VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
ミスターシービーは飴色の髪をした女の胸倉を掴んで、その華奢な体を力の限り押し倒す。
切れ長の目が鋭くシービーを射抜くが、そんなモノで怯むと思っているなら大間違いだ。
「だったらアタシを使ってよ」
この人と一緒に駆けるのはアタシだ。“ミスターシービー”なんかに負けない。
どうしてシービーがこんな凶行に及んだのか説明するには、トレセン学園に桜が咲き始めたころまで時を遡る必要がある。
シービーはその日、トレセン学園の敷地内を気ままに散歩していた。
暖かな陽気と春風を前にして大人しく授業を聞く選択肢などなかったからだ。
この穏やかな季節を最大限に楽しむ選択肢は一つ。それはすなわちお昼寝。
完璧な昼下がりを演出するための舞台を探しに旅立ったシービーは、道を越え柵を越え森を越える壮大な冒険をした末に、トレセン学園の果てで究極のお昼寝スポットを発見した。
「へぇ、いいね」
塗装が剥げてボロボロになった木製ベンチを撫で、いい場所を見つけたと頬を緩める。
上へと被さるように生えた大木からはゆらゆら揺れる木漏れ日が差していて、まるで三女神が“そこで昼寝しなさい”とお告げをしているかのようだ。
押したり揺らしたりして強度を確認してみるが、痛んだ見た目に反して作りはシッカリしている。
これなら大丈夫そうだと判断したシービーは満を持してベンチに寝転んだ。
「……完璧」
春を感じながら寝る場所としてここは最高だ。シービーはそのままゆっくりと微睡に落ちて――
「おい、そこは私の場所だ」
――いけなかった。ぶっきらぼうな目覚ましに現実へと叩き戻されたからだ。
億劫に目を開くと飴色の髪をした若い女がシービーのことを無表情で見下ろしていた。
「どけ」
女はシービーの後襟を猫を相手にするように掴み、ひょいとベンチから放り投げる。
「に゛ゃ!?」
かなり上手く投げられたらしく衝撃は全く感じなかったが、驚いたシービーは鳴き声を上げた。
「ほら、どっか行きな」
野生動物を追い払うような仕草で邪魔そうに手を振った女に、シービーは文句を言わねば気が済まないと立ち上がった。
「もう少しで気持ちよくお昼寝できそうだったのに!」
しかし女はそれを鼻で笑った。
「残念だったな他当たれ」
そして“シービーの”ベンチに悠々と座って、カバンから取り出した紙袋を漁り始めた。
中から取り出したのはドーナツ。しかもクリームが入ったやつだ。
女はお前など眼中にないとばかりにドーナツを齧り、うっとりと目を細める。
それを見せつけられたシービーの心を占めたのは更なる怒り――ではなくドーナツだった。
少しムッとしたのは確かだが、そんなものは一瞬で塗り潰された。今はあのドーナツの味が気になって仕方ない。
「なに見てんだ」
「ドーナツ」
食い気味に答えたシービーは袋に印されたロゴを目敏く発見した。
「それってさ、駅前に開店したとこのだよね」
「そうだよ」
ウワサを聞いて店の前まで行ったものの、行列が出来ていたから引き返したのだ。
こんなことになるなら並んででも味を確かめるべきだった。
「おいしい?」
「ああ」
そっか、おいしいんだ。
なおさらドーナツの気分になってきて、シービーの視線はもう釘付けだ。
「なんなんだ、さっきから」
「……おいしそうだなって」
シービーは唾を飲み込んだ。昼食はしっかり食べたはずなのにお腹が鳴っている。
ドーナツを右へ左へと目で追っていると――やがて女が面倒そうに息を吐いた。
「……1個やるよ」
ぴょこん、とシービーの耳が跳ねた。
「いいの?」
「そんなに見られてちゃ食い辛い」
ガサリと音を立てながら紙袋の口を向けられ、シービーはパッと表情を輝かせた。
「ありがとう!」
