「うちのクラスは優秀で、私も鼻が高いよ!」
テストが終わり、黒板に張り出される点数。いずれの教科もクラスの平均は90点台。退学者が出なかったことや、各々が高得点を取れたことに、教室では喜びの輪が広がっていた。
(クラスのほぼ全員が勉強会に参加し、前日の放課後には今日出題されたテストと全く同じ問題の過去問を神崎が配布した。この条件で満点以外をとれるって、君たち一生満点取れないよ)
「でも、残念なことにDクラスでは赤点がでちゃったんだよね。みんなは今後も赤点とらないように頑張ろう!」
星之宮の言葉に、つい先程まで盛り上がっていたクラスは同情的な空気になる。一人、白銀だけは違う感情を抱いていた。
「他のクラスの間違いじゃないですか?」
「Dクラスで間違いないよ」
(Dクラスは前日の朝に全員へ過去問が渡されたと、松下はそう言っていた。松下が僕に嘘をつくメリットはないはず。まさか、過去問を思いついた人間が、目障りな生徒を消すためにその生徒にだけ偽の問題を渡したのか?)
だとすれば恐ろしい。白銀はそう感じた。仮に全員に配っている最中に、ターゲットの生徒の問題だけをすり替えることが出来たとしても、他の生徒に確認されれば偽の問題を用意したことは一発でバレる。
(退学させたい相手が孤立気味の生徒だったとしても、他の生徒に確認される可能性は常にある。そのリスクをどうやってなくしたのか、バレた時にどうするつもりだったのか。もしかして、Dクラスはただの不良品の集まりじゃないのか?)
「隆二、Dクラスを見に行こう。網倉、姫野、君たちも来なよ」
白銀は思考を打ち切り、直接見た方が早いと判断を下した。目的は二つ。
退学になる人間を見ることで、ああはなりたくないと危機感を持たせること。そして、裏で狡猾な動きをしていた人間が誰なのか適当な目星をつけること。
「退学する人間を確認するのか?」
「それもあるけど、それだけじゃない。Dクラスを侮っていた。僕自身の目で確認して評価を修正する」
神崎は理解できなかった。
退学者をだしたクラスを、なぜ白銀が評価を上方修正しようとしているのか。付き合いが一番長い神崎に分からない以上、姫野と網倉もわかるはずがない。
「琥珀くん、退学者を見に行くのはあんまりよくないんじゃないかな。本人もショックを受けているだろうし、Dクラスの生徒も、きっと悲しんでると思うの」
一之瀬の苦言に、白銀は首を縦に振り肯定した。そして、静かに問いかける。
「帆波、自分がなんの前触れもなく死ぬことを想像出来る?」
「え、いや、できないよ」
突拍子もない質問に、一之瀬は少し戸惑いながらも答える。白銀は自身の考えを力強く主張するため、身振りを交えて話し出す。
「そう、人は自分の想像を超える事態を実感できない。自分が退学する可能性があるなんて、この学校に入るまで誰も感じたことはなかったはずだ」
クラスを見渡し、何人かはハッとして頷いた。事実だ。一回でも赤点をとれば退学なんて話、入学前に予見できた人間はいない。
「だからこそ、僕たちは見る必要がある。退学者がどんな反応をしているのか、どれだけ無様に足掻いているのか。はたまた、冷静を装っているのか。悲壮感に溢れているのか。もし自分があの立場なら──ああはなりたくないと、心の底から思うことで真の危機感が生まれる」
間違ってはいない。間違ってはいないが、手放しに認めたくはない。白銀の意見は一之瀬からすればそういった類のものだった。一之瀬が黙り込んだのを見て、神崎は少しだけフォローを入れる。
「琥珀も道徳的によくないことを分かっているから、クラス全員を誘うようなことはしなかった。見たくないやつは見なければいい。逆に見に行きたいヤツは見に行けばいい。それだけの事だ」
(いや、あんまり関わったことのない人を誘う必要性を感じなかっただけなんだけど。一之瀬を誘ったらもれなく白波がついてくるし、反対されるのも予想出来たし)
「隆二の言う通り。Bクラスの僕たちだって、退学になる可能性はゼロじゃない。僕はそれを伝えたかった。クラスのために」
物は言いようである。『クラスのため』と言われてしまえば、一之瀬の考えも少しは変わる。実際、白銀の話には利があり、それはBクラスの役に立つものだ。
