最強騎士の優雅なる学園生活   作:ピグリツィア

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何が何だかわからないが、なんか凄く凄いチェス

 チェス大会まで残り数日、学祭も目前に迫る今日この頃。セレンディアは学祭に向けての追い込みで、放課後も忙しなく活動する生徒たちの姿が伺える。

 

 そんな中、私は今日もチェスに明け暮れるモニカの付き添いで彼女のクラスまで迎えに来たが…今日のモニカはやけに挙動不審だ。

 モニカは私を見つけるなり、周囲を見回してからぽてぽてと全く速くない早足で近づいてくる。一応いつものモニカの歩行速度よりは早いので、本人にとっては早足なのだろう。

 今にも泣きそうなモニカの表情から察するに、相当面倒な事態が発生したのかもしれない。それも、モニカ単独ではどうしようもない問題だろう。

 

「れ、れれ……ぐ、グロスシュヴェルト、さん…」

 

「何でしょうか、ノートン先輩」

 

「じじ、じ、実は…チェス大会で、問題が…」

 

 モニカの発言を聞き、私は脳内で自身の持っている情報を精査する。モニカが解決できず、大事になるような問題の種は思い浮かばないが…

 

「何があったのですか?」

 

「ちぇ、チェス大会って、み、ミネルヴァが…」

 

 モニカは動揺のあまり吃っているが、おそらくチェス大会にミネルヴァの生徒が参加する事を伝えたいのだろう。なるほどそれは一大事だ。確かにミネルヴァには彼女の顔見知りもいるかもしれないな。

 

 ……まさか、今の今までそれも知らずにチェス大会に出るつもりだったのか?

 

「……今更それを知ったのですか?」

 

「う、うえぇぇ…」

 

 本当に知らなかったようだ…おい護衛。頼むから簡単な情報収集くらいは常にやってくれ。

 チェス大会は生徒会の仕事こそ多く無いものの、殿下が外部の人間と接する機会でもある。護衛なら客人の所属や素性を軽くでも良いから調べるべきだろうに…

 

 とりあえず、今は目先の問題に対処しなくてはならない。この様子だと碌な対策一つ取れていない筈だし、今からでもできる作戦を一つは練っておきたい。

 周囲に人が居ない事を確認してから、モニカに耳打ちするように囁く。

 

「…ルイスへの報告は?」

 

「ちぇ、チェス大会に出ることは報告してます…で、でも、ミネルヴァの人が来る事は…」

 

 流石のルイスといえども、モニカから知らされなければチェス大会の仔細も分からないはず。今からルイスを頼るのは不可能だろう。

 

「今回の件では流石に紫煙の魔術師を当てには出来ないだろうし、モニカに他の伝手は無い…ふむ……」

 

 モニカは人前に出るのが大の苦手だが、それでもミネルヴァ在学中に七賢人入りして飛び級で卒業した。モニカの顔を知っている人間は居なくは無いだろうし、そいつにぽろっとモニカの正体を口にされたらそれだけでおしまいだ。

 幸いな事に、ミネルヴァからチェス大会に来る人数は多く無い。モニカの人望の無さに期待して、一先ず教師にだけ警戒するか。

 

「ユージン・ピットマンという名前に聞き覚えは?」

 

「い、いえ…分かりません…多分、私が卒業した後に赴任した方だと…」

 

「彼はチェス倶楽部の顧問です。今回セレンディアに来る教師は彼だけですから、それだけ注意して立ち回ってください」

 

「あ、あの…他の、生徒とかは…」

 

 私の指示を聞いたモニカは、ミネルヴァの生徒に自分の正体がバレる危険性について懸念しているらしい。まあ、その気持ちも分からなくはない。

 

「モニカが『ミネルヴァにお友達が数十人も居る』と言うのなら対策も考えましたが、そうでも無いなら警戒するだけの手間を割く余裕はありませんからね。取捨選択です」

 

「あ、あうぅ…」

 

 モニカの性格からして、生徒どころか教師陣との交流すらも最低限で済ませている筈だ。数百人は居るミネルヴァの生徒の内三人しかセレンディアに来ない上に、チェスに現を抜かすような人間がモニカの顔を知っているとは思えない。

 

 チェス大会まで二日も無い以上、今の私たちが使える手は多くない。それでもあっちもこっちもと手を伸ばせば、必ずどこかに綻びが生まれる。だから今回は予め教師にのみ警戒して、その他はアドリブで対処するつもりだ。

