VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
本日の授業が終わったところで、マルゼンスキーは足早に用務室へと向かった。
――メイクデビューの日程を決める。休養日だけど放課後に集合。
昨日の夕方に、華織からそう連絡を受けたからだ。
「華織ちゃん、チャオ! 今日はご機嫌いかがかしら?」
用務室の扉を元気よく開いたマルゼンは、デスクチェアに腰掛けている華織に挨拶をした。
すると、華織はデスクチェアを回転させ、マルゼンへと体を向けた。
「ぼちぼちかな。悪くはない」
そう言いながら、華織は“右手”でなにかを弄んでいた。
よく見てみると、1枚のコインがすらりとした指の上でクルクルと踊っている。
かなり前に、テレビかなにかで視たことがある。あれは確か、コインロールとかいうマジシャンが使うテクニックだったハズだ。
マルゼンは華織へ近寄り、その手元をジッと覗き込んだ。
「右手、治ったの?」
華織は親指でコインを上に弾くと、それを空中でキャッチしてぎゅっと手の中に握り込んだ。
「だいたいはね」
そして、その手をマルゼンに向けて開いた時には、もうそこにコインは存在していなかった。
見事な早業に、マルゼンは感嘆の声を上げた。
「凄いじゃない。器用なのは知ってたけど、そんなこともできたのね」
「隠し芸レベルだけどな」
もう一度、華織は右手を握り――開いた。
すると、手のひらにコインが現れた。
「こういうのを覚えとくと、ゲームでイカサマするのに便利なんだ」
くつくつと邪悪に笑う華織へ、マルゼンは大切なことを尋ねた。
「治ったこと、ライスちゃんには伝えてあげた?」
あの事故以来、ライスは華織の右手のことをずっと気に病んでいた。治ったことを知れば安堵するに違いない。
「連絡しといたよ。いつまでも辛気臭い顔されちゃたまらないからね」
華織はデスクに置かれたスマホを操作して
――右手治った。デパートでケーキ4人分。レシート忘れるな。
あまりに端的な、華織の性格が滲み出た文章を目にしたマルゼンは、思わずため息を零した。
「ライスちゃんのこと、またいいように使ってるの?」
「無理にやらせてるワケじゃないよ」
悪びれない華織に、マルゼンは「むぅ」と唸った。
「わかってるわよ。なんだかんだで、ライスちゃんも頼られて嬉しそうにしてるし……」
ケーキの一件があって以降、ライスは生き生きと
先輩としての立場からするとやめさせたいが、当のライス本人は満足してしまっているし、それが2人なりの関係の築き方なのだとすれば、外野が水を差すのも野暮なのが困ったところだ。
それに、ライスは華織から頼られることで、抱えている罪悪感をいくらか軽くしているらしい。
任された仕事をしている間は、表情から影が消えているように見える。
そこまで深く華織が考えているのかは不明だが、救いになっているのは紛れもない事実だった。
抗議の言葉を継げなくなったマルゼンに、華織がイマイチ信用ならない笑みを浮かべた。
「まぁ、ほどほどにやるさ」
それから、コインを弄ぶ手を止めて話題を変えた。
「ところで、シービーのヤツがどこほっつき歩いてるのか知らないか?」
顎に指を当てたマルゼンは、記憶を辿った。
今日、最後にミスターシービーを見たのはいつだっただろうか。
「……3限目の授業が始まる頃には教室から居なくなってたわ。あたしはてっきり、ここでサボってるとばかり思ってたけど……」
華織は「いや」と首を横に振った。
「ここには来てない」
つまり、行方不明ということだ。
「……電話してみたらどう?」
マルゼンはそう勧めたが、華織は小さく首を横に振った。
「なんとなく嫌な予感がしたから、お前が来る前に何度か試した」
そこで言葉を切った華織は、スマホで電話をかけ始めた。
しかし、コール音が続くのみで、一向に繋がる気配はない。
「でも、この通りだ」
肩をすくめた華織は、コールを打ち切った
