VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
優しくて安心する体温、お砂糖みたいな甘い香り。
そしてなにより、熱を秘めた切れ長の目。
あの瞬間に感じた全てが、心の大切なところでずっと輝いている。
とある日のこと、ライスシャワーはトレセン学園から離れた場所にある本屋へ向かっていた。
応援している作家が書いた、新作の絵本を買うためだ。
自分の運が致命的に悪い、という自覚がライスにはある。
トラブルに見舞われて、目的地へ辿り着くまでに日が暮れることもザラだ。
しかし、その日は違った。
いつも捕まる信号をスムーズに渡れた。不意のドジでモノを落とすこともなかった。
急に雨でも降ってくるのかと身構えたが――そういうワケでもなさそうだ。
平穏に本屋へ到着し、普通に並んでいた絵本を手に取って、何事もなく会計を済ませる。
そして店の外へ出たところで、ライスはパチパチと目を瞬かせた。
もしかして、今日は運がいい日なのかも?
ちょっとだけ欲が出た。
少しだけ街を散策してから帰ろう。
昨日テレビでやっていたスイーツ特集に出てきたケーキ屋さんへ行ってみようかな。
併設されているカフェでお茶をして、ついでに寮の友だちへのお土産も買っちゃったりして。
上向いた気分のまま街を練り歩く。
だが、それが良くなかったのかもしれない。
交差点を通りかかったところで、横断歩道の信号がちょうど青になった。
ここの信号にも捕まらなかった。やはり今日は運がいい。
ライスは横断歩道へと脚を踏み入れて――その瞬間、通りの向こう側から悲鳴が上がった。
大きな声に、ビクリと肩を震わせる。
いったい何事だろうかと、悲鳴の出所へと視線を向けた。
その時にはもう遅かった。目の前にあったのは、鈍く光る巨大なバンパー。
トラックが交差点に突っ込んできていた。
物語ではよく、死ぬ前には走マ灯なるものが流れて、これまでの人生を振り返ることになる、なんて語られるが、そんなコトはなかった。
突然のことに体が固まって動けない。なにも考えられなくなって周囲の音が遠くなる。それだけだ。
ぎゅっと目を瞑る。全身に衝撃が走った。
ふわりとした浮遊感。地面に叩きつけられる鈍い音。
この辺りでやっと、僅かに思考能力を取り戻したライスの脳裏には、己が辿るであろう結末への諦観が過っていた。
死ぬって痛いのかな、苦しいのかな。
イヤだな、まだやりたいこと、沢山あったのにな。
「おい、平気か」
人生の終わりに感じたのは、優しい温かさと、お砂糖みたいな甘い香り。
こんなに心地がいいのなら、向かう先はきっと天国だろう。
安堵したライスは、そのまま意識を手放して――
「しっかりしろ」
――その前に、現実へと引き戻された。
瞑っていた目を開くと、すぐ近くに飴色の髪をした女の人の顔があった。
切れ長の目の奥に、熱い光が煌めいている。
とくん、とライスの心臓が鼓動を立てた。
「……あ」
ぼーっとするライスに、女の人が問いかけた。
「痛いトコないか?」
こくり、とライスは無言で頷いた。
すると、女の人は強張っていた頬を緩めた。
「ならいい」
なにがどうなっているのだろう。
えっと、ライスはトラックに轢かれそうになって、それで――
「……お姉さんが助けてくれたんですか?」
突然のことで記憶が定かではないが、この女の人が間一髪の所でライスのことを抱えて、歩道まで跳んでくれたのだと思う。
「まぁね。間に合ってよかったよ」
女の人は、ぶっきらぼうに答えた。
そうだ、お礼を言わなきゃ。
「あ、ありが――」
しかし、言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
「君たち、大丈夫かい!?」
人当たりの良さそうな男の人が、ライスたちへ駆け寄ってきた。
通りすがりのようだが、心配して様子を見に来てくれたらしい。
女の人が「あれ?」と首を傾げた。
「アンタ、前にどこかで会わなかったか?」
男の人も首を傾げた。
「俺も君に見覚えがあるような気が……」
2人の間に沈黙が流れる。おそらく、記憶を漁っているのだろう。
しかし、今はそれどころではないと判断したのか、女の人は早々に思い出すのを諦めたらしく、気を取り直すように言った。
「アンタが誰かは置いといて……私もこの子も、とりあえずは平気だ」
男の人がホッとした様子で胸を撫で下ろした。
「一応、救急車を呼んでおこうか? 結構な勢いで地面に体を打ち付けてたし」
女の人はライスを一瞥すると「ああ」と頷いた。
「頼んだ」
他にもいくつかやり取りをしてから、女の人はなにかを探すように辺りを見回し始めた。
そして、ある一点で視点を止めた。
「やっちまったか」