 モニカがアドリブに強くないであろう点は…もう諦めるしかない。そこは適宜私がカバーするしかないのだが…問題は、私はチェス大会当日殿下の側に居る必要があるという点か。

 

「チェス大会当日は、私がモニカの側に居られる時間は殆どありません。万が一顔見知りがいた場合は、モニカ自身でどうにかして貰わなければなりません」

 

「は、はい…」

 

「もしも、自分で何とかやり過ごせる自信が無いと言うのなら…病欠も視野に入れてください」

 

 今回のチェス大会は、本来ならば参加しなくても問題ない行事だ。そんな行事にモニカの正体が露呈する危険を抱えてまで参加する理由は無い。

 今から馬鹿正直に『やっぱり出たくないです』なんて言うのは少し不自然かもしれないが…それでも正体がバレるよりはマシだろう。

 

「そ、れは…いや、です…」

 

 ところが、モニカは私の提案に対してはっきりと拒絶の意思を示してきた。

 多少なりともモニカを知る私もこれには驚かされた。提案を拒絶されたことではなく、拒絶の意思をはっきりと示したことに対してだ。

 

「モニカが学問以外で自分の意見を言うのは珍しいですね?まあ、それならそれで構いません。ただ私を頼れない事だけは頭に入れておいてください」

 

「わ、わかりました…」

 

 とりあえず、モニカがどうしてもチェス大会に参加したいと言うのであれば止めはしない。止めはしないが、正体がバレないように努力をしてくれる事を祈ろう。

 

 


 

 

 そんなこんなで、碌に対策も取れないままチェス大会当日となった。モニカは友人に呼び出されているらしく、まだ集合場所に来ていない。

 

 モニカは変わらずチェス大会に参加するつもりらしいが…やはり、正体がバレないか不安が残る。

 モニカの任務の事を第一に考えるならば、強引にでも大会への参加を辞退させるべきだったのだろうが…私は出来る限りモニカの意思を尊重したかった。

 今になって辞退させるのは不可能…しかし、私の方で取れる対策も無かった。これでモニカの正体がバレたら、ルイスに合わせる顔もないが…どうなる事やら。

 

 私が今日のチェス大会の行く末を憂いていると、廊下の向こうから見慣れぬ容姿の少女が一人歩いてくるのが見える。

 今日の行事はチェス大会のみ。そしてこの応接室を使う予定があるのは生徒会役員だけだ。

 この廊下の先に他の生徒が来る必要のあるような場所はない。明らかに怪しいので、呼び止めて身分を改めるべきだろう。

 

「そこの方、止まって………あ、ノートン先輩でしたか。失礼しました」

 

「は、はい…」

 

 見慣れぬ容姿だが、どことなく見覚えのある面影を残す少女をよく見てみれば…その少女が、モニカ・エヴァレットその人だとようやく気付けた。本当に別人のような様変わりだ。

 

 改めてその容姿を観察してみるが…いつもの陰気な雰囲気は見事に消え去り、気弱だが確かに知性を感じる、清潔感のある格好となっていた。

 薄めで自然感のある化粧も、モニカの不健康さを消すのに一役買っているな。この化粧は相当手慣れた者に施してもらったのだろう。

 

 この少女をルイスの前に出しても、暫くはモニカだと気付けなさそうだ。面識の薄いミネルヴァの人間ならば尚更だろう。

 

「いや、これはかなり…見違えましたね。綺麗ですよ、ノートン先輩。どうぞ」

 

「そ、そうですか!?あ、ありがとう、ございます!」

 

 気の利いた言い回しは出てこないので直球に容姿を褒めれば、モニカはとても嬉しそうな反応を返してくれた。

モニカは自分の容姿を褒められて喜ぶような人間ではなかった筈だ。順調に自己肯定感が育まれているようで何よりだ。

 

「こ、これ!ラナがやってくれたんです!お、お友達です!」

 

 どうやら自己肯定感が育まれた訳ではなく、友人が施してくれた化粧が褒められたから嬉しいようだ。まあ、友達が出来て何よりではある。

 しかし、それはともかくとして…随分と馴れ馴れしいではないか。

 

()()()()()()。部屋へ、どうぞ」

 

「……す、すみません…」

 

 私が強調した言葉に気付いたモニカは、先ほどの喜びようが嘘のように萎れてしまった。

 モニカがどれだけ嬉しかったのかはよく伝わった。しかし私とモニカの学園内での関係性は、良くて先輩と後輩の仲だ。表向きはそこまで深い関係ではないので、もう少し距離を取って欲しい。

