最強騎士の優雅なる学園生活   作:ピグリツィア

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甘いチョコレートと苦い政争

 実践魔術の授業は、見学会向けという事もあって基礎中の基礎…と言うよりは「魔術とはこういう物だ」程度の解説で終了した。

 モニカはこの時間に帰ってくる事はなかったが…無断で授業をすっぽかす度胸はモニカには無い。何かしらのトラブルにでも巻き込まれたのだろうか。

 

「モニカ、何処に行ったのよ…あ、私はモニカを探しに行きますけど、お二人は…」

 

「私は他に困っている生徒がいないか見回るよ」

 

「私は殿下の護衛ですので、殿下と共に行きます」

 

 殿下はこの学園の生徒会長だ。なので一人の生徒だけ構っている訳にもいかない。モニカを探しに行くと言うケイシーと別れ、殿下と共に廊下を歩く。

 

「さてと…次は何処に行こうか?」

 

 そう言いながら殿下はこちらへと視線を送ってくる。私に何かしら案を出せと言う事だろう。

 

「個人的には基礎魔術を取る予定ですが…ほぼ確実ですので、せっかくなら他の授業を覗きに行きたいですね」

 

 受講する気もない授業を覗きに行くのは、はっきり言って冷やかしに回るような物だが…殿下も私もそんな事を気にするような人間ではない。

 とは言え、具体的にどの教科を見に行くかまでは思いつかないが…殿下には何か案があるようだ。

 

「となると…そうだ、剣術の授業を見に行かないかい?」

 

「嫌がらせですか、行きませんよ。講師の方が可哀想じゃないですか」

 

 殿下は何をしたいのだろうか。嫌がらせか?現職の騎士に見られながらの授業なんて、生徒だけでなく講師にとっても心臓に悪いだろう。何より私には()()がある。そんな私が剣術の授業に顔を出せば、また医務室のお世話になると怯える者も出るだろう。

 

「面白いと思ったんだけどな…」

 

「それはまあ、否定はしませんけどね」

 

 私も日課の訓練の為に剣術の教室を使ってはいるが、それはあくまで自己流の『剣技』を磨く為の物だ。セレンディアの授業で学ぶ剣術とは目的や形式が全く異なる物なので、実際に見せた所で他の生徒の為にならないのだ。

 

「そういえば、フェアニッヒ辺境伯家は乗馬の技術にも長けていたね。レノも乗れるのかい?」

 

「…まあ、乗れるには乗れるんですが……」

 

 元が傭兵であったフェアニッヒ辺境伯家の人間は、老若男女問わず馬に乗れる。だが貴族の乗馬と傭兵の乗馬は、使う馬も乗り方も異なるのだ。

 

「そもそもセレンディアの馬術とは趣が違いますし、私には馬が大きすぎるのと…ほら、この体格ですから…オーダーメイドの馬具が必要なんですよね」

 

「ああ…」

 

 つまり私がセレンディアで馬術を受講する為には、いちいち実家から私用の馬具を取り寄せなければならない。一応普通の馬具でも乗れるが…馬に負担は掛かるだろうし、私も疲れてしまう。

 その上私は女児体型。馬に乗るにも一手間かかるし、セレンディアの馬は軍馬ではないので丁寧な乗り方を心掛けなくてはならない。つまり、無茶苦茶面倒だ。

 

「それに私の場合は長距離移動時には巡航魔術を使いますし、短距離であれば普通に走った方が速いです」

 

「へえ……なんだって?君、馬より速いのかい?」

 

「はい」

 

 殿下の確認に何でも無いように答える。確かによく驚かれるが、私は素で馬より速く動けるのだ。中距離になれば分からないが、少なくとも短距離であれば私は馬よりも早く動ける。

 

「まあ、私が乗馬や剣術を取ることは無いでしょう。私には既にフェアニッヒ流の技術が染み付いていますし…騎士である私に必要な技術だとも思えませんからね」

 

「確かに貴族と騎士では求められる能力が大きく異なるね。でも君は騎士であると同時に貴族だろう?」

 

