無口に愛を紡ぐ教室へようこそ   作:Mr.♟️

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7話〜ランニング〜

 

午前5時。空はまだ青くすらなく、うっすらと白い。そんな空の下、櫛田と白銀はジャージ姿で準備運動をしていた。

 

「僕に置いてかれないようについてくる。君がやるのは、たったこれだけの簡単なこと。ランニングで大事なのはリズムと呼吸だから、気をつけてね」

 

準備運動を終え、白銀は櫛田にこれからのメニューを簡単に説明する。櫛田は前日、集合時間と動きやすい格好で来るようにとしか言われていなかった。

 

「なんで、こんな朝早くからランニングなんてする羽目に......」

 

周囲に白銀以外誰もいないからか、表の顔ではなく『裏』の櫛田でぶつくさと文句を言っている。そもそも、なぜ自分がランニングなどさせられるのか、櫛田は心の底からわからなかった。

 

「なんでだろうね。多分、噛みつく相手を間違えたからだと思うけど」

 

櫛田の舌打ちなどどこ吹く風。白銀は全く意に介さず、ゆっくりとしたペースで走り始めた。ひどく不満げな表情のまま、櫛田はその後ろを渋々ついていく。

 

走り始めて30分程度が経過した。

 

「......はあ、はあっ......」

 

二人の間には、乱れた息の音だけが響いている。乱れているのは櫛田の呼吸だけだ。

 

対する白銀は、そんな櫛田の横をまったく同じペースで伴走していた。最初の5分は緩やかに、次の5分は少しだけペースを上げ、次の5分はそのペースをキープする。

 

それを繰り返し、今は最初のペースに戻っていた。

 

白銀の少しも乱れない足取りと、涼しい顔。

 

(なんで、そんなに平然でいられるの......?)

 

体が重い。脚が痛い。息苦しいし、今すぐやめたい。それでも櫛田が立ち止まれない理由はただ一つ──チラチラと自分を観察してくる白銀がいるからだ。

 

黙って余裕たっぷりに伴走されるのが、ひどく腹立たしい。だがそれと同じくらい、『自分のことをこれほど執拗に気にかけられている』という事実に、彼女の歪な承認欲求が少しだけ満たされていた。

 

「うわ、きつ......もう、やめたくなるんだけど」

 

櫛田はわざとらしく声に出してみた。

 

体力的に辛く、無駄な言葉を発したくはなかったが、どうしても白銀に何か反応させたくなったのだ。

 

白銀は、ほんの少しだけ横目で櫛田を見た。そして笑いもせず、静かに言う。

 

「やめたくなるのは当然だよ。君は今、『誰にも評価されない努力』をしてるから」

 

「は?」

 

何かを考えるよりも先に、櫛田の口から発せられたのは素の疑問。そして、隠しきれない戸惑いだった。

 

「つまり、君が最も好まない状況ってこと。君、こういうの嫌いでしょ?目立たない努力。誰にも見られてない、アピールできない自分」

 

その言葉が、櫛田の胸に鋭く突き刺さった。それも、想像以上に深く。

 

「──っ、なにそれ。人のこと決めつけて」

 

「違うの?」

 

太陽は東から昇る。それくらい当然の真理を話しているかのように、白銀はあっさりと断言してのけた。見透かされたその反応に、櫛田は言葉に詰まる。

 

 

 

 

ようやく絞り出した言葉は──

 

「......違わないけど」

 

櫛田は、走りながら息を整えようとするのもバカらしく思えてきた。体だけじゃない。たった今の一瞬のやり取りで、精神的なスタミナまでごっそりと削られていた。

 

50分間、休憩無しで走らせ続け、スタート地点である寮の近くまで戻ってきた白銀が櫛田にかけた第一声はこれだ。

 

「誰にもアピールできない努力は、どうだった?」

 

櫛田は膝に手をつき、しんどそうに乱れた呼吸を必死に整えようとしている。だが、そんな挑発的な白銀の発言を、大人しく肯定して黙っている櫛田ではない。

 

