無口に愛を紡ぐ教室へようこそ   作:Mr.♟️

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13話〜リタイア〜

 

無人島生活二日目の朝早く。男子は全員、ただならぬ剣幕の女子たちによって叩き起こされていた。

 

朝の活動を始めるにはまだ早い時間帯だ。男子は何故起こされたのかがわからず、眠たい目をこすりながらも拠点である洞窟の外に集まった。一番最後に洞窟から出てきたのは、白銀琥珀だった。

 

「......面倒ごとの予感がするんだが」

 

神崎は近くにいる白銀に小声で話しかけた。神崎もまだ状況を把握できていない。対して白銀は、口元に薄い微笑を浮かべている。

 

「そうだね」

 

否定しなかった。その一言で、神崎の中では『これから起きることが致命的に面倒なことである』という事実が確定した。

 

白銀は知っているのだ。自身のバッグの奥底に仕込まれている、女性物の下着の存在を。

 

女子に起こされるよりも先に起きて身支度をしようとした際に、白銀はそれに気がついた。そしてそのまま、バッグの中身に一切触れることなくスッとジッパーを閉じた。

 

白銀はこれから起こるであろう『喜劇』のシナリオを、完璧に把握している。

 

「みんな、こんな朝早くから本当にごめんね。実は......数人の女子の下着がなくなってて。誰も疑いたくはないんだけど、念のため男子の荷物検査をさせてくれないかな?」

 

一之瀬が全体に向かい、申し訳無さそうに問いかけたことで男子に動揺が走る。当然ながら誰にも身に覚えがないため、全員が己の無実を証明するために一之瀬の提案にすんなりと乗った。

 

男子は一列に並び、一之瀬をはじめとした女子数人での荷物検査が開始された。

 

「もし本当に男子が盗んだとしたら、かなり面倒だな」

 

神崎が忌々しそうに呟く。少なくともクラス内での信頼関係にヒビが入るのは間違いない。この特別試験だけで終わればいいが、その関係性は学校生活において今後も続くことになるだろう。

 

それは神崎が望むところではない。適度な亀裂であれば競争心を生むが、こういった破廉恥な事件から生じる亀裂は、修復に莫大な時間がかかる。

 

「そうだね。犯人にされる男子が可哀想だ」

 

自分のバッグに入っていることがわかっていながら、完全に他人事のように神崎に言葉を返す。

 

いかにも『誰かが冤罪にかけられる』とわかっているような言い回しに神崎は違和感を覚え、どういう意味か問いただそうとしたが、その前に神崎の順番が来てしまった。

 

当然、神崎の荷物チェックは何の問題もなく通り、その後ろに並んでいた白銀の順番になる。

 

「好きなだけ見ていいよ」

 

白銀は一之瀬に自身のバッグを差し出した。

 

「ごめんね、琥珀くん。すぐに終わらせるから」

 

(そうだね。すぐに終わらせようか)

 

白銀は心の中で、一之瀬の言葉に賛同した。一之瀬と白銀の言う『終わらせる』は、少しばかり意味合いが異なっているが。

 

一之瀬がバッグのジッパーを、ジジジと小さな音を立てながら開く。

 

「え......」

 

一之瀬の口から、か細い声が漏れた。当たり前だ。一之瀬が目にしたのは、綺麗に折りたたまれた男物の衣服の間に不自然にねじ込まれた、明らかに女性物の下着だったのだから。

 

状況からすれば、白銀が犯人であることは明確。

 

だが、一之瀬はこれを白銀が盗んだとは微塵も思っていない。故に、彼女がとっさに取る行動はただ一つ。『白銀のバッグに女性物の下着なんて入っていなかった』ということにする。それだけだ。

 

「──うん、問題な──」

 

「一之瀬さん、私もてつだ......キャーー!!白銀くんのバッグに盗まれた下着が入ってる!!」

 

失敗した。一之瀬が証拠を隠滅して行動に移る前に、タイミングを完璧に見計らっていた白波が乱入したのだ。

 

わざとらしく甲高い悲鳴をあげ、クラス全員の注目を集めてから、白銀のバッグに盗まれた下着が入っているという『事実』を声高に口にした。

 

「......そうみたいだね。でも、僕は身に覚えがないよ」

 

