カロライン・シモンズと取り巻き二人が教師によって別室へと連行されていくのを見送れば、部屋は一時の静寂に包まれる。
「殿下の御前にて、お目汚し失礼いたしました」
その沈黙を破ったのはイザベルだ。先ほどの『悪役令嬢仕草』が嘘のように鳴りを潜め、殊勝な態度でフェリクス殿下へ礼をする。
「なかなか愉快ではあったよ。ところで君のお父上はノルン伯爵家を見限ると思うかい?」
フェリクスの問いにイザベルは思案することなく、首を横に振った。
「いいえ、父は賢明な方ですから。感情的に他領を見捨てるようなことはいたしませんわ」
私も概ね同じ見解ではあった…モニカ・ノートンが本当にただの妾の子であれば、だが。
『モニカ・ノートンは、七賢人モニカ・エヴァレットその人である』
この情報を握っているかどうかで、今回の事件の見方は大きく変わる。
七賢人の名はそれ程までに重いし、何よりも恩人であるモニカを害されたとなれば、ケルベック伯爵が感情的になる可能性も少なからずあるだろう。
「君はどうだい?レノ」
殿下がここで私に話を振ってきたのは、私がお父様…フェアニッヒ辺境伯へ今回の件を報告すると明言したからだろう。
モニカの正体は、奇跡的な事に未だバレていない。そうなれば私もモニカを『モニカ・ノートン』として扱うべきだ。
「こちらに関しましては、万が一東部貴族同士でのいざこざが起きた時に『ノルン伯爵家には味方しない』というだけです。竜害に関しては変わらず対処するでしょうし、ケルベック伯爵家が大事にしないのであれば、フェアニッヒ辺境伯家が動く事もないでしょう。私個人としてもそのつもりです」
様子見の為に一時的に距離を置く可能性はあるが、所詮はそれだけだ。さほど間を置く事もなく元の関係に戻るだろう。
フェアニッヒ辺境伯家の領地は、北部と言っても東部との境目の山岳地帯に存在する。東部の貴族とは仲良くしていたいので、そう安易に見捨てることはしないだろう。
私の返答に満足したのか、殿下は一つ頷いてから再びイザベルへと話を振る。
「そうそう、ケルベック伯爵領といえば…ウォーガンの黒竜の件は大変だったね」
「その節は、王都より竜騎士団を派遣していただきまして…国王陛下の迅速かつ寛大な措置に、感謝しておりますわ」
「竜騎士団が到着せずとも、伯爵家の軍隊だけで、どうにかできてしまったのでは?」
恭しく礼を言うイザベルに対して、フェリクス殿下はなんとも無茶な質問を投げかけている。
竜害が特に多い東部の貴族達は、その大半が独自の軍隊を持っている。一大貴族であるケルベック伯爵家ともなれば、その強さは目を見張る物もある。
年に何度も起こるような細々とした竜害に中央の竜騎士団を使っていては、費用が馬鹿にならないし即応性もないからだ。
だが、対竜に於いて精鋭とも呼べるケルベック伯爵家の私兵を持ってしても、黒竜の相手は国の支援無しでは厳しかっただろう。
「確かに我がケルベック伯爵家は、何百年も竜と戦い続けてきた歴史を持ちます。そんな我々をもってしても、黒竜と対峙したのは過去二百年前の一度きり。ウォーガンの黒竜を撃退することができたのは、竜騎士団の皆様の尽力と…『沈黙の魔女』様のお力のおかげですわ」
モニカの力が強力だったのは言うまでもないだろう。対竜に特化した竜騎士団でも、当時の騒動をモニカ以上に被害を抑えて解決するなんて事はできなかった筈だし、それは北部山岳猟兵団や
「わたくしは直接目にしていないのですが、なんでも『沈黙の魔女』様は黒竜が従えていた二十を超える翼竜を、一瞬で撃ち落としたのだとか!」
「へぇ、私は魔術に詳しくはないのだけれど、それは素晴らしいね」
モニカの活躍は「素晴らしい」なんて物じゃない。近年最悪の竜害に対して、いっそ怖いくらい完璧に対処して見せた彼女の力は…はっきり言って、異常だ。
