モニカと話したあの日から数日後。モニカは最近、少しだけ明るくなったように見える。あの日の会話は彼女を良い方向に導けたのかもしれない。
一人で抱え込む癖のある私が言うのもなんだが…悩みという物は、吐き出すだけでも軽くなる物だ。今のモニカの立場なら尚更だろう。
何はともあれ、今日も今日とて私は放課後にモニカの護衛をしなければならないので、授業が終わったらすぐに生徒会室前にて待機する。
しかし…私が生徒会室で殿下に挨拶をしてしばらく経つが、モニカが来ない。
何かトラブルがあったのではないかと思い様子を見に行くか考えていると…廊下の向こうからエリオットと共に歩いてくるのが見えた。随分と珍しい組み合わせだ。
「どうも。ノートン先輩、ハワード先輩。お二人が一緒に来るのは珍しいですね?」
「こっ、こんにちは、グロスシュヴェルトさん」
「どうも、グロスシュヴェルト嬢。そういえば今は、子リスの子守りをしてるんだったか」
そう呟いたエリオットは一瞬だけ考える素振りをしてから、私に向かって話しかけてきた。
「グロスシュヴェルト嬢。今からする話はお前にも関係があるから、同席してくれ」
「わかりました、ハワード先輩」
何やら私も関係する話があるとのことだが…警備関連だろうか。それにしたって本来ならば、今の一生徒でしかない私と話し合うべきではない内容だが。
エリオットの先導でモニカと共に生徒会室へ入れば、一人寂しく書類と向き合っていた殿下がこちらを見る。他のメンバーは外で業務中だ。
殿下は私の姿を見るなり、佇まいを直して真面目な表情になったが…何か大事件が起きたとでも考えているのだろうか。
「やあ、エリオット、モニカ。レノを連れてるって事は、何かあったのかな?」
「いや、今回はそういう訳じゃない。こっちの都合で同席してくれた方が良いって判断したから連れてきた」
エリオットの言葉を聞いた殿下は、一呼吸ついてから改めてモニカとエリオットの姿を交互に見る。
「ふむ…もしかして、チェス大会の件かな?」
「ああ。俺と子リスが選手に選ばれた」
「ノートン先輩がチェス大会の代表選手に?」
「ひゃ、ひゃい…」
モニカが、チェス大会の代表選手…かなり意外だ。モニカが選択授業にチェスを選んだこともそうだし、代表選手に選ばれるほどの腕を持つのも意外だ。
しかし、チェス大会か…今の今までそういう催しがあるという事を忘れていたな。
ここ最近はずっと忙しかったし、目先の学祭にばかり気を取られていたのも原因だろう。
今後の警備について考え、思わず顔を顰めた私を見たエリオットが、何かを言いたそうにしているのが視界に入る。
「おいおい、グロスシュヴェルト嬢。そこまで難しく考えなくても良いだろ?」
「チェス大会は相手の身元が保証されているとは言え、部外者が校内に入ってくる催しですからね。警戒しない訳にはいかないんです」
チェス大会は学祭の直前に行われ、セレンディアと院とミネルヴァの三校の交流会として扱われている。
可能性は低いとはいえ、他校から殿下の命を狙う刺客が送られる可能性もあるのだ。警戒するに越したことはない。
しかし、当の殿下も私の態度に思う所があるようだ。
「レノ、すこし気を張り詰めすぎじゃないかな?」
「ノートン先輩のトラブル体質を見て同じ事を言えますか?」
「と、トラブル体質…」
モニカの立場上、必然的にそうなるのは仕方がないのだろうが…彼女はここ最近、騒動の中心にいる事が多い。
螺炎の件は、ただ仕事をしただけなので何も言う事はない。むしろよくやったと褒められて然るべきだ。
しかし、生徒会に入ったのだって不思議なのに…毒殺未遂に関しては本当に、なんでそうなったのか私も問い質したいくらいだ。
