001
001 シャーレへの道
『なんかねー、連邦生徒会長がいなくなったっていう騒ぎに乗じて、矯正局から脱獄した生徒が、その建物の近くで大騒ぎしててー。今、そこ戦場だよ?』
「…………は?」
七神リンの口から、間の抜けた声が漏れた。
『どっかから巡航戦車まで調達してきたみたいでー。そこのシャーレって建物を、自分たちのものにしようとしてるみたい。まるで、そこに大事なものでもあるかって感じー』
「…………」
『あ、ランチのデリバリー来た! じゃあ切るねー』
ガチャン。
通信は、実にわかりやすく一方的に切断された。
端末を手にしたリンの肩が、ぷるぷると震えている。
怒りをこらえているのか、それとも別の感情なのか。少なくとも、今の彼女に話しかけるのは避けたほうがよさそうだった。
『落ち着け、七神リン首席行政官』
アレックスは、努めて冷静な声をかけた。
『司令官に必要なのは、いかなる時も冷静な心。そして、緊急時の連絡を怠った部下を処断するという確固たる意志だ』
「いえ……大丈夫です」
『そうか』
「あと、モモカはああ見えて、かなり有能ですので……」
『そうか』
「その……処断するのは、少々難しいと言いますか……」
『そうか』
アレックスは、深く追及しないことにした。
どうやら、この世界では有能な部下ほど上官の頭痛の種になるらしい。
自分の戦団にも、心当たりがないわけではない。
……いや、あちらはあちらで、別の意味で頭痛の種なのだが。
「それに」
リンは、ようやく震える手を止めると、こちらを振り返った。
「ここには、各学園を代表する心強い暇そうなせんりょ……いえ、生徒の皆さんがいらっしゃいますから」
「……え?」
ユウカが、嫌な予感を覚えたような声を出した。
リンは、そんな彼女に微笑みかける。
「キヴォトスの正常化のために、皆さんのお力が切実に必要です。さあ、行きましょう?」
「今、戦力って言いかけませんでした!?」
「気のせいです」
「絶対に言いましたよね!?」
ユウカの抗議を、リンは華麗に聞き流した。
アレックスは、そんなやり取りを見ながら、静かに思案する。
脱獄した生徒たちが、戦車を奪い、目的の建物を占拠しようとしている。
しかも、その建物の地下には、連邦生徒会長が事前に何かを運び込ませていた。
偶然にしては、出来すぎている。
もっとも、ここが異世界である以上、何をもって偶然と呼ぶべきかすら、まだ判断できないのだが。
『……了解した。まずは現地の状況を確認しよう』
「助かります、先生」
『ただし、ひとつ確認しておきたい』
「なんでしょう?」
『こちらでは、生徒を殺害することは禁じられている。そう聞いたが、間違いないな?』
「はい。基本的には、相手を無力化して拘束することになります」
『わかった。ならば、その方針に従おう』
アレックスは、パワーアーマーの装備を確認した。
ボルトライフル。
ボルトハンドガン。
そして、背負った戦斧。
いずれも、彼がこれまでの戦場で幾度となく命を救われてきた武器だ。
だが、ここでは扱いに気をつけなければならない。
敵を倒すことと、敵を殺すことは違う。
その区別を理解することは、戦士として決して難しいことではなかった。
問題は、相手がどこまで自分を殺そうとしてくるか、である。
もし相手が戦車を持ち出してくるのであれば、こちらも相応の対応を取らなければならない。
アレックスは、窓の外に広がる奇妙な空を一瞥した。
白い円環が、幾重にも重なっている。
その光景は相変わらず、彼の知るどの惑星にも似ていなかった。
そして、その下で暮らす人々は、どうやら戦車を持ち出すほどの喧嘩を日常的に繰り広げているらしい。
……なるほど。
この世界の平和とは、彼の知る平和とは、ずいぶんと基準が違うようだった。
002 戦車二両とスペースマリーン
「いったーい! あいつら、違法ホローポイント弾なんて使ってるじゃない! どこで買ってきたのよ!」
「別に、どこでも売っているものですから、そこまで珍しくはないと思いますが……。ただ、烏合の衆である不良が持っているのは、確かに不可解ですね」
「私の肌に痣が残っちゃうじゃない! ミレニアムじゃ、あとで違法化する予定なのよ!」
銃声が響く。
弾丸が壁を削り、窓ガラスが砕け、建物の外壁に新たな傷が刻まれていく。
