最強騎士の優雅なる学園生活   作:ピグリツィア

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セレンディア学園長、人生最悪の日

 セレンディア学園の学長は、今まさに泡を吹いて倒れる寸前だった。

 原因は目の前にいる二人の人間…身の丈に合わぬ大きさの剣を背負った、初等部の生徒にも見える容姿の少女と、厳かな雰囲気を放つ老人である。

 

 少女はこの国一の騎士と名高い、フェアニッヒ辺境伯家令嬢『魔剣姫』レノ・グロスシュヴェルト。

 老人はこの国で国王に次ぐ権力を持っていると言われる『クロックフォード公爵』ダライアス・ナイトレイ。

 

 何を隠そう、フェアニッヒ辺境伯家とクロックフォード公爵は…それはもう無茶苦茶に仲が悪い。そんな二人が今まさに、自分の前で対面しているのだ。

 今の状況はまさに現在のリディル王国が抱えている問題の縮図だ。第一王子派対第二王子派…その筆頭が、今ここで対面している。

 

 おお、英雄ラルフよ。私は前世で何か許されざる罪を犯したのでしょうか。学長がそう嘆きたくなる程度には部屋の空気は死んでいた。

 

 凍てつくような空気の中、先に沈黙を破ったのはクロックフォード公爵だった。

 

「…特殊魔装騎士団団長、レノ・グロスシュヴェルトか。何の用だ」

 

「…現在私は規定に則り学園の警備を管理する立場にあります。その立場から、学長には学祭の延期、若しくは中止を求めたく存じ上げます」

 

 ここに来て魔剣姫が行ったのは、話を振ったクロックフォード公爵に対してでは無く、学長である自分に対しての提言である。

 確かに、学長は魔剣姫から「学祭についての相談がある」と聞いていた。王宮の近衛騎士団長からの要請とほぼ同義であるそれを断る事は出来ないので、快くとまでは行かないものの、その要請を受諾したのだ。

 

 問題はその面談を予定していた時間に、クロックフォード公爵が訪ねてきた事だ。

 クロックフォード公爵の訪問は連絡もなかったが…孫であるフェリクス・アーク・リディル第二王子が在学しているこの学園に侵入者が居たのだ。当然、学園の警備の不足を叱責しに来るだろうとは予測していた。

 何故、何故今なのか。もう少しだけ時間をずらしてくれていれば、こうして二人が対面する事もなかったかも知れないのに…そう内心で呟くが、自分にはもうどうしようもないのだ。

 

 とりあえず、魔剣姫からの要請に返事をしなければならない。

 クロックフォード公爵とて、孫であるフェリクス殿下の身に危機が迫っていたとなれば学祭の中止に賛同してくれるだろう。そう考えて魔剣姫の要請を受諾しようと口を開こうとする。

 

「学祭の中断は認められん。警備を厳重にした上で決行せよ」

 

「認められません。相手は潜入に特化した魔術を利用しています。部外者を多く招く学祭を強行するとなると、殿下の身の安全を大きく脅かします」

 

 学長は思わず逃げ出したくなった。二人は自分を無視して殺気をぶつけ合うからだ。

 目の前の二人は学長である自分を無視して話を進めていく。

 しかし学長は、それに文句を言う事も無く、ただただ嵐が過ぎ去るのを祈りながら涙目で体を縮こまらせることしかできない。

 

 国王に次ぐ権力を持ち、この学園の実質の支配者であるクロックフォード公爵と、緊急時においてはこれ以上なく強力な権限を持つ、王家直属の騎士団長である魔剣姫…学長はこの二人の間に割り込める権力も胆力も持ち合わせてはいないのだ。

 

「………」

 

「………」

 

 クロックフォード公爵も魔剣姫も、何も言わない。ただ目の前で睨み合うだけだ。

 二人の覇気と殺気に挟まれた学長は、ただただ込み上げてくる胃液を胃の中に押し戻すだけで精一杯だった。気分はさながら呪竜と黒竜に挟まれた一般人だ。

 

 ただの沈黙が、今までの人生丸ごと一回分と同じくらいの長さに感じられる。微かにだが走馬灯も見えた気がする。

 もはやこの空間に居て朧げながらも意識を保っていられる事だけでも、立派な偉業なのではないか。極限状態に置かれたからか、思考は自然と現実逃避を始める。もう学長は一杯一杯だった。

 