「たぶんだけど、デビューできるって聞いて気分がよくなって、ぶち上がったテンションのまま夜通し散歩でもしたんだろ。なんとか登校したのはいいけど、徹夜の眠気には抗えなくて早々にダウンしたとみたね。まだ学園のどっかで寝てるんじゃないかな」
まるで見てきたかのような推理だ。やたらと解像度が高い。
苦笑した華織は「仕方がない」と呟き、デスクに置かれていたプリントの束をマルゼンのほうへ滑らせた。
「ミーティング、先に始めようか」
マルゼンがプリントを受け止めると、華織は説明を始めた。
「直近に行われるレースのリストだ。ここに書かれているどれかで、お前たちをデビューさせる」
「それは嬉しいけど、大丈夫なの? あたしたちの走り、まだ荒削りなところがあるでしょう?」
懸念を指摘したマルゼンの胸元に、華織は拳を押し当てた。
「勝負できるだけの手札は仕込んである。あとは実戦で磨いたほうがいい」
おかしな話だが、
その華織が“いける”と判断したのなら、信頼して従うまでだ。
「それじゃあ、未来の名トレーナーさんは、あたしたちにどのレースを走らせるつもりなのかしら。どんなリクエストにもバッチリ応えちゃうわよ」
マルゼンが指先でプリントをなぞると、華織はなにかを試すように言った。
「好きなヤツ選んでいいよ。本当は3人で相談して決めるつもりだったけど、シービーのヤツはいつ来るかわかんないし、早い者勝ちにしちゃおう」
「……どれでもいいの?」
念を押したマルゼンに、華織は「ああ」と頷いた。
「どのレース場でも、どの距離でもいい。お前が楽しめるならね」
「だったら、コレがいいわ」
迷うことなく、マルゼンはリストの一番上を指差した。日程が一番近い、中山の芝1200mだ。
華織は険しい表情でレースの名前を一瞥すると、マルゼンに硬い声音で問いかけた。
「……理由は?」
「あなたの
科を作って熱っぽく告げたマルゼンは、華織の頬をツンと突いた。
前々から夢想していたのだ。華織のトレーナーとしての初勝利を飾るのは自分でありたいと。
その機会が幸運にも転がってきたのだから、掴まない理由は無い。
気が抜けたように表情を緩めた華織が、デスクチェアの背もたれに体重をかけた。
「色ボケめ」
そして、呆れた様子で言った。
「まぁ、それがお前のモチベーションになるなら好きにすればいいさ。初勝利、期待してるよ」
マルゼンは、ぐっと親指を立てた。
「任せてちょんまげ♪」
先を越されて拗ねたシービーのご機嫌取りやらなにやら、すったもんだがあった末。
2週間後、待ちに待ったマルゼンのメイクデビューの日が、ついにやってきた。
中山レース場の控室。
いつもは気崩しているスーツを柄にもなく正し、トレーナーバッジを胸元につけた華織が、椅子に座るマルゼンの前に跪いた。
「蹄鉄はおっけー。体のバランスにもおかしな所は無いな」
マルゼンの膝のあたりを優しく撫でてから、華織は立ち上がった。
「あとはメンタルだけど……どうだ?」
その問いに、マルゼンは好戦的に唇の端を上げた。
「バッチグーよ」
「ならいい」
満足そうに頷いた華織は、熱の込められた切れ長の目でマルゼンを射抜いた。
「スーパーカーのお披露目だ。楽しんでこい」
マルゼンがずっと恋焦がれている、大好きな眼差しだ。
ドキドキと胸が高鳴って、頬に熱が集まっていく。
しかし、今はレース前だ。平常心を失うワケにはいかない。
感情を誤魔化すために、マルゼンは戯けて色っぽいウインクをした。
「最高の走りを見せてあげる。だから目を離しちゃダメよ?」
すると、華織は愛おしそうに目を細め、予想を超えた威力の反撃を放った。
「言われなくても釘付けだ。お前しか目に入らないよ」
華織の視線を自分が一人占めしている――そのことが、ゾクゾクとした快感となって背筋を撫でた。
「――ッ!」
声にならない叫びを上げたマルゼンは、自分の体を抱きしめた。
落ち着け、抑えろ、まだその時じゃない。余裕を見せられるのが、いい女だ。