そんな戦場のただ中で、少女たちは実に賑やかだった。
アレックスは、飛び交う弾丸の軌道を目で追いながら、ふと口を開いた。
『ホローポイント弾か。俺の生身に当たったら、血が出る程度の威力はあるやつじゃないか。それに耐えるとは……キヴォトス人というのは、すごいな』
「先生、私たちの後ろにいてください。そのアーマーなら大丈夫そうですが、目の部分にでも当たったら大惨事です」
『あの程度なら、ゼロ距離で食らっても平気だ』
実際、昔、スラーネッシュに魂を売り渡した裏切り者の手下に、顔面へボルトハンドガンを撃ち込まれたことがある。
あの時も、結局は無事だった。
もちろん、武器の種類や弾薬、射撃距離によって話は変わる。こちらの世界の銃火器についても、まだ十分な情報を得ていない以上、油断するつもりはなかった。
それでも、戦車砲でも飛んでこない限り、今の状況で自分の身を心配する必要は薄いだろう。
アレックスは、生徒たちの動きを確認した。
彼女たちは、こちらの指示に驚くほど的確に応じている。
射線を遮らず、互いの死角を補い、無力化した相手を後方へ下げる。戦闘訓練を積んだ者もいれば、銃撃戦そのものに慣れている者もいるようだった。
少なくとも、ただの学生という言葉から想像される集団ではない。
もっとも、戦車が走り回る街中で銃撃戦を繰り広げる学生という時点で、すでに常識からは大きく逸脱しているのだが。
アレックスは、ここへ向かうトラックの中で聞かされた説明を思い出した。
キヴォトスでは、生徒の殺害は原則として禁じられている。
だからこそ、敵を無力化しても、生死を確認するために斧を振り下ろすような真似はしてはならない。
……聞いておいてよかった。
説明がなければ、彼は戦場で身につけた習慣のまま、敵が再び立ち上がらないことを確認していたかもしれない。
それは、この世界では余計な問題を生む行為なのだろう。
しばらく進むと、前方に建物が見えてきた。
周囲には車両の残骸や破壊された障害物が散乱し、建物の近くでは銃撃が続いている。
あれがシャーレか。
アレックスは、ヘルメットのゴーグル越しに視界を拡張した。
視界の端に、機械精霊が解析した情報が次々と表示される。
建物の構造。
周辺の地形。
味方の位置。
敵性反応。
そして――。
『む、まずいな。戦車がいるぞ』
「えっ!? ど、どうしましょう!?」
「問題ありません。対戦車戦術なら、正義実現委員会で訓練されています」
「私のハンドガンでは、どこに当てても厳しそうですね……。ここはハスミさんにお任せしたほうが」
『いや、それでは君たちに怪我が残る。俺が行こう』
「えっ、先生!?」
誰かが止めるよりも早く、アレックスは走り出した。
その速度は、そこらを走る自動車すら置き去りにするほどだった。
重厚なパワーアーマーが地面を蹴るたび、舗装路が鈍く震える。
それでも、その動きは決して鈍重ではない。
むしろ巨体に似合わぬほど滑らかで、速く、そして正確だった。
敵は二両。
どちらも、レマン・ラス戦車を思わせる外見をしている。
ただし、装甲の厚さも、砲塔の構造も、細部の仕上げも、アレックスが知る帝国戦車とは比較にならないほど古めかしい。
技術水準だけを見れば、ずいぶんと見劣りする代物だった。
だが、だからといって戦車砲が脅威でなくなるわけではない。
戦車砲は、スペースマリーンであろうと、当たり所によっては命を奪う。
兵器の性能差がどれほど大きくとも、砲弾が持つ破壊力まで消えるわけではないのだ。
キヴォトスでは、こうした兵器が喧嘩の道具として使われるらしい。
アレックスは、その事実をいまだに信じられずにいた。
戦車が砲塔を旋回させる。
主砲が、一直線にこちらを向いた。
照準が合うよりも早く、アレックスは走る方向を変えた。
右へ。
左へ。
再び右へ。
規則性のない動きではない。砲塔の旋回速度、砲口の向き、射手が狙いを定めるまでの時間。そのすべてを瞬時に見極め、射撃が行われる直前に進路を変えている。
戦車砲が火を噴いた。
砲弾が、アレックスの背後で地面を抉る。
爆風が砂塵を巻き上げたが、彼の足は止まらない。
続けざまに、もう一両が砲撃を開始した。
左右から挟み込むような射撃。
それでも、アレックスは止まらなかった。