「レノはどう思う?」
「何がでしょうか」
「ケルベック伯爵の戦力だけで件の事態を解決できるか否か…君の意見を聞きたい」
最強である私の意見…と言うよりは、戦闘に長けたフェアニッヒ辺境伯家の人間の意見を聞きたいのだろう。
一度、ケルベック伯爵家の戦力を思い出してから、試算結果を告げる。
「…二十を超える翼竜の群れ、そして黒竜。このどちらかのみならば、犠牲の大小の差はあれど撃退は出来たでしょう。ですが、それらを同時にとなると…勝算は五分以下になりますね。その上領地や兵には致命的な被害が出ます。これは確実でしょう」
翼竜も数匹であれば問題なかっただろうが、流石に二十を超えるとなれば、翼竜の機動力を考えると被害は広く大きくなる。一度に全部を対処しようとしても手が足りないだろう。
しかし、ケルベック伯爵家の兵力は群を抜いている。特に対竜戦闘ともなれば尚更だ。対処に時間はかかろうとも、兵の損失は少なく済むだろう。
黒竜は黒炎こそ脅威的だが、その他に目立つ特徴はない。上位竜の身体能力も確かに脅威だが、対ブレスの動きを大きく回避に寄せれば、対処出来ない訳ではないと考えられる。
ケルベック伯爵家の戦力は相応の練度を持っているし、黒炎による一度二度の被害を被りこそすれど、そこから動きを最適化し、適応出来るだろう。
緑竜や赤竜などの色の付いた竜…いわゆる上位竜は総じて知能が高い傾向にある。黒竜もその例に漏れないとすれば、仕留める事は難しいだろうが撃退はできる筈だ。
結論を言うと…それら個々への対処ならば、ケルベックの兵力で十分こなせる筈だ。しかし両方を同時にともなれば、物資や兵の負担的に一気に厳しい戦いとなるだろう。
「モニカ…『沈黙の魔女』の能力は本物ですよ。特に翼竜の群れに対する処理能力は随一でしょう」
翼竜の群れは、余す事無く眉間への一撃で絶命していた。それほどの精度での攻撃ができるのは、我が国の魔術師でもモニカにしか出来ない芸当だろう。
もし私がモニカより先に現場に着いていたとしても、モニカより少ない被害で状況を解決できるかと言われたら不可能だ。
理由は簡単で、私は空飛ぶ敵に弱い。倒すとしてもモニカのようにほぼ同時に、全ての敵を一瞬で倒すなんて芸当はできない。ぴょんぴょん情けなく飛び跳ねながら、一体ずつ地道に叩き落とすしか無いのだ。魔術は…使えるが、どちらにせよ斬った方が早い。
それにモニカの様に、倒した竜の死体を何もない所に積み重ねる、なんて器用な真似もできない。精々が仕留めた時に、民家の上に落ちない様に遠くに蹴り飛ばすだけになるだろう。
「…そういえば君は、前回の七賢人選考に出ていたんだっけ?」
「ええ、その経験から言わせてもらえば…当時の状況においては、私よりも『沈黙の魔女』の方が圧倒的に早く、適切に対処出来たでしょう」
殿下が興味深そうに私を見る。どうやら私が他人を自分より上だと認める発言をした事が意外だったらしい。
私の『最強』は、あくまで『それと戦った時に確実に勝てる』だけであって、周囲の被害や戦闘時間は考慮されていない。件の状況であれば私よりもモニカの方が素早く解決できるだろうが、モニカと私が真剣に戦えば…余程のハンデがない限り、魔剣抜きでも私が勝つ確率の方が高いだろう。
「殿下、私は魔術に関してはズブの素人なのです。ですので一対多の場合は、魔剣を使ったとしても、竜相手となると一体ずつ仕留めていかなければなりません」
魔剣を使えば翼竜は地に落ち、黒竜の黒炎もさほど脅威的ではなくなるだろう。だが実際に仕留めるとなると、私自らが一体一体個別に斬らなければならないし、そもそも民家などが破壊されるような状況で魔剣を使えば市民に大きな被害が出る。魔剣は敵だけに効果を齎す、なんて器用な真似は出来ないのだ。
