VSミスターシービー&愉快なウマ娘たち 作:花壇の土
しかし、コーヒーが入ったマグカップをミスターシービーに差し出されたせいで、動きを封じられてしまった。
「一杯どう?」
どうやら、華織がマルゼンスキーとの会話に集中している間にコッソリと淹れて、いつでも出せるよう準備していたらしい。
この展開を読んでいたかのような、あまりに狙いすましたタイミングだった。
「なにしてるんだよ。私は立って反省してろって言ったよな」
華織は咎めたが、シービーは何食わぬ顔のまま、用務室に常備されているチョコレートの包装を破り始めた。
「反省してるよ。だから立ったまま給仕してるでしょ」
ああ言えばこう言うヤツだ。振る舞いが無法すぎる。
シービーは取り出したチョコレートを半分に割って、片方を自身の口の中へ放り込むと、手を差し出すようにマグカップを示して「ほら」と促した。
「難しい顔してるし、少し休憩したら?」
その言葉に従うのは癪だったが、疲弊していた華織はマグカップを唇へと近づけ――あまりの熱さに慌てて口元から離した。
「あっつ」
同じようにシービーから渡されたコーヒーを口にしていたマルゼンが、不思議そうに華織を見た。
「そんなに熱いかしら」
シービーが邪悪な含み笑いをした。
「華織はね、すっごい猫舌なんだ」
マルゼンはチラリと華織へ視線を向けて、面白がるように「へぇ」と声を漏らした。
「チャーミングなところもあるのね」
弱みを晒され、羞恥心を煽られ、華織の口調は荒くなった。
「うるさい、黙ってろ」
本当に腹が立つ連中だ。やはりさっさとお帰り願おう。
機嫌が悪くなった華織は、マグカップをデスクに置いて立ち上がろうとして――
「えいっ」
「んぐッ!?」
――シービーにチョコレートの片割れを口へ押し込まれ、動きを止めざるを得なくなった。
パリッと甘いチョコレートと、その中に入っているサクサクとしたクッキー生地の相性が素晴らしい――という話は置いておいて。
ゆっくりと口の中を空にした華織は、シービーを睨んだ。
「急になにすんだよ」
「甘いモノで落ち着かせようかと思って」
悪びれもしないシービーが、涼しい顔で「だって」と切り出した。
「今からマルゼンのこと、落としてもらわなきゃいけないでしょ?」
やってたまるか、そんなコト。
無言になった華織は、今度こそ席を立とうとした。三度目の正直だ。
しかし、シービーが手のひらで、華織をやんわりと押しとどめた。
小賢しいことに、華織が“奥の手”を使って実力行使できない間合いを絶妙に保っている。
「華織ならできるよね」
強引にマルゼンとのお見合いを続行させようとするシービーを、華織はつれなくあしらった。
「バカ言え。そんなこと、私にできるワケないだろ」
「ふぅーん……なるほど」
すると、シービーは耳をピンと立て、ニンマリと口元に弧を作った。
そして、マルゼンに余計な入れ知恵をした。
「これは隠し事があるときの顔だから、本当はなにか手があるんだよ」
「あら、いいこと聞いちゃったわね」
マルゼンのイタズラな笑みにハッとした華織は、思わず顔を手で覆ってしまい――すぐにそれが間違いであったと気がついた。これでは答えを教えたようなものだ。
失態を犯した華織へ、スカウトしろ、という圧が込められた二対の瞳が真っすぐに突き刺さった。
しかし、華織はここでNOと言える女だった――
「華織」
「華織ちゃん」
――ハズなのに、シービーとマルゼンから同時に名前を呼ばれ、ぐっと言葉に詰まってしまった。
シービーが懐に入り込んできてから、美繰華織という人間は弱くなった。
そのうえ、そんな自分も悪くないと思ってしまっているのだから始末に負えない。
デスクチェアへ深く腰をかけ直した華織は、背もたれに体を預けた。
「いいのか、マルゼン。私が知ってるのは模範解答だよ」
「構わないわ。それを期待したから、あたしはここに来たの」
マルゼンは恋焦がれるように切なげな表情を見せ、「それに」と続けた。
「もし正解だったとしたら、華織ちゃんがあたしの運命の人だった――そういうコトでしょう?」
しばらくマルゼンと見つめ合ったが、先に視線を逸らしたのは華織だった。
「わかったよ。契約する気はさらさらないけど、最低限の自走ができる程度には仕上げてやる」
適当に丸め込んで形だけでも仕事をして見せれば、ウマ娘たちも文句は言わないハズだ。
「お見合いを再開しよう」
一呼吸した華織は、ゆっくりと脚を組みなおし、イタイケな乙女を騙す悪いゲームを始めた。