他クラスの事情と自分のクラスの未来。大切なのはどちらか、考えるまでもなかった。
「私も、私も見に行くよ」
一之瀬の言葉を皮切りに、渋い顔をしていた他のクラスメイトたちも次々と見に行くことに決めた。
なんと、参加率驚異の100%。結果的に、Bクラス全員でDクラスの悲劇を見物しに行くことになってしまった。
(おかしい。僕の想像と大きく離れていない。松下の情報通りだ)
Dクラスの生徒を自分の目で確かめても、白銀の評価は変わらなかった。クラスのまとめ役である平田と櫛田。女子のまとめ役である軽井沢。そして、クラスの問題児三人。
「テメェら、ぞろぞろときやがって!俺をバカにしに来たのかよ!」
(いないのは、堀北と綾小路。なら、須藤を退学へ導いたのはどちらかの策略、か。いないなら仕方ない。今は、須藤の様子を目に焼き付けておこう)
「自習をしてる。自分たちが退学にならないために」
須藤の荒れ具合に女子は後ろに下がり、リーダー格の一之瀬は前に出ようとするが、他の女子が危ないからとその場に留めている。反して男子は前面に押し出されており、言い出しっぺの白銀は一番前に押し出されている。
思ったよりも荒れ狂っている須藤の醜態を見て、くしくもBクラスの面々は、白銀が言っていた『危機感』を心の片隅に抱くようになった。
事前にそういった話をされていたからこそ、イメージがつきやすかったのかもしれない。
「んだとテメェ!」
「やめろ、須藤。琥珀を殴ったところで、どうにもならない。お前の退学は決まってる」
白銀は胸ぐらを掴まれても、特に抵抗はしなかった。
隣の神崎は止めようと、須藤の腕を掴んでいる。白銀としては、むしろここで一発殴られでもしたらこうはなりたくないとクラスメイトは強く思うだろうと考えた。
後ろで一之瀬が止めに入ろうと女子を乗り越えようとしたが、クラスのアイドルを危険な目に遭わせるなとばかりに、今度は中団にいる男子が肉壁となり止める。
筋力差で神崎の手が振りほどかれ、須藤の振り上げた拳は白銀の鼻っ柱を捉えた。抵抗も防御もしなかった白銀は、鼻から血を流す。
(骨は折れてない。神崎が直前まで須藤の腕を抑えてくれたお陰だ。なにはともあれ、これでBクラスの想像力に乏しい甘ちゃんたちも危機感をもつだろう)
「須藤、お前......!」
「白銀くん!」
「あんた、やっていいこととダメなことも分からないわけ!」
「──白銀くん!」
「琥珀くん!」
「琥珀......!」
直後に複数方向から声が響いた。
須藤にくってかかろうとする神崎、突然の暴力に襲われた白銀を心配する網倉。神崎と同じく須藤に詰め寄る姫野。ティッシュをもって駆け寄ってくる櫛田。男子たちをも乗り越えた一之瀬。白銀が現れた時、気まずそうに目を逸らしていた長谷部。
少なくとも、六人の人間が即座に動き出した。そのすぐ後にDクラスの男子は須藤を抑え、Bクラスは殴られた白銀を庇うようにしながら撤退した。
「なんで俺たちを見世物にしたアイツを心配してんだ!」
「だ、だって、白銀くん血を流してて痛そうだった。それに、暴言とか吐かれたわけじゃないし、向こうは暴力なんて振るってなかったよ」
あと、俺たちじゃなくてお前だけ見世物にされたの間違いと櫛田は心の中で毒づく。
「無抵抗の人間を殴るなんて最低。遅かれ早かれ、あんたは退学になってた。絶対に」
「んだと!長谷部、普段黙ってる癖に調子に乗ってんなよ!」
「みんな、落ち着こう!今は須藤くんの退学をどうやって」
「うるせぇ!」
Bクラスがいなくなったあと、Dクラスはしばらく荒れていた。
櫛田は先程のやり取りを思い出しながら、白銀を名前呼びしていた長谷部との関係性を考える。長谷部は須藤を睨みつけながら口論に。場を収束させようと平田が仲裁に入るが、須藤は冷静になれない。
(やっば。質問して質問に答えたら殴るって、頭おかしい。白銀くん、大丈夫かな)
松下は駆け寄りはしなかったが、心の中で白銀を心配していた。自分たちの関わりを表面上に出してもいいのか、白銀とまだ話し合っていないことが理由である。
