VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
用務室に設置されている大机の前に腰掛けたマルゼンスキーが、30年くらい前の懐かしいメロディーを口ずさんだ。
「ふーんふふーん♪」
そのまま機嫌よく尻尾を揺らし、大机の上に置かれている雑誌の記事をハサミでチョキチョキと切り抜いていく。
デスクで書類を作っていた華織は、その様子をチラリと横目で見つつ尋ねた。
「楽しいか?」
すると、マルゼンは嬉しそうに頬を緩めた。
「ええ、もちろん。だって、華織ちゃんの活躍を集めてるんだもの」
デビュー前から注目株だったマルゼンが劇的に初勝利を飾ったことで、そのトレーナーである華織も少しばかり名が売れてきていた。
おかげでというか、そのせいでというか――マルゼンについて書かれた記事の端に、オマケ程度に名前が載ることが何度かあった。
それを切り抜いて集めるのが、最近のマルゼンのトレンドらしい。
どこが楽しいのか、華織にはさっぱりわからない。もしかすると、大人になったせいで感性が古くなってきたのかもしれない。
これがジェネレーションギャップか、と感傷的な気持ちになって――その途中で矛盾を見つけた。
周知の事実として、マルゼンの感性は骨董品レベルだ。
だからこの場合、華織の感性は古くないと言えるのではないだろうか。
いやしかし、それは相対的な話で、絶対的には――
そんなくだらない思考の深淵を華織が彷徨う中、ライスシャワーがマルゼンに雑誌を差し出した。
「マルゼンさん、こっちの雑誌にもお姉様のこと載ってるよ」
健気なことに、ライスはマルゼンのトレンドに善意でつきあってくれている。
雑誌に目を通したマルゼンが、ぐっと親指を立てた。
「バッチグーよ、ライスちゃん!」
それに続くように、ミスターシービーがソファに寝転んだ姿勢のまま、雑誌を大机の上に滑らせた。
こっちは善意ではなく暇潰しだ。よほどやることがなかったのだろう。
「アタシも見つけたよ。どうかな?」
「えーっと、これは……」
マルゼンは雑誌を受けとり、さっと目を通した。
しかし、お気に召さなかったらしく、流れ作業のように机の端へシュートした。
「ノーグッドね。華織ちゃんのこと悪く書いてあるから」
マルゼンのメイクデビューのあと、世間からの華織への評価は二つに分かれていた。
自分も思わず走り出したくなるような、見ていて胸が高鳴る気持ちのいい走り。新進気鋭の美繰トレーナーの手腕に今後も期待する。
そう賞賛する記事もあれば――
あまりに粗削りで、担当ウマ娘の素質と能力に頼り切っている。ウマ娘運動学では才媛ともてはやされていても、トレーナーとしては素人。指導力には疑問がある。
――と酷評する記事もあった。
ただ、幸いなことにマルゼンを批判する記事は一つもなかった。
だから、華織は今回の件をさほど気にしていなかった。
もともと世間からの評価には興味がないタイプだ。担当ウマ娘に被害がなければどうでもいい。
しかし、華織の愛バはそうでなかったらしい。
記事に腹を立てたマルゼンは「むぅ」とむくれた。
「あたしのことは持ち上げてるのに、どうして華織ちゃんのことだけあんなに悪く書かれてるの?」
段々と語気を荒げて、マルゼンがヒートアップしていく。
それを宥めるべく、華織はタネ明かしをすることにした。
「私がお前らに仕込んだ走りが、手が加わってない“そのまま”だからだよ」
「手が加わってないってどういうこと? あたしたち、かなり細かく調整されたわよ」
首をかしげるマルゼンへ、華織は不敵に笑ってみせた。
「ああ、過剰なくらいに調整した。だから正確には、手が加わってないように見える走り……ってとこかな」
説明の前置きをするため、華織はマルゼンに一つ質問をした。
「話が変わるんだけどさ、お前がトレーナーだったとして、担当ウマ娘の走りに癖がついてたらどうする?」
マルゼンは頬に手を当てて、しばし考えた後に応えた。
「……直そうとするんじゃないかしら。遅くなるし、危ないでしょう?」
華織は手にしていたペンで空中に丸を描き、正解だと示した。
「その通りだ。普通なら直す。だけど、私は逆のアプローチをした。あえて残して、それを柱にして、そのうえで速くて安全な走りを組み上げたんだ。都合のいいことに、おあつらえ向きの“
「育成方針は華織ちゃんの好きにすればいいし、あたしたちはそれに従うけど……どうしてそんなことを?」
意図をマルゼンに尋ねられた華織は、ペンを教鞭のように立てながら説明をした。
「癖っていうのは、自然と身についた十人十色の個性だ。無理に矯正しようとすれば負担がかかるし、それで大切な部分が崩れちゃ意味がない。なにより、その領域には手を加えないほうがウマ娘の走りは味わい深くなる。だから私は、“そのまま”走る方法をお前らに教えたんだよ。本来の形を損ねないためにね」
好意的に解釈するなら、素材の味を活かした料理と言える。
しかし、世間はそれを手抜きと取ったようだ。
概ね想定内の反応ではあった。作法から外れた邪道が万人受けしないコトは最初からわかっていたからだ。
だが、万人受けしないだけで、刺さる相手には刺さるワケで。
足を組んだ華織は、マルゼンの手にしている雑誌を指差した。
「私のことを好意的に書いてる記事のライターの名前、ちょっと確認してみなよ。たぶん、面白いことになってるからさ」