機嫌をよくしたシービーは、お言葉に甘えて紙袋の中を覗き込む。
「じゃあコレにしよっと」
そして気になっていたクリームドーナツを選び、しれっと女の隣に陣取った。
「おい、なに勝手に座って――」
「いただきます」
声を無視して思いっきりドーナツを頬張った。外はサクっと中はトロっと。甘さも油もしつこくない。
「うん、おいしい」
モグモグとドーナツを食べ進めるシービーに女はもの言いたげだったが、やがて諦めた様子で顔を背けた。これは勝利と言っていいだろう。
勝ち誇っていたシービーだったが、その形勢は女が無言でリュックから取り出した保温ボトルによって逆転した。
「それは――」
シービーは戦慄した。その正体にピンと気がついてしまったからだ。
あれは匂いからしてコーヒー。甘いドーナツと組み合わせれば最高だろう。
女はゆっくりとコーヒーを楽しんでいたが、途中でシービーの視線に気づいてボトルを遠ざけた。
「あげないよ」
「アタシまだ何も言ってないよ」
「聞かなくてもわかる」
はて、そんなに物欲しそうにしていただろうか。
「試しにさ、ひと口だけ」
「なにが試しになんだ」
「もしかしたらひと口だけで満足するかも」
女はボトルとシービーの間で視線を往復させ、しばし逡巡してからシービーに差し出した。
「ちゃんと味わいなよ」
「やった」
ボトルを受け取ってゆっくりとコーヒーを口に含むと香りと苦みが広がり、口の中に残っていたドーナツの甘さと美しく調和していく。
ドーナツをパクリ。そして次いでコーヒーをゴクリ。
パクリ、ゴクリ、パクリ、ゴクリ。
うっかり手が止まらなくなって、ドーナツが欠片も残らなくなるまで続けてしまった。
「おい待て。ひと口って言ったろ」
「ごめん、つい」
「つい、じゃないんだよ。全く」
ボトルは奪い返されてしまった。さらば愛しのコーヒーよ。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
「……お気に召したようで何よりだよ」
目減りしたボトルの中身を悲しそうに覗いた女は、不機嫌さを隠そうともせずに言った。
「満足したでしょ、今度こそどっか行け」
「……うーん」
さて、どうしたものかと悩む。
腹を満たしたシービーの興味は既にドーナツからこの女へと移っていたからだ。
しかしこれ以上に迷惑をかけるつもりもない。ドーナツの恩もある。
だからコンマ1秒ほど熟考を重ねたうえで妥協案を採ることにした。
「わかった。ごめんね邪魔しちゃって」
「わかってくれたか」
「今度お礼しにくるよ」
「二度と来るな」
「だからお姉さんの名前、教えてほしいな」
「教えたら来ちゃうだろ」
「教えてくれなかったら教えてくれるまで来るだけだよ」
「新手の妖怪か……?」
それには何も答えずにっこりと作り笑いをした。アタシは絶対に退かないぞというアピールだ。
しばらく睨みあっていたが、やがて女は降参したとばかりに手を挙げた。
「
「じゃあ華織さんって呼ぶね」
「好きにしろ」
シービーは笑みを本物に変えたが、それとは反対に華織はムスっと仏頂面になった。
シービーは足しげく華織の下へ通った。
ベンチの近くにある用務室が華織の根城だったらしく、その場所さえわかればこっちのものだった。
「華織さん居る? 遊びに来たよ」
「またかよ」
やがて季節が過ぎて、2人は縄張りを共有する間柄になっていた。
見方によってはシービーが野良猫の如く勝手に居付いているとも言えるが、それはさておき。
「華織さん、今日のオヤツなに?」
「お前さ、言えば出てくると思ってないだろうな」
「思ってないけど、用意はしてあるよね」
「……冷蔵庫の中に商店街にある和菓子屋の新作がある」
「なら緑茶にしよっか。アタシが淹れるよ」
「勝手にしろ」
勝手知ったとばかりにヤカンを取り出し、たっぷり水を注いでからコンロの火にかける。
