フェリクス殿下との面談の翌日…今日は入学式の日だ。
色々と忙しくなるこの日、私の家は結構偉いので『新入生代表の挨拶』をする…事もなかった。
本来ならばそういった雑事もしなければならないのだが、今回は私がかなりギリギリで入学する意思を表明し、その上で既に代表が決まっていたので辞退することにした。別にやりたくもなかったので助かる。
そして入学式も学長と生徒会長、新入生代表の挨拶を経て、多少の連絡事項を挟んでから、各々が自分に割り振られたクラスへと向かった。現在は自己紹介の時間だ。
「次は…レノ・グロスシュヴェルトさん、お願いします」
少しばかり緊張しているらしい教師に名前を呼ばれたので、席を立ち、はっきりと教室中に通る声で自己紹介をする。
「フェアニッヒ辺境伯家、レノ・グロスシュヴェルトです。何かしらいざこざが起きたら呼んでください、速攻で黙らせる自信はあります」
自己紹介というのは自分の身分と名前に、得意な事を付け加えるのが良い。そうすればある程度の人となりを把握してもらえるからだ。
「フェアニッヒ?フェアニッヒって、あの?」「あの小さいのが『蛮族』の?」「『捨て石』だろ?」「バカ、『魔剣姫』だよ!最強の騎士!」「『殲滅の彗星』様…!」
壇上の教師に促された私が名乗れば、ご学友の皆様は寝耳に水と言った様子でざわつく。それもそのはず、私は未だ1人だけの部隊とはいえ騎士団長の身だ。
その上、猫も杓子も前線に出ずっぱりのフェアニッヒの人間が、こんな平和な学園に通いに来るなんて、『星詠みの魔女』以外の誰もが予想できなかっただろう。
「皆さん!静かにしてください!質問は休み時間に!」
教師が大きな声で注意すれば、クラス中に満ちていた囁き声が収まっていく。『星詠みの魔女』でなくてもわかる。この様子から察するに、この後の私にはかなり面倒な事態が降りかかるだろう…
クラスメイト達の自己紹介が終わり、数個の連絡を挟んで少し早めの休み時間となったが…予想通り、やはり私に休みはないようだ。クラスメイトの大半が団子となって私に声をかけてくる。
「おい!お前があの最強の騎士か!?」
「この国で一番強い騎士だというのは事実でしょうね」
ありきたりな質問だ。
魔剣を持っていない私を倒せる可能性のある人間は…数人頭に浮かぶが、一対一ならば誰を相手にしてもこちらの方が有利な状況だと言うのは想定できるし、少なくとも騎士として最強なのは間違いないので肯定する。
「なぜ貴方がこんな所に?いえ、他意はないのですが…」
「家の事情です、私の意思ではありません。貴方の言いたい事は良くわかりますし、私もそう思います。安心してください、我が国の兵は優秀ですし、有事の際には何時でも出られるように準備してあります」
この質問は「お前みたいな蛮族は、高貴な貴族様の集う学園に来るな」ではなく、「最強の騎士がこんな所に居て良いの?竜害の対処とか大丈夫?」といった国防上の不安を訴えているものだろう。彼女の戸惑っている様子からも察せられる。
彼女の心配も無理はない、なんせ私は最強なのだから。だがこの国の騎士団も案山子ではない。私が抜けたとて致命的な問題は起こらないだろう。
「魔剣を一目見たいのですが…持っているのですか?」
「教室での帯剣は許可されていませんし、あれは下手な人間が触れると昏倒するので、業務中及び緊急時のみでの帯剣しか許可されていません」
魔剣は伊達に魔剣と呼ばれていないのだ。使用制限はガチガチに組まれているし、超極一部の例外を除いて『街中での開放』は国王の勅命によって禁じられている。一般人が触れるなんてもっての外だ。
見せるだけならギリギリ問題ないが…それでも良い顔はされないだろう。なのでここは拒否しておく。
こうして、私の周囲に過剰なまでの集団が形成されている理由は、ただでさえ国に一つしかない『辺境伯』の家の子な上に、口酸っぱく言っている通り私が『最強』だからだ。
たった一人とはいえ、王家直属の騎士団の長である私は、きちんとした手続きを踏めば国王にも意見出来る。もちろん内容は国防や軍備の話になるし、余程危急の時でない限りは直接話す事も無いが…その『権限』だけでも貴族からすれば喉から手が出るほど欲しい物だ。
そんじょそこらの『貴族の子供』とは違って、私には既に明確な役割があるのだ。それも、場合によっては一国を揺るがす程度には重大な役割。貴族の端くれなら私の事を知らない筈もないだろう。
フェアニッヒ辺境伯令嬢としての私の立場も無視できない。なんせ東部でも有数の武力を誇る『ケルベック伯爵家』にも並ぶ戦力を持つのだ。
貴族としては侮られがちな『フェアニッヒ辺境伯家』も、武力に関しては疑う貴族は居ない。
「レノさん」
「はい、なんでしょう」
この数分で飽きるほど掛けられた呼び声に力無く返事を返し、声の主の顔を見れば…そこには比較的見知った顔があった。
「少し前にお世話になったのでお礼を」
「貴方は、ケルベック伯爵家の…」
「はい、イザベル・ノートンですわ。まさかこのような場所で再会できるとは思いませんでしたわ、『殲滅の彗星』様」
