光の差し込まぬ穴の底。
ただただ歩き続け、たどり着いた森の中。
身を沈めれば自我さえも消えていく。
それを「幸福」と感じていた。
今はどうだろうか?
最後まで思い通りにならない人間。
どれだけ力の差を見せつけても挑んできた人間。
終には虚無を司る自分を倒すほど圧倒的な強さを見せた人間。
なぜだ?
奴が持つ心など虚となった時に捨てたものだ。
いや、だからこそか。
「恐いか?」
問いかける。
「恐くないよ」
みんなが助けに来てくれたから。自分の心はみんなと同じところにあるから、そう答えて女は微笑んだ。
「俺が怖いか? 女」
再び問いかける。
「恐くないよ」
同じ言葉が返ってくる。
「そうか」
灰と化していく身体、それでも手を伸ばす。
女が手を掴もうと手を伸ばす。
触れかけた指先から灰となって崩れていく。
その時に感じた、空いた筈の胸に生まれた感情。
伸ばした手の先にあったもの。
そうか……この掌にあるものが、……心か。
ウルキオラの視界が闇に鎖される。
自我が消えていく、それはやはり心地よい感覚だった。
人に興味を持ったとはいえ、どうやら自分の根本が変わったわけではないらしい。
そんな閉ざされた闇の中に鏡が現れる。
「強く、美しく、そして生命力に溢れた使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい!」
声が聞こえる。
その声に導かれるように鏡に呑まれると自我が戻り、鎖されていた視界が開き始める。
灰と化したはずの自分の肉体をウルキオラは感じた。
煙が晴れてくると目の前に桃色の髪をした女が見える。
さらに視線だけを動かして周りを見れば、似たような背格好の人間が大勢いた。
そして、全員が一様に自分に怯えているようだった。
無理もない。むしろ解放状態の自分を前にしてよく魂が潰れないものだとウルキオラは感心した。
「ミス・ヴァリエール! 下がりなさい!」
杖を持った中年の男が目の前にいる女の前に出ようと足を上げようとするが霊圧にあてられ上手く動けないようだった。
ウルキオラはそこそこの力はあるようだと思いながらも気に留めなかった。
それほど実力の差は歴然としていた。
それにしても妙だ。この場にいる人間の霊力、いやそもそも大気中を漂う霊子の質が違う。
ここはどこだ? 自分は一体どうなった?
ウルキオラが考えていると、女の声が聞こえた。
「あ、あんた誰? 一体なんなの?」
冷や汗を流し、声を震わせながらも女は言った。
そして、足を前に踏み出す。
たいした精神力だとウルキオラは女に目を向ける。実力が違い過ぎて何も感じないのか、いやそれはないだろう。
女の目には自分が写っているようだ。悪魔のような自分の姿が。
「俺が恐いか?」
あの時と同じ問いを口にして、手を伸ばした。それがなぜかは彼にも分からない。
「自分の使い魔を恐がるわけないでしょ!」
女は迷いなくその手を掴んだ。
ウルキオラもその手を掴んだ。
あの時、掴むことが出来なかった人の手を。
手を離すとウルキオラは刀剣解放を解いた。
腰から生えた翼が消え、代わりに刀が現れる。
それを腰に差して目の前にいる女に目を向ける。
「ミス・ヴァリエール早く契約を!」
ウルキオラの敵意がなくなったと判断したのか男が叫んだ。
「分かってるわよ」
そう言って、女はウルキオラに近づき、その顔を見上げた。
手を伸ばし、ウルキオラの襟を掴んでつま先立ちになる。
そのままたっぷり十秒間、二人は停止していた。ウルキオラに至っては眉ひとつ動かさない。
「と、届かない」
彼女の言葉で戦慄していた空気が一気に緩んだ。
「であんたの名前は?」
「ウルキオラ・シファー」
「それでなんなの?」
「虚、破面(アランカル)、第四十刃(クアトロエスパーダ)」
「何言ってるか分かんない」
「知ったところで意味はない」
「それだとわたしが困るのよ!」
なんとか契約した二人は中年剥げ男性のコルベールに連れられ、トリステイン魔法学院の本塔にある学院長室に向かっていた。
「そういうお前の名は何だ? 女」
「ふふん、覚えておくといいわ。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド……」
「もういい。黙れ」
ウルキオラは見向きもせずに言った。
