オルクハンター — 鉄塊は勲章を望まない
廃棄された工業区画。
かつてはキヴォトスの物流を支えていたその場所も、今では錆びついたコンテナと崩落した高架道路、そして無数の弾痕だけが残る死地と化していた。
風が吹くたび、建物の骨組みが軋む。
砕けたアスファルトの隙間には、緑色の血液が乾ききらないまま染み込んでいた。転がっているのは、粗雑に溶接された装甲板。人間の手では扱いきれない大口径弾の薬莢。引き裂かれた車両の残骸。そして、いずれも尋常ではない筋力で破壊されたと思しき鉄骨の数々。
ここには、オルクがいた。
そして今も、いる。
「……依頼の内容を確認するぞ」
重低音が通信回線を震わせた。
発声器官を通して響く声は、もはや生身の人間が発するものとは思えない。金属製の胸郭に設けられたスピーカーが音声を増幅し、低く、硬く、無機質な響きを周囲へと伝播させる。
その声の主は、崩れた高速道路の上に立っていた。
全高は人間を大きく超え、肩幅は一般的な車両の横幅に迫る。分厚い装甲板が幾重にも重ねられた巨体。鈍い金属光沢を放つ装甲の各所には、幾度もの戦闘で刻まれた傷跡が残されている。
頭部は装甲に覆われ、眼部に設けられた光学センサーだけが赤く輝いていた。
その姿は、まるで戦場から歩き出してきた重装甲戦車だった。
ただし、戦車と違って彼には腕がある。
しかも、左右の腕はそれぞれ独立した重火器プラットフォームとして構成されていた。
「対象は元オルク生徒の武装集団。推定戦力、四十から六十。大型個体を含む。小型車両三台、重火器複数。依頼内容は武装集団の排除、および付近の物流路の再開」
彼は手元の端末に表示された依頼書を確認した。
「報酬は?」
『基本報酬、六十万クレジット。対象の排除数に応じて追加報酬が発生します』
「追加報酬の条件は?」
『大型個体の撃破で十万。車両の回収が可能な場合は別途査定。武器や弾薬などの鹵獲品については――』
「こちらの取り分は?」
『……契約書に記載されているとおりです』
「よし」
彼は端末を閉じた。
「話が早くて助かる」
その言葉に、背後で待機していた小型の随伴機が首を傾げた。
『オルクハンターさん。敵の規模に対して、今回の報酬は少し安くありませんか?』
「そうか?」
『はい。過去の戦闘記録から算出すると、予想される損耗率と弾薬消費量が――』
「弾薬代は別途請求できる。装甲は交換できる。腕も交換できる。俺は死なない。問題ないだろ」
『……最後の項目については、保証できません』
「だから慎重にやるんだよ」
彼はそう言って、ゆっくりと首を巡らせた。
視界の向こうには、工業区画の中心部にそびえる巨大な倉庫があった。
その屋根には、緑色の塗料で描かれた粗雑な紋章がある。
オルクたちの印だ。
彼はそれを数秒ほど眺めた後、淡々と告げた。
「さて。仕事を始めようか」
最初の銃声が響いたのは、それから三分後のことだった。
倉庫の屋上に設置された見張り台。
そこにいたオルクが、双眼鏡越しに異様な影を見つけた。
「オイ、ナンダアリャ?」
仲間を呼ぶ声。
粗雑な翻訳機を通しても、その疑問は明白だった。
遠くの道路に、何かが立っている。
大柄な人影。
いや、人影というには大きすぎる。
装甲車のような肩。異常に太い腕。頭部を覆う金属の兜。赤く光る眼。
その両腕には、巨大な銃器が取り付けられていた。
「ニンゲンカ?オートマタカ?」
「シラネェ! デモ、デケェゾ!」
「ブッコワセ! デケェノハイイモンモッテル!」
オルクたちは笑った。
彼らにとって、巨大な敵は恐怖の対象である以前に、戦う価値のある相手だった。
強そうな敵を倒せば、自分たちがもっと強くなれる。
