主人公のラブの相手は、まさかの───
難産ゆえ更新がだいぶ遅くなってしまいました。申し訳ないです。
「───ですから」
腹の傷がだいぶ良くなってきて、外出の許可が降りたから───だからただ、俺は煉獄さんの生家でヒノカミ神楽の話を聞きたかっただけだったんだ。
「炭治郎さんが鬼殺隊辞めて、妹さんと僕の研究に協力してくれるなら」
だけだった、のに。
「妹さんを人間に戻す薬、作れるかもしれないですよ」
時は一刻前に遡る。
煉獄さんの鎹鴉から受け取った地図を手に辿り着いた煉獄家。事前連絡なしで訪問してしまったがために、別の約束があると断られそうになったが、その約束の相手───幸継くんの申し出で、俺は無事煉獄さんのお父様のお話を伺えることになった。
「ありがとうございます!俺は、竈門炭治郎と申します!」
「……構いません。僕のことは千寿郎くんみたいに、幸継とお呼びください」
薬師をしているらしい幸継くんは、体が弱い煉獄さんのお母様に定期的に薬を届けているらしい。千寿郎くんと槇珠郎さんの振る舞いからして、煉獄家にとっての恩人なのだろう。特に愼寿郎さんからは、とてもひたむきで優しい匂いを感じた。千寿郎くんは、嬉しさや親しさ、友人同士からよくする匂い。
幸継くんからは、蝶屋敷よりも濃い薬草の匂いしかしなかった。
幸継くんが煉獄さんのお母様を診ている間、俺は愼寿郎さんから『日の呼吸』というものの話を聞いた。歴代炎柱の手記は諸事情で読める状態ではないらしいが、その話は実に興味深いものだった。
耳飾り、始まりの呼吸、日の呼吸───どうしてただの炭焼きの家系の父が、そんなものと繋がっていたのだろう。そして俺は、どうしてそれを今こうして使えているのだろう。
分からないことだらけだけれど、それでも、一つ希望の糸が掴めた気がする。
ちょうど愼寿郎さんの話を聞き終えたところで、幸継くんが居間に戻ってきた。相変わらず、凄まじいほどの薬草の匂いを纏っている。彼自身はもうこの匂いに慣れているのだろうか?口は常に小さく弧を描いており、感情が読み取りにくい。
……どこかで、見たことがある?
幸継くんを一目見た時からずっと抱いていた既視感。
「……僕に何か御用ですか?」
「あっ、いや!幸継くんが誰かに似ている気がして」
じっと見つめすぎたのか、幸継くんの微笑みが俺の方を向いた。素直に思っていたことを零せば、隣にいた千寿郎くんが答えようとしてくれた、のだが。
「あぁ、そういえば説明していませんでしたね。幸継くんは───」
「僕も、竈門炭治郎という名前には聞き覚えがありました。後ろの木箱を見て思い出しましたよ」
幸継くんによって遮られ、話題が俺たちに移った。貼り付けられた笑み、強い薬草の匂い、彼のことが読めない。
「鬼になった妹を連れた隊士、でしたっけ?なるほど、あなたが」
興味深そうに、禰豆子が入った木箱を見つめる。これといった悪意は感じない、というか、他の何も感じない。
この感覚、この雰囲気。
「実は僕、貴方たち兄妹に興味があったんです。良かったら、少しお話しませんか?」
「……え、っあぁ!もちろん、大丈夫だよ」
「幸継くん、俺も瑠火について聞きたい。良かったらうちで話していくといい」
愼寿郎さんの厚意に甘えさせてもらい、その場にいた全員で一つの座卓を囲む。さっきよりも距離が近いからか、薬草の香りが強くなる。機能回復訓練で薬湯を浴びたおかげで耐えられているが、あの日々がなかったら今頃俺は息を止めて喋ることになっていただろう。
薬湯の香り───何かが繋がりそうな気がする。でも何も思い出せない。このモヤモヤは、幸継くんを視界に入れる度に深まっていく。
「さて、瑠火さんの容態ですが……伺っていた今朝の体調不良は、ただの風邪のようです。心配はありませんよ」
「そ、そうか……ありがとう幸継くん」
「とはいえ僕は医者ではありませんから。一応薬は出しておきましたし、明日には落ち着くとも思いますけど、長引くようならすぐ医者を呼んでください」
「あぁ。その、そっちの方は、どうだろうか?」
「……変わりません。薬で根本的な治療ができる病でもありませんからね。世の医者に、いっそう努力していただくしか」
「うむ……悪いな、何度も同じことを」