「アピールならできたよ......白銀くんにね!」

 

荒い息の下から、いつもの明るく可愛らしい『表』の声を作って、櫛田は白銀に意地を見せた。

 

その反撃に、一瞬不意をつかれたような表情を見せた白銀だったが、すぐにその表情は愉しそうな自然な笑みへと変わる。

 

「──うん、やっぱり君はいいね。すごくいい。表面上の完璧な可愛さと、裏で渦巻く泥臭く人間らしい感情。ソフィー・ジェルマンを思わせる折れない心に、強烈な負けん気。エベレスト級に高すぎるプライド」

 

「褒めてるんだよね?」

 

白銀の口からよくわからない名前は出てきたが、櫛田には自分が『褒められている』のだと明確に伝わった。

 

複雑な気持ちはあるが、こんな異常な人間に真っ向から肯定されて、不思議と悪い気はしなかった。いつか絶対に退学にしてやるというドス黒い気持ちは、一向になくならないが。

 

「これ以上ないほどにね。明日もサボらずに来るんだよ」

 

「明日も、か」

 

走る前は嫌々も嫌々だった櫛田の気分は、走り終わってみると存外悪くはなかった。あの白銀が飽きるまでは、この奇妙な朝の習慣に付き合ってあげてもいいかなと、櫛田は少しだけ考えを変えていた。

 


 

美学研究会の部室。神崎隆二は期末テストに向けて黙々と勉強しており、白銀琥珀はソファにだらりと寝っ転がっている。ふと、白銀が思い出したかのように神崎に問いかけた。

 

「今日の面接者は?」

 

美学研究会の入部希望者についてである。星之宮→神崎→白銀の順番に入部希望者の情報が連携される。容姿が一定水準に満たない人間は、星之宮の判断で早々に落とされている。

 

「5人。2年生Aクラス1人。3年生Aクラス1人。1年生のA、C、Dクラスで3人」

 

「隆二は働き者だね。名前と写真を送って。ネット関係でやらかしてないか調べてもらうから」

 

体裁としては『入部後、モデルができるかどうかは本人次第』となっているが、そもそもモデル活動をしてもらわないと白銀に仲介手数料が入ってこない。

 

ちなみに、その仲介料の一部を支払うことを条件に、神崎は副部長として入部させられている。

 

「そうでもない、最近は落ち着いてきた方だ。過去に問題がなかったら通すのか?少なくとも、1年のAとCクラスのやつは落とした方がいい。龍園の側近と、坂柳の側近だ」

 

1日に10人の面接をこなしたこともある男は、言うことが違う。仕事のできる男、それが神崎隆二である。

 

「2年と3年は問題がなかったら通そうか。1年のAクラスとCクラスの女子は──どっちだと思う?僕と接触したいのか、それとも純粋に応募しただけか」

 

「ほぼ間違いなく前者だ。龍園はお前のことを引きずり出そうとBクラスに仕掛けてきてたし、坂柳が手下を自由にさせてるとは思えない」

 

一時期、執拗にBクラスに仕掛けていたCクラス。

 

一之瀬の一喝で収まったが、龍園が白銀を引っ張り出そうとしていたのは明らかだった。少なくとも、客観的に見ていた神崎はそう感じていた。

 

「なら、少しだけ話してあげようか。2人の面接は僕が担当するよ。神崎は他の3人をお願い」

 

「わかった。Dクラスはどうする?」

 

「んー、問題がなかったら通そうかな。眼鏡のせいで地味に写ってるけど、ビジュアル悪くないし。もしかしたら化けるかも」

 

「わかった。決まったら聞かせてくれ」

 

神崎にもある程度の決定権はある。

 

だが、仕事のできる神崎は白銀の意向を逐一確認するようにしている。互いの認識に齟齬を生まないために、無駄な手間を生じさせないために。

 

そして何より『隆二、センスないね』と煽られないために。神崎は今日も頑張る。

 

「はいはい」

 

それを知ってか知らずか、神崎の真面目な確認を白銀は適当にあしらう。

 

