004 シッテムの箱と機械精霊
「これがシャーレ、ひいては連邦生徒会の全権限を握る端末か」
誰もいなくなった地下室。
アレックス・オリバー・ゴールデンは、ようやく発見した端末を手に取り、じっくりと観察していた。
それは、キヴォトスではありふれた市販品にすら見える、薄い板状の電子機器だった。
少なくとも、外見だけならばそう見える。
装甲板もない。露出した配線もない。駆動部らしきものも見当たらず、機械としての構造はあまりにも単純に思えた。
しかし、アレックスにとっては見慣れない代物だった。
パワーアーマーの内部機構や、戦団が運用する各種端末ならば理解している。だが、この世界の電子機器は、彼の知る帝国の技術体系とは根本から異なっているようだった。
何より気になるのは、起動方法である。
側面を確かめる。
裏面を確認する。
上下をひっくり返し、角の部分まで注意深く調べてみる。
……電源ボタンがない。
「ふむ。接触式か?」
試しに、装甲手袋をはめた指先で画面に触れてみた。
すると、画面が明るくなった。
どうやら、壊れてはいないらしい。
「パスワード……いや、そもそもこれは俺が触って壊れないのか?」
アレックスは、そっと端末を机の上へ戻した。
まるで、壊れやすい遺物を取り扱う考古学者のような慎重さだった。
実際、彼の手は、普通の人間が扱うにはあまりにも大きい。
パワーアーマーに覆われた指先は、精密機器を操作するためのものではない。ボルトライフルを構え、戦斧を振るい、敵の装甲を引き裂くためのものだ。
その手で、薄い板切れのような機械を操作しろというのだから、なかなか難しい話である。
かの大英雄、ロブート・グィリマン陛下ですら、地面に落ちた紙を拾うのに苦労されたという逸話がある。
ましてや、自分は今、全身を装甲で覆っているのだ。
端末のひとつやふたつ、うっかり握り潰してしまっても不思議ではない。
もちろん、そんなことになれば目も当てられない。
この端末がシャーレの権限を握っているというのなら、なおさらだった。
アレックスは腕を組み、唸った。
これは問題だ。
本来なら、こうした細々とした事務作業は、彼自身が選んだ秘書や補佐官に任せていた。書類を読み上げさせ、必要な情報を整理させ、落とした物があれば拾わせる。
戦団長の仕事とは、何も戦場で斧を振るうことだけではない。
むしろ、戦場以外の仕事のほうが多いくらいだった。
だが、ここにはまだ信頼できる人間がいない。
先生という立場である以上、生徒たちを信用するべきなのだろう。
しかし、信頼とは肩書きひとつで成立するものではない。
彼女たちがどのような文化を持ち、どのような歴史を経て、どのような価値観を育んできたのか。それを知らずして、無条件に信用することはできなかった。
それは、数多の惑星から労働者や交易商人、移民たちを受け入れてきた彼の経験則でもあった。
もちろん、その中には隠れた邪教徒もいた。
そうした連中は、見つけ次第、徹底的に叩き潰した。
この世界の生徒たちに同じような者がいるとは思いたくない。
だが、すでに不良生徒という形でケイオススペースマリーンが存在している以上、彼らが今なお渾沌の四大勢力を信仰している可能性は捨てきれなかった。
そして、それ以上に理解できないことがある。
そんな連中がいるにもかかわらず、キヴォトスという世界は、いまだに社会としての形を保っているのだ。
ティラニッドやオルクほど無秩序ではないにせよ、渾沌の信奉者というものは、文明の内部に入り込めば厄介極まりない存在である。
彼らが本格的に活動していれば、今頃は都市のひとつやふたつ、崩壊していてもおかしくない。
それなのに、この世界には学校があり、行政機関があり、日常生活がある。
銃撃戦や戦車による騒動が日常的に発生しているらしいことを除けば、だが。
……いや、それを除外してよいのか?
