午後11時30分。白銀は長谷部から呼び出されていた。
個室のあるBARの一室。ひどく緊張した面持ちの長谷部と、普段と変わらぬマイペースな白銀が顔を合わせる。
「波瑠加。こんな夜遅くに呼び出して、なんの用かな。出来れば夜は寝たいんだけど」
「ごめん。でも、どうしても今日直接聞いておきたくて」
強張った表情のまま、長谷部は言葉を紡ぐ。彼女はこれを聞くか否か、今日一日ずっと迷い続けていたのだ。
「琥珀──櫛田さんと付き合ったり.....してない、よね?」
「ないよ」
即答。勇気を振り絞った問い掛けに対し、白銀からは迷う素振りすらない言葉が返ってきた。その事実に長谷部は深く安堵の息を吐き、白銀はただ眠たそうに瞳を擦る。
「っ、そうだよね!何か考えがあって櫛田さんを移動させただけで、そういう関係じゃないよね!」
隠す気もない好意を全面に押し出し、長谷部は弾むような声を上げる。白銀は眠たげな表情のまま、短く頷いた。
「少し前に、櫛田さんと琥珀が毎朝一緒に過ごしてるなんて噂があったから、その......気になって。でも、それも違うんだよね?」
「それは事実だよ。まあ、今後は違うけど*1」
「......え?」
朝にランニングをしていたため事実ではあるのだが、長谷部がそれを知る由はない。そして、白銀もそこまで詳細を伝えるようなことはしない。詳しく聞かれていないのと、単純に説明が面倒だからだ。
「もし、もしだよ。もし私が、琥珀と毎朝一緒に登校したいって言ったら──いいよって言ってくれる?」
間違いなく、長谷部は先ほどのやり取りで精神的ダメージを受けたはずだ。だが、その程度のことで立ち止まる段階はとうに過ぎている。意外なほどの粘りを見せた長谷部を一瞥し、白銀は淡々と答える。
「きっと断るんじゃないかな。理由がないから」
「なら、琥珀に毎日朝ごはんを作るから、それで一緒に登校しようって言ったら.....どう?」
長谷部は引かない。諦めない。もう既に自身の気持ちは彼に伝わっているのだ*2。今更引く理由などない。長谷部波瑠加には、攻め続ける以外の選択肢は存在しない。
「黒焦げの卵焼きを食べさせられた記憶があるんだけど、料理できるようになったの?」
白銀の口から出たのは、純粋な興味本位の質問だった。決して受け入れるつもりはない。
同じ寮に暮らしているならともかく、白銀が住んでいる家は寮から割と離れている。わざわざそこまでして、毎朝食事を作りに来てもらう必要はないというのが白銀の結論だ。
「うん。今はもう、琥珀が好きな和食だって完璧なんだから」
「へぇ、機会があれば食べてみたいね。でも、毎朝朝食を作りに来てくれるのは断るよ。そんなことをしてもらう理由がない」
「私は琥珀に食べてもらいたい。琥珀も食べてみたい──毎朝が負担なら、夏休みの間に1回作りに行ってもいいでしょ?ね?」
「まあ、1回なら」
長谷部の押しの強さに少しだけ絆されたような態度を見せながら、白銀は結局その提案を受け入れた。口にした通り、彼女の手料理に興味が湧いたからだ。それ以上の理由はない。
「うん!」
パァっと、長谷部は花がほころぶような笑顔を浮かべる。同級生の前では決して見せることのないであろう、心からの幸せな笑顔を。
「わー、一之瀬さんと同じ部屋なんて嬉しいよ。琥珀くんのお願いだから断れなかったのかな?」
和やかなやり取りを繰り広げていた白銀と長谷部に対し、櫛田と一之瀬の相部屋では火花が散っていた。櫛田が遠回しに『いい子ぶってる』と喧嘩を売れば、一之瀬は笑顔で言葉を返す。
「にゃはは、まさか。琥珀くんのお願いじゃなくても聞いたよー。それに、琥珀くんは頼み事を断ったくらいで私の事『は』嫌いになったりしないから」
