突然現れたナターシャの登場に喜久は呆気に取られる。
「ナターシャ!?」
「行きなさいサーフォ、あなたには向かうべき場所があるのでしょう!」
「くッ」
ラファール=リヴァイブが銀の福音の砲線に割って入った瞬間、戦場の空気が凍った。緑色の機体。その設計と輪郭に、タニアの目が細くなる。
『その機体……ラファール=リヴァイブ。IS学園の訓練機仕様……なぜあなたが持っている』
「さあ? どうしてかしらね」
ナターシャは軽く肩をすくめるように答えた。
「昔からこういうの、縁があるのよ。何故か目の前にあった。整備はされてるし、乗ってみたら調子もいいし――ね?」
『ふざけないで』
タニアの声音が鋭くなる。
『そんな偶然、ありえない。学園機は国際管理下にあるはず。お飾りでも、手続きなしに個人が所持できるものじゃない。……答えなさい、ナターシャ。誰からその機体を手に入れた?』
「……そこまで“正しい”あなたが興味を持つとは思わなかった」
『当然でしょう。仮に非合法ルートで入手したのなら、それは兵装密輸に加担したことになる。あなたが何のつもりであっても、それは重大な違反よ』
「だから?」
『……っ!』
「私はそれで、サーフォを守るためにここに来たのよ」
ナターシャはスラスターを吹かし、銀の福音との間に再度機体を滑らせる。
その背後、喜久の《ブラックペタル》が進路を変え、逃走経路へと進もうとしている。
「いろいろと“正しくない”行動もあったかもしれないけど――でもそれで今、サーフォがまだ空にいるなら、私は何も後悔してないわ」
『あなた……貴様は、本当に軍人か?』
タニアの問いは、怒りではなく、呆れに近かった。
『教官時代、あれほど厳格だった貴様が――どうしてここまで崩れた?』
「崩れたんじゃない。壊れたの。あなたには、そういうふうに見えるかもしれないけど」
ナターシャの声が低くなる。
「教官時代からずっと思ってた。軍部内で人間兵器を鍛えるって、本当に“正しい型”に押し込むだけでいいの? って。特にサーフォみたいな子には、それじゃ届かないって」
『それでも、規律の外に出ていい理由にはならない』
「そうね。なら、私は“規律を壊す側”に立ったのよ」
『……そうか。ならば、敵として相対するしかない』
タニアの言葉に、ナターシャは小さく頷いた。
「そのつもりでここに来たわ」
『承知した、なら問答無用。ナターシャ、せめてのもの情けだ、軍事法廷にだけは引きずり出してやる。ラファール=リヴァイブ、排除対象に変更』
「ふふ。やっと昔のタニアに戻ってきた」
ナターシャが口元を緩めるその裏で、タニアの照準システムがロックオンを完了していた。
『遠慮はしない』
「いいの。私も、遠慮する気はないから。それに、返しての貰うわよ、私の大事な子を」
緑色の銀との激しい戦闘が幕を開けた。
◇
金門橋――その赤きアーチを下に望みながら、三機のISが空を駆ける。白、黒、そして紅。三機で飛行編隊を組みながら目的地へと、ただ前を目指す。
戦場に響いた緑と銀の衝突音は、まだ耳の奥に焼き付いて離れない。ナターシャは残った。自ら望んで。
「……くっそ、なんでナターシャの奴が……!」
ブラックペタルを駆る喜久は苛立ちを押し殺しきれず、独り言のように吐き捨てる。
その背後で、銀の福音との激戦がなおも続いているのだ。緑の機体――ラファール=リヴァイブが、全砲門を躊躇なく開放し、タニアの機体と激しく火花を散らしていた。
喜久の進路を開くため、そして逃がすための戦い。それを、彼は見てしまった。
だが、振り返ることはできない。今、ナターシャの覚悟に報いるには――前に進むしかなかった。
「喜久、大丈夫か……?」
並走する白式のコクピットから、一夏の声がかかる。
「しゃべってる暇があるなら、そっちのバリア強度チェックでもしてろよ」
「……そうだな。喜久、搭乗してたのって、……ナターシャさんだったな」
「俺だって、わけがわからねぇよ」
ぶっきらぼうな口調。だが、それはいつも通りの喜久であった。助かった原因の困惑もあるが、今の状況を受け入れている証でもあった。
その直後、三機は西海岸の空を横切り、軍用管制波にアクセスする。
『こちらエドワーズ空軍基地、識別コード確認。IS三機、即時進入許可を発行。第3滑走帯へ誘導を開始する』
表示された文字列に、喜久は舌打ちする。
「まったく、都合がいいな。逃げ先が整ってるなんてよ」