白銀に向けられるクラスメイトの視線は厳しい。決定的な状況証拠が、白銀が犯人であることを示してしまっている。

 

「言い訳なんて見苦しいよ!白銀くんがやったことは明白なんだから!!」

 

強気に、そして異常に大きな声で白銀に口撃を始める白波。状況が状況だけに、神崎や姫野も迂闊にフォローに入れない。白波は、自身の完全勝利を確信していた。

 

「何言ってるの。白波さんが仕組んだんだよね?」

 

そんな勝ち誇る白波に、白銀の衝撃的な発言が被弾した。

 

白銀の表情は一切変わっていない。焦りも動揺も、怒りすらない。まるで、こうなることが最初からわかっていたかのように。

 

白波の背筋に、冷たい汗がツーッと流れる。

 

「あ、あれ、違ったかな?こんな卑劣なことをするのは、白波さんくらいだと思ったんだけど」

 

「そ、そんなこと私するわけないから!私にメリットなんてないし、白銀くんがやったんでしょ!そうだよね、みんな!」

 

焦った白波は、クラスメイトを巻き込んで同調圧力で押し切ろうとする。だが、白銀はそんな小細工を一切気にしない。

 

「あるよ。大嫌いな僕を貶めることができる、という最大のメリットがね」

 

「証拠がないのに適当なこと言わないで!下着泥棒のくせに!」

 

「昨日の夜の見張り番、誰だったかな?なにか見てない?」

 

白銀の問いかけに、姫野が言いにくそうに口を開く。

 

「私と網倉だったけど.......見張ってるのは洞窟の外だけで、テントの中までは見てない」

 

姫野はひどく後悔していた。もし、昨日もっとしっかりと洞窟内のテントまで監視していれば、今の白銀の不利な状況を即座にひっくり返すことが出来たのに、と。

 

「ほら!白銀くんの主張はただの被害妄想。むしろ、そっちが私に罪を擦り付けようとしてるよね!」

 

「確かに、そうだね。困ったなぁ。決定的な証拠がないと、僕が犯人にされるみたいだ」

 

困ったと言葉では言いながらも、その裏腹すぎる余裕な態度に白波の苛立ちはピークに達する。

 

「される、じゃなくて犯人だからね!最低、よくそんな平気な顔していられるね!一之瀬さん、こんな犯罪者と関わったら危険だよ!」

 

「.......まだ、琥珀くんがやったって決まったわけじゃないから」

 

一之瀬は本心から白銀が犯人ではないと思っているし、全力で彼の味方をしたいと考えている。だが、この状況ではそれができない。

 

状況証拠が白銀を犯人にしてしまっている以上、リーダーである自分がそれを無視することはできない。無視して彼だけを庇ってしまえば、クラス内での決定的な不和を生み出すことになってしまう。

 

「ふーん。ちなみにさ、僕が犯人じゃないと思ってる人は何人くらいいるのかな?純粋に気になるから手を挙げてみてよ」

 

白銀の言葉に、スッと挙げられた手は4本。神崎、網倉、姫野、そして浜口の4人だけだった。

 

一之瀬はクラスでの立場とリーダーという肩書きを考え、彼を信じているにも関わらず、その手を挙げることが出来なかった。

 

「......少ないなぁ。今まで結構クラスに尽くしてきたつもりだったんだけど、伝わってないようで悲しいよ」

 

余裕そうな白銀の言動に、網倉、神崎、姫野の表情も少しずつ平時のものに戻っていく。彼なら絶対になにか策があるはずだと、期待し始めたのだ。

 

「それで、今回下着を盗まれたのは誰と誰?」

 

「そんなの白銀くんが1番わかって──」

 

「私とユキちゃん、小橋さんと一之瀬さんの4人だよ」

 

白波のヒステリックな言葉を遮り、網倉が冷静に質問に答えた。白波が網倉を鋭く睨みつけるが、網倉はスッと視線を外し、全く相手にしない。

 

「へー、白波さん、自分の分じゃなくて他人のを3人分も頑張って盗んだんだ。小心者のくせに、リスクを背負ってよく頑張ったね。......さて、では僕が無実であることを論理的に証明しようか」

 

白波が口を挟む前に、白銀は淡々と、しかし場を支配する声で言葉を続ける。

 