「それで、話は変わるんだが──いつまで白波を放置しておくつもりだ。アイツ、お前の悪評を流してるぞ」

 

ここまでのやり取りから分かる通り、神崎隆二は白銀の頼れる腹心である。

 

故に、白波の暴挙ともいえる行為に憤り、これまでも白銀に『早めになんとかするべきだ』と苦言を呈してきた。

 

「知ってるよ。Bクラスだと発言力あるから困っちゃうね」

 

そんな神崎に対し、白銀はこの件について動こうとはしない。神崎はそれがひどくもどかしかった。

 

「お前に動く気がないなら、俺が黙らせる。いいだろ?」

 

「かーんーざーきー。白波のことは気にしないで。まったく、網倉と姫野もだけど、君たちは心配性だね」

 

「クラスの半分近くが白波の言葉を信じている。お前が反論も何もしないから。白波を自由にしているからだ。取り返しがつかなくなってからだと遅いんだぞ」

 

「あ、そろそろホームルーム始まるね。教室に行こうか──繰り返すけど、白波は放置して。手順が大事なんだ」

 

これ以上はこの件に触れるなと釘を刺し、白銀は部室を後にした。神崎も不満を隠せてはいなかったが、無言で白銀の後ろを付いていく。

 


 

『5名とも問題ありません。会長のお好きなようにしてください』

 

『ありがとう、お疲れ様。また連絡する』

 

『はい。また、可能であればですが、佐倉愛里さんは是非とも通していただきたいです。彼女、一部界隈を賑わしていたグラビアアイドルでしたので』

 

『なるほど、学校で地味にしてるのは擬態してるんだ。わかった、通しておくよ。グラビアをやってたなら、ランジェリーモデルもやってくれそうだしね。うちは、グラビアアイドルを起用したくらいで避けられるほど安いブランドじゃないからね。競合他社に見せつけようか』

 

『参考画像送っておきますので、御一考ください。私達は会長の判断に従います。1点留意点として、粘着質なファンを抱えているようです』

 


 

放課後、白銀は部室で面接をしていた。一方、部室を奪われた神崎は別の場所で上級生との面接である。

 

「伊吹澪さんだね。緊張しなくていい。同い年だし、気楽にやろうか」

 

「神崎ってやつが面接を担当してるって噂で聞いたんだけど」

 

「うん、本来ならね。でも、必要に応じて僕が担当するよ。君も、その方が都合がいいんじゃないかな?」

 

伊吹の眉がピクリと動いた。だが、次の瞬間には勝ち気な笑みを浮かべてみせた。

 

「じゃあ、お望み通り気楽にやってやるわ」

 

遠慮なく足を組み、椅子に深く腰掛ける伊吹。それを咎めることなく、白銀は1つ目の質問を投げかける。

 

「まず初めに、君は自分のことを綺麗だと思う?」

 

Cクラスの内情や裏の顔について探られると思っていた伊吹は、予想外の質問に数十秒間沈黙した。

 

伊吹が龍園の命で面接を受けに来ていることは明白だ。白銀も直接口にこそ出さないが、それに気づいていると思わせるような発言を冒頭でしている。

 

そのため、てっきり探り合いから始まると思っていた伊吹は、完全に肩透かしを食らった。

 

「悪くない方だとは思う」

 

「謙遜するタイプなんだ。もっと自信をもって『当たり前でしょ』くらい言うと思ってたよ」

 

誰が自分のことを『私が綺麗なんて当たり前でしょ』なんて言えるかよと伊吹は内心で毒づく。

 

だが、今は一応面接の形を保っているため、口には出さずに睨みつけるだけにとどめた。

 

「Cクラスの暴君に仕えていて楽しい?それとも退屈?」

 

「別に私は龍園の下についたわけじゃない」

 

「なるほど。龍園くんは女性に嫌われていると」

 

「っ、あんた......!」

 

あまりに見当違いでわざとらしい白銀の飛躍した解釈に、伊吹は思わず声を笑いそうになった口元を押さえた。もし龍園本人がここにいたら、間違いなく蹴りが飛んでいただろう。

