「……当たらない」
瓦礫の散乱する廃工業区。
廃棄された輸送コンテナの陰に身を隠しながら、斬合キレルは手元の銃をじっと見つめていた。
手にしているのは、オルク製のダッカ。
無骨な金属板を無理やり組み合わせたような外見。銃身は妙に太く、弾倉は必要以上に大きい。どこをどう見ても、まともな技術者が設計したとは思えない代物である。
しかし、これでも立派な銃だ。
少なくとも、弾が出る限りは。
「ええいっ! 当たってよぉ!」
ダダダダダダダダダダッ!!
キレルは引き金を引き続けた。
銃口から大量の弾丸が飛び出し、敵の潜んでいる廃車やコンテナを叩く。
火花が散り、金属板がへこみ、周囲に轟音が響き渡る。
弾幕だけなら一人前。
むしろ、一人でこの量の弾をばらまけるのは大したものだろう。
ただし。
「ちょっ、ちょっと! 全然当たってないじゃない!」
「当たらないなら撃つのをやめなさいよ! 弾がもったいないでしょうが!」
「うるさーい! 撃たなきゃ当たらないでしょーっ!」
敵もまた、キヴォトスに生きる少女たちだった。
装備は統一されていない。改造銃を持った不良、拾い物の装甲板を盾にする不良、どこから持ち出したのか分からない機関銃を構える不良。
統率が取れているとは言い難いが、遮蔽物を利用して銃撃を避ける程度の知恵はある。
そして何より、キレルの射撃が絶望的に下手だということを、彼女たちはすでに理解していた。
「いい? あの子、弾をばらまいてるだけよ! 落ち着いて狙えば勝てる!」
「了解!」
パンッ! パンパンッ!
敵の銃撃が返ってくる。
キレルは慌てて頭を引っ込めた。
「ひゃあっ!?」
コンテナの縁が砕け、金属片が頬をかすめる。
「いったぁ……!」
痛みはない。キヴォトスの生徒らしく、多少の銃撃で倒れるような身体ではない。
しかし、怖いものは怖い。
撃っても当たらない。
隠れていても追い詰められる。
そして、相手は少しずつ距離を詰めてきている。
「……どうしよう」
キレルの額に冷や汗が浮かんだ。
そもそも、彼女は射撃が得意ではない。
銃を持ったのも、撃てば敵を倒せると思ったからだ。遠くから安全に敵を撃ち倒せるなら、それに越したことはない。
近づいて殴り合うなど、できれば一生やりたくない。
だからこそ、彼女は必死だった。
「お願いだから当たってぇぇぇっ!」
ダダダダダダダダダダダダダッ!!
銃口が跳ねる。
弾丸が飛ぶ。
敵の頭上を通過し、壁を砕き、地面を削り、意味もなく遠くの廃車に穴を開ける。
そして。
ガギンッ!!
「……へ?」
嫌な音がした。
続いて、手元から煙が上がる。
ダッカの銃身が妙な方向に曲がり、内部から何かが弾け飛んだ。
カラン、カラン、カラン……。
小さな部品が地面に落ちていく。
キレルは、しばらくの間それを見つめていた。
「…………」
「……あの子、銃が壊れたわよ!」
「今よ! 撃てーっ!」
敵の少女たちが一斉に射撃を再開する。
「うわああああああああっ!?」
キレルは悲鳴を上げながら走った。
銃を抱えて逃げる。
しかし、壊れたダッカは重い。
しかも、走るたびにガチャガチャと不吉な音を立てる。
「なんでぇ!? なんでこうなるのぉ!?」
弾丸が足元を跳ねる。
コンテナの破片が飛び散る。
ついには、手元のダッカから最後の部品が外れて、地面に転がった。
そして、キレルは悟った。
このままでは負ける。
いや。
もっと正確に言えば――。
このままでは、何もできずに負ける。
「……っ!」
そのときだった。
視界の端に、一本の鉄パイプが転がっていた。
錆びついている。
表面には傷があり、片方の端は潰れている。
武器と呼ぶにはあまりにも頼りない。
しかし、今のキレルには、それ以外に選択肢がなかった。
彼女は壊れたダッカを投げ捨て、鉄パイプを掴んだ。
「……ええいっ! もう、どうにでもなれぇっ!」
そして。
敵に向かって走り出した。
「は?」
敵の少女が、思わず間の抜けた声を漏らした。
銃が壊れた。
武器を失った。
普通なら、逃げるところだ。
それなのに。
「ちょっと! なんでこっちに来るのよ!?」
キレルは走っていた。
半泣きだった。
目には涙が浮かんでいた。
足は震えていた。
それでも、走っていた。
「知らないよぉぉぉっ!!」
ダダダダダダダダダッ!!
銃弾が飛ぶ。
キレルの肩をかすめ、頬の横を通り過ぎ、背後の壁を砕く。
彼女は思わず目をつぶった。
――当たる。
そう思った。
けれど。
一発目は、頭を傾けたことで避けていた。
二発目は、足を踏み出した瞬間に身体が横へ流れていた。
三発目は、転びそうになった身体を立て直したことで、結果的に射線から外れていた。
本人に自覚はない。
ただ、怖かった。
撃たれたくなかった。
だから、身体が勝手に動いていた。
そして気がつけば。
キレルは、敵の少女の目の前に立っていた。
「……え?」
敵が驚いた顔をする。
近い。
あまりにも近い。
銃口を向けるには距離が足りない。
銃身を振り回すにも、仲間が邪魔だ。
そして、キレルの手には――。
「う、うわあああああっ!!」
鉄パイプがあった。
ゴッ!!