そう考える彼らにとって、目の前の重装甲機械は、まさしく格好の獲物だった。
見張り台の重機関銃が旋回する。
銃口が火を噴いた。
次の瞬間、数十発の弾丸が道路を薙ぎ払った。
コンクリートが砕け、路面が抉れ、粉塵が噴き上がる。弾丸はオルクハンターの装甲に次々と衝突し、火花を散らした。
それでも、彼は歩いていた。
一歩。
また一歩。
装甲の表面に弾痕が刻まれる。衝撃が巨体を揺らす。だが、その歩みは止まらない。
彼は敵の射撃位置を確認し、わずかに頭を傾けた。
「高所に重機関銃。射手は二名。右側の窓にも一名。射角は限定的……」
彼は左腕を持ち上げた。
「悪くない配置だ。だが、道路を撃つだけなら誰でもできる」
腕部装甲が展開する。
内部の駆動機構が唸りを上げ、巨大なガトリング砲が露出した。
複数の銃身が回転を始める。
甲高い回転音が、廃墟の静寂を切り裂いた
。
「こちらの仕事は、敵を排除することだ」
ガトリング砲が火を噴いた。
轟音。
それはもはや銃声というより、巨大な機械が咆哮する音だった。
高速回転する銃身から吐き出された弾丸が、見張り台を覆う鉄板を打ち砕く。重機関銃の銃架が吹き飛び、射手たちは遮蔽物の陰へと転がり落ちた。
弾丸は倉庫の外壁にも叩きつけられ、薄い鉄板を紙のように引き裂いていく。
オルクたちの笑い声が止まった。
彼らは初めて理解した。
目の前の敵は、ただ大きいだけではない。
自分たちが普段振り回している粗雑な銃器とは、火力の次元が違う。
「オイ! アレ、ナンダ!」
「シラネェヨ! 撃テ! 撃チ返セ!」
倉庫のシャッターが開いた。
内部から現れたのは、装甲板を貼り付けた改造トラックだった。荷台にはロケットランチャーが据え付けられ、運転席からはオルクの怒号が響いている。
発射炎。
ロケット弾が飛来した。
オルクハンターは横へ飛び退かなかった。
避けられないからではない。
避ける必要がなかったからだ。
爆発。
衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばし、道路を白煙で覆い尽くした。
倉庫の窓ガラスが一斉に砕け、錆びついた看板が吹き飛ぶ。
しばらくして、煙の向こうに影が現れた。
オルクハンターは、まだ立っていた。
肩部装甲には新たな損傷が刻まれ、表面の塗装が剥がれている。右腕の装甲板からは、焼けた金属の匂いを伴う白煙が上がっていた。
だが、光学センサーの輝きは変わらない。
彼は損傷箇所を一瞥した。
「右肩、装甲損耗。右腕、駆動系に軽微な異常。修理費……まあ、許容範囲だな」
そして、トラックを見た。
「おい。そこの運転手」
拡声器を通した声が、戦場に響き渡る。
「その車両、依頼主の所有物じゃないよな?」
返答はなかった。
代わりに、トラックの荷台から二発目のロケット弾が発射された。
オルクハンターは右腕を持ち上げた。
装甲板が左右に開き、内部から噴射口が姿を現す。
火炎放射器。
点火機構が作動した瞬間、燃料供給管に圧力がかかった。
「そうか。なら、遠慮はいらんな」
炎が走った。
紅蓮の奔流が道路を舐め、トラックの前面を包み込む。熱に炙られた装甲板が赤く変色し、タイヤが破裂する。運転手が慌てて車両を後退させようとしたが、すでに遅かった。
オルクハンターは歩みを止めない。
火炎放射器を構えたまま、ゆっくりと前進する。
その巨体が一歩進むたびに、路面の瓦礫が押し潰され、燃え残った弾薬が乾いた音を立てて爆ぜた。
オルクたちは逃げ始めた。
だが、彼は追わなかった。
逃走経路はすでに把握している。
倉庫の裏手には崩落した道路があり、東側には物流用の狭い通路がある。北側の出口は瓦礫で塞がれている。