 そんな葬式よりも重い沈黙の中、迎賓室の扉をノックする音が響いた。公爵と魔剣姫は、一度学長に視線を向けてから、同時に口を開く。

 

「入れ」

「どうぞ」

 

 ずん…と、ただでさえ重かった空気がさらに重くなる。学長は痛む胃を抑えながら、今この場に割って入ろうとする自殺志願者は何者なのかを確認するべく、開く扉に視線を向けた。

 

 


 

 

「入れ」

「どうぞ」

 

 ドアをノックしてから、数拍の間を置いて聞こえてきた声に、ドアを叩いた者…フェリクス・アーク・リディルは僅かながらに頭痛を覚える。

 

「失礼します」

 

 扉を開き、室内の様子を確認したフェリクスは内心で舌打ちを溢しながら現状を確認する。

 

(これは…最悪だな)

 

 フェリクスも今この学園で起きうる状況について予想はしていた。現在の状況は、考える中でも最悪に近い物だ。

 

 本来であれば、この場を作らないように配慮するべき立場に居たはずの学長へと視線を向ければ…学長は顔を死人よりも青くしながら、こちらへ助けを乞うような視線を返してくる。この様子だと彼は役に立たないだろうと見切りをつけて、公爵へと視線を直す。

 

「お久しぶりです、お祖父様……失礼ですが、今はどのような状況なのでしょうか?」

 

 あまりにも殺伐とした空気の中、フェリクスが選んだのは無礼も承知の上で『この状況の一刻も早い解決』だ。この状態で社交辞令から入れば、事態はどんどんややこしくなっていくと感じたが故の判断だった。

 公爵もその意図を察したのか、少しだけ間を置いてからフェリクスに鋭い視線を送り、口を開く。

 

「フェリクス」

 

「はい」

 

「学祭は決行する。良いな」

 

「…はい、わかりました」

 

 だろうな、とフェリクスは内心で毒づきながらも、礼儀正しく返事を返す。

 

 今この場でフェリクスが最優先で行うべきは、公爵と魔剣姫を引き離す事だ。下手に口を開き始めたら延々と終わらない口論が始まりかねない。

 今の魔剣姫に命令を下せるのは王族である自分だけ。いくら王に次ぐ権力を持つ公爵であろうとも、()()()()()()()魔剣姫には命令を下せない。フェリクス自らレノに命令をしなければならないのだ。

 

(ああ、とんだ憎まれ役だ)

 

 今まで出来る限り敵対視されないように立ち回ってきたが、この一手だけで全て無駄になるだろう。これは明確に彼女の意思に反する命令なのは考えずとも理解できる。

 

「レノ・グロスシュヴェルト、学祭に向けての警備を調整しろ。必要なものがあれば融通はする。行け」

 

「……分かりました」

 

 レノは不満を隠そうともしない表情で迎賓室を後にする。ここでレノに粘られる事も予想していたフェリクスは、内心で安堵の息を吐く。一先ず、目先の爆弾は解体出来た。

 

「…フェリクスと話したい。二人にしてくれ」

 

 クロックフォード公爵の言葉を聞いた学長は、声にならない程か細い返事をしてから、よたよたとよろめきながら迎賓室を出ていく。

 

 レノと学長が立ち去った迎賓室で、フェリクスとクロックフォード公爵が対面する。

 フェリクスは何も言わずにその場に立ち、クロックフォード公爵はしばらくの間、何も言わずに目を伏せる。

 

 そうして一分ほど経った所でようやく公爵は目を開き、心底忌わしいといった表情を隠す事無くフェリクスを睨み付ける。

 

「貴様…ふざけているのか」

 

 公爵の第一声は、労いではなく罵倒だった。苛つきを隠そうともしない声色のまま、続けて言葉を発する。

 

「学園にフェアニッヒの人間が居ると知りながら、警戒を怠ったな」

 

「申し訳ありません」

 

「謝罪だけでこの状況が解決できるのならば苦労は無いな」

 

 そう言いながら大きく溜息を吐く公爵を、フェリクスはただ見つめるだけだ。今の状況ではどう言い訳をしようとも、公爵は聞く耳を持たないだろうと知っているからだ。

 

「あの小娘が自由に動けるような隙を作るな。フェアニッヒの人間は、隙を見つければ必ずそこを食い破る人間だ」

 

「承知しました」

 