「まあ、子リスのトラブル体質はともかく、当日は警備も相応に強化されるし、何か起きてもグロスシュヴェルト嬢が警戒しなくても警備員がなんとかするだろ。むしろそうするべきだな」
「そもそもトラブルが起こると決まっている訳でもないしね。気楽に構えていて欲しいな」
「そうであればいいんですがね…」
ちょっと前に殿下が暗殺されそうになった以上は警戒しない訳にもいかないが…この二人はその件を知らないので非常に楽観的だ。
モニカは…私が視線を向けたら、そっぽを向いてしまった。まあ、こんな話をされても反応に困るか。
「それにしても、今年も生徒会役員から二名選出されるなんて、嬉しい限りだ。学園の代表として頑張っておくれ。チェス大会までは、仕事の配分を少し減らしておくから」
「あ、ありがとう、ござい、まふ」
ともかく、当日の防犯は学園の警備に任せて私は殿下の護衛に回るとしよう。
堅苦しい話は切り上げて、私は会話の中で気になった事を殿下に聞いてみる。
「ところで、『今年も』と言う事は、去年も生徒会から二人が代表になったのですか?」
「殿下とメイウッド総務だ。ちなみに殿下が中堅で、大将がメイウッド総務な」
「……えっ」
殿下の答えが意外だったのか、モニカが気の抜けた声を漏らす。
しかし…殿下を差し置いてあの気弱そうなニールが大将か。確かに殿下は身分よりも実力を尊重しそうだが、それにしたって殿下が弱いとも思えない。
「メイウッド先輩が大将ですか…少し意外ですね。それ程までに強いのですか?」
「ああ、彼は強いよ。とてもね」
「一目見ればわかるが、メイウッド総務の攻めは容赦がないんだよな」
確認の為に質問をすれば…殿下のみならず、エリオットまでもがニールの腕前を認めた。彼はチェスにおいて凄まじい腕前を持つらしい。
「ところで、子リスはエリオットから見てどれぐらい強いんだい?」
「なかなかえげつないぜ。まだ三回しかやったことがない初心者のくせに、俺はステイルメイトに持ち込まれた」
エリオット評では、モニカも相当強いらしい。それもたった三回の経験でそう言わしめたのだから、まだまだ強くなる可能性もあるのだろう。やはりモニカは天才だ。
「レノはチェスの経験はあるのかな?」
「ええ、まあ、一応は。全然強くはないですが」
私はフェアニッヒの人間として、最低限の兵法を学んではいるが…残念ながら将としての才は平凡な物だ。チェスの腕もまた然り。
そもそも私が十年に一人とも呼べる指揮官の才を持っていたとしても、それ以上に剣の腕が突出しているのだ。戦場にも依るが、一万の軍と私一人が釣り合う可能性すらある程度には、私は最強だ。
私が指揮官として腕を振るう場面は、この先の人生でも片手で数える程度しか来ないだろう…というか、そんな場面が来たとしてもさっさと私自ら突っ込んで解決した方が早いし、被害も少なく済む。私はどう足掻いても最強の騎士ということだ。
「よし、私と対局してみないかい?チェス大会に出るのなら、いろんな相手と勝負しておいて損は無いだろう?」
「いい、い、いえっ、いいえっ。でっ、でっ、殿下の、お仕事の、お、お邪魔を、する、わけ、にはっ」
「すごい拒絶ですね。ここまで酷い発作は初めて見ますよ」
「そうか?初めて生徒会に来た時はこんなもんだった気がするけどな」
エリオットの発言に対して、内心で「そうだろうな」と呟く。編入して一ヶ月そこらの時点でモニカの人見知りが治っているとは考えられなかったからだ。
「ちょうど今は暇なんだ。そうだな…君が私に勝ったら、なんでも一つおねだりを聞いてあげよう」
「殿下…」
