宇宙を渡る鋼拳 作:んmkp
自身が何者なのか。スログは、常々考えていた。
彼が最初に目覚めた時、目に飛び込んできたのは荒廃した土地だった。
生き物は愚か、植物も生えていない不毛の大地。
目覚めた彼は自身の両手首に嵌められた、長い鎖でつながれた手枷を見て自身を囚人なのではないか、とも思った。
もっとも、思っただけ。着ている服は、腹部で特徴的な灰色の×印が刻まれ、丈の短い上着に、太いベルトに繋がれた四枚の腰布。その下は、紺のパンツにダークブルーのブーツ。
全身、青系統の色で纏められたコーディネートであり、手枷と鎖も深い蒼色だった。
分かるのは、己の名前と性別位か。その他自分に関する事は、とんと分からない。その一方で
死した大地。彼の人生が本当に始まるのは、空に一筋の彗星を見てからだった。
*
宇宙を旅する星穹列車。
「――――フム。コレで良いだろう」
「おお!スログ、直ったかのう?」
「ああ」
深い蒼色の髪に前髪の白い二房が交差した妙な髪形の青年が、手に持っていた箒を足元に居る小さな謎生物へと差し出した。
この星穹列車の
「…………うむ!確かに、直っておるな!感謝するぞ、スログ!」
「気にするな」
「いやいや、スログには色々と面倒をかけているというのに、中々感謝をさせてくれんからな!こういう時に溜まった感謝の言葉の負債を払っておかねば、心の澱となってしまう」
小さな手足を大袈裟に動かして、パムはそんな事を言う。
端正な無表情をそのままに、スログは首を傾げた。彼としては、別段できるからやっているだけ。
何より、自分を拾ってくれた星穹列車には感謝しているのだ。雑用の百や二百、何の苦労とも思わない。
小動物と鉄面皮がそんなやり取りをしていれば、ふと足音が近づいてきた。
「ここに居たか、スログ」
「丹恒。何か用だろうか?」
「ああ、大至急来てほしい」
やって来たのは、黒髪の端正な顔立ちをした青年。
丹恒と呼ばれた彼は、常の怜悧な表情に緊張を滲ませている。その常には無い彼の反応にスログは立ち上がる。
「何があった」
「…………姫子だ」
「ああ…………」
それだけで、星穹列車の乗員たちには伝わってしまう。
この星穹列車の現主にして、列車をこの世界によみがえらせた若き天才科学者。
科学者として優れた技術力を有しており、列車のメンテナンスを一手に引き受ける若き才媛。
だが、壊滅的に飲食に関する技能が欠落していると言わざるを得ないレベルで欠けていた。
例えば、コーヒー。十回淹れてもらって、一回から二回当たりを引ければ幸運と言えるレベル。
苦い、と言うより不味い。感想としては、喉が裂ける、や心の鍛錬向きやら、煎じ薬のようだ、などなど。そもそも飲み物に対する感想と呼ぶには弾けたものばかりだ。
その上で、
「…………何故、そんな事に?」
「姫子曰く、毎日スログに料理を作ってもらっているから、その返礼のつもりらしい」
「私が原因か」
丹恒の言葉を受けて、スログは眉間を揉んだ。
自分が原因だった。ただ、彼とて態々列車の他メンバーを死地に追いやる為に雑用を熟している訳ではない。
「…………了解した、私が対応する事にしよう」
「すまない」
謝る丹恒に手を振って、スログは足早にその場を後にした。
向かうのは、調理可能な場所――――ではない。
彼の優れた頭脳が導き出した行先は、姫子の自室である。
「姫子、居るだろうか?」
三回のノックの後、そう扉へと問いかける。
すると、
「あら、スログ」
扉が開き、綺麗な赤毛の女性が顔を出す。
「どうしたの?」
「ああ。そろそろ夕飯の時間だろう?良ければ、一緒に作らないかと思ってな」
姫子が料理をするつもりなど知りませんよ、と言わんばかりにサラリと彼はそんな事を言う。因みに、丹恒が態々伝えに来たことも言うつもりはない。
ぱちりと燃え上がる火のように鮮やかな目を瞬かせる姫子。
「あら、今日は私が作ろうと思っていたのだけど。スログにはお世話になりっぱなしだから」
「有り難い心遣いだ。だが、私とて食事を作る事が億劫と言う訳ではない。寧ろ、日々のスケジュールに組み込まれている事が急に抜けてしまえば、正直少し落ち着かない」
「それは…………そうね。確かに、毎日やっている事を急に削るのは良くなかったかもしれない」
あくまでも自分の都合を理由とする。スログなりの気遣い。彼としては、姫子の料理を食べたくない。かといって彼女をいたずらに傷つける事も宜しくない為の判断だった。
姫子は姫子で、これを了承。
かくして、星穹列車の食事危機は回避された。
「姫子、何でソレを入れようとしている?」
「え?彩りは大切でしょう?」
「大切だが、着色料を瓶丸々は多すぎる。待て、そっちの手の香辛料は何だ」
「スパイスは、大切でしょう?」
「今作っているのは、照り焼きなんだが?スパイスは必要ないぞ?」
回避された!!!!