「わからんな。情報が足りなすぎる」
結局、そこへ行き着く。
「ケイオス不良を一人捕まえて尋問するべきか……いや、ナイトロードの連中がいれば、貴金属でも使って情報を引き出せるか?」
アレックスは数秒ほど考え込んだ。
「……不可能だな。そもそも、目下の問題はこのタブレットの耐久度か」
結論が出た。
彼は机の上からボールペンを拾い上げた。
もちろん、乱暴に扱うつもりはない。
むしろ、細心の注意を払っていた。
ボールペンの先端を画面へ向ける。
そして――。
ツン。
ツンツン。
『いたい! いたいです、先生! タブレットにはタブレット専用のタッチペンを使ってください!』
……声がした。
アレックスの手が止まった。
机の上に置かれたヘルメットから、少女の声が聞こえてくる。
外で待っている生徒たちの声ではない。
そもそも、今の声は、目の前の端末から聞こえたように思えた。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「君は誰だ? どこから連絡している?」
『あっ、先生! 聞こえてますか? ボールペンでツンツンするのはやめてください! 表面が傷ついてしまいますよ!』
「……ふむ」
アレックスは、ボールペンを持つ手を止めたまま、端末を見つめた。
声の発生源がこの機械であるならば、内部に音声通信機能が備わっている可能性がある。
だが、それだけでは説明がつかない。
先ほどまで、建物全体の電源すら停止していたはずだ。
監視カメラや通信設備が、彼の行動をリアルタイムで観測できていたのか?
それとも、端末そのものが、独立して稼働しているのか?
さらに、声の主は自分を「先生」と呼んだ。
こちらの事情を把握している。
少なくとも、偶然つながった通話相手ではないだろう。
「言い方を見るに、君はこの場所を観測しているのか?」
『えーっと……先生風に言うと、私はアロナ! 機械? 精霊? です! タブレットであるシッテムの箱の! 先生が今、机の上に置いているソレです!』
「なんだと?」
機械精霊。
彼女は、自らをそう称した。
アレックスは、無意識のうちにボールペンを机へ置いた。
機械に宿る知性。
あるいは、機械そのものが独立した意思を持つ存在。
帝国において、そのような存在を意味する言葉は、決して気軽に口にしてよいものではなかった。
それが本当に機械精霊であるならば、これは単なる電子端末ではない。
そして、もし彼女の説明が嘘であるならば、何者かがこの端末を通じて彼を監視していることになる。
どちらにしても、警戒する理由は十分だった。
「機械精霊アロナよ。君は、自分の意思で起動したということか?」
『あっ、えーっと……そう! そうです! 先生のボールペンでの接触が、たまたま! たまたま起動ボタンを押したんです!』
「……言い訳じみているな」
『そ、そんなことないですよ!?』
「まあいい。今は信じよう、機械精霊アロナよ」
『本当ですか!? ありがとうございます、先生!』
端末から聞こえる声は、妙に明るかった。
少なくとも、今のところ敵意は感じられない。
もっとも、機械の声色だけで善悪を判断するほど、アレックスは単純ではなかったが。
邪悪な人工知能。
帝国において、その存在は明確な禁忌とされている。
通常のスペースマリーンであれば、ここで即座に端末を破壊していたかもしれない。
特にブラックテンプラーのような、皇帝陛下への信仰と異端への憎悪を極限まで研ぎ澄ませた戦団であれば、なおさらだろう。
人類の敵として滅ぼされたはずの存在が、機械の内部で息を潜めている。
それを知れば、彼らは皇帝陛下の威信にかけてでも、この端末を破壊しようとするに違いない。
一方、アデプトゥス・メカニカスであれば、端末を分解して内部構造を調べようとするだろう。
未知の技術。
未知の素材。
そして、機械の内部に存在するという知性。
彼らにとっては、何が何でも調査すべき対象である。
たとえ、その素材が既知の技術では加工できないほど特殊なものであったとしても、彼らが諦めるとは思えなかった。
では、アレックスはどうか。
彼は、端末を破壊しなかった。
その理由は、単に彼が異端に寛容だからではない。
そもそも、彼の故郷には、帝国とは異なる価値観を持つ者たちが暮らしていた。
キン。
人類判定を受けてはいるものの、帝国の一般的な人類とは異なる歴史と文化を持つ種族である。
彼らは職人気質であり、機械に対して深い敬意を抱いていた。
そして、時には機械を単なる道具ではなく、対話すべき相手、あるいは友人として扱うことすらあった。
機械の内部に意思が存在するというだけで、即座に破壊を選ぶわけではないのだ。
もちろん、彼らも無条件にすべてを受け入れるわけではない。
危険なものは危険であり、制御できないものは制御できない。