つい数ヶ月前、黒竜騒動のあったケルベック伯爵領で出会った少女、イザベル・ノートン。『モニカ・ノートン』の関係者であると当たりをつけている人間だ。
イザベル嬢が呼んだ『殲滅の彗星』は、私が巡航魔術で飛ぶ際に発する光が、彗星のように見えることから付けられた愛称だ。殲滅の方の由来は…言わずもがなだろう。
『魔剣姫』の方は国から正式に付けられた称号だが、それよりも前に出来ていた愛称が『殲滅の彗星』なので、私と関わりの深い北部の人間や、東部の貴族の一部はこちらの呼び名で呼んでくる。ついでに『星詠みの魔女』も「彗星ちゃん」と呼んでくる。
それは置いといて、私は彼女からお礼を言われる理由が思い浮かばない。最後にケルベック伯爵領まで行ったのは『ウォーガンの黒竜』の時だが、その時は私は殆ど何もしていない。
「あの時はモニカ…沈黙の魔女が全て片付けていたでしょう?別に礼を言われるような事はしていませんよ」
「それでも遠路遥々、まさに彗星のように飛んで来てくれたのですから挨拶しない訳には行きませんわ!」
想定以上に熱がすごい。お嬢様オーラと熱気を身に纏ってぐいぐいと詰め寄ってくるのは…正直苦手だ。これに関しては普通に私が慣れていないだけなので、イザベル嬢は何も悪くない。こういった尊敬の眼差しを受ける時は鎧越しだったのでダイレクトに浴びるのは慣れていない。
そんな私の感情を察してくれたのか、イザベル嬢は一つ咳払いを挟んで、密着状態から二歩ほど引いてくれた。流石にケルベック伯爵の娘ともなれば、相手の感情を汲み取って行動できるようだ。
「失礼、取り乱しましたわ。それにしても、存じ上げてはいましたが…鎧姿でないと、想像以上に、その…」
「ええ、言いたい事はわかりますよ。フェアニッヒ辺境伯家の女は、総じて体格に恵まれませんから」
イザベル嬢は少しだけ戸惑ったような声を上げながら、私の姿を上から下まで見回す…と言っても、視線はずっと下向きのままだ。
現在の私の身長は138cm…誰がどう見ても女児体型だ。これはグロスシュヴェルトの女の特徴なので、私が異常と言う訳ではない。そして男は逆にでかい。180超えは当たり前、190前半でも低めとまで言う始末。眉唾物だが初代様は210近かったとか越えたとか。
そのせいで叔母様も婚約者探しや長男の出産の時は、死ぬ程大変だったと言う。私も流石に140は越えたいところだ。
「16歳で、この背丈…?」
「ええ、16歳ですよ。年齢を偽って入学した訳ではありません」
どこからともなく聞こえた呟きに返答をする。不正入学もやろうと思えば出来なくはないだろうけど、年齢的には普通に適正だ。見た目はがっつり初等部だが。
式典の時、厳つい鎧姿を遠目から見ても「なんか凄い小さいのがいるな」と囁かれるのだから、鎧無しの姿を間近で見られればまさに『女児』だ。この姿のせいでグレンにも侮られた始末。結構大きな悩みである。
「黒竜の時と比べると…纏っている雰囲気が違うのもあってか、すごく小さく感じますわね」
「よく言われます。実際は然程変わらないんですけどね」
「戦場と後方で人相が違いすぎませんかねぇ?」とルイスにも言われた事がある。その時はお前が言うな、と言いたくなったし、実際に言ったが…私の戦闘を見た人間がオフの時の私を見ると、その多くが「本当に魔剣姫ですか?」と聞きたそうな表情を見せる。自覚はないが相当ギャップがあるらしい。
「今度時間ができたら、是非お茶会に誘わせて下さい」
「はい、喜んでお受けいたします。私もそちらの最近の動向について興味があるので」
イザベル嬢の誘いに了承の意を伝えると、周囲の人々がざわめき始める。私がお茶会に参加するのが意外なのだろう。
今は入学直後でお互い色々と忙しいのでお茶会などは開けないが、1ヶ月前後もすればこれも落ち着くだろう。その時に一対一でお茶会が出来れば、モニカ・ノートンについても話が聞けるかもしれない。期待して待とう。
「さあ、そろそろ良いでしょう?私も流石に疲れたので、質問は次の機会にしてください」
私が手を叩いて周囲の人間に解散を促せば、名残惜しそうにバラバラと散っていく。
疲れた…非常に、それはもうとてつもなく疲れた。これなら竜の群れを殲滅する方が十倍以上楽だ。
私の周囲に集った彼ら彼女らには悪意なんてものはないだろう。純粋な好奇心の塊だ。だが私の事を良く思わない人間も相当数居る。
自分より目立っているから、自分より良い所のお嬢様だから、自分よりちやほやされているように見えるから…と色々な理由が考えられるが、その中でも大きな理由の一つが『フェアニッヒ辺境伯家の子女だから』という理由だ。
私が名乗った瞬間に生まれたどよめきの中に『蛮族』や『捨て石』なんて言葉があったように、フェアニッヒ辺境伯家は一部の貴族から良い目で見られていない。
貴族社会は家の格式を重んじるが、私の家はこれ以上なく悪目立ちする出世の仕方をしている。
始まりは傭兵、戦では手段を選ばず、その上近年では男爵から一足…いや、二足跳びで新たな爵位『辺境伯』を下賜されている。
どう考えても良いように見られる訳がない。親から有る事無い事を吹き込まれた子息子女も多い筈だ。