足りない手札を集める必要はあるが、そこは腕の見せ所だ。
「私は“楽しい”だけで走ってもいいと思ってる」
話の過程を飛ばし、華織が先にその結論を述べると、マルゼンは目を細めた。
「でも、あたしはそれじゃ納得できないわ」
「安心しろ。ちゃんと誑かしてやるから」
華織は組んでいる脚の上に肘をつき、前傾姿勢を取った。
「手始めに一つ問題だ。
暖かな日差しに照らされた一面緑のターフで、マルゼンスキーの目の前を、芝の青々とした匂いを巻き上げたミスターシービーが、涼やかに風を切って駆け抜けていった。その時のミスターシービーの表情は――
1.楽しそう
2.退屈そう
――お前はどっちだと思う?」
突然の問いに困惑した様子のマルゼンだったが、答えを返すのはすぐだった。
「そんなの1に決まってるじゃない。だって、シービーちゃんなんでしょう?」
「だろうな、私も同意見だ」
予定通りの解答に頷いた華織は「なら」と二問目を出した。
「そのミスターシービーを見て、マルゼンスキーはどう思った?」
マルゼンは少し逡巡してから思いを口にした。
「……あたしも走りたい」
「それはどうして?」
「最高の場所で最高のウマ娘と一緒に走ったら、絶対に楽しくて気持ちいいからよ」
説明を求めた華織に、マルゼンは自明の理であると断言した。
それを聞いて、華織は意味深に笑った。
「だったら、それが答えだよ」
計画通りにマルゼンの思考を誘導した華織は、
「おい、シービー。逆の立場だったらどう思う?」
「マルゼンと同じだよ。一緒に走ったら絶対に楽しい」
望んだ通りの答えをシービーから引き出して――これでイカサマに必要な手札は全て揃った。
あとは舌先三寸で勝負をするだけだ。
「シービーが言ったように、お前が走ると、お前だけじゃなくて他の誰かも“楽しい”んだ。走ることで誰かの心に“楽しい”を届けることは、お前が走る原動力にならないか?」
華織の問いかけにマルゼンは反論した。
「楽しく走るなんて……遊びならともかく、
「いいや、違う。真剣勝負だからこそ楽しく走るんだよ。その感情はいつか、誰かの憧れに変わるからな」
むしろ逆だ、と華織が告げると、マルゼンは戸惑いを浮かべた。
「楽しく走ることと憧れに、なにか関係があるの?」
「あるに決まってる。お前がさっき言ってた通りだよ」
力強く肯定した華織は、レースを夢見るウマ娘が持つ、当たり前の感情をマルゼンに語った。
「
息を呑んで言葉を失ったマルゼンに構うことなく、華織は畳みかけた。
「“楽しい”って気持ちの先には、たくさんの可能性がある」
ここが攻め時だと判断した華織は、“ウマ娘”で手に入れた切り札を場に出し、満を持してイカサマを仕掛けた。
「お前がなんで
まんまと釣られたマルゼンが声を震わせた。
「……後輩や周りの子たちが……あたしの活躍をもっと見たいって言ってくれたから」
それは本来なら初対面の他人が知っているハズのない秘密だったが、“ウマ娘”でカンニングしている華織には筒抜けだった。
マルゼンの土台を、華織はさらに揺さぶった。
「“楽しい”が、憧れになって、応援になった。その後輩たちの願いこそが、お前の“楽しい”が届いた証拠だ」
「……あ」
明らかに動揺したマルゼンがか細い声を漏らし、イカサマが完全に通ったと確信した華織は仕上げにかかった。
「マルゼンスキーは前を走るだけでいい。その背中には憧れがある」
そして最後のアクセントに、華織の想いを少しだけ添えた。
「お前は、心を奪われるような夢のスーパーカーだ」
これで持っている手札は全部切った。
仕事を終わらせた華織は組んでいた脚を解き、思いっきり伸びをして全身から力を抜いた。
「まぁ、スーパーカーに負けて、憧れ云々の前に心がへし折れるウマ娘もいるワケだけど」
「一言多いよ」
これでは台無しだ、とシービーが苦言を呈したが、華織にも言い分があった。
「あとになって話が違ったなんてクレームがきたら困るだろ?」
自分は正直な人間なのだとアピールした華織は、さっきから黙ったままのマルゼンに命令した。
「ほら、さっさと出て行って、トレーナー探してこい。私にできることなんて、もうないんだから」
今のイカサマで納得したなら他のトレーナーのところで楽しく走れるだろうし、納得していないなら他のトレーナーにさっさと外付けの理由を考えてもらうべきだ。
あとは他人事だから好きにしろ、と華織が責任を放り投げると、シービーが信じられないとばかりに異議を唱えた。
「ここは契約を持ちかける流れでしょ」
