東太平洋上。そこは、晴天と静寂が約束された空域——のはずだった。
その平穏を引き裂いたのは、銀の福音による咆哮だった。主砲のシルバー・ベル、全36門の追尾型エネルギー砲が放たれ、喜久のブラックペタルを標的にして迫る。
「っ……ティアーニ、防御展開! 二重螺旋で!」
【了解。演算開始、時間は頂かないわ。三、二、一——展開。】
ティアーニの冷静な声と共に、紫紺のペタルズスワイルが12枚、宙に花開く。防壁が幾重にも重なり、エネルギー弾が炸裂する度に振動が伝わってくる。
「ぐっ……ッ、これ、以前よりずっと速くなってないか……!?」
【ご明察。福音の出力、以前の記録比で48%増し。ねえ喜久、どこまで受けきれる自信があるのかしら? 私は保険を持ってないわよ】
皮肉と共にティアーニの警告が重なる。その一瞬後、左肩に衝撃が走った。
炸裂したビームが防壁を抜け、ブラックペタルの装甲をかすめたのだ。
「ちっ……あの火力、ほんとに迎撃目的かよ!」
遠方、爆風の向こうに紅い影が見える。箒の《黒緋椿》——その姿に、喜久の胸がざわついた。
「おい篠ノ之、大丈夫か!?」
「私じゃ、ない……機体が、勝手に……っ!」
黒緋椿がゆっくりと旋回し、銀の福音に狙いを定める。それは、明らかに操縦者の意思ではない動きだった。
武装《鬼屏風》が12箇所から射出され、光の槍が空を裂く。だがそれは迎撃ではない——明確な、敵意だ。
【黒緋椿、制御系がパイロット信号を遮断中。これは……自立暴走ね。嫌な予感、的中よ】
「やっぱりかよ。ち、くそったれが。篠ノ之の意思、通ってないのか!?」
【現状、操縦者の脳波は干渉されてる。推定、機体の感情増幅機能が自己強化ループに入ってるわね。まあ、あの娘も激情型だから、ねぇ?】
ティアーニが軽く笑うが、状況は全く逆だ。
暴走した黒緋椿は再度、突撃を開始。今度は主砲でも格闘武装でもない——全方位型の殲滅兵器《浄土旱魃》を発動しようとしていた。
黒いオーラを纏い、展開装甲が震える。それは、熱を持った音として空気に伝わった。
「まさか……本気で、撃つ気か!? 篠ノ之!」
『ええ、残念ながらね。浄土旱魃——半径500メートルを焼き尽くす超広域兵装。理論値で小型核兵器の四分の一相当。ちなみに私たち、直撃圏内よ』
言いながら、ティアーニは喜久の視界に推奨退避経路を複数表示した。だがそのうちの大半が——すでに封じられていた。
銀の福音が、新たにドローン群を展開していたのだ。小型無人砲台が空間を埋め、喜久たちの逃走ルートを一つずつ潰していく。
【ふふ……完璧な包囲網。敵ながら天晴ね。どうする? 華麗に脱出? それとも、殉職ごっこかしら?】
「どっちも選ばねぇよ……! 一夏!」
「わかってる! 箒を止める!」
一夏の《白式》が急加速、《雪羅》の荷電粒子砲で黒緋椿の装甲を狙撃する。しかし、黒緋椿は紅黒の残光を閃かせ、直撃前に回避。
そして——その時は訪れた。
浄土旱魃《じょうどかんばつ》、発動。
黒緋椿を中心に、紅黒の光が半球状に拡散する。それは光ではなく——「焼却」だった。空気が波打ち、海が沸騰する。熱線と放射波が空間を薙ぎ払い、ドローン数機が瞬時に蒸発。銀の福音でさえ、主翼の一部を緊急排除して退避した。
【ヒートインデックス上昇中。海面蒸発、上昇気流による乱流警告……これ、本気で終わったかもしれないね】
ティアーニの軽口が逆に怖かった。
ブラックペタルは喜久の意思で即座に防御姿勢に入る。残されたペタルズスワイル全枚を重ね、火線の直撃を最小限に食い止めるように構える。
「……耐えろッ!!」
バリアが軋み、視界が赤に染まる。全身に熱が突き刺さり、喜久の意識が一瞬、遠のく。
だがその中で——彼は、ティアーニの落ち着いた声を聞いた。
【次はどう巻き返すつもりかしら?】