その上私は『最強』だ。女で騎士をやっているのも悪目立ちする要因の一つだし、そんじょそこらの男よりも強いという事実はプライドの高い者達には耐えられない事実だろう。
変な気を起こす人間は少ないとは思うが…居ないとは言い切れないのが人間の怖い所。警戒をするに越した事は無いだろう。
「…やっぱり竜と戦っていた方が気が楽ですね」
私は他人と交流するのが苦手…なんて事はないが、こと社交界に至っては別だ。
何のしがらみも無い極々純粋な友達付き合いなら良いが…笑顔の仮面を貼り付けて相手の足を踏み、隙あらば崖から突き落とさんとする社交界のどこが良いと思えるのか。それが貴族の仕事だと言われたらぐうの音も出ないが。
少し離れた所で周囲の人間と談笑するイザベル・ノートンが視界に入る。疲れた様子も見せず、周囲の人間に合わせた話題作り…あのわざとらしい高笑いはなんなのだろう。オーホッホッホ!なんて今時小説の中の人間しかやらないだろう。前会った時はもっとまともな話し方をしていたぞ。
「もしかしたらイザベルさんも疲れているのかもしれませんね」
あんな高笑いをしているあたり、かなり疲れているのだろう…尚更に疲れそうな笑い方だが。
何はともあれ、彼女の立ち回りは非常に参考になる。まだお互いの『格』を測り合う段階ではあるが、相手に踏み込みすぎず、だがよそよそ過ぎもしない話の回し方は、私でも滞りなく出来るかと聞かれたら…まだ出来ない。
イザベル嬢の見事な立ち回りを眺めていると、彼女と目が合う。どうやら何かしらのお誘いがあるようだ。
「レノさん、そろそろ昼食の時間ですが一緒にいかがですか?」
「…すみません、私は専属の料理人がいるので自室で食事をします」
イザベル嬢からのお誘い、正直受けたい。だが受けられない理由がある。
セレンディア学園では専属料理人に料理を作らせて自室で食事をする人間が少なからず存在する。理由は様々で、他人と食事をするのが苦手な者や、信用できる人間の料理でなければ口をつけたくないという者もいる。
私は他人と食事をするのも気にならないし、多少の毒物に対する耐性は持っているし口に含んだ段階で察知できる自信もあるが、それでも…
理由は至って単純で、無茶苦茶喰うからだ。
成人男性騎士5人前…貴族基準にすると8〜9人前になるか。その量をこの小さな体に収める。どうやって収まっているのかは分からないが、収まるものは収まるのだ。
そうなれば普通に目立つし、食堂では場所を大きく取るし、料理人の負担も馬鹿にならない。普通に迷惑行為だ。
なので私は『共用食堂で食事が出来ない』のだ。もしお話ししながら食事をしたいとなれば、相手から私と同じ食卓についてもらわねばならない。
「そういう言う訳なので、もし迷惑でなければ、その内こちらのお食事に誘えられると幸いです」
「そんな事情が…いえ、そうですね。機会があればお伺いさせていただきたいですわ!」
以上の事情を伝えれば、イザベル嬢は理解を示してくれたようであっさりと引き下がってくれる。一般人に量を合わせると言う選択肢は無い。騎士は体が資本故に。
「流石は最強とも謳われる騎士ですわ、食事にも気を配るなんて!」
「食事は基礎の基礎ですよ。心・技・体。この三つが揃ってようやく半人前です」
心・技・体は前提に過ぎず、そこに知識と経験を加えてようやく一人前だ。実戦経験の無い兵などたかが知れてる。食わねば体は作れないので、グロスシュヴェルトは食事を大切にしているのだ。
そんな理由もあって、現在私は無駄に広い自室で一人食事を楽しんでいる…そしてこの食事がとても美味しいのだが、北部の人間として一つだけ大きな不満がある。
「どうしても…ダメですか?」
「流石に匂いでバレますので。当分は
そんな慣れない搦め手を使ってまで私が求めているのは…酒である。北部の人間の大半は酒を好むが、私もその例に漏れず酒を好んでいる。
我が国では『ワインと麦酒の類は十六歳から、それより度数の強い酒は十八歳から』なんて決まりもあるのだが、北部ではそんな事も言ってられないくらいには水が無い。地域によっては『水より酒を飲んだ方が安全で安上がり』なんて場所もある。
フェアニッヒ辺境伯家が飲み水に困っている訳ではないが、そんな地域で生まれて、家の成り立ちからして、物資の選り好みをしないフェアニッヒの子である私は既に酒を嗜んでいる。
酒くらい自由に飲ませて欲しいものだが、ここはセレンディア学園だ。いくら北部出身の人間だろうとルールは守らなくてはならない。学園内での度の過ぎた飲酒も禁じられているが…蒸留酒の一、二杯なら問題ないはずだ。
「…騎士団長権限の使い所、ですかね」
「郷に入っては郷に従うべきでは?」
ぐうの音も出ない正論だ。クソ、なんとかして言い包められないものか…そんな事を考えながら食事をしていたが、いつの間にか皿が空になっている。腹八分目、量としては完璧…どうやら今日の攻防はここまでらしい。
「今回はこれくらいにしておいてあげます。いつか来る日の為に、上等な酒を用意しておくんですね!」
三下のような捨て台詞を吐いて、渋々部屋を出る。せめて夜くらいは自由に飲めるよう交渉しなくては…