「いえ…まあ、そうなんですが…」

 

 殿下の言う事も尤もだ。今でこそ最強の騎士な私だが、本来はきちんとしたお嬢様として育てられる予定だった。なのでもっと貴族らしい立ち振舞いも覚えるべきなのだろうが…人には向き不向きがあるのだ。無茶を言わないでほしい。

 

 私の反応を見た殿下は小さく肩をゆらす。分かってはいたが揶揄われているのだろう。

 

「あまりお遊びが過ぎるようなら…剣術の個人授業をやってあげても良いんですよ」

 

「おっと、それは遠慮しておこうか。次は打撲だけじゃ済まないかもしれないしね」

 

 私の脅…『善意の提案』を殿下はにべも無く断ってくる。残念だ、次は私の本気を見せてあげても良かったのだが。

 

「ふむ…それじゃあ、やっぱりレノがいるんだし、あそこに行こうか」

 

「私と言えばと言うと…やはり、あそこですか…」

 

 悪趣味と言えば良いのか、なんなのか…とにかく、被害者の方々には申し訳ないが、気にせず授業を受けて貰えれば…

 


 

 そんな願いも虚しく、私が見学に行った授業はぎこちなく進行していった。

 

「そろそろ見学会も終わりだね。レノ、どうだったかな?」

 

「本当に剣術を見に行くとは思ってませんでしたよ…全員カチコチに固まってたじゃないですか」

 

 殿下と共に見学した授業は、剣術。やはりと言うかなんと言うか、受講生も教師も纏めて及び腰となっていた。

 しかし、想像よりも私の事をよく知っていた剣術の教師が、授業の最後に残した言葉は印象的だったな。

 

「『あの魔剣を使うという事は、純粋な剣の腕であれば誰にも負けないと確信しているという事です。そして彼女は、それを実行してみせたからこそ今殿下の横に居るのです』…この言葉は良かったね。魔剣の特徴を簡素に伝えつつ、君の実力を認める発言だ」

 

「詳しい理論を抜きにして魔剣を使う理由を話すなら、あの言葉も良い物ですね。それにしても、まさかセレンディアで私を高く評価する教師が居るとは、想像していませんでしたよ」

 

 あの言葉は私の事を知った上で、相応の評価をしていなければ出ない言葉だ。そんな言葉をクロックフォードのお膝元(セレンディア)で発するのはもっと意外だ。

 ここでフェアニッヒ寄りの発言をすれば周囲に敵を作りかねないし…よりにもよって殿下の前で言ったのが驚きだ。

 

「確かにクロックフォード公爵とフェアニッヒ辺境伯は対立しているけど、それはそれとして君個人の戦績は無視出来る物ではないだろう。なんせ君の部隊は設立の際に陛下や七賢人が動いたんだから」

 

「ああ、そっちの視点は考慮していませんでしたね…クロックフォード公爵と実家の関係ばかり気にして、私個人の評価については抜けていました」

 

 改めて考えてみれば、私はフェアニッヒ辺境伯家の人間や特殊魔装騎士団の団長としてだけでなく、私個人としての名声も考えて動かなければならないのか…つくづく、私の現在の立場についてうんざりさせられる。

 

「剣術の授業を取っている生徒の一部には、騎士を志望している人間もいる」

 

「家督を継がない人間も少なくないから…ですか」

 

 家督を継ぐのは基本的に長子となる。もちろん、様々な事情で次男三男が継ぐ可能性も無くは無いが…四男以降になれば、家督を相続できる可能性もかなり低いだろう。そういった人間の中で騎士を志望する者も、少ないが存在する。

 

「そういった騎士寄りの人間の中で君を侮る人間は少ないだろうね。フェアニッヒ辺境伯家の権力は大きいけど、腕の立たない小娘一人の為に陛下や七賢人を動かせる程では無いからだ」

 

「ふむ…私は最近、東部と北部にばかり居ましたが、思ったよりは私の名声は広がっているようですね?」

 