砲弾が着弾する地点を予測し、その間隙を縫うように走り抜ける。
まるで、未来を見ているかのような動きだった。
だが、未来を見ているわけではない。
積み重ねた経験と、戦闘中に得られる情報を、極限の速度で処理しているだけだ。
それだけで、戦車の砲撃を回避するには十分だった。
「めんどくせぇ! 適当にぶっぱなしちまえ!」
戦車の内部から、怒鳴り声が聞こえた。
二両の主砲が、今度はアレックスの進行方向を覆い尽くすように火を噴く。
地面が砕ける。
建物の壁が吹き飛ぶ。
砲弾が道路を抉り、破片が雨のように降り注ぐ。
しかし、そのどれもがアレックスを捉えられない。
彼は一瞬だけ身を沈め、飛び散る破片をかわし、そのまま加速した。
次の瞬間。
片方の戦車の履帯が、激しい音とともに弾け飛んだ。
続けて、もう片方の履帯も破損する。
二両の戦車が、その場で動きを止めた。
砲撃を続けることはできても、もはや機動力は失われている。
アレックスは、戦車の正面へと迫った。
その手には、戦斧が握られていた。
不良たちは、目の前の巨人が何をしようとしているのか理解したのだろう。
だが、理解したところで、納得はできなかったに違いない。
いくら大柄な相手でも、いくら奇妙な装甲を身につけていても、斧一本で戦車を破壊できるはずがない。
そんな常識が、彼女たちの判断を鈍らせた。
その斧は、ただの斧ではなかった。
アレックスが戦団長として管理する惑星で産出された、特別な鉱石。
その鉱石を対価として、惑星の地下に暮らすキン族の熟練鍛冶師が鍛え上げた武器。
彼の地位と責任にふさわしい、戦団長のための戦斧。
伝説に語られる遺物にも匹敵する一振りだった。
それが、ただ鉄を鍛えただけの戦車装甲に負ける道理はない。
『ムゥン!』
アレックスの身体が、戦斧とともに旋回した。
次の瞬間。
轟音。
衝撃。
そして、金属が引き裂かれる耳障りな音。
戦車の車体が、斜めに断ち割られた。
装甲板が裂け、内部機構が露出し、砲塔が大きく傾く。
一両目の戦車は、文字どおり三枚におろされたかのような姿になっていた。
それでも、乗員たちは生きていた。
機械精霊が示した乗員の配置を把握したうえで、アレックスは致命的な箇所を避けて斬撃を通していたのだ。
戦車を破壊し、乗員の命は奪わない。
その二つを同時に成し遂げるのは、決して簡単なことではない。
しかし、彼にとっては、それが求められた仕事だった。
戦車の内部にいた不良生徒は、目の前で起きた出来事を理解できずにいた。
恐怖。
それも、単なる恐怖ではない。
自分たちが絶対に安全だと思っていた装甲車両が、たった一人の人間によって斧で切り裂かれた。
その事実が、彼女の理解できる世界を根底から破壊していた。
彼女は、悲鳴を上げることすらできず、意識を失った。
二両目の乗員たちは、すぐさま逃走を開始した。
戦車を捨て、車体の陰から飛び出し、来た道を引き返そうとする。
だが、彼女たちは理解していなかった。
スペースマリーンに背を向けるという行為が、どれほど危険なことなのかを。
アレックスは、ボルトライフルを構えた。
しかし、引き金を引くよりも早く、逃げる不良たちのヘルメットが次々と砕けた。
遠距離からの射撃。
狙撃だ。
彼女たちはその場に倒れ、即座に意識を失った。
アレックスは、狙撃が行われた方向へ顔を向けた。
近くのビル、その屋上。
銃口の閃光を確認した瞬間、彼はボルトライフルをそちらへ向けた。
引き金を引く。
轟音とともに、屋上の一角が爆ぜた。
小規模な爆発が広がり、破片が周囲へと飛び散る。
しかし、狙撃手の姿はすでになかった。
逃げられたらしい。
「先生!? 何をしているんですか!?」
遅れて到着した生徒たちが、破壊された戦車を見て絶句した。
『狙撃手がいた。だが、初撃の時点で逃げられたようだ』
「このあたりを修繕する人は大変そうですね……。ツルギが暴れたあとよりは、マシそうですが」
『……そうか』
アレックスは、破壊された建物を見回した。
こちらを狙った狙撃手がいた。
しかし、最初から自分を狙っていたのなら、あの射撃は不自然だ。
狙撃手は、自分が戦車に接近している間も、戦車を破壊したあとも、決定的な一撃を放つ機会があったはずだ。
それなのに、実際に狙われたのは逃走する不良たちだった。