「まず第一に、僕は盗むまでもなく欲しいなら『新品』を手に入れることができる。僕がランジェリーブランドの会長だってのは有名な話だから、知ってるよね?下着が欲しいなら、手に入れる方法はいくらでもある」

 

「第二に、どうしても『使用済み』の下着が欲しいなら、リスクを犯して盗むんじゃなくて、頼み込んで女子から直接貰うよ。本気でお願いしたらくれそうな子を、僕は確実に何人か知ってるからね」

 

明確な人物(松下や軽井沢など)が頭に思い浮かんでいるのか、白銀の言葉には妙なリアリティと説得力があった。

 

「第三に──」

 

「なにそれ、結局全部口だけのでまかせでしょ!白銀くんのバッグに下着が入っていたことは変わりようのない事実!白銀くんが変態で盗んだんだよ!」

 

白波は内心で深く安堵していた。無実を証明するなんて自信満々に言い出すから心臓がバクバクしていたのだ。それが蓋を開ければ、ただの状況的な言い訳にすぎない。この程度なら押し切れる。

 

「せっかちだね。......なら、1番面倒だけど、1番『簡単な話』にしようか」

 

白銀の瞳が、スッと細められた。

 

「下着についてる『指紋』を調べればいい。僕の指紋が少しでも出たら、僕が犯人でいいよ」

 

「指紋......?」

 

白波は絶句した。彼女はそこまで大事にするつもりなど毛頭ない。ただ白銀のクラスでの評判を地に落とし、一之瀬と今後関われないようにすることが目的なのだ。

 

「ああ。4人の下着から『同一人物の指紋』が出たら、その人が犯人だね。流石に偶然触っていたとか、苦しい言い訳は出来ないだろうし。学校側や警察の鑑識に回せば、数日で結果は出る」

 

一気に白波の顔色から血の気が引き、真っ青になる。繰り返すが、彼女は大事にするつもりはなかったのだ。

 

「でも、可哀想だなぁ。──真犯人は、僕に対しての莫大な『名誉毀損の賠償金』を払えるかな?会長である僕のブランドイメージを傷つけたんだから、億単位の相当な金額になると思うけど」

 

「ご両親も、まさか自分たちの子供が多額の賠償金で訴えられるなんて夢にも思わなかっただろうね。国が運営する高倍率の学校に入学して、後はエリートのレールの上を進むだけだったのに......こんな馬鹿げた事件で脱線して、人生からフェードアウトするなんてね」

 

「今回の件は極めて悪質だし、僕も弁護士にしっかり相談させてもらうよ。盗まれた4人には悪いんだけど、その下着は買い取らせてもらえないかな?ポイントは船に戻ってから必ず払うから。重要な『証拠物件』として、厳重に管理しておきたいんだ」

 

白波の身体の震えが、目に見えて少しずつ大きくなっていく。

 

「──君が今ここで自供するなら、訴えるような何もしないよ。今話した内容は僕にとっても手間がかかるから、正直に話してくれた方が僕も嬉しいかな。......どうする?白波千尋さん」

 

白銀に両肩をガシッと掴まれ、白波は逃げることもできない。その目には、既に戦意など一切残されていなかった。

 

奇跡的に下着に自分の指紋が残っていない可能性に賭けるなんて、そんな恐ろしいギャンブルはできない。彼女はうつむきながら、震える声で、全員に聞こえるように自白を始めた。

 

すべてを聞き終わった後、白銀は汚いものに触れていたかのように、白波の肩からパッと手を離した。

 

「最後に賢明な判断をしたね。......さて、それじゃあ僕は、この特別試験を『リタイア』させてもらうよ」

 

白銀の突然のリタイア宣言に、クラスメイトたちは呆気にとられる。

 

「驚くことじゃないよね。またいつ誰に冤罪をかけられるかわからなくて怖いし。それに、今みたいな決定的な状況で『僕のことを信じてくれるのがたった4人しかいない』ってこともよくわかったし。これ以上、このクラスのために参加する必要ないかな。リスクとリターンが全く見合わない」

 

表向きの理由だ。白銀は白波を社会的に叩き潰すことには成功した。だが、それで終わりじゃない。

 

Bクラスという温室育ちの集団に『大きな失敗』を、『明確な敗北』を経験させることまでが、今回の試験における彼の真の目的だ。

 