ゆらゆらと揺れる炎を見ていると少しだけ心が落ち着く気がした。
「シービー」
「なに?」
「嫌なことでもあったか」
華織自身がどう思っているのか不明だが、少なくともシービーは華織とは気安い関係だと思っていて、友人と括るかは微妙であるものの相談ができる程度には信用していた。
だからつい、らしくない弱音を零した。
「アタシさ、わかんなくなってきちゃった」
シービーはこの当時から将来有望なウマ娘として有名で、ベテランから新人まで様々なトレーナーからのスカウトを受けていた。
しかしシービーはその全てを断った。トレーナーたちの語る目標が“シービーのレース”と合致しないからだ。
「みんなの言うレースってなんなんだろう。好きに走るだけじゃダメなのかな」
レースで勝つたびに息苦しくなっていった。
重賞を走って実績を残すべきだとか、勝つためには走り方を変えるべきだとか、誰もがシービーを結果に縛り付けようとする。
「アタシは自由が欲しいだけなのに」
場所も作戦も関係ない。心の赴くままにターフを踏みしめて、土を跳ね上げて、風を切る。
他に何もいらない。ただ自分のレースがしたい。
そんな独白を黙って聞いていた華織は「ふぅん」と興味なさそうに相槌を打った。
「ウマ娘じゃない私にはわかんない感覚だな」
「せめて理解する努力はしてよ」
「嫌だよ面倒くさい」
なんでこの人、トレセン学園で勤務出来てるんだろう。
華織のいい加減な性格に救われているシービーが言うのもなんだが、疑問に思わざるを得ない。
「キミも走ればわかるかもよ。一緒に走らない?」
「走るワケないでしょ。ウマ娘が相手じゃ置いてかれるだけじゃん」
「大丈夫。アタシはちゃんと後ろから追いかけるからさ」
「追い立てるの間違いだろ」
流石に鋭い。結果的にそういう形になるだろう。
「あーあ、残念」
なんて言いつつ、シービーの心は少し軽くなっていた。
相談になったかはともかく、打ち明ける相手としては悪くない。茶化してくれるだけでも気の持ちようは変わる。
力が抜けたシービーがパイプ椅子に腰かけて天井を見上げていると、先ほど火にかけたヤカンが音を立て始める。
立ち上がろうとしたものの、すぐに億劫になって座ったまま無言で指を差した。
溜め息を吐いた華織が腰を上げコンロの火を止めてヤカンを下ろす。
「……仕方ないやつめ」
そのまま急須に湯を注ぎ始めた華織はシービーには視線を向けず、やがて独り言のように語り始めた。
「これは友人からの受け売りだけどさ、特別が特別になる必要はないんだよ」
「どういう意味?」
「……仮にだけど、お前に三冠ウマ娘になれるくらい特別な力があるとして」
仮定にしてはやけに確信めいた物言いだった。
華織は茶を淹れる手を止めると、柔らかな声音で話を続けた。
「それをどう使うか決めるのはお前ってことだよ。特別になってもいいし、ならなくてもいい」
「……アタシが決めていいの?」
「ああ、そうだ。だから好きに走れ。本当は誰もお前を縛れないんだ」
その言葉はまるでパズルのピースのようにシービーの心へとはまった。
「あはっ……あはははは!」
シービーは腹を抱えて笑った。こんなの笑わずにはいられない。
「そんなこと言われたの初めてだよ」
「言えてたまるか、こんな才能を潰すようなコト」
だが華織は言ってくれた。それが全てだ。
「お前、茶を飲むより先に走って来いよ」
「……なんで?」
「走りたいって顔してるよ」
言われてシービーは自分の顔をペタペタと触った。頬が上がっているのがすぐにわかった。
「そんな顔……してるかもしれない」
「なら行け」
「うん!」
弾かれるようにターフへ向かい、まるで小さな子供に戻ったように走り続けた。こんなに体が軽いのは久しぶりだった。
だから新作の和菓子が全て華織の胃に収まったことに、その日は最後まで気がつかなかった。