『……狙いは俺ではなく、不良たちだったのか?』
彼は、倒れている不良のもとへ歩み寄った。
少女は意識を失っている。
黒いヘルメットには、弾丸が貫通した穴が開いていた。損傷は大きいが、命に別状はなさそうだ。
アレックスは、ヘルメットを観察した。
特徴的な意匠はない。
ただの黒いヘルメット。
しかし、その側面には、ひとつのエンブレムが貼られていた。
それを見た瞬間。
アレックスの内側で、殺意が膨れ上がった。
反射的に戦斧を握る手に力がこもる。
今すぐヘルメットごと、少女の頭部を粉砕してしまいたい。
そう思わせるだけのものが、そこにはあった。
だが、彼は動かなかった。
ここはキヴォトスだ。
この世界では、生徒を殺すことは禁じられている。
それに、今ここで怒りに任せて行動すれば、得られるはずの情報まで失うことになる。
アレックスは、深く息を吐いた。
感情を抑え込む。
戦場で培った自制心を、今こそ使うべきだった。
「先生……?」
背後から、訝しげな声がかかった。
アレックスは振り返らなかった。
『この不良生徒のヘルメットに貼られているエンブレムについて聞きたい。何か情報は知っているか?』
「エンブレム、ですか? ええっと……」
少女たちは、互いに顔を見合わせた。
「一部の不良生徒や、各学園の生徒の一部が貼っているエンブレムですね。出現時期は不明だったはずです」
「ゲヘナにもいます。人数は把握できていませんし、服装もバラバラですが、同じエンブレムを貼っている生徒が何十人か確認されています」
「トリニティには、あまりいませんね」
『そうか。表立って何か問題行動を起こしたりは?』
「いえ。今のところは、一般的な不良の範疇かと」
『……そうか』
アレックスは、再びエンブレムを見つめた。
この世界がどこであれ、渾沌の信奉者がこれほどの文明を築き上げ、その内部で何事もなく暮らしているとは考えにくい。
もちろん、彼の知る銀河の常識を、この世界にそのまま当てはめるべきではない。
だが、あのエンブレムを見たときに湧き上がった感情は、単なる誤解や偏見で片づけられるものではなかった。
何かがある。
この世界には、彼がまだ知らない秘密が存在している。
アレックスは、空を見上げた。
白い円環は、相変わらず何重にも広がっていた。
それが何を意味するのか、彼にはまだわからない。
ただひとつ確かなことは、ここが、彼の知るどの戦場とも違う場所だということだった。
003 地下にいた少女
シャーレの施設内は、ひどく静かだった。
アレックスは、通路を歩きながら周囲を観察していた。
建物の中ではヘルメットを外している。吸い込む空気の質は、ヘルメットに搭載された空気清浄装置を通したものより、わずかに劣っているように感じられた。
もっとも、息苦しさはない。
それに、頭部を覆う装甲がなくなったことで、視界も広がっていた。
パワーアーマーの重量は相変わらずだが、少なくとも、ヘルメット特有の圧迫感からは解放されている。
ただし、ひとつ問題があった。
エレベーターが、彼の重量に耐えられなかったのだ。
正確には、乗ること自体はできたものの、動作に異常が発生したため、以後の使用を断念したのである。
そのため、アレックスは階段を使って施設内を移動していた。
……異世界に来て、最初に遭遇した問題がエレベーターの耐荷重とは。
彼としても、さすがに想定していなかった。
今の目的は、施設内にあるという管理権限端末を探し出すことだった。
サンクトゥムタワーの行政制御権を取り戻すためには、シャーレの地下に持ち込まれた何らかの設備が必要になるらしい。
しかし、その正体については、まだ詳しい説明を受けていない。
手持ち式のセンサーを起動し、電子端末を探索する。
もっとも、電源が入っていなければ反応しない機器も多いため、停止中の端末も検出対象に含めていた。
その結果、反応が多すぎる。
端末らしきものを見つけるたびに、実際にはただの設備だったということも珍しくなかった。
上階から順番に調べ、今は地下にまで降りてきている。
そして、ようやく目的の場所に近づいたと思った、そのときだった。
「これでは壊そうにも……」
少女の声が聞こえた。
アレックスは足を止めた。
壊す。
その単語から考えるに、脱獄した不良生徒が施設内に侵入している可能性がある。