「学祭を成功させろ。必ずだ。学祭には諸侯らを招待している。連中にフェリクス・アーク・リディルの威厳を…ひいては我がクロックフォード公爵家の権威を示せ。フェアニッヒの人間に我が威光を見せつけろ」

 

「…仰せのままに、クロックフォード公爵」

 

 そう言って恭しく礼をするフェリクスを、公爵は一瞥もしない。彼の視線は、目の前の孫では無い何かを睨みつけるだけだった。

 


 

 

「クソ、なんでクロックフォードが来たんだ!いや、来るのは良い…なんで私と合わせてきたんだ!」

 

 殿下に学祭の強行を宣言された私は今、迎賓室から学園警備員詰所へと向かっている。学祭まで残り二日、この期間で何か出来る訳も無いが…何もやらない訳にもいかないからだ。

 

 一昨日のチェス大会は偽ユージンを拘束した後、学内を警備員と応援の衛兵で確認したが、他の不審者の影は無し。衛兵に偽ユージンの連行を任せ、私と警備員で学内の警戒に当たった。

 

 昨日は丸一日、校内の人間へ不審者についての周知の徹底と共に警備員の編成についての会議で忙殺された。

 相変わらず指揮系統は私に一極化している。その間も私は殿下の護衛もしなければいけない。

 

 そして今日は学園側に昨日の会議で出た警備員側の要望…学祭の中止、又は延期についての相談をする予定だった。それがこの結果だ。

 

 クロックフォードの行動に対して『なんで』なんて悪態を吐いたが…理由なんて言われずとも分かっている。私に学祭を中止させない為だろう。

 

「顔を自由に変えられるような曲者が居る中で、不特定多数の人間が大量に入ってくるイベントを行うなんて、正気の沙汰じゃないだろうに…!」

 

 今回の暗殺者がクロックフォードの手先でない事くらい私にもわかる。あのジジイが他学園の教員を殺してまで人を潜入させる利点も無いだろうし、何よりアイツならもっと上手くやれるだろうという確信があるからだ。

 学祭を中断したく無い理由も見当は付くが…それでもこの短期間では、侵入者に対する明確な対策は打ち出せないし、クロックフォードも殿下を失うのは痛手になる筈。学祭を続行するにしてもリスクが大きすぎる。

 

「クソ…対策だ。まずは何かしらの対策を練らないと…」

 

 多大なストレスからか、独り言が多くなっているのが分かるが…とにかく今はクロックフォードの考えを読むより、目の前の学祭に対する対応を考えなければいけない。

 侵入者は身体操作の魔術を使っていたと見られる。通常の手段でその変装を見破るのは困難だろう。

 

「……ダメだ、どう足掻いてもモニカの知識も必要になる」

 

 今回の不審者は魔術を使用していた。ならば身内の魔術師に対策を考えてもらうのが最善だが…この件で一番頼りにできそうなモニカはセレンディアに拘束されている。

 ルイスが頼りない訳では無いが、魔術に対する理解という面で考えると、流石にモニカの方が上だろう。

 

「顔を変える技術…あいつに整形痕は見られなかったし、本人の供述的に成り代わりはつい最近。…バーニー・ジョーンズの証言も踏まえると、肉体操作魔術の一種の可能性が高いか。となると、モニカを頼ったとして肉体操作魔術の資料はほぼ無いから、モニカの協力があったとしても、今から学祭までの間に魔術的な対策を練るのは無理か…」

 

 自身で対策を考えようにも、私の総合的な魔術知識はミネルヴァの学生以下。魔導具であれば多少は語れるが、それも本職には遠く及ばない。

 

「警備員の対策はまだ何とかなる…付け焼き刃でしかないけど、何もしないよりはマシ。問題は…部外者と生徒、どちらもか」

 

 警備員側の対策としては…符丁が手軽で効果的だろう。しかしこれも完璧では無い。他の対策も考えなければいけないか。

 そもそも外部から来る客人の事を考えると、変装を見破る手段を持っておきたいが…それを二日で用意するなんて到底不可能だ。

 

「もしも、同じ程度の変装技術を持った人間が他にも居るとすれば…学園への潜入は容易い。学生、教員、警備員…既に侵入している可能性すらある。ああ、クソ。人手も情報も足りない…出来れば近衛騎士団を召集したいけど…まず無理だろうな。クソ!」

 

 今回クロックフォードと私の意見が明確に割れた以上、私を自由に動かさない為に学外からの騎士団召集は間違いなく妨害されると見て良い。

 必要最低限の人手すら無い状態で学園の警備に回らなくてはならないなんて…クロックフォードは耄碌したんじゃないか?