言葉に従って雑誌をめくったマルゼンが、しばらくして「あら」と呟いた。
そのまま一つ、また一つと雑誌を手に取ってページを見比べ――やがて表情に困惑の色を浮かべた。
「みんなウマ娘だわ。どうなってるの?」
「お前の走りは自然で“そのまま”だ。決まった形に縛られてないから、“走りたい”っていうウマ娘の本能がよく感じられる」
そう言って華織はマルゼンを見つめ、微かに目を細めた。
「それがウマ娘たちの目には一際眩しく映るんだよ。難しいことなんて考えず、ただ走ることを無邪気に楽しんでたころを思い出して、ついターフに飛び出したくなるくらいにね」
マルゼンが思い出したように手を打った。
「そういえば、後輩ちゃんたちからの評判はビックリするくらいよかったわ。一緒に走りたいってお誘いもたくさんされちゃった」
だろうね、と華織は頷いた。
「お前の後輩はウマ娘だからな。憧れのスーパーカーを見れば追いかけたくなるさ」
そこでライスが、ぐっと拳を握ってマルゼンへ熱く語った。
「マルゼンさん、とっても素敵だったよ……! ライスもいつか、あんなふうに走りたい……!」
みるみるうちに感極まったマルゼンが「きゃー」と声を上げながらライスをぎゅっと抱き締めた。
「ありがとう、ライスちゃん。お姉さん、うれピー!」
そのはしゃぎように華織は苦笑しつつ、話を続けた。
「でも、“人間には”その味がイマイチわからないみたいでさ。それが私の評価にギャップを生んでるんだ」
マルゼンがライスを抱いたまま、怪訝そうな表情をした。
「変な言い方するのね。まるで自分が人間じゃないみたいな――」
そこまで言ったところで、マルゼンは「あっ」と声を上げた。
「そっか、華織ちゃんにはキャンディちゃんがあるから」
「まぁ、そういうコトだ」
デスクの隣に立つ
「私は人間にしては走り込んでるから、そういう“味”があることを知ってる」
これも手札の一枚だ。そこらの相手になら一方的に勝てる自信がある。
同じことをした人間なんて他に居ないんだから、そもそも勝負云々の話ではないし比較できない――という話はさておき。
だらしない姿勢でパラパラと雑誌をめくっていたシービーが、そこでふと手を止めた。
「ずっと気になってたんだけどさ、華織ってキャンディでどれくらい走ってるの?」
マルゼンがそれに続いた。
「それ、あたしも気になるわ。一朝一夕であんなに走れるわけないもの」
華織は顎に手をやった。
「具体的な数字は確認したことないな……ちょっと見てみるか」
そう言いつつ、華織は左耳につけているイヤーカフ型のデバイスからキャンディにアクセスしてログを確認した。
「……11000時間くらいだ」
それを聞いたシービーが、ポケットから取り出したスマホで計算を始めた。
「毎日3時間走ってたと仮定して……10年くらい? 結構長いね」
いや、と華織は首を横に振った。
「キャンディがまともに動くようになったのはもっと最近だよ。たしか、大学に入って1年ちょっと経ったあとからだから……実際に走ってたのは2年半ってとこかな」
再び計算をしたシービーが、驚いた様子で目を瞬かせた。
「……毎日12時間も走ってたの?」
信じられないと言わんばかりのシービーに、華織は「そうだよ」と軽い調子で答えた。
「最初は2~3時間くらいだったんだ。でも、途中で自分の体とキャンディを同時に動かす裏技を見つけちゃってさ。それからはメンテと寝てる間以外は遠距離通信で繋ぎっぱなしにして、ずっと走ってた」
ウマ娘運動学を勉強する傍ら、ST-2たちを完成させるため、昼夜を問わずキャンディに
疲れを知らない機械の体であるのをいいことに、随分と無茶もした。頭のほうが先に限界を迎えて、“開発者”と一緒にぶっ倒れたこともある。
大変なことは多かったが――今となっては美しい青春の思い出だ。
ウマ娘のように走るのは殊の外楽しかった。得難い経験をさせてくれた“開発者”には感謝している。
むくり、とソファから起き上がったシービーが目を輝かせた。
「なんとなく察してたけど……やっぱり丁寧に積み重ねた走りだったんだね。中々に高くて登り甲斐がありそうだ」
そんなシービーを、華織は見下すように「はっ」と煽った。
「登る程度じゃ困るんだ。私の夢なんだったら、さっさと飛び越えろ」
そして、ちょうど完成した書類をシービーに向かってひらひらと掲げた。
「手始めにコレだ」
書類を見つめたシービーは、それがなんなのか認識するや否や、ソファから飛び上がった。
「アタシのメイクデビュー、決まったの?」
書類の正体は、シービーが待ち望んでいたメイクデビューの登録申込書だ。
たん、たん、たん、とご機嫌に靴音を響かせて、シービーが華織へ迫った。
「どこ?」
「東京レース場、芝1600m。これが“ターフの演出家”が最初に走るレースだ」
華織が口にした二つ名が誰のことを示しているのか、そのレースにどんな意味があるのか、いまさら深く語る必要はなかった。
澄んだ瞳の奥に静かな熱を宿したシービーが、華織に覚悟を問いかけた。
「いいんだね?」
迷うことなく華織は頷いた。
「やっちまえ」
全部ぶっ壊して、蹄跡で塗り潰してくれ。
勝利も、敗北も、栄光も、記録も。元の形なんてわからないくらい、ぐちゃぐちゃに。
忌々しい運命なんて、超えていけ。
愛用しているペンを、華織は無言でシービーに差し出した。
シービーはそれを受け取って指先でくるりと回すと、登録申込書へ一息にサインした。