華織はおどけて肩をすくめた。
「やるワケないだろ」
あとはトレセン学園の優秀なトレーナーたちに上手いことやってもらおう。
2度ほど手を払って解散を促した華織は、デスクチェアを回転させてデスクに向き直ろうとして――
「ふふっ……ふふふ……あはははっ!」
――マルゼンの急な笑い声に、シービーと揃ってビクリと体を跳ねさせた。
「……マルゼン?」
尋常な様子ではない友人の名前を、シービーがおそるおそる呼んだ。
用務室に緊張が走る中、マルゼンは瞳を輝かせ、決意した様子でソファから立ち上がった。
「あたし、決めたわ」
そして華織の前までやってくると、折り畳まれた紙をスカートのポケットから取り出して、デスクの上に置いた。
その紙から不穏な気配がして、華織の背に寒気が走った。
「一応聞いといてやるけど、なんだコレは」
「いやねぇ、とぼけちゃって。このタイミングで取り出すものなんて一つに決まってるのに」
マルゼンは、華織が決して認めたくない現実を叩きつけた。
「担当契約書よ」
既視感のあるやり取りに華織は頭を抱えた。
「私なんか悪いコトしたか?」
「ええ、とびっきり悪いコトをしたわ。だって、あたしのハートを盗んだんだもの」
マルゼンがあざとくウインクすると、シービーが華織に向かって意地悪く言った。
「年貢の納め時じゃない?」
あれだけ頑張ったのに、1対2で形勢が不利になっている意味がわからない。
ここまできたら誰がトレーナーだろうが一緒のハズだ。好きに走らせてくれるヤツのところへ行けばいい。
他人の気持ちに鈍い自覚はあるが、それにしたって飛躍し過ぎている。物事はもっと冷静に運ぶべきだ。
孤立無援の状況に追い込まれた華織は、それでも気丈に振る舞った。
「私じゃなくてもいいだろ」
「ううん、華織ちゃんじゃなきゃダメなの」
マルゼンは華織の手を取って、壊れ物を扱うように優しく両手で包んだ。
「華織ちゃんは、あたしの“楽しい”を大切にしてくれた。他の理由に頼らなくても、そのまま走っていいんだって教えてくれた」
そして乙女が恋を伝えるように、甘く頬を染めた。
「あなたが運命の人よ」
その姿は同性すら見惚れるほど魅力的だったが――華織には応える気なんて欠片もなかった。
マルゼンにとっては一世一代の大勝負かもしれないが、関係ない。
「そんなワケないだろ、色ボケめ」
顔をしかめた華織に、マルゼンが可愛らしく拗ねて見せた。
「うら若きウマ娘が勇気を出して告白したんだから、もう少し真剣に取り合ってくれてもいいんじゃない?」
「真剣だから断ってやってるんだよ。私みたいなやる気のない三流と契約しても、お前をダメにするだけだ。ほら、さっさと手を離せ」
素早く手を引いた華織は、マルゼンから体を遠ざけながら言った。
「そもそもの話、私じゃもう一つの問題を解決してやれない」
それがある限り未来は覆せない。
「もう一つの問題って?」
頬に手を当てて首を傾げたマルゼンスキーに、華織は最後に残った問題を明かした。
「マルゼンスキーが速過ぎるコトだよ。さっきも言った通り、へし折れるウマ娘が出る」
その言葉に含まれた意味を、マルゼンは正確に理解した。
「出走回避が起きるって意味かしら」
「ああ、そうだ。お前にはライバルがいない。走る意思があっても、レースが成立しない」
華織は声を低くしたが――おかしなことに、マルゼンは動じることなく平然としていた。
「へぇ、そうなのね」
それどころか、悠々とした表情には余裕すらあった。
「でも、華織ちゃんなら、いい方法の一つや二つくらい、本当は持ってるでしょう?」
なにがあっても華織ならなんとかしてくれる、という無条件の信頼をマルゼンから感じる。
初対面である相手を、どうしてこうも信じられるのか。
「……そんなモノ、あってたまるか」
過分な期待を向けられた華織は、ため息をついた。振ればポケットからなんでも出てくるワケではない。
とはいえ、心当たりが全くないと言えばウソになるのも確かだ。
だいぶ昔の話だが、自分ならどうやってスーパーカーを走らせるか妄想したことがある。
実はその際に、出走回避の問題を解決する方法を一つ閃いてしまっていた。
しかし――アレを実行するわけにはいかない。
悪い思考が脳裏をよぎり、微かに視線を逸らしてしまったその瞬間、マルゼンが「あっ」と声を漏らし、胸の前で手を合わせた。
「それ、隠し事があるときの顔よね。さっき教えてもらったわ」
「流石だ、ちゃんと活用できてる」
