い、試しに一芝居うつことにしてみる。羨望の眼差しを向けながら、嬉しそうに一つ手を打つ。

「ISは女性にとって憧れの的です。入学できる方も、世界的に優秀な方しかは入れないと聞いていますわ」

「わ?」

 一瞬変わった口調に喜久が反応し、セシリアが背中に大量の冷や汗を噴き出した。慌てて取り繕うように口元へと手を当てだす。

「オホ、オホホホホ、なんでもありません」

「はあ」

「私、学園に興味があるのですが。一体どんな方が通われてるんですか?」

 喜久が目を瞑り、いつも一緒に過ごす面々を頭に思い浮かべてみる。

 一夏が持ち前の天然を発揮して袋叩きにあっている。箒が竹刀を振って襲い掛かってきた。セシリアが妄想を昂ぶらせ、無事に一人の世界へと旅立つ。鈴音がいつもの短気さで考えずに突進していく。シャルロットは腹にいちもつ抱えて裏目に出てしまう。ラウラは勘違いが偏った自身の部下のせいで、病的なほどに酷い。

 簪はアルコール摂取で豹変しだす。楯無はもう駄目で、既に手の施しようが無い。

「アウトだらけで、碌な奴がいねぇ……」

「そ、そうなんですか?」

 変人の巣窟で筆頭に上がりそうな自身のことは棚に上げ、まともな人間がいないと再確認した。横で聞いていたセシリアが、私は入っていないはずだと信じるように見ている。喜久が口端を曲げて、嫌々そうに手をぶらつかせていく。

「それにIS学園はタフネスゴリラが多すぎるし、なにかあると暴力が飛び交うからな。諌める側の教師も出席簿でスパーンだしよ」

 笑いながら話せば、女子は肩に力を入れて両腕を交差し頭を庇っていた。突然の行動に不思議そうな顔をしてしまう。

「どうたん?」

「いえ。出席簿と聞いて反射的に……」

 二人で雑談しながら目的の女性服専門店へと辿り着く。喜久は欠伸を一つすると、じゃあここまででと手をぶらつかせた。

「あの、宜しければ服を一緒に選んでは貰えないでしょうか。今、付き合っている方がいるのですが、どうも男性が喜ぶ服装というものに疎いものでして」

 セシリアは上目遣いで眉をハの字にして、両の人さし指を突き合わせてもじもじとしている。求められたほうも同じような顔しかできない。

「えー、俺別に服なんて詳しくないんだけど……。ついでにいうと好きな趣向はあっても、センスはないのよ。ましてや女性服なんて普段見もしないしさ」

「ちょっとした、アドバイスを頂けるだけで良いんです」

 散々食い下がられた挙句、腕時計を確認する。約束の時間まで、まだある程度は問題がないかと腹を括った。

「しゃーない。さっきの別れた後輩と待ち合わせ時間があるから、そこまでなら付き合いましょう」

「まあ、本当ですか!」

 喜色満面の笑顔で手を合わせるセシリアに、善久が軽く笑った。

 

     ◇

 

 二人の人物がモール内を駆け抜けていく。一人は死にそうな顔で歯を食いしばり、残りは悪鬼の形相で浮遊しながら眼下を見下ろしている。

(先輩、聞いてませんよ、話が違います!)

 シャルロットは心の底から泣いていた。楯無から受けた指令は、受け取ったバックを持ってイェレナの追跡を振り切ること。一階と二階では階段などを伝ってくるまでに時間をとられてしまう。なればこそ、相手を巻き切るなど容易なことだと想像できる。

 ペットショップに一文無しで買い物など無理だから、諦めて帰宅をしてくれればいい。あとは本人の寮部屋にこっそりと返して任務完了だった。

 しかしいざ追いかけっこを始めてみれば、予想外にも相手はいきなりISを展開してきだした。僕が追いかけられる前に、一体どれだけの挑発行為をしたんですか。そう、叫ばずにはいられない。

 声を必死に押し殺す。対してイェレナは周りを憚らずに大声を上げる。

「待ちなさい!!」

 待つわけがない。捕まったら即死亡としか思えない。上空から放たれた九発目の雷撃が柱に直撃する。一部分が真っ黒に染まりあがった。ジグザグに避けていたシャルロットが心の中で悲鳴を上げていく。

「ちぃ、すばしっこい!」

 ISの杖部分から風の渦が発生した。数秒で大気を摩擦する巨大な風切り音が響きだす。線で捉えきれないなら面で制圧すればいいと、イェレナが攻撃方法を切り替える。

「このまま、足を止めてやるわ!」

(あんなのまともに受けたら死んじゃう!?)

 もはや攻撃方法に見境がなくなり始めている。シャルロットの頭上に暴風雨の塊が飛来する。

 ぐっと屈みこむようにして前方の店内へとヘッドスライディングする。背後で閉まりかけたガラス製の自動ドアがベキバキバキィ!! と、猛獣に噛み砕かれたような音を発した。

(殺される!)