暗に『櫛田さんは分からないけどね』と言わんばかりの返答に、櫛田も同じく笑顔で返す。
「そうなんだ。琥珀くんは私のために毎朝時間をとってくれるくらい優しいから、私が嫌われることはなさそうかなー。一之瀬さんはわからないけどね」
先程の牽制とは違い、直接的な言葉で櫛田は刺しにいった。一之瀬の眉が一瞬歪み、表情から笑顔が消える。
「きっと、琥珀くんは櫛田ちゃんからすぐに興味をなくすと思うな。櫛田さんがBクラスで結果を残すことはできないだろうから」
一之瀬帆波は変わった。かつての彼女なら、移動してきた櫛田に対して無条件の優しさを向け、クラスに馴染めるように全力でサポートしただろう。しかし、今の彼女は違う。
「邪魔するつもりなら容赦しないけど」
睨みつけるように一之瀬を見る櫛田。今度は櫛田が少しばかりダメージを負った。一之瀬は知る由がないが、櫛田と白銀の朝ランは既に予定からなくなっている。
一之瀬の『興味をなくす』という言葉が、思いのほか深く刺さったのだ。
「邪魔なんてしないよ。ただ、櫛田ちゃんができることは私にも出来るから、櫛田ちゃんが出る幕はないよ。琥珀くんが何を考えてクラス移動させたかは分からないけど──今回ばかりはミスと言わざるをえないかな」
含み笑いを浮かべる一之瀬と、引き続き睨みつけている櫛田。しばらく無言の時間が続いた後、ふっと櫛田が表情を緩めた。
「確かに。演じてる時の私ならそうだったかもしれないけど、今は違う。私のことをあんたの下位互換だと思ってるなら──勘違いしすぎ」
互いに冷ややかな笑みを浮かべ、視線を交ませる。学園を代表する美少女二人が笑顔を浮かべているというのに、不思議なことにその部屋の空気はすこぶる重たかった。
「おやすみ、櫛田ちゃん。前より今の方が──本音を語ってくれてる気がして嬉しいよ」
「さっきまであんな言い合いしたのにバカじゃないの。あんた嫌い」
「──しっぽ巻いて逃げるなら早い方がいいよ」
「上から目線がウザイっていってんのわっかんない?みんなにお優しい一之瀬さん」
「琥珀くんのこと諦めたら教えてね。そしたらきっと、良い友達になれると思うから」
「あんたが諦めたら考えてあげる」
二人は互いに背を向けてベッドに潜り込み、少ししてから眠りについた。片方はこの部屋に送り込んだ白銀への恨み言を頭に思い浮かべながら。
翌朝。ビュッフェ形式のレストランにて、騒がしい周りを傍目に4人は朝食をとっている。うち2人、網倉と神崎は疑わしい視線を白銀に向けている。我関せずと食事を続ける白銀と、騒がしい周囲に顔を顰める姫野。
「お前は事前相談という言葉を知らないのか」
「想定外のことはなんでも僕のせいにしないと気が済まないのかな?」
問い詰める神崎と涼しい顔で食事を続ける白銀。姫野が神崎に加勢する。
「先に教えてくれたらルームサービスにしたのに。このくらい教えてくれてもいいじゃん。あー、うるさいうるさい」
「本当にね。ここは騒ぎながら食事をする場所じゃないのに。学校でこの船を貸し切ってなかったら、僕たち以外追い出されてるよ」
「この騒ぎになってんの、あんたのせいなんだけど」
ジロッと白銀に視線を向ける姫野。糾弾しているはずの相手が余裕そうな態度を見せれば少なからずイラつくだろう。
現に姫野はイラつきをぶつけるように、白銀の皿に乗っていた最後のイチゴを盗って食べた。
「隆二、いちごタルト持ってきて」
「自分で行け」
「あ、なら、私が行くよ。ちょうどデザートをとってこようと思って──」
「どんな手を使った」
網倉が立ち上がろうとするとほぼ同時に、彼女の背後から声が通った。Cクラスの王様、龍園翔の声が。龍園の瞳は真っ直ぐ白銀を捉えている。
