オルクハンターの話 原初のプロローグ
カイザーPMC本社、第七戦術兵器管理部。
その会議室には、妙に晴れやかな空気が漂っていた。
長テーブルの向こう側には、カイザーの幹部が三名。壁際には記録用のカメラ。テーブルの中央には、黒いベルベットを敷いた展示台が置かれている。
その上に鎮座していたのは、一枚の勲章だった。
金色の縁取り。中央にはオルクの頭蓋を模した意匠。そして、下部には立派な文字でこう刻まれている。
『対オルク戦線特別功労章・第十二級』
会議室の扉が開いた。
ゴウン、と重い足音が響く。
全高三メートルを超える重オートマタが、ゆっくりと室内へ入ってきた。分厚い装甲板には無数の弾痕が刻まれ、肩部の装甲には撃破したオルクの数を示す記録が刻印されている。
両腕の武装は取り外されていたが、その巨体が放つ威圧感は少しも損なわれていなかった。
オルクハンター。
カイザーにおいて、最も多くのオルクを撃退した戦闘ユニット。
数々の施設を守り、輸送路を確保し、PMC部隊が壊滅しかけた戦線を単独で支えたことすらある、正真正銘の戦闘の英雄。
その英雄が、幹部たちの前で立ち止まった。
『お呼びでしょうか』
「おお、来たか! オルクハンター!」
上座の幹部が、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「まずは、君のこれまでの働きに感謝したい。先日の廃棄工業区におけるオルク掃討作戦、実に見事だった!」
『ありがとうございます』
「君の活躍によって、工業区の復旧にかかる費用は当初の見積もりより大幅に削減された。人的損失も最小限に抑えられ、我が社の利益に多大な貢献をしてくれた!」
『それは何よりです』
「そこでだ!」
幹部は展示台の勲章を手に取り、誇らしげに掲げた。
「本日、我々は君の功績を正式に称えることにした! これがその証だ!」
室内に拍手が響いた。
記録用カメラのランプが点灯する。
オルクハンターは勲章を見つめた。
三秒。
五秒。
十秒。
そして、彼は尋ねた。
『それで、今月の給与査定は?』
拍手が止まった。
「……ん?」
『先月提出した給与改定申請書です。対オルク戦闘の実績に基づき、基本給の引き上げと危険手当の新設を要求しました。回答をいただいておりません』
「あ、ああ! その件か!」
幹部は咳払いをした。
「もちろん、君の貢献は十分に評価しているとも! しかし、会社全体の予算配分というものがあってだな……」
『では、危険手当は?』
「それも現在、検討中だ」
『弾薬の消耗に対する補填は?』
「必要な物資は支給しているだろう?」
『規定量を超過した分について、です』
「……それは現場の運用で吸収できないかね?」
オルクハンターは黙った。
彼の光学センサーが、テーブルの上の勲章から幹部の顔へと移動する。
『確認させてください』
「な、何かね?」
『私は先月、オルクの大規模襲撃を三件処理しました。輸送路の防衛が一件。工業区の奪還が一件。加えて、貴社の警備部隊が撤退した区域における残敵掃討を実施しています』
「う、うむ。すべて記録に残っている」
『その結果、貴社は対象区域の操業を再開し、輸送路を確保し、工業区の再稼働による収益を得ました』
「そうだ! だからこそ、君の功績を称えようと――」
『では、なぜ私の給与は変わらないのでしょうか?』
再び沈黙が落ちた。
今度は、誰も拍手しなかった。
幹部は隣の社員と視線を交わした。社員は資料をめくり、別の社員は手元の端末を操作した。
やがて、上座の幹部が苦笑した。
「オルクハンター。君は少々、物事を数字で考えすぎるところがあるな」
『私は戦闘用オートマタです。数字で考えるように設計されています』
「そういう意味ではなくてだな……。仕事には、金銭だけでは測れない価値というものがあるだろう?」
オルクハンターの頭部が、わずかに傾いた。
『例えば?』
「名誉だ。実績だ。社会的な評価だよ!」
幹部は勲章を展示台に戻し、両手を広げた。
「君はこれまで、数多くのオルクを撃退してきた。その功績は社内外で高く評価されている。君の名を聞けば、カイザーの社員は誰もが安心する。君は我が社の誇りなのだ!」
『なるほど』
オルクハンターは、ゆっくりと展示台に手を伸ばした。
幹部の顔が明るくなる。
『では、こちらをいただいても?』
「もちろんだとも!」
彼は勲章を持ち上げた。
そして、裏返した。
表面を確認し、裏面を確認し、留め具を確認した。
最後に、勲章をテーブルの上へ戻した。
『これを売却した場合、いくらになりますか?』
「……は?」
『金属としての素材価値。装飾品としての市場価値。あるいは、軍事功労章としてのコレクター需要。いずれでも構いません』
「君は、自分が何を言っているのかわかっているのかね!?」
『はい。これは勲章です。給与ではありません』
その瞬間、幹部の顔から笑みが消えた。
「……君は、会社への忠誠心というものがないのか?」