今日は入学初日という事もあってか、昼食後は自由時間だ。学園を散策するもよし、部活を見るもよし、明日からの授業に備えるもよし、交友を広げるもよし。過ごし方は千差万別だ。
そして私は、日課の鍛練を行うために剣術の教室へと向かっている。今は学生だとは言っても長期休みには騎士として動く事になるだろうし、そうでなくても来年には学園を中退して騎士に戻るのだ。学生云々は鍛錬を止める理由にはならないだろう。
そうして剣術の授業用の教室へと来た私だが…貴族の通う学園というだけあってか、私の知る訓練場よりも綺麗で、支柱や外壁等にも軽い装飾が施されているのが見える。
「流石は貴族御用達と言うだけあって金は掛かってますね」
剣術の教室はかなり広い訓練場となっている。剣術を学ぶなら座学よりも実戦の方が良いからだろう。
私の寄贈した訓練設備は実用性重視である為か、周囲から浮いて見えるが…それ以外は実に普通の、強いていえば小綺麗な訓練場だ。
「おや、そこの一年生のお嬢さん。もしかして剣術に興味があるのかな?」
「…ええ、まあ。一般人よりはあると思いますよ」
私がお上りさんの様に訓練場を見回していると、教室内で剣術の練習をしていた三年生が声を掛けてきた。どうやら私の事は知らないらしい。
目の前の彼が私の事を知らないのも無理はない。私が式典に出席する時は、何時も宝石がふんだんに、それこそ全身満遍なくあしらわれた…見た目だけで言えば悪趣味な全身鎧を着ているからだ。
身長の低さこそそれなりに有名ではあるが、私自身の姿に関しては知らない人間も少なくはないし、そもそも式典に出ることも多くは無いので具体的な身長も知らない人間の方が多いだろう。
「それなら君は実に運が良いね!今年はかの『魔剣姫』が入学してきたらしいし、彼女が剣術の授業を取るのは想像に難くない。そう、本場の戦闘術が見れるかもしれないんだよ!」
まずい、本来ならここで私の身分を明かすべきなのは理解している…だが、このまま黙っていればどうなるか見てみたい気持ちもある。ここはどう動くべきか…
「と言っても、まずは剣術に関して知って貰わないとね。言葉で説明するのも悪くはないけど、やはり剣術は見た方が分かりやすいだろう。誰か俺と試合をしてくれないかい?」
そんな下らないことを考えている内に話は勝手に進んでいく。おそらく彼は一年生に良いところを見せたいのだろう。
この学園で剣術を学んでいる人間がどの程度の腕前を持つのかを知るには良い機会だ。名乗るのはそれを見てからでも良いだろう。
「それじゃあ私が相手になろうかな?」
そう考えて口を挟まず眺めていると、私の背後に居る人間が試合の相手となるべく立候補したようだ。
だがこの声、随分聞き覚えのある物だ…具体的には昨日、生徒会室で聞いた気がするぞ。
「それとも、私では力不足かな?」
「殿下!?いえ、そんな事はありません!」
どうやら私の気のせいではなかったらしい。今私の背後に居るのはフェリクス・アーク・リディル第二王子殿下のようだ。なんでこんな所に居るんだ。生徒会の業務はどうした。
「ですが殿下…生徒会の方は大丈夫なのでしょうか?」
「ちょっとした息抜きだよ、問題はない」
どうやらサボりらしい。殿下のやる事に苦言を呈する気はないが、生徒会の方は大丈夫なのか?いや、フェリクス殿下は仕事のできる人間だ。おそらくサボっても問題ないくらいには暇があるのだろう。もしくは暇を
「さてと…新入生が見ていることだし、格好悪い所は見せられないね?」
「手は抜きませんよ、殿下」
私に声をかけてきた先輩とフェリクス殿下が木造の剣を構える。いよいよ始まるらしい。
先輩は基本に忠実な、攻守バランスの良い構えを取っているのに対して、殿下は極めて消極的な防御の構えを取る。この構えの差は、まさに身分の差から来る物だろう。
王族は何が何でも死んではならない。王ともなれば尚更だ。なので基本的には戦闘は避けるべきであり、王族が剣を抜く事態ともなれば…戦況的には絶望的だろう。
だが万が一という事もある。そういった『戦わなくてはならない時』、王族は自らの命を最優先として動くべきなので、防御の形を取る。殿下も殿下で基本に忠実、という事だ。
「始め!」
いつの間にか生えてきていた審判の掛け声によって、先輩が殿下へ向かって距離を詰めていくが…少し遠慮がちだ。相手が王族だからだろう、牽制ばかりで積極的な攻めの手も未だ出ていない。
「遠慮せずにかかってきても良いよ?」
殿下の挑発するような発言に、先輩はようやく意を決したのか素早い突きを繰り出すが、相手の動きをしっかりと見ていた殿下に受け流される。
その後も教科書通りの攻めを教科書通りに受ける、実に退屈な攻防の応酬を挟み…痺れを切らした先輩の大振りとなった攻撃の隙に殿下が一撃を入れて終わり。
なんと言うべきか、お行儀の良い貴族様の戦いだった。剣のみで戦う所が特にそうだ。個人的には足払いや目潰しをもっと仕掛けるべきだと思ったが…貴族としてはダメなんだろう。
「ありがとうございました」
息を切らせた先輩が殿下に礼を言ってから、こちらをちらりと伺う。どうやら私のリアクションを期待しているらしいが…こんな退屈な試合では、たいした反応も出来やしない。