 

「君にとっての美学はなに?勝つこと?目立たないこと?力を誇示しないこと?」

 

「勝つこと」

 

ふざけた態度の直後に飛んできたまともな質問に、伊吹はペースを乱されながらも素直に答える。白銀に、面接を通して伊吹から有益な情報を引き出そうという腹積もりはない。

 

龍園や坂柳が白銀に興味を抱いているように、白銀もまた2人に興味がある。ただ、自分からわざわざ動くほどの魅力や必要性を感じていないだけだ。

 

「君の弱みを1つ教えてくれる?」

 

「嫌だ」

 

「プライドが高いところね。うん、わかったよ」

 

「なんなの。まともな質問かと思ったら、ふざけた質問。ふざけた質問かと思ったら、まともな質問。私に何を言わせたいわけ?」

 

勝手にプライドの高い困ったちゃん扱いされ、伊吹は鋭く白銀を睨みつける。だが、白銀の表情は涼しいままで一切変わらない。

 

「え、特に何も?そもそも面接は、人間性に問題がないか確認してるだけだしね。最後の質問、君はモデルはできる?」

 

全く意味がないわけではない。白銀が見たいのは表面上の言葉ではなく、その裏にある内面や素の反応だ。性格を把握しておきたいのだ。他の質問でもいいのだが、そこは白銀の趣味と少しの意地悪である。

 

「──下着じゃないなら」

 

文句を言おうと口を開きかけたが、この男に抗議するだけ無駄だと悟った伊吹は、一度口を閉じてから不服そうに再度開いた。

 

「うん、合格。部室を使う上でのルールと、モデルを行う際のルールを送るから連絡先教えて。ああ、必要なら龍園くんに僕の連絡先を教えてもいいよ。よかったね、龍園くんに褒めてもらえるんじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「格闘技をしている人間の脚。強気な性格。スラリとしたスタイル。うん、悪くないね。それにしても、この学校は顔採用でもしてるのかな?大半がうちの専属モデルより顔がいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『龍園。色々あって白銀と話すことになったんだけど──ムカつく奴だった。全部わかってますって雰囲気がとにかくムカついた』

 


 

3回のノックの後、2人目の面接者が部室に入室した。メガネを掛け、目立つピンクの髪とは裏腹に猫背でひどく自信がなさげだ。

 

「どうぞ、緊張しなくていいよ。まあ、するなというのは無理かもしれないけどね」

 

さっきの伊吹は全く緊張してなかったけどと心の中で付け足す。少女、佐倉愛里はおどおどしながらも受け答えをする。

 

「は、はいっ......あ、ありがとうございます」

 

「じゃあ、最初の質問から。佐倉さんは、自分が可愛いって思ったことある?」

 

「えっ、そ、それは......あ、あまり」

 

「あまり、ね。じゃあ逆に聞こう。可愛く見られたいとは思ってる?」

 

「......っ、それは......」

 

「答えなくてもいい。沈黙もまた、立派な返答だから」

 

白銀は、佐倉愛里をカメラの前でだけ豹変する役者タイプだと短いやり取りから推察した。通すことは既に決まっているのだから。美人でスタイルのいいランジェリーモデルは価値が高い。

 

「モデルをお願いしたら引き受けてくれる?グラビア経験のある君なら、僕も自信をもって推薦できるんだけど」

 

わかりやすく慌てふためく佐倉。必死に隠しているはずの経歴が知られているのだから、無理もないだろう。

 

「強制するつもりはないけど、肌を見せることに抵抗がなければランジェリーモデルとかどうかな?もちろん、希望があれば可能な限り聞くよ」

 

そこまで話してから、白銀は優しく微笑む。回答を急かすようなことはせず、佐倉が自分から話し出すのをじっと待つ。

 

「あ、あの、もし『夢衣ランジェリー』のモデルになれるなら──ポイントは要らないです」

 