 余りの破砕音にシャルロットが血の気を失う。やり過ごした店内から飛び出すと、自己の生命を最優先順位に格付けしていく。狂戦士《イェレナ》からの追跡を逃れるには、バックを囮にするしかない。

(でもどうやって、なにを使えばできるだけバックを遠くに)

 頭を悩ませながら、ふとバックを持っていた自分の腕を見る。シャルロットも恐怖心から錯乱状態に陥っていた。言い訳はこれでお願いしますと、狂気的な発想は彼女の心に即断をさす。イェレナの視界が一瞬だけ外れる場所を探しきり、宙吊されている渡り廊下の真下で自身の体を急停止させた。

(イェレナ、ごめん!!)

 右腕をIS展開後、バックを城壁殺《トリプル・シールド・ピアーズ》しの発射口に乗せる。刹那、強烈な面圧力の押し出しによって、イェレナのバックが流れ星の如く彼方へと射出された。

 渡り廊下によって上空からの視界を遮られていたイェレナは、最初なにが起こったのか理解できなかった。だって、とても大切にしていたバックが砲弾のように飛ぶ姿など、発想自体が馬鹿げているからだ。

「いやああああああ! 私のバックがああああああああ!!」

 怒り顔が焦燥感の表情に塗り替えられる。

 バックが天井にある透明な強化プラスチック板へと突き刺さった。

 

     ◇

 

 大騒動のあくる日、生徒会室では一つの儀式が行われていた。部屋には昨日の面々から現在三名を除いてが集合し、学園の長へと今回の罰を執行している。善久は阿保らしいといって、最初から出席を辞退していた。イェレナはIS無断展開の件で千冬が顧問をしている茶室にいる。そこで永遠とありがたいお話を聞く大反省会の真っ最中だ。

「ほんとうね、本当に噛み付かないのよねっ!?」

「楯無さん、だから大丈夫ですよ。こいつを信用してやってください」

 十人近くに囲まれた楯無が余裕のない表情でオロオロしていた。原因は目の前で一夏が嬉しそうにして、両手につぶらな瞳の子犬を抱えているから。

 ことの顛末は単純だった。IS学園の生徒がISを展開して大立ち回りをしている。そんな一報が学園の管理課窓口に届き、三角眼鏡が光る教頭の逆鱗に触れた。

 イェレナがIS展開した一連の騒動は、未だ緊張感ある情勢を鑑みない恥ずべき行為と問答無用の即罰則が下った。

 楯無が真の犯人だと、誰もが確信を持っていた。だが、証拠がない、痕跡もない。これではどうしようもないと、本件の渦中にいた人間たちは心の底から悔しがった。

 一夏に至っては相当な金銭への打撃を受けている。彼は実害に対し、心で血の涙を流し精神的に吐血もした。

 そして皆の諦めは、一つの匿名音声メールにって覆された。音声ファイルは二つあり、一つはボイスチェンジャーによって手が加えられたものだ。

『僕は告発します。そう、全ては会長が仕組んだことだったのです。前置きとなりますが、情報提供の方法は教えられません(※注意、音声は変えられています)』『確かに僕も加担をした一人です。ですが、今回は度をこしていた部分が多々見受けられました(※注意、音声は変えられています)』『いえ、決して遺恨なんてありません。強烈な光に泣きそうになっただなんて、決して言いませんよ(※注意、音声は変えられています)』『そうですね。ただ、彼女にも反省してもらいたいなと思った、僕自身のちょっとした善意なんだと思います(※注意、音声は変えられています)』

 かいつまんで抜き取った一部の台詞は本人の独白が混じっていた。二つ目のファイルが再生される。犯行の動かざる証拠、本人の肉声だ。

『来たわね。いいかしら、今回のターゲットはあの三人。なんとしてもペットショップへ入るのを阻止するのよ』『聞いてちょうだいピー(加工済)ちゃん、ピー(加工済)ちゃん。私としても、もちろん無償奉仕でなんて虫のいいことは言わないわ。今回の成功報酬には、素敵な特典を付けましょう』『そういうわけで、これから一人一人を個別に分離させていきましょう。モールから引き剥がして買い物を中断させれば、学園内に犬を置いておくことができなくなるわ』

 この出来事によって、一連の騒動は終息を迎えて今に至る。楯無への罰則は犬恐怖症の克服だ。ユダは生徒会室にいない。

「う、うぅ~~」

 冷や汗で出来上がった玉の雫が浮き上がる。見守る面々は満面の笑みでうなずいて見せた。存在しているだけで愛くるしい生き物に、なにを怯える必要があろうかと。

 トラウマ、恐怖の塊を克服するときは今だ。

「アンッ♪」

 カプッ。

「ぎぃああああああああああああああああっ!!」

 子犬の顎下を触ろうとしていた楯無の手が噛まれた。

 それから一週間、彼女は一歩たりとも生徒会室に足を踏み入れることはなかった。

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