私がそんな態度を取っているのがわかったのか、面白くなさそうな表情をした先輩の前で、殿下は私に向かって仰々しく一礼をしてから、質問を投げかけてきた。
「
第二王子であるフェリクス殿下が、敬語を使って問いかけたという事態に周囲の人間が驚愕を顕にして、殿下の視線の先にいる人物へと注目する。つまり私だ。
殿下が敬語を使って私に感想を求めた意図は…からかい半分だろう。周囲の人間は未だに事態が飲み込めずにいるらしいが、私はそれに構うこと無くこの試合の評価を下す。
「貴族の剣術に関しては素人なのですが…そうですね。先輩は些か型に嵌まりすぎです。それに動き出しに少し癖があるので、対人戦を意識するならまずはそこの矯正をした方が良いかと。あと殿下相手だからといって及び腰になりすぎです、相手が良いと言っているのですから「医務室送りにしてやる」くらいの気概は持ってください。殿下は相手の動きをよく見ていましたね。そして隙も見逃さなかった。きちんと
周囲の観衆は、私が少なくとも武術を齧っている事がわかる返答と、殿下の態度からようやく私の正体を理解したようだ。
顔を青くし恐る恐る、といった様子で私に声を掛けてきた先輩が、口をひらく。
「し、失礼。君の…いえ、貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「フェアニッヒ辺境伯家長女、レノ・グロスシュヴェルト…分かりやすく言えば、魔剣姫です」
急激に空気が張り詰めた感触がある。よりにもよって、最強の騎士の前でご高説を垂れてしまったのだ。私もモニカの前で、相手をモニカと知らずに魔術理論について話せばこうなるかもしれない。なんなら一ヶ月は引きずる自信もある。そう考えると今先輩がどのような感情なのかも窺い知ることができる。
「さ、先程はとんだご無礼を!?」
「お気になさらず。魔剣姫と名乗りはしましたが、今は一介の一年生ですから」
まあ私の前で剣術云々を語るのは、比較的よろしくない行為であった事は否めないか。だが相手の正体も知らないのでは仕方がないし、私もあえて黙っていた部分はあるので責めるような事はしない。
しかし…やはりというか、期待外れと言う程では無いが、
この学園で教えているのは、貴族同士の決闘に用いられる古臭い剣技であって、実戦用のそれでは無い。物理的な意味で手も足も出ていない、型にはまったお行儀の良い、ルールありきの剣術だ。
殿下はそんな剣術に不満を覚えている私を見る。そして…再び大きく一礼をしてから、とんでもない提案を投げかけてくる。
「レノ…いえ、魔剣姫様。私と試合をして頂けますか?」
「…本気ですか?」
私を魔剣姫だと知って勝負を挑んでくるとは…殿下は命知らずなのかもしれない。周囲の視線も殿下の正気を疑うものだ。
私を舐めている訳ではなさそうだが…殿下は本気らしい。私に戦いを挑むならもっと研鑽してから…具体的には、王位を辞退して剣の道に生きる事を覚悟してから来て欲しいとも思わなくはないが、所詮は貴族の剣術。殿下としてもお遊びのつもりなのだろう。
「…分かりました。
何を以って「お遊び」としているのかは周囲の人間も分かっているのだろう。今私はここにいる全員に喧嘩を売ったようなものだ。北部流で言うならば、「てめーらが『剣術』なんて呼んでるものはガキのままごとに過ぎねーぞ」と言った所か。
勿論そんな発言をすれば敵を作る事になる。剣術を嗜むような貴族様は、大抵プライドが高いので尚更に。今も敵意の篭った視線がいくつか私に突き刺さっている。
「
「胸を借ります」
私が更に挑発を掛ければ、いよいよ観衆の勢力は完全に二分される。
一つは侮られた事に憤る者達、もう一つは私の実力を推察し、殿下の身を案じる者達だ。視線の量は、前者の方が比較的多いか。
この中で私の『強み』を正確に知っているのは…殿下以外には数人しか居ないようだ。それならば尚更に侮られるだろう。彼らの一部は私の事を『魔剣が本体の騎士』として見ているのだろう。甘い。甘すぎる。
確かに魔剣の力は強力で、素質のある人間にしか使えないものだ。だがその素質のある人間が極端に少ない訳ではない。使い熟すとなれば別だが、使うだけならそこそこの人数が使えるだろう…魔剣とは
私にとっての魔剣は所詮、雑兵の一掃か、
「私としては何人同時に来ようと構わないのですが…殿下は如何しますか?」
「一対一だ。君から見れば黒竜相手に素手で挑むも同然なんだろうけど、それでも一度は体験してみたいからね」
殿下は自らがどれほど無謀な戦いを挑もうとしているのかをきちんと理解している…とは言い難い。私と殿下の差は甘くみても、もう1段階上だ。
それでも周りの観衆よりは大分マシだが…所詮は試合だと考えているのだろう。甘さが抜けきっていないな。
「では…
私の『宣言』を聞いた周囲の人間が響めく。私が本気で殿下を害するんじゃないかと不安になっているのだろう。
殿下には悪いが…今から行われるのは『試合』ではなく『処刑』だ。殺す事はないがすぐに終わらせる気はない。じわじわと甚振るように追い詰めていくつもりだ。剣に関しては私を超えられる事はないとその身に刻み込んであげよう。
