VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
朝日杯フューチュリティステークス当日。
控室のパイプ椅子に腰かけた華織は、
そんな中、ミスターシービーがマルゼンスキーに、手にしていたバナナを差し出した。
「マルゼンも1本どう?」
「いただくわ」
マルゼンはそれを受け取ると、パクリと頬張った。
緊張感のカケラもない、和気藹々としたオヤツタイムだ。
しれっと控室に連れ込んでおいたライスシャワーがその様子を見て、心配そうな視線を華織へ向けた。
「ねぇ、お姉さま。2人とも、これで大丈夫なのかな……?」
あまりにも空気が緩い。こんな調子でレースができるのか。
尤もな指摘だったが、華織は「問題ない」と小さく鼻を鳴らした。
「レースが始まる頃にはシャキッとしてるよ」
過度に見えるくらいリラックスしているのは、集中力のピークをレースの瞬間に持ってくるための調整だ。
その辺りの加減をこの2人が見誤るコトはない。“調子は”万全の状態でレースに挑んでくれるだろう。
「華織ちゃん、りんごジュースってある?」
顔をこちらへ向けたマルゼンに、華織は「あるよ」と答えた。
そして、カバンの中から小さなパックのジュースをマルゼンへ投げ渡した。
「燃料補給は大事だけど、ほどほどにしとけよ」
「ええ、これで最後にするわ。お腹が重くて走れないなんて、落語のオチにしても面白くないもの」
紙パックにストローを挿したマルゼンは、そう言ってジュースをおいしそうに吸った。
それを横目で見つつ、華織は真剣な声を作って、シービーとマルゼンに今回の要となる命令を出した。
「今日のレース……楽しんでもいいけど、
シービーがもしゃもしゃと咀嚼していたバナナを飲み込んだ。
「走る以上はもちろん勝つよ」
そこに、マルゼンが挑発的な視線を向けた。
「あら、勝つのはあたしよ?」
茶化すように火花を散らす2人を順に見やってから、華織は小さく「そうか」と呟いた。
どこまで頭に残るのかはわからないが、伝えるには伝えた。あとは2人次第だ。
一通りの準備を終えたところで、華織はゆっくりと椅子から腰を上げた。
「それじゃあ、ライス。そろそろ行こうか」
「う、うん」
これでいいのかな、という表情を未だに浮かべるライスを促して控室を出る。
カツカツと靴を鳴らしながら廊下を進むと、その途中でライスが華織に問いかけた。
「どうして2人を同じレースに出そうと思ったの? お姉さまなら、ダービーまで取っておくかと思ってた」
「……そういや、お前には説明してなかったっけ」
華織は立ち止まった。
「このままだとアイツら、本番で絶対にやっちゃいけない失敗をしそうでさ」
「し、失敗? あの2人が?」
とてもではないが、あの2人がレースで下手を打つとは思えない。
そう困惑するライスの肩を、華織は悪い笑みを浮かべながら抱え込んだ。
「観戦しながら教えてやるよ。いい見ものになるから、楽しみにしてろ」
観客席に到着した華織とライスは、軽食をつまみながらレース開始に備えていた。
会話が弾む組み合わせの2人ではない。しかし、流れる空気はいつも穏やかだ。
誰かさんたちの思惑に乗せられたようで悔しいが、華織はこの静かな時間が嫌いではなかった。
カバンから取り出した缶コーヒーのプルタブを華織が起こそうとしていると、1人の女がやってきた。
「久しぶりね、美繰」
「……あれ、東条さんじゃん」
黒髪を後ろで纏め、眼鏡をかけた女――東条ハナに向かって、華織は軽く手を挙げて挨拶をした。
「
「してないわよ」
否定した東条に、華織は首を傾げた。
「じゃあ、なんでここに?」
「ミスターシービーとマルゼンスキーの対決を見逃すワケないじゃない。来年のクラシックの花形は間違いなく彼女たちだもの」
東条の言葉に、華織は「ふぅん」と気の無い返事をした。
そんな華織の態度を東条は流し、そのまま話を続けた。
「あとは逃した魚への未練を断ち切るため、かしらね」
「逃した魚って?」
華織の問いに、東条は小さく肩を落とした。
「マルゼンスキーのことよ。まさか、あんなにやる気のなかった貴方が掻っ攫っていくなんて……思わぬ伏兵だったわ」
そういえば、リギルからも勧誘を受けていた、という話をマルゼンがしていた気がする。
口ぶりからすると、思っていたよりも熱心に粉をかけていたらしい。
「自分が育てるよりも大きくなっていたら、すっぱり諦めもつくでしょう? だから、今日は成長させた姿を見せてちょうだい」
期待した様子の東条から、華織は視線を逸らした。