なんとか呼吸を整え、勢いよく立ち上がって、ビシリと華織へ指を突き付けた。
「レースが終わったら覚えてなさい」
「……なに言ってんだ?」
“わかっていない”様子の華織から、マルゼンはふいっと顔を逸らす。
「あたし、もう行くわね」
返事を待たず、控室から逃げるようにパドックへと向かう。
これ以上は、あの瞳を直視していられそうにない。
メンタルはもう、バッチグーではなくなっていた。
今はテッペンを越えた――チョベリグだ。
本バ場へ入場し、中山レース場の一番奥まった場所に設置されたゲートへと向かう。
道すがら観客席に視線を向ければ、飴色の髪の女――華織がゴールを真っすぐ見下ろせる最上段に陣取っているのがわかった。
いわく、そこが華織にとっての特等席であるらしい。
真反対に近いこの位置からでは表情を窺うことはできないが、斜に構えながらも目を輝かせている様子が目に浮かぶ。
ご期待の通り、とびっきりを味わわせてやろうと気を引き締め直す。
しばらくしてファンファーレが鳴り響き、ゲートインが始まった。
ゲートに入る前に、胸に手を当てて深呼吸。華織から教え込まれた最終チェックを行う。
感覚はつま先まで繊細に感じ取れる。思考は鋭く研ぎ澄まされている。
そして――
さきほど、華織が最高の燃料を注ぎ込んでくれたおかげだ。
集中力を高めたマルゼンは、軽快にゲートの中へ向かった。
今日は1枠1番。幸先がいい。
全員がゲートに収まり、身を沈ませてスタートの構えを取る。
しばしの沈黙が訪れ――次の瞬間、ガシャンと音を立ててゲートが開いた。
“楽しい”レースの始まりだ。
マルゼンは喜びの感情を込めて、蹄鉄で思いっきり地面を蹴った。
「さぁ、行くわよ!」
スタートダッシュが綺麗に決まる。誰も競りかけてはこられない。
先頭のまま、ぐんぐんと加速していく。
実際に走り始めてわかったが、思っていたよりもバ場が良い。これならもっと攻められそうだ。
ギアを一段上げて、アクセルを踏み込む。ストライドが長くなり、それに比例して速度が上がった。
ウマ娘が出せる最高速度は時速70キロ前後だとされているが――今なら80キロは出せるのではないか。
そう錯覚してしまいそうなくらい調子がいい。踏もうと思えば、まだ踏める。
さらに脚に力を込めようとして――そこで、いつの間にか第3コーナーに差し掛かっていたことに気がついた。
第3コーナーは緩やかだが、そこから続く第4コーナーはタイトだ。この速度のままでは曲がりきれない。
心地の良いスピードを名残惜しく思いつつも、理想の走行ラインを描くためにブレーキをかけ、体を傾けて横Gを制御しつつ
そのまま一気に第4コーナーも曲がり切り、最終直線へ突入。
ついに、視界がゴール板を捉えた。
もうブレーキをかける必要はない。
ギアを上げて、アクセルをベタ踏みして――かっ飛ばす!
姿勢を思いっきり低くして、一呼吸の間に最高速まで加速した。
瞬く間に周囲の景色が後方へ吹き飛んでいく。
心から溢れ出した“楽しい”をターフへ解き放ち、前へ、前へ、前へ。
この気持ちが“おいしい夢”になって華織へと届くように、全力でエンジンをぶん回した。
やがてゴール板を通り過ぎ、勢い余って100mほどオーバーして走ってから足を止めた。
思い出したように体が重くなり、全身から滝のように汗が流れ始める。
必死に呼吸をしなければ、酸欠で気を失ってしまいそうだ。
いっそターフに転がってしまったほうが楽だとわかっていたが、それよりも先に確かめなければならないコトがあった。
なんとか顔を上げたマルゼンは、観客席からこちらを見つめている華織と視線を交わす。
スーパーカーのお味はいかがだったかしら?
無言の問いかけに対して華織が返したのは、大好きな甘い菓子を頬張ったときと同じ笑みだった。
それに満足したマルゼンは、精一杯の大きな身振りでキスを投げた。
メイクデビュー。中山レース場、芝1200m。
マルゼンスキーは大差をつけて、レコード勝ちを収めた。