「これは…虎の尾を踏んだかな」
「ええ、明日は全身打撲で苦しむ事になりますよ」
殿下は私が『やる気』になってようやく、自分の愚行を思い知ったらしい。私に勝負を挑むという事はそういう事だ。殿下だろうが王だろうが関係ない。私が満足いくまでボコボコにしてやる。
グロスシュヴェルトの人間に武術での喧嘩を売った事、医務室のベッドの上で後悔するが良い。
「審判、合図を」
「は、はい!」
殿下に促されてようやく我に返った審判が、特に構えといった構えを取らない私と、剣を構えている殿下を見て声を張り上げる。
私があえて垂れ流している殺気に当てられているようだが…開始の合図さえしてもらえれば問題ない。
「…始め!」
審判の開始の合図と共に、私は大した構えも取らずにゆったりと殿下の元へと歩いていく。対する殿下は…体格差を活かして攻めるつもりらしい。身長差だけは如何ともし難い差ではあるが…その程度の差でどうにか出来るような相手ではない事も、殿下は理解しているだろう。
殿下からの三度の攻撃を、身のこなしだけで避けていく。想定よりは上手い攻撃ではあるが、その程度だ。剣を使う必要もない。
「私が構えを取らないから攻める…甘いんですよ、殿下」
殿下は五度、十度と素早く攻撃を重ねるが…やはり実戦経験が少ないからだろう。攻撃の『起こり』が消しきれていないし、太刀筋も些か素直だ。歳や身分の割にはかなり巧いが、そんな攻撃じゃ私の弟も倒せないだろう。
殿下もこのままでは埒が明かないと感じたのか、一度距離をとってから、口を開いてきた。
「一つ聞いても良いかい?」
「なんでしょうか」
「その動きは話と違うんじゃないかい?」
今の一連の攻撃、私は一度も剣による防御をしていない。殿下の攻撃を見てから、身のこなしだけで避けているのだが…先程の先輩の身体能力では、どう足掻いても真似出来ないと考えているのだろう。
「殿下…殿下はフェアニッヒの人間を舐めすぎです。この程度なら愚弟でも出来ますし、きちんとした訓練を積めば、遅かれ早かれ誰にでも出来るようになります」
「冗談だろう?」
もちろん冗談ではなく本気だ。少なくとも北部山岳猟兵団の人間で、今の殿下の攻撃を避けられない人間は…居なくはないが、それでもせいぜい一、二撃を剣で受け流す必要がある程度だろう。
それにルイスでもコツを掴めば普通に出来ると読んでいるし、猟兵団に限らず、騎士団の人間でも少なくない人数が出来る筈だ。所詮は才能さえあれば片手間でも習得出来る技術、という訳だ。
「『見切り』に関しては一家言ありますからね。これくらい出来なければ混戦の中で生き残ることなど出来ないんですよ」
「正直、予想以上だよ。降参は認めてくれるのかい?」
今になって甘ったれた台詞を冗談めかして吐く殿下に、私の『本気』を伝える。
「言ったでしょう、殿下。『出来る限り長く生き延びてください』と」
審判の合図から今までの戦闘で殿下が犯したミス、それは「馬鹿正直に私に立ち向かった事」だ。
恥も外聞も投げ捨てて、この場にいる人間全員を私に向かって
彼我の戦力差を把握しているのなら尚更だ。今から私はそれを咎めるために、殿下を医務室送りにする。大丈夫、殿下がよほど下手を打たない限りは、休みを取る必要は無い程度の負傷に済ませるつもりだ。
「今から攻めます。受け損ねたら…最悪ギリギリ死なない程度の怪我をしますので、死ぬ気で受け切ってください」
「……私は王族だよ…っ!?」
殿下の脅しを黙殺して喉仏を狙って突きを繰り出す。受け流されたので鳩尾、金的、腎臓と続けて急所を狙って突きを放つが…これも受け流された。やはり殿下は観察眼に優れているな。攻めてくると察した瞬間に後退を始めたのも良い。
「…今のを受け損ねていたら死んでいたと思うんだけど?」
「寸止めくらい出来ますよ。
ようやく殿下も『死ぬ気』になってくれたようだ。顔から余裕が消え失せた。私の本気が伝わってくれたようで何よりだ。
「まずいな…大怪我をするつもりはなかったんだけどね」
「多少の怪我なら勲章ですよ、殿下」
左肩に振り下ろし、右脇腹に切り上げ、心臓に突きの三度の攻撃をぎりぎりで凌いだ殿下へ、さらなる攻撃を加えていく。攻撃よりも防御の方が技量の差が出やすく、私も身体能力を縛っているので瞬殺とは行かないが…殿下も最初の想定よりは上手く凌いでいる方だ。
「まだお行儀の良い戦い方ですよ?まさかもう疲れてしまったのですか?」
未だ殴る蹴るの暴行や、目潰し等の手段を使っていない辺りが私の『お行儀の良い』判定だ。剣だけで戦っているだけ、殿下も私の攻撃が読みやすいだろう。
数度の陽動を挟んで右ふくらはぎへの斬撃…木刀だから打撃か?それが入った。ぎりぎり骨が折れない程度の力で当てたので、温室育ちならばさぞかし効くだろう…と思ったのだが、想定よりも怯まず、素早く反撃の一撃を振ってきた。随分と痛みに慣れているらしい。
「ふむ?クロックフォード卿は殿下に対して、随分と厳しい教育を課しているようですね?」
「…っ!」
思った事を口に出しただけなのに、何故か殿下の太刀筋に動揺が見えた。案外クロックフォード侯爵とは上手くいってないのかもしれない。
