無口に愛を紡ぐ教室へようこそ   作:Mr.♟️

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無人島試験ルール


・無人島で1週間過ごす。終了日時は8月7日正午。
・各クラスに試験専用として300ポイントを支給。そのポイントで生活に必要な物資を購入可能。
・簡易トイレ1つ支給。吸水ポリマーシートとビニール袋は制限無しで支給可
・テント2つ支給
・試験終了時に残っているポイントは、 クラスポイントに加算。
・試験中は、GPSを備え、着用者の体調を監視する腕時計の着用が義務。
・島の各所には「スポット」が設けられている。スポット占有にはキーカードが必要。
・スポットを1度占有するごとに1ポイントのボーナス。8時間ごとに占有権がリセットされる。
・他クラスが占有しているスポットを許可無く使用した場合50ポイントのペナルテ
ィを受ける。
・キーカードを使用できるのはクラスで選んだリーダーのみ。キーカードにはリーダーの名前が記載さる。
・試験最終日の点呼時に、他クラスのリーダーを言い当てる権利が与えられる。リーダーを当てられたクラスは、試験終了時の専用ポイントから50ポイントを支払う。だが、外した場合は手持ちの専用ポイントを50ポイント失う。
・著しく体調を崩したり、大怪我をし続行が難しいと判断された者はマイナス30ポイント。及びその者はリタイアとなる
・試験でリタイア者1人につき30ポイント。
・環境を汚染する行為を発見した場合、マイナス20ポイント。
・担任は試験終了まで担当クラスと行動を共にする。毎日午前8時、午後8時に点呼を行い、不在の場合1人につき5ポイント。
・他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、生徒の所属するクラスは即失格とし、対象者のプライベートポイントを全没収。


11話〜無人島生活〜

 

Bクラスは無人島試験が始まって早々、高台に位置する広大な洞窟スポットへと移動した。

 

白銀琥珀を主体としたグループの提案である。あとはリーダーを決めて占有しさえすれば、そこはBクラスの絶対的な拠点となる。

 

現在、その洞窟内ではリーダー決めの話し合いが行われている最中だった。

 

「反対。白波さんには荷が重い」

 

白銀の放った冷淡な一言に、Bクラスの面々は困惑に包まれた。白波千尋と白銀の仲が良好でないことは周知の事実だ。

 

だが、白銀が白波に対して直接的な攻撃を仕掛けたことは今まで一度もなかった。

 

一之瀬に対して多少の苦言を呈することや、白銀グループの姫野たちが白波と揉めることはあっても、これほど大勢の前で白銀本人が真っ向から白波を否定するのは初めてと言っても過言ではない。

 

白波が自ら立候補し、そのまま決まりかけていた空気が一瞬にして重くなる。

 

その静寂を破る勇気を持つのは、クラスでも数人しかいない。その1人、一之瀬帆波が白銀に問いかけた。

 

「それなら、琥珀くんは誰が適任だと思うのかな?」

 

「小橋さんか浜口くんなら適任じゃないかな。彼らなら、安心して拠点を任せることができる」

 

現在のBクラスは大きく3つの派閥に分かれている。

 

1つ目はクラスの大半が支持する一之瀬帆波を中心とした『一之瀬派』。

 

2つ目は極少数が支持する白銀琥珀を中心とした機能的個人主義の『白銀派』。

 

そして3つ目は、そのどちらにも属さない中立派だ。派閥とは呼んでいるが、一部の過激な生徒を除いて、決して仲が悪いというわけではない。

 

今回、白銀が指名した2名はどちらも中立派の生徒だった。自身の支持者ではない人間を指名したことを平等な判断と見るか、それとも本格的に派閥を広げるための布石と見るべきか。

 

頭の回る生徒たちは一様に考え込む。

 

「そ、それだと、私が2人よりも頼りないって聞こえるんだけど......」

 

消え入るような声で白波が反論する。それに対し、白銀はわざとらしく驚いたような表情を作ってみせた。

 

「そうだよ。え、まさか、自分が彼らと同列だと思ってたの?思い上がりもそこまでいくと滑稽だ。よく自分からリーダーになりたいなんて立候補できたね。僕が君の立場なら、恥ずかしくて口に出すことすらできないよ」

 

あまりにも残酷な突き放し。白波は言い返す言葉を失い、救いを求めるような視線を一之瀬に向けた。

 