なにかを察したのか、東条は目を三角に釣り上げた。
「貴方、担当ウマ娘にいい加減な真似してるんじゃないでしょうね」
「そういうワケじゃないんだけど……今回のレースは“つまらない”コトになるというか、なんというか……」
言い淀む華織を、東条が訝しんだ。
「なにをやらかすつもり?」
「……トレーニング」
声を小さくした華織に東条が迫った。
「どういう意味?」
あー、と声を漏らして間を置いてから華織は答えた。
「私たち、ダービーを目標にしてるんだけどさ、あの2人には足りないものがあるんだ。だから、本番前にそれを気づかせる必要があってね」
「……まさか、そのためにG1を踏み台にするってこと?」
東条は頭痛を堪えるように眉間に指を当てた。
「前々から無茶苦茶だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ」
「あれ? 否定はしないんだね。G1でそんな真似するなんて、格式がどうのって説教されるかと思ってた」
お堅い東条にしては意外だ、と華織は瞠目した。
すると、東条は呆れた様子で表情を緩めた。
「先達として言わなきゃいけないことも、私個人として言いたいコトもあるけど……貴方のそれは、ウマ娘を思ってのことなんでしょう?」
だったらトレーナーがソレを否定できるワケがない、と言外に語っていた。
あくまでもウマ娘を第一に置いた、東条らしい姿勢だ。
自分が楽しみたいだけだよ。そんなコト考えてるワケないだろ。
――なんて本音を口にできる雰囲気ではない。
少しばかり考えた末、華織は微妙に話をズラすことにした。
「そーいうトコ、尊敬してるよ」
「……貴方が言うと、なんだか胡散臭いわね」
東条から返ってきたのは疑念だった。裏があるのではないかと勘繰っているらしい。
鋭いが、失礼な人だ。華織にも素直に相手を褒めることはあるというのに。たまにだが。
仕方のないやつ、と言わんばかりの東条が、ちらりと時計に視線を向けた。
「サブトレーナーを待たせてるから、そろそろ失礼するわ。今日はともかく……これからのレース、期待してるわよ」
「ダービーまでには見れるようにしておくよ。少なくとも形だけはね」
華織は至極真面目だったが、東条は盛大なため息をついた。
そんなやり取りがあったのち、朝日杯に出走するウマ娘たちがパドックから本バ場へとやってきた。
華織はカバンから双眼鏡を2つ取り出して、片方をライスへ押し付けた。
「アイツらの表情、見てみろ」
その指示に素直に従ったライスが、早速とばかりにシービーへ双眼鏡を向ける。
すると「あっ」と小さく声を上げた。
「2人とも、さっきまでと全然違う……」
シービーとマルゼンは、両者とも楽しそうに笑みを浮かべている。
しかし、控室にいた時とは種類がまるで違う。そこにあるのは獰猛な闘争心だ。
「ああいう集中力の高め方もあるから、覚えとくといい。お前はタイプが違うから参考にならないかもしれないけど」
返しウマが終わり、ウマ娘たちがゲートへと向かう。ファンファーレが鳴り、ゲートインが始まった。
朝日杯フューチュリティステークス――いよいよ出走の時が近い。
否応にも緊張が高まる中、ライスが「うぅ」と困った様子で声を漏らした。
「どうしよう……どっちを応援すればいいのかな……」
「……両方応援してやればいいんじゃないか? どっちかが敵とか、そういうんじゃないんだし」
華織がテキトーにアドバイスをすると、ライスは天啓を得たとばかりに表情を明るくし、拳を握って張り切った。
「ライス、頑張って2人とも応援するね!」
「まぁ、ほどほどにな」
誰かさん達にはない純粋さと素直さを微笑ましく思いつつ、華織は双眼鏡でゲートの方向を覗く。
すると、ちょうど最後のウマ娘がゲートに収まるところだった。
囁くような小さな声で、華織はポツリと呟いた。
「さて、どうなることやら」
全ウマ娘の体勢が整って、レースの準備が完了。一瞬の間が空いて――ゲートが開く。
ついに、朝日杯が始まった。
最初に飛び出したのは
完璧なスタートダッシュを決めると一気に最高速まで加速し、あっという間にハナを取った。
対するシービーは、いつもの如く悠々と最後方につけた。
流れに乗りつつ、仕掛け所を探る構えだろう。
予想していた通りの展開になった。
これが本番でなくてよかったと、華織は安堵の息をついて双眼鏡を下ろす。
「よく見とけ、ライス。これが“つまらないレース”だ」
双眼鏡を目から離したライスが、困惑の声を漏らした。