王族の「なんでも」は途轍もなく重い言葉だと言うのを、殿下は理解しているのだろうか。それともモニカを舐めているだけか…揶揄っているという線もあるか。
殿下は本気でモニカをペットの如く扱っている。子リスという呼び方からもそれが伺えるが、はっきり言って趣味が悪いと思っている。
こんな気弱で実家での立ち位置も悪い少女を捕まえてペット扱い…そのうちあらぬ噂も立てられかねないぞ。
「ほ、本当に、なんでも、いいん、ですか?」
「ああ、勿論…せっかくだし、棋譜も録ってみるかい?」
「丁度こっちに白紙があるし、これに録るか」
モニカは殿下に何かしら強請りたい事があるようで、意外なことに随分と乗り気だ。
トチ狂って「古代魔導具を見てみたい」とか「アスカルド大図書館の禁書庫に行きたい」なんて言わない限りは自由にしてもらって良いが…なんだかんだで知識欲旺盛なモニカならギリギリねだるかも知れないラインなのが恐ろしいな。
「チェックメイト、です」
殿下とモニカの対局は、意外なほどに早くあっさりと終わった。
結果は…殿下の惨敗だ。私の想定以上にモニカの棋力が高かった。
「手を抜きすぎましたね、殿下。ボロ負けも良い所じゃないですか」
「…手を抜いたつもりはないんだけどね?」
どうだか。要領の良い殿下ならばもう少しは粘れたとは思うのだが…まあ、モニカもまだ三戦しかやった事がないと言っていたし、舐めていたという事にしておこう。
それよりも気になるのはエリオットの反応だ。彼はこの結果が想定外だとでも言わんばかりの表情をしている。
「…フェリクスが少し手を抜いた抜いてないってのは別に良い。まだ三回しかやってないって教えたのは俺だからな……だが、やっと気づいたぜ、ノートン嬢。昼の俺との勝負…手加減してたな?」
「い、いいいえっ、わたし、手加減なんて、してませんっ!」
エリオットの発言からして、モニカはもっと弱かったらしい。
しかしモニカが勝負事で手加減をするなんて、そんな器用な真似が出来るとも思えない。個人的には、前の戦いで何かしらのコツを掴んだから見違えるほど強くなったのだと思うが…
「ステイルメイトになるように、全力でやりました!」
……確かにそれは、手加減とは言わないかも知れないが、それは相手を舐めてないとやれない行為だ。普通に侮辱行為だし、マナー的にも大変よろしくないだろう。
「やっぱり最初っから引き分け狙ってたんだな…知ってるか? それを世間では手加減って、言・う・ん・だ・よ」
「ステイルメイトになるパターンの検証がしたかったんですぅぅぅ…」
「それでオレを実験台にしたわけか。もう怒ったぞ。ボイド先生に言いつけて、大将と先鋒を交換してやる」
「いやぁぁぁぁぁ、ごめんなひゃいいぃぃぃぃ!」
エリオットがモニカの舐め腐った行為に対して頬をこねくり回して抗議している間に、私は殿下に対して釘を刺す。
「…吐いた唾は飲めませんよ、殿下」
「そんな真似をする気はないよ。子リスの実力が想定以上だったのは認めるけどね」
流石にモニカも無理難題を押し付ける事はないと思うが…『自分基準』でそこそこのお願いをする可能性はある。いざとなったら私がうまく誤魔化さなければいけないな。
「ハワード書記、それぐらいにしてあげておくれ。子リスの頬袋が伸びてしまう。それで、子リスは私に何をおねだりしたいのかな?」
「な、なんでも、いいんです、よね?」
「あぁ、勿論」
モニカが念押しをする様を見て、私は少しだけ緊張してしまう。モニカの口から無理難題が飛び出しやしないかと冷や冷やしてしまう。
「子リスって、呼ぶの、やめて、ほしい、ですっ」
……まあ、とんでもない無茶振りでは無かったな。殿下はとても不満そうではあるが。
「なんともまぁ、無欲ですね」