「もしかして琥珀くん、いきなりの無人島生活で少しストレスが溜まってるのかな?わかるよー、私もスキンケアができないのは嫌だなぁって思っちゃったもん。にゃはは!でもクラスポイントのためにも頑張らないとね!」

 

一之瀬がいつものように明るく笑うと、張り詰めていたクラスの空気は一気に軽くなった。

 

これこそが一之瀬帆波という少女が持つ、天性のカリスマ性だ。

 

「そうだね。僕もクラスのためを思っているよ。だからこそ、学力と運動神経、そして頭の回転。そのすべてが下の中~上程度である白波さんではなく、適性のある人にリーダーになってほしいと言っているんだ」

 

正論の暴力。ここまで堂々と言い切ってしまえば、クラスのヘイトが白銀に向くのは明白だ。

 

Bクラスは仲間思いの温かいクラスなのだから。

 

一之瀬は困り果てていた。彼女自身、最近の白波の過干渉には辟易している部分があり、これ以上彼女を甘やかしたくないという思いもある。

 

だが、全体の空気として白銀の極論を通すわけにもいかなかった。

 

「......どうやら、みんなは僕の意見には反対みたいだね。好きにしなよ。結論が見えた以上、これ以上話しても無駄だろうし。ごめんね、余計なことを言って」

 

「そんなことないよ!琥珀くんのこと、すっっっっっっっっっっごく頼りにしてるから。なにか思うことがあったらまた教えてほしいな」

 

白銀がすんなりと引き下がった。そんな白銀に一之瀬は胸を痛めながらも、最終的には全体の意見を優先して白波をリーダーへと据えた。

 

「そうかな。それなら帆波、次の提案なんだけど......実は僕、素潜りの経験があって。もし3ポイントの『素潜りセット』を買わせてもらえるなら、それ以上の価値がある魚介類を確保する自信がある。許可してもらえるかな。わがままを言わせてもらうなら、僕以外にも経験者がいれば一緒に行動させてもらえると嬉しいんだけど」

 

白銀のこの提案に、一之瀬よりも早く反応したのは、リーダーに選ばれて勢いづいた白波だった。

 

「白銀くん、泳げるのにプールの授業はサボってたんだね。みんなのポイントに影響するのに、無責任じゃない?」

 

周囲の支持を背負っているからか、その口調は強気だった。白波の言葉に、何人かの生徒は『確かに』と納得する素振りを見せたが、白銀は淡々と言葉を返した。

 

「そうだね。僕の背中には大きな火傷の痕があるから、周りに配慮してあげたんだよ。僕の顔の火傷を見て『一之瀬さんに近寄るなモンスター』なんて心無い言葉を吐く人もいたからね。それとも、僕の配慮は不要だったのかな、白波千尋さん?」

 

予想だにしないカウンターに、白波はわかりやすく狼狽した。彼女の頭の中は、今まで誰にも言っていなかったのに、どうして。という疑問で支配されていた。

 

そんな反応を見せれば、自分がその暴言を吐いた張本人だと周囲に喧伝しているようなものだ。

 

事実、一之瀬の白波に向ける目が一瞬、冷徹なまでに鋭くなった。

 

「一之瀬ちゃ──」

 

「誰か、白銀くんの他に素潜りの経験がある人はいるかな?」

 

白波の声を完全に遮断して、一之瀬は全体に問いかけた。白波の声は確かに小さかったが、隣にいた一之瀬に聞こえないはずがない。

 

つまり、一之瀬は意図的に、明確な意志を持って親友を無視したのだ。

 

当然の結果だった。

 

一之瀬は白波が白銀を嫌っていることは知っていたが、その卑劣な理由までは知らなかったのだ。今のやり取りで、すべての点が繋がった。

 

白波が近くにいる時、白銀が不自然に自分を避けていた理由も。

 

「あ、経験者ってほどじゃないけど、1回だけやったことあるよ」

 

手を挙げたのは網倉麻子だけだった。そこから手際よく役割分担が決まっていく。神崎と姫野は食料係に志願した。白銀の指示通りに。

 

「よしっ!じゃあ、みんなで頑張ろ──────!!」

 

一之瀬の檄を合図に、クラス全体が動き始める。

 