炎の中に、再起の意思が灯る。世界が焼けた。黒緋椿から放たれた《浄土旱魃》が、空間そのものを灼き尽くしたのだ。
紫紺のペタルズスワイルは三枚が即時蒸散。喜久のISブラックペタルは冷却フィンを最大稼働させ、ギリギリでオーバーヒートを免れていた。
「……はぁ、はぁっ……なんとか、生きてる……」
焦げた装甲から煙が上がる。肺に焼けた空気が刺さるように入ってくる。
【深呼吸は後。背部冷却フィンはまだ回ってる。残存機能の確認、急ぎなさい】
「……ああ了解だ、ティアーニ」
彼女——AIでありながら、指揮官のように冷静で、有無を言わせぬ口調だった。
海は蒸気で覆われていた。だがそれは、敵の目をも曇らせる——一時的な“霧の帳”。
【チャンスよ。今なら、タニアの索敵を攪乱できる。防御ラインを崩すにはこちらから動いて】
「だが、福音の精度は今までとは別格だ。下手に動けば狙い撃たれる」
【ええ、だからなおさら。黙って撃たれるつもり? 行動に移しなさい。私が援護するわ】
ティアーニの言葉に、喜久は目を見開いた。
「お前、我が強くなってないか……?」
【あなたが鈍くて危なっかしいから、こっちが成長するしかないのよ。今はいいから、動きなさい。命令よ】
言い切られ、思わず口元が緩む。ふっと笑って、喜久はスラスターを噴かした。
「俺もそっちに賛成だ!」
蒸気の中、ブラックペタルは音もなく姿を消す。
【ペタルズ、三重螺旋。視覚ノイズ構成、90%優先。ドローンの視線線上、5秒以内に遮断を】
「ティアーニ、ヒドランジアを起動。エネルギー膜を重ねてバリア構成」
【展開完了。次の攻撃が来たら、それで防げるかはあなた次第】
霧を裂く閃光。銀の福音が再び姿を現す。あれだけの広域兵器が炸裂した直後にもかかわらず、その構えは揺るがない。
主翼をたわめ、砲門を絞り込んだ姿はまさに一撃必殺の狙撃銃。
【来るわ。斜め後方、標的はペタルズの収束点。構えを変えて。すぐ】
「っ、間に合え!」
喜久の身体が瞬時に傾き、スレスレでエネルギー弾を回避。だがかすった右脇腹から火花が走る。
「精度が、おかしい……ッ!」
【いいえ、タニアの精度が“正しい”の。読みと躊躇のなさが一流よ。貴方の予測の甘さがミスに直結してる】
「……クソが、織斑先生と同等かよ!」
そのとき、通信が割り込んだ。
『喜久! こっちは持ちこたえてるが、箒が……!』
一夏の声。
その向こうで、紅黒の残光が暴れていた。
「……くそっ、篠ノ之……!」
【あの子、まだ戻れない。今は戦場全体が地獄に傾いてる。対処、分担しましょう】
「ハッいつもジリ貧かよ。ティアーニ、指示をよこせ」
【まず、こっちはタニアの包囲を突破する。その後、箒の確保。2分以内に終わらせて】
冷静で、強く、そして正確な言葉だった。喜久は一瞬、鼓動を強く感じた。AIなのに、まるで人間の指揮官のように。心臓を奮い立たせるような、力があった。
「よし、じゃあやるぞ……ペタルズ、展開。旋回させて三次元撹乱空間を作る」
【了解。あなたの意図は読んだわ。錯視による視線分散。ペタルズを万華鏡構造にして、福音の照準をぶらす】
喜久の周囲で、紫の花弁が螺旋状に展開する。その中心に、ブラックペタルは静かに漂っていた。敵の視線が迷う。ほんの一瞬のブレを生み出すために。
「さぁ……ここからは、読み合いだ」
しかし——撃たれた。
次の砲撃は、迷いなく中心を撃ち抜いた。花弁の中の喜久の影を、ピンポイントで。
「マジかよ!?」
【タニアは、貴方の癖を読んでる。思考の流れ、そのままじゃ見抜かれて当然。次からは変えて】
「こっちは昔すぎて覚えてねぇのに、記憶力が良すぎだろ!」
喜久は意図的に左に動く——が、それも撃たれる。だが、次は耐えられた。
その瞬間。
「一夏! 今だ、いけ!」
「ああッ!」
白式が加速し、銀の福音の懐へ突撃。《雪片弐型》の一撃が、制御核の外装を抉った。