「魔術師と騎士の大きな差か。それでも、君が他者を上だと認めるのは意外だね」
「その程度の分別はありますよ。それに万が一私と『沈黙の魔女』が直接戦えば、負ける事はありません。彼女は本質的には学者ですから」
私の予想ではモニカは対人戦に弱い傾向にある。無法とも言える無詠唱魔術によって、大抵の相手は土俵にすら立てないだろうが…土俵に立つ資格のある人間と対峙した瞬間、彼女の欠点である『実戦経験の不足』と『身体能力の欠如』が大きく足を引っ張るだろう。
「確かに無詠唱魔術は真に脅威と成り得ますが、彼女自身は戦士ではないので。無詠唱魔術による速攻に対処できる人間や搦手には酷く弱いのです」
「それはまた…私には想像もつかない世界だね」
完全装備の私ならばモニカと戦っても勝てるだろう…なんなら七賢人全員を同時に相手にしても勝てる。何故なら『魔剣』が
だが魔剣が無ければ勝てないかと言われたらそうでもない。流石に七賢人全員と、なんて馬鹿げた真似こそ出来ないが、一対一で勝率が全く無い相手は居ないと言える程度には強いのだ。
私とモニカの相性は…近距離であればあるほど私の勝率が上がり、距離が遠くなるに連れてモニカが有利になる。そういう関係性だ。
私の場合、一番苦しいのはモニカよりも『深淵の呪術師』や『茨の魔女』のような、受けに強い相手になる。『星槍の魔女』のように手数が豊富な相手も些か苦しいか。ルイスも同じく相性は悪いが…上に挙げた三人よりはやりようはある。
そして何よりも、私の場合は魔術師が相手の時、一定の距離以内での戦闘であれば問答無用で私が勝てるという事情もある。
モニカ以外であれば詠唱が間に合わず、モニカ相手なら速攻で視界外へと出てから、まっすぐ攻撃をするだけで勝てるからだ。
「そもそも実戦ならば、私でなくてもモニカに勝てる人間は案外居ます。結界の魔術師もそうでしょう」
「へぇ?」
モニカと戦える相手となると…条件にも依るが『茨の魔女』は
騎士に関しては…余程の手練れでも、超至近距離でない限り勝つ事は不可能だろう。この点に関しては、はっきり言って私が規格外なだけだ。
「相手が戦術の欠片もない獣相手なら無法の強さ。そして魔力量に関しても低くはないモニカは、他人よりも消費魔力を抑えて魔術を打てるので持久戦にも強い。後衛型魔術師としては…強いて言えば、一撃の破壊力以外の欠点がない化け物ですね」
一撃の破壊力を問題に挙げたが、これも『砲弾の魔術師』や『星槍の魔女』と比べた時の話であり、魔術師として最低限以上の攻撃力は持っているし、ある程度なら『精霊門の召喚』で埋められるというのがモニカの強みだ。
六重強化魔術や星槍と比べれば一点に対する単発の威力は低いが、城攻めでもなければそこまでの火力は必要ないし、対軍であれば低燃費広域上級魔術を連射するという力押しで解決する事も出来なくはない。
こうして改めてモニカの性能を見てみたが…なんだこれは、立派な化け物じゃないか。戦争が起きたら彼女を中心に戦況が動きかねない…いや、確実に彼女が戦況の中心になるくらいの理不尽っぷりだ。
「私とモニカでは得意とする戦場が大きく異なります。決闘や魔剣を使用できる戦場…巻き込む味方がいない一対多の状況であれば、私もモニカに負けない戦果を挙げられる可能性はあります。それに対してモニカは『市街地での一対多』という、魔剣や私と相性の悪い戦場でも問題なく動けますから」
戦闘経験の少なさも、『無詠唱魔術』の利点で強引に埋められる程に強力だ。戦場での一秒の差は、人を2、3人は殺して余りある時間なのだから。
「ふむ…君を使う事態になった時はそれを意識した方がいいって事だね?」
「はい。まあ、時間が掛かってもいいのなら、私でもある程度の状況は解決できますが」