なお、一之瀬は『海で2人だけで行動するのは危険』と主張し、白銀と網倉の海班に強引に混ざることにした。

 

その時の白波千尋の表情は、言うまでもなく絶望に染まっていた。

 

一之瀬の胸中には、白銀への申し訳なさと、白波への冷ややかな失望が渦巻いていた。

 


 

「1時間に1回は必ず休憩を挟むこと。目に見えない場所へは絶対に行かないこと。無理をして深追いしないこと。とりあえず、この3つだけは忘れないようにね。2人が潜って1人は不測の事態に備えて陸で監視、あとは焚き火を絶やさないように火の番......いいかな?」

 

(これで、少なくとも1週間は琥珀くんと一緒にいられる。学校だと白波さんがいつも一緒だから、誘っても断られることが多かったけど......この無人島なら、避けられないはず)

 

私たちは海辺に移動し、支給されたウェットスーツに着替えながら琥珀くんの指示を聞いていた。

 

着替えの際は、簡易トイレ用に用意されたワンタッチテントを順番に使用した。琥珀くんが1人で軽々と運んでくれたおかげで、設営もスムーズだった。

 

「琥珀くんが先に焚き木を拾ってから移動するって言った時は驚いたけど、確かに海から上がったら一気に体温を奪われるもんね。準備万端だね」

 

「体調を崩したら元も子もないからね。とりあえず、最初は僕と帆波が潜る。網倉は陸地で見張りをお願いできるかな?......帆波、たぶん耳抜きのやり方とかも知らないよね。最初は僕と一緒に泳ごうか」

 

嬉しい。初めての経験への不安はあるけれど、それ以上に琥珀くんが私を気にかけてくれることが、飛び上がりたいくらいに嬉しい。

 

「私はそれでいいよ。でも、私の番のときも最初は一緒に行動してほしいかも。経験豊富ってわけじゃないからさ」

 

「わかった。それじゃあ行こうか、帆波。網倉、もし僕たちが1時間を過ぎても気づいてなかったら、大声で呼んでくれ」

 

「うん、任せといて!1時間、しっかり時計見てるからね!」

 

麻子ちゃんが軽快に手を振るのを背に、私は琥珀くんと並んで海へと歩き出した。波打ち際に足を踏み入れた瞬間、ウェットスーツ越しでも伝わる水の冷たさに、少しだけ背筋が震える。

 

だけど、すぐに琥珀くんが静かにこちらを見た。

 

「学校の温水プールと違って冷たいよね。まあ、すぐに慣れるよ」

 

ただそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。水面にきらきらと反射する太陽の光と、その隣にいる彼の横顔。私には、そのどちらもが同じくらい眩しく見えていた。

 

私たちは浅瀬に立ち止まり、ゴーグルとシュノーケルの装着を確認しあった。マスクをしっかりと顔に当て、呼吸を整える。

 

「耳抜き、今ここで一度練習しておこうか」

 

そう言って、琥珀くんは自分の鼻をつまむ動作を見せてくれた。

 

「鼻をつまんで、口を閉じたまま、軽く鼻に向かって息を送る感じ。水圧で耳が詰まる感じがしたらすぐにやるといい。無理に力む必要はないけど、スムーズに抜けるようになると格段に楽になるから」

 

私は彼の指示通りに鼻をつまんで、軽く『んっ』と力を入れた。こぽん、と耳の奥で小さな音が響く。

 

「あ、今の......!」

 

「成功だね。ちゃんとできてる......じゃあ、行こうか」

 

琥珀くんが優しく微笑んで頷く。それだけで、海の冷たさがふっと和らいだような気がした。

 

「行こう!」

 

私は彼の言葉に力強く頷き、静かに水中へと身を沈めた。

 

水中は、まるで別の世界だった。

 

波の音も、風の音もすべてが遠ざかり、聞こえるのは自分の規則正しい呼吸音だけ。

 

フィンを一蹴りして進むたびに、心地よい水の抵抗が全身にまとわりついてくる。その感覚さえもが、私にとっては新鮮で特別なものだった。

 

琥珀くんはすでに私の少し先、岩場の方へと滑らかに泳いでいた。水の中でも動きは静かで、そしてどこまでも美しい。

 

まるでこの世界の一部として溶け込んでいるかのようだった。思わず見惚れてしまいそうになるのを堪え、私は彼を追う。

 

