VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
2週間後、東京レース場。
レース直前の控室で、華織はミスターシービーとブリーフィングをしていた。
「好きに走れ。ただし、レース本番の感覚だけは掴んでこい」
「というと?」
体操着に着替えながら尋ねるシービーに、華織は意図を説明した。
「今回のレースはメイクデビューだ。他のウマ娘たちは経験が浅い上に緊張でガチガチだから、予想のつかない動きをしてくる。このランダム性の高い状況で、自分の末脚と仕掛け所の勘がどれくらい通用するのか、しっかりと肌で感じて把握してくるんだ。こればっかりは練習だけじゃわからないからね」
「りょーかい」
シービーは指先で軽く敬礼をした。
いつも通りの飄々とした所作だ。落ち着いている。
初実戦で無駄にテンションを上げて、空回っていないか心配していたが、この様子なら大丈夫だろう。
広げた7番のゼッケンを、華織はシービーに差し出した。
「お前には心のままに走ってほしいと思ってる。でも、私はやっぱり結果を諦めきれない。だから“つまらない姿”だけは晒してくれるなよ」
悠然と微笑んだシービーは、迷いなくゼッケンを受け取った。
「楽しめばいいだけでしょ?」
わかっているならそれでいい。
華織はシービーの頬に触れ、その澄んだ瞳を真っすぐに見つめた。
「夢を見せてくれ」
シービーは頬にある華織の手に、そっと自分の手を添えた。
「好きに走ってくるよ」
屋外スタンドに到着した華織は、最上段に陣取った。
この位置からなら、最終直線を駆け抜けるウマ娘をゆっくりと観られるからだ。
本バ場へ入場したウマ娘たちが、バックストレッチ側にあるゲートへ集まっていく。
その様子をぼうっと眺めていると、突然声をかけられた。
「すみません。ここ、よろしいですか?」
穏やかな雰囲気の男だった。見たところ、華織より一回りほど年上に見える。
周辺の席はいくらでも空いているのに、わざわざ近くに座ろうとする男を不審に思いつつも、華織は短く「どうぞ」と了承した。
ここは自由席で、予約のシステムはない。邪魔さえしなければ好きにすればいい。
気にも留めなかった華織は、男のことをさっさと意識の外へ置こうとした。
しかし、男は馴れ馴れしく話しかけてきた。
「トレーナーの方ですよね? 担当の子が出走なさるんですか?」
「ええ、まぁ。今から始まるレースに」
華織は無愛想に返事をしたが、男は何故かにこにことした笑みを浮かべた。
「奇遇ですね。うちの娘もこのレースに出走するんですよ」
生徒の親御さんだったようだ。娘の晴れ舞台を観に来たのだろう。
「……そうですか」
相槌を打ちながら、華織は男に少しばかりの同情をしていた。
これから始まるのはミスターシービーによる蹂躙劇だ。娘さんの出る幕はない。
返答に迷った末、華織はだんまりを決め込んだが、男はそれに構わずグイグイと踏み込んできた。
「担当の子、何番ですか?」
あまりの押しの強さに少しばかり身を引きつつ、華織は答えた。
「7番ですけど」
すると、男は声を弾ませた。
「ミスターシービーですか、私も知ってますよ。とてもいいウマ娘ですよね」
「そりゃどうも」
面倒だなと思いつつ、華織が適当に男をあしらっていると、ファンファーレがレース場に鳴り響いた。そろそろレースの開始が近い。
ゲートへ入っていくシービーに向かって、華織は無言で双眼鏡を構えた。
しばらくして、全ウマ娘がゲートへ収まる。
体勢が整い、わずかな間が流れ――ゲートが開いてレースが始まった。
シービーはするりとスタートし、悠々と最後方につけていく。
見たところ掛かり気味のウマ娘が多く、序盤からかなりハイペースだ。後半はスタミナ切れでダレて、ぐちゃぐちゃの展開になるだろう。
先頭から殿まで、隊列がかなり長い。追込の位置で控え続けて他のウマ娘の出方を伺っていると、間に合わないかもしれない。
もしも華織が
華織がジッと見守る中、シービーは第3コーナー手前の位置で進路を変えた。大外から攻めにかかったようだ。
ぐんぐんと前に出て、大ケヤキを越えた頃には絶妙な位置を取っていた。