言いながらも、逃げ切るしかなかった。ナターシャの“背中”を無駄にするわけにはいかないからだ。逃げながらも、順路は予定通りに進んでいる。三機が滑走路上へと降下し始める。だが、そのとき――
「箒!? どうした!」
一夏の焦った声がインカムを震わせる。喜久もすぐに気づく。
《紅椿》の挙動が、明らかにおかしかった。スラスター制御が不安定になり、左右に揺れながら着地体勢へと移っていた。
「クソ、紅椿の制御系が……!」
箒の苦しそうな声が通信に混ざる。短時間での過剰な戦闘に集中し続けての操縦行為。これだけ全力運用すれば、搭乗者自身が披露しきってしまう。
ガクン、と視界が揺れる。滑走路へと突入した《紅椿》が、着地と同時に膝をつくように沈み、機体外部が揺れた。
整備員たちが慌てて駆け寄る。その中で、ISが強制待機モードをとり――倒れ込むように、箒の身体が露出した。
「箒ッ!」
一夏が機体を待機モードアクセサリーに変換して駆け寄る。喜久も同様にして二人の元へと急ぐ。
「息は……ある。けど、意識が……!」
箒の頬に手を当てると、微かに熱がある。呼吸はある。だが――目を開ける気配はない。
「……出力過剰、か」
喜久はぼそりと呟いた。
(バカかよ……なんで、限界まで引き出すんだ)
だがその“バカ”が、彼女なりの覚悟だったのだと、理解している。
「担架、すぐに!」
整備員の叫びが響く中、喜久は何も言わず、ただ黙ってその姿を見ていた。
(……俺も、やるしかない)
整備クルーの手によって運ばれる箒の姿を目に焼きつけ、彼は背を向けた。西へ傾きかけた太陽が、荒野を橙色に染めていた。
◇
基地の出入り口から一台のハマーが走りだす。運転席にはCIAエージェント・サンナ。その隣に織斑 一夏。後部座席には市隈 喜久と、やや顔色の悪い篠ノ之 箒。エンジンの振動が床から伝わり、誰もが無言のまま、少しだけ緊張の色を帯びていた。
そんな時、サンナが短く言った。
「合流ポイントに接近。外から乗ってくるのは二人。……初対面だと思うけど、彼らは政府と契約中の傭兵。味方よ」
「傭兵……?」
一夏が不安げに眉をひそめる。
「つまり民間人だろ? 本当に信用して大丈夫なのかよ」
「国家の命令より、契約と報酬を守る。彼らはそういう人種。裏切らない分、官僚より信頼できるわ」
喜久はちらりとサンナを見て、ぼそりと呟いた。
「……皮肉か、本気か」
「どちらでもいい。重要なのは“行動”だけ」
「行動か。それが大事なってんなら解せないことがある。なんであんた、ニコルの命令通りに日本から一緒にここまで来なかった? あんたはここまでで、ニコルとここでバトンタッチって、こっちは聞いてんだけどな」
「かく乱よ。どこから情報が洩れるかわからないわ。私は君たち三人をここから予定ポイントまで移動させる。それが本当の任務」
その直後、ハマーが一時停止する。後部ドアが開いた。 最初に姿を現したのは、戦地帰りの風貌をした無骨な男――サンティアス。
身長は高く、短く刈られた髪。肩にサブマシンガンを背負い、服の隙間からは古い傷が覗く。目つきは鋭く、しかし妙に気負いはない。
「……ここが指定の座席か。ああ、窮屈そうだが文句は言わねぇよ」
喜久が警戒心を隠さず、短く問いかける。
「……あんた、誰だ?」
サンティアスは鼻で笑いながら、自分の席にぐいっと腰を下ろした。
「サンティアス・アノードだ、傭兵稼業をやってる。今回はアメリカ政府の契約で、あんたらの“移送と護衛”担当。まあ、運び屋だと思ってくれ」
「ええと、なるほど……?」と呟いたのは一夏だ。
その口調に警戒が滲んでいたのは、当然だった。
「正規軍でもなく、組織所属でもないのか?」
「おう、フリーだ。だからこそ動けるってもんだろ?」
その瞬間、もうひとりの男がぴょんと身軽に車内へ飛び込んできた。
「おっと失礼、入りまーす。ギュウ詰め失礼、でもこの密度も任務の一部ってことで」
軽快な声と共に現れたのは、サングラスを頭にかけた若い傭兵――ティーダだった。
「ええと、皆さん初めまして、かな? 俺はティーダ。サンティアスの右腕って名目でくっついてます。まぁ傭兵兼おしゃべり係です」
その軽口に、喜久が怪訝な顔を向ける。
「——軽すぎるな、おしゃべりにしては。おいCIA、もう情報が漏れてんのか?」
「わお、初対面でその切れ味! でも大丈夫、俺は真面目な場面じゃちゃんとスイッチ入れるから」
箒が疲れた声でぽつり。
「……それ、今は“真面目じゃない場面”ではないということか?」
「まぁ、今は挨拶タイムってことで許してよ、お嬢さん」
一夏が口を挟む。