「…わぁ、本当によく伸びる。うん、これはちょっと癖になりそうだね」
「いひゃいっ、いひゃいれふぅ!」
「あぁ、ごめんね、モニカ」
殿下は自らの不満を表すべく、モニカの頬を引っ張る。
普段のモニカの生活からは考えられないほどに柔らかそうな頬だ。学生生活に入ってから少し肥えたのだろうか。
「い、いま…えっ、あの…」
「うん、どうしたんだい、モニカ?」
殿下の八つ当たりから解放されたモニカが戸惑うような声をあげる。
「あ、ああああ、あの、せ、せめて、他の皆さんのように、ノートン嬢とか、ノートン会計とか…」
「君の要望は子リス呼びをやめてほしいということだろう? 新しい呼び方について、特に指定はなかったはずだ」
う〜ん、なんとも知り合いのチンピラ七賢人が言いそうな屁理屈だ。モニカは悪い大人に騙されてしまったらしい。
「ノートン先輩、世にはこういった悪い人間も多いので、契約はきちんと条件を厳密に決めるようにした方がいいですよ」
「レノ、それは流石に酷くないかい?」
モニカの今後の為にも、これからは契約条件を厳密に決めるように忠告する。
なんせモニカは七賢人だ。下手に騙されて利用されようものなら、国に大損害を与えかねない存在でもある。本当に、契約事に関してはもっと慎重になってほしいものだ。
「殿下はこんな幼気な少女を良いように弄んで、さぞかし楽しいんでしょうね」
「おい、グロスシュヴェルト嬢。いくらノートン嬢が気弱でチョロそうでも、先輩を捕まえて『幼気』なんて言わない方がいいぞ」
「ねえエリオット、私に対する言葉遣いは注意してくれないのかい?」
殿下の遊びの趣味が悪いのは、今までの行動からも分かってはいた。しかし今回のは…あまりにも性格が悪すぎる。モニカが可哀想だ。
しかし私からはこれ以上何も言えない。所詮は王家の下に就く騎士の身、余程の事がない限りは王族に対して強い言葉も使えないのだ。精々が嫌味を言う程度だ。
「ま、これでノートン嬢の実力はわかったろ?」
「ああ、これは確かに代表選手に選ばれても不思議じゃない腕前だ」
モニカの実力は前回の大会に出た殿下も納得の腕前だったらしい。あれほど一方的に蹂躙されたら認めない訳にもいかないだろう。私から見てもモニカのチェスの腕前は十二分にあるように見える。
しかし学祭が目の前まで迫るこの時期に、生徒会のメンバーが二人も抜けるのは大丈夫なのだろうか。
「さてと…この時期に生徒会役員が二人抜けると少し忙しくなるね?」
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいぃぃ…」
「落ち着け子リス、殿下の目を見てみろ。あれは完全に獲物を捕まえようとする目だ」
殿下の発言に対してモニカは萎縮してしまっているが…当の発言者の視線は私に注がれている。
…数秒の沈黙が生徒会室を支配する。殿下の視線は「察しろ」と言わんばかりだ。
「……嫌ですよ?」
「短期のちょっとしたお手伝いでもかい?」
短期のちょっとしたお手伝いでも嫌だ。そもそもこの議論はかなり前にやっただろうに…まだ殿下は私を生徒会に置く事を諦めていないのか。
「殿下…貴方には、自分と私の立場を考えて欲しいのですが」
「私はそんな些細な事は気にしないよ?」
「貴方はそうでしょうね…周りですよ。ま・わ・り」
既に騎士として動いた『前科』がある私が、さらに生徒会の一員となれば…その席が権力の無い物だとしても、かなり目立つだろう。
セレンディア学園は社交界の延長線上で、社交界は出る杭は入念に打たれるような場所だ。そんな場所で目立っても碌な事にはならないだろう。
「俺から見れば、今更って感じもするけどなぁ」