*
星穹列車の乗員として加入したスログの所定の位置は、恐らく列車の中でも最も騒がしい場所だ。
唸るエンジンと建材が擦れ合い、軋むような音。鎖の音に、しかしその一方で耳に響く静寂がある場所。
「…………」
腕を組み、壁に背を預けて目を閉じるスログが居るのは、星穹列車の心臓でもある機関室であった。
既に客室が埋まっているというのもあるが、何より彼自身この騒がしさと静寂が入り混じった空間が何故だか落ち着くのだ。
もっとも、この列車では一人で過ごし続ける事は難しいのだが。
「スログー、居るー?」
「…………どうした」
閉じられていた瞼が開かれ、真紅の瞳が顔を覗かせる。
ひょっこりと、機関室の扉を開けて顔を覗かせたのは薄い桃色の髪をした少女だった。
「ちょっと小腹が空いちゃったから、おやつでも食べようかなって」
「成程。なら、温かなお茶でも淹れるとしよう」
「おっ、やったー!スログのお茶、美味しいよね!ウチも大好き!」
喜びを全身でアピールする彼女、三月なのかにスログは薄く笑みを浮かべて背を壁より離す。
騒がしい彼女は、良くも悪くもトラブルメーカーだ。しかし、その騒がしさも個性であると割り切れば、スログとしては邪険にすることも無い。
ラウンジへと向かいながら、話題となるのはおやつの事。
「今回は、何を買ったんだ?」
「ふっふーん♪今回のおやつはねぇ……スログ、当ててみて!」
「ふむ」
顎を撫でる。
「…………成程、さしずめここ最近カンパニーの広告が来ていたクッキー、マカロン、バウムクーヘン、フィナンシェ、マドレーヌの詰め合わせセット、と言った所か」
「うっそ……!?何で分かる訳!?」
「数日前にお知らせメールが来ていたからな。耳の早いなのかならば、それも把握していると考えた。味見もしたんだろう?」
「まあね!クッキーは、サクサクホロホロでチョコチップが美味しかったし、マカロンはフルーツの風味が確りしてて、バウムクーヘンはしっとりしつつ口の中もパサパサにならないし、フィナンシェはバターの風味が最高!マドレーヌはオレンジピールが入ってるんだよ!」
嬉々として、アレが美味しいコレも美味しいと報告してくるなのか。
スログはそんな騒がしい報告を静かに聞いていた。
丹恒ならば、顔を顰めるかもしれないがスログとしてはこの騒がしさも彼女が元気に今を過ごせている証拠というものと言い換える事が出来る。元気である事が、既に嬉しい。
機関室から客室の前を通り、ラウンジのある車両まで向かうのはそれほど時間のかかる事ではない。
車両にやって来た二人に目ざとく気付いたパムが、その小さな手を振り上げた。
「おお!待っておったぞ、二人とも!」
「お待たせー!あれ?姫子と丹恒は?」
元気に手を挙げるなのかだったが、勢揃いとは言えない面子に首を傾げた。
そんな彼女に答えを示すのは、メガネをかけた茶髪の青年だ。
「二人は、やる事があるそうだ。丹恒はアーカイブの纏めと、その記録の整合性を調べながら論文を書いているらしい。姫子は、気持ちだけ貰っておく、と」
「そっかぁ……それじゃあ、四人で食べちゃお!ヨウおじちゃんは何が良い?」
少し肩を落としたなのかだったが、直ぐに気を取り直して予め用意していたお菓子パックをテーブルへと広げていく。
騒がしい少女を尻目に、スログはテーブルの傍らに置かれていたティーセットへと手を付けた。
「ヴェルド。何を飲む」
「少し前に良い茶葉が入ったと言ってなかったか?それが残っているのなら、貰おう」
「了解した」
カチャカチャと手を進める青が印象的な青年の背を見やり、ヴェルド・ヨウは思考する。
星穹列車の乗員は、己を含めて全員が揃って腹に一物抱えている。
その中でも、なのかとスログの二人は境遇が似ていた。
片や、宇宙を漂っていた氷塊より救われた少女。
片や、辺境の惑星でただ一人目覚めた青年。
どちらもが、過去を持たない。深い知見を持つヴェルドであっても、二人の過去を類推する事は難しい。
ただ同時に、彼はスログという青年の過去は興味深いとも思っていた。
(自身に関する記憶は、名前と性別。後は戦闘技術位の物。その一方で、家事に対する技術と知識。丹恒や姫子、俺の専門知識の話題にもプレーンな状態から付いてこれる知力の高さがある。いや、頭の回転が速いのか)
差し出されたカップを受け取り、口を付けるヴェルド。
スログの異常性の一端。それこそ、頭の回転、もとい知力の面。
最初こそ、姫子やヴェルド、丹恒の専門知識を必要とする会話には付いてこれなかった。だが、幾度かの質問と彼らの貸し出した専門書を読み込む事によって才能が開花。
今では、姫子から星穹列車のメンテナンスの助手を任されたり、丹恒のアーカイブ纏めや論文作成の手伝いもしている。ヴェルドはヴェルドで、専門的な会話が出来るのは楽しんでいたりする。
(諸々考えては見たが――――)
そこで思考を打ち切り、ヴェルドは顔を上げた。
「ほら、スログ!コレ、美味しかったよ!」
「勧めたい気持ちは分かった。分かったから、押し付けるんじゃない。食べるから」
「はい、あーん!」
「話を聞け」
腕力差的に振り払う事も難しくないだろうスログは、しかし詰め寄ってクッキーを差し出してくるなのかのされるがままとなっている。
記憶がなかろうとも、彼は優しい青年であった。だからこそ、星穹列車のメンバーの中でもある種の確固たる地位を持っているとも言えた。
(願わくば、彼らの道行きの先に光あらんことを)
祈り、ヴェルドはカップを置いた。
口に含んだ甘味はほろほろと崩れ、成程これは当たりである。