私は戦場の得手不得手こそあれど、対応できない戦場というのは限りなく少ない。戦況に対する即応性ならばモニカと同等ではあるだろう。
私個人としては、モニカにはもっと戦闘経験を積んでほしい気持ちもあるし、飛行魔術を使える様に体幹矯正を施したい所ではあるが…それ以上に、学者として扱いたい気持ちもある。
才に恵まれすぎると、この様な贅沢な悩みも生まれるのだろう。私も多才の身ではあるが、清々しいまでに剣術や戦闘の才が突出しているので、その様な悩みを持った事は少ない。
「黒竜の件に関しては…対竜戦闘に慣れている『結界の魔術師』以上に相性が良かったと思いますよ。ルイスも結界の一芸しか持たない訳ではありませんが、一番の強みを殺されるのは痛手でしょうしね」
ウォーガンの黒竜の件にモニカが引っ張り出された理由は、ルイスやブラッドフォードの手が空いてなかった、と言うよりは黒竜との相性の良さを鑑みてルイスが引っ張り出してきたのだろう。モニカが自ら竜害の対処に向かうとは思えない。
いくら対竜に長けた武闘派魔術師のルイスでも、一番の強みである結界とこれ以上無く相性の悪い黒炎を使う黒竜相手では、苦戦を免れないだろう。そう考えればモニカに押し付けたのも理解できる。
「無詠唱魔術とまでは言いませんが、沈黙の魔女様のような翼竜に強い技術を持つ魔術師を育成する事は出来るでしょうか」
「無理ですね。モニカの空間把握能力や軌道予測技能は天性の物です。相応の魔術の素質を持った人間が、十年以上竜害に立ち向かって、ようやくその影を踏める様になる…それくらい長い目で見なければならないでしょう」
イザベルからの質問には逡巡する間も無く即答する。
何もモニカの天才性は無詠唱魔術だけでは無い…と言うよりは、モニカの話を聞く限り『計算能力のおまけで無詠唱魔術が使える』という物だ。その計算能力で翼竜の動きを予測して魔術で狙撃。こんな芸当が出来る人間は探しても見つからないだろう。
ケルベック伯爵家としても、モニカの様な『空中軌道に長ける翼竜に強い魔術師』を育成したいのだろうが…その域まで極められたら普通に七賢人入りができる。今回モニカの見せた技術はそういう物だ。
「殿下、そろそろ時間の方が…」
シリルの言葉で時計を見れば…想定よりも長く話し過ぎてしまっていた。私たちの『モニカは凄いぞ会談』もここまでのようだ。
「おっと、少し話し過ぎてしまったね。興味深い話が聞けて良かったよ。ウォーガンの黒竜は討伐では無く撃退だったと聞く。釈迦に説法にはなるだろうけど、ケルベック伯爵には警戒を絶やさない様に伝えてくれ」
「はい、殿下のお心遣い、感謝いたします」
殿下の警告は…黒竜は討伐ではなく撃退されたと報告されているからだろう。再び黒竜に襲撃される可能性も考えると、警戒して損はない。
「イザベルさん、この手紙を教師の方に渡して貰えますか?騎士団業務でしばらく授業に出られない旨が書かれています」
「はい、クラスの皆さんにも私から事情を話しておきます」
このような事態になった以上、すぐに学業に復帰できる訳もない。既に学園の警備員辺りから事情を伝えられているとは思うが、こういうのは自らの言葉で報告したというのが大事だ。
イザベル、シリルと別れ、フェリクス殿下と二人の時間が生まれる。シリルは私と殿下を二人きりにする事に抵抗があった様だが、殿下の言葉で渋々と引き下がった。
おそらくフェリクス殿下は、この後に私の口から出る言葉を分かっていたのだろう。子供の様に逃げ回らないのは好感が持てる。
「殿下、私は警告した筈です」
殿下に向かって、怒気を滲ませたような声音で話しかける。実際の感情的には…半分は格好だけだが、もう半分は呆れと怒り、そして同情の念が篭っている。
対する殿下は、静かに私の言葉を受け止めるつもりらしい。