一撃目。
狙ったのは頭ではなかった。
銃だった。
鉄パイプが銃身を横から叩き、敵の少女が構えていた銃を大きく弾き飛ばす。
「えっ、ちょっ!?」
ゴンッ!!
二撃目。
敵が慌てて身を引いたところへ、鉄パイプが腕に叩き込まれる。
少女が悲鳴を上げ、武器を手放した。
キレルは止まらなかった。
止まり方が分からなかった。
「ご、ごめんなさいぃぃぃっ!!」
ゴッ! ガンッ! ドカッ!
三撃目、四撃目、五撃目。
鉄パイプが振るわれる。
敵がよろめき、倒れ、銃を取り落とす。
キレルは必死だった。
必死すぎて、考える余裕などなかった。
ただ、目の前に敵がいる。
敵が銃を構えている。
銃を向けられたくない。
ならば、撃たれる前に武器を叩き落とす。
武器を失っても向かってくるなら、動きを止める。
倒れた相手が立ち上がろうとするなら、立ち上がれないようにする。
その一連の動作が、恐ろしいほど滑らかにつながっていた。
キレル自身は、そんなことを考えていない。
ただ怖くて、必死で、無我夢中だった。
だが、その動きには確かな理屈があった。
銃口の向き。
相手の重心。
足の位置。
腕の動き。
攻撃が届くまでの距離。
それらを理解しているわけではない。
それなのに、彼女の身体は、敵の動きを見た瞬間に最適な行動を選び取っていた。
少なくとも、近接戦闘においては。
「な、なんなのよ、こいつ!?」
「銃が効かないわけじゃないでしょ! なんで当たらないのよ!?」
「近づけさせるな! 距離を取って――」
その少女が言い終える前に。
キレルは、彼女の銃を鉄パイプで弾き飛ばしていた。
「ひゃあああああっ!!」
ゴンッ!
「きゃあっ!?」
一人。
二人。
三人。
次々と、敵の少女たちが倒れていく。
もちろん、キレルは無傷ではない。
服は汚れ、頬には擦り傷ができ、呼吸は乱れている。
何より、本人が一番混乱していた。
「なんで!? なんでぇ!?」
ゴッ!
「ちょ、ちょっと待って! 話し合いましょう!?」
ガンッ!
「いやああああっ!?」
ドカッ!
そして、最後の一人が逃げ出した。
「覚えてなさいよぉぉぉっ!!」
「ま、待ってぇ! 私も逃げたいぃぃぃっ!!」
キレルは反射的に追いかけようとして、途中で立ち止まった。
敵がいなくなった。
銃声が止んだ。
廃工業区に、奇妙な静寂が訪れた。
彼女は手元の鉄パイプを見つめる。
錆びついた、ただの鉄パイプ。
次に、地面に倒れている少女たちを見た。
全員、戦闘不能。
最後に、壊れたダッカを見た。
「…………」
そして。
「……勝った?」
返事はない。
「私が……?」
もちろん、返事はない。
「……勝っちゃった?」
その瞬間。
「こ、怖かったあああああああああっ!!」
キレルはその場にへたり込んだ。
鉄パイプを抱きしめ、涙目で震えながら、盛大に泣き始めた。
「死ぬかと思ったぁぁぁ! もう嫌ぁぁぁ! 銃の練習するぅぅぅ! ちゃんと当たるようになるぅぅぅ!」
彼女はまだ知らない。
今の戦闘を見ていた者が、自分以外にもいたことを。
廃工業区の少し離れた屋上。
そこに、一人の少女が立っていた。
少女は、キレルが鉄パイプを振るう一連の動きを見届けると、静かに端末を取り出した。
「……射撃は壊滅的。でも、接近してからの動きは異常」
端末に記録を残す。
「相手の射線を外す動き。武器を持つ腕への攻撃。重心を崩してからの追撃。本人は無自覚みたいだけど……」
少女は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしているキレルを見つめた。
「……あれ、絶対に何かの才能よね」
その言葉を最後に、少女は屋上から姿を消した。
この日、廃工業区で起きた戦闘は、ちょっとした噂になった。
曰く、たった一人の少女が鉄パイプ一本で不良集団を壊滅させた。
曰く、銃弾の雨をすべて見切り、敵の懐に飛び込んだ。
曰く、最後には戦車すら鉄パイプで殴り倒したらしい。
もちろん、戦車などいなかった。
銃弾をすべて見切ったわけでもない。
キレル本人は、ただ必死に逃げ回り、偶然にも敵を倒してしまっただけだ。
だが、噂というものは、得てしてそういうものだった。
そして数日後。
「君、剣術に興味はないか?」
「……はい?」
キレルは、目の前に立つ少女を見上げた。
少女は真剣な表情だった。
「君には才能がある。ぜひ、私のもとで近接戦闘を学んでみないか?」
「え、えっと……」
キレルは少し考えた。
そして、はっきりと答えた。
「私、射撃が上手くなりたいんですけど……」
「なるほど。では、まずは剣の基本から始めよう」
「なんで!?」
こうして。
斬合キレルの、本人にとってはまったく望んでいなかった近接戦闘の伝説が、始まったのである。