 

「学祭当日…完全に信頼できる駒はモニカとルイス、あとはルイスの契約精霊だけ…時間は無いし、確実性も無い。クロックフォードの手前では使いたくない手だけど……呼ぶか?」

 

 大人数の動く学祭で信用できる人間を外部から招くのは難しいが…私にはいくつか伝手がある。その中でも確実に信用できる物を使うべきだろう。問題は、今から呼んで学祭に間に合うかだ。

 

「早馬を用意させて…出来ればモニカの様子も確認したいけど…いや、それよりも警備計画の精査か…」

 

 制度の欠陥で私にだけ負担が掛かる今、モニカの方に手を回す余裕もない。あちらは放置するしかないだろう。

 今すぐにやるべきは学園の警備員に成り済ましがいないかの確認。その後は学祭当日の殿下の護衛計画と、学園内の人間に成り済ましがいないかの確認だ。

 

「………クソッタレめ…」

 

 やる事の多さ、警戒対象の多さに最早悪態のみが口から溢れる。私一人で出来る事の許容量を裕に上回っているのは誰の目から見ても明らかだろう。

 しかし、やらなければならない。クロックフォードの圧力に耐え、騎士として殿下を守り抜かなければならないのだ。

 

「とにかく、まずは警備関係の見直しを…」

 

「魔剣姫様」

 

 そうして学祭の警備に関して思案を巡らせていると、背後から一人の警備員が駆け寄ってくる。

 もしや変装した侵入者かと少しだけ警戒したが…そういう雰囲気は無さそうだ。しかし彼は殿下の護衛の一人だった筈…何かトラブルでもあったのだろうか。

 

「何かトラブルですか?」

 

「殿下がお呼びです」

 

「…はぁ。分かりました、今行きます」

 

 クロックフォードとの会話の直後に呼び出し…面倒臭い事になりそうだが、私に拒否権は無い。嫌々ながらも警備員の後を付いて行く様に来た道を戻って行く。

 そうして警備員に案内された部屋は、迎賓室の近くにある会議室だ。扉をノックすれば、殿下の「どうぞ」という返事が聞こえてきたので入室する。

 

「失礼します」

 

「やあ、レノ。良く来てくれたね」

 

「…これも、業務ですから」

 

 部屋に入ってすぐに、殿下はこちらに声を掛けてくるが…どことなく冷たい雰囲気を感じる。これは『クロックフォードの犬モード』とも呼ぶべき状態だろうか。

 どちらから話すことも無く、沈黙が部屋を支配する。殿下は手元のティーカップに視線を落として、何やら考え事をしているらしい。

 

 そうしておよそ一分ほど経っただろうか。殿下が視線を上げ、私を見つめてくる。どうやら考え事は済んだようだ。

 

「…特殊魔装騎士団団長、レノ・グロスシュヴェルト」

 

「なんでしょうか」

 

 殿下の視線が更に冷たくなるのを感じる。この感じは…碌でもない命令を下そうとしているのだろう。

 

「君を私の護衛の任から解く」

 

「…正気、ですか?」

 

「ああ。正気だし、本気だよ」

 

 ……『だろうな』なんて感想しか浮かばない。私に好き勝手に動かれたくないクロックフォードの差金だろう。

 国に傅く騎士の一人としては、なんとしてでも食い下がるべきなのだろうが…今の状態の殿下が引いてくれるとも思えない。

 

「学園警備室の命令系統は従来の物に戻せ。君は学祭終了まで一般生徒として振る舞うんだ」

 

「……規定は?」

 

「これは命令だ」

 

 王族の命令ともなれば何事にも優先される…たとえそれが、理不尽で合理的では無い物でもだ。

 

 本来の規定であれば、完全に安全が保障されない限り、私は殿下の護衛として縛られる身だが…こうなると、私は引き下がらざるを得ない。

 陛下への直訴という徹底抗戦も考えたが、学祭までの時間はあまりにも少ない。陛下に直訴しても命が下される前に学祭の日になるだろう。

 

 ここでしつこく反対意見を論えても、今の殿下相手では効果は無い。つまり、詰みだ。

 

「犬どころか、奴隷や操り人形も良い所ですね」

 