 

 モニカは私に促されるがままに、生徒会役員が集まる応接室の扉を潜る。

 暫くの沈黙を挟み、中から聞こえたのは…大変失礼なエリオットの第一声。そしてその言葉に喜ぶモニカの声だ。

 

 まさかモニカがあのような変身をするとは、私でも予想出来なかった。何よりも、そんな化粧を施せる知り合いが学園内に居た事が、だ。

 

 モニカの知り合いであろう人間が居たか思い返してみると…そういえば、居た。

 少し前に行った校舎裏での焼肉パーティー。その時にモニカの側に居た、一人の女生徒。彼女の身嗜みはかなりきちんとした物だった。

 髪を束ねるリボン、服の端々に見えた小物…あれは相応のセンスや伝手がなければ使おうとも思わない装飾品だった筈だ。

 彼女はグレンかニールの知り合いの可能性もあるが…その程度の繋がりであれば、モニカの方からもっと物理的に距離を取る筈。彼女がモニカの友人に近しい存在である事は間違い無いと見て良いだろう

 

 モニカは「ラナがやってくれた」と言っていたな。ラナ…後でどこの貴族の人間か調べておこう。

 

「お待たせ、レノ。今から『院』と『ミネルヴァ』の生徒を迎えに行くよ」

 

 考え事をしている間に、生徒会の会議は終わったらしい。

 ここからは形だけの護衛だが…それでも、万が一が起こってはいけない。今回の『客人』の中には警戒すべき対象もいるので、そこそこ気を張り詰めなければならないのだ。

 

「分かりました。生徒会の皆さんが出迎えしている間、私は距離を取って警戒に就きます」

 

「大袈裟だなぁ」

 

 気を引き締める私を見て、殿下は困ったように笑う。

 どうせ『護衛とかめんどくさいなぁ』なんて考えているに違いないが…螺炎の件を踏まえると、今回は特に警戒しなくてはならない。

 

「まあ、私の事はお飾り程度に考えてもらえると助かります。今回は警備もしっかりしてますしね」

 

「それにしたって君が私の護衛に就く必要までは無いと思うんだけど…まあいいや。それじゃあ行こうか」

 

 殿下と共に、チェス大会の会場であるダンスホールへと向かう。今回は何事も起こらないでいて欲しい物だが…さて、どうなるか。

 

 


 

 

 チェス大会の挨拶は、まず代表校の生徒会長、今回の場合はフェリクス殿下の歓迎の挨拶から始まり、次いで顧問の挨拶、そして各校の代表選手の挨拶と続く。選手個人同士の挨拶は最後になる。

 私はその間、今回の大会で一番警戒すべき人間を注視する。

 

 今日、私が警戒すべき人物は…『院』の先鋒を務める、ロベルト・ヴィンケルだ。

 彼はランドール王国からの留学生だ。殿下の暗殺を企てたブライト伯爵家と、密接な関係にあるランドール王国の生徒。

 彼が表立って事を起こすとは思えないが、何かしらの工作を行う可能性は捨てきれない。もしくはセレンディア内に内通者がいる可能性も…

 

 そこまで考えて、本来この仕事をすべき人物の様子を見る。今は正体を隠すので精一杯な七賢人、モニカのことだ。

 

「あれは…不味いか」

 

 遠目から見ても分かる位には、モニカは混乱している。誰に向けるでもなく必死に口を動かしている様子からして、何かしらの数列を計算しているのだろう。モニカはパニックに陥った時、ああして自分の世界に閉じこもる癖がある。

 しかし、ここに来てモニカが混乱する理由がわからない。もしやミネルヴァの生徒に知り合いが居たか?

 

「どうにかしてモニカから話を聞きたいけど…どうしたものか」

 

 セレンディアとミネルヴァの対局は昼食会の後。直接対面するまで時間はあるが…話を聞いたところで対策を打てるとは思えない。

 何より私は殿下の側に居なければならない。モニカに構う余裕が出来るかは怪しいところだ。

 

「ああ、クソ…やっぱり無理にでも辞退させるべきだった?流石に知り合いに当たる事はないだろうと高を括っていた私が馬鹿だったか…」

 

 モニカの状態を見て、思わず悪態を吐いてしまう。今はエリオットが声を掛けた事によって正気に戻ったようだが…それでも、また先ほどの症状が再発する可能性は低くない。

 