色とりどりの小魚の群れが、私たちの間をすり抜けていく。差し込む日差しが水の中で幾筋もの光のカーテンを作り、魚の鱗をキラキラときらめかせていた。

 

私はそのあまりに幻想的な光景に、思わず息を呑んだ。

 

白銀くんがふと、指で合図を出した。

 

岩の隙間を指差すその先に──斑点のある、丸みを帯びた魚影。イシダイだ。

 

琥珀くんは音もなく距離を詰め、わずかに構えを低くしたかと思うと──刹那、鋭く銛が走った。

 

水中バッグの中で魚が激しく跳ねる音が、鈍く響く。

 

浮上した琥珀くんは、軽くマスクをずらして、にこりと笑った。

 

「まずは1匹目。こんな感じかな」

 

その一言が、あまりにも頼もしくて、私はただただ唖然としてしまった。

 

「すごい......!全然無駄がなかったね」

 

「久しぶりだったから、上手くいって良かった。さて、帆波もやってみようか。構え方を教えるよ」

 

「魚との距離感は、水中だと実際より少し遠く感じる。だから、思っているより近めに見えるところを狙うんだ。銛は突くというより、一気に押し出すイメージで」

 

彼の手が、私の手にそっと重なった。

 

背後から包み込まれるように、肩越しに彼の静かな声が降ってくる。この瞬間が、ずっと終わらなければいいのに。

 

「緊張しなくていい。できるだけ、自然体で構えて」

 

私は大きく一呼吸して、もう一度、水中へと潜った。

 

目の前に、さっきより少し小さなメジナの影が見える。動きは速いけれど、今はちょうどこちらに背を向けていた。琥珀くんが、背後で小さく頷く。

 

 

 

私は、教わった通りに銛を前方へと押し出した──確かな手応え。

 

ビクリと反応する魚体。私は驚きと興奮に包まれながら銛を握りしめ、水面へと浮上した。

 

「やった......!琥珀くん、見て!」

 

「初めてでこれなら充分すぎるよ。流石だね、帆波」

 

琥珀くんが水中バッグを開き、そこに獲れたてのメジナを収めてくれた。私は荒い息を整えながら、胸の奥に小さな自信の芽が生まれたのを感じていた。

 

一匹も獲れなかったらどうしようという不安は、いつの間にか消え去っていた。

 

 

 

 

 

波間に浮かぶ太陽の光が、私たちを祝福するようにきらめいている。

 

最初の1匹を仕留めてから、私たちは何度か潜水と浮上を繰り返した。琥珀くんの助言は常に的確だった。

 

魚の動きや位置取り、潮の流れの読み方まで教えてくれる。最後のはいまいちわからなかったけど。

 

「魚は真正面から向かうとすぐに逃げられる。でも、斜め後ろからだと警戒心が薄いから、ゆっくり回り込むといいよ」

 

「うん、わかった」

 

岩陰に身を潜めるようにして、琥珀くんがそっと私の腕を引いた。次に狙うのは、岩の下でじっとしている丸い影──キジハタだった。

 

水の屈折でサイズが掴みにくいけれど、30センチ近くはある大物に見える。

 

呼吸のために一度水面に顔を出す。琥珀くんがじっと私を見つめ、確認するように問う。

 

「これはちょっと難易度が高いかな。もし自信がなければ、僕がやるけれど?」

 

「......やってみる」

 

「そう。頑張ってね」

 

琥珀くんが少しだけ目を細めて笑った。私にだけ向けられる表情、私だけを見てくれる時間。嬉しい。本当に、愛おしい時間だ。

 

私は琥珀くんが教えてくれた通り、静かに斜め後ろから近づいていく。水中の移動は思いの外難しく、身体が流されそうになる。だけど、魚はまだ動いていない。

 

(いける──!)