 思わず口を衝いて出た悪態にも、殿下は何の反応も返さない。ただ黙って私の事を見つめるだけだ。

 

「……特殊魔装騎士団団長、レノ・グロスシュヴェルトは現時点を以て、フェリクス・アーク・リディル第二王子殿下の護衛から外れます。学園の警備に関しても、引き継ぎを終え次第、従来の指揮系統に戻します」

 

「ああ、それで良い。引き継ぎは明日までに終えるように」

 

 殿下の命令を受諾し、必要最低限の引き継ぎを行う旨を伝えたが、殿下は簡素な返事するだけだ。クロックフォードは余程私に動かれたくないらしい。

 

「余計な事はせず、学祭を楽しんでくれ」

 

「ええ、私なりに楽しませてもらいますよ」

 

 殿下の釘刺しに適当な返事を返して会議室を後にする。何をするにしても、とにかく一度自室に戻るか…クソッタレが…

 

 


 

 

「あああああ!!!もう知らない!私はもう騎士団長じゃないんだからアイツがぶっ殺されようが知ったこっちゃない!」

 

「お、お嬢様…」

 

 激情に任せるがままワインを飲み、大声で喚き散らす。もうやってらんない。クソッタレが。

 

「あの【北部スラング】が!【北部スラング】!【とても汚い北部スラング】!」

 

「お嬢様!お気を確かに!」

 

「【人前で言うべきではない北部スラング】!知るか!もうモニカにでも任せるだけで良いでしょう!」

 

「お嬢様!お口が!可愛らしいお口から出てはいけない言葉が!」

 

 使用人の抑止を振り切って思いっきり罵詈雑言を吐き出す。本来私の役割は殿下の監視だ。どうせモニカやリンが殿下の護衛に回っているのだし私が付きっきりで介護しなくてもどうにでもなろう。

 

 ぐちぐちと文句を垂れながらワインの瓶を呷る。クソ、なんで私は酔えないんだ。酔いに酔って思考を放棄できたらどれほど良かった事か…

 

 そうして誰に向かうでも無く不満を吐き続けていると、窓をコツコツと叩く音が聞こえる。

 そちらに視線を向けてみれば…予想通り、小鳥に扮したリンが窓際でこちらを見ているのが確認できた。

 無視を決め込もうかとも考えたが、何かと常識の無い精霊にそんな態度を取ればどんな真似をするか予想もできないので、大きなため息を吐きつつ使用人に窓を開ける様に指示を出す。

 

「魔剣姫殿、随分と荒れていらっしゃるようで」

 

「…なんですか?私は今とてつもなく虫の居所が悪いんです。必要な事だけ言ってさっさと帰ることをお勧めしますよ」

 

 リンは室内に入るなり鳥の姿からメイドの姿へと変わる。どうせルイスからの伝言だろうし、さっさと話して帰ってもらいたい。今は何も考えたく無いからだ。

 

「ルイス殿から伝言です。『クロックフォード公爵の事ですから、魔剣姫殿の動きはほぼ封じられている事でしょう。ですが下手人の性質上、あなたの手も借りたいのです』」

 

 リンの言葉を聞いた瞬間、手に持っていた空のワイン瓶を投げつける。高速で飛んだワイン瓶はリンの手前でピタリと止まり、ゆっくりと地面へと落ちて行く。

 

「ルイスにはこう返事してください…【北部スラング】!てめえだけで何とかしろ!」

 

 なんだかんだここまで来たが、モニカは上手く潜入できているのだし、彼女に完全に任せれば良いだろう。私はもう疲れた。

 そもそも、私がセレンディアの生活に馴染めないであろう事はハナから分かっていたんだし、元は殿下やモニカにここまで関わる予定ではなかったんだ。当初の予定通りに戻るだけだろう。

 なんならもうセレンディアを辞めても良くないか?どうせ護衛から外されるのであれば、竜害に対処していた方が数倍マシだろう。

 

「これは、ルイス殿の想定以上に荒れていらっしゃるようですね?」

 

「お嬢様がここまで荒れているのは数年ぶりです。最近は満足に体を動かす事も出来ておらず、相当ストレスが溜まっていたようで…」

 

 数年振り…前回は赤竜討伐時の事だろう。あの時も相当荒れた自覚はあるが、あれは私の独断と強行で私の満足できる結果を得た。色々と強引な手を使ったとは言え、自身がやれるだけの事をして結果を掴み取ったんだ。