冷たく言葉を遮られ、その迫力にルイズは一瞬言葉を失うがすぐに不満の声をあげる。
ルイズはウルキオラが刀剣解放を解いたことを自分が上手く使い魔を制御出来たと考えているらしく、その物怖じしない態度にコルベールの肝は冷えっぱなしだった。
姿が変わり、圧力をあまり感じなくなったとはいっても戦えば確実に死ぬだろう。
それどころかこの学院自体がなくなるかもしれない。
その時、先の体験で一歩も動けなかった自分に生徒が守れるだろうか。
そんな不安をよそに当のウルキオラは顔色一つ変えず、ルイズの言葉を聞き流しながら探査回路をつかって世界を調べていた。
とはいっても探査回路で分かるのは相手の霊力の高さと所在ぐらいしか分からない。
分かったのは今いる場所は現世に比べて人間が少ないということのある程度霊力が高い人間がここに集まっているということぐらいだった。
そして、やはりその霊力の具合がおかしい。
質の違いもあるが、改めて探ってみれば、解放状態の自分を前にしてあの程度の霊力で魂が潰れないのは妙だったとウルキオラは訝しんだ。
大気中に漂う霊子のようなものも操作しようと思えば出来たが、その感じは現世とも虚圏とも異なる。
別の世界。そんな考えがウルキオラの脳裏を過る。
現世、尸魂界、虚圏、地獄が存在する中で第五の世界が在ってもおかしくはないのかもしれない。
そして、現世の人間が尸魂界、虚圏へ行く際に器子を霊子に変換する必要があるようにこの世界に来るのにも肉体を変換する必要があるとする。
そうなるとあの鏡が霊子変換機のような役割を果たし、消えるはずだった自分をこの世界に合うように作り替えた。
その鏡を創ったのが自分を召喚したと言う横にいる女、確かに内包する霊力のようなものは跳びぬけて高いようだが、そんなことができるようには見えない。
そんなことをウルキオラが考えている間に学院長室につき、中に入ると一人の老人が出迎えた。
「ようこそ。ワシがこのトリステイン魔法学院の学院長オスマンじゃ。君がミス・ヴァリエールに召喚されたのかね?」
「そうらしいな」
「らしいじゃなくてそうなのよ!」
「それで何の用だ?」
ルイズを無視してウルキオラは言った。
「君は何者じゃ? 相当な力を持っておるようじゃが、我々の知識の中に君のような存在は無い」
「言うより見た方が早い」
言うが早いかウルキオラは自分の眼球を抉り取った。
その行動にルイズだけでなくその場の全員が息を呑む。
「共眼界(ソリタ・ヴィスタ)」
ウルキオラが抉り取った眼球を砕くとそれは塵となって周囲に漂い、その場の人間に共通の映像を見せた。
それは虚圏と虚の姿である。
「これが俺がいた場所。そして虚という存在だ」
人を喰らう獣のような姿の怪物に一同が絶句した。
「で、でもこれ全然アンタに似てないじゃない」
「俺はこの虚の上位種だった」
映像が変わり、先ほどよりも巨大な虚が映し出される。
長く尖った鼻が特徴的なメノスという種だ。
映像がさらに切り替わり、今度は仮面の無い人間のような姿の存在が映った。
それは十刃の面々だった。
「先の虚の仮面を剥ぎ、新たな力を手にしたのが破面という存在。それが俺だ」
映像が途切れ、眼球が再生する。
死神の件について一切触れなかったのは単に説明が面倒だったというのと、どうしても最後に戦った一護達のことが脳裏に浮かぶからだった。
「分かったか?」
「実際に見せられてはのう。コルベール君?」
「そうですね。信じ難いですが。して先ほどの砂漠のような場所は一体?」
「虚圏(ウェコムンド)。虚が住む世界だ。見れば分かるだろう」
などと質疑応答が続き、今いる場所がハルギニア大陸のトリステイン王国ということなど、互いの世界の情報をある程度交換し終えた。
「では君はどうするのじゃ?」
「そんなのわたしの使い魔をやるに決まって……」
「あなたは黙ってなさい。ミス・ヴァリエール」
「す、すみません」
有無を言わさぬコルベールの圧力にルイズはたじろいだ。
「元の世界に戻ることは出来ないのだろう? それならばやることもない」
元の世界に戻れるというなら一護との決着をつけられる。だがそれが出来ないならば消える筈だったウルキオラにするべきことなどあるはずもなかった。
「そうか。ならばこのままミス・ヴァリエールの使い魔になってくれぬかの?」