「レノ、怖い顔をしてどうしたんだい?」

 

 モニカの状態に釣られてか、周囲に気を配らずに考え事をしてしまっていたらしい。いつの間にか挨拶を終えていた殿下が、私の側に来ている事すら気づけなかった。

 

「…殿下…いえ、なんでもありません」

 

「そんな顔で何もないとは思えないな」

 

 さっきまで私が浮かべていた表情は、それはもう酷い物だったのだろう。そうでもなければここまでしつこく詮索してくる事はない筈だ。

 モニカの様子について話すのは得策では無い。となると、どうにかしてこの場は誤魔化さなくてはならない。

 

「……殿下。あまり女性の悩みを詮索するのはお行儀が良くないですよ」

 

「レノ。君は都合が悪くなると、自分を『女性扱い』させる癖があるよね」

 

 殿下もいい加減私の手口を理解してきたらしい。殿下の言う通り、私は自分の利になるならその時々によって都合の良い扱いを相手に要求する。

 

「しつこい殿方を遠ざけるには、良い口実でしょう?」

 

「まあ、それを言われたらこちらは引かざるを得ないね」

 

 見栄が大事な貴族にとって『お行儀が悪い』というのは、効果的な一言になり得る魔法の言葉だ。それは殿下とて例外では無い。

 

「とりあえず、警備上の問題が起きた訳では無いんだね?」

 

「ええ、そちらでしたら問題ありません。警備員の欠員もありませんからね」

 

 私が深刻な表情を見せれば、まず真っ先に疑われるのは警備状況についてになる。それに関しては、今のところ目立った問題もないので素直に返答する。

 

「私はこのまま殿下のお側に居ますが、要望とあれば多少距離を置いた状態でも構いません。如何なさいますか?」

 

「いや、側に居てくれて良いよ」

 

「分かりました」

 

 今日のモニカはチェス大会の選手として、そして何よりもミネルヴァの人間に正体がバレないように立ち回る必要がある。

 そんな状態で殿下の護衛にまで気が回るかと言われたら…無理だろうな。今回は私が殿下の護衛に注力すべきだろう。

 

 

 第一試合はセレンディアと院の対局だ。

 モニカの相手はロベルト・ヴィンケル。ランドールからの留学生だ。彼は本日、私が一番警戒している人間でもある。

 今のモニカは…あまり調子は良くないよう見える。

 

「ロベルト・ヴィンケル…どうやら彼は、ランドールでも有数のチェスの差し手らしい。なんでも、院に留学したのもチェスの為だとか」

 

「それはまた、面白い経歴の人間ですね」

 

 院への留学理由までは把握できていなかったが、それは本気なのだろうか。彼は男爵家の五男なので、趣味に明け暮れても問題ない立場だろうが…螺炎の件を知っている私としては、どうしても勘繰ってしまう。

 

「彼の趣味への熱意には驚かされるよね」

 

「まあ、そこまで熱中できる趣味があるのは良い事じゃないですかね。身持ちを崩すほどに入れ込む訳でもない限りは、外野からとやかく言うことでもないですし」

 

 流石にチェスだけが理由ではないと思うが…どちらにせよ、私のやる事は変わらない。ただ彼の動きに注意して立ち回るだけだ。

 

 

 そうして選手全員が席に着き、解説者達の準備も整ったところで試合を開始する合図が発せられる。

 チェスの序盤はある程度決まった形で進む。人によって好みの形はあるだろうが…それでも、ここで力量差が見える程ではない。

 しかし、モニカの卓は違った。明らかに周りの席よりも早いペースで駒が進んでいる。

 

「オープニングとは言え、この速度はかなり早いですね」

 

「モニカの差し手に迷いがないね。ここまでは予想出来ていたんだろうけど…」

 

 シリルの呟きに、横にいる殿下が反応する。

 他の席よりも早いペースで進むモニカとロベルトの対局に、解説席は慌てて駒を動かしていく。そうこうしている間にもモニカとロベルトの盤面は、攻防が始まっている。

 

「あれは…凄まじい攻防ですね」

 

「ああ。先鋒戦とは思えない高度な戦いだ」

 

 お互いが十秒も掛けずに次の手を打つせいで、解説はそれを追うだけで精一杯らしい。とてもではないが、盤面の状況に言及できる余裕はなさそうだ。

 

「モニカは早指しの傾向があるけど…」

 

「相手の手を読み切っているのでしょう。私には理解できない領域ですね」

 

「…私も、この局面は見た事がありません」

 