「それは……まあ、そうですが。それでもこの一線は、かなり違った意味合いに取られますよ」
「それもそうだけどなぁ…」
エリオットの言葉も尤もだが…それでも問題は山のようにある。
例えば、王位継承に対する我が家の立場とか、学園内での私の立場とか…この二つだけでもややこしいのに、更に問題を増やしたくない。
殿下の視線に私が断固とした拒否の意思を示していると、生徒会室の扉が叩かれた。どうやら生徒会役員の誰かが帰ってきたらしい。
「ただいま戻りました…グロスシュヴェルト嬢?貴様が生徒会室にいるとは、何かあったのか?」
「いえ、特に事件があった訳ではありません。今後の予定についての話です」
「俺と子リスがチェス大会の選抜選手に選ばれたから、その件で少しな」
部屋に入ってきたのはシリル・アシュリーだった。彼は私を見るなり少しだけ身構える格好を見せた。これが生徒会における現在の私の印象だ。生徒会に私がいる=何かしら事件が起こった、と捉えられるのだ。
「なるほど…しかし、ノートン嬢がか。少し意外だな」
「私が手も足も出なかった程度には強いよ。これは今年のチェス大会も期待できる」
「殿下が…?それは、本当なのですか?」
「ああ、ついさっきボロクソに負けたところだぜ。ほら、棋譜だ」
とりあえず、シリルの登場によって殿下の熱烈な勧誘の視線は途切れた。シリルにお礼を言いたいところだが…急に言っても混乱させるだけだろうし、心の中で留めておこう。
「これ、は…」
「圧勝だろ。子リスは俺よりも強いぞ。相手になるのはメイウッド総務くらいだろうな」
モニカと殿下の棋譜を見たシリルが目を丸くする。シリルは殿下をかなり崇拝しているし、チェスでモニカが勝ったのが意外なのだろう。
「そうか…ノートン会計、期待しているぞ」
「ひゃ、ひゃいっ!」
シリルはモニカに対してそれだけ言うと、私の方へと振り返る。
「ところで、グロスシュヴェルト嬢はチェス大会の警備について話していたのか?」
「いえ、現在の私は一生徒でしかないので当日の警備は学園側に任せる事になります。私が呼ばれた理由はノートン先輩の護衛を任されているからでしょう」
「ああ、グロスシュヴェルト嬢の言う通りだ。なんてったって彼女は子リスの子守りを任されてるからな」
子守りと言われたモニカは「あうぅ…」と情けない声を出す。まあ、私がモニカの護衛を任された時は完全に子守りを任せるような形だったし、それに関して私が何かを言う事はない。
「ですが、大会当日は殿下の近くに居ようと思います。選手の真横に陣取るのもどうかと思いますから」
「ああ、それが良いね。当日は私も観戦するし、横に居てくれたら有事の際にも素早く指示が出せるだろう」
なんだかんだ脱線し続けていた私の話も、これでようやく終わりだ。
大会当日は殿下の横で立っているだけの簡単なお仕事…の筈だ。早々トラブルなんて無いとは思いたいが、それは当日になってみなければ分からない。
「殿下、後でチェス大会の予定表をください」
「生徒会の動きと警備の配置…あとは他校から来る客人の名簿だね?」
「はい、それで大丈夫です」
当日の私の仕事は殿下の護衛だ。来賓者数や会場の規模、生徒会役員の当日の動きを聞いて、それに合わせた行動指針を立てれば良い。
学園の警備に関しては…目立った穴がなければ口出しをする必要もないだろう。
「…これで生徒会役員じゃないってんだから、世の中わからないよなぁ」
「だよね。だからもういっそのこと生徒会に入った方がいいと思うんだけどね」
「いーやーでーすー。仕事を増やされても困るんですよ、こっちは」