それ以来シービーは別の目的で華織につき纏うようになった。
「ねぇ華織さん、アタシにピッタリなトレーナー知らない?」
「探せばどっかには居るだろ」
白々しい。わかっているクセに。
「このままだとデビューできなくて困っちゃうなー」
「そりゃ大変だ。さっさとトレーナーにアピールしてきなよ」
だからさっきからアピールしているだろう。
「そのアピールが伝わらない場合、どうしたらいいと思う?」
「脈がないんだよ、諦めて他当たれ」
崩れそうになる笑顔を必死に保つ。
まだだ、まだキレるな。
あのスーツの胸ポケットから無理やりトレーナーバッジを引き摺り出すにはまだ早い。
本人の口からは一度も聞いたことがないが、華織がトレーナーであることは前々から察していた。
昼寝の合間にこなしている業務は少なくとも用務員のものではないし、たまに触っているタブレットPCの中はウマ娘に関するデータで埋め尽くされている。
決定的だったのは件のトレーナーバッジだ。
スーツの上着を昼寝していたシービーにかけてくれた際に、ポケットから落ちるのを見てしまったのだ。
つい最近までシービーは華織にスカウトされるつもりがなかった。気が合うからといって、相性のいいトレーナーであるとは限らないからだ。
しかしあの言葉をかけられてからシービーの認識は変わった。何が何でも彼女の担当ウマ娘になりたいと思った。
例えトレーナーとしての腕が最悪だったとしても構わない。一緒にレースをするなら彼女がいい。
そういうワケで華織を釣り上げるために万策を講じてきたシービーだったが、どうやっても手応えがない。
華織はそもそもトレーナーという立場に頓着しておらず、レースにもさして興味がない。
そしてそれはシービーに対しても同じで、友人としてならともかくウマ娘としては見向きもされなかった。
八方塞がりになったシービーは、切り口を変えて破れかぶれの策を実行してみることにした。それはクラスメイトから聞いたアドバイスの実践だった。
シービーは昨日クラスメイトと行った会話を回想した。
「ダメよシービーちゃん! そんな回りくどい手じゃオトコは振り向いてくれないわ!」
「相手はオトメだけど」
「でも焦っちゃダメ。シービーちゃんは残念ながら、まだ告白のスタートラインにすら立てていないの」
「聞いてる?」
「だからまずは情報戦よ! 相手の好みを聞き出すの! これならニブチンにも出来るわ!」
「ニブチンの意味はわからないけど、なんかアタシのことバカにしてない???」
相談に乗ってくれたクラスメイトには申し訳ないが、アテになるとは思っていない。
好みを聞き出せたところでソレに合わせる気がシービーには欠片もないからだ。
とはいえモノは試しと言うし、役には立たずとも何かの足しにはなるだろう。
「じゃあさ、仮にキミがトレーナーだとして……スカウトするならどんな子がいい?」
「ノーコメント」
「そこをなんとか、ヒントだけでも」
両手を合わせて拝みながら、チラリと様子を伺い――驚いた。
今まで何を言っても即座に斬り捨ててきた華織が、初めて悩む素振りを見せたからだ。
そしてしばらくしてから華織はゾッとするほど平坦な声音で希望を口にした。
「三冠を倒すウマ娘」
「……倒す?」
シービーには華織の言葉の意味が理解できなかった。不可能だ、そんなこと。
「相手がいないよ」
三冠ウマ娘は存在しても、倒せる三冠ウマ娘はもう存在しない。史上2人しかいない三冠ウマ娘はとっくの昔にトレセン学園を卒業してしまっている。
つまりこの話は前提からして破綻しているのだが、まるで問題ないとばかりに華織は笑った。
「3人目がくる。もう風は吹いてる」
それが必然だと言い切った華織の瞳には、シービーにはわからない何かが間違いなく見えていた。
「それは……誰?」
「ターフの演出家」