もちろん、そんな隙を見逃す程私は甘くないので…左太股への攻撃を入れた後、一拍置いて鳩尾に柄頭での打撃を入れてから引く。流石に急所への攻撃に対する反射までは殺しきれていないようで、殿下は蹲って咳き込んだ。
「痛みというのは戦闘時において邪魔になる事が多いのですが…痛みを完全に殺せば引き所を見失いかねません。なので騎士でもない限りは、痛みに慣れる訓練を行う事は推奨されないのですよ」
外傷以外にも病気などで痛みが発生する事もある。そういった時に痛みに慣れていると、そもそも痛みに気がつかなかったり、「少し痛いけど大丈夫だろう」と病院に行かなかったりする騎士はかなり多い。痛みに慣れるというのは利点ばかりではないのだ。
今の鳩尾への攻撃で、殿下は咳き込んでいるが…左足への攻撃に関しては、やはり想定よりも反応が薄かった。専門の訓練を積んでいなければもっと痛みに反応する筈だが、それが無いとなると…そういう事だろう。
「まったく、クロックフォード侯爵は何が楽しくて王子に対してここまでの訓練を…流石に過剰ですよ、殿下がそこまで痛みに慣れているのは」
「…そう、かもしれない…ね?」
騎士になる訳でもないのに何でまたそんな訓練をさせているんだか。クロックフォード卿はそこまで完璧主義なのか?いや、お祖父様たちの口ぶりから察するにそんな『無駄な事』をさせる筈はない。わからないな…
「まあ、剣術に関しては十二分ですかね。随分と攻めが上手いのは気になりますが、向き不向きの話でしょうし、守りが疎かという訳でもありませんから。剣の技術に関して私が口を挟む事はないです。強いて言えば…ルールくらいは破って来て欲しかったですが」
フェリクス殿下は剣術の才能にも恵まれている。そんじょそこらの兵士では相手にならない程度には強かった。これほどの実力であれば、余程の事態でない限りは抵抗もできずに命を落とすなんて事もないだろう。
「誇っても良いですよ、殿下。貴方は私の想定を越えましたから。まあ、越え方は気に入らないんですけどね」
「はは…」
殿下は相応の痛みを知っているどころか、痛みに慣れている人間だ。生半可な訓練ではこうはならないだろう。正しく訓練の成果が発揮されていた。
とは言え、他の家の教育に口を挟む気は無いが…クロックフォード侯爵は殿下をどのようにしたいのだろうか。少し迷走している気がするぞ。下手をすれば敵に立ち向かう
「骨は折れてないでしょうが、そこそこ長引く程度にはしっかりと打ち込みましたので、医務室へ行った方がいいですよ。私が送ってあげましょうか?」
「いや、問題ないよ。一人で行ける」
やはり、ここでも痛みへの慣れが出ている。足を痛そうにさすってはいるが、動きに大した支障も見られない。どうにも気に入らないな。
「それなら良いです。では、私は今からここにいる人間を、片端から医務室送りにするので…先にベッドを温めておいてください」
私の宣言を受けた周囲の人間がにわかに騒がしくなる。彼らにとっては寝耳に水だったのだろう。
勿論私も冗談で言った訳ではない。私は舐められるのが嫌いだ。なのでその身を以って私の強さを思い知って貰おうと考えたのだ。これが一番手っ取り早いが故に。
「…明日は欠席者が続出しそうだね」
「ギリギリ欠席する必要がない程度の怪我で留めますよ…逃亡者に関しては話は別ですが」
逃げ出そうとした者に釘を刺す。剣術を嗜んでいる生徒たちには覚悟が足りない。剣の道は道楽半分で学ぶべき物ではないと言う事を思い知らせてやろう。
「安心してください。死にはしませんし、死ぬ気で凌ぎ続ければ無傷で帰れる程度まで加減してあげますよ。なので…ここを死地と覚悟を決めなさい」
室内にいる人間全員が、殿下へ縋るような視線を向けるが…苦笑いを浮かべた殿下はゆっくりと首を横に振った。
「ごめん、私は力になれそうにない…先に医務室で待っているよ」
固まる群衆を背に、フェリクス殿下は訓練場を後にする。残された者たちは…絶望にただ身を震わせる者、自らならば魔剣姫を打ち倒せると無謀な笑顔を浮かべる者、そして彼我の差を知りつつも、勇敢に立ち向かわんとする者に別れた。
「さて…自らの出来うる限りの力、それ以上を引き出して成果を出しなさい。今こそ積み重ねてきた物を出し切る時です」
傍目から見れば、十を越える数の武装した青年たちが幼子を囲む、弱い者虐めを超えた非人道的な絵面だが…実情は逆、
「さぁ、生き残りたければ剣を持ち、殿下に仇為した不届き者を見事討ち取って見せるのです」
私の挑発を切っ掛けに、周囲の者は声を上げ、勇敢に突っ込んでくる。いよいよ戦いが始まるのだ。
次の日、うめき声を上げながら授業を受ける、多くの湿布臭い生徒が目撃された。
剣術を嗜む生徒たちが湿布臭くなる前、レノに完膚無きまでに叩きのめされた為に医務室へと歩くフェリクスの足元から、一匹の白い蜥蜴が這い上がっていきそのままフェリクスの胸ポケットへと入っていく。
その白蜥蜴は胸ポケットから頭を覗かせ、心配そうな声を上げた。
「殿下、大事ありませんか?」
「ああ、問題はないよ、ウィル。青アザにはなっているだろうけど、骨をやられた訳じゃない」