そこにあったのは、ぐしゃぐしゃに潰れた黄色いケーキの箱。
描かれているロゴは、ライスが行こうとしていたお店のものだ。
ライスを助けたせいで、ダメになってしまったのだろう。
「ご、ごめんなさい……」
謝罪の言葉をライスが口にすると、女の人は穏やかに笑った。
「いいよ、これくらい。また買いに来ればいいだけだ」
「で、でも」
申し訳なさで心が一杯だったライスは、食い下がろうとした。
すると、女の人はそっとライスを抱き寄せた。
「お前はなにも悪くない」
背中に回された手が温かくて、ぽかぽかする。
体から自然と力が抜けていく。
「大丈夫、大丈夫だよ」
耳に馴染む声が子守唄みたいだ。
こんな時だというのに、とても心が安らいで、ライスは自然と女の人の胸に身を預けた。
どれくらいの時間、そうしてもらっていただろうか。
夢現となっていたから判然としないが、気づいたときにはサイレンの音が近づいてきていた。
「救急車、来たみたいだね」
女の人は小さく呟くと、ライスの手を引きながら一緒に立ち上がった。
「私の見立てじゃ平気だろうけど、ちゃんと病院で診てもらえ。それじゃ、さよなら」
優しい体温が離れていってしまう。
それを名残惜しいと思う間もなく、女の人は救急車へと乗り込んでいってしまった。
あれよこれよと言う間に、ライスは病院へと救急搬送された。
そして一通りの検査が終わったころ、トレセン学園から理事長秘書のたづなが駆けつけて来てくれた。
代わりに手続きをしてもらって、病院から寮への帰路につく。
その間、ずっとライスは上の空だった。
飴色の髪の女の人のことで、頭の中が一杯だ。
優しくて、温かく包み込んでくれた、穏やかに笑う人。
まるで、大好きな絵本に登場する“お兄さま”のようだった。
もう一度会いたい。せめて、お礼だけでも言いたい。
でも、どこの誰なのかサッパリわからない。
名前くらいは聞いておくべきだったと、酷く後悔した。
しょぼん、と肩を落とす。
すると、たづなが心配そうにライスを見やった。
「どこか痛むところがおありですか?」
慌ててライスは力こぶを作るポーズをした。
「だ、大丈夫です。どこも痛くありません」
たづなは、じっとライスの顔を見つめた。
「では、なにかお困り事でも?」
うっ、とライスは狼狽えた。
その反応で、たづなは確信を深めたようだった。
「私でよろしければ、なんでもご相談ください」
ライスは、たづなの顔色を窺った。
任せろと言わんばかりだ。頼もしい。
ならちょっとだけ、お言葉に甘えよう。
おずおずと、ライスは悩みを口にした。
「ライスを助けてくれた女の人に、ちゃんとお礼を言いたいんです。でも、お名前すらわからなくて……」
たづなはあっさりと答えた。
「ライスシャワーさんをお助けになった方というと、美繰トレーナーのことですね」
「と、トレーナー……?」
思わず言葉をそのまま返してしまったライスに、たづなは「はい」と頷いた。
「美繰華織さんは、トレセン学園のトレーナーさんですよ」
ストーカー事件やらなにやら紆余曲折があったものの、ライスは無事に華織へのお礼を果たした。
そのうえ、華織はライスの“お兄さま”――もとい“お姉さま”になってくれた。
担当契約はしてもらっていないが、とても大切にしてくれている。
与えられる優しさに報いられるよう、ライスは率先して華織の手伝いをした。
そして関係を深めていく中で、いくらかの仕事を任せて貰えるようになった。
その中で最も重要なのが“お使い”だ。
お使いを果たすため、ライスは今日も今日とて、取引の場である屋上へ続く階段の下へと向かった。
そこで待ち構えているのは、白黒メッシュの長髪をした、柄の悪そうな女性だ。
鋭い威圧を無言で放つその女性に、ライスはにこやかに挨拶をした。
「こんにちは、トラちゃん」
その途端、女性は相好を崩した。
「おう、こんにちは。ライスは今日も
トレセン学園スイーツ同好会のメンバー、
通称、トラちゃん。
外見で誤解されやすいが、蓋を開けてみれば気さくで親しみやすい人だ。
「お使いか?」
虎乃の質問に、ライスは頷いた。
「うん」
すると、虎乃は置かれているクーラーボックスへと顎をしゃくった。
「ええタイミングやな、ちょうど
言われた通り、ライスはクーラーボックスの中から華織のイニシャルが書かれた紙袋を取り出す。
もちろん、お代が入った封筒を代わりに入れるのも忘れない。
任務の前半戦が終了した。あとは無事にお菓子を持って帰るだけ。
ここからも油断せずにいこう、と首から下げた“お守り”を握っていると、後ろから声をかけられた。
「あ、ライスちゃんだ!」
振り返ると、燃えるような赤髪の女性がいた。
スイーツ同好会会長、
華織の同期トレーナーの一人だ。
「こんにちは、來歌さん」