 多少なりとも騎士について興味があるのならば、こちらの世界の厳しさについても知っているだろう。

 つまり、陛下や七賢人が動いている以上、私個人の実績は少なからずあるのは少し考えれば誰から見てもわかる事だ。それを素直に受け入れられるかは別問題だが。

 

「君は思ったよりも自己評価が低いね?…いや、フェアニッヒの悪名に引っ張られているのかな」

 

「ええ、少なくとも私が王都の竜騎士団に所属していた時は捨て石呼ばわりも珍しく無かったですし、未だに『女騎士』の地位は低いんですよ」

 

 女騎士の地位が低い理由は幾つかあるが…近年では女系の王族が少ない事も関係しているだろう。今は女騎士の需要が低いのだ。そんな理由もあって、私の実力を侮る騎士も少なくはなかった。

 無論、そんな口を聞いてくる奴は私の力で捻じ伏せたのだが…こんな実家の評価に女扱いだ。私の評価は通常の騎士のそれよりも低い物だと考えていた。

 私が赤竜を斬った辺りから、評価は多少なりとも良い物になっていったのだろうが…特殊魔装騎士団設立の際に起こった騒動のせいで、私を敵視する貴族も少なくはない。

 

 ついでに言えば…赤竜討伐に関しては、中央の人間の半数からは良くて『脚色された英雄譚』、悪ければ『与太話』扱いだ。これに関しては仕方がないと諦めている。既存の騎士の常識で測ればそうなっても仕方がないし、戦場での私を見なければ理解してもらえないだろう。

 

「あとは…やはり、年齢と見た目ですかね。中等部どころか初等部の子供に見えるこの身体に、高等部上りたての実年齢。流石に経験不足と見られてもしょうがないですからね」

 

「ああ…それに関しては、どうしようもないかな。将来に期待だね」

 

 実際、経験不足に関しては反論のしようもない。伸び代があると言えば耳触りは良いだろうが…私はそうとは考えられない。力はあればあるほど良い。なのに極めきれていないのをどうして喜ぶ事が出来ようか。

 問題は私の経験となり得る敵が少ない事か。伸び代も伸ばす機会がなければ意味がないのだ。どちらにせよ今すぐ解決できる問題でも無いので放置だ。

 

 ともかく、現在の周囲から私に対する評価に修正を加えたほうがよさそうだ。業務中の今は仕方が無いにせよ、一生徒に戻った後の私の発言力の強さは…かなり、強力な物になるだろう。

 

「さて、この後は生徒会の仕事があるけど…今日からノートン嬢も復帰するから、こちらに通してくれ」

 

「分かりました」

 

 放課後になれば殿下は生徒会の業務に向かわなくてはならない。私はいつも通り廊下で待機だ。モニカは私が殿下の護衛に就いている事を知っている筈だが…どうか変な真似はしないでくれ。

 

 

 いつも通り生徒会室の前で待機する。やはりこの時間はとてつもなく退屈だ。小説の一つでも読めたら良いが、そんな事をすれば騎士への信用問題につながるし…本当に、護衛は面倒だな。

 

 そうしてただただ立っているだけのお仕事をしていると…モニカがこちらへと向かってくるのが見える。モニカは生徒会役員なので、仕事のためにここに来たのだろうが…やはり、いつ見てもモニカが生徒会役員だというのには違和感を覚える。

 

「れ、レノ…さん…」

 

「モニカ・ノートンですね。どうぞ」

 

 モニカは扉の前から避けた私を目で追い、その場から動かずにいる。モニカは何がしたいのだろうか。

 

「…私の顔に何かついていますか?」

 

「あ、い、いえ。ごご、ご、ごめんなさい…」

 

 俯きながらそそくさとドアを開けて生徒会室へと入っていく。いつにも増して挙動不審だった気がするが…誤差の範囲か?