佐倉にとって、それは夢のような話である。高級ブランドは、グラビアアイドルのブランドイメージから起用を避けることが多々ある。にも関わらず、目の前にいる白銀はその過去を知ったうえで直接提案をしてくれている。誰にも言えなかった自分に、優しく手を差し伸べてくれている。少なくとも、佐倉にはそう見えた。

 

「うん、そこまで言ってくれるなら君の入部を認めるよ。先方への推薦もしておこうかな」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「でも、報酬はしっかり受け取ってね。君の努力と、君自身の美しさに支払われる正当なものだから。それを安売りするどころか、無償提供するなんてよくない」

 

顔を真っ赤に染め、パニックになって慌てふためく佐倉。白銀はそれを宥めるように、そのまま次の質問を行う。

 

「君さ、厄介なファンを抱えてるよね?あのファン、何か心当たりある?」

 

今度はサッと顔面が真っ青になった。佐倉の表情は本当にコロコロとよく変わる。

 

「......あ、あの、まだ誰にも言ってませんが──実は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「開示請求ができるなら手っ取り早いんだけど、閉鎖空間のデメリットだね。はぁ、僕が動くしかないか。心当たりがあって助かったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(すごく優しくて、太陽みたいな人だった。ストーカーのことも疑わずに信じてくれた。か、か、か、顔もかっこよかったし。で、でも、明日から雫スタイルで学校に通うの恥ずかしい。胸を張って日常生活を送れって言われたけど、難しいよぉ)

 

佐倉が退室してから10分後。ノックもなく、ドアが静かに開く。

 

「わあ、まさかノックもなしで入ってくるなんて。DクラスやCクラスの生徒でも、一応ノックはしてくれたよ。Aクラスの神室真澄さん」

 

「この時間に約束したんだから、問題ないでしょ。私、馬鹿だからノックとかわからない」

 

「うん、なんで怒ってるのかな?僕はまだ、君を怒らせるようなことはしてないんだけど」

 

入室早々、露骨に自身を睨みつけてくる神室に対し、流石に白銀はスルーできなかった。伊吹の時とは違い、本当に怒らせるようなことは何も言っていないのだ。

 

「なら、そうなんでしょうね。あなたの中では」

 

「君とは気が合いそうだ。なら、早速質問にうつろうか」

 

白銀が人を煽る時に使うことが多い言葉が、ブーメランのように自らに向かってきて思わず笑ってしまった。

 

依然として、神室は白銀を鋭く睨みつけている。

 

(彼女は僕に対して明確に怒りを感じている。でも、それは理不尽な嫌悪ではない。なにか具体的な事柄に対しての怒りだ。どうしよう、まったく身に覚えがない)

 

多くの人間と関わり、大人たちと渡り合ってきた白銀は自身の観察眼を信じている。故に、何故怒りを向けられているかわからずとも、冷静に神室の感情を分析した。

 

「君の短所は礼儀知らずなところだとして、君の長所はなにかな」

 

とりあえず、息をするように煽りを入れながらも白銀は面接を始めた。『楽にしていい』と一言も言っていないにも関わらず、神室は堂々と足を組んでいる。

 

「存在そのもの」

 

神室は顔色一つ変えずに、堂々と言い放った。

 

「へぇ、ますます気が合うね。見ていて面白いくらいの自信家だ。モデル活動をしてほしいって言ったら問題なく引き受けてくれる?問題ないなら、入部を認めるよ」

 

『存在そのもの』。それは、白銀が高校入学の面接時に答えた自身の長所とまったく同じである。

 

白銀は神室に対しての興味を強くした。だが、神室から返ってきたのは伊吹と同じく『下着以外なら』という不愛想なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神室真澄、ね。坂柳は面白い人間を部下にしてる。今の帆波だと、Aクラスに挑むのは難しいかな?」

 


 

(こっちはあれから1日たりとも忘れられないのに)

 

私、神室真澄は白銀琥珀と初対面ではない。あれは中3の夏だった

 

 

 

 

 

夕方の空は、夏だというのにどこか寂しげで、赤みを帯びた雲がゆっくりと流れていた。私は制服のポケットに手を突っ込みながら、小さなコンビニの前で立ち尽くしていた。

 