逃げられる場所は限られていた。
そして、彼はそのすべてを見ていた。
「逃げるのは自由だ」
オルクハンターは通信回線を開いた。
「ただし、契約の対象が残っている限り、仕事は終わらん」
戦闘開始から十八分。
倉庫の内部は、もはや倉庫ではなくなっていた。
棚は倒れ、鉄骨は曲がり、壁面には無数の弾痕が刻まれている。天井から垂れ下がった照明器具が火花を散らし、床には破壊された武器や装備が散乱していた。
その中央で、一体の大型オルクが咆哮した。
他の個体よりも一回り大きな身体。無数の装甲板を継ぎ接ぎした鎧。右腕には大型のビッグッチョッパ、左腕には改造された重機関銃。
その胸部には、無数の勲章らしき金属片が釘で打ち付けられていた。
オルクの首領だ。
「オマエ! オレサマノ仲間、イッパイヤッタナ!」
オルクハンターは、わずかに首を傾けた。
「そうだな。だいたい四十七体」
「オレサマガ、オマエヲブッコワス!」
「それは困るな」
彼は右腕の火炎放射器を停止させた。
「まだ請求書を書いていない」
大型オルクが突進した。
床が砕ける。
ビッグチョッパのチェーンが唸りを上げ、巨大な刃がオルクハンターの胴体へと振り下ろされた。
火花。
刃が装甲を削り、金属片が飛び散る。
大型オルクは笑った。
だが、その笑みは長く続かなかった。
オルクハンターは後退していなかった。
両足を床に固定し、巨体を支えたまま、敵の攻撃を受け止めていたのだ。
「……なるほど」
彼は相手の腕部構造を観察した。
「出力は高い。だが、振りが大きすぎる。駆動系も露出している。装甲の継ぎ目も甘い。何より――」
左腕のガトリング砲が回転を始めた。
「近づきすぎだ」
至近距離での射撃。
銃口から吐き出された弾丸が、大型オルクの胸部装甲に叩き込まれる。
一発。
二発。
十発。
装甲が砕け、溶接部分が剥がれ、衝撃で巨体が後退する。
大型オルクは重機関銃を乱射した。
弾丸がオルクハンターの胴体に食い込み、装甲表面で跳ね、火花を散らす。
彼は射撃を続けた。
弾薬残量を確認。
駆動系の温度を確認。
装甲の損傷率を確認。
敵の姿勢を確認。
そして、結論を出した。
「よし。終わりだ」
ガトリング砲が停止する。
代わって、右腕の装甲が展開した。
内部に格納されていたのは、短砲身の大口径砲だった。
砲口が大型オルクの胸部へ向けられる。
「お前の装甲は悪くない。素材としては、な」
発砲。
爆発的な衝撃が倉庫内を震わせた。
大型オルクの身体が後方へ吹き飛び、背後の鉄骨に叩きつけられる。歪んだ金属が悲鳴のような音を立て、崩れ落ちた。
静寂が戻った。
オルクハンターは、ゆっくりと歩み寄った。
大型オルクはまだ動いていた。
彼はその様子を確認し、追加の射撃を一発だけ加えた。
そして、動かなくなったことを確かめる。
「対象、排除」
通信機に告げる声は、戦闘開始前と何ら変わらなかった。
「大型個体一。武装集団、排除完了。物流路の安全を確認する。車両三台のうち一台は回収可能。残り二台は……まあ、鉄屑だな」
彼は周囲を見渡した。
「鹵獲品の査定を頼む。あと、追加報酬の条件をもう一度確認しておけ。大型個体の撃破は十万だったな?」
『はい。契約どおりです』
「よろしい」
彼は頷いた。
「仕事というのは、こうでなくてはな」
戦闘終了から一時間後。
物流路の入口には、依頼主の車両が到着していた。
担当者は、目の前の光景を見て言葉を失っていた。
道路には破壊された車両が並び、倉庫の外壁は穴だらけになっている。重火器の弾痕が路面を抉り、焼け焦げた金属片が至るところに散乱していた。
その中央に、オルクハンターが立っていた。