「なんでみんな想定外のことは僕が起こしたと思い込むんだろうか。一応聞いておくよ。どうして僕だと思うのかな?」
各クラスが大慌ての大騒ぎをしている理由。
それは──本日の午前7時30分に全ての試験が終了したこと。青天の霹靂と言っても大袈裟ではない出来事が突然起きたのだ。
「ここまで大それたことを行えるやつは限られる。少なくともクラスの各グループのクラスの連中を思い通りに操れ、かつ他クラスと深い交流があるやつじゃないとできねぇ」
当然、Bクラスの生徒が優待者のグループを捨ててわざと間違える方法もあるが、デメリットの方が大きい。そのため、全てのグループの試験を終わらせるためには最低でも2クラスが協力しなければならない。
「僕がどのクラスと組めるっていうのかな?Aクラスのリーダーとは交流がほとんどないし、Cクラスのリーダーは君だし、Dクラスからは櫛田を引き抜いたことで恨まれたし。残念だけど、僕にはできないね」
そう言いながら白銀は姫野の皿の上にあるさくらんぼを盗って食べた。抗議の視線を向ける姫野を無視して白銀と龍園は視線を合わせる。
「嘘....じゃねぇみたいだな。チッ....なら、どっかに潜んでいやがるのか。実力と人脈を隠した──Xが」
「──うんうん。まさか、龍園くんが私のことをそんなに評価してくれるなんて、意外だなぁ」
白銀と龍園の会話に、可愛らしい声が割り込んだ。その人物を確認して、白銀は小さな拍手を送り──龍園は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「にゃははっ、ごめんね。いつ話に混ざるかタイミングを見てたんだー」
「ほら、隆二と姫野。君たちは僕がこの騒ぎを起こした原因だと疑っていたんだから謝ってくれるかな?」
「日頃の行いを考えろ」
「これから事前相談してくれるなら謝ってもいい」
「一之瀬。なんの冗談だ──お前には出来ないはずだ。法則性の憶測を立てれたとしても、お前にはそれに全てを賭けるような行動はできねぇ」
龍園の言葉は間違っていない。仮にその法則が間違っていればBクラスはCクラスに落ちる可能性がある。そんな大博打をBクラスの一之瀬が打つ必要がない。クラス全員の立場を賭け金にできるはずがない。
──だが、それは過去の一之瀬帆波の話である。今の一之瀬は違う。彼女はクラスをAクラスにあげるためにリスクをとることができる。
「うーん。私たちはBクラスで満足してないから。Aクラスに上がれるなら──喜んでリスクをとるよ。坂柳さんが参加してないこの試験が、Aクラスを追い抜く1番のチャンスだからね!」
(誰だ、こいつは。前に感じた寒気は勘違いなんかじゃなかった。堅実なだけの甘ちゃんのリーダーが、成長したのか。無人島試験からこの試験までの、こんな短期間で)
「──おもしれぇ。潰しがいがある」
龍園の言葉を聞いて、その気迫を目の当たりにして白銀は小さく笑みを浮かべていた。それに気づいた一之瀬も嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「私は潰されるつもりは無いよ、龍園くん」
一之瀬の頭に舞い降りた天啓。龍園を打ち破れば白銀が喜ぶ、楽しそうにするという事実。
一之瀬の変貌に感化され、負けを受け入れず自らの殻を打ち破らんとする龍園。今まではCクラスが攻撃をしてBクラスは受けに徹するのみであったが──これからは違う。
BクラスとCクラスは、間違いなく今日この日より、今までよりも激しく争うことになるだろう。最も、その争いがどちらが優勢になるかは──今回の試験結果次第だが。
戸塚弥彦。Aクラスに所属しており、保守派の副リーダー的ポジションに収まっている男である。もっとも、本人にそれだけの実力も器もない小心者だ。