白銀は心配してくる同級生たちを神崎に追い払ってもらい、保健室に直行していた。教師はおらず、白銀と神崎の二人だけだ。
「大丈夫か?」
「痛い」
「だろうな。かわさないからだぞ」
「まったく、僕の美容代に幾らかかってると思ってるんだか。まあでも、よかったんじゃない。あそこまで醜態を晒してくれる人間、そうそういないよ」
「お前は自分を大切にしろ。今回みたいなことは、これっきりにしてくれ」
「そうだね、痛いし。お詫びに後で殴らせて」
「なんの詫びだ。パンチングマシーンでも殴っとけ」
「奢ってくれるの?」
「金持ちが貧乏人に集るな」
「心が痛い」
「新しい心を手に入れろ。俺が交換してやる」
「元カノがDクラスって、なんか悲しいね」
「それはそうだな。まあ、お前を振った正しい判断ができる女なんだから、図太く生きてるだろ。多分」
「お腹空いたなぁ」
「思ったことを適当に口に出すな。6限目はどうするんだ?」
「行くよ、ちゃんとね。放課後に初めてのサークル活動があるんだ。授業受けとかないと、誰かにイチャモンつけられた時困るでしょ?」
「そうか。っておい、サークルに入ったなんて知らないぞ。お前はいつもいつも事後報告しやがって」
「事前報告しても役にたってくれないんだもん......あと、入ったじゃなくて立ち上げた」
「心が痛い」
「わおっ、逆転したね。活躍してくれそうな時は教えてるんだから、気を落とさないで頑張って僕の役に立ってね」
「お前の役に立ちたくない気分だ」
松下千秋は、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼女が訪れたのは、特別棟1階にある美学研究会の部室。机の他には何もなかったはずの空間だ。
「──すごい」
ぽつりと漏らした松下の声が、静寂を割った。苦笑いを浮かべている顧問の星之宮が、松下の近くに寄ってくる。
「言葉もでないってやつよね」
異質な空間にようやく共感者が出来た星之宮が、深く同意した。
「ようこそ、美学研究会へ。なんてね」
松下に気がついた白銀が軽口を叩いているが、今の松下にそんなことに反応できる余裕はない。ただただ、目の前に広がる光景に驚愕するばかりである。
部室の壁際には、精巧な三脚に固定されたカメラが何台も並んでいる。カメラに詳しくない松下でも、お高いであろうことはひと目でわかった。傍にはソフトボックス、レフ板や反射板などの本格的な照明器具も一通り揃っている。
机に目を向ければ、ノートパソコンと編集用のモニターが各二台。
「これ、全部......本当に寄付された道具なの」
松下は機材に近づきながら、その一つ一つを恐る恐る確認していく。その手つきはまるで、触れてはいけない博物館の展示物に触れるように繊細だった。
「あれ、説明したよね?寄付して貰えるって」
「それはそうだけど......」
『ここまでは聞いてない』、そう言いたい気持ちをぐっと抑えた。常識が通じるのは、常識を知っている人間だけだ。松下は懸命に心を落ち着かせる。
「まだ整理出来てないけど、松下はあっちの机の方が興味あるんじゃない?」
そう言われ、指を差された机を見る。──なぜ、今まで気づかなかったのか分からない。中央のテーブルには、美しく並べられたメイク道具と美容品の数々が鎮座していた。松下の口から、乾いた笑い声が発せられる。
「白銀くんって、本当にデタラメだね」
リップにファンデーション、チークやアイシャドウ──そのどれもが『夢衣ランジェリー』のラインナップで構成されている。
パッケージに描かれた繊細なレース模様、控えめでありながら気品を感じさせるロゴ。高級ホテルの一室で使われていても違和感のないそれらが、部室に無造作に並べられている光景は、非現実的ですらあった。
「全部、新品、だよね。未開封の......。っていうか、これ、一つだけでも相当高そう」
「一年頑張った自分へのご褒美とか、そんな建前がないと買えない程度には高いわね」
星之宮は、そっと手に取った一本の美容液を凝視した。ガラス越しに反射する光が、ブランドの格の違いを物語っている。
「これたぶん、今季の新作。ケヤキモールのショーケースで見た」