だが、少なくとも、まずは理解しようとする余地があった。
アレックスは、かつての父、ジョン・オリバー・ゴールデンのことを思い出した。
後に彼の養父となるスペースマリーンと、キン族の関係は、決して良好とは言えなかった。
互いの価値観は異なり、機械に対する考え方も異なっていた。
その関係が決定的に敵対へ傾かなかったのは、アレックスが惑星の守護システムを起動させたことが、大きな転機となったからだ。
キン族ですら起動できなかった古代の機械。
それを起動させたことで、彼は彼らの仲間として認められるに至った。
その経験は、ゴールデンアスタルテスの気風にも影響を与えている。
他の戦団と比較すれば、彼らは機械知性に対して、わずかに柔軟な判断を下す傾向があった。
もちろん、帝国の基準からすれば、それでも十分に危うい思想なのだろう。
五十歩百歩と言われれば、否定は難しい。
それでも、アレックスは最初から破壊することを選ばなかった。
まずは話を聞く。
正体を確かめる。
危険性を見極める。
それから判断すればいい。
少なくとも、彼はそう考えていた。
「機械精霊アロナよ。起動の儀式には、どのような手順が必要なんだ?」
『そのためには、一度こちらに来ていただく必要がありますね! 先生、手をこちらに!』
「手を?」
『はい! 画面に手を伸ばしてください!』
画面には、少女の姿が映し出されていた。
彼女は笑顔でこちらに手を差し伸べている。
いや、正確には、画面の向こうから指をこちらへ突き出しているように見えた。
まるで、その先に現実の空間が続いているかのように。
映像であるはずの指先が、妙に立体的に感じられた。
アレックスは、画面を見つめた。
通常の映像技術では説明がつかない。
ホログラムなのか。
空間投影なのか。
あるいは、未知の技術による錯覚なのか。
判断材料がない。
「……こうか?」
彼は、慎重に指先を画面へ押し当てた。
次の瞬間。
世界が、切り替わった。
「むっ!?」
周囲の景色が消失する。
床も、壁も、机も、地下室も。
つい先ほどまで存在していたはずのすべてが、瞬く間に遠ざかっていく。
アレックスは反射的に姿勢を低くし、周囲を確認した。
しかし、そこには敵も、武器も、見慣れた設備も存在していなかった。
あるのは、崩壊した教室。
そして、どこまでも広がる青だった。
天井はない。
壁は一面だけが残り、それ以外は爆発によって吹き飛ばされたかのように崩れている。
床や机、椅子は教室としての形を保っているものの、その周囲は青い空と海に呑み込まれつつあった。
空と海。
その境界すら、曖昧だった。
まるで、世界そのものが青い海へ沈んでいく途中に、教室だけが取り残されているかのようだった。
それなのに、不思議と不快感はない。
破壊されているはずなのに、どこか静謐で、澄み切った印象があった。
戦場の廃墟とは違う。
死体も、血痕も、砲撃の痕跡もない。
ただ、崩壊した教室と、果てしない青だけが存在している。
アレックスは、ゆっくりと立ち上がった。
パワーアーマーの重量は変わらない。
武器も、装備も、すべて身につけたままだ。
ならば、少なくとも、肉体ごと別の場所へ移動した可能性がある。
しかし、どのような原理で?
転移技術なのか。
精神世界なのか。
あるいは、端末の内部に構築された仮想空間なのか。
どれも、現時点では断定できない。
そのときだった。
「はじめまして、先生!」
明るい声が響いた。
「私は機械精霊アロナちゃんです!」
声の方向へ顔を向ける。
そこには、一人の少女が立っていた。
水色の髪を短くまとめ、同じ色合いのセーラー服を身につけた少女。
その表情は明るく、こちらを見上げる瞳には、好奇心と親しみが浮かんでいた。
先ほどまで端末越しに聞いていた声の主。
機械精霊アロナ。
彼女は、確かにそこに存在していた。
アレックスは、ゆっくりと膝を曲げた。
相手の身長に合わせ、視線を近づけようとしたのである。
ただし、彼の巨体とパワーアーマーを考えれば、それはあくまで努力目標に近かった。
しゃがんでもなお、彼女との身長差は大きい。
それでも、アレックスはできる限り視線を合わせようとした。
「俺はアレックス・オリバー・ゴールデンだ」
彼は、改めて名乗った。
「……よろしく頼む、アロナ」
それは、戦団長としての威厳を保ちながらも、相手をひとりの対話者として認める挨拶だった。
機械なのか。
精霊なのか。
それとも、そのどちらでもない何かなのか。
答えは、まだ出ていない。
だが、少なくとも今の彼は、目の前の少女を破壊するつもりはなかった。
まずは話を聞こう。
この奇妙な世界について。
シャーレについて。
そして、彼女が言うところの『先生』という役割について。
アレックス・オリバー・ゴールデンの、キヴォトスにおける本当の仕事は、どうやらここから始まるらしかった