「待ってよ、琥珀くん!こんなことが起きないように、皆で白波さんを見張るから!だから残ってくれないかな?琥珀くんが抜ける穴は大きすぎるよ!それに、今日のことで白波さんが何を言っても、もう誰も信じないと思うんだ!」

 

一之瀬が必死に白銀を引き止める。止めた理由の中には、クラスのためという大義名分だけでなく『彼と一緒に過ごしたい』という強烈な私情が大いに含まれている。

 

白銀は、すがるような一之瀬に冷たい視線を向ける。

 

「僕を信頼してくれない人たちに協力するつもりはない。君たちだけの力で、せいぜい頑張りなよ」

 

氷のように突き放す言葉。

 

一之瀬は、こんな冷酷な言葉を彼から向けられたことは一度もなかった。あまりのショックから言葉に詰まり、そのまま声を出せずに黙り込んでしまう。

 

その悲痛な様子を見た柴田が、たまらず声をあげた。

 

「いくらなんでも言い方が──」

 

「結果で僕を黙らせてくれれば、その時は素直に謝罪するよ。精々頑張りなよ、柴田くん」

 

「──約束だからな」

 

柴田は強く決意した。悲しむ一之瀬のために、今回の試験でダントツで勝利し、必ず白銀に謝罪させてやると。

 

「それと、一之瀬さん。今後は馴れ馴れしく名前で呼ばないでね」

 

一之瀬の全身に、雷が落ちたような激しい衝撃が走った。

襲ってくるのは、息が止まるほどの激しい後悔。クラスの和やリーダーという立場を考えるよりも、自分の気持ちに正直に動いて彼を信じて手を挙げるべきだったという、取り返しのつかない後悔。

 

絶対的な拒絶。突き放されたことに対して、吐き気すら感じる始末だ。

 

対して姫野は、宿敵である白波が完全に終わった様を見てニッコニコしており、網倉と神崎は『やっぱりな』とホッとしたような表情を浮かべている。

 

白銀が一之瀬に精神的な特大ダメージを与えたのは、決して単なる嫌がらせではない。

 

リーダーである彼女の精神を崩壊させ、よりBクラスが結果を残しにくくするための冷徹な盤面操作である。その効果は、白銀が思っていた以上に覿面であった。

 

「それでは、皆様。よい無人島生活を」

 

そう言い残し、白銀は振り返ることなく、船を目指して深い森の中へと足を進めていった。

 


 

私は木にもたれるようにして、膝を抱えて体育座りで座る。場所はDクラスの探索班が通ると予測しているルートの途中。

 

龍園の指示に従うのはひどく癪だけど──せめてクラスへの潜入くらいは成功させないと、バカにされる。

 

(足音、来たっ)

 

すっと顔を伏せ、目元を影に隠す。話しかけられてから顔を上げる。そうすれば、痛々しく腫れたこの頬のインパクトが最大限に伝わる。

 

かわいそうな女を演じて、同情を買うための演出。完璧なタイミング。足音は私のすぐ近くで止まった。

 

「伊吹。そんなところで同情待ち?バカな男くらいしか引っかからないよ」

 

想定外の声だった。Dクラスの頭の軽い男子でも釣って潜入するつもりが、よりにもよって一番面倒な相手に声をかけられた。

 

「っさい。......って、なんであんた荷物もってるのよ」

 

顔を上げて真っ先に目に入ったのは、彼が肩に下げている大きなバッグ。少なくとも、探索行動中に持ち歩くような代物じゃない。

 

まさか、2日目にしてもうリタイアするつもり?

 

「これからリタイアするところだからね。なんで君、頬腫れてるの。誰かに殴られでもした?同情を誘いたいなら、ちょっと腫れが甘いけど」

 

「ほっといて」

 

「ああ、なるほどね。そういう作戦か」

 

全部見透かされたみたいな、あの宝石のような目。本当に鼻につく。なんで、どんな時でもそんなに余裕なのよ。

 

「Bクラスの拠点からは離れているし、狙いはDクラスだね。だけどさ、もう少し演技力があるか、コミュ力の高い人間をスパイに選んだ方が良かったんじゃない?龍園も、なんで君なんかを選んだのかな」

 

(それは私が一番聞きたい)

 

「ま、僕には関係ないけど。そうだ、面白いこと教えてあげようか?」

 

