朝のレストランにて、神室と白銀が同じ席についている。
白銀はいつものように優雅にコーヒーを飲んでいるが、対して神室はかなり機嫌が悪そうだ。その理由はハッキリとしている。
「君から誘ってくるなんて珍しいじゃないか、神室。坂柳さんから何か指示でも受けたのかな?」
白銀は、神室が自分を呼んだ理由を完全に理解している。十中八九、あの『クラス移動の件』についてだと。
その読みはドンピシャで当たっており、神室が不機嫌なのもそれが原因だ。
「あんたが全然声をかけてこないからでしょ」
神室は、白銀がクラス移動の権利を購入してから、いつ自分に声をかけてくるのかと内心そわそわしながら楽しみに待っていたのだ。
坂柳との接触、Aクラスの生徒との交流。その橋渡し役に選ばれるのは、当然自分だと思っていた。なぜなら、彼には神室以外にAクラスで親しい生徒はいないからだ。
「意外と寂しがり屋なのかな?ああ、そうだ。この船のエステに行ってみるといいよ。腕は悪くなかったから」
「は?ふざけてるの」
同じクラスになったら隣の席をキープして、二人での勉強会を開いて、放課後は適当な理由をつけて一緒に帰って──と、ここまで色々な青春のシチュエーションを考え、神室は内心希望に胸を膨らませていたのだ。
それなのに、未だにクラス移動の権利を白銀は使っていない。神室はその事にヤキモキしていた。
実際には櫛田が使うことになっているなんて、神室に限らずこの学校の誰も気がつくことはないだろう。
「もしかして、ファッションショーの話?」
「クラス移動に決まってるでしょ!あんた、いつAクラスに来るのよ」
白銀がAクラスに移動してくるのは確定事項だと、神室はそう考えているし確信している。
当たり前だ。龍園の独裁のCクラス、不良品の集まりのDクラス。このふたつのクラスとAクラスでは、天地ほどのレベルの違いがあるのだから。
他のクラスが選ばれるはずがないと思うのは、至極当然である。
繰り返すが、櫛田桔梗がその権利を使うとは、天才である坂柳でさえ読むことはできないだろう。
「え?僕、Aクラスに移動するなんて一言も言ってないけど」
「は?」
神室の抱いていた甘い幻想は、本人の一言によってあっさりと打ち砕かれることになった。
全ては神室が先走って勝手に思い込んでいただけではあるのだが、それは仕方ない。普通の感性を持っていれば、誰だって彼がAクラスに移動すると思うだろう。
神室は全く想定していなかった言葉に、ポカンとして黙り返ってしまう。
「Aクラス以外に──」
『みんな大変だ!!Bクラスの白波が──!』
神室がようやく言葉を発しようとした瞬間、勢いよくレストランに入ってきた生徒の悲痛な声にかき消される。
それと同時に、レストランにいる全員の端末が一斉に音を立てる。いきなりレストランは異様な騒がしさに包まれた。
全員が白波と須藤の事件に耳を傾ける中、白銀だけは真っ先に端末を開き、届いたメールを確認する。
『本日より特別試験を開始いたします。各自指定された部屋に、指定された時間に集合して下さい。10分以上の遅刻をした者にはペナルティを科す場合があります。本日17時までに2階203号室に集合して下さい。所要時間は20分ほどですので、お手洗いなど済ませた上、携帯をマナーモードか電源をオフにしてお越し下さい』
「──また試験か」
白銀は小さく呟き、椅子を静かに引いた。周囲の喧騒をよそに、ゆっくりと立ち上がる。そして、何事もなかったかのように優雅にレストランを後にした。
当然ながら、話の途中で神室を置いて帰ったことに対する、お怒りのメッセージが後で届くことになった。
(白波はゴリラ相手に上手くやったみたいだね。これで君たちとはお別れだ)
『白波が須藤に殴られてレイプされそうになったらしい。須藤は間違いなく退学になるだろう。白波の事は好きじゃないが、気の毒だと思う』
『白波は嫌いだしどうでもいいけど、須藤なんかに襲われるのは可哀想。あーあ、でも、これでしばらく白波の被害者ムーブ聞かされるとなったらめんどくさっ』
『須藤くんって本当に乱暴だね。琥珀くんも殴られたことあったよね?本当に無事でよかった』
僕が裏で関わっていると予想はできないか。
3人ともなんだかんだ、根が善人すぎる。神崎と網倉はともかく、姫野なら少し勘づきそうだと思っていたけど、流石に買い被りすぎたかな。
『今回の事件さ、白銀君関わってない?白波さんが須藤くんと2人きりになっているの、どう考えても違和感があるんだよねー』
『白波さんは、男の人と同じ空間にいるのが怖いから自主退学するって星之宮先生から聞いたよ。一応伝えておくね、知っているだろうけど』
『須藤くんの事件の話聞いたんだけど、怖いから少しだけ一緒にいてほしいな。ダメかな?』