 

銛を構え、全身に力を溜める。狙いを定め、息を止めて......放つ。

 

しかし、次の瞬間。銛の先はわずかに魚の横を逸れた。キジハタは一気に岩陰の奥へと逃げ去っていく。

 

「あっ......!」

 

水面に浮かび上がり、私は思わず悔しさを漏らした。あと少しだったのに。

 

「今のは悪くなかったよ。狙いも正確だった。ただ、少し手首に力が入りすぎたかな」

 

琥珀くんがいつも通りの落ち着いた口調でフォローしてくれる。失敗を責めるような、ネガティブな言葉は一つもなかった。

 

「次はもっとリラックスして。焦らなくていいんだよ」

 

「......うん」

 

もう一度、私は海へと潜った。

 

今度は少し小ぶりなカサゴが岩の隙間に潜んでいる。琥珀くんが静かに背後から寄ってきて、私の手にそっと触れた。

 

『大丈夫。今度はうまくいく』

 

言葉はなくても、そう言われているような気がした。私の勝手な勘違いかもしれないけれど、それだけで緊張がすっと抜けていく。

 

狙いを定めて──突く。

 

鈍い手ごたえ。今度は逃さなかった。琥珀くんがすぐにフォローに入ってくれ、銛ごと魚を水中バッグに収めてくれた。

 

浮上して顔を出した瞬間、彼が軽く水しぶきを飛ばしながら、いたずらっぽく笑った。

 

「完璧だったよ」

 

琥珀くんのその微笑みに、私は胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

 

潜るたびに、少しずつコツが掴めてくるのがわかる。

 

カサゴのように岩陰に潜む魚を狙うのは最初は難しかったけれど、目が慣れてくるとそのシルエットがはっきりと見分けられるようになった。

 

茶褐色の体、ぴくぴくと動く背びれ──岩の凹みに張りつくようにしている。

 

「カサゴは動きが遅いぶん狙いやすい。だけど、岩にぴったりくっついていると銛が通らないこともあるから、少し浮いたときを狙うのがコツだよ」

 

琥珀くんは、本当に何でも知っている。そのアドバイスのおかげで、私はもう一匹、立派なカサゴを捕らえることができた。

 

(やった......!)

 

何匹か獲れたところで、琥珀くんが手首の腕時計を確認した。私は夢中になりすぎて、時間を忘れてしまっていた。

 

「もうすぐ1時間が経つ。そろそろ交代しようか」

 

「──うん!」

 

初めての素潜りは、思った以上に体力を消耗していた。けれど、それ以上に心が満たされていた。きっとこの充足感は、ただ魚が獲れたからじゃない。

 

ずっと隣にいたのが、琥珀くんだったから──私は、嬉しかったんだ。

 

「おーい、時間だよー!1時間経過!」

 

陸から元気な声が響く。麻子ちゃんが大きく腕を振って合図を送っていた。

 

琥珀くんが軽く手を上げて応じると、私たちは一緒に海から上がった。波打ち際でフィンを外しながら、琥珀くんが水中バッグの中身を確認する。

 

「まずまずの収穫だね。いいスタートだよ」

 

「うん。私、ちゃんと役に立ててたかな?」

 

「文句のつけようがない出来だよ。もしかしたら、僕の初回よりもセンスがあるかもしれないね」

 

少し冗談めかして褒めてくれる。照れくさくて顔が火照りそうになっていたけれど、それがバレる前に私は麻子ちゃんのいる場所へと足早に移動した。

 

今度は私が陸番を務める。焚き火の火を絶やさないこと、水中の2人に異変がないか監視すること。やることはシンプルだけど、緊張は解けない。

 

(琥珀くん......麻子ちゃんにも、私にしたみたいに優しく丁寧に教えるのかな......)

 

琥珀くんは交代の直前、もう一度丁寧に彼女へ耳抜きや呼吸のリズムを説明していた。その親しげな光景を、私は少し離れた場所から見つめ、少しだけ胸を痛める。

 

「じゃあ、行ってくるね。帆波、なにかあった時はよろしく!」

 

「うん──気をつけてね」

 

2人の背中が波間に沈んでいく。私は浅瀬に座り、着替えたウェットスーツの足元を整えながら、焚き火のそばに小石を積み上げて風除けを作った。パチパチと燃える火が温かい。

 

(さっきの私、どう見えてたんだろう)

 

身体は疲れているはずなのに、琥珀くんの隣にいた時間の感触がずっと胸に残っている。

 

私にとっては、かけがえのない思い出。楽しい体験、嬉しい出来事。......でも、琥珀くんにとってはどうだったんだろう。

 

(嫌がられてないよね?琥珀くん、優しかったけど......内心では『面倒を見るのが大変だ』なんて思われてないかな)

 

火に小枝をくべながら、私はさっきの彼の表情を反芻していた。

 

『完璧だったよ』

 