「傭兵……ってだけで信用できるかどうかは判断できない。でも、ここに来たってことは――政府が信用してる、ってことだよな」
サンナが無表情のまま応じた。
「その通り。今、この場では私が保証人になるわ。二人とも、こちらの三名は国際的な庇護対象。命令に従い、任務中は完全同行してもらう」
「了解、ボス」
ティーダが軽く指を立てて応え、サンティアスは不機嫌そうに一言。
「……引き受けた契約に文句はねぇ。だが“子供の護送”ってのは、何年ぶりだかな」
喜久が眉を動かす。
「ガキ扱いは結構だが……無駄に重い荷物は運ばせねぇよ」
その言葉に、サンティアスの口角がわずかに動いた。
「――いい度胸をしている。少しは面白くなりそうだ」
ハマーのエンジンが再び唸りを上げる。
乗員は6人。これから向かうのは、政治と戦火の中枢――ホワイトハウス。
狭い車内に交差する、軍、情報、民間、傭兵、そして学生たちの“価値”。
その全てが、これから交わり、ぶつかり合う。
夕陽が落ちていく。
西から東へ、地平線が静かに闇へと染まりはじめる頃、6人を乗せたハマーはアメリカ横断の幹線道路を東へひた走っていた。
運転席には、無口なまま正確にハンドルを切るサンナ。
助手席にはやや固まった表情で窓の外を見ている織斑 一夏。
後部座席には、詰め込まれたように体を押し合いながら喜久、箒、サンティアス、ティーダが並んでいた。
……狭い。とにかく狭い。
「なあ、誰かそっちの荷物、膝の上に置けないか?」
ティーダが窮屈そうに苦笑する。
「俺の右足、感覚が消えてるんだけど? しかもその左肘、誰かの肋骨に刺さってるでしょ?」
「動くな。こっちは既に腕がバンザイ状態なんだよ」
喜久が無表情のまま低く言う。
「車内の空調が壊れてるわけじゃないのに、この汗はなんだ……」
箒もぼそりと漏らす。
「……戦闘より息苦しいかもしれない」
「冗談抜きで、これはある意味訓練じゃないか?」
一夏が振り返ることなく言い、ティーダが両手を挙げる。
「そうそう! 空間制圧訓練ってヤツね。密室で仲間とどう信頼を築くか、っていう」
「お前、さっきから喋ってばっかだな」
喜久の冷たいツッコミに、ティーダはウィンクして返す。
「沈黙は銃より重いって言うからさ。こういう時に一人はバカがいないと空気が死ぬんだよ。でしょ?」
そのバカっぷりに、箒がかすかに笑みを見せた。サンティアスは後ろの座席で腕を組んだまま、窓を見つめていたが、不意に口を開いた。
「……昔、俺が初めて乗った戦場の移動車両は、後部が地雷で吹っ飛んだ」
その一言に、車内の空気が一瞬だけ張り詰める。
「冗談か?」
喜久が聞くと、サンティアスは表情一つ変えず答えた。
「事実だ。3人いた後席のうち、助かったのは俺だけだった。だから俺は、乗り物の中では喋らないようにしてる」
「縁起でもない話しないでください!」
一夏が驚きながら、思わず背筋を伸ばす。
「慣れりゃ大したことじゃねぇ。逆にお前らはよく喋るな。……怖くねぇのか」
その問いに、喜久が短く返す。
「怖いけどな、黙ってたら飲まれる。……だから喋ってるだけだ」
「……いい答えだ」
サンティアスはそれ以上何も言わず、再び黙った。ティーダが口元を引き締めて、あえて陽気に言い直す。
「まあ、戦場の思い出話は置いといて。俺、ずっと気になってたんだけどさ――」
彼は顔を真面目に向ける。
「君たち、“なんでそこまでして戦ってんの?”って訊いたら、怒る?」
その問いに、箒が静かに答える。
「守りたかったから。……守れなかったものがあったから」
「へえ、詩的だ」
「……皮肉か?」
「いや、本気で言ってるよ。俺は“失ったことが理由”ってやつ、嫌いじゃない」
ティーダはそう言って、ひとつだけ真面目な視線を喜久へ向ける。
「で、君は? 何のために?」
喜久は、一拍だけ黙った。そして窓の向こう、遠くの街の灯りを見ながらこう言った。
「……何のため、なんて考えたら、たぶん動けなくなる。だから“終わらせるため”に動いてる。戦いも、過去も――全部、だ」
その言葉に、車内がまた静かになる。だがその静けさは、重苦しさではなかった。やがて、一夏がぽつりと漏らす。
「……喜久、たまに格好いいこと言うな」
「うるせぇ、褒められるとむず痒ぇんだよ」
「へー。素直に照れるタイプと見た」
「ティーダ、今度どっかで射撃訓練やろうぜ。標的はお前な」
「ヒューッ、口は災いの元ってか~!」
ハマーはそんな口笛と会話を載せたまま、闇へと沈みゆくアメリカの道を走り続ける。