どこか安心したような、しかし切ないような表情で言葉を紡ぐ愼寿郎さんと、一定して柔らかな雰囲気を纏う幸継くんが言葉を交わす姿は、どこかちぐはぐだ。
(それにしても、愼寿郎さんは幸継くんの薬をとても信頼しているんだな)
実際、奥の部屋から漂っていた淀んだ空気も、幸継くんが入室してからすっと薄くなった。あの淀みは、病人特有のものだ。幸継くんの実力は本物なのだろう。
体の弱い父さんも、幸継くんの薬があればどうにかなったのだろうか。もしそうだったら、ヒノカミ神楽の話を聞けたのに。
取り留めのない思考を巡らせる。
「───お待たせして申し訳ありません、炭治郎さん」
そこから俺は、幸継くんの話を一方的に聞いていた。
俺でも知っている大きな製薬会社の生まれであること。製薬に対する理解の深さ。煉獄家などの鬼殺隊との繋がり。
「でも僕は、鬼については詳しくありません。研究できるのは弱い鬼だけですし、それでも危険は伴います。だから、鬼と薬に関する前例というものがない」
幸継くんの目が冷たく細められた。しかし、口元ではさっきよりも口角を上げて、にんまりと笑みを作っている。
「ですから───」
「禰豆子を、人間に戻す薬……俺達が、研究に協力すれば……?」
「はい。確証はありませんが、やってみる価値はあると思いませんか?」
あの大きな会社の力も借りての薬作り。それに煉獄家の様子を見るに、幸継くんの実力は本物。蝶屋敷にも薬を卸しているそうで、鬼殺隊との繋がりは間違いないようだし、お館様と話をつけられたら、正式に鬼を人間に戻す薬に力を注げるかもしれない。禰豆子だけじゃない、全ての鬼を人間に戻せるかもしれない。
そして、俺が鬼殺隊を辞めるという条件。
珠世さんの依頼とは違って、俺が死ぬ心配もないから、禰豆子とずっと一緒に───
「───ごめん、幸継くん。俺は鬼殺隊を辞められない」
「……どうしてですか?家族を奪われた復讐を、果たしていないからですか?」
真っ直ぐに俺を見つめる瞳。全てを見透かしたような、焦げ茶色の瞳。
「違うよ。鬼の存在を知ったからには、無視することはできない。悲しむ人をこれ以上増やしたくない。俺は、鬼の首を斬る力を手に入れたんだ」
「僕の研究が上手くいけば、鬼の首を斬る必要すらありません。全ての鬼が、人間に戻ることができる」
「……すごく、卑怯で、ずるい考えかもしれないけれど……」
俺たち兄妹は、本当に幸運だっただけだ。あの日俺は、禰豆子に食われていたかもしれない。禰豆子は義勇さんに首を斬られていたかもしれない。禰豆子が誰かの命を奪って、誰かの大切な人を奪っていたかもしれない。
「人を殺した元鬼を、きっと人間は受け入れられない。鬼だったからだなんて、そんな理由で納得なんてできない。鬼だってそうだ。自分の罪に耐えられるはずがないし、耐えられてしまう人は、それは人ではなく結局心がどうしようもなく鬼のままなんだ」
鬼という存在が生まれてしまった時点で、この悲しい物語は───どう足掻いても幸せな終わりを迎えることはできないだろう。
「妹さんは人を食べてないから、特別ですもんね」
「そう、そうだね。俺たちは幸運だったんだ。なんで禰豆子が人を食わずにいられるかも分からない。でも確かに、禰豆子は人を傷つけない。人を守る鬼だ」
千寿郎くんは俺たちふたりのやり取りを心配そうに見ていたけれど、愼寿郎さんの目は違った。元鬼狩りの目だ。今俺は、幸継くんと愼寿郎さん、二人に強く強く見つめられている。
「鬼を倒し続けても、妹さんは人間には戻りませんよ」
「でも悲しむ人は減る。もう俺は鬼殺隊士だから、鬼を斬ることをやめないよ。それにいつか、鬼舞辻無惨にも辿り着けるはずだ」
前のめりになっていた幸継くんが、スッと姿勢を正した。
「では妹さんが人を食べたら。炭治郎さんは迷わずその首を斬れますか?」
「うん。絶対に」
「───ははっ。判断が早いですね」
初めて、幸継くんが心から微笑んだような気がした。
珠世さんには禰豆子を人間に戻す薬の研究を俺から頼んでいたのに、何故だろうか。より条件がいいはずのこの依頼を、俺は引き受けることができなかった。
その理由をツラツラと述べる自分に不信感を抱いてしまう。俺は、禰豆子だけが人間に戻ればいいと思っているのかもしれない。人を食べていないから?罪を犯していないから?
それとも、その生き様を、人生を、過去をよく知る妹だから?