「別にいい」

 

「そんな冷たいこと言わないでさ。この道からBクラスの拠点まで、ゆっくり歩いてみなよ。地面をしっかりと確認しながらね」

 

「はぁ?」

 

何をいってるんだろうか、この男は。

 

「面白い落とし物があるかもね」

 

それだけ言い残して、白銀は荷物を肩にかけたまま、船のある方角へ歩き去っていった。

 

背筋を伸ばして、一度も振り返りもせず。リタイアのために歩いてる敗者のくせに、その後ろ姿からは圧倒的な余裕が漂っていた。

 

(まあ、まだDクラスの連中もこの道を通りそうにないし、少しくらいなら歩いてあげる)

 

「──リーダーカード」

 

草に紛れて、ひっそりと落ちていた小さなカード。信じられないものを拾ってしまった気分だ。手に取る指がかすかに震える。まさか、本当に──

 

私の本来の担当はDクラスだったけど、Bクラスのリーダーカードを龍園に報告したら、このくだらない潜入任務からリタイアする許可がでるかも。

 

白銀の狙いは全くわからないけど、ありがたく活用させてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大切なものは手元に置いておかないと。バッグに保管するなんて、警戒心が足りないんじゃないかな」

 

 

「白銀琥珀、体調不良でリタイアします」

 


 

二日目の朝、櫛田桔梗は誰よりも早く目を覚ましていた。毎朝のランニングで体に染みついた習慣が、環境が変わった今でも彼女を早朝に起こす。

 

(──白銀くんは何してるのかな)

 

冷たい水で顔を洗い、赤ジャージの上着のジッパーを上まで閉じながら、彼女の脳裏に浮かぶのは『櫛田内・退学させたいランキング』堂々の1位、白銀琥珀だった。

 

ちなみに2位は堀北。順位は頻繁に変動するものの、ここ最近は白銀が圧倒的な不動の首位である。

 

(たぶん、白銀くんは無人島試験があることを最初から予想していた)

 

そうだとすれば、わざわざ双眼鏡を事前に用意して、船から真剣に島を観察していたことにも完全に納得がいく。

 

事前準備をして試験に臨んでいる以上、Bクラスは、少なくとも白銀くんは本気で今回の特別試験に勝ちに来ている。そんな中、私たち底辺のDクラスが勝利を収めるのは困難だ。

 

(──だからこそ、Bクラスに勝ちたい)

 

存外、櫛田は負けず嫌いである。負けず嫌いで、承認欲求の塊だからこそ、こんなにも歪んでしまったのだから。しかも、相手があの白銀ならなおさらだ。

 

完璧ぶって、余裕そうな顔で、他人の裏の顔をすべて見透かしてるかのような白銀琥珀を──完膚なきまでに負かしたい。

 

ああいう勝ち続けてきた人間は、一度の敗北にひどく脆い。櫛田は知っている。天才故の脆さというものを。崩れた自尊心は、立て直すのに時間がかかる。

 

そこに上手く付け入れば、隠された弱みか何かを無理やり引きずり出すことだってできるかもしれない。そしたら、私と白銀くんの主従の立場は完全に逆転する。

 

(もしそうなったら、どうしてくれようか)

 

どす黒い思考が、甘美な妄想に変わるのに時間はかからなかった。

 

(まずは、毎朝と放課後の送迎。次に、私のパシリ。そのうち、便利な情報収集係にして、松下さんや軽井沢さんの弱みを調べさせる。あと、私にだけ従順なペットみたいにして──完全に私に依存してきたら、そこで『はいサヨナラ』って切り捨てる)

 

想像の中で白銀を意のままに操り、絶望させる自分の姿に、櫛田は思わず口元を緩める。すべてが思い通りに動いた場合の、最高に気持ちいい妄想。

 

そもそも、勝ちたいと思ったところで勝てるわけではない。DクラスとBクラスでは、総合力に差がありすぎる。

 

(でも、そういう不利な状況を自力で覆すからこそ、白銀くんに最大のダメージを与えることができる)

 

今までの櫛田なら、こんな戦力差のあるクソゲーで本気で勝利を目指すことは絶対になかっただろう。クラス内での自分の立場を落とさないために、頑張るふりだけしてやり過ごしたはずだ。

 