 次々と進む戦況に、会場の人間は漏れなく先鋒戦を注視している。思考時間の短さ、見た事の無い手、高度な駆け引き…中堅や大将戦とは比較にならない程の対局だ。

 

「これはもう私の手に負えない盤面だね。定石から外れすぎている」

 

「私は既に理解を諦めていますよ。辛うじてノートン先輩の方が優勢なのは分かりますが…アシュリー先輩はどうですか?」

 

「……わからない。おおよそグロスシュヴェルト嬢と同じ理解度だろう」

 

 私と殿下、そしてシリルが揃って「分からない」と言うしかない盤面は、解説に口を挟ませる間もなく進んでいく。

 ここまで高度な対局が出来るとなると、ロベルトがチェスを目的に院に留学したと言う話も出鱈目ではなさそうだ。

 

「すごいね。皆あの盤面に釘付けだ」

 

「もうエンディングに差し掛かってませんか?他はまだオープニングを抜けたばかりですよ」

 

 中堅、大将はようやく中盤に入ったところだと言うのに、モニカとロベルトの対局は既に終盤戦に入っている。早指し戦でもないのにこの速度…私には到底理解できない領域の戦いだ。

 

「…少し、ニールと話して来て良いかい?」

 

「そういえばメイウッド先輩は前回の大会で大将を務めていましたか」

 

「ああ、彼の意見も聞いてみたいんだ。側にクローディア嬢も居るしね」

 

 クローディア…ハイオーン侯爵の実子か。彼女は昨年のチェス大会で先鋒を務めたと言っていたか。

 私としても、この対局については簡単な解説が欲しい。今のところ会場内に不審な動きは無いし、そちらに向かっても問題ないだろう。

 

「わかりました、私は問題ありません」

 

「…私はここで待機します」

 

 シリルはここに残ると言っているし、この場はシリルに任せて私と殿下は観客席の方へと向かう。ニールの居場所は事前に聞いてあるので探す手間も無い。

 ニールから聞いていた場所に向かえば、真っ先に私たちに気がついたのはグレンだ。勢いよく立ち上がってこちらへ手を振ってくる。

 

「あ!殿下じゃないっすか!あー…それと、レノも…」

 

「グレン、あなたはもう少し落ち着きを学びなさい」

 

 グレンの貴族らしからぬ立ち振る舞いを軽く注意しつつ、ニール達に会釈をする。

 この場にいたのはグレン、ニール、クローディア…そして、校舎裏で焼肉をしていた時に見かけた二年の女生徒だ。彼女がラナだろうか。

 

「どうしましたか、殿下?」

 

「ニール、それにクローディア嬢も、あの対局について君の意見を聞かせて欲しい」

 

 殿下の言葉を聞いて納得したのか、一言返事を返してから考え込む素振りを見せるニール。クローディアの方は心底面倒臭いという表情を隠さない。

 

「ヴィンケルさんがノートン嬢のペースに呑まれていましたね…まだまだ持ち時間はあるので、もっと落ち着ければ良かったんですけど…」

 

「明確なミスと言えるのは一手だけ…駒に触った瞬間に気づいたようね。それでも、明確に勝敗が決するようなミスでは無かったと思うけれど」

 

 対局中、ロベルトは一度だけ、駒を持ってから少し硬直した瞬間があった。おそらくそれの事を言っているのだろう。

 チェスには『一度駒に触ったら、その駒を動かさなくてはいけない』というルールがある。おそらく、モニカの早指しに釣られて触ったは良いが、その段階になってその手が悪手だと気づいたのだろう。

 

「何よりも恐ろしいのは…ノートン嬢はあの早指しで、一つのミスも無かった事ですね。ノートン嬢と対面するのは精神的な負担も大きそうです」

 

「盤面的にはじっくりと確実に追い詰められるし、早指し自体の与えるプレッシャーもあるから…私はモニカと指したくないわね。あれの相手は凄まじく疲れるわ」

 

 早指しが相手に掛けるプレッシャーはかなり大きい。しかし、それは早指ししている側が正確な手を打っている時に限られる。一手でも甘い手を打てば、その瞬間に相手は落ち着きを取り戻すだろう。

 しかし、この試合でモニカは目立ったミスをしていない。いっそ清々しいほどに完璧な手順で相手を追い詰めていった。あれでは相手も気が休まらないだろう。

 

「えっと、モニカはそんなに強いの?」

 