冷静に状況を見極めた仕掛けに見えるが、実際はその真逆なのだと華織にはわかっていた。シービーは間違いなく暴走している。今のも結果的にベストだっただけに過ぎない。
あの活き活きとした表情を見れば一目瞭然だ。途中から興が乗って、思考を放り投げてしまったのだろう。
レース前の落ち着きように、つい油断してしまった。見積もりが甘かった。
理性もなにもない無茶苦茶な走りだった。しかし、華織はそれを悪いとは思わなかった。
あれこれ考えて窮屈に走るよりも、いっそ振り切って走ってくれたほうが、シービーらしい味わいがして好みだ。
ウマ娘が本能のままに走る姿は美しく尊い。代え難い価値がある。
だから、思う存分好きに走ってくればいい。
さらにギアを上げたシービーが、軛から解き放たれたように加速を始め、残るウマ娘たちを風のように抜き去っていく。
そのとき、二つ隣の席に座っていた男が静かに呟いた。
「ミスターシービーの走り方、ずいぶんと独創的ですね」
そして、それを呼び水とするように滔々と述べた。
「バランスを崩して今にも転びそうな、やけに低い姿勢のフォーム。いつ破綻してもおかしくないくらい、極端に大きいストライド。ウマ娘が持つ癖を直さずに――いや、むしろ際立たせている。普通のトレーナーなら教えない走りだ」
三文記事のようなくだらない感想を聞かされ、華織は不機嫌に声を低くした。
「……お詳しいんですね」
「少しばかり齧ったことがありまして、人並み程度には」
曖昧な言い回しをして、男は言及を避けた。
勿体付けているが、どうせ安っぽい評論家気取りだろう。
相手をするのがバカらしくなり、華織は男に少しばかり“助言”をしてやることにした。
「あんた、私のウマ娘の話なんてしてないで、自分の娘さんの応援したほうがいいんじゃないか?」
もちろん、皮肉を付け足すのも忘れない。
「このレース、もうじき終わるよ。ミスターシービーの勝ちでね」
すると、男はイタズラが成功したかのように笑い声を上げた。
「私は最初から、うちの娘の話しかしていませんよ、美繰華織さん」
「……は?」
その言葉の意味に理解が及んだ途端、華織の喉から掠れた音が漏れた。
頭の中に響くくらい心臓が跳ね、額にじわりと汗が滲む。
考えが間違っていなければ、この男はプロ中のプロだ。
そのうえ、足を向けて寝られない相手の1人でもある。
思い返してみれば、あのわざとらしい距離の詰め方は、誰かさんがよく使う小賢しい作戦と同じものだった。
知らなかったとはいえ、やらかした。慌てて頭を下げようとして――思い留まる。
今はレース中だ。シービーから視線を外したくない。
華織が動くに動けない中、男は楽しそうに話を続けた。
「あの走り方、定石からは外れていますが、よく見ると要点はしっかりと押さえられています。傍目にはデタラメに映るだけで、本当はバランスが緻密にコントロールされているんじゃありませんか? だから、極端に大きいストライドを使っても破綻せず加速できるんでしょう?」
「……わかるんですか?」
ぎこちなく尋ねた華織に、男は「さわり程度なら」と答えた。
「私はあの子の癖をよく知っていますから、走りが“そのまま”なら予想はつきます」
ちょっとしたズルだ、と男は苦笑した。
そして、感嘆した様子で言った。
「とても優しい走りですね。シンデレラの靴のように、あの子にピッタリと合わせてある」
男はすらすらと仕掛けを解き始めた。
「今の挙動が安定した形なのだとすれば……おそらく、体にかかる負荷は限りなく小さい。かなり楽に走れているハズだ。そして負荷が小さいということは――」
秘奥に到達する一歩手前で、やっと男は止まった。
「ここから先を明かすのは無粋ですし、今は必要もないでしょう。あの子があんなにも“自由”に走っている……私にはそれだけで充分ですから」
なにが“さわり程度”だ。全部わかってるじゃないか。
ウマ娘にならともかく、人間に切り札が暴かれる事態になるなんて想像もしていなかった。
少しばかり自信が揺らぐ。イカサマが通用しない相手は初めてだ。
そんな華織の内心を見透かしたように、男は励ましを送った。