意外に思われるだろうか。あれだけ傲慢に振る舞っておきながら、実は小心者だということが。自信があるから傲慢になっているのではない。その逆である。
自信がなく小心者だからこそ、Aクラスという立場を笠に着て偉そうに振る舞うのだ。自身の器の小ささを、実力が伴っていないことを周囲に悟られないために。
自分よりも立場の弱い人間、地位の低い人間には特に強く当たるが──例外はある。
龍園や一之瀬のようなリーダー格、あるいは自身より下のクラスであっても、圧倒的な実力を持つ人間は避けて通る。本物と対峙すれば、すぐに化けの皮が剥がれてしまうからだ。
だからこそ、本来であれば彼が単独でそういった人物と接触することはない。
(あれでいいんだ。これでいいんだ。これでAクラスがポイントを得ることができれば、AクラスとBクラスの勝ちに持ち込めればそれでいい)
Aクラスの愚か者。それが今の戸塚弥彦である。彼が何をしでかしたかといえば──一之瀬帆波と手を組んだのだ。
誰に相談することもなく、完全な独断で。
(これは自分のためじゃない。クラスのためだ。クラスの利益になって、ついでに俺の借金も消える。誰も損をしていない。だから俺は間違ってない)
戸塚と一之瀬が結んだ密約。それは、互いのクラスの優待者をわざと外し、CクラスとDクラスを狙い撃ちにするというもの。
そのために、戸塚は一之瀬に葛城と確認したAクラスの優待者情報を漏らし、一之瀬もまたBクラスの優待者情報と、それを導き出した『法則性』を戸塚に共有した。
──本来であれば、戸塚が独断でこのような越権行為に走ることはない。だが、状況が悪すぎた。
一之瀬から突きつけられた、白銀の双眼鏡の値段。到底自分が弁償できる額ではないという絶望感。さらには無人島試験での失態。それらすべてが、戸塚から冷静な判断力を奪い去っていた。
『これが上手くいったら、みんなきっと戸塚くんを見直すよ!裏で準備してサプライズで大成功。これが一番女の子が好きなことなんだよねー』
『もちろん、協力してくれるなら琥珀くんへの借金は私が肩代わりしてあげる。琥珀くんの過激な取り立て──受けたくないよね?』
彼にとって、協力の見返りに借金を肩代わりすると微笑む一之瀬は、まさに救済の女神に見えたことだろう。その上、彼の自尊心をくすぐるような甘い言葉。
戸塚の頭から、一之瀬の誘いを断るという選択肢はいつの間にか消え去っていた。
一応、彼も契約書の締結などを提案する程度の警戒心は持ち合わせていた。だがそれも、一之瀬の巧みな話術で躱されてしまった。
確固たる証拠を残すことはできなかったが、戸塚は一之瀬の『善性』を信じ切った。故に、行動に移してしまったのだ。
代表して投票を行う人間にだけ内密に話を通し、葛城からの指示だと嘘をついて口止め工作を図る。
一之瀬から教えられた法則性が、AクラスとBクラスの優待者を一致させただけの『でっち上げ』であることなど露知らず。また、Bクラスの優待者も嘘だということに気が付くこともない。
(──この試験が終わったら、俺も女子からモテモテだ。上手くいったら葛城さんからの評価もあがるし......もしかしたら、俺がリーダーになれるかもしれない)
滑稽な自己正当化。そして、絶対に訪れることのない未来を夢見て、戸塚弥彦はこの特別試験の最終日までを過ごすことになる。破滅の足音が背後まで迫っていることに気がつくこともなく。
彼が契約を交わした相手は──いや、約束を交わした相手は、確かに女神だったのだろう。
だがそれは、あくまでBクラスにとっての女神であり。Aクラスの戸塚にとっては──破滅へと導く悪魔でしかなかった。
寝巻き一之瀬