「……2人ともすごくいい走りだよ?」
「そう見えるなら、お前もまだまだだな」
華織はライスの額を指先で軽くつついた。
すると、ライスは「あぅ」と可愛らしく鳴いた。
その反応をイジワルに楽しんでから、華織は視線を使ってコースの方向を示した。
「ほら、始まるよ。まずはシービーの“やらかし”だ」
シービーは悠々と最後方につけながら、ターフの感触を満喫していた。
初めてのG1。曇りではあるがバ場は良。勝負服を着ていることも相まってか、気分は上々だ。
華織は“つまらないレース”になると言っていたが、そんなコトはない。
こんな絶好の状態でマルゼンと競い合えるのだから、楽しいに決まっている。
きっと、マルゼンも同じ気持ちでいるだろう。
胸が高鳴って、脚が軽くなり、どこまでも駆けていけるような心地を味わっているハズだ。
自分たちならきっと、最高のレースが演出できる。
どこで仕掛けようか。どうやって抜こうか。少し迷った末、最終直線で一気に行こうと決めた。
ホームストレートで全員を綺麗に抜き去れば、絶対に気持ちがいい。ついでに、華織の度肝も抜いてやろう。
舌なめずりをしつつ、前方を伺う。
隊列の先頭を走っているのは、“緑の勝負服”のウマ娘。距離は凡そ10バ身――
「あれ?」
――おかしい。そこに在るべきウマ娘の姿がない。
嫌な予感が過り、ぞくり、と背筋が凍った。慌てて隊列を後ろから順に確認する。
マルゼンは……どこ?
やがて視線は隊列の“その先”へ。
そこでやっと、取り返しのつかないコトが起きていると気がついた。
バックストレッチ半ばで、シービーが急加速を始めた。
ライスがそれに、驚きの声を上げる。
「シービーさん、ここから仕掛けるの……!?」
まだ序盤も序盤だ、早すぎる。
しかし、シービーにはもう、こうする他ない。
「マルゼンの位置を見てみろ」
華織に従ったライスが、マルゼンの位置を確かめる。
そして、目を見開いた。
「も、もう第3コーナー!?」
先頭を走るマルゼンは、後続を完全に突き放し始めていた。
これ以上のリードを許せば、いくら強力な末脚を持っていたとしても間に合わない。
らしくなく焦っているシービーを見て、華織は厳しく言い捨てた。
「命拾いしたな、アイツ。ちんたら後ろを走ってこのまま終わってたら、雷を落としてやらなきゃいけなかった」
猛然と追い上げを始めたシービーが、隊列を組むウマ娘たちを抜き去りつつ、遅れて第3コーナーに突入する。
しかし、その頃にはもう、マルゼンは第4コーナーに差し掛かろうとしていた。
「あんなにリードが開いて、間に合うの……?」
ハラハラと見守るライスの緊張した耳を、華織は手慰みに弄んだ。
「なんとかなるよ」
心配なんて欠片もなかった。
この程度でミスターシービーは終わらないと、華織はよく知っている。
「ターフの演出家が怖いのは、ここからだからね」
鋭く細めた視線の先で、一陣の風が吹いた。
物理法則を無視したような加速で、シービーが疾走していく。
「次はマルゼンが“やらかす”番だ」
華織はジッとターフの上を睨みつける。
絶望的に見えた2人の距離は、急速に縮み始めていた。
マルゼンは先頭で気ままなドライブを楽しんでいた。
なにも特別なコトはしていない。普通にスタートをして、脚の赴くままに走っているだけだ。
しかし、“それだけ”で誰もマルゼンの影を踏めなくなる。
まだ第3コーナーを抜けたところだが、レースは既に一人旅の様相を呈していた。
軽くブレーキを当てて速度を調整しつつ、ギアを下げて第4コーナーへ。
最内を突いてもよかったが、ターフの荒れがなんとなく気に入らなくて、一回り外の綺麗なバ場へ進路を取る。自由なライン取りは先頭を走るウマ娘の特権だ。
コーナー半ばに差し掛かったところで、観客がひしめくスタンドを見やる。
今日は親しくしている後輩ちゃんたちが何人か観戦に来てくれている。
華織にはモチロンだが、自分に憧れてくれている彼女たちにもカッコいい姿を見てほしい。
だから、できるだけスマートなハンドリングでコーナーを脱出する。
そしてついに最終直線、ゴール板を視界に捉えた。
チラリと後方を確認して“誰もいない”ことを確認。ギアを一段上げて、ラストスパートの姿勢に入る。
ハンドルを構えなおして――その直後に、とん、と弾むような音が後方から響いた。
「え?」
それが、蹄鉄がターフに叩きつけられた音だと気がつくのに、数瞬の時を要した。
マルゼンは再び後方を確認し、そこであり得ないモノを見た。
なんでシービーちゃんがそこに居るの?