「少なくとも、私はあれ以上のチェスを見た事は無いわね。なんでこれが大将戦じゃないのか不思議なくらいね」

 

 『識者の家系』の名に恥じぬ博識さを持つクローディアがそう言うのであれば、あれはチェス史の中でも一際高度な対局だったのだろう。私なんぞに理解できるレベルは優に超えている。

 盤面は終盤も終盤、もはや逆転の目がない程にモニカが圧倒している。このままロベルトが最善手を指してもステイルメイト(引き分け)に持っていく事すら出来ないだろう。

 

「終わったわね」

 

「はい、ノートン嬢の勝利です」

 

 しかし…こうしてみると、何がどうしてこうなったのか全く分からない盤面だ。流石にこれを理解しようとする熱量は私には無い。

 

「はあ〜…全く分からなかったわ。なんか凄いって事なら分かったけど」

 

「間違いなく初心者が見て理解できるようなチェスでは無かったわね。上級者でもこの局面を理解するのには時間が掛かるもの」

 

「今回の対局は今までに無い形ですから…今後、この局面についての研究もされる可能性があります」

 

 しかし、まさかモニカにこれ程までのチェスの才能があったとは。数学とは全く違う形ではあるが、これも『計算』の一種ではあるからか?

 

「あれ、でもまた駒を並べてるっすよ?二戦目でもやるんすか?」

 

「感想戦だね。本来なら今日の大会ではやらないんだけど…かなり時間が余っているからかな」

 

「解説の方は今から振り返る形で行うようですね。あの盤面を追うので精一杯でしたし、解説するには丁度良いのでしょう」

 

 先鋒戦の解説用ボードを見てみると、オープニングが終わった辺りまで遡っている。既にここから定石外れの対局となっていたらしい。

 しかし、解説の進行ペースはかなり遅いな。解説が梃子摺るくらいには難解なチェスだったようだ。

 

「えっと、モニカの対局は終わったみたいだけど、他の対局はどれくらい掛かるの?」

 

「一時間は掛かるわね」

 

「ええ!?今から一時間もやるんすか!?」

 

「はい、ノートン嬢の対局は異例の速さで進行していたので…普通はそれくらい掛かるものですよ」

 

 他の対局はともかく、モニカの対局の解説に関しては一時間で終わるか怪しい所だ。一手一手手探りで進めなければならないのでしょうがないのだろうが…昼食会はこの話題で持ちきりになるかもしれないな。

 

「えっと、その感想戦?っていうのはどれくらいで終わるの?」

 

「…私の予想では三十分前後ね」

 

「本来であればもう少し短くなるんですけど…今回の対局は全く新しい盤面ですから、検証に時間が掛かりそうですね」

 

 チェスを指す人間にとってこの盤面はまさに未知の世界だろう。そしてチェスの為だけに留学するような人間がこの盤面の徹底的な検証をしない筈がない。モニカの研究者気質も考えると…声をかけない限り止まらない可能性もあるな。

 

 しかし、この懸念をどう伝えたものか…学園内での私とモニカの関係性は、そう深い物ではない。なのでモニカの性質云々を理由にあれを止める事はできない。

 私個人としても、モニカと二人で話をしておきたいが…仕方がない。それとなく私の懸念を伝えるに留めて、あとは向こうに察してもらえる可能性に賭けてみるか。

 

「……殿下、もしも感想戦が長くなりそうでしたら、こちらから声をかける必要がある可能性も…」

 

「ふむ…そうだね。それじゃあ、頃合いを見て迎えに行こうか」

 

 殿下への提案は私の思い通りに解釈してもらえたようだ。あとはモニカと接触する機会を作りたいが…流石に無理か?

 

「う〜ん、やっぱり解説を聞いても何にも分からないわね」

 

「そもそも基本的なルールも知らないのだから当たり前でしょう。あれは経験者用の解説よ」

 

「はあ…ねえ、貴方はチェスのルールが分かるの?」

 

「…あ、私ですか?ええ、まあ…上手くはありませんが」

 

 今後の予定について考え込んでいると、いきなり横から声を掛けられる。声の主は…推定モニカの友人のラナだ。この行動にはクローディアも伏せがちだった目を少しだけ開き、ラナの方を見る。

 

「ねえ、貴方…魔剣姫と知り合いだったの?」

 

「あー…そ、そうよ!学園内でちょっとだけ話した事があったの!そういえば、自己紹介がまだだったわね?ごきげんよう、グロスシュヴェルト嬢。ラナ・コレットと申します」

 