『事件に特別試験のお知らせに、今日は船が騒がしいね。静かなところで会えないかな?おかしな点があるから話したいなぁ』
櫛田は元々の交流の広さで、白波の動向に違和感を感じたみたいだ。9割方僕が裏で糸を引いていることに気づいてると見ていい。
一之瀬は、少し前までなら絶対に気が付かなかっただろうに──『知っているだろうけど』という一言がそれを物語っている。
直近で一番劇的に変化したのは彼女だ。
軽井沢はどっちだろうか。気づいているのか気づいてないのか、微妙なメッセージを送ってきた。本当にどっちだ、これは。
松下は完全に気がついてる。元々洞察力は悪くなかったからね。
今後、誰にどういう頼みごとをしてもいいか、このメッセージの反応からでもある程度判断できる。白波は最後に、本当にいい仕事をしてくれたよ。
とりあえず、微妙な軽井沢の誘いに乗ってみようか。このメッセージが表裏のないただの好意からきているものなのか、僕でさえ読み解けない高度な心理戦なのか。
多分前者だと思うけど、会ってみればわかる事だ。
とりあえず全員に返信しておこう。
あ、早い。もう返信がきた。別に即レスは求めてないんだけど。
『無人島試験、かなり疲れたし白銀くんと少しゆっくりしたいなぁ、なんて』
──松下か。確かに最近放置気味になっていたかもしれない。有能な駒に不満を溜め込まれても面倒だし、軽井沢との予定に松下も入れよう。
午後のプール。暴行事件と、この後行われる特別試験の影響で、ここはほとんど貸し切り状態だった。
静まり返った水面に、陽光がきらきらと反射している。
白銀の両隣では、松下と軽井沢が水着姿でバチバチと視線をぶつけ合っていた。
「私が誘ったの、白銀くんだけなんだけど?」
軽井沢の声には、明確に苛立ちと棘が混じっている。松下は穏やかな笑みを浮かべたまま、肩をすくめた。
「そうなんだ。なら、軽井沢さんと二人きりだと退屈すると思ったんじゃない?」
「はぁ?」
「違った?」
どちらも笑っている。けれど、その笑顔はプールの冷たい水のように張りつめていた。女同士の、静かで恐ろしい戦いである。
白銀はプールサイドのデッキチェアに深く腰掛け、目の前で繰り広げられる光景を優雅に眺める。
左の軽井沢は、薄いピンクのビキニ姿で、腰のラインを包むパレオが風に揺れている。ヘアゴムで束ねた金髪が、彼女のギャルとしての存在感を際立たせている。
右の松下は、深い藍色のワンピースタイプ。露出は控えめで、それが彼女の大人びた印象を際立たせている。立ち姿も凛としており美しく、その佇まいからは自信を感じさせる。
2人の言い争いの矛先は、無関係を装っている白銀にいつの間にか向いていた。
「ねぇ白銀くんは、どっちの水着が好き?」
軽井沢が半ば挑発するように身体を傾ける。真っすぐな瞳を白銀に向けていた。
「えっ、そんなこと聞く?どう考えても困る質問でしょ」
松下が笑いながら牽制する。だが、答えなくてもいいとは一言も口に出さない。
「美しさなら松下、可愛さなら軽井沢。水着の方向性がそもそも違うからね。2人ともよく似合ってるよ」
白銀はこの時点で確信した。軽井沢は今回の事件に自身が関わっていることに気がついておらず、純粋に事件を遊びに誘う口実にしたのだと。
だからといって、どうということはない。念の為確認したかっただけだ。
軽井沢は嬉しそうに小さく奇声を上げたが、その表情には満面の笑みが浮かんでいる。
松下は少し不服そうではあったが、どこか勝ち誇った表情をしているようにも見える。
火花は散っているのに、その天秤がどちらかに傾くことはない。白銀を巡っての水面下の争いが、静かに繰り広げられている。
我関せずとばかりに、白銀は冷たいドリンクに口をつけて視線を逸らした。
「楽しかったよ。僕は特別試験の集合時間がそろそろだから、先に戻らせてもらうね」
白銀が姿を消したあと、プールには奇妙な静けさが戻っていた。
太陽はまだ高く、照り返す水面がまぶしいほどだったのに、空気はどこか冷たい。
先ほどまで響いていた笑い声の残響が、波紋のように消えていく。
軽井沢と松下は、しばらく無言のまま立ち尽くしていた。どちらからも言葉が出ない。話題を振る理由がない。
なぜなら、もう共通の目的である白銀琥珀がここにいないからだ。
だが、沈黙は長くは続かなかった。松下が髪をかき上げながらぽつりと口を開く。
「軽井沢さん──白銀くんのこと、本気で好きだよね?」
唐突な問いだった。だが、その声色には刺々しさはなく、事実を確認するような意図が込められていた。
軽井沢はすぐに棘のある声で反応する。
「だとしたらなに?私、松下さんにも誰にも譲るつもりないから」
松下は小さく笑った。
「そっか。まあ、予想通り。白銀くんは魅力的だもんね」
「なにその上から目線な言い方」
「別に。むしろ真っ直ぐで正直でいいなって思ったの」