爆光と共に、銀の福音が初めてバランスを崩す。
【隙ができた。いいわ、そのまま詰めて!】
ティアーニの声が、鼓膜を震わせた。そして喜久は思った。
——このAI、本気で戦場を動かすつもりだ。
白式の斬撃が、銀の福音の右主翼を裂いた。爆光の中で、一瞬だけタニアの姿が霞む。
「……やったか!?」
そう叫ぶ一夏。しかし——
【いいえ、外装装甲の破壊だけ。核心部には届いていないわ。回避角度、見事だったわね】
ティアーニの声が返ってくる。次の瞬間、銀の福音は宙を滑るように旋回し、全砲門を展開。
「チッ逆にこちらがロックされた……!」
空間に十数本の赤線——それは福音の照準線。あらゆる退避ルートを封じる“断罪の天秤”だった。
【白式、すぐ高度を落として。あなたは反対側へ斜め旋回。タニアの狙いは、中央に誘導しての集中砲火】
「ティアーニ、お前の読みが当たってたら満点やるよ!」
ティアーニの分析に従い、喜久は反射的にペタルズスワイルを背中から展開。二重三重に重ねながら斜めに逃れる。
エネルギー砲が怒涛のように襲い掛かる。紫の膜が次々と割れ、爆炎が装甲を焦がす。
「くっそ……嫌になるくらいの化け物かよ、あの女……!」
【精神動揺、12%。もう少しで動きに影響が出る。冷静に。銀の福音の搭乗者、タニアは“驚異”だけど、絶対じゃない】
息を吐く。乱れそうになる心を、ティアーニの冷静な声が繋ぎとめる。
【追い詰められた時こそ、相手を見なさい。今、タニアは焦っていない。ならば、こちらが“意図的に崩す”の】
「……崩す、か」
喜久の脳内で、空間構成図が描かれる。ペタルズ、敵の照準、ドローンの残存数、箒の位置——
「ティアーニ、ドローン制御波を拾え。福音と通信してる中継点、見えるか?」
【あるわ。低周波の制御ラインが一箇所に集中してる。そこを潰せば一時的にタニアの“目”を奪えるわ】
「よし、そこにペタルズを一点収束——やるぞ!」
【命令了解。ターゲット補足、座標ロック完了。撃つわよ】
紫の花弁が螺旋状に収束し、一条の突貫波動となって中継ドローンへと突き刺さる。
——爆発。
福音の動きが、わずかに鈍る。
【今よ。タニアが“見えていない”その隙に、一夏を支援して】
「ああ!」
ブラックペタルが白式と交差する。喜久のスワイルが盾となり、白式が距離を詰めたその瞬間——
「雪片弐型ッ!」
一夏の斬撃が、銀の福音の左側センサーを切り裂いた。ようやく、確かな“傷”が入った。
だがそのとき。
空が染まる。
紅と黒——暴走する《黒緋椿》が、再び高度を上げていた。
「っ……まさか、もう一度《浄土旱魃》を!?」
【発動兆候確認。エネルギー収束率90%を超過。再照射まで約30秒——】
「間に合わねぇ!」
黒緋椿の中に、箒の気配はない。動きは感情を持たず、破壊のみに特化していた。
その姿を見つめる喜久の胸に、何かが疼く。
かつて、自分も同じだった。自身以外の人間に忠実に従い、ただ命令されるままに戦っていた——
【提案よ。紅椿を正常復帰させるわ】
「できんのかよ、作戦は?」
【ラファール・リヴァイブの汚染の時とは違って、私のようなAIでも干渉できる。機体の主導権を奪うには、内側からアクセスが必要。あなたが“箒の声”を届けない限り、私だけじゃ止められない】
「じゃあ、行くしかねぇだろ! 一夏、ここが正念場だ。篠ノ之の意識をティアーニで戻す! 無茶でも、持ちこたえろ!」
「頼む!」
一夏がタニアの駆る銀の福音に対峙し、喜久は炎の中へ向けてスラスターを全開にした。
「篠ノ之ッ! 聞こえるか、いい加減、目をさませや!」
爆音の中、声は届かない。
それでも叫ぶ。
何度でも、届かなくても。
「お前は、お前の意思で戦ってたはずだろ! 紅椿に乗っ取られて、全部“無かったこと”にする気かよ!?」
その瞬間、黒緋椿の動きがわずかに揺らいだ。
