俺は今、目の前のソファで偉そうに足を組んで座っているこいつを、思い切り1発くらい殴っても許されるのではないだろうか。いや、絶対に許されるはずだ。
「──ありがとうね、隆二。君のお陰で、みんなが完璧に誤解してくれたよ」
「お前の性悪加減を見誤っていた。まさか、事情を知っているはずの俺まで騙して利用するなんてな」
こいつの狙いは明白だった。Bクラスに圧倒的な敗北を骨の髄まで受け入れさせることと、クラス全体に対して致死量の『危機感』を与えること。
まぐれで負けたのではなく、負けるべくして負けたのだと理解させることだったらしい。
無人島試験で圧倒的敗北を味わわせた直後に、最大の主力である自分がクラス移動を示唆してパニックに陥れるなんて、荒療治にも程がある。
「勝手に騙されたのはそっちなのに、僕が悪いだなんて他責思考もいいところだよ」
「お前に明確な騙す意思があったんだから、俺には文句をいう権利くらいあるはずだ」
琥珀は肩を竦め、やれやれと言わんばかりの小賢しい態度をとってくる。あの時、胸ぐらを掴んだ流れで本当に1発殴っておけばよかった。なんでお前が妥協してやった感をだしているんだ。何一つ譲ってないだろ。
「網倉と姫野にもよろしく伝えておいてね。隆二の迫真の演技のせいで、まんまと勘違いさせられて可哀想に」
「......お前のせいだろ」
とりあえず、文句を言うのはこんなところでいいか。これ以上責めたところで意味はないし、元々クラス全体を誤認させることがこいつの目的なのだから、悪いとも微塵も思っていないだろう。
若干解消できてないモヤッと感はあるが、仕方ない。
「自責思考が大切なんだよ?」
知っているが、今の状況は絶対に違うだろ。いや違う、この不毛な話題はもういい。本題に入るか。
「──それで、誰をクラスに引き入れるのかはもう決めてるのか?」
他クラスからの引き抜き。それが、琥珀が購入を宣言した『クラス移動の権利』の真の使い道だ。
正確にはまだ星之宮先生にポイントを支払っていないから購入予定という枕言葉がつくが、こいつが自分が他クラスへ移動するためではなく、他クラスの優秀な人間をBクラスに引き抜くためにあの宣言をしたことくらい、今は理解できる。
「どうだと思う?」
答えを教えるつもりがないのか、それとも迷っているのか。はたまた、俺の考えを試しているのか──どれでもいい。
琥珀に確固たる考えがある以上、俺が心配することではない。
「──松下千秋、か?」
他にも候補はいる。だが、その候補から強いて1人選ぶのであれば、松下千秋に軍配が上がると俺は思う。
「へぇ、松下だと思うんだ。理由はあるんだよね?」
「当然だ。お前が裏で関わっている連中の中で、松下が1番最初に自分を売り込んで来た。協調性があり視野も広く、状況判断力まである。運動能力は未知数だが、成績も悪くなかったはずだ。一之瀬の補佐、もしくはサブリーダーとして立てるなら、十分に有りな人選だろ......お前自身がリーダーになるなら、話は別だがな」
「最初から言ってるけど、表のリーダーは一之瀬が適任だからね。松下ね......松下はバランス良くなんでもこなせるから、悪くないかもね」
「松下なのか?」
「どうだろうね」
教えるつもりは一切なさそうだ。いずれわかる事だ、今はそこまで気にする必要はないか。
と、話のついでだ。これも確認しておくか。
「夕方のクラス反省会、参加するのか?」
「しないよ──してもいいんだけどね。同じ時間に、個別で呼び出しを受けてるから。そっちを優先しようかな」
淡々とした返答。抑揚はなく、まるで退屈そうな声色だ──だが、俺は騙されない。2回も騙されてたまるか。
本当に興味がなければ、こいつは強制でもない限り呼び出しになど絶対に応じない。
呼び出しを受け入れたという事実自体が、そこに何かを見出している決定的な証拠だ。
僅かながら関心を抱いている。呼び出した相手そのものか、それとも提示された条件か、そこまでは読めない。
だが少なくとも、琥珀が『自分の時間を割く価値がある』と判断したことは確かだ。
この感じだと、聞いても絶対に答えなさそうだな。
頼むから、今回みたいに心臓に悪い爆弾を落とすのは勘弁してくれよ。
正直、この呼び出しに過度な期待はしていない。
いい意味でも悪い意味でも、彼女は僕の想定を越えてこない、優等生な『いい子』だからだ。それでも僕が彼女の呼び出しを受けたのは──純粋に、面白いと思ったから。
豪華客船の、とある客室の前で僕は足を止める。
客室には基本的に同性の2人1組で泊まっている。そのため、本来であれば僕を呼び出した人間ではない相部屋の相手が出てくる可能性がある。