考えなければならない。答えがあるのかも分からないけれど、それが、幸継くんの依頼を断った俺の責務だ。
幸継くんは千寿郎くんが出してくれたお茶を啜り、ぺこりと頭を下げた。俺も頭を下げる。
「少しムキになってしまいました。申し訳ありません」
「いやっ、俺の方こそ!せっかくの申し出を断ってしまって……申し訳ない……」
顔を上げると、出会った時と同じ口元だけの笑みを浮かべる幸継くんに戻っていた。しのぶさんもよく幸継くんみたいな貼り付けた笑みを浮かべる。既視感の正体はそれだろうか。
「では僕はそろそろお暇させていただきます。姉さんが帰ってくる頃だ」
「へぇ、幸継くんにはお姉さんがいるんだね」
俺は長男だよ、と会話を広げようとした所で、千寿郎くんがハッとしたように俺を見上げる。
「言いそびれていました。幸継くんは、幸代さんの弟さんですよ」
「幸代さん?それって、確か───」
幸継くんが笑う。とびきりの作り笑顔で。
「まだちゃんと名乗っていませんでしたね。僕は団円幸継」
そうだ。この瞳。この雰囲気。
「姉がよく、貴方たちの話をしていましたよ」
どこか掴めないあの人に似ていたんだ。
真っ白な鴉が、地上に小さな影を作る。そして静かに、優雅に、その子は私の肩に舞い降りた。
「幸代さん、また霞柱が代わったようですよ」
この世界で唯一、一切迷わずに私を見つけられる存在───鎹鴉の白菊さんが運んできた報せに、思わず頭を抱えてしまう。
霞柱。
原典においてその称号を与えられたのは、両親に先立たれ、残された唯一の肉親である兄すらも鬼に奪われた、時透無一郎という少年ただ一人だった……のだが。こちらの世界では、時透一家は誰一人として欠けることなく生存している。もちろん、私達団円一族の介入の結果だ。
薬草採りと嵐を口実に彼らに出会い、弟の薬で彼らの母を助け、今度はあまね様の護衛などと理由をつけて彼らを鬼から守った。
先の展開を知っている我々ならではの、何とも押し付けがましい介入で、私は時透一家の恩人となったわけだ。今思うと、もっとやりようがあったのではないかと反省点ばかり浮かぶ。
───あの若き双子をこの鬼殺の世界へ招いてしまって良かったのだろうかと随分悩んだものだが、当の本人たちはこれだ。
鬼殺隊の柱は、本来なら九人までと上限が定められていた。しかし、私の数代前の先祖が、いつか来たる原典の時間軸のためを考え制度を変えたのだ。もはや世襲制に近い煉獄家と団円家を除いた九人、つまり合計十一人が、現在の柱の上限数となっている。
年の順でこうだ。
岩柱、悲鳴嶼行冥。
泥柱、私───団円幸代。
音柱、宇髄天元。
風柱、不死川実弥。
水柱、冨岡義勇。
花柱、胡蝶カナエ。
蛇柱、伊黒小芭内。
炎柱、煉獄杏寿郎。
恋柱、甘露寺蜜璃。
蟲柱、胡蝶しのぶ。
そして、最年少の柱───霞柱。
この座を、やんちゃ盛りの双子が奪い合っている。やれどちらが多く鬼を倒しただの、やれどちらが稽古で勝った数が多いだの、そんなやり取りを繰り返し、三ヶ月に一回の頻度でお館様の元に乗り込んでいるのだ。実際、二人が競い合うことで任務の被害が小さくなっているため、認められてはいるのだが。
双子に刀を握らせてしまったのは、間違いだったのではないかと、やはり考えてしまう。
私は救える命は全て救いたい。たとえそれが原典では確認できなかった一般人でも、見知らぬ隊士であっても、救えるのならば。
知っているから。命、というものの尊さを。
あの双子は、それを知らない。両親は健在で、就任以来柱の死者も出ていない。大した挫折も知らない。ただ、継国の血を継いでいるという理由だけで鬼殺隊に誘われ、我が家への恩だか家族への反発だか、そんなよく分からない理由で入隊した。
「ふふふ」
「なぁに、白菊さん」
「考え込むと下唇が突き出るその癖、知っているのが鴉の私だけだなんて、人間の皆さんは損ね」
嘴で優しく頬をつつかれる。白菊さんの温度を、冷えた耳で強く感じた。
左耳。
「───そろそろ、あの時期ですのね」
「……そうね、幸代さん」
耳たぶは、人間の体の中でも柔らかく、薄く、骨もない。何とも───
「今晩済ませてしまいましょう。白菊さんは私が下唇を突き出して眉をひそめているお顔を見るのがお好きなようですから」
「……えぇ。白菊だけは、幸代さんをずっと見ていますからね」
私に頬ずりをして、彼女は静かに飛び立って行った。
世界で一番綺麗な貴女。
空を見上げる度に私の視線を奪う貴女。