理由なんて、なかった。気分だった。ただ、私は誰からも必要とされていない。学校でも家庭でも、誰からも期待されず、声をかけられることもない。

 

それでも、誰かが気づいてくれるなら。悪目立ちでもいいから、私はこの世界に存在していると、誰かに証明したかった。

 

私は店内に入った。目を少しだけ泳がせながら棚の隅を見て、手に取ったのは小さなリップクリーム。数百円程度の安物。それを、ポケットに滑り込ませようとした、まさにその時だった。

 

「バカなんだね」

 

低くて冷静な声が背後から届いた。だけど、どこか優しさを含んだ響きだった。肩がビクッと震える。私は反射的に振り向いた

 

そこにいたのは、私と同じくらいの年の少年。背は少し高くて、整った顔立ち。けれど、頬に残る火傷の痕が真っ先に目に入った。一度見たら忘れられない顔、どこか異質で特別な雰囲気を纏っていた

 

「....は?」

 

思わず声が出た。

 

それは彼の顔に驚いたのか、それとも万引きを見られたことに驚いて出た声なのか、今もまだわからない。わかるのは彼が、まったく動じずに私をまっすぐ見ていたことだけ。

 

「そんな分かりやすいやり方で、バレないとでも思った?」

 

「なにそれ、関係ないでしょ。それとも、店の関係者とでもいうつもり」

 

「うん、違うよ。君の人生に、僕は関係ない。でも、君が誰かに見つかりたいと思ってるのは、見てたら分かるよ」

 

私は息を飲んだ。図星だった。今までそんなこと、言われたことはなかった。

 

「──そんなつもりないし」

 

私の口から出たのは嘘、誤魔化すための言葉だった。

 

「あるよ。目立ちたくないなら、もっと雑にやる。見つからないようにする。本気で盗みたければ、そうする。でも、君は──止めてほしいんだよ。無意識に」

 

淡々としたその声が、妙に深く刺さった。

 

責めているわけじゃないのに、私の一番見られたくなかった場所に土足で踏み込んできた。私のことなんて何も知らない数分話しただけの推定同年代が。

 

「何なの....あんた、私の何を知ってるの」

 

「何も知らない。ただ、そう見えるだけ。昔の僕が、そうだったから。僕は万引きなんてしなかったけどね」

 

彼の言葉に、かすかに陰りが混ざった気がした。けれどすぐに、私に背を向けて歩き出す。勝手だ。責めるわけではなく、自分の言いたいことだけを言って去ろうとしている

 

「バカって言ったのは、そういう意味。君が弱いとか、間違ってるとかじゃなくて......」

 

そして、振り返らずに言い放った

 

「そうやって、自分を粗末に扱うのがバカだって言ったんだよ。にしても、2日連続で万引きを止めるなんて、僕って実は善人なのかな?

 

私はその場に立ち尽くしていた。

 

何も言い返せなかった。手にしていたリップは、震える手で棚に戻した。胸が苦しかった。悔しさと、怒りと、何か──名前のわからない感情がごちゃ混ぜになっていた。

 

私は怒っていた。自分を見透かされたことに。私は喜んでいた。見つけてもらったことに。あんな他人に、簡単に心の奥を言い当てられたことに。でも──

 

(──頭の中からいなくならない)

 

あの火傷のある横顔。宝石のように美しい瞳。冷淡なのに甘く聞こえた声。全部が、焼き付いたように記憶に残っている。忘れようとしても忘れられない

 

(勝手だ、勝手すぎる。出会って数分の他人のくせに)

 

(わかったようなこと言って、名前も言わないでいなくなって───そんなことされたら、忘れたくても忘れられない)

 

このもやもやした認めたくない気持ちは、時間の経過と共に忘れるものだと思っていた。そう、思い込みたかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(坂柳に白銀を盗撮してるのを見られて脅された時は最悪だったけど、お陰で自然に接近できた)

 


 

 