焚き木を拾うふりをしながら、櫛田は拠点の外を散策し始めた。周囲の様子を観察するのが目的だ。

 

(きっと、白銀くんは今も何かを企んでる。どこかで他のクラスの動きとか、うちのクラスの動向とか、そういう情報を拾ってるはず。なら、私だって情報を集めてやる)

 

どんな顔をするんだろう。格下だと思ってるDクラスに負けた時。この私に負けた時。

 

楽しみだ。彼の絶望する顔を見れるかもしれない。それだけで、限界まで頑張れる。

 

気色悪い三馬鹿の連中は、今回の試験で使い潰すつもりで都合よく動かそう。少なくとも、クラス全体での発言力と好感度なら、私のほうが松下さんや軽井沢さんよりも圧倒的に上だ。

 

「──本気で勝ちにいくからね、白銀くん」

 

不憫なことに、櫛田桔梗は全く知らない。

 

白銀が今回の試験で『勝つ気など毛頭ない』という事実を。そして、もう少し時間が経てば、彼が女子のテントで起こった『下着泥棒の冤罪』で糾弾され、あっさりとリタイアしてしまうということを。

 


 

二日目の朝、松下千秋は身支度をしていた堀北鈴音を人気のない場所へ呼び出していた。彼女をリタイアさせるためだ。

 

(Dクラスを私が裏でまとめる上で、一番警戒しないといけないのが堀北さんなんだよね)

 

松下は聡い。自身を客観的に見ることができる。その上で、純粋なスペックでは自分は堀北に及ばないことを知っている。学力、運動能力──いずれも堀北の方が上だ。

 

松下が堀北に勝っているのは、要領の良さとコミュニケーション能力の2点だけ。

堀北はその2点が致命的なまでに欠けているため、総合的なクラスへの影響力では松下の方が現状勝っている。

 

それはつまり、何かのきっかけで上手く噛み合ってしまえば、堀北は松下よりも圧倒的に目立ってしまうということだ。結果を残してしまう。結果を残せる人間には、自然とカリスマ性が宿る。

 

そしてそのような事態になれば、松下が丁寧に築き上げてきた立場にヒビが入る恐れがある。それは好ましくない。

 

(もし白銀くんが、堀北さんのことを認めたら──)

 

白銀琥珀のバックアップを受けているという暗黙の前提が、松下の現在の強さの根幹だ。

 

もしそれが崩れたら──白銀に失望され、彼が堀北に興味を移してしまったらと考えるとひどく恐ろしい。

 

だからこそ、堀北には今のうちに退場してもらう。無人島試験でまだ何も目立っていないこのタイミングが、最もクラスから反発されにくいはずだ。

 

リタイアさせるための、お誂え向きの完璧な理由もある。堀北は明らかに体調を崩していた。

 

(昨日から様子がおかしかった。動きにキレがないし、顔色も悪かった。なのに、それを隠して無理してる)

 

それは堀北の無駄な責任感ゆえの行動だろうが、松下からすれば付け入る隙でしかなかった。

 

「松下さん、私に何の話かしら?それも、わざわざ2人で話したいなんて」

 

堀北の声には、わずかな緊張と警戒が混じっていた。クラス内で今の自分の孤立した立ち位置をよく理解している証拠だ。

 

須藤の処罰を巡った話し合いで何も出来なかったことが、深く尾を引いているのだろう。

 

「うん。堀北さん、リタイアしてくれない?」

 

一切のオブラートに包まない、ストレートな物言い。まるで気遣いでもするかのように言う松下の笑顔は、実に柔らかく、そして冷酷だった。

 

「......それは、何故かしら。リタイア者1人につき、ペナルティでマイナス30ポイントなのを忘れたのかしら」

 

「覚えてるよ。だからリタイアしてほしいんだよね。だって、堀北さん体調悪いよね?もしかして、熱もあるんじゃないかな?」

 

堀北の表情が一瞬だけ揺れる。松下は内心ほくそ笑む。

 

(やっぱり、そう。昨日から気づいてた。頬が少し赤い。無理してるの、バレバレだよ。ただ友達がいないから、誰にも指摘されなかっただけだよね)

 

「っ......それは、」

 