ただでさえ有事の際には誰よりも忙しくなる立場だと言うのに、平時にも仕事を詰め込まれては敵わない。
モニカの補助という面で見れば良いのかも知れないが、生徒会に縛られない立場で居る方が利点も多いように思える。なので私は今後も生徒会に所属する気はない。
「悪いようにはしないんだけどね…なんなら副生徒会長の席をあげようか?まだ一つ空いているし」
「本当にふざけないでください、殿下…」
「殿下、流石にそれは…」
そこまで行ったら出る杭どころじゃなくなるし、クロックフォード公爵にバレたらそれはもう面倒な事になりそうだ。本当にふざけるのも大概にしてほしい。シリルも諫言するくらいには面倒な事になる事はわかるだろうに。
「…なあ、フェリクス。お前、なんでグロスシュヴェルト嬢にそこまで拘ってるんだ?」
ふと、エリオットが投げかけた質問は、今の状況に対する純粋な疑問だった。
冷静に考えれば、殿下が私に執着する理由が思い浮かばない。単純に使える手駒を増やしたいからと言うには、私の立場は第二王子派にとってあまりに不都合な物だ。
となると…本当の目的は、自分の近くに置く事によって影で動かれないようにする為か?それにしたって少し強引すぎる気もするが…読めないな。
「いくつか理由はあるけれど…一番の理由は『使えると思ったから』かな」
「使える、ねぇ…」
純粋な人材として起用するにしても、私以上に面倒な立場の人間は居ない。
その上現在は生徒会も人手が足りなくて困っているという訳でもない。『使えると思ったから』で採用するには殿下にとってもリスクが大きすぎるはず。
それはこの場にいる全員…モニカを除いた全員の共通認識の筈だ。そも、クロックフォードとフェアニッヒの溝は殿下の一存で埋められるほど浅くも単純でも無い。
殿下が私を
今のセレンディア学園には第一王子派の生徒は少ないが、ゼロでは無い。彼らを通じてこの件が外に漏れたら、子供の政治ごっこでは済まなくなる影響力がフェアニッヒ辺境伯家にはある。
その上私はワンマンとは言え、一つの騎士団を率いる立場の人間だ。私個人の影響力も強いので、家の格を抜きにしてもそこそこの影響力がある。
一番の問題は…好戦派閥のクロックフォード公爵が、絶大な武力を持つ人間を迎え入れたと捉えられる点だろう。これは彼らにとって強い追い風となる。
その点を踏まえると、私は断固として生徒会入りを拒否しなくてはならない。私がクロックフォードの肩を持てば、それだけで王位継承に大きく影響する可能性もある。
しかし、それが目的なら明確に対立している立場の私でなくとも良い筈だ。なんならもっと都合のいい人間が居る。
ケルベック伯爵令嬢、イザベル・ノートン。彼女の家は東部一の軍事力を持つ家で、戦時に前線になるであろう東部の貴族たちを束ねる役割も持っている。
いくら屈強なフェアニッヒ辺境伯家とて、北部の一貴族に過ぎない。戦争を見据えて味方を作るのならば、中立派のケルベック伯爵家の方が圧倒的に利点が多く不都合も少ない筈。ますます私に拘る理由がわからないな。
…本当に、私が面倒くさい立場に居るのがよくわかる。クロックフォード公爵の方針からして、殿下が私か
もしかしたら、モニカを引き込んだのもその一環かもしれないが…彼女はケルベック伯爵家において良い扱いではない。引き込んだところで王位継承には然程影響を及ぼせない。
「…私の心情を抜きに考えても、私の生徒会入りは多方面に影響が及ぶでしょう。そんなリスクを負ってまで、殿下は私を生徒会に入れたいのですか?」
「そうだね。それくらいの魅力が、君にはあるよ」
殿下の口説き文句に、思わず顔を顰めてしまう。真意こそ分からないが、確かに私を引き込む利点もかなり大きいだろう。