「ああ、これはご丁寧に…フェアニッヒ辺境伯家、レノ・グロスシュヴェルトです」

 

 おそらく例の焼肉パーティーの印象で軽く話しかけて来たのだろうが…流石にあの時の事を他の生徒に知られるのがまずいのは彼女も理解しているようだ。早口で誤魔化すように自己紹介をして来たので、私も挨拶を返す。

 しかし、コレットか…名乗り方からして男爵家のようだが、どこの家の人間だ?聞いた事がないぞ。身なりからして裕福な家の子ではあるのだろうが…

 

「…コレット男爵は、西部の豪商よ。軍事産業への関わりは薄いし、北東部を中心に活動するフェアニッヒ辺境伯家が知らないのも無理は無いわね」

 

 私の思考を読むかのようにクローディアの援護が飛んでくる。なるほど西部の豪商…いくら思い出そうとしても浮かばない訳だ。私とは縁もゆかりもない地方の貴族だったらしい。

 

「せめて自分の出身地くらい教えた方がいいわよ。私やグロスシュヴェルト嬢とは違って、あなたの実家は地方の一男爵家なんだから」

 

「ぐ、ぐぬぬ…」

 

 この場で殿下の次に実家の爵位が高い人間は、ハイオーン侯爵の実子であるクローディアだ。次いで辺境伯家の私。この辺りはこの国の貴族であれば爵位のみでどこの貴族か分かる。

 しかし伯爵以下からはピンからキリだ。ケルベック伯爵のような大貴族や、自身の出身地の貴族であるならばまだしも、他地方の男爵となると把握している方が珍しい。

 

「ありがとうございます、アシュリー先輩…失礼しました、コレット先輩。私が浅学なばかりに…」

 

「あ、ああ、気にしないで!私の気が利かなかったのが悪いんだから!」

 

 形式的にとは言え、私に謝罪されるのが心地悪いのか、ラナは慌ててフォローを入れてくる。彼女の人柄は悪くはなさそうだ。

 そんなやりとりをしたせいだろうか。私とラナの間に気不味い沈黙が流れる。殿下はニールと共にグレンと話しているし、クローディアは何かを言う様子もない。

 この空気をどうしたものかと考えていると、ラナがハッと思いついたような表情で話しかけて来た。

 

「えっと…フェアニッヒ辺境伯家っていろんな分野に出資している事で有名だけど、最近力を入れているのは…」

 

「魔導具技術よ。この分野はフェアニッヒだけじゃなくて、魔剣姫が個人でも巨額の出資しているくらい力を入れているわ…多少なりとも魔剣姫の事を知っているなら、すぐに思い至ると思うのだけれど?」

 

 ラナが言い終わる前にクローディアが答えたが、流石は識者の家系だ。我が家が今注力している研究に関しても把握しているらしい。最後に添えられた言葉に関しては…置いておこう。

 

「……アシュリー先輩の仰る通り、我が家は現在魔導具技術の研究に力を入れて出資しています。他は医療部門と軍事産業ですね」

 

「そ、そうなの!実は私も魔導具技術に少し興味があって…」

 

「これは純粋な善意からの忠告だけど、魔剣姫は既に軍事兵器を手掛ける一端の研究者よ。私が予想するに、貴方の方針とは全く違うから他の話題にした方が良いわね」

 

 再びクローディアの横槍だ。しかしこの発言に関しても理解はできる。

 ラナの出身を考えると、彼女は貴族向けの護身用魔導具に興味があるのだろう。あれは装飾品としても扱われるので、商家の人間が手を出していても不思議ではない。

 しかしフェアニッヒが研究しているのは、完全な軍事兵器としての魔導具だ。それこそ螺炎のような殺傷力に特化した魔導具を中心としている。これは一般人の所持が禁止されているので、彼女の家とは縁の無い物だろう。

 

 同じ魔導具でも、明確に分野が違うのだ。ラナの求めている話題に沿えるかは怪しいところだ。

 

「………じゃあ、何の話をしたら良いのかしらねぇ?クローディアさぁん?」

 

「それくらい自分で考えたらどうかしら?」

 

 クローディアのそっけない返事に、笑顔を崩さず眉間に皺を寄せるラナ。この二人は随分と愉快な関係性らしい。

 数秒の膠着を挟んで、ラナは咳払いをしつつ再びこちらへと意識を向ける。

 

「……はぁ…レノさん、今の北部の流行は」

 