外で待機している生徒たちに連絡するべきか。
いや、ここで不用意に騒ぎを大きくするのは避けたい。
この世界では、生徒を殺害することが禁じられている。
スペースマリーンの膂力を考えれば、相手がどれほど頑丈であろうと、手加減を誤れば取り返しのつかない事態になりかねない。
まずは声をかけ、抵抗をやめるように警告する。
それが最も適切な対応だろう。
……死の天使たるスペースマリーンにしては、甘い考えなのかもしれない。
しかし、今は戦場ではない。
少なくとも、そう扱うべきではなかった。
アレックスは、足音を殺して通路の先へ進んだ。
彼女たちは、あのエンブレムを身につけているのだろうか。
先ほどの不良生徒たちがそうであったように、彼女たちもまた、外の世界ならば処刑を免れない存在なのかもしれない。
だが、ここは別の世界だ。
何度考えても、その結論に行き着く。
銃火器を浴びても平然としている生徒。
戦車を喧嘩の道具にする不良。
そして、頭上に浮かぶ謎の円環。
まるで、この世界では死というものが、何らかの法則によって制限されているかのようだった。
……いや。
根拠のない推測を重ねても意味はない。
今は、目の前の問題に集中するべきだ。
アレックスは、通路の奥にいる少女へ声を張り上げた。
『そこの生徒! 抵抗は無駄だ! 今すぐ両手を頭の後ろに回し、矯正局に連行されよ!』
「あら?」
返事があった。
「あら、あなたは……」
そこにいたのは、黒髪に獣の耳を持つ少女だった。
独特な和装を思わせる衣服。華奢な体つき。頭上には、キヴォトスの生徒たちに共通する光の輪が浮かんでいる。
アレックスは、その姿を見て、ほんの一瞬だけ思考を止めた。
……あの服装は。
以前、かなり遠距離の惑星のスペースマリーンと取引をした際に、彼らが身につけていた衣服に似ている。
確か、大豆をはじめとした物資と引き換えに、故郷の鉱石を渡したときのことだったはずだ。
まさか、この世界にはケイオスの信奉者だけでなく、帝国やスペースマリーンに似た文化を持つ者まで存在するのか?
いや、まだ判断するには早い。
そう考えている間にも、少女はじっとアレックスを見つめていた。
「あら?」
彼女の頬が、少しずつ赤くなっていく。
「あら、あら……?」
さらに赤くなる。
「あらあらあら……!」
……なんだ?
アレックスは、警戒を強めた。
顔が赤くなる。
身体が小刻みに震えている。
これは何らかの攻撃の前兆なのか?
毒物か、精神攻撃か、それとも未知の生理反応か。
彼は少女の手元と周囲の状況を確認し、即座に対応できるよう重心をわずかに落とした。
「し、失礼いたしましたー!!!」
少女は、勢いよく頭を下げた。
そして、懐から取り出した丸い物体を床へ叩きつけた。
瞬間、白い煙が爆発的に広がる。
煙幕。
アレックスは、反射的に腕を持ち上げた。
ヘルメットを装着していない今、視覚情報はほとんど役に立たない。
煙の成分も不明だ。
彼は聴覚を研ぎ澄まし、周囲の音から少女の位置を探ろうとした。
足音。
衣擦れ。
そして、壁の向こうから響く、金属の軋む音。
よく訓練された戦闘員だ。
アレックスはサイドアームであるボルトハンドガンを抜き、音の方向へ銃口を向けた。
だが、引き金には指をかけなかった。
この先に、探している管理権限端末がある可能性がある。
不用意に撃てば、施設の設備を破壊してしまうかもしれない。
さらに、相手が生徒である以上、殺傷の危険も無視できない。
ほんのわずかな逡巡。
その間に、少女は姿を消していた。
どうやら、空気の入れ替え口を通って脱出したらしい。
途中で爆発音が聞こえたのは、おそらく換気設備を破壊した音だろう。
……あとで修理を依頼しなければならない。
アレックスは、ボルトハンドガンをホルスターへ戻した。
「…………なんだったんだ?」
地下通路には、彼ひとりが取り残されていた。
少女は逃げた。
設備は壊れた。
そして、何が起きたのか、本人にはまるでわからない。
戦団長として数多の戦場をくぐり抜けてきたアレックス・オリバー・ゴールデンは、この日、初めて遭遇する種類の敵に頭を抱えることになった。
少なくとも、彼の知る銀河には、あんな反応をする敵はいなかった。
武器のランクはスタンダード マスタークラフト 職人 遺物