今から始まるのは叱責だ。殿下は自らの部下を危機に晒した。それも警告をされたのに、だ。
「まあ、私も流石にここまで早く、ここまで大事になるとまでは思ってもいませんでしたが…それにしたってこうなったのは、元はと言えばあなたのせいなんですよ?」
カロラインが何故モニカに毒を盛ったか?転入生であるモニカが生徒会に入り、それに嫉妬したからだ。
モニカの性格からして、自ら生徒会に入ろうとはしないだろう。そして他の生徒会メンバーも、彼女を生徒会に捩じ込もうとするような人間ではないと聞いている。
何より、モニカは既に『殿下のお気に入り』なんて噂もそこら中で囁かれている。モニカを生徒会に入れるには、生徒会長である殿下の許可が必要だし、殿下が相応に彼女を評価しているのは既に分かっている。
そんな相手に嫌がらせをするような人間が出ない訳がない。確かに、私も毒殺未遂にまで発展するとは思ってもいなかったが、それでもだ。
「殿下ならば彼女の身の上を調べて、彼女の『学園内での立場』がどの様になるかも容易に想像できた筈です。その様な人間に、無闇に高い身分を与えればどうなるかも」
『モニカ・ノートンの設定』を考えれば、モニカが誤って殿下に近づきすぎない様になっていた筈だ。もしモニカの様な身分の怪しい人間が近づけば、普通なら殿下の方から距離を離す様に動くだろう。
だが結果はコレだ。モニカは身の丈に合わぬ身分を与えられ、それに嫉妬した者が彼女に害をなした。あまりにも、散々な結果だ。
「殿下、私は別に『行動を起こすな』とは言いません。ですが殿下、貴方は貴方が起こした行動の責任を取らなければならないのです。それが『力を持つ者』の義務ですから」
つまり、私が言いたいのは…「ペットを飼うならきちんと面倒を見ろ」というような物だ。
モニカも一人の人間なので「四六時中面倒を見ろ」とは言いたくないが…今回の結果を踏まえれば、もっと根回しや牽制等はしておくべきだっただろう。
殿下も私の言葉に納得してくれた様で、両手をあげて降参の格好をとる。
「ああ、認めるよ。私の想定は甘かった。警告された時点で少しは行動を起こすべきだった。あの警告は、君が動けないから私を頼った物だったんだろう?」
「…ええ。業腹ですが、ここセレンディアで私の武力や権力が役に立つ事は、無いと言っても差し支えないでしょう」
私がここで何をどう喚こうと、セレンディアがクロックフォードのお膝元で、騎士ではなく貴族中心の学園である以上、私の出来る事には限界がある。
先のカロラインのように下手に動けば、私だけでなく家に迷惑をかけることにもなる。被害を被るのが私のみであればもう少し自由に動けたが…現実は儘ならないものだ。
「どうせ「すぐに大事にはならないだろうし、多少の実害が出るまでは静観しよう」とか考えていたんでしょう?もう少し動こうとする格好だけでも見せてくれていれば、私もここまで言う気は無かったんですけどね」
「ああ、全くもってその通りだ。事故とも言えなくはない事態だとは言え、警告された上で殺人未遂にまで発展したんだから、君の憤りも正当な物だよ」
私が怒っている理由の中には、沈黙の魔女であるモニカ・エヴァレットが毒殺未遂に遭ったからという事情もあるのだが…これに関しては、事情を知らない殿下に当たる訳にもいかない。
「殿下の事情や立場も、多少なりとも察しているつもりではあります。今回の件を、殿方である殿下が阻止する事は非常に難しいでしょう。ですが、それでも責め立てられるのが『権力者』ですからね」
「最強である君が、竜害の時に僅かにでも被害を出せば責め立てられる様に…かい?」
「お分かり頂いているようで何よりです」
救った人間から「なんでもっと早く来てくれなかったんだ!」だとか「私の家が壊されたのよ!どう弁償するの!」なんて言葉を浴びせられた事も、両手では数えきれない程度にはある。