 

 暇つぶしも兼ねて、生徒会室から漏れ出る声に耳を傾ける。どうやらモニカは実践魔術の授業を離れた後、チェスの授業に顔を出していたようだ。同じ生徒会役員のエリオットもチェスを受講しているらしいし、その縁もあったのかもしれない。

 チェスか…あれは運の要素が一切無い、差し手の実力がダイレクトに反映されるゲームだ。人が指す以上、常に最善手を指せる訳では無いが…モニカならば、もしかするとその『常に最善手を打つ』という行為が出来るかもしれない。今度モニカがチェスを指すところを見てみるのも良いかもしれないな。

 

 再び生徒会室の会話に耳を傾ける…シリルがモニカに魔術の授業を受講しないのか聞いている。シリル、お前もか。

 魔術を齧った人間から見て、そんなにモニカは魅力的に映るのか?…いや、映るか。モニカは七賢人だし、どことなくそんなオーラが出ているのかもしれない。私には全然感じ取れないので、魔術師にしかわからない『無詠唱魔術師オーラ』だ。

 

 次は…モニカから私についての会話を殿下に振っただと?私が何故生徒会室の前に居たのか聞いているぞ。その質問に対して、殿下は自らの事情を含めて説明している。

 モニカはイザベルから私のことを聞いていなかったのか?いや、療養をしていたとなると、伝える暇はなかったか。若しくは聞かないと不自然だという自己判断をしたか…どちらにせよ、この質問は悪く無い行動かもしれない。

 

 

 その後も生徒会室の会話に耳を傾けていたが…特に興味の惹かれる会話は無かった。

 そのまま終業時間となり後片付けをする中、モニカとシリルは引き継ぎ業務のために生徒会室に残ると話していた。学祭も近いし、色々と繁雑な仕事が多いのだろう。

 殿下は仕事を終わらせていたようで、特に時間をかける事もなく出てくる。学祭前後の警備については、既に学園警備室に任せると決めてあるので、私の出る幕は…()()()無い。

 

「レノ、お待たせ」

 

「お疲れ様です、殿下。では行きましょうか」

 

 生徒会の業務も終わり、私と殿下は生徒会室から離れる…つもりだったのだが、殿下は少し歩いてから足を止める。忘れ物でもしたのだろうか。

 

「レノ、どう思う?」

 

「…何がでしょうか」

 

 殿下から投げ掛けられた主語を抜いた質問…こういう時は、大抵面倒な話に発展するのだ。

 

「シリルの事だよ。生徒会会計の引き継ぎ業務は終わっていた筈なのに、シリルはモニカを引き留めて生徒会室に残っている」

 

 殿下はきちんと周りの仕事の進捗も確認しているらしい。それは大変立派なのだが…余計な事に首を突っ込んでほしくは無い。

 

「…つまり?」

 

「気にならないかい?二人がこっそりと何をしているのか…」

 

 つまり、殿下は二人を野次りに行こうと言いたいのだろう。

 あのモニカが他人と逢瀬が出来るような人間では無いとは思うが…無理やり言い寄られる可能性は否定できない。まあ、シリル・アシュリーもそんな事をする人間には見えない以上、完全に杞憂だとは思うが。

 

「幾つか言いたい事はありますが…護衛としては、殿下には寄り道をせずにさっさと自室に戻ってもらいたいですね」

 

「そんな固いこと言わないでおくれ」

 

 護衛としては断固反対だ。予定通り寮に戻って大人しく寝て欲しい。しかし…こんな事でごねられても面倒だし、モニカの様子も確認しておきたい。ここは殿下のわがままに便乗してみるか。

 

「はぁ…仕方がないですね。さっさと確認して帰りましょう」

 

「ありがとうレノ。それじゃあ戻ろうか」

 

 大した事は起こらないと思うが…まあ、それならそれで良い。

 

 少しだけ早足になりながらも、生徒会室の前へ戻った。扉を少しだけ開き、中の様子を窺う。シリルとモニカの話す声に、独特な甘い匂い。どうやら秘密のお茶会でもしているようだ。

 

「この香りは…」

 

「チョコレートですね」

 

 最近貴族の中でこっそりと流行り始めている嗜好飲料、チョコレートだ。あれは結構値が張ったと思うが…流石はハイオーン伯爵家の子と言うべきか。

 

「ふむ、そういう事か。シリルもつれないね?」

 

「第二王子派がアレを堂々と飲むのは憚られますからね」

 