松下の声がわずかに震えていた。化粧品に詳しい女子高生にとって、それがどれほどの存在なのかは、言葉を尽くすまでもない。
「それが、こんなにたくさん......」
「そんなに感動されるなんてね。ちなみに、星之宮先生は松下が来る前、その化粧品をずっと凝視してたよ。あと、先生にも言ったけど、欲しいのは持って帰っていいからね」
「女の子からしたら、お宝の山なの」
松下は『女の子?』と心の中で突っ込みたくなったが我慢した。
「持って帰っていいよって、冗談じゃなくて......本気、なんだよね?」
松下は白銀と視線を交わす。まるで、幻を見ているのではないかと確認するように。
「ご自由にどうぞ。部員に対する福利厚生とでも言おうか。その分、色々期待させてもらうけどね」
「あ、うん。頑張るけど──って、そうだった。白銀くん、ケガは大丈夫?」
本当なら、入室した時点でかけようと思っていた心配の言葉。部室のあまりのビフォーアフターに驚き、松下の意識からは完全に飛んでいた。
「鼻血は治まったし、問題ないよ。まあ、負け犬の遠吠えとでも思えば気にもならない。彼は敗者として学校を去り、僕は残っている。敗者を執拗に虐める趣味は僕にはないからね」
勝者の余裕。驕りともとれる発言。そもそも、退学した人間を更に追い詰めてどうするんだ。それが白銀の考えである。
「須藤くんなら、退学になってないよ?堀北さんが頼み込んで、退学を回避したって話だけど」
「............はい?」
白銀は作業している手を止め、持ち帰るメイク道具を選んでいる星之宮に視線を向けた。
「星之宮先生。僕、そんなこと聞いてませんけど。そもそも、頼み込んで何とかなるものじゃないですよね」
「Dクラスの生徒が佐枝ちゃんからテストの点を買ったんだよ。太っ腹に10万pptで1点ね。さっすがに、誰が買ったかは教えられないかなー」
「倍の20万ppt払うので、誰が買ったのか教えてください」
「んー、倍ならいいかな。綾小路くんと堀北ちゃんの二人」
「松下、説明。二人とも僕が行った時に教室にいなかった。いや、堀北のことは前に説明してもらったけど、サブのまとめ役みたいな感じって話だったよね。綾小路は?」
「綾小路くんは、静かな男の子で堀北さんと二人で動いてることが多い。本当に目立たないから、そのくらいかな?」
「なるほど。機会があれば観察してみようかな」
(マッチポンプでも行いたかったのか、それとも偽の問題を渡したのは別人だったのか)
「配られた過去問って、須藤のも正しいものだったか確認した生徒はいる?僕は、誰かに偽の過去問を渡されたんじゃないかって勘繰ってるんだけど」
「え?確認はしてないけど、須藤くん前日に寝落ちして、苦手な英語を勉強しなかったみたいだよ。それが赤点の理由だと思う」
「──そのバカを、10万ppt払って救済したの?」
自身の憶測が外れたことよりも、あまりに底辺でバカすぎる理由に、呆れる気持ちが勝った。
「私が助けたわけじゃないからね。ねぇ、白銀くん。思ったんだけど、撮影機材って本当に必要なの?」
心外だとばかりに、自身は関係ないことをサラッとアピールし、松下は話を変える。
「うん。課外活動以外にも、部としての活動実績は作っておきたいからね」
「ふーん、そうなんだ。あ、聞いておきたいんだけど、私は今後も廊下とかで白銀くんを見つけても声をかけない方がいいのかな?」
「どっちでもいいよ。同じサークルなんだから、逆に関わってない方がおかしいからね。なんだったら、友達と遊ぶ時に美容品見せてさりげなくマウントでもとればいい。そしたら、サークルのことを説明しやすいよね?あ、入部させるつもりはないから気をつけて」
「分かった」
「でも、見込みがありそうな人がいたら教えて」
「どっちの意味で?」
モデルとしてか、情報源としてか。
「両方ともかな。最後に判断するのは僕──じゃなくて、先方だけど」
「どっちも意味同じだよ、それ」
「あくまで、僕と先方の企業は違う。それは間違えたらダメだよ」
「間違えたの白銀くんなんだけどね」
松下の鋭いツッコミを無視して、白銀はパンっと手を叩いた。