褒められた。嬉しい。近かった。嬉しい。手を握ってくれた。嬉しい。優しくしてくれた。嬉しい。

 

こんなに嬉しいことが、この先あと何回あるんだろう。

 

そうしているうちに、気づけば30分が経過していた。火は安定して燃え続けている。水中を泳ぐ2人の影も、時おり水面に見える。

 

琥珀くんが先に浮上し、麻子ちゃんへ何かを指示している様子が見えた。

 

(──少し、近くないかな)

 

そう思った瞬間、自分でも驚くほど強く胸が締めつけられた。

 

たぶん、私に教えてくれていた時も、あのくらいの距離感だったはず。私はよくて他の人はダメなんて、おかしいよね。別に、私は琥珀くんにとって特別な存在じゃないのに。

 

わかってる。これは、ただの醜い嫉妬だ。

 

琥珀くんのすぐ隣にいられる麻子ちゃんが、今の私にはたまらなく羨ましかった。

 

「ただいまー!」

 

明るい声にハッとして顔を上げる。麻子ちゃんが大きく手を振っていて、その隣には琥珀くんが立っていた。私は精一杯の笑顔を作って、立ち上がる。

 

「お疲れさま!火はバッチリだったよ」

 

「ありがとう」

 

琥珀くんの声が、また私の胸の奥に、甘く、切なく、じんわりとしみこんでいった。

 


 

 

静かに息を吐いた。胸の奥に張りついていた緊張が、少しだけ抜けていく感覚。

 

人生で2回目の素潜りなんだから、緊張するのは仕方がない。でも、今回は白銀くんが一緒だから心強さもある。

 

「網倉、フィンのバンドはきつくない?長時間締めすぎていると痛むから」

 

「あ、うん。ちょうどいい。ありがとう」

 

私の足元を確認しながら、白銀くんは素早くチェックを済ませていく。その手つきはひどく慣れていて、どこまでも合理的で効率的だった。

 

 

 

午前12時を回り、日差しは強くなってきた。少し遠くの陸地で、一之瀬さんが焚き火の番をしているのが見える。

 

「最初は呼吸と浮力に慣れるのが先。焦らなくていいから」

 

白銀くんが海へと入っていく。その背中を追うように、私もゆっくりと足を踏み入れた。波打ち際の冷たさに身がすくむ。少し塩っけのある海の匂いが思考をクリアにしてくれた。

 

(大丈夫。私はできる。ちゃんとやれる)

 

そう自分に強く言い聞かせて、私は銛とネットを握り直す。一之瀬さんがあれだけの獲物を捕獲したのだ。

 

私だけなにも獲れませんでしたでは済まされないし、情けない。彼に幻滅されたくない。頑張らないと。

 

「いこうか」

 

「うん」

 

白銀くんと同時に潜る。水面が割れ、光がねじれて、陸の音が遠のいていく。私と白銀くんの、静かな海中探索が始まった。

 

潜った瞬間、世界が切り替わった。音は水に溶け、空気の代わりに心地よい静寂が満ちる。

 

陽光が水面から射し込み、ゆらゆらと揺れて海底を照らしていた。私は浮力を調整するため、ゆっくりと呼吸を繰り返しながら白銀くんのすぐ後ろを泳ぐ。

 

白銀くんが水中で手を差し出し、ゆっくりと自分の鼻をつまんで見せる。耳抜きの合図だ。私はうなずいて、教わったとおりに鼻をつまみ、静かに息を止めて耳に圧をかける。

 

小さな音がして、ふっと水圧の違和感が抜けた。

 

(できた......!)

 

その瞬間、思わず水中で小さくガッツポーズをしてしまった。見られていないと思ったら、前を泳ぐ白銀くんが振り返り、マスク越しに優しく微笑んでいた。

 

(見られてた......!)

 

少し恥ずかしかったけれど、それよりも圧倒的な安心感のほうが勝った。白銀くんが、私の些細な動きまでしっかり気にかけてくれている。それだけで、背中を強く押されるような心強さがあった。

 

少し泳いでいくと、岩の陰に隠れるようにして1匹の小さな魚が泳いでいるのが見えた。

 

(あれは、カサゴ?)