【届いたわ。脳波反応変化あり。感情回路に揺らぎ。……今よ、アクセスする。内部進入、開始】
「頼んだ……ティアーニ!」
【ええ、任せなさい。あなたが開けた“道”よ、私が通らないで誰が通るの】
ブラックペタルのアンテナが、黒緋椿へ向けて伸びる。
電磁コードが交差し、データリンクが開かれる。
【箒、あなたは誰? 誰のために戦ってるの?】
電子の海に、少女の声が揺れた。
『……私は……わたしは——
——闇の中、声が響いた。
「……私は……わたしは、誰かのために戦いたいって、思ってた……!」
箒の声だった。電子の海を流れたその言葉は、ティアーニによって受信され、即座に喜久の耳へ届けられる。
【喜久。届いたわ、彼女の“輪郭”。今、黒緋椿の主制御をシャットダウンする。逆流操作、開始】
「ああ、頼む!」
空中で激しく火花を散らしていた黒緋椿の装甲が、ピタリと動きを止めた。全ての展開武装が収縮し、紅黒の光も霧散する。
制御が戻ったのだ。箒の魂が、ようやく機体の中に戻ったのだ。
「篠ノ之!」
喜久が近づこうとした、その瞬間——
蒼白の閃光が、空を切り裂いた。
「っ——来たかよ……!」
タニア。
銀の福音は機体がほぼ破損なく、戦闘継続モードを維持していた。彼女は怒っていなかった。怯んでもいなかった。
むしろ——楽しんでいるようですらあった。
『機体暴走者に、男性操縦者か。予測外の事態ばかりは久しぶりだ』
オープンチャンネルが声が、通信回線に侵入する。
『単身に近い形で乗り込んできただけのことはある。だが甘い、戦術もチームワークも全てがチープだ』
その言葉と同時に、タニアの周囲に再びドローンが出現した。補助衛星ユニットから再供給された第二陣、総数60体。
【喜久、分析中断。即時行動しなさい。この状況、正面突破は不可能よ。戦術的撤退を提案するわ】
「……逃げんのかよ」
【命あっての反撃よ。生き残ってこそ次がある。黒緋椿のあの子も自身を取り戻したばかり。ここで倒れたら何も残らない】
一夏からも通信が入る。
『……悔しいけど、俺も撤退で賛成だ。このままじゃ“潰される”。喜久、今は耐える時だ』
タニアの駆る銀の福音には勝てない。喜久は奥歯を噛み締め、拳を震わせた。ここで、絶対あってはならないこと、それは一夏と箒の死だ。自身は良いが、こいつらだけは絶対に逃がしきると、覚悟を決めなおす。
「……わかった。一夏、篠ノ之を頼む。俺がタニアの視線を引く!」
ティアーニが即応する。
【スワイル展開、最大面積拡散構成。視認ノイズ散布中。これで“花吹雪”が目眩ましになる】
空に、紫紺の花が乱舞する。美しく舞い散る、そして哀しい戦場の幕引き。
喜久はスラスターを全開にし、銀の福音の視界へ飛び込んだ。
「俺が——おとりだッ!」
ペタルズスワイルが次々と射出され、全方向に模擬反応を放つ。銀の福音の照準が拡散し、タニアの姿がわずかに揺れる。
その間に、白式と黒緋椿が高度を下げ、霧の海へと消えていく。
——だが。
「っぐ……!」
喜久の右肩に、一撃が食い込んだ。福音の残存砲門からの狙撃。避けきれなかった。
【負傷判定。これ以上の囮行動は危険ね。逃げるわよ】
「わかってんだよ……ティアーニ……!」
噴射。海面すれすれを滑空しながら、喜久は仲間の後を追う。
後方では、タニアの声がまだ響いていた。
『いい判断だ。だが、詰めが甘い。』
36の砲門が、両手に掴まれているハンドタイプが一斉射を放つ。その直前で射貫く光が、タニアに直撃した。
はるか上空から、太陽を背にしてスナイパーライフルを構える緑色の機体。所属がIS学園と表示される。いつからいたのか、ラファール=リヴァイブが静かに停滞していた。
『タニア、銀の福音はうちの子なの。返してくれないかしら?』
ナターシャ・ファイルスの声が鈴の音のように響く。