「リスクは最小限に抑えたいんだよね。堀北さんの体調不良が他の子に移ったり、倒れて動けなくなったりしたら、それこそ致命的なダメージになる。30ポイントで済むはずのマイナスが、取り返しのつかない傷跡になる」

 

「──気にしないでちょうだい。迷惑はかけないから」

 

「気にするよ。もしリタイアしてくれないなら、朝の貴重な時間を使ってクラス全体で話し合うことになるね。もしかしたら、貴重なポイントを使って体温計を買うことになるかも」

 

堀北の唇がわずかに震えた。自分がクラスにとって『害になる存在』だと全員に認識されるのは、プライドの高い彼女にとって耐え難い屈辱だ。

 

(わたしだったら、関係ないって笑い飛ばせるのに)

 

それは、松下がクラス内で多少のミスや失態を許されるであろう安全な立ち位置にいるからできること。孤立している堀北にはできない。

 

「──私の状態を気にしてくれるのは、ありがたいと思うわ。でも、それでも私は......最後まで残りたい」

 

「それはわかるよ。でも『最後まで』って、どこまでなの?もうすでに、限界に見えるよ」

 

静かに、だが鋭く急所を突き刺す言葉。松下の目は全く笑っていない。堀北の悲痛な感情に揺さぶられる様子は微塵もない。

 

「ねえ、堀北さん。これ、お願いじゃないんだ。決定事項なの」

 

「......決定事項?」

 

「うん。つまり、これは命令じゃないけど、限りなくそれに近いってこと。少なくとも、私は堀北さんをリタイアさせるべきだと思ってるし、クラスで話し合いになった時にそれを通す自信もあるよ。だから、決定事項」

 

堀北は目を伏せ、わずかに肩を震わせた。激しく葛藤しているのが見て取れる。

 

(──そう、それでいい。堀北さんには、もう少し弱ってもらわないと。白銀くんが絶対に興味をもたないように)

 

「それにね、私、堀北さんがリタイアすることを『美談』にできる自信があるの」

 

「......美談」

 

「『クラス全体を優先して潔く身を引いた堀北さん』ってね。かっこいいよ、すごく。それに、その方が堀北さんの次にも絶対繋がる」

 

堀北は一瞬だけ何かを言いかけたが、飲み込んだ。息苦しく、体の節々が痛む。松下の言葉が、今の自分の最悪な状態と残酷なまでにリンクしていた。

 

──本当に、限界なのかもしれない。

 

そんな諦めの気持ちが、堀北の脳を支配していく。

 

「そんなに、今の私は足を引っ張ってるのかしら」

 

「ううん。今引っ張ってるなんて言ってない。でも、今後引っ張るかもしれないっていうリスクは無視できない」

 

沈黙。鳥の声すら遠くでしか聞こえない、冷たい静寂。

 

「──リタイアするわ」

 

声は小さく、それでもはっきりと響いた。

 

松下はその瞬間だけ、心の底からの満面の笑顔を浮かべた。自分の考えた盤面が現実になるのは、本当に楽しい。

 

(よし、堀北さん脱落)

 

「ありがとう、堀北さん。きっとこの選択、みんなに感謝されると思うよ」

 

堀北は、うなずくこともせず、ただ目を伏せて立ち尽くしていた。その瞳の奥にあったのは、諦めなのか、怒りなのか、それとも───無力な自分への失望なのか。

 

「──美談とやらは遠慮しておくわ。私は、体調不良でリタイアする。それだけよ」

 

「そっか、うん。わかったよ」

 

甘ちゃんだ。もらえる評価はもらっておけばいいものを。無駄なプライドなのか、それとも自責思考なのか。そんなこと、松下にとってはどうでもよかった。

 

松下はもう、堀北の顔を見なかった。拠点に戻る足取りは羽のように軽い。

 

(ごめんね、堀北さん。今回の特別試験、白銀くんはDクラスに勝たせたいみたいだから──手柄は全部、私がもらっちゃうね)

 

白銀を堀北に接近させないために。今回堀北を早々にリタイアさせた理由の一端にそれがある。

 

だが、松下は知らない。今こうしている間に、白銀が下着泥棒の冤罪をかけられ、リタイアのために船へ向かっていることを。

 

排除したはずの堀北と会話する、機会を作り出してしまったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、堀北さん?君もリタイア?」

 

「───意外ね。白銀くんもリタイアかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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