窮地に立たされた人間は、近くにいる相手に当たる物だ。そしてその矛先はより近く、より目立つ物に向かう事が多い。私は既に割り切っているが、これが原因で狂う騎士も少なくはない。
自らが失策した時、殿下はその責に対する糾弾に耐えられるのか。今回の半ば当て付けのような叱責には、そういった部分の確認も含まれている。
私の見立てでは、殿下は問題無いように見える。少なくとも、責められて逆上する程子供ではないのは分かった。
「とりあえず…ベラドンナには効かなかったかと思いますが、モニカさんには銀食器でも送って労わってあげてください。没収されない様にイザベルさんの方は私が言い包めておきます」
「ああ、わかったよ」
今回の件で、いくら冷遇されているとは言え、今のモニカはケルベック伯爵家の人間だと言う事も広く周知されるだろう。そして、そんな人間に目に余るような狼藉をすればどうなるのかという事も。
そう考えれば毒殺なんて早々起きないと思うが…絶対に起こらないと決まった訳では無い。一部の毒に反応して変色する銀食器を送って、多少なりとも自衛できるようにさせておいてもらおう。
「さて、お説教はこの辺りにしましょう。次は今回の事件の反省と、再発防止について議論しますか」
「それは明日にしないかい?特に再発防止については、生徒会として議論すべき物だしね」
殿下の言う事も一理ある。そもそも学園内へ毒物の持ち込みを許したのが、今回の事件がここまで重大になった原因だ。私と殿下だけ対策を講じて、勝手にそれを実行するとなると…相応の軋轢が発生するか。
貴族の子供に対してとなると厳しいだろうが、場合によっては持ち物を改めた方が良いだろうし、そうするとなれば生徒会としての権力を使わなければならないだろう。何をするにしたって、まずは生徒会での会議を経てから。殿下の意見も尤もだ。
それに、なんだかんだで既に日は落ちている。明日のことも考えると、これ以上時間が掛かる様な話は出来ないか。
私から話したい事は以上だ。殿下から聞きたい事が無ければ私は自室に戻るのだが…どうやら殿下の方からも話があるらしい。
「それで…君はいつまで護衛を続ける予定かな?」
「そうですね。最低でもノルン伯爵令嬢たちが正式に退学させられるまで、になりますかね」
殿下は私が護衛についているのが鬱陶しいのだろう。殿下からすれば『護衛』と言うよりは『監視』の様にも感じられるのかもしれない。
だが今回の件は多くの人間が見ている上に、
私の存在は嫌が応にも目立つのだ。その一挙手一投足が、リディル王国騎士の規範として見られる程度には。そして『社交界』という性質上、私の我儘を貫き通せないこともある。今回がいい例だ。
「そこから少し様子を見て、ある程度学園内が落ち着いたら、ようやく解放されます。場合によっては、他に毒物を所持している人間が他に居ないかの確認も必要になるでしょうが…私の印象その他諸々の為にそれまでは我慢して頂けると幸いです」
セレンディアには身分の高い人間が集まる。そんな場所で毒物を持ってる人間が見つかったのだから、後処理はかなり面倒臭い事になる。
流石に私がその後始末に巻き込まれる可能性は低いだろうが…何か問題が起これば、私の業務はさらに増えるだろう。
「仕方がないか…流石に自室までは来ないよね?」
「本来ならば部屋の前で待機する事になりますが、その時は他の護衛数人と交代になるでしょう。私でも睡眠や食事は必要ですから、着いていっても自室前までですね」
この学園の警備がどれ程使い物になるかは分からないが、私が不眠不休で護衛をするなんて真似はできない。私は最強だが、普通の人間でもある。食事も睡眠も必要だ。