まるで何事も無かったかのように、澄ました表情で歩くフェリクスのズボンの下には、痛々しい青アザが左右に一筋ずつ浮かんでいるだろう。そう確信出来る程度には、しっかりとした一撃を打ち込まれていた。
「まさかあの攻撃で、私への教育を勘ぐられるとはね。少し…いや、かなり彼女を甘く見積もっていた」
レノとの戦闘を経たフェリクスは、自らの失敗について振り返っていた。
「痛みへの反応を押し殺して動いたのがミスだったとはね…まだ致命的ではないけど、疑惑の目を向けられるのは避けられないか」
フェリクスはレノとの試合の時、僅かにでも手を抜けば酷く打ちのめされると予想し、手を抜く事無く試合に挑んでいた。
それでも本職の騎士に敵うことはなく、足に一撃を貰う事になったが…その痛みを押し殺し、限りなく少ない隙でレノへと反撃を行った。
この動きは騎士であれば間違いない行動だっただろう。しかし、フェリクスは騎士ではなく王族。守られるべき立場なのだ。
痛みを押し殺し、反撃が出来るようになるには相応の厳しい訓練が必要になる。それを王族のフェリクスが行っているというのは…不自然とまでは言えないかもしれないが、過剰な訓練ではある。
祖父であるクロックフォード侯爵の教育方針だと言えば、理解して貰える可能性は低くはないだろうが…それでも、一度感じた違和感は完全に払拭出来る物ではないと、フェリクスは判断していた。
「少し、真剣になりすぎたな」
「彼女は殿下の太刀筋にも疑問を抱いていましたね」
フェリクスの攻撃の腕にも言及していたのを思い出す。痛みへの耐性に比べれば微々たる違和感だろうが、それと痛みへの耐性を一緒に見せたのも失敗だった。
「彼女の事だ。私がどのような剣技を学ばされたのかも感付いているかもしれないね」
「クロックフォード卿の教育方針だと言えば問題はないと思いますが…」
「それでも王子への教育としては違和感を覚えているみたいだし、あまり変な所を見せすぎれば、そのうち探りに来る事になるだろうね」
フェリクスにとって幸いなのは、レノがそう簡単に他家の教育などには首を突っ込む様な性格ではない事だろう。しかし、あまりにも不自然な所を見せすぎればその限りでもない。
フェリクスも王位継承権の座を狙う王子の一人だ。限りなく中立派に近いと自称しているとは言え、第一王子派であるレノの前で違和感を持たれるような行動は慎むべきだ。
「今は私への興味も然程高くないみたいだし、これ以上レノから目を付けられるのは良くなさそうだ。これからはフェアニッヒ辺境伯家の人間の前で剣を抜くのは、可能な限り控えようかな」
「それが良いかと」
北部最大の騎士の家系であるフェアニッヒ辺境伯家の前で、自らの剣を見せるのは危険だと感じたフェリクスの言葉に白蜥蜴が同意する。
「彼女は過去に数度、暗殺者を撃退した経験があると聞くし…あまり近づき過ぎれば君の存在にも感付きかねない。気を付けておくれ?」
「はい、彼女からは距離を置くようにします」
フェリクスは胸ポケットの蜥蜴の頭を優しく撫で、柔らかく笑う。しかしその裏では、今回レノがセレンディア学園へ来た理由へと思案を巡らせる。
(やはりレノは陛下からのお目付け役ではなさそうだけど、彼女が私に目をつけたきっかけは何だ?レノは自ら進んで私を監視する筈も無いだろうし…となると、アレか?)
脳裏に浮かぶのは数ヶ月前に陛下から進級祝いとして贈られたブローチ。あれは結界の魔術師が手掛けた高度な魔導具だった筈だ。
作るにしても相当な手間と費用が掛かったであろうそれを、フェリクスは数日で破壊している。ルイスに警戒を抱かせるには十分だろう。
(レノは結界の魔術師と親しかったし、そっちから情報が流れたかな。彼とレノは繋がっている…?いや、それでもレノが騎士団業務を休止してまでセレンディアに来る理由としては薄い気がするな)
レノは国内でも名高い『最強の騎士』だ。上位竜を単独で討伐できるような騎士が、本業を休止してまでこちらに向かってくるのは、正直に言って戦力の無駄と言える。
故に、国王陛下やルイス・ミラーからの要請で、フェリクスのお目付役としてこの学園に来たというのは考えにくい。
(…ルイス・ミラーからの情報はきっかけに過ぎず、クロックフォード卿と私への牽制が目的なのは本当か。私を通じてクロックフォード侯爵が工作している可能性があったから、フェアニッヒ辺境伯家が独自で動く為にレノを使った。ルイス・ミラーとは別口で動いていると考えたほうが良さそうだな)
裏でどのように、どこまで繋がっているかまではわからないが、ルイスとフェアニッヒ辺境伯家はそこまで明確な繋がりは無いだろうと当たりをつける。
(レノはすぐに対処しなくても問題はなさそうかな。少し動きにくくはなったけど、余程目に余る行動でもなければ彼女は動かないだろう。そうなると、今は…)
フェリクスの思考に入ってきたのは、今日の昼休みに旧庭園で出会った気弱そうな編入生、モニカ・ノートン。
(彼女を探ってからでも、問題はないかな)
フェリクスは、レノへの警戒よりも、現在好奇心の向いている少女を探ると決めて、明日の予定を立てて行った。