「説明も終わったし、早速活動しようか。さて、松下。君に質問なんだけど」
「白銀くん、働き者だよね。一人で部室の掃除と機材の設置までして、まだ働くんだ」
「これから活動って、何するの?私も何も聞いてないけど」
「何って、夢衣ランジェリーの支店で撮影ですよ。先生は顧問としてついてきてくださいね。で、松下。パーツモデルとナイトウェアモデル、ランジェリーモデル。どれをやってみたい?」
「え、それって私が選べるの?」
「先方は僕に全幅の信頼をよせてるみたいでね。僕が推薦するなら誰でもいいと、そう言ってくれてる」
「ちなみに、どのくらいポイント変わるかな?」
大事な話である。
「パーツモデルなら2万ppt。他のモデルは顔出しありかなしかでだいぶ変わるけど、そうだなぁ」
「最高額は顔出しありのランジェリーモデルで40万ppt。うちのブランドは月毎に人気モデルを会員の投票で更新してるから、そこでいい結果を残せれば+で特別ポイントもだせるかな。言っておくけど、提示してる金額は相場の2、3倍くらいだからね。これ以上ふっかけるつもりなら、むしろ下げるから」
「ナイトウェアモデルって、パジャマであってる?際どいのはない?」
「あってるし、あるよ。あるけど、嫌なら生地が多いのでいい。肌を出せばいいってものでもない。どれがいい?」
「初めてのモデル、お疲れ様。悪くなかったよ」
「同級生に撮影されるのって、すっごい緊張したよ。てっきり、お店の人が撮ってくれると思ってたのに」
撮影終了後。顧問の星之宮は仕事のため職員室に戻り、白銀は松下からお礼に奢りたいと言われ、二人は学校に併設されたカフェ・パレットに来ていた。
「普通はそうだけど、今回は僕がいたからね。上手い人間が撮った方がいい」
(それにしても、顔出しありを選ぶとは思わなかった。流石にランジェリーじゃなくてナイトウェアモデルだったけど)
「ふふん、これで山菜定食とお別れできる」
「嬉しそうだね」
「当たり前だよ。山菜定食の山菜、ほんっとうに不味いんだから。白銀くんは食べたことないでしょ?」
「あるよ。山菜抜きで注文すれば、寂しいけど不味い定食ではなかった。むしろ、健康的なくらいだったよ」
「山菜抜き、そんな注文方法があったんだ。今度一回だけやってみようかな」
「いや、おすすめはしないよ。ポイントがあるなら、自炊した方が安上がりで健康的な料理を作れるし」
「白銀くん、料理もできるんだ。むしろ、何ができないの?」
「愛想笑い」
「確かに」
二人が談笑していると、店員が注文したメニューを運んできた。
『お待たせいたしました。『月夜と宵星の恋人契約セット』、まずはドリンクからお持ちいたしました』
「ありがとう──って、メニュー間違えてますよ。僕たちが頼んだのは『月夜のとろとろオムライス』と『宵星のダブルドリンクセット』なので」
ニコニコと満面の笑顔を浮かべる店員は、白銀に違うと言われてもその場から離れようとしない。
「はい。二つをセットで注文していただくと特別なメニューになりますので、こちらで合っております」
白銀の額を冷や汗が流れる。メニュー表には、それぞれ『二人推奨』『セットで注文いただくと特別なメニューになります』『スペシャルオプション付き』とだけ記載されていた。
「な、るほど」
嘘はついていないし、店員の言う通り『特別なメニュー』になっている。
(誰があの書き方で、カップルメニューだと分かるんだ。勘弁してよ)
グラスに刺さっているのは、一つのグラスから二手に分かれたハート型のストロー。向かい合って顔を寄せ合い、同時に飲む仕様だ。
白銀は冷や汗を流しているが、向かいの松下は完全に石化して固まっている。しかし、ここで何もしないような白銀ではない。
「これって、キャンセ──」
「ちなみに、キャンセルの場合はペナルティとしてキスショットをいただいております」
「──松下、僕を罠にはめるなんてやるじゃないか」
「ドリンクを決めたのも、メニューを決めたのも白銀くんだよね?今までなかったセットメニューだって興味を惹かれたのも白銀くん。完全に自滅だよ」
「なるほど。メニューの詳細を教えてもらっても?」