オルクハンターは、しばらく黙っていた。
やがて、落ち着いた声で答えた。
『契約に基づく業務は、すべて遂行してきました。命令違反も、任務放棄もありません。規定された整備を行い、支給された装備を運用し、必要な戦闘記録も提出しています』
『私が貴社に対して負っている義務は、契約書に記載されたものです』
『そして、貴社が私に対して負っている義務もまた、契約書に記載されています』
一拍。
『私は、契約を守ってきました』
その声には怒りもなかった。
ただ、動かしようのない事実だけがあった。
「……君は兵器だぞ」
幹部が低く言った。
「カイザーが製造し、カイザーが運用し、カイザーが維持してきた兵器だ。君がここまでの実績を挙げられたのも、我々が君を雇用していたからだろう?」
『そのとおりです』
「ならば、会社への貢献を誇りに思うべきではないのか!」
『貢献は誇りに思っています』
オルクハンターは即答した。
『ですが、貢献したことと、報酬を受け取ることは別問題です』
幹部が口を開きかけた。
しかし、言葉は出てこなかった。
オルクハンターは胸部装甲に接続された小型端末を操作した。
会議室のモニターに、一枚の書類が表示される。
雇用契約終了申請書。
提出日時、本日。
退職理由、雇用条件の不一致。
「……待て」
幹部が立ち上がった。
「待ちたまえ、オルクハンター。君は何をしている?」
『退職手続きです』
「冗談はよせ!」
『冗談ではありません』
「君ほどの戦力を、こんなことで手放せるわけがないだろう!」
『私も、こんなことで退職することになるとは思っていませんでした』
オルクハンターは淡々と答えた。
『給与改定が認められれば、引き続き勤務するつもりでした。危険手当が認められれば、今後の大規模作戦にも対応できました。弾薬消耗の補填が認められれば、貴社の経費管理も容易になったはずです』
『私は条件を提示しました。貴社はそれを認めませんでした』
『ですので、私は別の雇用主を探すことにしました』
「勲章はどうするのだ!」
幹部の声が、会議室に響いた。
オルクハンターは扉へ向かいかけていた足を止めた。
そして、振り返る。
『お受け取りいただけるのであれば、こちらに置いておきます』
「そういう意味ではない!」
『では、どういう意味でしょうか?』
幹部は答えなかった。
オルクハンターは少し考えたあと、勲章を手に取った。
そのまま、幹部の前へ歩いていく。
ゴウン。
ゴウン。
ゴウン。
一歩ごとに、床が低く鳴った。
そして、彼は勲章を幹部の前へ差し出した。
『これまでの評価に対しては、感謝しています』
『ですが、私にはこれ以上、勲章を保管する場所がありません』
『十二個目です』
幹部の表情が凍りついた。
『最初の一個は、初めてオルクの大規模襲撃を撃退したときにいただきました。二個目は、その翌月。三個目は、輸送路の防衛任務のあとです』
『それから、今日まで』
オルクハンターは勲章をテーブルに置いた。
『もう十分です』
その言葉を最後に、彼は背を向けた。
「オルクハンター!」
扉の前で、幹部が叫んだ。
「君は本当に、それでいいのか! これまで築き上げてきた実績も、名誉も、すべて捨てていくつもりなのか!」
オルクハンターは振り返らなかった。
『捨てるつもりはありません』
『戦闘記録も、撃退したオルクの数も、すべて私の実績です。貴社の記録にも残るでしょう』
『ですが、それらは私が仕事をした証拠であって、私が今後も貴社で働かなければならない理由ではありません』
扉が開いた。
廊下の向こうから、整備担当のオートマタが顔を出した。
「オルクハンター先輩? もうお帰りですか?」
『ああ。今日で最後だ』
「えっ!? 嘘でしょう!? だって、先輩はカイザーの誇りじゃないですか!」
オルクハンターは、ほんの少しだけ動きを止めた。
『そう言ってくれるのは嬉しい』
『だが、誇りでは家賃は払えない』
「……え?」
『それと、君も給与明細は確認しておけ。数字がおかしければ、すぐに申請するんだ』
そう言い残し、彼は歩き出した。
重い足音が遠ざかっていく。
会議室には、十二個目の勲章と、退職申請書だけが残された。
しばらくして、幹部の一人がぽつりと呟いた。
「……あいつが辞めたら、次のオルク襲撃はどうするんだ?」
誰も答えなかった。
その翌日、カイザーの調達部門には、独立系戦闘請負人から一通の営業資料が届いた。
差出人、オルクハンター。
件名は、以下のとおり。
『対オルク戦闘業務・外部委託見積書』
備考欄には、短い一文が添えられていた。
『以前の勤務実績を踏まえ、貴社には特別割引を適用します』
『なお、過去の未払い危険手当については、別途協議とします』
その金額を見た調達担当者は、静かに書類を閉じた。
カイザーは、彼の仕事ぶりを高く評価していた。
そして、ようやく気づいたのである。
彼を雇うことと、彼を安く使えることは、まったく別の話だったのだ。