「魔剣姫は竜害の前線で戦う騎士だし、そもそも北部は身嗜みに気を遣えるほど余裕のある土地じゃないわよ」

 

 三度、クローディアの横槍だ。ラナは身嗜みに気を遣っているようだし、その話題に持っていきたかったのだろうが…クローディアの言う通り、北部の人間は身嗜みに気を使う余裕はない。

 フェアニッヒほどの大貴族になれば別の話だろうと言う者も居るだろうが…我が家は根っからの武闘派貴族だ。服で着飾る金があるなら、装備を充実させるために使う。精々が中央の流行りに合わせた服を着る程度になるので、この話題もラナの求める回答を返すのは難しい。

 

「クローディア!」

 

「私の父とフェアニッヒ辺境伯はそこそこの仲なのよ。私と魔剣姫は関わりがないけれど、フェアニッヒの人間を困らせたくないの。お分かり?」

 

 散々横槍を入れられたラナが声を荒げると、クローディアは面倒くさそうな表情を隠しもせずに横槍を入れた理由を話す。これはクローディアなりの気遣いだったらしい。

 

「ぐ、ぐう…それなら、何かしら良い話題を出してくれないの?」

 

「嫌よ、面倒臭い…」

 

 横槍は入れるが、助け舟を出す気もないのか。しかし私とラナに共通の話題があるかと問われると…パッと思いつくものは無い。生まれ育った環境が違いすぎるからだ。

 ラナがうんうんと唸っている間も、私はただ困ったように笑うしか無い。私の手札は軍事系に偏っている。この中にラナとの会話に使える話題があるとはとても思えない。

 

 流石にこれは気不味いな。ラナの人柄の良さが分かるだけに尚更だ。かと言って私から振れる話題も無いし…仕方がないのでクローディアにアイコンタクトで助けを求めてみれば、彼女は大きなため息を吐きつつも、ゆっくりと口を開く。

 

「…そもそも北部と西部じゃ環境が違いすぎるから、もっと無難な話題から始めるべきね。裕福な商家で生まれ育った人間には想像出来ないだろうけど、北部には未だに飲み水に困る場所すらあるのよ。そんな土地で身嗜みや嗜好品に手を出す余裕があると思う?」

 

「え?そ、そうなの?」

 

「…アシュリー先輩の言う通りです。フェアニッヒ領内はともかく、その他の土地では飲み水も貴重なので、酒類を水代わりに飲む場所もありますね」

 

 西部や南部の人間には想像も出来ないらしいが、北部で飲み水を安定して手に入れられる場所は多くない。フェアニッヒ辺境伯家もこの問題には長年悩まされて来たとお祖父様から何度も聞いた。

 転機となったのは『治水の魔術師』が台頭した頃だ。その時になって漸く、フェアニッヒ領は多額の資金を投じて、安定した飲み水の供給手段を手に入れられたのだ。貧困に喘ぐフェアニッヒ領の外はまだまだ未開拓の土地も多い。

 

「それにフェアニッヒ辺境伯家は根っからの騎士の家系…コレット男爵家と合う話題を探すのは至難の業ね」

 

「うう…そ、それじゃあ、最近貴族の間で流行っている物の話とかは?」

 

「まあ、それが無難ね。今の魔剣姫はセレンディアに生徒として来ている訳だし、少なくとも貴方が北部の話題に踏み込むよりは断然良いわね」

 

 北部は何かと『訳あり』な人間が流れ着く場所だ。東部の人間ならまだしも、他の地方の人間には想像も出来ない『汚い場所』も多く存在する。生半可な気持ちでこちらの事情に首を突っ込まれても対応に困る。

 

 となると、クローディアの言う通り私とラナが話すのに丁度良い話題は、セレンディアのある王国中央に関しての話題となる。

 しかし私は流行に疎いのだ。こうなったらラナに王都での流行を教えてもらって、私は聞き手に徹するのが一番だろう。

 

「それでは、コレット先輩。最近の流行についてご教授頂けますか?」

 

「ええ、任せてちょうだい!この国の流行に関しては詳しいつもりだから!」

 

 そう言って胸を張るラナを見て、クローディアは「調子の良い事ね…」と呟きモニカとロベルトの対局を解説するボードへと向き直る。彼女はこの手の話題に興味がないらしい。

 私は…まあ、あの全く理解のできないチェスよりかは、まだ理解の出来そうなこちらの方が良い。この話題を通じて最近の貴族子女らしさを鍛えて見せよう。

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