責任転嫁できるはずもなく、白銀は松下の正論を聞かなかったことにした。
『はい。まずは、ドリンクを飲んでる時の写真を撮らせていただいて、端末に送信させていただきます。撮影拒否した場合は、お二人のキメ顔写真をカフェの入り口にあるボードに貼らせてもらってます』
「キメ顔なら、そのくら──」
「嫌だよ。恥ずかしい」
「松下、正気?僕と君で、この恥ずかしいストローでドリンクを飲むと?」
「私だって恥ずかしいけど、頼んだのは白銀くんだからね?それに、今は彼女いないんでしょ?問題なくないかな」
「──自由には責任が。行動には責任が......そうだね、注文した僕が我儘を言える立場じゃない。飲もうか、松下」
「う、うん」
白銀とて、羞恥心がないわけではない。顔をずいっと近づけなければ飲めないドリンクを自分が飲むなんて、恥ずかしさしかない。
もしこれが、相手が言い方は悪いが不細工だったとしよう。であったなら、無心で動揺もせずに飲んだだろう。しかし、相手は少なくともブランドのモデルにしても問題ない容姿と判断された松下である。
『ハイ、チーズ。いいですねぇ、最高のショットですよ!後で彼氏さんか彼女さんの端末に送るので、連絡先教えてください。写真も連絡先も送信後削除してるので安心してください。それでは、甘いひと時をどうぞ』
「......」
「......」
店員が去ったあとも、二人は無言でドリンクを飲んだ。話せる話題なんてない。白銀は目を瞑り無心で吸い込み、松下は頬を限界まで赤くしながら飲んでいる。
当然、息もつかずに吸い込めばドリンクはすぐになくなる。
互いに顔を合わせることはなく、松下は左を、白銀は右を向いている。二人の間には気まずくも、甘酸っぱい空気が流れていた。
『恋人契約セットのオムライスお持ちしました。あれ、ドリンク飲むの早いですね。はい、では写真一枚お願いします!』
「大きめのオムライスが一皿......」
中心にはケチャップで大きなハートが描かれており、店員が配膳したスプーンは一つだけ。シェア前提なこととハートは見なかったことして、食器が足りないのは困ると白銀は店員に声をかける。
「スプーンが足り──」
「まずは、心を一口あげてください」
「心を一口?」
「ここのカフェの店長はすごいですね。こんなメニューを思いつくなんて、もしかしたら天才かもしれない」
松下は気づかなかったが、白銀は店員の言葉の真意に気づいた。その上で皮肉を言ったのである。心を一口あげる。
(心はオムライスのハート。あげるは、相手に食べさせる。本当にここの店長は頭がいかれているなぁ)
「実は、少し前に噂になっていたんですけど、新入生の中に女性用ブランドの創始者がいるとか何とか。デマだと思うんですけど、店長が真に受けちゃって張り合ったんですよ。『私は男も女も喜ばせる。それも、同時に!』って。そこから、素直にペアセットを頼めないシャイな人のために、カップルメニューが始まりました。男前な彼氏さん、アーンしてくれます?このままだと、スプーンを取り上げて、心の距離が縮まるまでお預けにしないとダメなんですが?」
「白銀くん......」
耳まで真っ赤にしている松下が、ジロリと白銀を睨んでいる。
「いや、待って。僕が悪いの?悪くなくない?」
「お二人がケンカし始めたので、スプーン没収です。心の距離を縮めてください。分かりやすく言うと、手を握りあってください。特別に、写真撮影もそれでいいですよ」
「はい、ありがとうございます!あとは何もありませんので、お食事をお楽しみください」
「何もないって、スプーン一つで食べさせ合わないといけないのは解決してないんだけど」
(我儘?を言いすぎると、ペナルティが酷い。カップルメニューなら最初からそう書いてよ。もし男同士で来てたら、最悪だよ)
「口、口あけて」
「いや、僕が食べさせてあげるよ」
食べさせられる方が圧倒的に恥ずかしい。
松下と白銀は、ともにその結論にたどり着いた。店員はもう見ていないので、片方が一人で食べればいいだけなのだが、完全に冷静さを欠いた二人はその簡単な事実にすら気づかない。
松下さん回。