武闘派小国の青年と完璧聖女の逆転劇 作:究極の闇に焼かれた男
(私が……エドと一緒にフーガ王国に……?)
エドワードの口から"折角なら一緒にフーガ王国に来ないか"と言う提案にフィリアは耳を疑っていた。
それもその筈、フィリアは多額の金を対価に故郷であるジルトニアからパルナコルタへと売り飛ばされる事となった身。 そんなフィリアがパルナコルタではなくエドワードの故郷であるフーガ王国へ向かう選択肢など想像もし得なかった。
「君が望んでくれるのなら、俺は君をフーガ王国へと連れて行こう。 この言葉に嘘偽りは無いと断言するし、何なら神に誓っても構わない」
そう言葉を続けるエドワードの表情は真剣なもので、それが単なる言葉遊びや戯言の類ではなく本気だと言うことを理解したフィリアの表情が驚愕の色で染まる。
「でも、私は……」
「簡単に決められないのは百も承知だ。 だけどなフィリア、人には他人に決められた道を淡々と進むのではなくて自分の意思で決めた道を進む事が出来る。 聖女としての務めを全うする生き方は素晴らしいとは思う。 だけど俺が思うに、今回の件は聖女の務めではなく国家間の賄賂と変わらない。 聖女は血の通った人間であっても都合のいい様に利用される道具なんかじゃない。 これがフィリアの本心からの選択なら尊重するけど、そうじゃないのなら俺はフィリアの友人の1人として見て見ぬふりをする訳にはいかない」
「……」
「それでも決められないってのなら、俺が今からする質問に正直に答えてくれ──────フィリア・アデナウアー。 君はパルナコルタへと向かうのを望むか、それとも俺と一緒にフーガに来るのを望むか。 何方の道を選ぶのかを自分の意思で決めるんだ」
(私は、どうすればいいんだろう……)
自分の意思で何方の道を選ぶのか問い掛けられ、フィリアは瞼を閉じて考え込む。 少し前まで故郷であるジルトニアの為に、そして両親に愛を向けて貰えるように多くの事を完璧にこなし続けてきたフィリアにとって自分の意思で何かを決める事は容易なことではなかった。 フィリア・アデナウアーと言う人物は両親に愛を向けて貰えなかった経験から自己肯定感が低く、愛してもらうには物事を完璧にこなすしかないという強迫観念に似た感情を抱きながら努力を続け、いつしか歴代最高と謳われる聖女となった。
しかし、そんな彼女の努力はジルトニア王国において正当に評価されないどころか、ある種の逆恨みや嫉妬の感情を向けられ周囲からは厄介者の如く扱われていた。 周りからの評価や両親に頑張りを認められずに育ってきた彼女は自然と自己肯定感が低くなり、いつしか聖女としての役割を完璧にこなし続けるだけの人形の様な存在と化していた。
そんな彼女が自分自身の意思で何かを選んだ経験は無いに等しかったが故に、フィリアにとって何かを選ぶという行為は単純ではなく難しいものだった。
「フィリア、君が何方の道を選んだとしても、そこに自分の意思が有るのなら俺は君の選択を尊重する。 だから、敢えて言わせてもらうよ──────聖女としてでは無く、1人のフィリア・アデナウアーという人間として決断しろ」
(私は……私は……っ)
エドワードの言葉を受けたフィリアは何度も自問自答を繰り返し、そして決意を固めたようにして目を開くと同時に自分の意思で選んだ道を声に出した。
「エド……私を……私を、フーガ王国に連れて行って」
「それは俺に言われたから付いて行くと決めたのか?」
「違う……これは私が、私自身の意思で決めた自分の道」
「(ふ、さっきと違っていい目をしている)そういう事なら君の意思を尊重しないとな──────ようこそフィリア・アデナウアー、君をフーガの一員として心から歓迎しよう」
そう言いながらエドワードはフィリアに手を差し出し、それをフィリアは握り返すのだった。
こうしてパルナコルタ王国へと売り飛ばされる筈だった聖女は新たな道を歩き始めるのだった。 後に彼女は当時の出来事を振り返った際に、「あの時の選択を私は後悔していない」と語るのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。
原作やアニメを見る限りフィリアは自己肯定感が極端に低いせいで、自分の意思で何かを決めた経験が少なく聖女としての役割を淡々とこなす機械みたいな人生を送ってきたんだなと個人的に感じました。 皆さんはフィリアの生き方をどんな風に感じましたか? 感想お待ちしております。
質問ですが、オリキャラと原作キャラの恋愛要素を導入しますか?
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はい
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いいえ