 

「魔剣姫殿、ルイス殿は『最低でも沈黙の魔女殿が助けを求めた時に動いてくれたら良い』と…」

 

「知ったこっちゃ無いんですよ!クソ!こんな事になるならセレンディアに来るんじゃなかった!」

 

 だが今回はダメだ。まず私の力でどうにかできる問題ではないし、そもそもこの問題を何がなんでも解決しようという気にもなれない。

 私とて業務を放棄しようという気はないが、こんなんじゃ仕事以前の問題だ。私を動かしたいならまず殿下に話を通してくれ。

 

「どうしましょうか…」

 

「どうしましょうかね…」

 

 使用人とリンの困った様な声を無視して、私はベッドへと潜り込む。今は何もしたくないし、何も考えたく無いんだ。

 

「酔っ払いの相手が面倒な物なのは、知識としては知っていましたが…まさかこれ程とは」

 

「残念ながらお嬢様は酔っておられません…」

 

 酔えたらどれだけ楽だった事か。少なくとも、ここまで小難しく考えずに眠りに就けていただろう。

 

「酔ってなくてこれですか」

 

「そもそもここには度の強い酒もありませんし、前回ここまで荒れた時は酒を飲まずにこうでしたので…恐らくは」

 

 私の体質は強い酒があったところでどうにかなる様な物ではないが、そもそも北部出身の人間がワインを数本開けたところで酔えるはずもない。この程度で酔っ払い扱いされる謂れはない。

 

「ふむ。手っ取り早い解決方法はありますか?」

 

「……前回はご自身で不満を解決したのですが、今回はどうしようも無さそうですから…」

 

 今回の問題が私の力でどうにかできる様な単純な物であったのならば、私もこうはなっていない。他人であれば尚更だろう。少なくとも、今周囲にいる人間でこの状況を解決できる様な人間はいない筈だ。

 

「一度、ルイス殿と相談してきます。ここまで荒れているとなると、何を言っても逆効果にしかならないでしょう」

 

「申し訳ありません、お手数をおかけします…」

 

 鳥の羽ばたく音が聞こえたし、リンはルイスの所へと戻ったのだろう。もうそのまま帰ってこないでくれ…もしも何かして欲しいのなら、ルイスから殿下に懇願するべきだろう。

 

「お嬢様…」

 

「どうせ私が何をしようとしても、クロックフォードとかその取り巻きが利権だなんだと足を引っ張るんでしょ。もう知らない。私は何かが起こるまで動かない。どうせ私は武力しか取り柄のない、ただの最強な小娘だもん…」

 

 使用人の心配する様な声も無視して、私はベッドに立て篭もる。今回ばかりはもう我慢の限界だ。

 

 そうして数十分、眠れないままベットの中に篭っていると…部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。こんな時に次は誰が来たんだ。

 

「お嬢様、イザベル・ノートン様がお訪ねになられておりますが…」

 

「……」

 

 なるほどイザベルか。私がこんな状態になっているから心配で来たのだろうか…まあ、心配とは言っても、任務の事だろうが。

 それでもわざわざ訪ねてきたのをすげなく帰すのも気分が悪い…仕方がないので、部屋の中に招く事を許可する。

 

「レノ様。大丈夫ですか?」

 

「……これが大丈夫に見えますか、イザベルさん」

 

 部屋に入ってきたイザベルは、まず室内の臭いに鼻を動かす。

 部屋は使用人たちのおかげで綺麗に保たれているが…どこと無く酒精の臭いが抜けきっていない。いくら度数の低いワインと言えど、10本以上も開けたらこうもなろう。

 

 今の私は接客用の席に着いているが、表情を取り繕う事もなく「不機嫌ですよ」と言った心情を全身で醸し出している。百人中百人が見たら不機嫌だと察せるだろう。

 

「仔細は聞いています…ここは一息つきませんか?」

 

「…」

 

 イザベルの提案を聞いて、私は…微妙な顔をしてしまう。今の私に休養が必要なのはなんとなく分かるが、そういう気分でもないからだ。

 

「とりあえず、お茶を飲みませんか?レノ様」

 

「…わかりました」

 

 気が向かないのは事実だが、イザベルを招いた以上その行為を無碍にする気もない。多少は気も紛れるだろうし、適当にお茶をすることにしよう。

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