シービーは指でパチンと音を鳴らし「いいね」とマルゼンを褒めると、華織の肩に後ろから手を置いた。
「マルゼンのこと、走らせてくれるよね」
もう片方の肩には、マルゼンが前から手を置いた。
「お願い、華織ちゃん」
前にはマルゼン、後ろにはシービー。示し合わせたように包囲網が形勢された。
なんとかして“奥の手”で抵抗できないか試みたものの、ウマ娘2人が相手では分が悪い。
最早、諦める他に選択肢がない状況だったが――それでも華織はペンに手を伸ばさなかった。
あの方法には、重大な欠陥があるからだ。
マルゼンにレースをさせてやることは可能かもしれない。
しかし、一歩間違えれば夢を裏切る結果を招くおそれがある。
シービーに夢を見るのであれば、この契約書にサインすることはできない。
「……やっぱり私には――」
無理だ、と断ろうとした華織の耳元に、シービーがそっと顔を寄せた。
「アタシにはキミの迷いがわからないけど――大丈夫、なんとかなる」
こっちの気なんてまるで知らない、なんの根拠もない励ましだった。
いったい誰のせいで苦悩していると思ってるんだ。
華織が皮肉を繰り出すよりも先に、シービーが優しく囁いた。
「だから、難しいコトなんて忘れてさ、もっとたくさんの夢を“アタシたち”に見てよ」
「……たち?」
虚を突かれ、華織の反応は遅れた。シービー以外の夢なんて考えもしなかった。
心に火花が起きた華織の背中をそっと撫でたシービーは、欲深い誘惑をした。
「ターフの演出家も、スーパーカーも、全部まとめてキミの夢にしちゃおう」
「全部、私の?」
華織は思わずその言葉をなぞった。
火花が炎へと変わり、隠されていた道が照らされて姿を現していく。
気持ちが傾き始めた華織に、シービーはとても甘い提案を持ちかけた。
「アタシが好きに走るように、キミも好きに走らせてみない?」
心の奥を見透かすような澄んだ瞳で、シービーが横から華織を覗き込んだ。
「キミも自由になろうよ」
夢が一つである必要はない。たくさんの夢を自由に見てもいい。
その許しを他ならぬ
ミスターシービーが大切な夢であることに変わりはないが、そこに遊び心があってもいいだろう。
舗装された道を外れて、誰も歩いたことのない悪路を開拓し、その先に辿り着いた旅路の果てには、きっと美しい景色がある。
「……わかったよ、やればいいんだろ」
いつもの調子で文句を言いながら華織がサインすると、マルゼンがその契約書を静かに受け取った。
「これからよろしくね、華織ちゃん」
花が綻ぶように微笑んだマルゼンは、片手を掲げて待っていたシービーと軽やかなハイタッチを交わした。
まるでレースに勝利したかのような喜び方だ。
大変なことをしてしまった気がするが――なんとかなるだろう、たぶん。
ゆっくりとペンを置いた華織に、声を弾ませたシービーが後ろから腕を回した。
「マルゼンを走らせるいい方法、あるんだよね?」
むしろそれとは真逆の最悪に近い方法なのだが――
2人目の担当ウマ娘を走らせるため、華織はルートを捻じ曲げることにした。
「出走回避からは逃れられない。強者の宿命だ。でも、マルゼンをライバルと戦わせることはできる」
「前に言ってたデチューンってやつ?」
シービーの問いを、華織は否定した。
「それは趣味じゃない」
スーパーカーを走らせるのなら、やはり最高の状態で送り出したい。
そして、最高の状態とは“そのまま”のことだ。
適温になったコーヒーで舌を湿らせ、華織は言葉を続けた。
「だから、新車のまま年式だけ落とす」
簡単な話だ。そこにライバルがいないなら、いるところまで移動すればいい。
ウマ娘ならルールを無視できる。
こんなことをしたところで、問題の先送りにしかならないかもしれない。
しかし困ったことに、このプランが提示できる中で一番勝算が高い。
下手をすればここに居る全員で倒れる一か八かの策だが、そんなこと知るか。走らせろと言ったのは当の本人たちだ。
あとはトゥインクル・シリーズが崩壊しないように祈ろう。
巻き込まれるウマ娘たちには申し訳ないが、恨むならコイツらを恨んでくれ。
スーパーカーの鍵を握った華織は、マルゼンに走り抜ける覚悟を問いかけた。
「走り始めたらブレーキは踏めないよ」
「望むところよ、アクセル全開で応えてあげる」
エンジンの始動を待ちわびて好戦的な笑みを浮かべるマルゼンに、華織は禁断のチューニングを施した。
「マルゼンスキーのデビューを遅らせる。
夢のコース料理の2品目。
燃え尽きられないように薪を追加します。