さっきまで誰の影もなかったじゃない。
心臓が嫌な鼓動を立てて、呼吸が一拍停止する。
ここに来て、やっと己の認識の甘さを悟った。
猛追するシービーから逃れるべく、マルゼンは蹴り飛ばすようにアクセルペダルを踏み抜いた。
ターフビジョンに映ったマルゼンが、チラリと後ろを気にする素振りをみせた。
そこで後ろから迫るシービーを認識したらしく、慌てた様子で姿勢を低くして逃げの構えに入る。
対するシービーも速度を上げ続け、始まるのは熾烈なデッドヒート。
そのあまりにも“無様”な姿に、華織は眉をひそめた。
「追い詰められた顔してるなぁ、アイツら。今更なのにね」
「今更って……どういうこと?」
首を傾げるライスに、華織はこのレースの最低につまらない部分を教えてやることにした。
「必死になるのが遅いんだよ。さっきまでの走り見てりゃわかるだろ、油断してたって」
そうでなければ、シービーはあんなに後ろにつけなかったし、マルゼンだってもっとリードを取っていただろう。
「アイツらはエンジョイ勢だ。レースを楽しむことを第一にしてる。そんでもって、良くも悪くもそのスタンスを実現できるだけの強さを持ってる」
双眼鏡を膝の上に置きつつ、華織は続けた。
「それを悪いとは言わない、私はアイツらのそういうとこが好きだからね。ただ、そのせいで
おそるおそる、ライスが尋ねた。
「あの2人に足りないモノって……?」
わずかな間を置いてから、華織は答えを口にした。
「お互いの力に対する“恐怖”だ」
逃げるマルゼン、追いすがるシービー。
ホームストレートで“鬼ごっこ”を始めた2人を見つつ、華織は椅子に深くもたれかかった。
「なまじ自分が強者であるせいで、相手に蹂躙される可能性を考慮してないんだよ。いつも通り気持ちよく走ってるだけで最高のレースになるって勘違いしてる。いつ食い殺されてもおかしくないっていう恐怖が足りない。片方が必死になったら、それだけで破綻して“つまらないレース”になるのにね」
運の悪いことに、今までのレースには、あの2人に比肩し得るウマ娘が出走していなかった。
その結果、走りに余裕が生まれ、お互いの天辺を知る機会を失ってしまった。
「アイツらにはターフの演出家とスーパーカーの力を思い知らせる必要があった。でも、同世代でアイツらの本気を引き出せる相手なんて限られてる。だからいっそ、同じレースで戦わせちゃおうと思ったんだ。そのほうが手っ取り早いだろ?」
華織がネタを明かし終えると同時に、シービーとマルゼンがゴール板の前を駆け抜けた。
レース結果は――マルゼンスキーの勝利。2位のミスターシービーとの着差は1バ身だ。
そのまま2人は100mほどオーバーランすると、納得のいかない様子で顔を見合わせた。
両者ともに不完全燃焼なのがありありとわかる。
「あんなツラするくらいなら、最初から死に物狂いでやれってんだよ」
つまらないレースになったな、と悪態をついた華織は、缶コーヒーを一息に飲み干した。
そして、組んでいた脚を解いて立ち上がった。
「アイツらのこと、思いっきり煽ってやらないとね」