皆の視線を集める貴女。
私とは正反対の貴女。
私を見ていてくれる、唯一の貴女。
左耳に、まだ温もりが残っている気がする。私の耳朶は、貴女と出会ってから歪に変形したままだ。人と変わらぬ知性と、人よりも優しい心を持つ貴女に、こんな蛮行を強いる私を、貴女はずっと許してくれた。
貴女は知っているのだろうか。
考え込むと下唇が突き出るだなんてありきたりな癖ではない、私のもう一つの癖。
ふと不安になってしまう時。寂しい時、辛い時、どうしようもなく孤独な時。
私は左耳の耳たぶを強く握りしめるのだ。
貴女が残してくれた痕を、ぎゅっと。
我が団円邸は、他所と比べて非常に大きい。母が大企業の令嬢だからというのもあるが、鬼殺の道に行かなかった一族の者が、その異能を使って築いた財産が山ほどある、というのも理由の一つだ。
各地に分家があり、その多くが藤の花の家紋の家として、鬼殺隊に協力している。(各分家の家督以外は、原典については把握していない。異能を持って生まれたものにだけ、特例として話はしているようだ)
そして私は、本家直系の子孫ということで。
街でいちばん大きな屋敷といえば団円であり、その敷地内にも様々な建物がある。
そんな離れの一つに、ある一家が暮らしている。
「あ!おはようございます、幸代さん!」
「おはようございます、無一郎さん。有一郎さんも、いい朝ですわね」
「……おはよう、ございます」
我が家が一家丸ごと介入した時透家である。
その運命を大きく狂わせた責任を持つために、親二人を我が家で雇い、双子には我が家が営む稽古場で鍛錬を積ませているのだ。
「朝からぶすくれてどうしたんですの、貴方のお兄さんは」
「あっ……その……」
原典よりも随分素直な───本来の性格に近いままの無一郎さんは、あの日、母の命を救い、そして鬼の首までも斬り落とした私に随分と懐いてくれている。どうやら私は、年下に懐かれやすい傾向にあるようだ。
それもこれも、原典という奇跡を利用しているに過ぎないのだが。
一方、こちらもある意味素直で真っ直ぐな兄の有一郎さんは、出会った頃からずっと思春期を拗らせている。
「……いつも、俺たちが柱の座を争ってたら怒ってくるから。今回もまたお説教でもするの?」
一切目を合わせようとはせず、その癖何とも堂々とした立ち振る舞いだ。
有一郎さんは、こんな性格に育つはずだったのか。
「してほしいならして差し上げますわ。ですが……残念ですわね。今日は潜入任務の準備であまり時間がありませんの」
有一郎さんは、無一郎さんよりも私が二人を叱りつける根本的な理由を理解しているようだ。その上で、兄としての責任感が、柱の座を譲らせたくないのだろう。
「程々になさいませ。鬼殺隊の本分を決してお忘れなきよう」
二人の頭をそっと撫でる。この二人と任務を共にするつもりは一切ない。彼らが私を庇うという日も、決してこない。
「あれ、幸代さん耳怪我したの?」
「……母さんの軟膏、俺持ってるけど」
「こっ、れは大丈夫ですの!お気遣いありがとう存じます。では、ごきげんよう!」
頭を撫でていた手をさっと引き、急いでその場を後にした。見られて困るものでもないと分かっているけれど、それでも何か恥ずかしかったのだ。
「行っちゃった。よく見えなかったけど、なんか赤かったような……もっと褒めてほしかったね」
「お前は何もしてないだろ」
「そんな風に言わなくてもいいじゃんか……それにしても、潜入任務だって」
「……何に潜入するんだろうな」
「ね」
無限列車の次は、蝶が舞い花は咲き誇り、暗闇では血が鮮やかに世界を染める───夜の街、遊郭編である。
認識阻害を持つ私が、潜入任務に呼ばれない訳もなく、あちらこちらへ自由に潜入しながら情報を収集し、夜は抜け出して別の任務へと向かう。なんとも忙しない日々が続きそうだ。
とはいえ、遊郭編で私がすべきことは少ない。
情報収集もほとんど形だけだし、決戦当日は別の任務に赴き後から合流する予定だ。そこで、影の薄さを活かして宇隨さんの左目と左手首の欠損を防ぐ。
大丈夫。ここで失敗するわけにはいかない。
私にはもう、何一つだって失敗は許されない。
左耳をぎゅっと握る。眉をひそめてしまうような鋭い痛みが、心地よかった。
原作の登場人物とラブすることはない→オリキャラの鎹鴉に激重感情を抱く主人公
原作を実家に置いてきたので、ストーリーに矛盾点や筋が通らないところがあるかもしれません。許してください。