まあ、今は『彼女』以外が出てくることは絶対にないだろうけど。だって、クラスの反省会に律儀に参加しているはずだからね。
丁寧に3回ドアをノックすると、すぐに内側からドアが開かれた。
「──きて、くれたんだね」
「呼ばれたからね。できれば、楽しい話だと嬉しいんだけど。期待してもいいのかな、一之瀬さん」
クラス全体の反省会と時間を被せて、僕を自室に呼び出す──その意図がわからないはずもない。
同室の白波が反省会に出ている隙を突き、絶対に邪魔が入らないように仕組んだね。わかっている。どうせ僕の想定を上回るような提案はないだろうと。
それでも、一之瀬帆波がこういう小細工を見せてくると、少しだけ期待してしまうじゃないか。
部屋に招かれ、僕は窓際のソファへと腰を下ろした。一之瀬も対面のソファに静かに座る。
「来てくれてありがとう。断られるかもって不安だったから、すごく嬉しい」
「呼ばれたから来た。それ以上の意味なんてないよ。本題に入ってくれると嬉しいんだけど」
期待してしまうとはいっても、話の内容は大体予想できる。
『冤罪事件の時は庇えなくてごめんなさい』『クラス移動はしないでほしい』『白波さんとはできるだけ関わらないようにする』──せいぜい、そのくらいの内容だと僕は予想している。
「──琥珀くんは、本当にクラスを変えるつもりなの?」
また名前呼びに戻っている。まあいいけど。あの時は一之瀬に強烈な精神的負荷を与えるために禁止しただけだから。
気絶して倒れたと聞いた時は少しやりすぎたかと思ったが、この様子だと、既に完全に立ち直っているみたいだね。
「どうだろうね。まあ、どこに行ったって変わらないさ。僕は僕でしかない」
軽い調子で返した僕に、一之瀬は一呼吸置いてから、ふわりと笑った。
普段と同じ、誰にでも向ける柔らかい笑顔に見えた──けれどその中に、妙な、そして異質な雰囲気をまとっていた。
これは、完全に吹っ切れた?今までのただ優しいだけの帆波とは、何かが決定的に違う。
「私はね、Aクラスに上がるためなら──切り捨てるよ。不要な人間は。もう、絶対に迷わない」
あまりにも真っ直ぐに、淀みなく告げられたその言葉に、流石の僕も思わずまばたきをする......その結論は、想定外で意外だ。
「へぇ。それはつまり、白波さんを切り捨てるってことかな」
「うん。彼女はもう、このクラスにいらないかな」
とびっきりの、花が咲くような美しい笑顔で断言された。
残酷さを少しも自覚していないような、あるいは全てを完全に受け入れた上で口にしているのか。
──その無邪気さと冷酷さが完璧に混ざり合った表情に、背筋が一瞬だけゾクッとした。
僕の目の前にいるのは間違いなく一之瀬帆波のはずなのに......まるで、まるっきり違う人間と話しているみたいだ。
「もし、僕がこのクラスの害になるとしたら、僕も切り捨てられるのかな?」
彼女を試すように、意地悪く問いかける。
「うん、切り捨てるよ」
帆波は全く悪びれることなく即答した。そして、ほんの一瞬、艶やかに声を落としながら言葉を重ねる。
「──でもその時は、私も琥珀くんについていくよ。琥珀くんがいなくなるなんて、私には絶対に耐えられないから」
......ああ、面白い。想像していた以上に、彼女はずっと強かで、狂っている。
おかしいことを言っている。害だから切り捨てたはずの相手について行くなんて、普通であれば考えられない頭のイカれた行動だ。
思わず、堪えきれない笑みが零れる。笑わずにはいられなかった。
優しすぎる理想主義者が、自分の中の『優先順位』を明確につけると、一切の迷いがなくなる。その圧倒的な精神的余裕は、彼女の言動にハッキリと現れている。
「琥珀くん、Bクラスに残ってくれるよね?」
一之瀬の光を宿した視線が、真っ直ぐ僕の心臓に突き刺さる。
一瞬とはいえ、まさか僕が君の圧に気圧されるとは思っていなかったよ......うん、残るよ。元々そのつもりだったんだから。
「私が一番、琥珀くんを楽しませられる。理解できる。最後まで一緒にいることが出来るから」
「......元々、自分のクラス移動のために権利を使うつもりはなかったんだけど。君のその顔を見てたら、これからが少し楽しみになったよ」
ああ、どうしようか。試してみたい。
覚醒した今の一之瀬帆波と彼女を競わせたら、一体どういう化学反応を起こすのか──最高に面白いよ、帆波。
やっぱり、君はリーダー向きだ。
誰よりも優しく──そして誰よりも『強欲』な君は、このクラスのリーダーに相応しい。