ライスが挨拶をすると、來歌は人好きのする笑みを浮かべた。
「こんにちは! ちゃんと挨拶できてエラいねー!」
そして、流れるようにライスの頭を一撫ですると、軽い足取りでお菓子の入っているクーラーボックスへと向かい、蓋を開けた。
「今日のお菓子は……イチゴ大福じゃーん! おいしそー!」
じゅるり、と唾を飲み込んだ來歌は、ポケットから財布を取り出す。
「さーて、お代は――」
しかし、財布の中身を確認したところで「あっ」と身体をフリーズさせる。
それだけで、虎乃は何が起きたのか察したらしかった。
「……またパチンコでスッたんか?」
ううん、と來歌は首を横に振った。
「今回はスロット」
虎乃は盛大にため息をついた。
「似たようなモンやろがい。生活費は残してあるんやろうな? 前みたいにぶっ倒れても知らへんぞ」
率直に言ってしまうと、來歌はギャンブル中毒の生活破綻者だ。
以前、まともな食事を摂れずに栄養失調で倒れ、虎乃がつきっきりで世話をしたという事件があったらしいが、その話は置いておいて。
來歌が虎乃に向けて、拝むように両手を合わせた。
「ごめん、一旦ツケといて。来週には払うから、ね?」
「別にええけど、返すアテあるんか?」
ジトっとした視線を、虎乃が來歌へ向けた。
すると、來歌はにへら、とだらしない笑みを浮かべた。
「あたしが担当してる子がすっごく優秀で、ホントに使っちゃダメなお金とかは、ちゃんと管理してくれてるの。だから大丈夫!」
「自慢げに言うコトちゃうぞ。なんでトレーナーが担当ウマ娘に財布のヒモ握られてんねん」
ツッコミを入れた虎乃に、來歌はふふんと胸を張った。
「自慢しないでどうするの? 自分とこの子が凄いって話じゃん?」
「そこは同意したるけど、それはそれとして、アンタが情けないのに変わりはないんよ」
仕方のないやっちゃな、と虎乃が悪態をついたところで、聞き覚えのあるステッキの音がカツカツと近づいてきた。
「お主らはいつも賑やかだのぅ」
楽しげにそう言ったのは、スイーツ研究会顧問、
ロマンスグレーのお爺さんで、授業でも名前が出てくる凄いトレーナーだ。
背筋がしゃんと伸びていて、実年齢よりも雰囲気がずっと若々しい。
ライスはぺこりと挨拶をした。
「こんにちは、善斎さん」
「うむ、こんにちは、ライスちゃん。今日も元気そうでなにより」
善斎は柔らかく挨拶を返すと問いかけた。
「なんの話で盛り上がっておったのだ?」
「來歌の金銭感覚が終わっとるっちゅー話や。コイツ、担当ウマ娘に財布の管理してもーとるらしいで」
代表して虎乃が答えると、善斎は「ふぅむ」と顎に手をやった。
「それもよかろうて。ウマ娘とトレーナーの関係なぞ、千差万別であるからな」
かー、と虎乃が額に手をやった。
「どいつもこいつも來歌に甘すぎやろ。こんなんやから、いつまで経ってもギャンブル癖が直らんねん」
「いやー、面目次第もございませんなー」
てへ、とおどける來歌に、虎乃が処置なしとばかりに肩をすくめる。
そんな中、クーラーボックスの中を漁っていた善斎が「ほぅ」と喜色を露わにした。
「イチゴ大福か、うちの担当が喜びそうだのぅ」
あん? と虎乃が首をかしげた。
「担当って……後進の育成に回るとかで、もう取らへんって言うてなかったか?」
「そのつもりだったのだが……どうにも放っておけんのを見つけてしまったのでな。まぁ、あまり気にせんでよい。年寄りのちょっとしたおせっかいだ」
善斎が曖昧に濁したところで、不意に來歌のポケットからLANEの通知音が鳴った。
來歌は取り出したスマホを確認すると、しまったとばかりに顔色を変える。
「やっば、担当のこと待たせてるんだった」
そして、慌てた様子でクーラーボックスから紙袋を取り出した。
「あたし、そろそろ行くよ。あ、そうそう、華織ちゃんのとこに今度、差し入れ持って遊びに行くから、ライスちゃんよろしくね」
捲し立てるようにそう言って、來歌は去って行く。
それを全員で見送ったあと、虎乃がパンパンと手を打ち鳴らした。
「ほんなら、ブツも配り終わったし閉店ガラガラやな。
そう締めくくられ、定期集会は解散の運びとなった。
任務を終えて
ソファに座っているマルゼンスキーに、ライスは声をかけた。
「ねぇ、マルゼンさん。シービーさん、なにか嬉しいことがあったの?」
マルゼンはライスを手繰り寄せると、こそりと耳打ちをした。
「皐月賞の前に重賞を一つ走ることになったのよ。だから、レースに出られるってはしゃいでるの。普段は飄々としてるのに、ああいうとこキュートよね」
また重賞を走るんだ。
やっぱりすごいな、シービーさんは。
「どのレースに出るの?」
わくわくとライスは尋ねた。
するとマルゼンは、まるで我が事のように嬉しそうに答えた。
「共同通信杯ですって」