深夜の寮周辺は、静けさと張り詰めた空気に包まれていた。校舎と違い、ここには夜間巡回の教師も生徒もいない。

 

(数週間はかかる覚悟をしてたけど、まさか1日目でアタリを引くなんて運がいい)

 

白銀琥珀は、寮の正面玄関から少し離れた暗がりに立っていた。手にはまだ開けていない缶ジュース。

 

喉が渇いて自販機で購入したばかりだという『偶然』を成立させるための小道具だ。

 

深夜に生徒が寮を抜け出していることは、当然ペナルティの対象になる。しかし、明確な証拠がなければ処罰されることもない。

 

白銀はそのグレーゾーンの境界線を理解していた。もちろん、寮の入退室記録を調べられて長時間の外出が発覚すれば処罰の対象だろうが、10分程度であれば『自販機への往復』で誤魔化せると踏んでいる。

 

今夜の目的は1つ。

 

佐倉愛里が怯えていたストーカーを捕らえること。その犯人は、ある時期を境に毎日、彼女のポストに盗撮したと思われる写真を投函しているらしい。

 

白銀は犯人の行動時間を特定するため、数日に分けて時間帯を変え、待ち伏せしようと考えていた。

 

(ちょうどポストに写真と思われるものを入れてるな。さて、始めようか)

 

──カシャ。

 

スマートフォンの小さなシャッター音が、闇の中に響いた。寮の監視カメラにも写っているだろうが、万が一死角だった時のための保険である。

 

「そこまでだ」

 

背後からの声に驚き、男は反射的に駆け出した。

 

だが、その逃走経路は白銀の予想通り。スッと重心を落とした白銀は、1歩踏み込み、鋭い加速で男の進行方向へ斜めに割り込んだ。

 

「無駄だよ」

 

白銀の足が地面を撫でるように滑る。

 

次の瞬間、男の右肩へわずかに触れたかと思えば、身体の回転を利用して男の体勢をあっさりと崩した。

 

大東流合気柔術における『入り身』と『崩し』の動きがである。

 

男の膝が折れ、前のめりに体勢を失うと同時に、白銀の腕が蛇のように男の肘と手首を巻き取って固定する。

 

肩関節に微細な圧力をかけ、相手が暴れれば暴れるほど自らの関節を痛めるような完璧な角度で封じ込めた。

 

「ッう、く、離せ......!警察呼ぶぞっ!」

 

「それはこっちの台詞だよ」

 

犯人を見下ろす白銀の声には、一切の感情がなかった。男を完全に制圧した状態のまま、空いた片手でスマートフォンを取り出し、学校の警備課の緊急番号をタップする。

 

「こちら生徒寮前。不審者を確保しました。盗撮の証拠あり。至急、警備員の派遣を要請します」

 

通話の向こうで、慌ただしい確認の声が上がる。白銀は簡潔に通話を終えると、男の腕を更に深くロックした。

 

「あと数分もすれば、君の人生は一段落つく。騒いでも無駄だよ」

 

男が痛みに耐えかねて抵抗を試みた瞬間、白銀はわずかに手首の角度を変えた。

 

バキッと音こそしないが、関節に鋭い激痛が走るような圧をじんわりと加え、男の無駄な動きを完全に封じる。

 

「......ッ、ぐ......」

 

苦痛の呻き声とともに、男は完全に観念したように動きを止めた。白銀はその顔を正面から見ることすらなく、ただ静かに自身の呼吸を整える。

 

足元には、男が落としたスマートフォンと、封筒からこぼれ落ちた折りたたまれた写真が散乱している。

 

(ポストに入れきれていない写真もあったのか。ああ、投函している途中で僕に声をかけられたからだね)

 

10分もしないうちに駆けつけてきた警備員にストーカーを引き渡し、白銀は何事もなかったかのように自室へと戻る。

 

「偶然。僕はたまたま喉が渇いて、自販機にジュースを買いに来ただけ......うん、この言い訳で済みそうだね」

 

缶ジュースを見つめながら、独り言のように呟くその声は、静かな夜の闇の中へ溶けていった。

 

 

 

 

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