 チョコレートの存在自体は昔から『知る人ぞ知る』と言う物だったが、近年のチョコレートは、とある加工をすることによって、とても飲みやすいものになっていた。

 しかし、その技術はランドール王国…第一王子と縁のある地で発明されたものだ。その技術を使った飲料を飲むと言うことは、「私は第一王子派です」と声高に喧伝していると捉えられかねない。だから『こっそりと』流行っているのだ。

 

「レノは飲んだ事あるかい?」

 

「はい、飲みやすくて美味しいですよ。例の技術で作った粉末を固形化出来れば、携帯食としても優れた物になるでしょう。もしかしたら、戦場でのコーヒーの代替品になるかもしれませんね」

 

 しかし私は第一王子派筆頭、フェアニッヒ辺境伯家の子。別に隠している事でもないので、殿下に例のチョコレートの感想を伝える。新技術で加工される以前のチョコレートは滋養強壮の薬としても扱われていたので、私もよく知っている。

 

「そうか、フェアニッヒではそちらの視点で考えるのか」

 

「軍事的利用を考えるのは職業病ですね…従来のチョコレートは苦味が強く、薬としても利用されていましたが、あれは完全に嗜好品用に加工されていますので、婦人方からの人気も強くなるでしょう」

 

 私の解説を聞いた殿下は、少しだけ考え込む素振りを見せる。この後の展開は…ほぼ察している。もはや諌める気にもなれない。

 

「…よし、私たちも飲みに行こうか?」

 

「殿下…はぁ、分かりましたよ。一杯だけですからね?」

 

 殿下と共に、音を立てずに生徒会室へと入っていく。ところで、殿下は何故こんなにも気配を殺すのが上手いのだろうか。もしかしたら暗殺者としてもやっていけるんじゃないか?

 

 私と殿下がシリルの背後に立てば、当然シリルと向かい合って座っているモニカの目に映る。

 

「一つ言っておくが、今日のことは殿下には黙っているように。特にこのチョコレートのことは…」

 

「あ、あの、アシュリー様…」

 

 モニカは私たちとシリルを交互に見ながら、恐る恐る口を開く。どうやらシリルも、このチョコレートについては後ろめたく感じているらしい。

 

「なんだ」

 

「…殿下が、その」

 

「殿下がどうした」

 

「…後ろ、に」

 

 モニカの言葉を聞いたシリルは一瞬動きを止め、ゆっくりとこちらへ振り返る。まず私と目が合い…恐る恐るといった様子で視線を上げれば、その背後にいる殿下とも目が合う。

 

「でっ、でで、でん、殿下っ!」

 

「そのフレーズ、ノートン嬢以外から聞く日がくるとは思わなかったなぁ」

 

「あ、いえ、その、これは…その…」

 

 まるでモニカのように喋るシリルを横目に、私に視線を向けないようにあっちこっちへと視線を彷徨わせるモニカを見る。もうちょっと自然に行動できないのか…いや、モニカに対してこの要望は過ぎた物だったか。

 

「…どうも」

 

「あっはい、どっ、どど、どうも…」

 

 一度モニカへと声を掛けて、言外に「落ち着け」と諭せば、モニカは多少は落ち着いたようで、しゅんとチョコレートの入ったカップへと視線を落とす。

 

 背後では殿下とシリルが会話をしている。殿下はシリルにチョコレートを強請り、シリルは殿下にチョコレートを振る舞うべく、大きな声で返事をしてから部屋を早足で出ていく。

 

「そんなに気を遣わなくて良いのに。だよね、レノ」

 

「まあ、ただの嗜好品一つで右往左往するのは大袈裟に見えますね」

 

 ランドールの技術が使われていると言っても、所詮は嗜好品だ。禁制の品でも無いのならそう大袈裟に扱う必要もないだろうに、貴族はこれ一つで派閥だなんだと騒ぎ立てるのだ。

 

「あ、あの…このチョコレートは、の、飲んではいけない物、なのですか?」

 

「いや?そんなことはないよ。うちの国の貴族達の間で最近流行しているしね」

 