 

自信はないけれど、テレビかなにかで見た記憶がある。背ビレを立てて警戒している様子が、なんだか可愛い。

 

白銀くんが私の肩を軽く叩き、指で『任せる』と合図を送ってくる。私はそっと銛を構えた。

 

(落ち着いて、ゆっくり)

 

魚が驚かないよう、できるだけ身体の動きを小さく、小さく。水の中の時間は不思議で、ひどくゆっくり進んでいるような気がする。

 

(今......!)

 

水を切って銛を突き出し──命中。確かな手応えと共に魚が暴れ、銛の先でぴくぴくと動く。

 

(やった!)

 

水中で、声にならない喜びが込み上げてくる。白銀くんが軽く拍手のジェスチャーをしてくれた。魚を網に収めて、一旦水面へ。空気を吸った瞬間、達成感で肺の奥がじわっと熱くなった。

 

「おめでとう。一発で決めるなんてすごいよ。次もその調子で頑張ってね」

 

「うん!」

 

白銀くんは真っ直ぐに私を見て、優しく微笑んでくれた。次も今みたいに頑張ろう!

 

......でも、その甘い達成感が、ほんの少しだけ私の判断を狂わせたのだ。

 

次に見つけたのはメジナだった。中型で俊敏、捕まえるには少し手ごわい相手だと白銀くんが言っていた。それでも私は、挑戦してみたいという気持ちが抑えられなかった。

 

もっと褒められたい。彼に認めてもらいたい。

 

白銀くんがジェスチャーで『水面に上がれ』と指示しているのに、私はそれに気が付かなかった。

 

(いける。さっきうまくいったし、もう1匹──)

 

焦りが、銛の動きをわずかに鈍らせた。メジナはひらりと身を翻し、一瞬で岩の影に消えていった。空振りの勢いで私は体勢を大きく崩し、予定よりも深く潜りすぎてしまった。

 

──痛い。

 

水圧で耳が割れるように痛い。耳抜きが間に合わない。パニックというほどではない。

 

けれど、酸素の苦しさと痛みが重なり、確実に頭が混乱していた。

 

その時、強く腕を引かれた。白銀くんだ。

 

彼はパニックになりかけた私を無言で抱え込むようにして、抵抗を許さず一気に水面まで引き上げてくれた。

 

力強くて、絶対的な安心感を感じた。

 

「大丈夫?」

 

水から顔を出して最初に聞こえたその声に、私は弾かれたように頷くことしかできなかった。

 

心なしか、白銀くんはホッと安心しているような表情を浮かべていた気がする。

 

「欲張りすぎだね。焦るとロクなことにならないよ。呼吸が乱れてると、浮きも制御できない」

 

怒られたわけではなかった。ただ、真剣に私の命を気遣ってくれているのがひしひしと伝わってくる。

 

「......ごめん。私、調子に乗ってたかも」

 

「調子に乗れるだけ、心の余裕があるって考えれば悪くはないよ。実際、さっきのカサゴの時はすごく良かったし。焦らず行こう」

 

白銀くんに呆れた様子はなく、驚くほど優しい声色だった。白銀くんは少し性格が悪いけれど、他人の心に入るのが異常に上手い。

 

いま私が一番かけてほしい言葉を、完全に見透かされているみたいだ。

 

それがわかっていても、照れくさくて、嬉しくて、私はたまらず目を伏せた。

 

「──ありがとう」

 

そのまま2人で行動して、いつの間にか1時間が経過していた。

 

私は時間を確認する余裕なんてなかったけれど、白銀くんは完璧に時間を管理してくれていたみたい。陸にあがって、少し遠い距離にいる一之瀬さんに声をかける。

 

「ただいまー!」

 

一之瀬さんが笑顔で私達を出迎えてくれた。たった1時間素潜りをしただけでこんなに疲れるんだ。ジムとかなら、もっと長い時間激しい運動をしても余裕なのに。

 

「お疲れさま!火はバッチリだったよ」

 

「ありがとう」

 

一之瀬さんと白銀くんが親しげに会話しているのを、私は少し離れた場所からぼーっと眺める。

 

私の二の腕には、海中で白銀くんに強く引き寄せられた時の、あの確かな手の温もりが火傷のように残っている気がした。陸にあがってからも、なんだか白銀くんの顔を直視するのがひどく照れくさい。

 

「体力の問題もあるし、15時には切り上げようか」

 

白銀くんの言葉に、私と一之瀬さんは小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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