彼は損傷した肩部装甲を開き、内部の駆動部を点検していた。随伴機が修理用の工具を運び、彼自身は端末で請求書を作成している。
「……あの」
依頼主が、おそるおそる声をかけた。
「本当に、終わったんですか?」
「見てのとおりだ」
「す、すごい……。これだけの敵を、たった一人で……」
「一人じゃない。こいつがいる」
彼は随伴機を指した
『私は戦闘に参加していません』
「記録係だ。重要な役割だぞ」
『ありがとうございます……?』
依頼主は、困惑した顔で笑った。
やがて、彼は一枚の書類を差し出した。
「今回のご活躍、本当に感謝いたします。あなたの働きは、キヴォトスの安全に大きく貢献するものでした。つきましては、後日、表彰式を――」
「報酬は?」
「……はい?」
「報酬。振込はいつだ?」
「そ、それは規定の処理を経て……。もちろん、あなたの功績は十分に評価しております。特別な勲章の授与も検討しておりまして――」
オルクハンターは、動きを止めた。
ゆっくりと顔を上げる。
赤い光学センサーが、依頼主を正面から見据えた。
「いいか」
低い声が響いた。
「俺は勲章を食えない。勲章で装甲は直らない。勲章で弾薬は買えない。勲章を売っても、俺の整備費用には足りない」
彼は請求書を差し出した。
「契約どおりの金を払ってくれ。それで十分だ」
依頼主は、何度も頷いた。
「は、はい! もちろんです! ただちに処理いたします!」
「よろしい」
オルクハンターは請求書を手渡した。
「また何かあれば連絡してくれ。オルクでも、ジーンスティーラーでも、武装不良でも構わん。料金表は送っておく」
そして、彼は歩き出した。
重い足音が、廃墟に響く。
一歩ごとに、金属製の脚部が路面を踏みしめる。駆動機構が低く唸り、背部の排熱機構から白煙が噴き出した。
彼は戦場を振り返らなかった。
英雄と呼ばれることに興味はない。
誰かに讃えられることにも、特別な意味を見いだしてはいない。
彼が欲しいのは、正当な報酬。
働いた分の対価。
そして、自分の判断で生き、自分の判断で戦い、自分の判断で仕事を選べる自由だ。
かつてカイザーは、彼に勲章を与えた。
数々の戦果を讃え、英雄として称賛した。
だが、彼はその勲章を置いて去った。
なぜなら、彼は知っていたからだ。
どれほど立派な勲章を胸に飾ろうとも、次の戦場で弾薬が尽きれば死ぬ。
どれほど美しい称賛を浴びようとも、装甲が壊れれば修理費が必要になる。
そして、どれほど英雄と呼ばれようとも、働いた者に報酬を払わない組織に忠誠を尽くす理由などない。
だから彼は今日も戦う。
オルクを撃退し、物流路を取り戻し、危険な仕事を片付ける。
誰かが英雄と呼ぶなら、好きに呼べばいい。
誰かが怪物と呼ぶなら、それでも構わない。
彼にとって大切なのは、ただ一つ。
端末に表示された振込予定額が、契約書の金額と一致していること。
「……さて」
彼は通信回線を開いた。
「ナビ。次の依頼を回してくれ。できれば、もう少し割のいい仕事がいい」
『お疲れさまです、オルクハンターさん。次の依頼ですが、元ジーンスティーラーの武装集団が――』
「報酬は?」
『……まだ確認していません』
「先に確認してくれ。話はそれからだ」
彼は歩き続けた。
鋼鉄の巨人は、夕暮れのキヴォトスを進んでいく。
その背中に、勲章はない。
あるのは無数の傷跡と、使い込まれた装甲。そして、次の仕事を待つ重火器だけだった。
彼は英雄ではない。少なくとも、自分ではそう思っていない。
彼はただの傭兵だ。
契約を読み、戦場を見極め、必要ならば敵を皆殺しにする。
そして仕事が終われば、請求書を提出する。
その名を、オルクハンター。
キヴォトスの裏側で、今日もまた、鋼鉄の仕事人が稼働している。