軽井沢は松下の言葉に不快そうに眉をひそめる。彼女の落ち着きが、神経を逆撫でする。
松下は濡れた足をプールの水に戻して、指先で波を描きながら続けた。
「でも、軽井沢さん。私たちが思ってる以上に、白銀くんの周りって『厄介』だよ」
「どういう意味?」
「そのままの意味」
松下はまるで、授業で生徒に説明するような穏やかさで事実を並べていく。
「スタイルのいい一之瀬さん。愛嬌のある櫛田さん。元カノの長谷部さん。接点の多い姫野さんと網倉さん。グラビア経験のある佐倉さん。サバサバ系の伊吹さん。クールな神室さん。真面目でツンツンしてる堀北さん。それに生徒会の書記さんや、上級生の綺麗どころまで」
「この異常なメンバーと競うのは、正直キツいと思うよ。軽井沢さんは可愛いけど、このバケモノみたいなメンバーの中で確実に勝てる武器ってある?」
軽井沢はぐっと口を噤む。松下の言うことは、ひどく悔しいけれど的を射ていた。白銀と関わる女子の数、そして質。その全てがトップクラスである。
「だからなに?私を諦めさせたいわけ?」
松下はゆっくり首を横に振った。
「違うよ。むしろ──私たち、協力しない?」
軽井沢は怪訝な顔で聞き返す。
「協力?どういう意味」
松下は視線を空に向けた。その横顔は穏やかで、どこか恐ろしい策士のようでもあった。
「私はね、勝てる見込みがない無謀な戦いはしない主義なの」
「......で?」
「白銀くんは単純じゃない。彼の本命が誰なのか読めないし、そもそもいるのかもわからない。その中で勝率を上げるには、誰かと組むのが一番手っ取り早い」
「つまりさ、私と軽井沢さんで『白銀くんを共有しよう』ってこと」
軽井沢の眉がぴくりと跳ねた。その言葉があまりに突拍子もなくて、一瞬、意味を取り違えたのかと思う。
「......は?共有って、どういう意味」
「そのままの意味だよ。私が単体で戦っても、あのバケモノ揃いのメンバーだと正直勝率は低いと思ってる。だからさ、私が彼の隣にいれるなら──他の女子の存在も許容するよ」
「待って待って、頭が追いつかない」
「反対に、軽井沢さんが白銀くんを射止めたとしても、私が彼の近くにいることを許容して欲しい」
「──馬鹿じゃないの、そんなの」
軽井沢は吐き捨てるように言ったが、声音はどこか震えていた。驚き、苛立ち、独占欲。松下の提案は少なくとも、女子高生としての真っ当な恋愛観ではない。
松下は肩をすくめ、半ば冷たく笑った。
「分かるよ。普通の恋愛観からしたらおかしい。でもさ、普通に戦ったら絶対に勝てないでしょ。グズグズしてたら他の女子にあっという間にもっていかれる。だったら、前提となる『ルール』を変える方が合理的じゃない?」
1人しか付き合ってはいけない。松下は、その一般常識の倫理を無視すると言っているのだ。
「ルールを変えるって......」
「私だって、できるならそんな共有したくないよ。誰にも取られたくない。白銀くんは私の──」
言いかけて、彼女は口を噤む。その独占欲を口に出すのは、自分でも恥ずかしいと感じたのだろう。だが、その一瞬零れた本音は確かなものだった。
「私の提案どうかな?軽井沢さんの気持ちが本物なら、誰より近くにいるための最短ルートを断る理由はないと思うけど。共有は手段。勝つための戦術の最適化って言えば分かりやすいかな」
軽井沢は深く眉を寄せる。
「戦術って。それ、恋って言えるの?」
松下はわずかに目を細め、真剣に答える。
「恋だよ。どうすれば彼の一番近くにいられるかを合理的に考えた結果の結論。誰かと一緒になった彼を、ただ遠くから指をくわえて見守るのだけは絶対に嫌だ」
軽井沢は口元で苦く笑った。理解できる。彼が自分以外の誰かと付き合って、その幸せそうな姿を見ることになったら、間違いなく自身は嫉妬で病むと断言出来る。
白銀の周りにいる魅力的な面々を思い浮かべ、決断をした。
「......いいよ。白銀くんの近くにいることができるなら。彼の隣に立てるなら、何人と付き合っていようと些事だよ」
軽井沢はふうと息をつき立ち上がる。タオルを肩にかけながら、じっと松下を見返した。
「良かった。少なくともこれで、私たちの勝率は他の連中に比べて格段に高くなる──よろしくね、軽井沢さん」
「よろしく、松下さん」
二人はしばらく見つめ合い、そして小さく笑った。敵同士だったはずの女二人が、同じ目的に向かって歩き出す瞬間。
そこには妙な、そして恐ろしい連帯感が芽生えている。
「あ、でも、クラスの女子グループは混ぜないでおこう。統合させない方が、色々と情報操作に便利だから」
「おっけー。了解」
「俺はやってねぇんだ!!!生意気に煽られたからつい殴っちまったけど!レイプなんて何もやってねぇ!!!!!!!」
豪華客船の隔離された一室で、須藤健の絶望に満ちた叫び声が虚しく響き渡っていた。
軽井沢
松下