 世情に疎いモニカに、殿下は懇切丁寧にこのチョコレートを巡る第一王子派と第二王子派の確執を説明する。

 改めて考えても…このコップ一杯で派閥が別れるなんて、私からするとアホらしく見える。社交界とはそういう物だ、何て言われてもこればかりは納得いかないな。

 

「…王族って、大変なんですね」

 

「あぁ、全く」

 

 モニカにチョコレートに関する事情を説明し終えた殿下は、モニカの手からカップを抜き取り口を付ける。

 …まあ、確かに、他人が口を付けた物なら毒がないので、遠慮無く飲めるのは分かる。しかし、それにしたって行儀が悪くないか。

 

「殿下…護衛云々以前に、お行儀が悪いですよ」

 

「ごめんごめん、我慢できなくてね。でもこれなら安全性は確保されているだろう?」

 

 今の殿下の行動は、もしもモニカや私がそこらの貴族令嬢であればキャアキャア騒ぎ立てる場面なのだろうが…生憎二人ともそちらの方面(色恋)に疎い人間だ。なのでモニカはただただ殿下の様子を伺い、私はそのお行儀に対して注意するだけだ。

 

 私が諌めたからなのか、殿下は渋々とモニカにカップを返し、席に着いてシリルを待つ。

 

「殿下、お待たせしました!」

 

 そう言いながらシリルは二つのカップに入ったチョコレートをテーブルへと置く…二つ?

 テーブルの上にはモニカのカップ、シリルのカップ、そして新たに二つのカップが置かれている。一つは殿下の物だろう。つまりこれは…

 

「…これは?」

 

「魔剣姫様の分ですが…いえ、失礼しました。業務中の騎士にこのような…」

 

 予想通り私の為に淹れてくれたらしい。しかし、業務中にこのような嗜好品を飲むのは憚られるな。だがシリルの好意を無下にしたくもない。こういう時は…

 殿下に対してアイコンタクトを送れば、小さく頷いて返事を返してくれる。

 

「いや、いいよシリル。レノ、同席してくれるかい?」

 

「わかりました。ですがその前に仕事をしなければいけませんね」

 

 気を利かせてくれた殿下には悪いが、私にはまだやらなくてはならない事がある。

 匙を一つ手に取り、殿下の前に置かれたチョコレートを掬い取る。匂いに問題は無さそうだ。そのまま匙に付いたチョコレートを口に含む。味にも問題はないな、美味しいチョコレートだ。

 そんな私の行動を見た殿下は、大袈裟にため息を吐く。

 

「レノ、流石に用心深すぎだよ」

 

「チョコレートを飲むだけで派閥が割れるのに、どうして行動一つで評価が割れないと言い切れるのでしょうか?」

 

 これを出したシリルに毒見役を任せても良かったが…残念な事に、私は仕事中の騎士。こちらで用意した毒見役がいないのであれば、私自身がその仕事を務めるしか無い。

 

「殿下、私は問題ありません。魔剣姫様の言う通り、彼女は彼女の立場を守る為の行動をしているのですから…」

 

「それと、殿下の命を守る為ですね。第一王子派だからと言って仕事をサボっている訳では無いという格好が大事ですからね。と言う事で殿下、一分後ですよ」

 

 遅効性の毒の事も考えれば、一分は毒見にかける時間としては短いが…毒見に十分な時間を掛けていれば飲み物も冷めるし、殿下に愚痴を言われかねない。なので妥協して一分だ。

 側から見ても大袈裟に見えなくもないこの行為は、ついこの間の騒動で飲み物に毒物が混ぜられていたからだ。そんな事件があった手前、殿下が口をつける物に対して毒見を抜くのは有り得ないだろう。

 

 殿下は何処となく悲しそうな顔をしている。一分のお預けは殿下でも中々に効くらしい。私と殿下を交互に見たモニカは、同情するような表情を見せながら口をひらく。

 

「…護衛も、大変なんですね」

 

「ええ、全く」

 

 モニカは先程殿下に掛けたような言葉を私にも呟いた。本当に、護衛とは大変なのだ。

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