「こういう事態になると自分の肩書きが煩わしくなりますね。もしここで護衛を放棄すれば、あちこちから突かれる材料になりますから」
「私が『命令』すれば解放されるよ?」
つい漏れ出た愚痴に、殿下が魅力的な提案をぶら下げてくる。
相手は王族なので、命令されれば従う他ない。そして命令してもらえれば、それを言い訳に早期にこのお役目から解放されるだろう。
だが…
「個人的にはそれでも良いんですけど、同級生からは良い印象を持たれないでしょうし、他の騎士団に対する不信感にも繋がりかねません。ですから殿下には我慢して頂きたく存じ上げます」
「君でも周りの目を気にするんだね」
殿下も私の事情は理解してくれているのだろう。そして、殿下自身の立場を鑑みても、私を解放するのはまだ早すぎる。
殿下も殿下でしっかりとやんごとなきお方なので、こんな大きな事件があったら相応に守られる立場なのだ。そして体の良い護衛が私。
お互い苦労するね、なんて視線を送られる。私はそれに同意するように肩を竦める。
「この問題が私のみで終わるのであれば、わがままを貫き通す可能性もありましたが…余計な諍いは無い方が良いですからね。貴族相手となれば尚更です。ただでさえ『グロスシュヴェルト』の名前は悪評の方が先行しているので、それを考えればこの対応も已むなしでしょう」
「例の評価については私も把握しているよ。君の祖先が行った事は確かに必要ではあったのだろうけど、流石に外聞は良くないからね」
何時かはこの散々な評価を良いものに変えられたら良いが…流石に数百年続いてきた偏見はそう簡単には覆せないだろう。やはり気長に待つしかない。
「ああ、それと殿下。これを」
「これは…鈴?」
殿下に渡したのは、飾り気の欠片も無い、手の平に収まるサイズの舌の無いハンドベル。これは訳あって余らせていた、私を呼ぶ為の魔導具だ。
こんな事態が起きたのだ。監視目的では無い、緊急時用の魔導具くらいは持っていてもらわないと困る。
「それを振れば私が行きます。いざという時は使ってください」
「へぇ、今試してみても?」
「構いませんよ」
あくまでもこの魔導具は招集用だ。ルイスの魔導具のように防御機能は無いし、それ以外の余計な効果もない。
所詮は助かる可能性が増える程度の道具。これですら受け取りを拒否すると言うのであれば、私はもう知らない。勝手に死んでもらおう。
「…音は、鳴らないんだね?」
「はい。もし人質となっていたり、隠れている時でも安心してご利用いただけます」
もしも王族に危害が及ぶ事態となった時、下手人の目的は単純に対象の排除か、人質として扱い自らの要望を通すために生かされるかに別れる。この魔導具は後者に対する為の物だ。
使用前は特別な能力はなく、起動した時に初めて私に対して位置情報の通知が行われる。精度は甘いが、さほど金を掛けてもいないのでそれが精一杯だ。
「ありがたく受け取っておくよ」
「あまり面白半分で使わないでくださいね」
「善処しよう」
緊急時用の魔導具で遊ばれては敵わないので、むやみやたらと乱用しない様に釘を刺すのも忘れない。
出来ればルイスの護身用魔導具も持っていてほしいが…まあ、無理だろう。そもそも一回ぶっ壊しているのだから、ルイスがまた作ってくれるとも考えにくい。とりあえず学園内の問題は私が解決できる様に動くとしよう。
「さて。私は自室に戻りますが、何か聞きたい事はありますか?」
「いや、今日の所はこれで解散しよう。明日は忙しくなりそうだしね」
明日もいつも通り学業はあるし、生徒会にて今回のような事件の再発防止策を練らなければならない。それにモニカはしばらく休むことになるだろうから、その穴埋めも必要か。
私も学園の警備と話し合って、殿下の護衛体制をしっかりと組まなければならないし、なるほどこれは大変だ。