しかし、間違いなく学園内外問わず、そこそこ大きな騒動が起きる事は目に見えている。なんならブライト伯爵家のような『強硬手段』に出る家も多く発生するかもしれない。
重苦しくじっとりとした沈黙が生徒会室に満ちる。ここで私が下手な事を言えば、この国の未来に大きな影響が齎されるからだ。
いつの間にかエリオットの顔からはいつもの余裕が消えているし、シリルも真剣な眼差しで私を見る。モニカは…よく分かっていないのか、あたふたと私と殿下の顔を交互に見るだけだ。
「ただいま戻りまし…た……」
「……これは、どういう状況なのですか」
そんな緊張感に満ちた沈黙を破ったのは、仕事から戻ってきたニールとブリジットだった。
扉を開けたニールは、室内に入らず一歩後退る。いきなりこの光景を見せられても困惑しかないだろう。
再び、部屋に沈黙が戻ろうとしたその時、それを払うかのようにエリオットが手を挙げる。
「あー…とりあえず、仕事に戻らないか?別にここでこの国の行く末を決める必要は無いだろ?」
「く、国の行く末って…何が起きてたんですか?」
「この状況から見るに、第一王子派と第二王子派の睨み合いでしょう。大方、フェリクス殿下がグロスシュヴェルトさんを強引に勧誘したのでしょう?」
戸惑うニールを他所に、ブリジットは淡々とこの状況について推察しながら自分の席に着く。
殿下はそんなブリジットの言葉を聞いて、苦笑いを浮かべた。
「強引になんて、人聞きの悪い事を言わないでくれ。私はレノの意見を尊重するよ?」
「であれば、しつこい勧誘は控えていただきたいですね」
とりあえず、私は何があろうとも生徒会に入る気はない。生徒会に入るにはあまりにも大きく動きすぎたからだ。
せめてモニカが毒を盛られた一件さえなければ、まだ言い訳は立ったかもしれないが…過ぎた話だ。
「それでは、私はいつも通り生徒会室の外で待機させていただきます」
「ああ、引き留めて済まなかった。例の資料は帰りに渡すよ」
これ以上ここにいれば業務の邪魔にもなるだろう。生徒会も今は忙しいだろうし、私はここらで退散しよう。
生徒会の業務が終わり、日も沈んだ頃…フェリクスは寮の自室の窓際で、白蜥蜴を前にチェス盤を眺める。
「…殿下、何故あそこまで魔剣姫に拘るのですか?」
「ウィル、君は彼女についてどれくらい知っている?」
「…単騎で赤竜を討伐できる力を持つ第一王子派、程度です。流石にそれが本当だとは思えませんが…」
ウィルの返答にフェリクスは「そうだね」と呟きながらくつくつと笑い声を漏らす。
「彼女に限らず、フェアニッヒ辺境伯家の人間は一度目標を定めたら、必要とあれば規則を破ってでも目的を果たすんだ。そして何よりも…」
そこまで言ってからフェリクスは一度眼を閉じ、数秒溜めてから再び口を開く。
「彼女には盤面を壊す力がある。僕の味方に引き込めれば、この後の立ち回りもかなり楽になったと思うんだけど…あの様子じゃ流石に無理そうだ」
「彼女が乗り気では無い事もそうですが、何よりも立場が許さないでしょう」
「ああ、その通りだよウィル…本当に、ノルン伯爵令嬢が馬鹿な真似をしなければ可能性はあったと思うんだけどね」
そう言いながら苦笑いを浮かべるフェリクスを見たウィルも、蜥蜴の身体ながらにため息を吐くような仕草を見せる。契約精霊の中では非常に常識のあるウィルから見ても、ノルン伯爵令嬢の愚行は理解の及ぶ物ではなかったからだ。
「過ぎた事を悔いても仕方がない。この先は彼女に拘るのもやめるとしよう…もちろん、利用できるならとことんまで使うつもりではあるけどね」
フェリクスはチェス盤から目を離し、星の浮かぶ夜空を眺めながら呟いた。