「あなたは素晴らしいトレーナーですよ。どうか自信をお持ちになってください。私でよろしければ太鼓判を押します。なにより、あの子が選んだ人ですから間違いありません」
嬉しさを露わにした、柔らかな語り口だった。
「迷っていたあの子に、大切な言葉をくださったんですよね。その話をするとき、あの子は私たちでも見たことがないくらい素敵に笑うんです」
数拍の静寂の後、男の声に決意が宿った。
「だから、あなたに……華織さんにお任せします」
“親”として、大切なものを託すために。
「
その想いをどう受け止めればいいのか、華織にはわからなかった。
誠実な答えなんて返せない。自分はそこまで上等な人間じゃない。
だからせめて、ありのままを伝えることにした。
「私は自分勝手で薄情なうえに、妙な幻が見えてる。そのせいでシービーとの関係は歪んでて真っ当じゃない。挙句に運命だのなんだの余計なものをウマ娘に押し付けて、夢の甘いとこを貪ろうとするような、どうしようもない人間だ」
秘めていた思いの丈を、華織はさらけ出した。
「そんな私が言っても信じられないだろうけど……人生かけて最後まで責任取るって決めたんだ。だから――」
深く呼吸をして、ちっぽけな覚悟を示す。
「世界の涯てまで連いていくよ。イカサマしか取り柄のない三流でも、ちょっとした灯火にはなれるらしいからね」
男は量りきれない感情を一言に重ねた。
「信じます」
先頭を走るシービーが、後続に大差をつけてゴール板の前を駆け抜けていく。
そのままゆっくりと速度を落としたシービーは、観客席を見回して華織たちを見つけると、ぱっと表情に花を咲かせた。
男はシービーに向かって軽く手を振ってから、華織へ「さぁ」と促した。
「ウイナーズ・サークルへ行ってあげてください。あの子が待っています。担当ウマ娘を迎えるのは、トレーナーの大切な役目でしょう?」
そう言いながら席を立った男は、華織が呼び止める間もなく軽い足取りで去っていった。
視線で後を追うと、その先にはシービーを思わせる顔立ちをしたウマ娘が居た。
華織はそのウマ娘と会釈を交わしてから、トレーナーとしての役目を果たすべく、シービーの下へ向かう。
ウイナーズ・サークルへ到着すると、華織は柵を下からくぐってその内側へ足を踏み入れた。
すると、待ち構えていたシービーがカッコつけたウインクをした。
「
「ごめん、途中からそれどころじゃなくて、最後はなんにもわかんなかった」
ちょっぴり悪いことをした気がして、華織は素直に謝った。
最後まで視線は外さなかったし、レース展開を諳んじることもできるが、シービーだけに集中できていたかと問われれば否だ。
「ああ、でも……大ケヤキを越えた辺りの走りは――」
――とても私の好みだったよ。
華織はせめて、それだけは伝えようとした。
しかし、言い終える前に、シービーが襲いかかってきた。
「愛バのメイクデビューを見てなかったの!?」
あからさまに拗ねたシービーが、華織の肩を掴んでガクガクと揺らした。
すかさず華織は“イカサマ”で反撃し、シービーを引き剥がしにかかった。
「仕方ないだろ! お前の父親が悪いんだ! 来てるんだったら言え! 私にも心の準備ってもんがあるんだよ! 生きた心地がしなかった!」
わーわーぎゃーぎゃーと、じゃれ合いのようなキャットファイトが始まる。
ミスターシービーのメイクデビューは、なんとも締まらない形で幕を閉じた。
これは余談になるが――ウイニングライブのあと、シービーとその両親を含めた4人でちょっとした食事会が開かれた。
ご両親への挨拶というシチュエーションに緊張していたうえ、失礼な態度を取ってしまったことへの申し訳なさも相まって、料理の味は全く思い出せない。
そこそこお高い店だったのに、もったいないことをした。
身を縮こまらせる華織のことを、けらけらと愉快そうに笑っていたシービーには、後日キッチリとオシオキをした。
あんなサプライズは二度とゴメンだ。
追記します。
「世界の涯てまで連いてきて」というシービーの育成イベントがあります。
そちらから引用しているので、その箇所の主人公のセリフは意図した表記です。