「…本当に、面倒な事件を起こしてくれましたね」
「全くだね。じゃあ、ここら辺で解散で良いかな」
「はい、問題ありません。寮までは学園の警備が護衛につきます。
ではお休みなさい」
今日の護衛はこれにて終わり。後は部屋に戻って警備のシフト計画書と業務報告書を書いてから、ようやく明日に備えて休養を取れる。
とても面倒臭いが、仕事なのでやらなければならないのだ。私の
本当に、今後はこんな重大事件が起こらなければ良いのだが。
レノと別れ、自室に戻ったフェリクスはレノから渡された魔導具をウィルに投げ渡す。
「どうだい、ウィル?」
「…はっきりと申し上げますと、陛下から贈られた魔導具の劣化品かと」
渡された魔導具を見たウィルの返事を聞いたフェリクスは、その言葉に同意するように頷く。
「まあ、そうだろうとは思っていたよ。見た目は無骨で、触媒の宝石は小さく、純度も高くないし…特筆するような機能は無いだろう?」
「起動方式は手動で、機能も伝令のみですね」
飾り気の無いハンドベルは、到底貴族が持つような物にも見えず、魔導具として見ても精々が試作品止まり。本来ならばフェリクスに渡す予定は無かったのだろうと容易に想像がつく程度の代物だった。
「ふむ。それなら、夜遊びの時には置いていけば良いかな?」
「殿下…夜遊びは控えると…」
フェリクスの軽口にウィルは困ったような表情で苦言を呈する。ウィルはフェリクスが夜遊びに出る度に誰かに気付かれないかと不安でしょうがないのだ。
「確かに、そう言ったよ?暫くは控えるってね。だからこれは先の話だよ。流石に近い内に遊びに出るとは言わないけどね」
悪びれる事もなくそう発言するフェリクスを、ウィルはジトっとした視線で見つめる。
「さて…今回の毒物の件に関しては真剣に考えないとね。手を抜いたらレノに叱られてしまう」
「…殿下は、それでよろしいのですか?」
フェリクスがレノを意識する発言を聞き、ウィルは心配そうにフェリクスを気遣う。
レノ自身が積極的では無いとは言え、第一王子派と第二王子。敵対する派閥の言う事を素直に聞くのが、ウィルはいまいち納得できていない。
「彼女が言う事は的外れって訳でも無いし…何より、少し新鮮なんだ。私の事を思って叱責してくれる様な人間は…ここ最近は居なかったからね」
そんなフェリクスの感想を聞いて、ウィルは返事を返さず悲しそうな表情を浮かべるだけ。
「それに…レノが何も言わなかったとしても、学園内に毒物を持ち込んでいる生徒がいるのは、流石に看過できないしね?」
「それは、そうですが…」
「大丈夫だ、ウィル。彼女に敵意は無いよ。それに万が一敵意を抱かれたとしても…グロスシュヴェルトの人間が、私を害する事はないだろう」
ウィルの心配を他所に、フェリクスは確信しているかのように『グロスシュヴェルト』を語る。
「彼らは国に対して忠誠を誓った一族だ。私が王に相応しく無いと確信しても、国が混乱に陥るような過激な手段は使わないよ。例えば、私が王位を継承したら内乱が起きたり、国が滅亡する、なんて事にでもならない限りは…ね?」
「殿下…」
冗談めかして語るフェリクスを見つめるウィルは、何も言えず泣きそうな顔でその場に立ち尽くすだけだ。
「もちろん、そんな事は起こらない。だからレノは、私に危害を加えないと確信している。だからそんな顔をしないでおくれ、ウィル」
そんなウィルを慰めるように、フェリクスは笑顔を浮かべてウィルを安心させる言葉を並べる。しかし、ウィルには効果が薄いようだ。
「困ったな…そんな顔にさせるつもりでは無かったのだけれど」
「…申し訳ありません、殿下」
「謝らせるつもりもなかったんだけどね」
フェリクスは困ったと言いながら肩をすくめるが、どうしてもウィルの表情が変わることはなかった。