「それはあの女の下につけというのことか?」
ウルキオラは試すように抑えていた霊圧を放出する。すると空気が震え、地震が起きたかのような錯覚さえ感じる。
「待っとくれ! 何も奴隷のように仕えろというのではない。彼女の力になって欲しい」
オスマンは全身に重しが乗っかったような巨大なプレッシャーを感じながらも、慌てて声を上げる。
「……ふん、まあいいだろう。女の世話をするのは二度目だ」
そう言ってウルキオラは再び霊圧を抑える。
「そ、そうか。引き受けてくれるのか」
「丁度、人間に興味が出てきた所だしな」
そう言ってウルキオラは踵を返した。
「えっ、じゃあわたしの使い魔になってくれるの?」
「ああ。それでどうする?」
「と、とりあえず宿舎に行きましょう」
「ならさっさと行くぞ」
「ちょっと! なんで使い魔のアンタがわたしに命令するのよ!」
早々と部屋を出るウルキオラを声を上げながらルイズが追いかけていき、学院長室に平穏が戻った。
残されたオスマンとコルベールの二人は一気に脱力する。
「あーもう、心臓に悪いのう。寿命がまた縮まったわい」
「とんでもないもの召喚しましたね彼女は。しかしあのまま野放しにしてよいのですか? 虚は人の魂を喰らう存在らしいですし」
「彼も言うとったが腹が減って食べるわけではないようじゃし。そもそもわしらにはどうすることも出来ぬよ。まあ、そこをどうにかするのも儂らの務めじゃが」
「それとオールドオスマン、もう一つ」
「なんじゃい。まだなんかあるのか?」
「彼のルーンについてです」
「ふむ、確かに珍しいルーンじゃったの」
「はっきりと覚えているわけではないので確証はありませんが、あれはもしかするとガンダールヴなどの始祖のルーンかもしれません」
「あの伝説の……。まあ、あのような存在なら在り得るかもしれんが。ともかく忙しいことになりそうじゃのう。トホホ」
「……ですね」
伝説の復活はそれだけで戦争の火種となる。さらに相当な戦闘力を誇っているとなれば尚更だろう。
二人は揃って溜息を吐く。事はそれだけ重大だった。
一方、宿舎に着いた二人は部屋の中で向かい合っていた。
ルイズはベッドに座り、ウルキオラは立ったままだ。
「……そういうわけだからアンタの一番の役目はわたしの傍にいてわたしを守ること。分かった?」
「それはお前の敵を排除すればいいのか?」
「排除って……。そんな物騒な話じゃなくて、わたしが怪我をしないように盾になるとか」
「相手を殺すほうが楽だな」
「いくらあんたが人の魂を食べる存在でも、わたしの使い魔になったからには人を殺すのは禁止」
「まあ、いいだろう」
「ねえ、あんたってあの化け物たちの中で四番目に強いのよね」
「今の状態ならな」
「頭についてるのって仮面の名残?」
「そうだ」
「そういえば食事はいらないって言ってたけど、睡眠っているの?」
「いらん」
「その受け答えなんとかならない」
「ならん」
「……」
ルイズは諦めたように溜息を吐くと、服を脱ぎ、ネグリジェを着て、ベッドに横になった。
「まあいいわ。今日はもう疲れたから寝る。明日ちゃんと起こしてよね。後、脱いだ服は洗濯しといて。メイドに頼めばやってくれるから」
言いたいことを言い終えたルイズはランプを消して目を閉じた。
が一向に眠れる気がしない。
理由は明白。ウルキオラがそのまま横に立っているからだった。
「寝づらいからどっか行って」
ウルキオラは返事もせずに部屋を出た。
愛想の無い奴だと思ったがそれでもルイズは上機嫌だった。
初めて魔法に成功した。それもキュルケの使い魔など目じゃないほど凄い奴を。
そう思うと自然と口元が緩んだ。
わたしはゼロのルイズじゃなくなったんだ。
そうして、ルイズは心地よい眠りについた。
「……守るか」
ウルキオラは二つの月を見上げながら呟いた。
彼を倒した男は意識を失い、暴走した状態でもしきりに守ると口にしていた。
自分は誰かを守ることには向いていない。
この世界の存在では自分に傷をつけることすら難しいだろう。
自分の身を守るのは容易い。しかし、誰かの身を守るのは比べ物にならないほど難しいと彼は感じていた。
あの男は常にそれをやってきた。
だからこそあの男はあれほどの力を発揮したのかもしれない。
そうして、ウルキオラは闇に消えた。